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(回答先: グローバル経済では人間が商品として売買される 投稿者 中川隆 日時 2017 年 11 月 26 日 09:59:44)
アフリカ奴隷貿易のタブー アフリカ側が進んでやっていた
アフリカは西洋から強制されたのではなく、金儲けのため自国住民を「販売」した
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アフリカ人はなぜ奴隷になったか
アフリカの奴隷制は西洋による植民地化のせいというのが常識だが、この説では植民地になったアジア諸国はそうならなかったのを説明できない。
第二次大戦までアジアの大半は西洋の植民地だったにも関わらず、強制的に連れて行かれたのはアフリカ人だけでした。
中国人はクーリー(苦力)として使役され欧米に渡ったが、彼らは名目上は賃金労働者で、主人の所有物ではなかった。
同じ時代でもアフリカ人だけが大量に連れ去られ、アジア人がそうならなかったのには、タブー視されている事実がある。
それは他ならぬアフリカ人自身がアフリカ人を捕まえ西洋人に売ったことで、西洋人が来る前からこうした制度が存在していたのです。
最初に制度があり、アフリカの王や貴族、商人らは、金儲けや利益のために同じアフリカ人を捕まえて売っていました。
日本の場合だと農村住民は領主や大名に命じられて、労苦や戦役を課せられていました。
だが多くは何がしかの報酬が支払われ、農民は大名の所有物ではなく、収穫物は年貢を除いて農民のものになった。
アフリカではこれとは違い、住民は王や領主の所有物で、収穫物も土地も全て王のものでした。
アフリカでは王が住民を所有するのは当たり前で、王は所有物である住民をどのように扱っても良かった。
12世紀から19世紀、ナイジェリア南部に存在したベニン王国では、西洋人が自国住民を高く買うのを知ると、大喜びで売り飛ばしました。
アフリカ人自身が制度をつくった
一般的なイメージではイギリス人やポルトガル人が住民を追いかけて捕まえるが、そうではなくアフリカ人自身が進んでやっていました。
ベニン王国はこの商売で栄えたが、当然のごとく国内はガタガタになり、1897年イギリスに滅ぼされて滅亡しました。
14世紀から20世紀まで存在したコンゴ王国も同じで、住民を捕まえては売り、変わりに西洋の銃などを得ていました。
王は手に入れた武器で住民を追い詰め、自分の権力を強化し略奪を行いました。
コンゴも国内が衰退し混乱して、結局はポルトガルの植民地になり滅亡しました。
15世紀から栄えたダホメ王国でも、金になるのを知った王国は周辺住民を襲ってはポルトガル人に「転売」しました。
敵の数が減って自分は金儲けができ、西洋の武器も手に入るので一石三丁であり、アフリカ中で同じ事が起こった。
記録によると1716年の1年間だけで、ダホメ王国1万5000人以上を西洋に輸出していました。
西洋に強制されたわけでも脅されたわけでもなく、金儲けのために自ら進んでおこなったのです。
最初に自国住民を売ったのはアフリカ人自身であり、西洋側は売りに出ていたので買って帰っただけでした。
アフリカは最初この貿易で栄えたのだが、貿易をすればするほどアフリカは貧しくなり、最後は西洋に支配されました。
西洋が日本人や中国人などを大量に連れて行かなかったのは、簡単な話「売りに出ていなかった」ので買わなかったのです。
だがそうした歴史では困るので、アフリカ諸国は「すべて西洋に強制された」ことにしています
http://www.thutmosev.com/archives/75374096.html
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