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日本の経済の専門家は頭がおかしい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/894.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 12 月 10 日 10:52:47: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 御用学者の悪質な嘘 1 _ 東京大学名誉教授 吉川洋氏、前日銀副総裁 山口広秀 投稿者 中川隆 日時 2017 年 12 月 05 日 21:13:36)


経済コラムマガジン 2017/12/11(966号)
日本の経済の専門家はおかしい


日本の経済論壇の「闇」は深い

筆者は、

16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
http://www.adpweb.com/eco/eco885.html


などで日本の経済学者やエコノミスト、そして日経新聞の論説委員等を批判してきた。これらの日本の経済の専門家が言っていることが「おかしい」と思うからである。また筆者は何となくこの原因を分っているつもりである。

日本経済の低成長の原因は慢性的な需要不足と先週号で説明した。しかし日経新聞の論説委員を始め日本の経済の専門家は、どうしても原因を需要不足とは認めないのである。そこで彼等は、低成長の原因を人手不足や低い生産性など供給サイドの話で誤魔化している。


だから人手不足を示すデータをやたら強調したがる。また間抜けなエコノミストの中には「日本は完全雇用状態」と言って譲らない者までいる。しかし先週号で述べたように、本当に日本が人手不足ならもっと賃金が上昇しているはずである。

それどころか全てのメガバンクが大きなリストラ計画を発表している。大手銀行の事実上の定年は52〜53才という話は昔聞いたことがる。ところがそれが最近では、どうやら50才程度までに早まっているという記事を日経新聞が掲載している。日経新聞にはこのような矛盾した話が満載である。そこで今週はこのような矛盾した話を二つ取上げる。


日本の経済成長率は、内閣府から国内総生産(GDP)の情報として定期的に公表されている。日経新聞などのメディアは、この数字の推移に基づき経済成長の様子を解説している。内閣府が公表するのは「消費、投資(設備・住宅)、政府消費、公共投資、輸出・輸入」と需要の項目毎の数字とそれらの合計である。日本経済成長率はこれらの需要項目の数字を積上げて算出されている。

日経新聞などメディアのこれに対する分析と解説は、例えば「天候不順で消費が落込んだ」「半導体の需要が好調なので設備投資が増えた」「予算消化が進まず公共投資が減った」「円安と中国の景気持直しで輸出が増えた」といった具合である。注目されるのは全てこれらは需要サイドの話ということである。まさに先週号で述べたように「需要で日本の経済成長は決まる」のである。日本の生産性が上下したことが原因で経済成長率が変動したといった話は一切出ない。これは当たり前の話であり、需要が増えれば当然のこととして工場や商業施設の稼働率が上がり生産性が上がるのである。


ところが日本の経済の専門家は、日経新聞などで日本経済の成長に関しては「生産性の向上が必須」「生産力の増大が必要」と供給サイドのことしか言わない。したがって彼等は「設備投資を喚起する政策が必要」「家庭の主婦も職場に狩出すような政策が必要」といった主張を繰返す。つまり日本の経済成長を決めるのは全て供給サイドという話になっている。

ところが同じ日経新聞の紙上では、前述の通り日本の経済成長を全て需要サイドだけで分析・解説して見せるのである。明らかに日経新聞や日本の経済の専門家の経済成長に関する論調は矛盾している。筆者は、もっと辛辣に「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」と言う他はないと思っている。

不思議なことに、日本の経済論壇では誰もこのような矛盾を指摘しないし問題にもしない。しかし「おかしい」と指摘する経済学者やエコノミストがいることを筆者は知っている。ところがこのような声をほとんどの日本のメディアは取上げない。まことに日本の経済論壇の「闇」は深いと言える(日本のメディアもおかしい)。


算出方法がおかしいデフレギャップ

もう一つの「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」ことを示す事例は、日本のデフレギャップの認識である。これに関しては日本の潜在成長率も関係する。筆者は

06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で、これらの算出方法がおかしいと指摘して来た。しかし今日でもこのインチキな算出方法が続いているのである。

日本のデフレギャップを政府はわずか1〜2%と公表して来た。それどころか直近ではデフレギャップがなくなり、逆にインフレギャップが生じたと驚くようなことを言っている。ところが誰もこれを「おかしい」とは指摘しない。


デフレギャップを文字通りに解釈すれば、供給力が需要を上回る場合の両者の差額ということになる。たしかに理論上では、これがゼロになることは有りうることである。しかしこれがマイナスになり、逆にインフレギャップが発生したのだからただごとではない。

これも文字通りに解釈すれば、日本全体で需要が生産力を上回ったことになる(一部の特定の企業に限るなら有り得る現象である)。これはちょっと有り得ないことであり、少なくとも日本の景気が超過熱状態ということを意味し、当然、物価は高騰しているはずである。ところが日本経済は低迷し、物価は一向に上がっていない。日銀なんて、物価上昇率の達成目標年度を毎年延期しているほどである。


結論を言えば、筆者が何回も指摘してきたようにデフレギャップや潜在成長率の算出方法がおかしいのである(実際のデフレギャップはずっと大きい)。しかし関係者がこれは「おかしい」と気付いているのか不明である。また「おかしい」と気付いていたとしても修正する気があるのか、これも不明なのである。

それにしてもこの怪しいデフレギャップを基づき経済政策が実施されることが問題である。構造改革派と見られるある経済閣僚は、日本のデフレギャップや潜在成長率が著しく小さく算出されていることを知らないと思われる。この大臣は「日本の経済成長率を上げるには潜在成長率を大きくする他はない」と言っているようだ。

日本のデフレギャップや潜在成長率を著しく小さく算出している裏には、日本経済の問題点を需要サイドから供給サイドにスリ変える意図が見える。これには財政再建派も悪乗りしている。もし需要サイドの問題、つまり需要不足が認められると財政支出による需要創出という話が避けられなくなると財政再建派は思っている。


デフレギャップや潜在成長率の算出方法や認識の違いには、理論経済学上の対立の影響も垣間見られる。先週号で、古典派(新古典派)経済学に基づく構造改革派と財政再建派、そして財政による需要創出の有効性を唱えるケインズ主義の積極財政派という分類を行った。デフレギャップや潜在成長率を異常に小さく算出している経済学者やエコノミストは、古典派(新古典派)経済学の信奉者と見て良い。

そもそも古典派(新古典派)経済学ではデフレギャップという概念は存在しない。古典派(新古典派)経済学の理論的な根幹をなす「セイの法則」では、作った物は全て売れることになっている。したがってパラメーターが動き価格メカニズムが機能すれば、失業者や生産設備の遊休は発生しないことになっている。

古典派(新古典派)経済学の世界では、自然失業率以上の失業は労働者の技能が劣るからであり、需要拡大策ではなく職を得るための教育訓練が必要と説く。また遊休状態の生産設備は、既に陳腐化していて使い物にならないから廃棄すべきと考える。たしかに「セイの法則」からは、このような結論が導き出される。
http://www.adpweb.com/eco/  

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コメント
 
1. 中川隆[-5757] koaQ7Jey 2017年12月10日 14:53:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月9日濫用される経済論理
From青木泰樹@京都大学レジリエンス実践ユニット・特任教授


「金融政策だけでなく、財政出動との両輪で景気を刺激すべきだ。日銀が保有する国債のうち、約50兆円を無利子の永久国債に転換する。償還の必要をなくすわけだ。政府はこれを受け、防災対策などに10年間で100兆円のインフラ投資をする」。

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20171126&ng=DGKKZO23912410V21C17A1EA5000

この真っ当な提言は、三橋さんも取り上げていましたが、元日銀審議委員で景気循環学会の中原伸之会長が、日経新聞紙上で黒田日銀の評価を求められた際に発したものです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12331985979.html

以前、「日本の財政破綻は考えられない」と堂々と主張するコラムニストが日経新聞に登場したことを紹介しましたが、遂に経済学界の重鎮の中にも正論を述べる人が出てきたことに驚きました。

リーマン・ショック前であれば信じられないことです。

「ケインズは死んだ」と考える経済学者が大勢を占める中、おそらく、そんなことを言ったら袋叩きにあったでしょう。

やはり時代は変わりつつあります。

いまだ少数にすぎませんが、経済通念の色眼鏡を外して現実を直視する人たちが各方面から現れてきたことは喜ばしい限りです。

衆院選後、2019年10月の消費税率2%引き上げを既定路線とする財務省による緊縮財政の攻勢に対し、それに立ち向かう政治勢力が存在しないという閉そく状況が続きますが、そんな中で一筋の光を見た気分です。

三橋新聞をはじめとする多くの経世済民思想の普及に努めるブログの論者たちの活動が、徐々にではありますが、世間に影響を及ぼしつつあることに疑いはありません。

僅かでも可能性が残されているのなら、決して日本の将来を諦めてはならないでしょう。

私自身も言論活動の一環として、国民・国家を無視した主流派経済学に依拠する学者の政策提言に対し批判を続けてまいりました。

2004年に発刊した『動態経済分析への道』においては独自の貨幣理論に基づき、国債問題の誤解、PB赤字を問題視する無意味さ、インフレ・ターゲット論の欠陥、構造改革論の誤謬等について論じました。

その中で財政問題に関しては、「期首における巨額と言われる国債残高およびプライマリー赤字の問題は、現行の日本経済の規模からして許容範囲内であって危機に瀕している状態ではない。危機に瀕しているものがあるとすれば、政府の債務を個人の債務と同一視させ、景気動向を顧慮することなくいたずらに危機感を煽りたてる思想それ自体であろう(前掲書p.145)」と結論づけました。

http://amzn.asia/95CFNmC

それ以降の著作において、細部の論理を彫琢し、かつ新たな論点を導入してまいりましたが、大筋のヴィジョンは以前と全く変わりません。

こと経済学に関して言えば、「経済理論を現実に直接適用することはできない。もしそうした論理の濫用が行われれば国民経済は大打撃を被る」という見方です。

当たり前のことですね。現実は理論の前提を満たしていないのですから。

そこで何とか現実に適用できるように「理論の側」で工夫を施さねばなりません。

理論と現実を橋渡しする論理の構築、いわばワンクッション必要なのです。

そのため私は既存の主流派理論とは別の枠組みが必要だと考え経済社会学研究を続けて参りましたが、大半の主流派学者はその必要はないと考えているようです。

私は「理論で説明できない現実が間違っているのではなく、現実を説明できない理論が間違っている」と考えますが、彼らの考え方は正反対です。

理論が常に正しいと考えてしまうのです。その結果、彼らは必ず現実を見誤るのです。

今回は、そのような例を三つ紹介しましょう。

「日本が財政破綻しないのは人々が無知だからだ。もしも人々が経済学の教え通りに合理的に行動するならば、日本は財政破綻するはずだ。人々がそれに気付く前に増税と歳出削減で財政再建を目指せ」と唱える著名な財政学者など、その典型例でしょう(下記参照)。

http://amzn.asia/52I7reO

現実が間違っているから、人々が非合理に行動するから、今のところ財政破綻しないと言っているのです。

合理的経済人なら、政府の債務を「自分の将来の債務」と考えて行動するものだと。

「政府の財布」と「自分の財布」を同一視するのだと。

そう合理的に考えれば、巨額な政府債務を抱えている状況で、これ以上の債務増加を容認できるのか。できるわけがない。

合理的経済人なら新規国債の発行に反対するのが当然だろう、と続くわけです。

もちろん本当のところは、政府の債務は「民間の資産」であり、将来世代の負担にもならないことは以前のコラムで指摘した通りです。
https://38news.jp/economy/11393

[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

2. 中川隆[-5756] koaQ7Jey 2017年12月10日 14:58:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>1 の続き


誰にもわかるように、政府の懐具合を自分の懐具合と同一視する人など現実社会には存在しません。

おそらく当の財政学者でさえ、政府の債務は自分の債務と同じであると考えて消費活動をしているわけではないでしょう。

にもかかわらず経済論理に偏重し、現実の経済人と合理的経済人の区別がつかなくなっているのです。

次の例は、

「消費の伸び悩みの原因は将来不安にある。年金・保険、福祉といった社会保障制度が財政難で今後維持できるかどうか懸念されている。そのため人々は将来に備えて貯蓄を増やし消費を抑えている。将来不安を取り除くためには財政再建が急がれる。増税と歳出削減をためらってはならない。財政再建に注力すれば消費は上向く」

という論説です。新聞でよく目にするでしょう。

実は、これは「非ケインズ効果」に基づいた話です。

財政出動や減税をすると所得が増えて消費も増加するというのがケインズ効果ですが、逆に歳出削減や増税によって財政再建を目指すと、民間人は「将来の負担が減る」と考え「現在の消費を増やす」という理屈が非ケインズ効果です。

前の財政学者の例と比べると、現実の経済人の想定が逆ですね。

今度は人々が将来を予測して現在の消費行動を決めている、すなわち合理的に行動しているから消費が伸びないと言っているのです。

いわゆる「フォワード・ルッキングな期待形成」をする人間を想定しています。

非ケインズ効果は財務省が増税を正当化する論理として一時期よく言及していましたが、日本での実証結果が思わしくなかったために下火になりました。

最近は社会保障不安に結び付けた形で御用学者に発言させているようです。

もちろん、日本で非ケインズ効果が存在しないことは現実的観点から明らかです。

二点指摘しておきましょう。

2016年9月の日銀による金融政策の総括的検証(日銀総括)において、日本人の大半は過去の経験と現在の状況から将来を予想する傾向があることが実証されたと以前お話ししました。


ほとんどの日本人は、いわゆる「適合的な期待形成」をしているのです。

将来予測から現在の行動を決定しているのではありません。

不確実性の存在する世界では、それが現実的かつ妥当な行動なのです。

なぜなら、完全情報を有する合理的経済人のように将来を正確に見通すことはできないからです。

現在の懐具合を見て消費額を決めるのですから、増税によって可処分所得が減れば消費も減るのが現実なのです。まさにケインズ効果が作用していると言えます。

もしも非ケインズ効果が作用しているのなら、2014年の消費税増税以降、消費が増加しGDPも増加しなければならないはずですが、消費の低迷がいまだに続いているのが現実です。

非ケインズ効果は経験的事実と明らかに矛盾しているのです。

より長い視野で捉えても同様です。

非ケインズ効果が作用しているなら、ここ20年間の財政再建を目指す緊縮財政路線によって将来不安は一掃され、日本経済は力強く成長したはずです。少なくとも消費が増えていなければならない。

ところが現実はどうであったでしょう。

言うまでもなく、現実は先進諸国の中で唯一、長期停滞に陥った国となったのです。

三つ目の例は、リカードの比較優位説(比較生産費説)に関する誤解です。

これは自由貿易の利益を明らかにした論理であり、ほとんどの学者が同意する基本的な考え方であると思われています。

しかし、比較優位説は、「限定された状況下での分業の利益を示す論理」にすぎません。

問題は、限定された状況下でしか成立しないにもかかわらず、一般的に成立すると誤解している人があまりに多いことです。特にマスコミ人や政治家に。

「国際分業の利益は比較優位説より明白であるから、TPPをはじめとする自由貿易の推進は国益にかなう」といった日経新聞の論説やコラムを見る度に辟易します。全くわかっていない。

確かに、比較優位説はミクロレベルで分業の利益を考える場合、かなり説得力を持つ理屈です。

よく使われる例として、教授と秘書が「論文を書く仕事(A)」と「タイプを打つ仕事(B)」の役割分担を考えているとしましょう。

教授はAもBも秘書より優れているのですが、一度に二つの仕事をこなせません。二兎は追えない。

このとき重視されるのが機会費用の概念です。それは「獲得利益と逸失利益を比較して利益の大きい方を選択しましょう」という考え方です。

この例ではAの仕事をするとBからの利益が失われますから、それが機会費用になります(逆は逆です)。

教授にとって「Aの利益>Bの利益」であれば、Aを選択しBを他者に任せるのが有利です。

この場合、秘書にとって「Aの利益<Bの利益」であるという制約条件が満たされれば、教授と秘書の双方に分業の利益が生じるという話です。

ただし一般に知られていないは、教授の下で秘書が研究を重ねて成長し、秘書にとっても「Aの利益>Bの利益」となったら分業は成り立たないことです。

秘書が成長せずに、何時までたっても「Aの利益<Bの利益」でなければ、比較優位説は成り立たないのです。

翻って、マクロレベルではどうでしょう。

比較優位説に基づく国際分業の利益は、2国2財モデルにおいて、各国が次の条件を満たす場合にのみ発生します。

労働だけが唯一の生産要素であること、完全競争により労働コスト(賃金)が同一であること。さらに各国は経済発展しない、技術進歩もしないことが必要となります。

現実経済がこれらの諸条件を満たさないことは明らかでしょう。

比較優位説を「経済学の大原則」と位置づけ、自由貿易の利益を吹聴する人たちがいますが、それは学問的に滑稽(こっけい)なことなのです。

三つの例から明らかなように、経済論理の教えは金科玉条のように奉るものではなく、現実分析への一里塚にすぎないのです。

「理論が成立するためには、その前提条件が満たされる必要がある」という当たり前のことが周知される時代に早くなってほしいものです。




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3. 中川隆[-5763] koaQ7Jey 2017年12月11日 08:41:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月11日【三橋貴明】存在しない問題


現在の日本は、需要で満ち溢れています。

厳密には「潜在」需要ですが。

橋の維持管理に限っても、今後五十年で
27兆円もの「需要」があるのです。

ただし、誰もおカネを出さなければ需要は
「潜在需要」のままで終わります。

人々が飢えている。

食料や水に対する需要はある。

とはいえ、誰も食料や水のために
おカネを出さなければ、潜在需要は
「潜在」のままに過ぎません。

もちろん、国民に十分な「所得」がない場合は、
需要に対する支出はできません。

日本国には、たった一つだけ、
「所得」を無視して支出することが可能な存在があります。

すなわち、政府です。

政府は子会社の日本銀行に日銀当座預金、
現金紙幣といったおカネを発行させることができます。

あるいは、政府自ら政府支出や
政府硬貨を発行しても構いません。

日本政府が「一兆円玉」を30枚発行し、
日本銀行に持っていく。

日本銀行は、一兆円玉x30(=30兆円)の
資産を取得した代償に、政府に
日銀当座預金(政府預金)30兆円を支払う。

政府は、30兆円の政府預金を担保に、
橋の維持管理を発注し、代金を政府小切手で支払う。

上記のプロセスにおいて、
政府に「負債」は増えません。

問題になるのは「インフレ率」のみですが、
現在の日本はデフレです。

政府が30兆円の国債を発行する、
あるいは政府紙幣、政府硬貨を発行することで、
橋の維持管理という需要を満たそうとしたとして、
何が問題あるのか。

何にも問題がない。これが真実です。

無論、一気に30兆円もの橋の
維持管理を政府が発注すると、
さすがに入札不調が相次ぐことになるでしょう。

毎年5000億円を、五十年間
発注し続ければいいだけの話です。

毎年5000億円の需要が、今後、
五十年も継続するとなると、土木・建設会社は
絶好の「ビジネスチャンス」ということで、
設備投資、人材投資を継続していくことになります。

さらに、橋の補修を目的にした技術投資も、
一気に進むでしょう。

橋補修の生産性は向上し、
働く人々の実質賃金も上昇します。

日本はただ単に、インフラの補修という
最低限の支出を政府がするだけで、
デフレ脱却と生産性向上、技術革新、実質賃金上昇の
全てを実現することができるのです。

政府が老朽化したインフラを補修するという、
最低限の支出をするだけで、他の先進国を
上回る経済成長を実現することが可能。

何と、楽な状況なのでしょう!

