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三原董充さん=島根県益田市有明町で2013年4月5日午後4時9分、江田将宏撮影
http://mainichi.jp/articles/20170201/k00/00m/040/067000c
毎日新聞2017年1月31日 20時33分(最終更新 2月3日 10時31分)
島根県益田市久々茂(くくも)町の国道191号で30日朝、集団登校で横断歩道を渡っていた市立豊川小学校の児童の列に軽トラックが突っ込み、ボランティアで通学を見守っていた近くの三原董充(ただみつ)さん(73)が全身を強く打ち、翌日、病院で死亡した。集団登校をしていた児童9人のうち、小学3年の男子児童(9)も軽傷を負った。
三原さんは33年前、小学2年だった下校中の次女舞子さん(当時7歳)を交通事故で亡くし、子どもたちの事故を防ぐため見守り活動を続けていた。
県警益田署は、車を運転していた会社員、山口伊佐男容疑者(62)=同市匹見町道川=の呼気から基準値を超すアルコールが検出されたため、道交法違反(酒気帯び運転)などの疑いで現行犯逮捕した。山口容疑者は容疑を認めているという。
同署によると、現場は片側1車線のほぼ直線道路で、交差点に信号機はなかった。三原さんは、横断歩道の中央部付近で児童が渡るのを見守っていたとみられる。
事故現場近くの女性(73)は「車に気付いた三原さんが、男の子を突き飛ばしてかばったと聞いた。身をていして男の子を守ったようだ」と話した。【長宗拓弥、関谷徳】
「二度と同じ思いしてほしくない」とボランティア続け
島根県益田市で登校児童の見守り中に交通事故に遭った三原さんは、集団下校中の事故で舞子さんを亡くし、悲劇を繰り返さないため毎朝、通学路に立ち続けていた。三原さんの長女摩弓さん(42)は「二度と娘と同じ思いをしてほしくないと思い、ずっとボランティアを続けてきたのだろう」と話し、悔しさをにじませた。
舞子さんは1983年12月5日、ミキサー車に引かれて死亡した。洋裁店を経営していた三原さんは、孫の小学校入学をきっかけに15年ほど前から登校の付き添いをしてきた。自宅から学校まで往復1時間以上かかるが、「信号機がなくて危ない」「トンネルが暗い」と気付いた危険箇所を市役所などに指摘していた。三原さんは今回の事故直後、けがをした男児に「大丈夫か」と声を掛けていた。
三原さんは地域活動も熱心で、地元の伝統芸能「石見(いわみ)神楽」の団体会長として子どもたちに教えていた。「子どもたちが危険な目に遭わないようにしないと」と、昨年10月にあった「通学合宿」では、他のボランティアらと今回の事故現場の横断歩道で安全に渡れるよう子どもたちを指導していた。
豊川小学校の山崎周治校長は「ほぼ毎日学校まで付き添ってくれた。集団登校の列が乱れたり危ない行動をしたりした時は、児童をしかってくれた」という。31日は全校集会を開き、「三原さんは子どもを宝のように思っていた。元気に成長するのが恩返しだ」と伝えたという。
事故現場に駆け付けて一緒に救急車に乗った摩弓さんは、「父は搬送時に痛みで苦しんでいた。だが事故直後は我慢して子どもを気遣ったのだろう。父も妹も事故で亡くして悔しいが、子どもの命を守ってくれて本当に良かった」と言葉を詰まらせた。【長宗拓弥、横井信洋、藤田愛夏】
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