それにも関わらず、日本政府は、

「国の借金で破綻する!」
「日本は財政破綻する!」

といった「存在しない問題」に足を採られ、
最低限、必要な支出すらできず、
世界経済の落ちこぼれと化していっているのです。

何と、情けないことか・・・。

このままでは、我々は日本国のインフラ整備のために
汗を流し、努力を重ねた先人に顔向けができないまま、
この世を去ることになります。
https://38news.jp/economy/11399


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4. 中川隆[-5761] koaQ7Jey 2017年12月17日 18:02:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2017/12/18(967号)


経済論議混迷の根源はNAIRU


卑怯な言い訳を行う経済学者とエコノミスト

デフレギャップの推計には、

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で取上げた「可変NAIRUアプローチ」という方法がある。NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemplayment)とはインフレ非加速的失業率のことである。これを自然失業率、つまり長期的にインフレ率に関係なく一定水準で存在する失業者の割合と同じという見方がある。

例えば失業率が5%であっても、自然失業率が3%であれば、実際の失業率は両者の差である2%と見る。もしこの2%の失業が解消すれば、実質的に失業者はいなくなり完全雇用ということになる。またこの状態(自然失業率の3%)でさらに追加の求人があれば、賃金率は上昇しインフレになるという認識である。


日本のデフレギャップの推計はこのインフレ非加速的失業率(自然失業率と言って良い)を念頭に行われている。また潜在成長率の推計はこのデフレギャップを元に算出される。失業率がインフレ非加速的失業率まで下がればデフレギャップはゼロになると解釈される。

デフレギャップがゼロになった状態で追加的に需要が増えても、賃金が上昇するので名目GDPが増えても実質GDPは増えないという考え方がある。つまり財政政策による需要創出は物価が上昇するだけなので無駄と見なす。したがってデフレギャップがゼロに近付けば、これ以上の経済成長のためには生産性を上げるしかないと主張する。

またデフレギャップや潜在成長率は内閣府や日銀など政府の機関で算出されているので、これらは公式の経済数字として扱われる。つまりこれらの数字は日本の経済政策に深く関わっていると言える。また多くの経済学者やエコノミストも同様の手法でデフレギャップを捉えている。日経新聞などには、これらの数字を絶対的なものと見なす論説ばかりが目立つ。


特に考えが固い経済学者は、デフレギャップがゼロの状態で少しでも需要が増えると、物価が止めどなく上昇するという。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で紹介したA教授はその典型であろう。A教授は「1兆円も財政支出を増やすと日本でハイパーインフレが起る」「私のシミュレーションプログラムでは、物価がどんどん上昇し計算不能に陥る」と言って引下がらない。どうもデフレギャップがゼロの状態が「閾(しきい)値」になっているようだ(まさにルーカス方程式)。またA教授が内閣府でも働く官庁エコノミトでもあることから、内閣府の現状認識が垣間見られる。

しかし驚くことに公表されるデフレギャップがゼロに近付き、それどころかマイナスとなった(逆にインフレギャップが発生)。ところが賃金が上がらず物価も一向に上昇しないのである。これが日本経済の現実の姿である。おそらくこれらの間抜けな面々にとっては信じられないことである。

そこでこれらの経済学者やエコノミストは、極めて卑怯な言い訳を行う。例えば「同じ可変NAIRUアプローチを使っても、研究者によってデフレギャップや潜在成長率の推定値に多少幅がある」「デフレギャップがゼロになると物価が上がりやすくなるだけ(必ず上がるとは言っていない)」と言った具合である。彼等は自分達の考え(経済理論)が根本的に間違っていることは絶対に認めない。そのうち本誌でも取り上げるが、認めると「まずい」のであろう。


NAIRUが潜在成長率を決めている

まずデフレギャップを失業率、つまり労働サイドだけに偏重して算定することがおかしい。供給力を規定する生産関数は、労働・資本・生産性の三要素ということになっている。しかしこれらの経済学者やエコノミストは労働と生産性をことさら重視するが、資本、つまり生産設備についてはほとんど触れない。

これについては

02/12/2(第276号)「日本のデフレギャップの怪」
http://www.adpweb.com/eco/eco276.html

で取上げた。生産関数に関し、経済企画庁時代の80年代及び90年代の労働への分配率は0.54から0.58であり、資本への分配率は、0.42から0.46であった(同じ年の両者を合計すると1.00になる)。ところが2001年度の「経済財政白書」では、資本のウエートがいきなり0.33に引下げられ、労働への分配率が0.67と大幅に引上げられている。これは伸びの低い労働(就業者数は、1970年から2000年では1.2倍にしか増えていない)への分配率を大きくしデフレギャップを小さく算定するためのトリックと故丹羽春喜大阪学院大学名誉教授は推察していた。おそらく資本軽視(労働重視)の流れは、最近もっと酷くなっていると筆者は認識している。実際のところ

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で述べたように、日本の設備稼働率は低く経済産業省の調査統計部経済解析室のIIPの稼働率指数担当者に直接聞いた話では72〜74%で推移していた。


また

02/7/15(第260号)「セイニアリッジ政策への反対意見」
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html


で取上げたように、この話を裏付ける大手製造業に対するアンケート結果が日経新聞の02年7月8日の一面トップに掲載された。需要が増えた場合の増産方法を問うものであった。回答は複数回答であり、なんと驚くことに、断トツで第一位の回答は76%の「既存設備の活用、稼働率の引上げ」であった。おそらくこの余剰生産力は今日でも保持されていると筆者は思っている(原発が止まっても遊休状態の火力発電所を動かしたように、ある程度の余剰生産力を持っている)。

つまり日本の生産力は5〜10%程度の需要増に即座に対応できると思われる。しかも需要増による物価の上昇はほとんど考えられないのである。つまり今日のデフレギャップや潜在成長率の認識と議論は全く現実離れしている。


06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html


で述べたように政府系エコノミストはGDPの過去の実際値の平均値や、景気動向指数を使って「潜在成長率」を算出している。つまりこれでは、大きく経済が落込こみ、かつその状態が長く続いた場合、落込んだ状態が普通、あるいは正常と見なすことになる。当然、デフレギャップはものすごく小さく算出される。特に日本経済はバブル崩壊、橋本政権の逆噴射財政政策、リーマンショックなどによる急激な落込みを経験している。

しかもその正常時とやらの失業率をNAIRU(インフレ非加速的失業率)と見なしている可能性がある。特に最近の労働偏重のデフレギャップの算出方法を考えると、極端な話、このNAIRU(インフレ非加速的失業率)だけでほとんど潜在成長率も決まることになる。


これらの一連の話に表立って「異」を唱えていたのは、筆者が知る限り故丹羽教授だけであった。唯一の例外は数年前に日経新聞の大機小機欄に掲載された「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。

17/11/13(第962号)「これからの重大な政治課題」
http://www.adpweb.com/eco/eco962.html


で述べたように、虚言・妄言が溢れる日経新聞にあって、「カトー」氏は「唯一まともで良識のある執筆者」と筆者は評価している。

まず「カトー」氏は、内閣府、日銀の両方とも、潜在成長率のNAIRUを使った推計値は信頼性が低いと指摘している。次に不況によって潜在成長率が下がっていることが考えられると言う。潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きいと述べ、拡張的なマクロ政策が必要と説く。さらに「履歴効果」にも言及している(これについては来週号)。最後に「カトー」氏は消費増税などはもってのほかと締めている。
http://www.adpweb.com/eco/

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5. 中川隆[-5718] koaQ7Jey 2017年12月24日 18:55:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2017/12/25(968号)


狙いは需要創出政策の阻止


勝手に意味をスリ変え

ここ数週に渡りデフレギャップや潜在成長率などを取上げてきたが、これに関する議論が混乱していることを説明した。混乱の原因は、同じ経済用語でも使う者によってその意味が異なるからと筆者は考える。特に主流派と言われる経済学者やエコノミストが問題である。この違いをはっきりさせないまま彼等は勝手に議論を展開する。

そもそも彼等は経済論議を深めようといった意思を全く持っていない。もし議論を深めるつもりなら、最初に使う経済用語の意味や定義をはっきりさせる必要がある。しかし始めから議論なんかするつもりがないので、主流派の経済学者やエコノミストはこの重要なプロセスを省略し、一方的に片寄った持論を押付ける。日経新聞などはこの手のプロパガンダまがいの論説で溢れている。これら対し「おかしい」という意見を日本のメディアはまず取上げない。唯一の例外は、日経新聞では「カトー」氏のコラムぐらいである。


彼等と筆者達ではデフレギャップや潜在成長率の認識が異なる。筆者達は実際の供給力の天井と現実の名目GDPの差がデフレギャップと捉え、そのデフレギャップを元に算出した最大可能な成長率が潜在成長率と認識している。日本の供給力の天井は、主流派の経済学者やエコノミストが想定しているよりずっと高いというのが筆者達の主張である。

デフレギャップが1〜2%とか、ましてやデフレギャップがマイナスになる事態(つまりインフレギャップの発生)なんて絶対に考えられない。おそらく彼等は、日本ではなくインフレが常態化している中南米やアフリカなどの経済を想定した経済モデルでも使っているのであろう(あるいは「セイの法則」がある程度通用した19世紀の経済を想定)。


ところが今日、デフレギャップが極小(彼等のばかげたデフレギャップの算出方法で)となったにもかかわらず、一向に物価が上昇しない現実に直面している。先週号で述べたように、困惑した主流派の経済学者やエコノミストはデフレギャップのゼロの意味を「必ず物価が上がる」ではなく「上がりやすい状況になる」と卑怯にも勝手にスリ変えている。その程度の話なら、何故、彼等がこれまでデフレギャップや潜在成長率をことさら取上げて来たのか意味がない。

筆者は、政府機関は人心を惑わせるこれらの数字の算定を即刻止めるべきと言いたい(少なくともこれらのデタラメな経済数字の公表はするな)。もっとも主流派の経済学者やエコノミストの意図は見え透いている。人々(政治家を含め)が需要不足に関心が向かないないよう、供給サイドがパンク状態ということを強調したいのであろう。要するに財政出動による需要創出政策を阻止することが真の狙いと見られる。


先週号で説明したように、日本のデフレギャップや潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識して算出されている。この詐欺的な算出方法に同調する日経新聞は、日本中の人手不足の現場を必死になって捜し回って記事にしている。人手不足だからこれ以上の需要創出政策は不要と言いたいのであろう。

しかし人手不足の職場は、不正規雇用が中心で低賃金のところばかりである。例えば時給1,000円のアルバイトが足らないといった類の話になる。このような職場には、外国人の労働者が目立つのですぐ分る。しかし日経新聞を始め、日本のメディアは「時給1,000円」の意味を考えない。年間2,000時間も働いても(日本の正規雇用労働者の年間労働時間の平均はもっと少ない)、たった2百万円の収入にしかならない仕事である。一時的、あるいは片手間で働くのなら別だが、外国人を除けばそのような職場に人が集るわけがない。

もう一つの人手不足の現場は、昔から人々が敬遠する3Kの職場である。特に団塊の世代が引退しているので人手不足が顕在化している。ところがまだ有効求人倍率を見て、日本は完全雇用と言っている間抜けなエコノミストがいる。しかし求人の中にどれだけ多くの「ブラック職場」が含まれているか彼等は関知しないようだ。


履歴効果に負けないために

観念論者が唱えるNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップや潜在成長率の算定方法が、「おかしい」という声はとうとう米国でも起っている。失業率が完全雇用に近いと言われるレベルまで下がっているのに、米国でも一向に物価は上昇しないし賃金の上昇も鈍い。特にこれを気にしているのが米FRBである。

16/8/22(第904号)「芥川賞受賞作「コンビニ人間」」
http://www.adpweb.com/eco/eco904.html


で述べたように、求人が増えているといっても「雇用の質」が問題とイエレンFRB議長は適確な指摘をしている。米FRBが金融政策の転換に慎重なのも、このような米国の雇用情勢が影響している。移民が多く新興国並の需要がまだ期待できる米国でも、自然失業率というものに対する疑問が呈されているのである。米国より経済が成熟し高齢化が進む日本で、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識した議論がまかり通っていることの方が異常である。


そして日本経済が長く不調を続けることによって、本当の経済力を失うことを心配する声がある。先週号で紹介した「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。ここで言う潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)に基づいて算出されるインチキ潜在成長率ではなく、本当の意味での日本の潜在的な成長力と筆者は理解している。ケインズが言っていた資本主義経済における経営者のアニマルスピリットみたいなものと考えて良い。

たしかにここ30年間を見ても、経済が上向くと「次は財政再建だ」という声が必ず上がり、緊縮財政に転換し日本経済の成長を阻止する動きが起った。例えば異次元の金融緩和と大型補正予算で13年度は日本経済が上向いたが、14年度の消費増税と補正予算の大幅削減で日本経済は沈んだ。このようなことを続けていては、経営者のアニマルスピリットが萎えるのは当たり前である。

また「カトー」氏は同コラムでサマーズ元財務長官の「履歴効果」を引合いに出している。「履歴効果」とは「不況が長引くと物的資本や人的資源への投資が減少し、不況の影響が履歴のように潜在成長率に残っていく」というものである。そして「カトー」氏は「履歴効果のことを考えると、潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きい」と指摘している。したがってこの対策には拡張的なマクロ政策が必要と「カトー」氏は結論付けている。


サマーズ元財務長官は

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html

14/7/28(第807号)「三教授のサマーズ論の解説」
http://www.adpweb.com/eco/eco807.html

で紹介したように、「米国経済の長期停滞論」を展開している。サマーズ氏は、米国のデフレギャップが10%以上あると主張している。つまりNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップの算出方法を完全否定しているのだ。したがってこれでは賃金が上がるはずがないとサマーズ氏は指摘している。

米国のデフレギャップが10%なら、生産設備の稼働率が米国より常に10%程度低く推移していた日本のデフレギャップは15〜20%程度と見て良いと筆者は思っている。またサマーズ氏は、「履歴効果」に負けないためには需要創出のマクロ政策が必要と説いている。ただし需要創出は財政政策を中心にすべきと主張し、金融緩和政策に偏重することをサマーズ氏は警戒している。

これは金融緩和政策への偏重によるバブル生成とバブル崩壊を危惧するからである。またサマーズ元財務長官は、米国だけでなく日本の経済政策にも同様のことが言えると指摘している(金融政策偏重に警鐘)。この意見に筆者は賛成である。しかし日本の来年度の予算編成を見ても、とても十分な財政政策が組込まれているとは思われない。筆者は新規国債発行による大胆な財政政策を主張してきた。しかし残念ながら、日本ではこれからも金融政策に偏重した政策が続くのである。
http://www.adpweb.com/eco/


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6. 中川隆[-5713] koaQ7Jey 2017年12月25日 12:45:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年12月25日
日本企業の格付け世界最強になっていた 資本移動で日経2倍もあり得る


日本企業の多くが無借金で米国より格付けが高く、成長余地が大きい
引用:https://www.nikkei.com/content/pic/20170613/96959999889DE3E5E7EAE5EAE2E2E3E0E2E4E0E2E3E5968693E2E2E2-DSKKZO1758781012062017DTA000-PB1-2.jpg

日本企業いつの間にか世界最強になっていた

2017年は日本企業の不祥事が相次いで、「日本企業がだめな理由」みたいな事が語られていた。

だがその裏で実は日本企業の体力は強化され、欧米企業より潜在力が高まり将来有望になっていました。

日経新聞によると日本企業の格付けはA以上が75%に達し、約40%のアメリカよりもかなり高い。


債務の少なさや潜在成長力などが評価され、デフレ不況の頃とは様変わりした。

2016年度末時点では上場企業約3,600社のうち、2,000社以上が実質無借金経営をしていました。

実質無借金とは手元資金から、借入金や社債などの有利子負債を引いた金額がプラスになる企業で、財務体質の健全さを示している。


一方でこのような無借金企業は、借金をしないために得られる筈の成長を達成していない可能性がある。

無借金を重視するあまり、借金をして投資すれば成長できるのに、その機会を逃しているかも知れない。

日本企業は2017年に過去最高益を挙げているが、それずら本来持っている成長力より、低すぎる可能性がある。


バブル崩壊から最近までの日本では、株式投資は危険だとして定期預金などゼロ金利投資にお金が流れていた。

確かに日本株は1991年から2011年まで20年間下げ続けたが、株式市場から資金が引き揚げられたので、企業は十分な投資を得られなかった。

日本の株式市場は水が枯れた井戸のようになり、企業は債務を恐れ、労働者の首切りを行って無借金経営を目指した。

資本の逆流は起きるか

過半数の日本企業は事業で挙げた自己資金のみで営業していて、外部からの投資を活用できていない。

もしバブル期の日本や現在のアメリカのように、十分な投資資金が企業に流れたら、大きく成長する可能性がある。

東証が「枯れた井戸」から湧き水を噴出し、企業が十分な資金を得たら、日本株は3万円や4万円にもなるかも知れない。


銀行は預金で集めた金の運用先がなく、数百兆円もの金が活用されずに余っているとも言われている。

企業も内部留保を有効に活用しておらず、新規事業に投資せず、慎重な経営をしている。

アメリカでは資産の7割が企業に投資されて現金は2割だが、日本はちょうど逆で、現金や預金が7割を占め活用されていない。


もし7割の現金預金が株式市場などを通じて企業に投資され有効に活用されて利益を上げたら、日本の株価は簡単に2倍になります。

これが日本で今後予想されている資本の逆流で、活用されずに余っているお金を利用すれば、バブル全盛期以上の成長も可能です。

裏返していえば現在の日本は国民が保有する資産の7割は活用されておらず、日本は本来の国力の3割しか使っていない。
http://www.thutmosev.com/archives/74208872.html


[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

7. 中川隆[-5701] koaQ7Jey 2018年1月07日 22:30:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

Posted on 2015年1月31日 09:55
三橋貴明の「列島丸わかり」報告書 ーデフレを呼ぶ指標〜狂った羅針盤〜を導入した男とは…ー


 小泉政権期、竹中平蔵経済財政政策担当大臣(当時)の下で、いくつかの「指標」の変更が実施された。

 1つ目は、前回の「プライマリーバランス(以下、PB)黒字化」を財政目標として設定したことだ。短期でPBを改善させようとすると、政府はデフレ対策とは逆の、増税や政府支出の削減といった「デフレ化政策」しか取れなくなってしまうのだ。

 2つ目はデフレの主因たるデフレギャップ(需要不足)を計算する潜在GDPが「最大概念」から「平均概念」に変えられたこと。

 デフレギャップは「潜在GDP─名目GDP(現実の需要)」で計算される。それまでの潜在GDPは、失業率が「完全雇用」状態で、国内の全ての設備がフル稼働した際に生産可能なGDPとされていた。すなわち「最大概念の潜在GDP」だったのだ。国内の全てのリソースが稼働した時点のGDPと、現実の名目GDPの「差」が、デフレギャップだったのである。

 ところが、竹中氏の下、「潜在GDP」の定義は「過去の長期トレンドで生産可能なGDP」に変更されてしまった。つまりは「平均概念の潜在GDP」で「過去の失業率の平均」時点のGDPになる。現実には「労働者の余剰」「設備の過剰」が発生している。にもかかわらず、「平均」である以上、余剰人員・過剰設備時点のGDPが「潜在GDP」という定義になってしまう。

 わかりやすく言えば、デフレギャップが現実よりも「小さく見える」ように、再定義されてしまったのだ。

 決定的なのが「マクロ経済モデル」の変更だ。我が国の財政出動や消費税などの「経済財政効果」を測るマクロ経済モデルが、発展途上国型に変えられてしまった。信じられないかもしれないが、現在の日本はIMFなどが使う「途上国をインフレから脱却させる」ためのマクロ経済モデルを使用しているのである。これは何を意味するのか?

 途上国が財政危機に陥りIMF管理下に置かれると、増税と政府支出削減を中心とする「緊縮財政」の実施を強要される。

 97年の橋本政権では増税と緊縮財政がセットで行われた。その結果は01年自民党総裁選での橋本氏の言葉で明らかである。

「私が内閣総理大臣の職にありました時、財政再建のタイミングを早まったことが原因となって経済低迷をもたらしたことは、心からおわびをいたします」

 途上国型経済モデルでは、財政出動がGDP成長に与える「好影響」や、消費税増税による「悪影響」が、ともに小さくなってしまう。「デフレ」に苦しむ我が国の経済・財政の羅針盤が、途上国型モデルに変更され、常に増税と緊縮財政を指し示し続けているのだ。

 14年3月4日。自由民主党の西田昌司参議院議員が、国会でマクロ経済モデルは誰がいつ変更したのかを質問した。内閣府の担当官は「01年11月に変更された。内閣は小泉内閣」であり、その時の担当大臣は「竹中大臣」と回答した。

 PB目標、平均概念の潜在GDP、そしてマクロ経済モデルの変更──我が国の政府はデフレを深刻化させる「狂った羅針盤」を今も使い続けている。

 狂った羅針盤の全ては、竹中平蔵氏が大臣だった時期に導入されたということだ。不思議な話である。
http://www.asagei.com/excerpt/31692


8. 中川隆[-5687] koaQ7Jey 2018年1月08日 11:47:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

Posted on 2015年1月24日 09:55
三橋貴明の「列島丸わかり」報告書 ー経済をマイナス成長に叩き込んだ主犯は「竹中平蔵」だー


 前回、自民党の「悪魔の公約」ということで、「外国移民政策」について解説した。今回取り上げる「悪魔の公約」は、外国移民受け入れを上回るダメージを日本国に与える可能性がある。

 それは、基礎的財政収支(プライマリーバランス・以下PB)目標である。

 PBとは、国債の元利払いを除いた政府の歳入と歳出のバランスのことである。短期(単年度)でPBを改善しようとすると、政府は「増税」「政府支出削減」という緊縮財政に走らざるをえない。

 自民党の公約では、「財政再建」の項目に、以下のように書かれている。

「2020年(平成32年)度における、国・地方の基礎的財政収支の黒字化目標の達成に向けた具体的な計画を来年の夏までに策定します」

 第三次安倍政権は、早くもPB目標を決定している。14年度から15年度にかけ、PBを「各年度」4兆円程度改善。15年度には国・地方を合わせたPBの赤字を対GDP比で10年度の▲6.6%から▲3.3%に半減。そして、20年度には、国・地方のPBを黒字化するというものだ。

 そもそも、長期的な経済成長の「結果」であるPBを目標にする時点で奇妙な話だ。そのうえ、日本政府はPB目標を「単年度主義」で達成しようとする。これが最悪なのだ。

 政府が短期でPBの改善を図ると、デフレの我が国では間違いなく景気が失速する。14年4月の消費税増税も、もちろん「単年度のPB改善」を目的に実施され、実際に国民経済をマイナス成長に叩き込んだ。

 失速の結果、名目GDP(国民が稼ぐ所得の合計)が成長しなくなる。国民は税金を所得から支払うため、税収は名目GDPが原資となる。名目GDPが縮小すると、税収も減少し、歳入減でPBはかえって「悪化」することになる。

 逆に、政府が「名目GDPの成長」「デフレ脱却」のみを目標に据え、財政出動の拡大という正しいデフレ対策を実施すると、名目GDPが成長し、税収も勝手に増える。結果的に、歳入増によりPBは改善に向かうのである。

 政府の経済政策の方向を「真逆」に向けているPB目標だが、02年の小泉政権下、「ある人物」の判断で導入された。その人物こそ当時、経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏だ。

 それ以降、我が国は正しいデフレ対策を実施できなくなってしまい、デフレが長期化した。

 さらに、竹中氏が担当大臣だった時期に、デフレギャップ(需要不足)を計算する潜在GDPが「最大概念」から「平均概念」に変えられてしまった。結果、我が国は統計上のデフレギャップが小さく「見える」ようになり、デフレ対策が困難になってしまった。日本のデフレ長期化をもたらした「狂った羅針盤(奇妙な指標)」は、なぜかことごとく竹中氏が大臣だった時代に導入されたのである。

 なぜなのだろうか?

 そういえば、前回取り上げた「外国移民」が実際に日本で増えていき、さらに各種の労働規制の緩和が推進されれば、国内の労働者の競争が激化し、実質賃金が下がり貧困化する。一方、人材派遣会社は大いに儲けることになるだろう。

 竹中平蔵氏は、現在、人材派遣大手「パソナ・グループ」の取締役会長である。
http://www.asagei.com/excerpt/31397


Posted on 2015年2月7日 09:55
三橋貴明の「列島丸わかり」報告書 ーデフレを深刻化した「構造改革」でビジネスを増やした人がいたー


 小泉政権期に竹中平蔵氏の号令のもと「構造改革」がスローガン化した。しかし、その結果を正確に説明できる人はほとんどいないだろう。竹中氏が今でも大手を振って永田町を歩いていることがその証拠である。

 例をあげればキリがないのだが、橋本政権期の緊縮財政、小泉政権期の構造改革により、我が国は97年以前とは「異なる国」に変貌を遂げてしまったのだ。そのプロセスを説明しよう。

 デフレーションが深刻化すると、日本に限らず「構造改革」という声が力を持つ。デフレ期には国民所得の総計である名目GDPが伸びず、税収が減る。結果的に、政府の財政は必ず悪化する。そこで「構造改革」の主たちはこう叫んだ。

「国の借金で破綻する!」

 こうして、増税や政府支出削減といった緊縮財政がセットで推進された。結果、デフレの真因であるデフレギャップ(=需要不足)は悪化し、デフレ深刻化を招くことになったのだ。

 財政悪化とデフレ深刻化が交互に発生し、国民経済が縮小していく状況で、

「日本経済が成長しないのは、構造に問題がある。構造改革だ」

 という主張が説得力を帯びるようになった。

 そもそも構造改革とは民営化、規制緩和など、いずれも「供給能力を引き上げる」政策だ。供給能力が需要に対し過剰になり、デフレギャップが発生しているにもかかわらず、「需要削減策(緊縮財政)」と「供給能力拡大策(構造改革)」という、間違った政策が二重に実施されることになったのだ。当然デフレはさらに深刻化していった。

 緊縮財政と構造改革で国民経済が痛めつけられる反対側で「新たなビジネス」が生まれた。代表的なキーワードは「雇用規制改革」「公的サービスへの民間資本導入」「外資への開放」。

 例えば、橋本政権以降の「構造改革」により、日本では非正規雇用が増えていった。特に小泉政権下で「製造業」の派遣雇用を認めた影響は大きかった。

 デフレとは利益を出しにくい環境であるため、企業には「いつでも契約を解除できる」派遣社員を雇用したいという需要が存在した。そうした企業の需要に応える形で、労働規制が緩和され、賃金を「中抜き」する派遣会社のビジネスは拡大していった。

 政府の財政悪化が続く中、公的サービスに「民間資本の導入を!」という声も高まっていった。PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)やコンセッション方式などにより、本来「公」が担わなければならない分野にまで民間企業が参入していった。信じられないことだが、日本ではすでに一部の「刑務所」の運営までもが、民間企業の「ビジネス」になっている。山口県の「美称」、兵庫県の「播磨」など、いくつかの刑務所がPFI方式で運用されているのだ。

 政府の医療サービスへの負担が重くなると、即座に「混合診療の解禁」という話も出てくる。混合診療解禁で自由診療が増えれば、国民の医療費負担は確実に増える。その分、自由診療の「ビジネス」に資本を投じた企業や投資家は儲かる。

 竹中氏は、現在、人材派遣大手であるパソナ・グループの取締役会長であることは以前書いたとおりだ。構造改革の裏で「ビジネス」を拡大した人々が、間違いなくいるのである。
http://www.asagei.com/excerpt/32010


 地方局の討論番組に出演した竹中平蔵氏(63)。民間議員を隠れみのにした特定企業への利益誘導を追及されるや、カメラの存在も忘れて激怒したのだった!

 5月10日、テレビ愛知「激論コロシアム」で、経済評論家の三橋貴明氏(44)が竹中氏をこう追及した。

「なぜ諮問会議などで民間議員という名の民間の経営者が、自分の会社の利益になるような提案をするのか!」

 現在、竹中氏は安倍政権の「産業競争力会議」の民間メンバーである一方で、人材派遣会社「パソナグループ」の取締役会長でもある。

 三橋氏は、竹中氏がその会議で「解雇自由化」などを提言し、人材派遣会社が儲かるように誘導していることを繰り返し指摘した。急所を突かれた竹中氏は、突然、顔を紅潮させて、こう声を荒らげたのだった。

「根拠のない言いがかりだ。失礼だ! 無礼だ!」

 竹中氏が逆ギレした瞬間、スタジオには緊迫した空気が流れ、“放送事故状態”になったという。

 その三橋氏が放送中の様子を話す。

「あのあと、コマーシャルに入ったのですが、竹中さんは1回席を立ちかけたのです。帰るのかなと思ったら帰らずに、そのまま出演し続けましたけどね。パフォーマンスで、あんな怒り方しないですよ。激高してしまったから自分でもヤバいと思ったんじゃないですかね。サラッと流せばよかったのに」

 この一幕は、動画サイトなどを通じて世間に知られることになった。竹中氏は、

「私はそれ(労働規制緩和)に対して何も参加していない。派遣法についても何も言っていない」

 と反論したが、そこには「ウソ」があることも露呈したのだ。

「彼の理論というのは、参加する会議でいくら発言しても、決定の場にいなかったら利益相反にならないだろうというものです。そんなわけねぇだろ! と思いますね。何であなただけ特権的に入って意見を述べているのですか? 何で一般人は意見を述べられないのですか? という話になりますから、彼の主張は通らないと思います。議事録を読めば明らかなのですが、竹中さんは、何度も労働規制緩和などの発言をしていますよ」(前出・三橋氏)

 その後、話題は「外国人メイド」へと移り、三橋氏と竹中氏は2度目のバトルを繰り広げる。竹中氏の主張は、外国人のメイドを雇って家事をやらせれば、女性が外に出て働くことができるというものだった。しかし、労働者が増えれば、一人当たりの賃金は当然下がることになる。そうした三橋氏の指摘に竹中氏は、

「政治家が実質賃金を切り下げるような政策をやるわけないでしょ」

 などと、ごまかし続けたのだ。前出・三橋氏が語る。

「あの人『外国人メイド』が好きなんですかね? 実質賃金が下がるっていう事実は、彼にとって言いたくないことなんですよ。もう1つ問題があって、パソナは『家ゴト コンシェルジュ』という家事代行サービスをやっています。外国人メイドを紹介するサービスをパソナは絶対に作り込んでくるわけで、これは明らかな利益相反でしょ? あまりにも露骨なんですよ」

 竹中氏といえば小泉純一郎氏が総理大臣だった時に、「既得権益」という言葉を使って官僚を攻撃していた人物だ。しかし、竹中氏こそ最強の「既得権益」になっていると、三橋氏は解説する。

「竹中さんは『維新の会』のブレーンをやっていましたよね。最近では公務員業務も派遣労働者になっていて、大阪市の公務員派遣労働者の多くをパソナが落札しているんです。一昨年の11月くらいで、竹中さんが維新にいた時です。彼は『これは市場競争でパソナが勝ったんだ』と言うかもしれないけど、やはり通らないでしょう」

 竹中氏が所属している産業競争力会議は、安倍政権下でも優先順位の低い会議だった。ところが現在では、最上位にある「経済財政諮問会議」と合同で会議を開くなど、いつのまにか順位を押し上げてしまった。

 知らぬ間に発言力を強めた竹中氏だが、いったい何をもくろんでいるのか。

「話はシンプルで、誰かの儲けのためにやっているわけですよ。公務員は公務員法で規制される、政治家は選挙で落とせる。でも民間議員の竹中さんを落とすことはできません。政治家は個人献金を年間最大150万円しか受け取れません。しかし、彼はコンサル料などの名目でいくらもらっても違反になりません。そんなに、政治に関わりたいなら国会議員になるべきでしょ。民間議員としてやるのは汚い」(前出・三橋氏)

 まだまだ“放送事故状態”は続いているのであった。
http://www.asagei.com/excerpt/23983


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9. 中川隆[-5686] koaQ7Jey 2018年1月08日 11:50:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

三橋貴明 東京都の下水道運営権売却について 2018-01-04
 
 グローバリズムのトリニティとは、「規制緩和」「自由貿易」「緊縮財政」の三パッケージになります。


 規制緩和の中でも、レントシーカーたちにとって最も「美味しい」市場は、公的分野になります。


 ノーベル経済学者ジョセフ・E・スティグリッツの言葉を引用します。


「アメリカの政治制度は上層の人々に過剰な力を与えてしまっており、彼らはその力で所得再配分の範囲を限定しただけでなく、ゲームのルールを自分たちに都合よく作りあげ、公共セクターから大きな”贈り物”をしぼり取ったからだ。経済学者はこのような活動を”レント・シーキング”を呼ぶ」


 米国の経済と社会は、グローバリズムという「鵺」により、レント・シーカーの王国と化していきました。


 公共セクターを規制緩和、民営化し、民間の「ビジネス」と化すために必要なものは何でしょうか。答えは、緊縮財政とデフレーションです。


 デフレにより、政府の財政が悪化する。すると、緊縮財政。


「今までは官が提供していたサービスだが、緊縮財政の一環として民間に委ねる」
 というレトリックが力を持ち、アメリカや日本の公共セクターは「民営化」され、そこに新規参入したレントシーカーが儲けるという構図です。


 例えば、地方財政の悪化を受け、「行政窓口」の民営化が実行に移されました。結果的に、パソナをはじめとする派遣会社が、行政窓口の仕事を「受注」し、多いに儲けています。


 パソナの取締役会長である竹中平蔵氏が、政府の諮問会議の「民間議員(と称する民間人)」として、民間企業のビジネスを生み出す規制緩和政策を推進しているのはご存知の通り。


 これが、経済が好調で、地方財政も潤沢であれば、行政窓口は普通に公務員でいいわけです。


「それでは儲からない」
 というわけで、財政悪化を大義名分に緊縮財政。緊縮財政の一環としてとして、政府の公共サービス、公的セクターを民営化するというスキームになっているのです。


 もはや、緊縮財政&公共サービスの民営化は一種の「信仰」と化してしまい、今や財政が好調の都道府県までもが、公共サービスの民営化を言い出す有様になってしまいました。

『民間への下水道運営権売却、東京都が検討
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25108280W7A221C1L83000/

 東京都は下水道施設の運営権の民間事業者への売却(コンセッション)を検討する。人口減少などをにらみ、包括的な民間委託も含め、経営効率の改善策を探る。災害対応などの課題を点検したうえで、3〜4年後をめどに新しい運営手法に移行する。

 下水道のコンセッションは26日の都政改革本部(本部長・小池百合子知事)の会議で検討課題として報告した。今後、老朽化した施設の更新などで事業費が膨らむ一方、人口減少で収入は落ち込む見通し。施設の維持管理など個別業務の委託にとどまらず、幅広く民間のノウハウを取り入れて経営基盤を安定させたい考えだ。

 下水道は公共インフラとして確実に維持する必要があるため、下水道法の規定で完全民営化はできない。このため都はコンセッションや包括委託などの形式を想定。2018〜19年に民間事業者の意向調査などを進め、20〜21年ごろから本格的な検討、試行に入る。

 下水道分野のコンセッションは浜松市が先行して取り組んでいる。小池知事は都内でも予想される人口減に言及して「コンセッションを真剣に考えてほしい」と話した。』


 記事にもありますが、浜松市は下水道の一部をコンセッション方式で民営化しており、浜松ウォーターシンフォニーが受注しました。


 浜松ウォーターシンフォニーは、フランスのヴェオリア社、JFEエンジ、オリックス、東急建設・須山建設グループが設立した特別目的会社です。


 何と、浜松の下水道コンセッションの時点で、「外国資本」が入っているわけです。つまりは「カネの移動の自由」という意味の自由貿易ですね。


 浜松の事例を見ると、緊縮財政、規制緩和(コンセッション)、自由貿易の三つが、シンフォニーを奏でていることが分かります。いやあ、見事なものです。


 それにしても、日本で最も財政的に豊かな東京都まで、コンセッションを進めるとは、藤井先生がFBに書かれていた通り、

『民営化をすることが「カッコイイ」というとんでもない勘違いをして、人々に何の役にも立たない(しかし、民営化で受注した大企業だけが儲かる)改革や民営化を進めようとしています。』

 という話なのでしょう。


 「改革」「民営化」「規制緩和」の多くが、実は日本国民の豊かさには結びつかず、外資系を含めた特定企業の利益拡大にしかならないという現実を多くの国民が理解しない限り、我が国の公共サービスは売られ続け、スティグリッツの言う「贈り物」をレントシーカーたちに搾り取られ続けることになるでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12341669390.html

三橋貴明 水道・下水道の民営化と再公営化 2018-01-05

 昨日の続きですが、今年は日本政府による公共サービスの売却(事実上の)という「売国」、一部企業、投資家に対するレントの提供が一気に進みそうな状況です。


『公共インフラの民間売却容易に 自治体の負担軽く
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25291440T00C18A1MM8000/

 政府は地方自治体が運営する公共インフラの民間への売却を促すためPFI(民間資金を活用した社会資本整備)法を改正する。上下水道や公共施設の運営権を売却する際、地方議会の議決を不要にし、国から借りたお金を前倒しで返すことも認める。公共インフラの老朽化が進む中、民間の資金を使った低コストの運営に転換し、公共料金の引き下げも視野に入れる。(後略)』


 政府は昨年、PFI推進の行動計画を改定し、インフラ売却などの合計額を22年度までの十年間で21兆円とする目標を掲げました。


 つまりは、21兆円の「国民の資産」が売り払われ、外資系企業を含む特定企業や投資家の「利益の源泉」と化すわけでございます。


 改めて、スティグリッツ教授の言葉を掲載します。


「アメリカの政治制度は上層の人々に過剰な力を与えてしまっており、彼らはその力で所得再配分の範囲を限定しただけでなく、ゲームのルールを自分たちに都合よく作りあげ、公共セクターから大きな”贈り物”をしぼり取ったからだ。経済学者はこのような活動を”レント・シーキング”を呼ぶ」


 アメリカでは、すでに相当に進んでしまったレント・シーキングの大波が、今、日本国に押し寄せているというわけです。


 ゲームのルール(政府の規制)を自分たちに都合が良いように作り、公共セクターから贈り物を搾り取る。


 そのためには、政府の諮問会議(規制改革推進会議など)に経営者(例:竹中平蔵氏など)が「民間議員」として乗り込み、国民の代表である国会議員の頭越しに政策を推進する。


 種子法もそうでしたが、「国民の安全や豊かさ」を追求するためには、コストがかかるのです。そこに「利益」という発想を持ち込んではなりません。
 

 日本の種子が素晴らしい(素晴らしかった、と過去形になりそうですが)、具体的には「有料で多種多様な種子」が安価に農家に提供されていたのは、国民の税金で支えていたためです。


 あるいは、日本の水道や下水道サービスの品質が素晴らしいのは、「利益」ではなく「国民の生活」を求めて、コストが費やされてきたためなのでございます。


 そこに「利益」を追求する民間事業者を参入させる。


 いかなる屁理屈をこねようとも、「利益」を追求する限り、公共サービスの品質は下がるか、もしくはサービス料金が上がらざるを得ないでしょう。


 というか、その種の事例は世界に満ち溢れており、世界的な趨勢は、水道・下水道サービスの「再公営化」なのでございます。特に、アメリカ、フランス、ドイツなどの先進国において、再公営化が進んでいます。


 パリやベルリンといった大都市の水道も、民営化されていたのが再公営化されました。


 再公営化の理由は様々ですが、とりあえず水道・下水道民営化の「謳い文句」の嘘が明らかになったことが決定的でした。


 具体的には、


● 民営化により管理運営が劣悪になった
● 投資の不足
● 事業コストや水道料金をめぐる対立
● 水道料金の高騰
● 民間事業者に対する監督が困難
● 財務の透明性欠如
● 人員削減
● 劣悪なサービス品質


 などになります、


 失敗が明らかになっているにも関わらず、日本政府は民営化を推し進めようとしている。


 結局、安倍政権が「日本国民」のためではなく、一部のレント・シーカーたちのための政権であることが、種子法廃止や水道・下水道民営化の動きを見ていると分かります。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12341929267.html


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10. 中川隆[-5685] koaQ7Jey 2018年1月08日 11:55:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

財務省が日本を滅ぼす 三橋貴明 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E8%B2%A1%E5%8B%99%E7%9C%81%E3%81%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E6%BB%85%E3%81%BC%E3%81%99-%E4%B8%89%E6%A9%8B%E8%B2%B4%E6%98%8E-ebook/dp/B076LDY8G8/ref=asap_bc?ie=UTF8


「財務省の大嘘」をすべて暴く!

「財政破綻するから消費増税やむなし」というロジックに騙されるな。

気鋭のエコノミストが最新データを徹底分析。日本に財政破綻など起こりえないこれだけの理由。

「国の借金は1000兆円を超える。日本人1人あたり800万円以上の借金を背負っている計算になる。子や孫の世代にツケを残さないためにも消費増税は不可欠だ」――新聞やテレビでもさんざん流されるから、このようなロジックを耳にしたことはあるだろう。でも、全部デタラメだ。そもそも、バランスシートの負債の部だけを取りあげて1000兆円の借金とは会計上でも間違っている。 

政府資産は672兆円もあるし、そもそも負債の部にある「公債」「短期証券」のうち500兆円は政府の子会社である日本銀行の持ち分だ。連結決算すればチャラだし、そもそも現在、日銀の黒田東彦総裁は財務官時代に日本の格付けをボツアナ以下にした海外格付け会社に「日米などの先進国の自国通貨立て国債のデフォルトは考えられない」と抗議していたくらいだ。

 それなのに、国内に向けては「財政破綻論」をまき散らす。黒幕は財務省だ。国際機関(財務省OBの天下り先)を使って「増税せよ」と外圧をかけてくる。そして、緊縮財政を実行して、日本国を小国化させようとする。国益よりも省益が大事なのだ。このままでは「亡国」に至ること必至だ。

____


2017年12月15日
【三橋貴明】安倍晋三内閣総理大臣との会食


さて、ご存知の方が多いでしょうが、総理と会食し、
小学館「財務省が日本を滅ぼす 」を進呈。

本書の内容について、多いに議論をさせて頂きました。

まずは、2010年の参議院選挙の際に、
応援演説をして頂いたことについてお礼申し上げ
(今まで機会がなかったので)、
その上で和やかに「シビアな話」をさせて頂きました。

内容について、全て書く気はありませんが、
重要なポイントだけ申し上げると、

(1)
「財務省が日本を滅ぼす」を書いた三橋との会食を持ちかけたのは
両端の方々ですが、「クローズではなく、オープンで」と決めたのは
官邸であること(オープンなので、総理動静にも載りました)

(2)
何をやるにしても、全てPB黒字化目標が「壁」となり、
何もできない。という現実を、総理は認識していること。

(3)
だからと言って、
「総理はPB黒字化目標が問題であることは
分かっているんだ。ああ、ならば大丈夫だ」
などと思ってはいけないこと、の三つになります。

特に重要なのは(3)で、総理が真実、
PB黒字化目標が問題であることを理解していたとしても、
だからと言って現行の緊縮路線が転換されるわけではありません。

財務省主権国家「日本」をなめてはいけません。

現在の日本を財政拡大に転換させるのは、
たとえわたくしが総理大臣の座にいたとしても無理です。

なぜならば、「政治家」「世論」「空気」が
緊縮歓迎になってしまっているためです。

そのように、財務省のプロパガンダが展開され、
多いに成功を収めているのです。

この空気を変えるためには、
やはり「言論」を動かさなければなりません。

特に、緊縮路線を進み続ける安倍政権を、
「正論」に基づき批判しなければならないのです。

といいますか、安倍総理の支持者の方々こそ
(わたくしは違います)、むしろ積極的に
安倍政権の緊縮路線を攻撃する必要があるのです。

何しろ、政治は「結果」が全てです。

そして、安倍政権の「結果」は、緊縮路線なのです。

「安倍総理は、財政拡大が必要だと分かっている!!」
などと、総理を褒め讃えたところで、
結果的に緊縮路線が継続するならば、我が国は「亡国」です。

『所得税改革、21年以降も 労働市場変化に対応
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24546420S7A211C1MM8000/

2018年度与党税制改正大綱の原案が12日、明らかになった。
所得税改革では年収850万円超の
会社員を増税することを盛り込んだ。

多様化する働き方に対応するため、誰もが使える
基礎控除を増やし会社員向けの給与所得控除を減らす。

20年1月から実施する。

大綱では21年以降も基礎控除の充実をはかり、
労働市場の構造変化に対応する方針を明記した。

与党は14日に大綱を正式決定する。(後略)』

総選挙の際には「しょとくぜいかいかく」の「しょ」の字も
出てこなかったわけですが、選挙が終わった途端に
当たり前のように「所得税改革」が推進され、増税が決まる。

所得税増税に加えて、出国税(観光促進税)、
たばこ増税と、次から次へと増税路線。

これが、安倍政権の「結果」です。

何しろ、プライマリーバランス黒字化という
「毒針」を抜くことができていませんので、
高齢化により社会保障支出が増加する以上、
19年の消費税増税、さらには所得税等の増税、
診療報酬・介護報酬の削減、公共投資削減、
防衛費や科学技術予算、教育予算、
食料関係費等の抑制は「既定路線」です。

例えば、昨夜は「農業問題」でも議論し、少なくとも、

「日本のコメ等を輸出し、食料生産能力を維持するには、
輸出補助金(アメリカのように)つけなければならない」

という点は一致を見たのですが、結論は、

「でも、PB黒字化目標があるから、できない」

なのでございます。

すなわち、勝負は「PB目標破棄」に絞られます。

最低でも、18年6月の閣議決定の際に
PB目標を破棄できなければ、話になりません。
(それが実現したとしても、予算に反映されるのは19年度から・・・)

PB黒字化目標という「毒針」を抜くためには、
世論や政治家の空気をそちらの方に動かさなければ、
誰が総理大臣であっても「不可能」なのが現実の日本なのです。

日本には救世主はいません。

「財務省が日本を滅ぼす」の三橋が総理と会食した程度で、
政策が良き方向に向かうはずがないのです。。

(ついでに、会食したからといって、
「三橋が安倍に懐柔された」などという話にもなりません。
何で税金で一回ご飯を食べさせてもらったくらいで、
そうなるのですか。政治は、あるいは政治家は結果が全てです)

それでも、「財務省が日本を滅ぼす 」の三橋が
総理と会食し、「PB黒字化目標が問題」という点について
合意を見たことは、もしかしたら政治的な
影響があるかも知れないわけです。
(というわけで、ツイッターの背景写真はしばらくあのままにしておきます)

それにしても、ここまでやっている以上、
近い将来、わたくしに何らかの「スキャンダル」が出るか、
痴漢冤罪で捕まるか、弊社に国税が来るのは
避けられないでしょう。

わたくしは政治家ではないため、
スキャンダルは大したダメージにならず、
痴漢冤罪を避けるために電車移動もしないため、
やはり「国税」という攻撃が最も可能性が高いと思います。

それでも、やりますし、続けます。

わたくしたちの子孫が、中国の属国民として
生きるという悪夢の未来を避けるために、
現代を生きる日本国民として責任を果たすために。
https://38news.jp/politics/11413


2017年12月17日
【三橋貴明】安倍晋三内閣総理大臣と会食しました

【近況】

2017年12月12日、
首相公邸で総理と会食しました。

しかも、官邸側の要望で
「オープンな会食」となりました。
(そのため、首相動向にも載りました)

なぜ、官邸あるいは総理は
三橋を会食に招いたのでしょう。

総理が断定されたわけではないですが、
要するにこういうことのようです。

まずは、総理が財務省の
「プライマリーバランス黒字化目標」や
緊縮財政を問題視している(これは確実です)。

ところが、自民党の国会議員たちが、
総理は「PB黒字化路線を堅持しようとしている」と、
妙な誤解をしている
(西田昌司参議院議員まで勘違いをしていました)。

PB目標や緊縮財政について、
自民党の議員たちから「問題だ」
との声を上げさせたい。

というわけで、政治的なメッセージとして
「財務省が日本を滅ぼす」の著者である
三橋を招き、同書籍と共に写真に写った。

さて、総理がPB黒字化目標を
問題として認識しているとして、
「ああ、良かった」となるでしょうか。なりません。

そうではなく、

「PB目標が問題だと分かっているならば、なぜ破棄しないんだ!
総理も閣僚も、自民党の国会議員も、さっさと動け!」

と、怒りの声をぶつけることが正解になります。

総理がPB目標の害悪について
理解していたとしても、
結果が出なければ意味がありません。

いみじくも総理が仰ったように、
政治とは「結果」なのです。

分かっているなら、さっさと結果を出せ!

と、以前にも増して批判を展開する
必要があるという話でございます。

◆人手不足解消合宿 〜人手不足は利益拡大の絶好のチャンスだ!〜
http://www.38news.jp/sp/mituhashisemi/2018_02.php#top

◆ソーシャルレンディング最大手maneoの瀧本憲治氏との大人気コンテンツ「ムダな公共事業はあるのか?資本主義の黄金時代1」がリリースになりました。
https://youtu.be/paaPD-d1zF4

◆11月30日 徳間書店から「2018年 戦争へ向かう世界 日本経済のラストチャンス」が刊行になりました。
http://amzn.to/2A4LgKi

◆10月31日。小学館から「財務省が日本を滅ぼす」を刊行しました。
http://amzn.to/2giPiXA

◆週刊アサヒ芸能 連載 列島報告書 第145「「経済学」を乗り換えて後、デフレ脱却の時は来るのか!?」
http://www.asagei.com/

◆週刊実話 連載「三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』」 第251回「橋が通行止めになっていく国」
なお、週刊実話の連載は、以下で(二週遅れで)お読み頂くことが可能です。
http://wjn.jp/article/category/4/


◆メルマガ 週刊三橋貴明 Vol447 グローバル株主資本主義の害悪
http://www.mag2.com/m/P0007991.html

グローバル株主資本主義が、なぜ「滅びの道」なのか解説しています。

2017年12月24日
【三橋貴明】三橋経済塾第七期開講!


【近況】
2017年12月20日の日本経済新聞

「もっと吹かさないと 迫真(2) 」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24816830Z11C17A2EA1000/

を読むと、先日の西田先生、藤井先生、三橋と
安倍晋三内閣総理大臣との会食について、
「政治利用」が始まっていることが分かります。

官邸側は、会食を

「総理から自民党の国会議員に対する、
財政拡大を求めるメッセージ」

として利用。

それに対し、財務省は「手下」の
日本経済新聞を用い、

「安倍政権や自民党が『我田引水』的に
公共事業や農業予算を増やしている」

という印象操作を図り、緊縮財政路線の
堅持を狙っています。

また、リニア新幹線の発注に際し、
大手ゼネコンが「不正な受注調整」を行い、
公正取引委員会が入った事件について、

「リニア談合!」

といった報道がされている件についても、
裏に「財務省」の影が見え隠れします。

リニアの件は、独占禁止法の
「不当な取引制限」に該当する可能性がありますが、
「入札談合」ではありません。

不当な取引制限には二種類あり、
入札談合に加えて「カルテル」があるのです。

カルテルとは、事業者や業界団体の構成事業者が
相互に連絡を取り合い、各事業者が自主的に
決めるべき商品の価格や販売、生産数量などを
共同で取り決める行為になります。

つまりはマスコミは今回の件について
「不正な受注調整」と表現するべきなのですが、
なぜか「リニア入札談合」と報じられている点に、
違和感を覚えるわけです。

「また、談合か・・・・」

と、談合という(大変遺憾なことに)
ネガティブな印象の言葉を連呼することで、
今後の公共投資拡大を妨害している
ように思えてなりません。

「また、談合が蔓延るから、公共投資はダメだ。
実際、リニアの件も、談合が問題になったじゃないか」

というレトリックでございますね。

リニアの「不正な受注調整」の件を見ても、
日本のマスコミが「正しく報道していない」ことが分かります。

何しろ、大手新聞やテレビは
財務省の記者クラブ「財政研究会」の
コントロール下にあります。

国民はマスコミ情報に騙され、
財務省の思うがままに緊縮財政路線を
「善」と思い込んでしまう。

マスコミや財務省の偽情報に
踊らされないためには、正しい知識、知見を身に着け、
情報を「正確に読み取る」しかありません。

具体的には、定義し、細分化し、相対化するのです。

この手の技術は「訓練」「経験」
なしでは身に付きません。

◆週刊アサヒ芸能 連載 列島報告書 第146回(最終回)「美しい数学モデルを描きたい経済学者のバカバカしい欲求」
http://www.asagei.com/


◆週刊実話 連載「三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』」 第252回「プライマリーバランスという毒針」

なお、週刊実話の連載は、以下で(二週遅れで)お読み頂くことが可能です。
http://wjn.jp/article/category/4/


◆メルマガ 週刊三橋貴明 Vol448 フリードリッヒ・リスト
http://www.mag2.com/m/P0007991.html

今週は人類の歴史を変えることになった「国民経済」学者フリードリッヒ・リストについて取り上げました。


12月22日(金)  チャンネル桜「Front Japan 桜」に出演しました。

【Front Japan 桜】独禁法が日本を滅ぼす / 世界潮流〜ナショナリズムVSグローバリズム[桜H29/12/22]
https://youtu.be/Ge5vdnhPdT0
http://www.nicovideo.jp/watch/1513922384

◆チャンネルAJER
『毒針〜プライマリーバランス黒字化@』三橋貴明 AJER2017.12.19
https://youtu.be/hIKxO1TZJAc

https://38news.jp/economy/11446


[12初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理

11. 中川隆[-5882] koaQ7Jey 2018年1月21日 15:44:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
経済コラムマガジン 2018/1/22(970号)


再びノストラダムスの大予言


反省のない予言者達

夕刊フジ系列のZAKZAKで、高橋洋一氏(元内閣参事官)が「日本の財政破綻は避けることができず、その日は近い」という予言めいた話の顛末を取上げていた。この予言は日本の有力な経済学者や財政学者が発したものである。これらの学者は東大金融教育研究センターに集い「「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会」なるものものを立ち上げ、日本の財政破綻を警告した(この研究会の活動期間は12年6月から14年10月まで)。彼等は近いうちに日本の財政破綻は必至であり、これによって日本はメチャクチャになると予言していた。

この研究会に集った学者は錚々たるメンバーであり、この予言は経済学界に限らず政治家や官僚、そしてマスコミにも大きな影響を与えたと思われる。この「大予言」の目的は、研究会が発足した時期(12年6月)を見ても分るように、民主党の野田政権が強力に押進めていた「税と社会保障の一体改革」(消費税率の10%への引上げ)を援護射撃することと筆者は見ている。


人々に行動を起こさせるため、大袈裟な言動や嘘に近い表現が使われることはよくある。これによって不安な心理に落とし込み思考を停止させ、相手を自分達の意のままに操ろうとする。要するにこれは詐欺商法である。

1973年11月に発行された「ノストラダムスの大予言」(五島勉著)という本が大ベストセラーとなった。「1999年の7月に恐怖の大王が降臨し人類は滅亡する」という予言を紹介したものである。本の内容が人々の不安心理を大いに刺激したことが、ベストセラーとなった理由と見られる。ちょうど本書が発行される前月に第四次中東戦争が起り、これが第一次オイルショックの引き金となった。物価が高騰し世の中が騒然とする中で本書は発行された。発行されたタイミングが絶妙であり、この本は250万部と爆発的に売れた(シリーズ全部で500万部以上)。「ノストラダムスの大予言」はマスコミでも頻繁に取上げられ一大ブームになった。


高橋洋一氏は「「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会」の提言は、この「ノストラダムスの大予言」と構図が全く一緒と指摘している。たしかに人々を不安に落としめるという点で両者は全く同じである。一方はこれによって本を売ることが狙いであり、他方は消費増税のムードを盛上げることが目的と考えられる。

また人々を不安に落としめる根拠がいい加減という点でも両者は共通している。1555年に発行されたフランスの医師で占星術者のノストラダムスの「予言集」を元に、五島勉氏が脚色して書いたのが「ノストラダムスの大予言」である。もっともこの本の基本はエンターテイメントであり、根拠としての科学性をうんぬんするものではなかった。


しかし研究会の「財政破綻の話」は事情が大きく異なるであろう。いやしくも有力な経済学者や財政学者が集って予言を行ったのである。当然、彼等の「予言」には大きな責任が伴うはずである。これによって日本の財政に不安を感じた人々や政治家が少なからずいたとしたなら大問題である。またこの「予言」が消費増税止むなしというムードを作ったのなら、筆者は見逃すことはできない。

「ノストラダムスの大予言」の大騒動は、当たり前であるが1999年7月の人類滅亡がなかったことで完全に終結した。しかし長い間、人々に不安を抱かせたという点で罪は重い。ただ著者である五島勉氏が、本を売るために大袈裟な表現を使ったことを認め、反省しているという話を高橋氏は紹介している。ところが一方の財政破綻を予言した学者達からは全く反省の弁が発せられないと、高橋氏は厳しく批判している。筆者も高橋洋一氏に全く同感である。


日本の財政は本当に厳しいのか

実は本誌でも12年前に同じ主旨で

05/4/11(第385号)「ノストラダムスの大予言」
http://www.adpweb.com/eco/eco385.html

を取上げたことがある。この時には、財政再建派だけでなく構造改革派も批難の対象にした。とにかく人々の不安をいたずらに煽って、自分達の論理を押し通そうという手法に筆者は強い反感を覚える。

「ノストラダムスの大予言」の大ヒットの影響もあってか、荒唐無稽の話を持出し人々を不安に落とし込めるという話や商法がその後流行った。ただし「ノストラダムスの大予言」の場合には、1999年7月という期限付きだったから救いがあった。ところが「財政破綻」の方は、はっきりと期限が明示されているわけではなく、もっと悪質と言える。ちなみに「ノストラダムスの大予言」が話題になったのは、世界の中で唯一日本だけである。


筆者が12年前に「ノストラダムスの大予言」を取上げたのは、昔、これに影響され高校進学を断念したある若者から話を聞いたことがあったからである。この人物は、中学生の時に「ノストラダムスの大予言」が流行り自分もこれを完全に信じたという。どうせ世の中が終わるのならこれ以上勉強を続けることは無意味と高校に進学しなかったと言っていた。他にもサリン事件を起こした宗教団体のメンバーがこの終末論に影響を受けていたと筆者は見ている。このように「ノストラダムスの大予言」に人生を狂わされた者が現実にいたのである。

この若者の判断は極端で例外的と決め付けることは簡単である。しかしどのように荒唐無稽な話であっても、少なからず影響を受ける者がいることを無視するわけには行かない。ましてや日本の有力な経済学者や財政学者がこぞって「ノストラダムスの大予言」に匹敵するような大嘘をついたのである。


日本の財政は悪いとずっと言われ続けてきた。もちろん背景には、「ノストラダムスの大予言」めいたこのような「財政破綻伝説」があったと筆者は見ている。一番の問題はかなりの日本人がこの「大予言」に洗脳されていることである。一般の国民だけでなく、多くの政治家や官僚もこれに騙されている。

文芸春秋1月号に経産省の若手官僚の対談が掲載されていた。対談のテーマは「不安な個人、立ちすくむ国家」というウェブで公開され話題になったレポートについてである。このレポートは、経産省の若手官僚が一年という時間をかけ高齢化社会などいくつかの問題を分析し、ある程度の対応策を示したものである。

しかし筆者が一番気になったのは、出席した官僚の一人の「将来展望が暗く、財政的にも厳しいのに・・」というセリフである。明らかにこの官僚は「財政破綻伝説」にマインドコントロールされていると筆者は見る。おそらくほとんどの官僚は同様と思われる。若手の官僚が日本社会を分析することは結構なことであるが、その前に日本の財政が本当に厳しいのか問い直すことの方がずっと大事と筆者は言いたい。もし日本の財政に問題がないことを知れば、対応策はどれだけでも考えられるはずである。


前述の通り、程度に差があっても人々は日本の財政に問題があると昔から洗脳されてきた。しかし2013年に日銀の異次元の金融緩和が開始されたことによって、日本の財政問題は完全に解決した。この理由は本誌でこれまでも説明してきたのでここでは省略する。

このことに気付いた予言者である経済学者や財政学者は焦っていると思われる(中にはまだ気付いていないアホ学者もいるかもしれないが)。これによって彼等の「大予言」が窮地に立たされることになったのだ。だから彼等は「財政を混乱させる財政ファイナンスは即刻止めろ」「早く金融緩和の出口戦略を」と騒いでいる。
http://www.adpweb.com/eco/


12. 中川隆[-5791] koaQ7Jey 2018年1月28日 19:38:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2018/1/29(971号)

日本の経済論壇の病根


御用学者に希望者が殺到

先週号で日本の財政破綻を警告する「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会」なるものものの活動期間が12年6月から14年10月までという話をした。研究会が発足した頃、日本の経済論壇と日経新聞を始めとした日本のメディアは「消費増税推進キャンペーン」の一色であった。筆者はこの動きを胡散臭く異様に感じた。

研究会が立ち上がった当初(12年の6月)から、これに対する批判を筆者は行った。事が重大なので

12/7/2(第714号)「増税騒動の感想」
http://www.adpweb.com/eco/eco714.html

をスタートに

12/8/6(第719号)「御用学者の話」
http://www.adpweb.com/eco/eco719.html

まで実に6週に渡り連続して消費増税を取上げた。


特に

12/7/23(第717号)「吉川洋東大教授の文章」
http://www.adpweb.com/eco/eco717.html

で述べたように、この時の「消費増税推進キャンペーン」はそれまでとは異質であった。それまでは増税を主張するのは、経済学者の中でももっぱら財政学者であった。ところがこの時のキャンペーンは、吉川洋東大教授など理論経済学者が前面に出てきたのである。したがって経済学者総動員での「消費増税推進キャンペーン」ということになった。

まず世間では財政学者=御用学者という認識がある。この認識はほぼ正しいと言える。したがって元々怪しい存在である財政学者が前面に出るのではなく、理論経済学者が積極的に増税のための論陣を張ったと筆者は思った。


日本の経済学者のほとんどは、

08/10/6(第544号)「マンキュー教授の分類」
http://www.adpweb.com/eco/eco544.html

で取上げたように、反ケインズのニュークラシカルの構造改革派である。またケインジアンであっても時流に乗って構造改革派に転向した学者もいた。彼等は、新自由主義者であり「構造改革なくして経済成長はない」といった虚言・妄言を発していた。おそらく彼等はこの構造改革派の路線に行き詰っていたのであろう。

今度は構造改革派の経済学者が、こぞって財政再建派に雪崩れ込んで来たという図式になった。昔の経済学者は、御用学者と呼ばれることを「恥」と思う気概があった。ところが今日、「御用学者」に希望者が殺到している。ただし今日の「御用学者」は、現政権(官邸)に協力するのではなく、財務省にゴマをすることに徹している。したがって財政支出の削減と増税を彼等は主張する。


本来の新自由主義者なら、小さな政府を指向することから、財政支出の削減と減税を主張すべきである。ところが今回は減税ではなく増税を主張し始めたのである。「御用学者」として認められるなら何でもするのが彼等の流儀と見られる。

彼等は、消費増税が実施され一時的に経済が低迷しても、すぐにV字回復するとこぞって主張していた。しかしこれが彼等の命取りとなった。14年に消費増税が実施されると、それまで順調に回復していた日本経済は急激に落込んだ。その後、補正予算を組んだり追加の金融緩和が実施されたが、日本経済は低迷したままである。


これで日本の経済学者への信頼は地に落ちた。この結果、官邸は一部の日本の経済学者と米国の経済学者のアドバイスしか受入れなくなった。もっともこれは日本の経済学者の自業自得といったものである。これについては

16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
http://www.adpweb.com/eco/eco885.html

でも取上げた。

近年の日本の経済政策は、「構造改革なくして経済成長はない」という構造改革派の虚言・妄言と財政再建派の「財政破綻伝説」に翻弄されてきた。先週号で述べたように、官僚もこれら二つの「大予言」にどっぷりと漬かり完全に洗脳されている。とにかく日本の経済成長率は、ずっと主要国の中にあって一番低い(IMFの予想で18年が1.2%)。これから脱却するには、まず二つの「大予言」のばかばかしさに気付く必要がある。


ペンネーム「風都」のコラム

日経新聞1月13日の大機小機に「経済政策論争の流儀」と奇妙なコラムが載った。海外のノーベル経済賞受賞者が来日し「消費税増税を急がずとも日本の財政に問題がない」と発言しているが、日本の経済学者は公式に反論すべきという声が起っているという。ところが増税を推進してきたはずの日本の経済学者は、これに対し声を全く上げないのである。

これについてコラムの執筆者であるペンネーム「風都」氏は、ノーベル経済賞受賞者の意見が学術論文ではないので反論しないだけと、彼等を完全に擁護する話をこのコラムで書いている。また学術論文になっていないものは、真面目な発言かどうか分らないとまで言っている。最後に「風都」氏は大学以外の機関(民間シンクタンクなど)が、政策論争での意見表明を評価し、経済学者の業績評価する仕組が必要と結んでいる。全体を通し、筆者にとっては本当に意味不明なコラムである。


筆者は、単純に「御用学者」化した日本の経済学者の言っていたことが、完全に間違っていたことが明らかになったからと考える。間違っていたから彼等は反論できないだけと解釈している。前掲の

08/10/6(第544号)「マンキュー教授の分類」
http://www.adpweb.com/eco/eco544.html

で説明したように、本来、彼等は「象牙の塔」にこもって研究しているべき経済学者である。つまり元々彼等は現実の経済政策について口を出してはいけないのである。実際のところ、今日の日本には、現実の経済について適切なコメントができるほどの経済学者はほとんど皆無と筆者は見ている。

ところで「風都」氏は「プロの経済学者の政策論争への関わり方は近年問題が多い」と言う妙な発言からこのコラムを始めている。このプロの経済学者と言うのは経済学博士号を取得し大学等で研究している者を指すという。もちろん筆者などはプロの経済学者から一番遠い存在である。どうも「風都」氏は、筆者などが経済や経済学者について「つべこべ」発言するなと言いたいのであろう。

たしかに筆者は、日本の経済学者について酷い発言を行ってきた。日本の大学の経済学部なんて「失業対策事業」と言い切ったこともある。しかし今もこの見方は変っていない。だから「風都」氏のこの奇妙なコラムを読んで、日本の経済学者の不甲斐なさを取上げようと思ったのである。


ところで筆者にもお世話になった経済学者はいる。例えば丹羽春喜大阪学院大学教授や宍戸駿太郎筑波大学名誉教授である。ご両人から筆者達は本当に良い薫陶を受けた。しかし残念ながら二人とも昨年の暮に故人となられた。ちなみにご両人から今日の日本の経済学界(内閣府を含め)が異常という話をずっと聞いていた。

もう一人お世話になったのが先日急に亡くなられた西部邁さんである。西部さんは保守派の論客として知られていたが、スタートは経済学者であった。

17/3/13(第930号)「アメリカの分断を考える」
http://www.adpweb.com/eco/eco930.html

で述べたようにカリフォルニア大学バークレー校やケンブリッジ大(ジョーン・ロビンソン教授の元へ)に留学している。

ちょうどジョーン・ロビンソン教授が「異端の経済学(宇沢弘文訳)」を書いている頃であった(筆者はご本人に直接確認した)。しかしケインズ経済学を否定するシカゴ学派の台頭などによって、西部さんは日本の経済学界に居場所がなくなったと思われたのであろう(たしかに大学での助教授選任の問題があったと言われているが)。したがって経済学に絶望を感じ保守派の論客に転身したと筆者は理解している。ただ筆者は日本の財政に問題がないことについて、お茶の水の「山の上ホテル」のロビーで西部流の説明を受けたことがある。このようにまともな経済論客が次々と亡くなっている。

ペンネーム「風都」氏のコラムを読んで、日本の経済学界はもうダメと感じる。来週はこれについて述べる。
http://www.adpweb.com/eco/


13. 中川隆[-5737] koaQ7Jey 2018年2月03日 09:46:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「いわゆるリフレ派」の終わり 2018-02-03


 日本銀行の岩田規久男副総裁が、五年間の「いわゆるリフレ派の社会実験」の結果、物価目標2%が未達に終わりそうなことについて、

「金融政策は一生懸命やったが、他の政策が逆風では、はねのけることができない」

 と、敗北を認めました。(ちなみに、日本銀行が精一杯やったことは否定しません。マイナス金利政策は余計ですが)


『岩田・日銀副総裁  目標未達「消費増税主因」 政策の限界認める
https://mainichi.jp/articles/20180201/ddm/008/020/108000c

 3月19日に5年の任期満了を迎える日銀の岩田規久男副総裁は31日、大分市内での記者会見で

「金融政策は一生懸命やったが、他の政策が逆風では、はねのけることができない」

と述べ、2014年の消費税増税が2%の物価上昇目標未達の主因だったと強調した。大胆な金融緩和を主張する「リフレ派」の代表格として、就任前に

「物価目標達成は日銀に全責任がある」

と強調した岩田氏だが、金融政策の限界を自ら認めた形となった。』


 というわけで、マネタリーベースとコアコアCPIのグラフを最新版にアップデート。


【日本のマネタリーベース(左軸)とインフレ率(右軸)】

http://mtdata.jp/data_58.html#18JanMBCPI



 2013年3月と比較し、すでに日本銀行は340兆円(!)もマネタリーベースを増やしたにもかかわらず、インフレ率はコアコアCPIで対前年比+0.1%、コアCPIで+0.9%。


 皆さんはすでに忘れているかもしれませんが、岩田教授らは2013年時点で「二年で2%のインフレ目標を達成する」ことをコミットメントし、量的緩和を始めたのです。


 厳密には、岩田教授の理論は、

「2年で2%のインフレ率をコミットし、量的緩和を継続すれば、期待インフレ率が上昇し、実質金利が下がり、消費や投資が増えて(=モノやサービスの購入が増えて)インフレ目標が達成される」

 という、どこの風が吹けば、どこの桶屋が儲かるんだ、と皮肉を言いたくなる「理論」でした(散々皮肉を言いましたが)。


 例えば、

「なぜ、量的緩和とインフレ目標で、期待インフレ率が上がるのか?」

「実質金利が下がったとして、なぜ投資が増えるのか? 実質金利を見て投資判断する経営者など、この世に一人でもいるのか?」

「そもそも、政府が緊縮財政で「モノやサービスを買わない、買わせない」政策を推進している状況で、金融政策のみでインフレにできるのか? 日本銀行の当座預金が積みあがるだけではないのか(そうなりました)?」

 などなど、様々な疑問が出てきたが故に、批判を展開していたわけですが、当初は、

「ならば、1000兆円のおカネを発行したとしても、インフレにならないというのか? 馬鹿か、君は?」

 的な批判を散々に受けました。


 とはいえ、1000兆円の現金紙幣を発行したところで、それを河原で燃やしてしまえば、インフレにはならんでしょ。モノやサービスが買われない以上、当たり前です。


 ちなみに、岩田教授は、

『巨額の国債買い入れを続けても物価が2%に到達していない点について「マネタリーベース(資金供給量)を増やすだけで物価が上がるとは書いた、言った覚えはない」

と説明。(ロイター 2018年1月31日)』

 と、発言。 


 あ、あんた・・・。わたくしの目の前で、

「マネタリーベースを増やせば、インフレになる」

と明言したでしょうが。あまりにも吃驚したので、色々なところで言及させて頂きました。


 まあ、岩田教授の言いたいことは、

「マネタリーベースを増やしたとしても、政府が緊縮財政を推進するなら、インフレにはならない」

 という話なのでしょうが、ならば14年か15年の時点で、

「マネタリーベースを増やしたところで、政府が消費税増税など緊縮をやっている以上、インフレになどできるか、バカ!」

 と、啖呵を切って日銀副総裁を辞任すれば、整合性は採れたのですが。


 晩節を汚しましたね、岩田教授。


 あえて書きますが、今更過ぎます。おかげで、日本は五年間の時間を無駄にしました。


 いずれにせよ、「いわゆるリフレ派」は死にました。


 今後、出てくる政策は、「金融政策+財政拡大」という真っ当なものになるでしょうか。現実をシビアに見る限り、「金融引き締め(出口戦略)+緊縮財政」という、日本を小国化する政策が怒涛の如く推進される可能性が極めて濃厚であるため、「いわゆるリフレ派」の死は、決して日本のためにならないと思うのですよ。いや、皮肉ではなく。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12349680749.html


14. 中川隆[-5715] koaQ7Jey 2018年2月04日 16:49:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 2018/2/5(972号)

日本政府の貸借対照表


債務超過額は548兆円

先々週号でノストラダムスの大予言に匹敵する大嘘である「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会」の「財政破綻伝説」を取上げた。この手の嘘話の根拠によく使われるのが、

17/11/27(第964号)「続・「今から嘘をつくぞ」の決まり文句」
http://www.adpweb.com/eco/eco964.html

で紹介した「国の債務(借金)は1,000兆円を超えている」というセリフである。これに対し筆者達は、国の借金を1,000兆円を超えている総債務額ではなく、まず国の金融資産を差引いたところの純債務額で見るべきと主張してきた。

ところがこのタイミングで、先月30日に財務省が日本政府の16年度末時点の貸借対照表を公表した。これに関する囲み記事が翌31日の日経新聞に掲載されている。記事のタイトルは「国の債務超過 最大の548兆円」というものである。債務超過額は前年度比で28.1兆円増えたという。原因は膨張する社会保障などの費用を税収でまかなえず、国債を増発したためという。


まず債務超過の548兆円という金額が注目される。日経新聞には簡単に548兆円と書かれているが、国民は国の借金が1,000兆円を超えているとずっと聞かされてきたのである。国の借金はGDPの2倍を超え、財政は他の国に比べ突出して悪いと信じ込まされてきた。だから「財政破綻伝説」が国民に深刻に受止められた。

ところが財務省が今回公表した債務超過額は548兆円といきなり借金が半減した印象を与える。この債務超過額は、国の総債務額から金融資産だけでなく、その他の資産(株式・不動産などの国有資産など)も差引いたものである。つまり国の借金を総債務額から金融資産を差引いた純債務額に止まらず、そこからさらにその他の資産の金額を差引いている。また548兆円ということはほぼGDPと同額となる。


日経新聞を始め日本のメディアは、「日本の借金は1,000兆円を超え最悪でいつ財政が破綻が起っても不思議はない」といった「財政破綻伝説」を積極的に拡散してきた張本人である。特に日経新聞は「とうとう国の借金が1,000兆円を超え最悪」「財政再建は待ったなし」といったセリフを含む記事を毎日のように掲載している。これが「真っ赤な嘘」に近い印象操作だったことをこの囲み記事は示している。

ただこれまで「財政破綻伝説」をリードしてきた日経新聞だけに、この囲み記事は12行3段ととても小さく目立たないものになっている。これに関する解説もない。またこの極めて重要なはずのこの財務省公表の数字を取上げたテレビ番組を今のところ筆者は見かけていない。これは日本のマスコミが財政に関する知識が極めて乏しいか、あるいはこの数字の意味を理解していても真相(日本の財政に問題はないという事実)は隠しておくべきと判断したからと筆者は思っている。


もう一つの注目点は、この数字(債務超過額が548兆円)が一般会計と特別会計を連結して算出されていることである。総債務額から差引くべき国の金融資産で大きいのは財投と外貨準備である。双方とも特別会計で処理され、両方の合計は約300兆円程度である。財投(財投債と財投機関債)は一旦一般会計で借入れた(借入先は主に郵貯・簡保や公的年金積立金など)形にし、これを財政投融資特別会計に貸付けている。この財投資金は政府金融機関(国際協力銀行など)や独立行政法人(昔の公団など)に貸付けられている。

たしかに日本国の債務は大きいが、諸外国に比べ差引くべき資産額も極めて大きいことが注意点である。度重なる為替介入により日本の外貨準備高は突出して大きく、また財投という制度はそもそも諸外国にはない。ところが日本の財政危機を語るインチキ財政学者達は、外貨準備を形成するための借金や財投のための債務だけをカウントし、一方でこれらの資産としての存在を無視してきたのである。それにしてもこれらに関する会計処理が複雑なため、実態が分かりにくくなっているのは事実である。


問題がない日本の財政

たしかに日本の財政の実態を見るには、債務だけでなく資産も考慮すべきという声は昔からあった。ところがこれに対し「財政破綻伝説」を広めようとする悪意のある財政学者の中には、財投の運用先は収益の上がらないところばかりと言う者がいた。つまりこの学者によれば財投は不良債権の山ということになる。

もしそれが本当なら国家の一大事である。今日の日本の国会で本当につまらないことばかりが議論されていが、是非とも日本の本当の財投の実態をもっと議論すべきと筆者は思う。反対に筆者は

03/10/27(第319号)「動態的会計による企業価値算定」
http://www.adpweb.com/eco/eco319.html

で述べたように、高速道路各社などは今日の低金利によって大儲けしていると見ている。


債務超過額が548兆円という話になっているのなら、もう一歩進んで日銀の400兆円の資産(国債やETF)の買入額をさらにこれから差引くという話が浮上すると筆者は考える。日銀の資産買入れは通貨発行を前提に実施されている。日銀が通貨発行すれば通貨発行益が生まれる。つまり事実上既に400兆円の発行益が生じ、さらに国と日銀の会計を連結決算すれば国に通貨発行益が発生していることになる(統合政府という考え方に基づき)。したがって国の実質的な債務超過額は148兆円(548−400=148)まで減る。

ところがこの日銀の国債買入にもいちゃもんを付ける者がいる。たしかにこれによって国の債務が実質的に減少しても、その分日銀の債務が増えると指摘する(要するに日銀による国の債務の肩代わり)。たしかに日銀の通貨発行は債務として負債勘定に計上される。しかし日銀の発行する通貨には利息は付かないし返済期限もない。つまり通貨(発行)は債務性のない債務であり、やはりこれは債務ではなく利益と認識すべきものである。


さらに財政の健全性を見る一つの基準として、公的年金の積立額(公務員共済を含めると180兆円)を国の債務から差引くという考え方がある。OECDの基準である。これを日本の財政に適用すれば、国の債務超過額はマイナス32兆円となり(148−180=▲32)、なんと債務超過から逆に32兆円の資産超過となる。

このように見てくると分るように、日本の財政は特に問題がない。日本の財政を問題にする人々は、大きな勘違いをしているか、あるいは嘘を付いているとしか考えられない。また国債増発や日銀の国債買入れが進んでも、彼等が危惧していたような物価上昇は起っていない。むしろ経済活動の低調さの方が大問題と筆者は認識している。したがって日本はもっと大胆に国債を発行し、財政支出を拡大すべきと筆者は言いたい。


日本は財政学者=御用学者だけが問題ではない。政治家の中にもいまだに「財政破綻伝説」にどっぷり漬かっている(洗脳されている)者がいる。このような政治家が自民党の中にもいるのだから問題なのである。例えば岸田政調会長は、予算委員会で「財政出動が将来への不安を増大させかねない」と安倍総理を牽制している。

自民党には「財政再建に関する特命委員会(岸田会長)」なるものがあり、PB(プライマリーバランス)黒字化の目標期限を検討するという。筆者はから見れば全く意味がないのがこの特命委員会である。自民党がこのようなものに影響される政治判断をすれば、とんでもないことになると筆者は見ている。一番危惧されるのが19年10月の消費増税である。もし消費増税を決めれば、次の参議員選で自民党は大敗する可能性が出てくる。これによって衆参のネジレ現象がまたもや起れば最悪である。


野党は日本の財政に問題がないことに何となく気付き始め、先の総選挙では、消費増税を凍結、あるいは廃止という公約を打出した。それどころかある野党議員が予算委員会でむしろ財政支出増大を促す話を出している。ところが自民党の中に、反安倍のスタンスを示すために財政再建派としての動きを活発にしている者がいるのである。

世界の潮流は、トランプ政権の大型減税やインフラ投資に見られるように財政出動である。貿易収支黒字、経常収支黒字の日本が、消費増税などによる緊縮財政に向かうなんて考えられないことである。
http://www.adpweb.com/eco/


15. 中川隆[-5469] koaQ7Jey 2018年3月10日 10:37:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

危機扇動者たちの不協和(後編) 2018-03-10


 日本の「財政破綻論」は、もはや「歴史」と呼んでも構わないほど、長々と続いています。


 一般的な始まりは、1995年11月国会の竹村正義大蔵大臣(当時)による「財政破綻宣言」だと思われていますが、例えば、代表的(というか歴史的)な財政破綻論者である森木享氏は、1983年の時点で、「財政崩壊−せまりくる昭和60年の複合危機」を出版しています。同書の冒頭だけ引用してみますね。


「昭和六十年まであと二年。この年を境としてわれわれ人類は、破局か、局面打開かの最初の岐路に立たされる。日本においては、財政崩壊寸前となり複合危機と複合円安がおとずれる。(中略)

 第二の理由は、ますます増え続ける国債発行残高だ。五十八年度予算については、各種の特別会計の積立金を崩すことによって税外収入をふやし、国債の発行を表面的に減らそうとした。しかし、これは財政内容の悪化をもたらす。その意味で二六・五%(五十八年度)という国債依存度は一時しのぎのまやかしの数字で、財政の実態が悪化していることを隠すための粉飾予算に過ぎない。歳入欠陥五十兆円は隠れ国債であり、「国債百五十兆円」の到来も近い。まさに財政羅針儀の再構築にせまられている。(P1)」


 ちなみに、森木氏は2007年に「ある財政史家の告白「日本は破産する」」、「日本はすでに死んでいる−希望社会をもたらす国家破産宣言」、2009年「日米同時破産」、2010年に長谷川慶太郎氏との対談本「無策!あと一年で国債は紙クズになる」、2014年に「2013年 日本国破産から再生のシナリオ」と、一生懸命に「財政破綻本」を出し続けています。


 07年の書籍のタイトルにもなっている「ある財政史家」とは、ご自身のことかと思われます。


 この方、2012年にとある政治家のパーティで、わたくしに名刺を突き出し(本当に突き出した)、
「三橋さん、日本は来年(2013年)、財政破綻するからね!」
 と怒鳴ってきたことがあります。2013年から五年が経過しようとしていますが、長期金利は0.05%。破綻の気配すらありません。


 ちなみに、森木氏はわたくしの前で、
「私は30年前から日本の財政破綻を予言していた!」
 と、意味不明な自慢をされたこともあります。30年も予想が当たらない「財政史家」とやらに、何の価値があるのか分かりませんが、日本にはこの手の意味不明な「財政破綻論者」たちがゴロゴロと蠢いているのです。


 二十一世紀に入って以降は、経済学者(吉川洋、伊藤隆俊、伊藤元重、土居丈朗など)たちまでも真面目な顔で政府の財政破綻を煽り、しかも政府の要職についていきます。彼らが、

「○○大学経済学部教授」
「政府の諮問機関○○会の民間議員」

 といった肩書で、新聞にそれっぽい論説記事を書き、テレビに登場し、財政「危機」について解説する。


 新聞は新聞で、財務省の「テンプレ」を用い、以下のような記事を書く。


『いつまで財政刺激策に頼り続けるのか
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO2789673009032018EA1000/

 先進国では最速で少子・高齢化が進み社会保障費用が増大する日本。国・地方の長期債務残高は1000兆円を超え国内総生産(GDP)比も187%に達する。財政健全化は待ったなしだ。

 安倍晋三政権は2014年4月に消費税率を5%から8%に引き上げた後、10%への引き上げを二度先送りし19年10月とした。国と地方の基礎的財政収支(PB)を20年度に黒字化する財政健全化目標は達成断念に追い込まれた。(後略)』


 ちなみに、日経の記事の結論は、

「消費税増税時に、企業が一斉に増税分を価格に転嫁し、値上げするのがいけない」

「19年10月以降に消費者が買いたくなるような新商品を開発すればいい」

「財政出動の効果は一時的なので、規制改革で民間主導の投資機会を広げる改革が求められる」

 と、奇想天外(最後の結論はいつも通りですが)なものになっています。


 増税分を価格に転嫁するなということは、その分、企業が「損」を飲み込めという話です。企業が損を強制されると、確実に支出を減らし、デフレ促進です。


 もちろん、価格に転嫁した場合、国民は実質賃金が減るため、やはりデフレ促進です。


 デフレが深刻化する中、「消費者が買いたくなるような新商品を開発すればいい」と日経は書いているわけですが、まずはお前がやってみろ!と、心の底から突っ込みたくなります。


 さて、実は財政破綻論者の「懸念」を解決する方法はあるのです。日本経済をデフレから脱却させ、名目GDPが堅調に成長していけば、政府の負債対GDP比率は下がります。


 日本銀行が量的緩和を継続すれば、金利の急騰とやらも起きません。無論、やがてはインフレ率が健全な範囲を超えて上昇していくかも知れません。その場合は、政府が緊縮財政に転じ、日銀は金融引き締めをやれば済む話です。


 結局のところ、日本のデフレ脱却=財政の健全化を最も望んでいないのは、これまで「財政破綻! 財政破綻!」と煽り続けた財務省の官僚、飼い犬の政治家、学者、評論家、エコノミストら財政破綻論者たちなのでしょう。


 過去に自分たちが煽ってきた「財政破綻」という危機は、実は存在しない。


 政府の負債対GDP比率を引き下げたいならば、財政拡大でデフレ脱却し、名目GDPを成長させればいい。


 アベノミクス五年間の量的緩和は、中央銀行が国債を買い取り、日本円を発行したとしても「ハイパーインフレーション」とやらにはならないことを証明した。


 財政破綻論者たちにとって、この世は不協和で満ち溢れているのです。自分たちが間違っていたのを認めるか、それともファンタジーの世界で財政破綻を叫び続けるのか。


 結局、彼らは事実から目をそらし、ファンタジーな破綻路を叫ぶことを続けています。問題は、彼ら(何しろ、数が多い)の言論に影響を受け、国民の多くが財政破綻論を信じ、緊縮財政が正当化されてしまうことです。


 変な話ですが、彼らの不協和が解消されるためには、日本政府が財政破綻しなければなりません。ところが、日本の財政破綻の可能性はゼロです。


 日本が財政破綻しない限り、破綻論者の不協和は継続し、しつこく財政破綻論が広められ、国民が緊縮財政を支持し、デフレから脱却できず、財政健全化(政府の負債対GDP比率低下)には到達できません。


 なかなか、厄介な状況になっていることが分かるでしょう。


 財政破綻論者の言論を「事実」に基づき否定していかない限り、この「厄介な状況」の解決はないのです。ご支援、ご協力をお願いいたします。日本が財政破綻する可能性はゼロなのです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12359046680.html


16. 中川隆[-12662] koaQ7Jey 2018年5月28日 18:11:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14542]
中国に負けて始まった日本のデフレ説。安い中国製品対抗で日本に賃金格差か=吉田繁治 2018年5月27日
http://www.mag2.com/p/money/460705


なぜ日本は、賃金が上がらず平均では下がって、デフレになってしまったのでしょうか?これは1990年代からの、輸出製造業での「中国の台頭」が関係しています。


世界的にも異常。日本のパートと正社員の時給格差は「約2倍」

日本にデフレをもたらした「中国の台頭」

わが国の正社員数は、24年前の1994年が最高で、3809万人でした(この年度の非正規は971万人:現在の48%)。そして、2017年の正社員は3424万人です。1994年以降は、正社員数は増えずむしろ減って、パートを主とした非正規労働によって労働補充が行われてきたのです。

なぜ日本は、賃金が上がらず平均では下がって、デフレになってしまったのでしょうか。

これは、1990年代からの、輸出製造業での中国の台頭と関係しています。自由貿易をする二国では、労働の賃金は、時間をかけて平準化に向かうからです。

2000年頃の中国の平均賃金は日本の1/30でした。

現在、世界1の工業都市シンセンのフルタイム労働の最低賃金は、2130元(3万6200円/月)、パートの最低時給は19.5元(331円/時間)です。正社員で日本の約1/7、パートでは1/3にまで上がっています(2017年)。年率では、10%から20%の上昇率でした。

1990年代中期から、大手企業の経営者や上級マネジャークラスは別にして、日本人の平均賃金が上がらなくなった原因は、労働が作った商品に、工業化したアジアと中国人以上の付加価値のあるものが減ってきたからです。家電産業などがその典型です。

商品輸入は、労働の「移民受け入れ」と同じこと

正社員を増やせず、時間給がほぼ1/2のパートの増加に頼ったのも、1/3の低価格の中国製品の輸出が原因です。

商品は、労働で作られます。労働が結実し、付加価値を作ったものものが商品です。商品を輸入することは、コンテナに封じ込めた労働(労賃)を輸入することと、経済的には同じです。

移民ではなくても、商品輸入は、労働の移民と同じです。

中国製品に「性能/価格=商品価値」で対抗するには、商品の価格の中の、労賃の部分(人件費の構成比)を下げるしか方法がなかった。

賃金(=世帯所得)が上がらないと、世帯の商品購買は増えません。パート構成比の増加で、世帯の平均所得は下がった。商品購買力が減ったのです。このため、生産力が超過し、1990年代からは円高だったので輸入は増え、商品価格が下がるデフレ経済になって行ったのです(※筆者注:1985年のプラザ合意の前まで、1ドル240円だったことをご存知でしょうか)。

間違いを認めないまま「物価目標を諦めた」日銀

日本のデフレ現象は、政府・日銀が言った「マネー量の増加率」の低下のためではなく、円高・元安もからんだ中国からの商品輸入の増加と、商品需要数の増加のなさによるものでした。

2000年代の日本では、「インフレもデフレも貨幣現象」というマネタリストの大家・フリードマンの学説は、あてはまらなかったのです(※筆者注:経済学は、国と年代でファンダメンタルズの条件が異なるので科学にはなり得ず、思想的なイデオロギーに終わるものです。このため、思想のようにいろんな説がありえます)。

日銀が、マネー量を400兆円も増やした異次元緩和が、わが国の2010年代では、インフレをもたらすことはなかったのです。黒田日銀は、頼った理論の間違いとは言わず、2018年4月に「静かに」2%のインフレ目標をやめています。

日銀を含む財務省は、従来から、決して自分たちが犯した間違いを認めない省庁です。敗戦の直後には、全省庁が行政文書を燃やしています。戦争犯罪を逃れるためです。

米国が仕掛けた異常な「人民元高」

1994年は、シンボリックな時期でした。1元30円を15円の元安(1/2)にすることを米国(ゴールドマンサックス)が誘導し、中国が世界一の輸出大国に向かう最初の年だったからです。

中国輸入の、SPA型(製造直売)のユニクロとニトリの急成長は、元が1/2に下がり、中国製品の輸出価格が1/2になった1994年に始まっています(※筆者注:1990年は620億ドル(6.6兆円)に過ぎなかった中国の、現在の輸出額は、34倍の2.1兆ドル(225兆円:2016年)です)。

人民元の過去のレート知られていませんが、経済の解放前の1980年には、1元=150円でした。1986年でも50円、1990年は30円だったのです。
※参考:http://ecodb.net/exchange/cny_jpy.html

それから28年後、現在のレート(1元=17.2円)からすれば、経済のレベルが低かったにもかかわらず、信じられない元高だったのです。

米国がロスチャイルド家の銀行を通じて人民元の切り下げを誘導した理由は、米国の製造業の進出のためです。米国企業が中国で作って、世界に輸出するためです。一例は、iPadからiPhoneが主力になったアップルです。ほとんどが中国生産です。

世界を席巻する中国製品

中国の輸出額は225兆円です。商品数量で言えば、700兆円分くらいあります。世界に中国製品があふれる理由です。

年間51兆円(年商8.2兆円のイオンの6.2倍)の商品を売るウォルマートの、食品を除く商品(衣料、住関連、家電・電子製品)のほとんどが、中国製です。シャープを買収し、1.5年で黒字に転換させた家電・電子の鴻海(ホンファイ)など、台湾の製造業も工場は中国です。

米国は、国としては貿易赤字が7962億ドル(85兆円:2017年+8.1%)の輸入大国ですが、中国・アジアに委託または専用工場がある製造業(工場をもたないファブレス・メーカー)では、企業内輸出が大きくなっています。

曖昧に作られた「働き方改革法案」

同一労働・同一賃金の法制化を目指している「働き方改革法案」がいう、「非合理な格差」にあたるものが何か。法には具体的な記述がなく、曖昧です。そこで厚労省は、ガイドライン(法案の解釈方法)を出しています。

法の解釈を裁判官ではなく(意図的に曖昧に法を作る)省庁が示す理由は、わが国の法のほとんどは、米国のような国会議員の提案ではなく政府が作るからです。

省庁は普通のことと考えていますが、官僚支配と言われるゆえんが、ここにも表れています。

なお、官僚とくに財務省の高級官僚の意識では、われわれは律令制の中国の科挙(官吏の採用試験)のように、天皇の行政官(行政が天皇から代理権を受けて支配する律令国家)というものです。

このため選挙で選ばれる国会と政治家を、低く見ています。天皇が授与する勲章制に、これが現れています。制度が変わっても、伝統的な意識は、法の細部に現れるのです。

「非合理な格差」とは?

ガイドラインでは、以下のように述べています(原文のママ)。

【時間給が違っても問題なしとされるケース】


定期的に職務内容や勤務地変更がある無期雇用フルタイム労働者の総合職であるXは、管理職となるためのキャリアコースの一環として、新卒採用後の数年間、店舗等において、職務内容と配置に変更のないパートタイム労働者であるYのアドバイスを受けながら、Yと同様の定型的な仕事に従事している。B社はXに対し、キャリアコースの一環として従事させている定型的な業務における職業経験・能力に応じることなく、Yに比べ高額の基本給を支給している。

出展:同一労働同一賃金ガイドライン案

分かりやすくしましょう。

「幹部職候補の総合職(配置転換があるという意味)として採用された正社員が、管理職になる目的のキャリアコースの一環として、パートと同じ定型的な作業に従事した場合は、作業能力にかかわりなく、パートの時間給より高くてもいい」ということです。

例外を決めるのは「官僚」

労働と賃金には、固有の専門的な解釈が必要なものがあります。労務管理士という資格がある理由です。

時間給には、3か月サイクル以上の定期的な賞与を含みます。どれくらいの格差が許容されるのか、もっとも肝心なところは、いつものように不明です。

曖昧にしておく目的は、裁判官ではなく、官僚が関与することを増やすためです。これが官僚の権益の拡張です。

合理的かどうか、官僚の裁量で決めるのでしょう。現状の多くの会社のように、2倍の差でもいいのか、格差30%までなのか。肝心なところです。大店法でも同じでした。肝心な売り場面積の規定が、法では曖昧です。

日本の賃金は「成果に関係なく決まる」ことが多い

「定型的な作業」とは、会社が仕事の方法(手順)を決めているものです。「非定型な作業」は、作業者本人が創意と工夫をした作業方法です。

「作業能力」には曖昧な内容を含みますが、わが国の賃金の基本(賃金テーブル)は、職務の結果によってではなく、職務への能力で決められています。このため、多くの会社で、賃金は成果(作業結果と利益)には無関係です。

【米国の現場ワーカー】

米国の現場ワーカーには、2種の賃金があります。働いた時間で決める時間給(タイムワーカー)、処理した商品数で決める成果給(ピースワーカー)。流通業の物流センターやドライバーの多くが、ピースワーカーです。

百貨店などのセールス(販売員)は、「売上×5%」くらいの歩合給です。IBMでも40歳以上は、成果給という歩合給です。管理職は、年棒制が多い。ただし支払いは2週ごとです。

【わが国の正社員の賃金】

長期的には、高い成果を上げる人は、人事部(または上司)から職務能力が高いとみなされ、同じ入社歴でも賃金の上昇率が高いことが多い。官僚では、年齢と昇進が、報酬と関係しています。多くは経験年数です。

日本にある「パートと正社員」の曖昧な壁

1日に8時間働くフルタイム雇用を、わが国では「正社員」と呼んでいます。

フルタイム雇用の全員が、管理職候補として、キャリアの階段を登るわけではない。しかし正社員とパートには、明文化されていない曖昧な境界があります。正社員が管理職になるケースが多いからです。ただし、パートも管理職にはなり得るでしょう。

欧州と米国では、現場の賃金の基本は「時間給」です。雇用のとき、期限を定めない長期雇用ならフルタイム雇用とパートタイムに、明瞭な時間給の格差はない。

ただし短期雇用の場合は、時間給は低くなることが多い。フルタイム、パートタイム、短期雇用という違いです。

【時間給の格差】

わが国のような、正社員(フルタイム)とパートという働く時間の違いからくる時間給格差がないことが、原則です。ここで言う原則は、例外があるという意味。会社が属人的に決めている労働と賃金では、デジタルな関係が曖昧になります。

パートタイムの賃金(時間給)が、フルタイム雇用者に対してどの程度かという点では、国際的に違いがあります(OECDの統計:2005年)。

国:フルタイムとの時間給格差
—————————-
日本:48%
英国:65%
ドイツ:74%
スペイン:76%
フランス:81%
ベルギー:82%
オランダ:92%
フィンランド:92%
イタリア:93%
スイス:96%

先進国の中で日本がもっとも低く、時間換算給でフルタイムの48%です。英国が比較的低く65%、移民が多いドイツ74%です。スペインが76%で中間的です。フランス・ベルギー・オランダ・フィンランド・イタリア・スイスでは、格差が小さい。

オランダ以降の4か国は90%以上ですから、フルタイムとパートの時間給の格差は「ほとんどない」と言えるでしょう。


17. 中川隆[-12948] koaQ7Jey 2018年6月11日 11:00:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15157]


経済コラムマガジン 2018/6/11(989号)


デフレギャップの分析


デフレギャップを誤魔化す人々

2週前から「永久債を日銀が買って100兆円の基金を作る」という一見無茶な政策を提言している。しかし日本経済の現状を考えると、これこそが一番合理的な政策と筆者は確信している。今のままでは永遠に日本経済はジリ貧路線を歩むことになる。

この政策は「シニョリッジ(ヘリコプター・マネー)」と呼ばれるものである。伝統的な経済学ではこれを異端とか劇薬と見なす。しかし日本経済の現状では、このような劇薬的な政策が必要と筆者は考える。

これも日本の経済が先進各国の中で一番成熟しているからである。米国は多くの移民を抱えるなど新興国的な要素を持つ。また欧州はEUの拡大によって、新たな投資機会と需要を得た。このように欧米には、日本に比べ多少の救いがある。しかしいずれこれらの効果も限界が来て、そのうち米国や欧州も日本を追掛けるように低成長の世界に入るものと筆者は見ている。


先週号でデフレギャップの話をしたが、「シニョリッジ」政策においてはこれが一番重要なポイントとなる。筆者は、2002年から一年ほど丹羽経済塾(丹羽春喜大阪学院大学名誉教授を中心にした勉強会)に参加し、シニョリッジについて学んだ。しかし丹羽教授の講議の半分はこのデフレギャップに関するものであった。

デフレギャップは供給と需要の差である。ところが日本政府(内閣府)が公表しているデフレギャップや潜在成長率の数字は、デタラメであり異常に小さい。丹羽教授はこれに毎回怒っていた。これについては

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html

15/11/30(第870号)「堂々と新規の国債発行を」
http://www.adpweb.com/eco/eco870.html

などで説明した。


デフレギャップを小さく算出するのは「だから経済成長のためには構造改革しかない」といった間違った結論に人々を誘導するのが狙いと思われる。これは需要サイド重視のケインズ経済学を目の仇にする新古典派経済学者(ニュークラシカル派)の仕業と丹羽教授は指摘していた。丹羽教授は多くの日本の経済学者が信奉しているシカゴ学派のルーカス教授をいつもヤリ玉に上げていた。これについては

02/12/9(第277号)「ルーカスの子供達」
http://www.adpweb.com/eco/eco277.html

で取上げた。

ルーカス教授の供給曲線(ルーカス方程式と呼ぶべきもの)と言うものがが曲者で、どの生産段階でも設備の稼働率は100%と言うことになっている(つまりデフレギャップはゼロ)。これは明らかに「作った物は必ず売れる」といった古典派経済学の基本理念である「セイ法則」に通じる。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で取上げたA教授もこのルーカス方程式に基づく経済理論を唱えていた。問題は、このA教授のような学者が内閣府に出向しいい加減なデフレギャップを算出していることである。


一方の丹羽教授は日本の供給力を「オークンの法則」に基づき算出していた(オークンの法則については説明を省略)。丹羽教授の計算では、日本のデフレギャップは数百兆円にもなる。ただ参加者の筆者達はこの数字に正直ピンとこなかった。しかし筆者達は日本のデフレギャップが巨額だということは認識していた。

このようにデフレギャップを正確に計測することは難しく、仮にそれが正しく算出できても多くの人々がその数字に納得するとは限らない。むしろシニョリッジ政策に伴って物価が上昇した場合の「制御」を考えた方が「生産的」と筆者は考える。インフレターゲットを政策に組込むのもその一つである。例えば物価上昇が3%に達したら、シニョリッジ政策を中断するとか金融を引締めを行うといった決まりを設けるといった方法が考えられる。


日本の需要不足(貯蓄過多)の要因

前段で述べたように、筆者は供給サイドからデフレギャップを議論することは「空中戦」に陥ると考える。むしろ需要サイドから、また資金の流れから分析した方が分りやすいと考える。日本のデフレは慢性的な需要不足、つまり貯蓄の過多が主な原因と筆者は見る。

またこの日本のデフレは

03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco303.html

で説明したように、経済循環において「漏出(ろうしゅつ)」が「注入(ちゅうにゅう)」を上回っていることが常態化していることを示す。古典派・新古典派の経済理論では、このような場合には金利がパラメートとして動き(この場合には低下)貯蓄過多は解消されることになっている。ところが今日の日本においては、金利がゼロ(実質金利はマイナス)になっても貯蓄過多は解消されない。それほど日本のデフレは深刻と見るべきである。結論を申すと、したがって日本にはシニョリッジ政策しかない。


本誌はこれまでこの日本の需要不足(貯蓄過多)の要因を幾度となく取上げてきた。これらを列記すると「バブル崩壊に伴う需要不足」「消費人口の減少による需要不足」「将来不安に備えた消費のセーブ」「所得格差拡大による消費性向の低下」ということになる。これらを一つずつ検討する。ただ最後の「所得格差拡大による消費性向の低下」はサマーズ元米財務長官等が唱える説であり、日本より米国の方が関係が深いと思われるのでここではこれ以上の言及を省略する(消費性向の小さい高額所得者の所得割合が増えることによって、全体の消費性向が低下)。


まず「バブル崩壊に伴う需要不足」を取上げる。バブル経済においては資産価格が高騰し、このバブルが崩壊すると資産価格は反動で大きく下落する。人々が注目するのは、資産を高値で買い損害を被った側である。このバブル崩壊で傷付いた人々は、当然、消費や投資を控えるため全体では需要不足が起る。

筆者が注目するのは、一方の資産を高値で売り抜けた人々の消費・投資行動である。もしバブルで大きな利益を得た人々が、この利益を全て使ってしまえば需要不足は解消する。ところが資産を売って得られた代金の大部分は銀行で眠ったままになる。したがってバブル崩壊は経済循環において「漏出」が「注入」を上回る現象を引き起す。つまりバブル経済の生成と崩壊が起ることによって、世の中の余剰資金は大きくなると筆者は分析する。

特に地価の高い日本では、バブルの崩壊がなくとも土地の売買が起る度に貯蓄過多が起ると筆者は考える。この様子は

04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco362.html

で取上げた。ちなみに家計部門は70年から93年までの24年間で140兆円もの土地を売越している。この代金の一部は今日でも貯蓄として眠っている可能性がある。


「消費人口の減少による需要不足」は、小子高齢化が進む日本にとって深刻な問題である。

13/4/8(第751号)「久しぶりの「朝まで生テレビ」」
http://www.adpweb.com/eco/eco751.html

で述べたように、総務省統計局のホームページによれば、消費金額は30才台、40才台でピークを打ち、50才台、60才台で極端に落ちる。したがって30〜50才の消費人口が減り続ける日本では、消費が伸びるはずがない。

「将来不安に備えた消費のセーブ」の深刻さも、今後、注目されるであろう。将来の公的年金支給の不安が囁かれ、30〜50才の消費世代の人々さえ消費を抑える傾向が見られる。また公的年金を補うため、個人年金に入る人々もいる。これは将来のために今日の消費を減らす行為である。明らかににこれも経済循環における「漏出」が「注入」を上回る現象を引き起す。

国も将来不安に備え、公的年金の保険料の引上げを行い、また消費税増税分の大部分(8割)を財政再建に回している。これらも経済循環における「漏出」の増加である。つまり日本政府自らがデフレを助長しているのである。これでは多少所得が多少増えても、日本経済が低迷から脱却することは無理である。

とにかく安倍総理の周りには本当の経済が分っている者が少ないのである(そのうち取上げるが経済スタッフは入れ替えるべき)。いまだに「成長戦略で経済成長」と間抜けなことを言っている。1〜3月がマイナス成長になるのも納得である。金融緩和だけに頼る今日の政策の転換が必要であり、今のうちに大量に国債を発行し財政政策を大胆に行うべきである。金利は上昇しないし、物価もさほど上がらない。
http://www.adpweb.com/eco/


18. 中川隆[-13813] koaQ7Jey 2018年8月13日 21:03:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17863] 報告

異次元緩和でも日本にインフレが起こらない極めてシンプルな事情
アナログな企業と人生こそデフレの勝者
大原 浩
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56970

金融緩和は終わらない

日本銀行の黒田総裁によって2013年4月から導入されたいわゆる「異次元」金融緩和政策。まさに「異次元」の金融緩和政策が続いているが、いまだにささやかな2%の物価上昇でさえ実現できていない。

しかも、7月31日の金融政策決定会合で「強力な金融緩和継続のための枠組み強化」を決めている。つまり、これからもさらに金融緩和を続けなければならないため、長期金利の変動をある程度認めて緩和の副作用に配慮するということである。

このような日銀(黒田氏)の政策は経済学で一般的な「資金を大量に供給すれば物価が上昇する」という理論に基づいている。しかし本当にその理論は(いつも)正しいのか?

極端に単純化して、この世の中に100本の缶ビールと1万円しか存在しないとする。その世界で、超金融緩和を行い通貨供給量を倍増して2万円にしたとする。これはとてつもない金融緩和で、マネーの価値は半分(物価は100%上昇する)になるというのがこの理論の示すところだが、大事なものが欠けている。

缶ビールの供給は増えないという前提だが、実際には缶ビールの価格が上昇すれば当然生産も増える。通貨供給を2倍にしても、商品の供給が2倍になれば(理論的には)物価は上昇しない。それが現実の経済である。

さらに言えば、50メートルプールから水をあふれさせるには、相当量の水を供給しなければならないが、プールへの水の供給を止めるには水道の蛇口を締めるだけでよい。

金利において、「高騰させるのは簡単だが低下させるのは難しい」ということを説明するのにこの「水道理論」が良く使われる。

いくら大量の資金供給を行っても、その供給によって増えた資金の保有者はいつでも自由に使える(使わなくても良い)ので、なかなか政策当局の思い通りの効果が出ない。

ところが、資金の供給を止めると、資金の調達(借り手)側は不渡りなどを出すわけにはいかないから、背に腹を替えることができず、かなりの高金利でも涙を飲んで借りるので、あっという間に金利が高騰するのだ。

この蛇口を止める現象は年末・年始、期末・期初の資金繁忙期には(ミクロ的に)頻繁に起こり、年率で数百%というとてつもない金利になることもある。

だから日本でインフレは起きない

さて、ハイパー・インフレの恐怖はよく語られるが、典型的な第1次世界大戦後のオーストリアとドイツのハイパー・インフレは大戦で欧州の生産設備が破壊された後に起こっている。

また逆に、1929年から始まった「大恐慌」は、結局、39〜45年の世界大戦によって世界の生産設備が大打撃を受けたことによって解決した。

しかし、1945年以降70年以上にわたって世界規模の戦争は起こっていない。もちろんそれは喜ばしいことだが、経済面でみれば毎年生産設備が積み上がって、かなりの供給過剰構造になっているのである。

また、ベネズエラの現在の天文学的インフレの主要な原因は、石油産業などの不振で外貨不足に陥り、食料を中心とした必需品等が輸入困難になった点にある。国内では十分な供給ができないから「輸入という蛇口」が締められたら価格が高騰するのは必然である。

逆に言えば、円という「強い通貨」で、世界中から供給過剰の商品を自由に輸入できる日本において、インフレが起こらない理由も簡単に理解できる。

さらに、1989年のベルリンの壁崩壊、91年のソ連邦崩壊によって主要共産主義国家は鉄のカーテンを開けて世界市場に商品を供給することになった。

1978年からケ小平によって始められた「改革開放」も、ソ連崩壊直後で南巡講話が行われた92年から加速。竹のカーテンを開いた。

そして、世界市場への供給が急増し、いわゆるアジア・南米・アフリカなどの新興国の多くも供給側となった。日本のバブル崩壊がちょうどこの時期に重なったのは不幸である。

生産性の向上はデフレ要因

さらに忘れてならないのは生産性の向上である。

経営学者のピーター・F・ドラッカーによれば、テイラーの「科学的分析」が生産に取り入れられて以降、工業製品の生産性は50倍以上になっている。つまり50分の1の人手で足りることになる。

農業における生産性の向上も著しい。多くの国で戦前は国民の大部分が農民で、日本でも1960年においても農家世帯員数は3441万人であった。だが、いまや米国では農業従事者は全就業人口のわずか1・7%(2005年)であるが、全国民の胃袋を満たすだけではなく大量の輸出さえしている。

現在(2017年)の日本の農家人口は約470万人で、就業人口6720万人の約0・7%。現在の食料自給率が約65%(生産額ベース)であるから、理屈で言えば就業者の1%ほどの農民で日本国民全部の食料需要を賄えるのである。

20〜30年前には「ハ―ドディスク」が50MBのパソコンが30万円ほどしたが、今や50MBは数千円のUSBのレベルである。また1本1万円ほどした映画のDVDは、月額1000円ほどで見放題である。

また、世界中のあらゆる人件費の安い地域に、コールセンター、工場、BPOセンターなどが次々と進出するので、日本をはじめとする先進国の賃金はいくら景気が良くなっても上昇しない。

供給過剰を解消すれば何とかなるが

このような供給過剰の世界で、いくら資金を供給しても物価が上昇しないのはある意味当然かもしれない。

パウエルFRB議長が金利引き上げを2019年で打ち止めにする意向を表明した後、さらにトランプ大統領が「金利引き上げは望ましく無い」と述べたが、このような供給過剰社会で金利の引き上げは困難であり、それは欧州においても同様である。

デフレ経済のきっかけは、1990年の日本のバブル崩壊であったかもしれないが、今や世界中がデフレ体質になっており、日本もその「グローバルデフレ経済」から抜け出すことはできないのだ。

先に述べたように、世界大戦級の大規模な戦争が供給過剰を解消してきたが、1945年以来、「過剰在庫」が世界中に積み上がっている。これを悲惨な戦争以外の手段で解消できるかどうかが世界に与えられた課題である。

最近「米中貿易戦争」が騒がれている。トランプ大統領がどの程度世界経済の仕組みを「理論的」に理解しているのかは明らかではないが、政治経験を全く持たないが倒産を4回も経験した稀有なビジネス界出身の指導者は、世界中のどのようなリーダーよりも経済の本質を「直感的」に理解しているように思える。

優秀なブレインのサポートがあったにせよ、「供給過剰の総本山である中国」に「貿易戦争」を仕掛ける最終判断を行ったのはトランプ氏である。

もっとも、このような「荒技」で国内への「供給過剰」を抑え込めるのは、「嫌なら中国全土を焼野原にして過剰供給をストップするぞ!」という脅しをかけることができる米国だけの特権である。

世界的に広がるデフレを根本的に食い止めるには、「過剰供給元への焦土作戦」しかないが、我々がそのようなことを論じても仕方が無い。トランプ氏が手元のボタンを押すかどうかにかかっていることになるが、現実的ではあるまい。

デジタルは供給過剰の総本山

供給過剰というのは、世界一の投資家ウォーレン・E・バフェットが良く使う「コモディティ」という言葉に集約される。要するに何の競争優位も持たない、「安い価格」以外の取り柄が無い、商品・サービスである。

ハーバード大学教授で「ポーター賞」で有名なマイケル・ポーターもコモディティ化を嫌い、「競争優位」を極めて重要視する。

コモディティ化は、何も繊維製品や100円ショップに並ぶ商品だけに限るわけでは無い。例えば、半導体は数十年前、時代の最先端を走る花形商品であったが、今や価格競争の波に飲み込まれている。

しかも、薄い利幅をカバーしようと、大量生産のための巨額投資を行い、その結果、大量に生産された製品によってさらに価格が下がるという「究極の悪循環」に陥っている。

実は筆者は、今もてはやされているIT・ネットビジネスもそれほど遠くない将来にコモディティ化するとみている。

デジタルというと、いかにも先端技術で「差別化」されているイメージを持たれがちだが実は全くその逆である。

デジタルは、誰がプログラミングしても正確にプログラムされたとおりに動くから、自動車や工作機械などのような製造ノウハウを必要としないのである。

例えば自動車のエンジンの製造というのは、現場の製造工程において、かなりアナログな技術が必要なため、中国・韓国どころか欧米の企業であっても、日本勢の製造技術には永遠に追いつけないとさえ言われる。

世界各国が電気自動車の普及に懸命なのも、アナログなガソリンエンジンでは日本勢に絶対勝てないから、デジタルな電気自動車で勝負しようと必死だからである。

それに対して、コンピューターソフトは、インドでも中国でも基本的技能を備えた技術者を雇えば簡単にプログラミングできる。また、デジタルコピーにコストはほとんどいらない。

今は普及の初期段階であるから儲かっているIT・ネット企業も、普及期が終わればとてつもない価格競争に巻き込まれるはずである。何しろ製造・サービス原価がほとんどゼロなのだから、血みどろの価格競争は間違いない。例えば5年くらい先を見据えた新卒の就職先や投資対象としてIT・ネット企業は決してお勧めできない。

それに対して、例えば工作機械やそれをつなぐIoT(につなげるセンサー)などはかなり有望である。工作機械やセンサーを粗悪品では無くまともに製造できるのは日本やドイツなどごく限られた先進国だけであり、そのアナログノウハウは新興国には簡単に真似ができない。

また、石油プラントやインフラなどの公共工事プロジェクトにおいても欧米などの先進国の長年にわたって培われたアナログノウハウが重要である。例えば石油や石炭などの天然資源採掘オペレーター、プロジェクトの運営者は、いまだに先進国がほぼ独占している。

このようなノウハウは実際に運営しないと取得できないが、その運営するチャンスを得るには既にノウハウを持っていなければならないというとてつもなく高いハードルが存在するからである。

夢を忘れられない日本

バブル崩壊前とそれ以降とではこれまで述べたように世界・日本経済の構造が変わってしまったのに、政府、産業界の中で、そのことに気がついている人々はほとんどいない。

いまだに大量生産・輸出型のビジネスを志向していて、そのうちにバブル前のような時代がやってくるという妄想を抱いている。バフェットやポーターがかなり昔から指摘している「競争優位」を構築することなどに見向きもしない。

いくら政策的に支援をしたり補助金をつぎ込んでビジネスを拡大してもそれが「コモディティ・ビジネス」であれば、「過剰供給」という悪魔を勢いづかせ、結果として国家や産業を疲弊させるだけである。現在問題なのはビジネスの「量」ではなく「質」なのである。

個人レベルでも同様である。低賃金国で代替可能なコンピュータプログラミングや、AIで簡単に処理できる会計士、弁護士など士業も含めた事務作業(デジタル業務)の将来は明るくない。

しかし、人手不足によるタブレットや配膳ロボットの導入などでデジタル化が進んでいる飲食業では、デジタル化できない「顧客満足」や「おもてなし」を担当するマネージャーの重要性が増し賃金が上昇するかも知れない。

あるいは、フレンチの三ツ星シェフがノーベル賞受賞者と同等に(?)尊敬されるように、クールジャパンを代表する名店のすし職人が世界的名声を得る時代がやってくるかもしれない。

要するに、デジタル化、コモディティ化できない「究極のアナログな存在である人間」と「アナログな機械」を相手にするビジネスこそが、デフレ経済の中での勝者となれるのである。

少子化だからこそ発展できる

なお最後に付け加えると、現在、少子化が騒がれているが少なくともこれは「供給過剰・デフレ経済」においてはプラス要因である。例えば、欧州各国の失業率はおおむね10%弱から2ケタ台であるが、若年失業者はその約2倍である(例えば一般失業率10%に対して若年失業率20%になるという意味である)。

スペインは15歳から24歳の若年失業率がおおよそ50%弱、つまり2人に1人が失業、イタリアで30%強、フランスで20%強である。

現状の日本は賃金がなかなか上がらないとはいえ、少子化が進む若者も含めてほぼ完全雇用状態なのであるから、自分の将来を託す企業の選択におおいて、目先の好景気だけでIT関連を選ぶというような愚を犯すべきでは無い。

また、少子化は「供給過剰・デフレ経済」にとって、供給を自然に減らす天の恵みである。したがって「移民・外国人労働者」の大量受け入れでその恩恵を超消しにするような愚は行うべきでは無い。

例えば、日本の高度成長時代にも極端な人手不足が起こり、中卒は「金の卵」などと呼ばれたが、日本は欧米のように手軽でコストの安い移民(当時はそのように見えた)に頼らず、自動化・ロボット化で乗り切った。

逆にそのことによって、自動化・ロボット化が進化し、日本がその分野で世界をリードするきっかけとなったのである。

日本の企業経営者たちは「人手不足」だと騒ぐ前に、それを解決するべき知恵を絞るべきである。例えば「変なホテル」は素晴らしい工夫の一つである。

それに対して、手軽で安い移民を深く考えずに受け入れた欧米は、今となっては「供給過剰」の移民たちの高いつけを払わされている(ただし、国家を繁栄に導く「高度人材」についてはこの限りでは無いが)。我々は彼らと同じ後悔をしてはいけない。

19. 中川隆[-13720] koaQ7Jey 2018年8月23日 06:54:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18040] 報告
2018年8月22日
「ポピュリズム肯定論」がデフレ脱却を導く
From 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)

そもそも「ポピュリズム」と言えば、日本では
「大衆迎合主義」などと呼ばれ、
何やら「悪しきもの」と見なされています。

ですが、そんな「ポピュリズムを否定する雰囲気」こそが、
今の日本を閉塞させている―――というのが、
本特集の基本認識です。

例えば、今、
我が国で何よりも大切な経済問題は「デフレ脱却」。

「デフレ脱却」さえできれば、
国民の所得は上がり、格差は是正され、
国民の暮らしは「豊か」なものとなります。

しかし、「デフレ脱却」のために必要な
「大型財政政策」も
「過剰なグローバリズムの緩和」も、
双方共に全く出来ていないのが現状です。

それもこれも、
日本官僚や知識人、学者といったインテリ達が皆、
緊縮やグローバリズムを主張し続けているから、
に違いありません。

つまり今の日本は、
インテリ達が間違った政策を主張し、
その方向で政治が動き、
デフレがいつまでも続き、
庶民が苦しめられている―――
という構図にあるわけです。

ところが、今、
アメリカやイギリスでは、
もった異なる議論が展開されはじめています。

イギリスが「EU離脱」を決定し
アメリカが大統領選挙で「トランプ」を勝利させたのです。

EUもクリントンも、
旧来型のインテリ達が推し進めようとする
「グローバリズム」や「緊縮」の象徴だったのですが、
その流れに対して、「国民」が、
「NO」を突きつけたわけです。

これこそまさに「ポピュリズム」。

その結果、
アメリカでもイギリスでも、
庶民を苦しめ続けた政治が、
着実に変わり始めているのです。

ところが・・・

我が国日本では、
こうした英米のポピュリズムを批判する声が絶えません。

「EUから脱退するなんて、
イギリス人はなんて愚かなんだ」

「トランプを選ぶなんて、
アメリカ人はホントに非知性的で、不条理だ」

という意見が、日本においては支配的です。

しかし、そんな日本のインテリ達は、
完全に間違っています。

なぜなら、
グローバリズムや緊縮財政等の
机上の空論を振り回すインテリ達よりも、
「庶民の不満」を代弁するトランプやEU離脱派の方が、
英米の国益にとってずっとずっと「マシ」だからです。

つまり、「インテリ達が間違っている場合」には、
インテリ「以外」の人々の意見を重視する
ポピュリズムこそが、
正しい政治を導くのです!

だからこそ、我が国においても、今、
敢えてポピュリズムを「肯定」する議論が、
強く求められている――という次第です。

「表現者クライテリオン」では
そんな基本的な認識に基づいて、
「財務省」をはじめとした高級官僚達や経済学者、
メディア関係者や一流財界人など、
日本国内でデカイ顔をして、
他者を小馬鹿にしながらエラソーに自説を開陳し続けている
いわゆる「インテリ」達が、如何に、
現実を無視した「間違った主張」を繰り返し続け、
日本を破滅に導き続けているのか―――
一方で、「庶民からの反逆」とも言いうるポピュリズムが、
如何に日本で求められているのか―――
といった論点を、様々な角度から論じました。

デフレから脱却できず、
疲弊し続ける我が国日本において、
こうした「ポピュリズム肯定論」は、
閉塞した現状を打開する、
効果的な「一撃」となるに違いありません。
https://38news.jp/america/12309

20. 中川隆[-13353] koaQ7Jey 2018年10月15日 08:18:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19204] 報告

IMFが公表した日本の財政「衝撃レポート」の中身を分析する それでも消費増税は必要ですか(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/804.html

2018.10.15 橋 洋一 経済学者 嘉悦大学教授 現代ビジネス


やっぱり日本のメディアは報じないが…

消費税増税の外堀がさらに埋められた。安倍総理は、15日の臨時閣議で、来年10月に予定している消費税率10%への引き上げに備えた対策を早急に講じるよう指示する。この臨時閣議は、首相が16日から訪欧するために開催されるもので、西日本豪雨や北海道地震の災害復旧費などを盛り込んだ平成30年度補正予算案が決定される。

消費増税の足音が近づいてきているが、前回の本コラム(「消費増税で国民に負担を強いる前に、政府がいますぐにやるべきこと こんな順番では納得できない」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57879)では、消費増税前に、政府保有株の売却などやるべきことがあると指摘した。

今回は、その続きの一つとして、IMF(国際通貨基金)が公表した重要なレポートを紹介しよう。先週も指摘したように、IMFは財務省出向職員が仕切っている側面もあり、単なる財務省の代弁としか言いようのないレポートもあるのだが、財務省の出向職員があまり手を出せないスタッフペーパーのなかには、いいものもあるのだ。

今回紹介するものはその類いである。それは、今月の公表された「IMF Fiscal Monitor, October 2018 Managing Public Wealth」(https://www.imf.org/en/Publications/FM/Issues/2018/10/04/fiscal-monitor-october-2018)である。

これは、各国の財政状況について、負債だけではなく資産にも注目して分析したものだ。このレポート、海外メディアの注目度は高い(たとえば https://jp.reuters.com/article/imf-g20-breakingviews-idJPKCN1ML0NF)が、日本のメディアではさっぱり取り上げられない。だからこそ、紹介する価値があるというものだ。

筆者が大蔵省時代に、政府のバランスシート作りに取り組んだ経緯は、前回のコラムでも少し触れたが、レポートを見る前に、その当時の世界の情勢も加えておこう。

筆者がバランスシートづくりに取り組んだのは、1990年代中頃であるが、その当時、アメリカなどでさえ、政府のバランスシート作りにはまったく手がついていなかった。その意味で、筆者はこの分野での先駆けであったことを自負している。

そこで、筆者がその考え方(企業と同じように、政府もバランスシートによって財政を評価するべきだということ)を諸外国の財政当局の担当者に話すと、興味津々であった。そのおかげで、アメリカなどのアングロサクソン系国家から、「そのバランスシート作りについて、日本のやり方を教えてほしい」という要望があり、かなりの数、海外出張に行った記憶がある。

さて、それを前提にIMFのレポートに話を戻そう。上記のIMF報告書の33ページのAnnex Table 1.2.3には、各国データの「availability」がある。要は、各国がこの「バランスシート」の考え方を導入した年代が分かるわけだ。

日本は他先進国とともに、一番早い2000− となっている。ここの記述はやや不正確であり、日本は1995− が正しいと思う。筆者の記憶では、日本が1995年ごろにバランスシートをつくり、他先進国はその後2年くらいでできあがったはずだ。

これには、ちょっとした理由がある。日本の政府バランスシートは1990年代中頃に作られ、世界最先端を行っていたのだが、その公表は封印されたのだ。

大蔵省はそれまで、バランスシートではなくその右側だけの負債だけを都合よく利用して財政危機を訴えてきたので、包括的なバランスシートが出来てしまうと、それまでの説明に矛盾が生じてしまうからだろう。大蔵省だからというわけではないだろうが、このバランスシートは「お蔵入り」と言われたことは覚えている。

その後、2000年代になって小泉政権が誕生すると、財務省内からも「そろそろ政府のバランスシートを公表したほうがいい」と言う声が上がり、そこに例の「埋蔵金論争」などもあったことから、結局バランスシートを公表するようになった。

それからは、財務省のホームページにはバランスシートが公表されている(https://www.mof.go.jp/budget/report/public_finance_fact_sheet/index.htm)が、これについては財務省がマスコミにまともなレクチャーをしないから、ほとんど知られていない。債務の大きさだけを強調し、財政再建が必要だと主張するためだ。財務省も財務省だが、財務省からレクを受けないと記事が書けないマスコミも情けない。

いずれにしても、2000年代から各国でバランスシート作りが盛んになり、データも蓄積されてきたところなので、IMFでも各国のバランスシートについて分析できるようになったのだろう。

グラフをみれば一目瞭然

さて、当該のIMFレポートでは、主に一般政府(General Government)と公的部門(Public Sector)のバランスシートが分析されている。

一般政府とは中央政府(国)と地方政府を併せた概念である。一方の公的部門とは、中央銀行を含む公的機関を含めたものだ。

筆者は、これまで統合政府という概念でバランスシートを論じることが多かった。例えば、2015年12月28日「『日本の借金1000兆円』」はやっぱりウソでした〜それどころか…財政再建は実質完了してしまう!」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47156)などである。

この場合、筆者が考慮するのは中央政府と中央銀行だけにしているが、ネット資産(資産マイナス負債)に着目する限り、これはIMFレポートの「公的部門」とほぼ同じである。というのは、地方政府と中央銀行を除く「公的機関のネット資産」はほとんどゼロであるからだ。

中央銀行も、形式的にはネット資産はほぼゼロであるが、中央銀行の負債は実質的にはないので、実質的なネット資産が大きくなるので、統合政府ではそれをカウントしているわけだ。そこで、統合政府のバランスシートをみれば、ネット負債はほぼゼロ……つまりネット資産もゼロとなっている。

これらを踏まえた上で、IMFレポートを見てみよう。

2ページの図1.1では、比較可能な国の「公的部門バランスシート」でのネット資産対GDP比がでている。

それによれば、日本の公的部門のネット資産対GDP比はほぼゼロである。これは、筆者の主張と整合的だ。まあ、こんな話は誰が計算しても同じである。

ここから出てくる話は、「巨額な借金で利払いが大変になる」というが、それに見合う「巨額な資産」を持っていれば、その金利収入で借金の利払いは大変ではなくなる、という事実だ。このため、日銀の保有する国債への利払いは、本来であればそのまま国庫収入になるが、それを減少させる日銀の当座預金への付利を問題にしているわけだ(詳しくは先週の本コラムを見てほしい)。

ギリシャ、イタリアと比べても…

続いてIMFレポートでは、一般政府バランスシートでのネット資産対GDP比も分析している。7ページの図1.4である。

ここでも、日本は若干のマイナスであるが、ギリシャ、イタリアと比べるとそれほど悪くない。

IMFレポートでは、どのような財政運営をすると、ネット資産がどのように変化するか、という分析を行っている。例えば、単に赤字国債を発行するだけだと、ネット資産は減少するが、投資に回せばネット資産は減少しない。その投資が生きれば、ネット資産は増加する……といった具合だ。

この観点から論をさらに進めれば、先週の本コラムに書いたような「研究開発国債」という考え方は容認できるだろう。もっとも、今の財務省の経済音痴では、そのような新手は望むべくもないだろうが。

このほかにも、ネット資産は財政状況をみるのに使える。理論的には、ネット資産が限りなく減少すると(数学的な表現では、マイナス無限大に発散)財政破綻、ということになる。IMFレポートではそこまで書いていないが、35ページのAnnex Table 1.3.1.において、長期金利と一般政府でのネット資産との状況について、回帰分析を行っている。

その含意は、「ネット資産が少なくなると、長期金利が上昇する傾向がある」となっており、理論面でのネット資産と財政破綻の関係と整合的であることが示されている。

そこで、一般政府でのネット資産対GDP比とその国の信用度を表すCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)レートの関係の相関を調べてみた。

これをみるとかなりの相関があることが分かる。筆者はCDSのデータから、その国の破綻確率を計算し、例えば、日本は今後5年以内に破綻する確率は1%未満であるといっている。この話は、日本のネット資産がほぼゼロであることと整合的になっている。

こうした話は、本コラムでこれまでにも書いている。昨年来日したスティグリッツ教授が、経済財政諮問会議の場でも「日本の財政負債は大半が無効化されている(から財政破綻にはならない)」といっている。

そのとき、日本の増税学者は「スティグリッツが間違っている」と強気だった。これに対し、筆者はもしそうなら、スティグリッツに手紙を書き謝罪文をもらうべきだといった。いまだに、スティグリッツから謝罪文がきたという話は聞いていない。

すり替え、が始まった

財政破綻を訴え増税を主張する人たちは、それでもやはり消費増税を強行するのだろうか。IMFレポートをみれば、財政破綻というロジックが使えなくなったことは歴然なのに……。と思っていたら、増税派は「財政破綻を回避するために」という論法ではなく、「将来の年金など社会保障のために増税すべき」と、新しい言い方に変え始めている。これには失笑するほかない。

筆者は、社会保障の将来推計の専門家である。社会保障の将来像などを推計するのはそれほど難しくない。かつては、「財政問題のストック分析:将来世代の負担の観点から」(https://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/04030014.html)という論文も書いている。

今更「社会保障が重要」などという暢気なコメントを出すような人より、ずっと前からこの問題については考えている。

何より、社会保障財源として消費税を使うというのは、税理論や社会保険論から間違っている。大蔵省時代には、「消費税を社会保障目的税にしている国はない」と言い切っていたではないか。

そんなデタラメに、まだ財務省がしがみついているのかと思うと、心の底から残念で仕方ない。

社会保障財源なら、歳入庁を創設し、社会保険料徴収漏れをしっかりとカバーし、マイナンバーによる所得税補足の強化、マイナンバーによる金融所得の総合課税化(または高率分離課税)といった手段を採ることが、理論的にも実践的にも筋である。

それらを行わずに、社会保障の財源のために消費増税を、というのは邪道である。さらに、景気への悪影響も考えると、いまの時期に消費増税を行うというのは尋常ではない。

少々難解かもしれないが、ぜひともIMFレポートなどを読んで、「消費増税の是非についての認識を深めてほしい。

21. 中川隆[-13363] koaQ7Jey 2018年10月20日 10:31:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19405] 報告

ガキっぽい情熱を克服できない経済学の実態
ノーベル学者もピケティも嘆く内輪ウケ体質
中野 剛志 : 2018/10/19
https://toyokeizai.net/articles/-/243257


ノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマー(写真:REUTERS/Mike Segar)

2018年、ポール・ローマーは、経済学への理論的貢献を認められて、ノーベル経済学賞を受賞した。

ところが、皮肉なことに、そのローマーは、2016年の講演の中で、マクロ経済学は、過去30年以上にわたって進歩するどころか、むしろ退歩したと断じ、経済学に対する辛辣な批判を展開していたのである(参考)。

しかし、このように経済学のあり方を批判する大物経済学者は、ローマーだけではない。

2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンもまた、その受賞の翌年、過去30年間のマクロ経済学の大部分は、「良くて華々しく役に立たなく、悪くて全く有害」と言い放っていた(参考)。

同様に、2011年、元米財務長官で大統領首席経済顧問やハーバード大学学長を歴任したローレンス・サマーズは、主流派経済学の理論モデルに基づく論文は、政策担当者にとっては本質的に無益であったと告白している(参考)。

本物の女王に権威を失墜させられた「社会科学の女王」

経済学批判の歴史は長い。もっとも、これまでの経済学批判は、もっぱら政治学、社会学あるいは歴史学など経済学以外の分野からか、マルクス主義、歴史学派、制度学派あるいはポスト・ケインジアンといった、主流派から外れた異端派経済学から発せられてきた。

しかし、過去10年、主流派経済学者たちの中からの「内部告発」が相次ぐようになったのである。その理由は、明らかに2008年の世界金融危機(リーマン・ショック)の勃発にある。

有名な話であるが、リーマン・ショックの勃発から間もない2008年11月、イギリスのエリザベス女王は、経済学の世界的権威たちに「なぜだれも危機が来ることをわからなかったのでしょうか」と尋ね、彼らを絶句させたという。「社会科学の女王」を自認する経済学の権威が、本物の女王によって失墜させられた瞬間であった。


エリザベス女王のご下問に応えるなら、次のようになる。

そもそも、主流派経済学の理論は、「完全情報を有する合理的な個人が完全競争市場において最適化行動を行う」という非現実的な仮定を置いた「一般均衡理論」をベースとしている。

1980年代以降、この一般均衡理論を基礎としたマクロ経済理論を構築する試み(「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」)が流行し、いわゆるRBCモデル(実物的景気循環モデル)が構築された。さらにRBCモデルは、DSGEモデル(動学的確率的一般均衡モデル)へと発展し、1990年代以降のマクロ経済学界を席巻するに至った。

しかし、この「ミクロ的基礎づけ」とは、非現実的な仮定に基づく論理操作であったため、DSGEモデルなる理論モデルは、結局のところ、実際の経済から著しくかけ離れたものとなった。ローマーが、過去30年間で経済学が退歩したと述べた際に念頭にあったのも、この「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」の非現実性である。

リーマン・ショックを経ても改善は見られず

この「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」の問題点には枚挙にいとまがないが、特に重大な欠陥は、その根底にある一般均衡理論が「貨幣」の存在を想定していないということであった。

経済学とは貨幣に関する理論だと思い込んでいる人々は、主流派経済学の理論モデルに貨幣が組み込まれていないと聞いて、耳を疑うであろう。しかし、これは、一般均衡理論の中心的な理論家の一人であるフランク・H・ハーンですら認めている事実なのである。


エリザベス女王が経済学者に疑問をぶつけてから10年経っても、経済学のあり方は改善されていないようだ(写真:Reuters/Paul Childs)

エリザベス女王は知らなかったであろうが、主流派経済学者たちは、貨幣の概念を欠いた経済理論に依拠していたのだから、金融危機を想定できるはずもなかったのだ。

もっと言えば、そのような経済理論が経済政策に影響を及ぼしていたことこそが、金融危機を引き起こしたとすら言える。それを指して、クルーグマンやサマーズは「有害無益」と言ったのである。

確かに、極端に非現実的な経済理論に基づき、事実を軽視する経済学者たちの提言など、「有害無益」以外の何物でもない。

しかし、2016年に、ローマーが経済学を激しく糾弾する講演を行ったことからもわかるように、リーマン・ショックが起きたにもかかわらず、経済学のあり方には、それほど大きな改善がみられないようである。

非現実的な理論が及ぼす有害無益は、金融に限られない。

例えば、我が国では、現在、消費税率の10%への増税がなされようとしており、多くの経済学者がそれを支持している。しかし、この増税が安倍政権の目指すデフレ脱却を頓挫させ、景気の悪化を招くことは、明らかである。

というのも、消費税が5%へと引き上げられた1997年から日本はデフレ不況へと陥り、2014年の8%への消費増税もまた、デフレの悪化や消費の縮小などの悪影響を及ぼしたという事実があるからだ。


https://toyokeizai.net/articles/-/243257?page=3


ところが、8%への消費増税の是非が検討されていた2013年当時、多くの経済学者たちは増税を支持していたのである。その一人である伊藤隆敏氏は、消費税を引き上げても「デフレ脱却に失敗することはない」とまで断言していた(参考)。しかし、現実は、先ほど指摘したとおりである。

ちなみに、伊藤氏は2003年、吉川洋氏など日本を代表する経済学者らと共同で、政府部門の債務の対国内総生産(GDP)比率が200%に達した場合、「この水準は国家財政の事実上の破たんを意味すると言ってよい」と警鐘を鳴らしていた(2003年3月19日付、日本経済新聞「経済教室」)。

しかし、現在の政府債務の対GDP比率は230%を超え、伊藤氏らの言う「国家財政の事実上の破たん」の水準をすでに超えている。もし事実上の財政破綻であるならば、日本国債の買い手などいなくなるから、長期金利は急騰するはずだ。

ところが、実際の長期金利はわずか0.03%程度にすぎない。伊藤氏らが依拠する経済理論は、この現実をまったく説明できていないのである。

経済学者に見られる7つの特徴

これだけ事実によって理論が反証されているかかわらず、経済学者たちは、財政健全化論に固執し、消費増税や歳出抑制を主張し続け、財政政策に影響を与え続けている。その結果、防災関連予算ですら削減され、多くの国民の生命や財産が失われるという事態すら招いている

(参考:自然災害対策と「財政問題」は、分けて考えろ)。
https://toyokeizai.net/articles/-/231318

ここまで来ると、経済学が、国民の生命を危うくしていると言っても過言ではあるまい。しかし、なぜ経済学者たちは、ここまで現実から目を背け、非現実的な理論に固執し続けているのであろうか。

ローマーによれば、経済学者たちには、次の7つの特徴が当てはまると述べている。


@途方もない自信

A異常に一枚岩の共同体

B宗教団体か政党のような、同じグループとの一体感

C他分野の専門家から隔絶された強烈な内輪意識

D他のグループの専門家の思想、意見、業績に対する無視と無関心

E証拠を楽観的に解釈し、結果に対する大仰あるいは不完全な言明を信じ、理論が間違っているかもしれないという可能性を無視する傾向

F研究プログラムに伴うはずのリスクの程度に対する評価の欠如

ローマーが批判した経済学者の閉鎖的な内輪意識については、トマ・ピケティもまた、ベストセラーとなった『21世紀の資本』の中で、こう指摘している。

率直に言わせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った臆測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究や他の社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題にばかり没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、科学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずにすませているのだ。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』(2014年、みすず書房)P34〜35

ピケティの言う「数学への偏執狂」とは、DSGEモデルのような「ミクロ的基礎づけ」の理論への固執のことであろう。そして、「ミクロ的基礎づけ」の理論を共有していることが、経済学者たちの強固な内輪意識の源となっているのである。

問題は経済学者の閉鎖性

その一例を示しておこう。

土居丈朗・慶應義塾大学教授は、2016年の米国経済学会において、財政出動の是非を巡る経済学者たちの論争を聴いた際の感想を、こう述べている(ちなみに土居氏は、伊藤氏同様、熱心な財政健全化論者である)。

この議論を拝聴して、意見の相違は残ったままだったが、建設的で示唆深い議論にすがすがしさを感じた。パネリストは皆、大学院で教育を受けて経済学の博士号を持つ共通の学問的裏付けがあり、ミクロ経済学やマクロ経済学という演繹法的な基礎理論に基づく点で共通している。演繹法的な立論であるため、まったく同じ理論に基づいていても、現状認識や前提条件が異なれば、結論が異なりうるという議論の大原則がある。
日米で違いすぎる「反緊縮財政」を巡る議論(東洋経済オンライン、2016年1月11日配信)

土居氏は、米国経済学会における論争に「すがすがしさを感じた」理由として、パネリストたちが皆「経済学の博士号」を持っており、その議論が「演繹的な基礎理論」に基づいているからだとしている。その「演繹的な基礎理論」とは、「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」のある理論のことである。


筆者の著書『富国と強兵 地政経済学序説』
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492444386/toyokeizaia-22


では、ローマーの批判を取り上げている

要するに、この米国経済学会の論争とは、「経済学の博士号」を持ち、「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」を共有することで一枚岩となった、閉鎖的な経済学者の仲間内での論争だということだ。

土居氏がその論争に「すがすがしさを感じた」のは、土居氏自身が、この非現実的な理論を共有する閉鎖的な経済学共同体の一員だからにほかならない。しかし、その経済学者の閉鎖性を、ローマーは問題視しているのだ。

ローマーは、講演の聴衆に対して、こう問いかけている。「あなたは、医療科学よりも、ワクチン反対派やホメオパシー派の友人を重視するような医者に、自分のお子さんの治療を任せられますか?」と。

ローマーの批判は辛辣を極めている。だが、彼の知的誠実さは、確かにノーベル経済学賞に値するだろう。

22. 中川隆[-13384] koaQ7Jey 2018年10月23日 04:23:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19471] 報告

【討論】表現者クライテリオンスペシャル「消費増税は安倍退陣と日本滅亡への道」[桜H30-10-20] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5XrfugyhtXw


2018/10/20 に公開


◆表現者クライテリオンスペシャル「消費増税は安倍退陣と日本滅亡への道」

パネリスト:
 浅田統一郎(中央大学教授)
 安藤裕(内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官・衆議院議員)
 川端祐一郎(京都大学大学院助教)
 菊池英博(日本金融財政研究所所長)
 高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
 藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
 三橋貴明(経世論研究所所長)
司会:水島総

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