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「NHKの顔」が見られるのも3月まで(クローズアップ現代のHPから)
NHK「クロ現」3月降板 国谷裕子が辿った挫折とリベンジ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/173300
2016年1月15日 日刊ゲンダイ
フリージャーナリストの国谷裕子(58)が、NHKの報道番組「クローズアップ現代」のキャスターを3月いっぱいで降板する。1993年から23年、月曜から木曜まで26分間、政治から経済、教育、医療や社会現象など、広範囲のジャンルを取り上げ、現代社会の複雑な断面を報道してきた。NHKの顔と称されるが、実は1年契約のフリージャーナリスト。降板を受けて「プロデューサーのみなさんが、編成枠が変わってもキャスターは継続したいと主張したと聞いて、これまで続けてきて良かった」と周囲に話している。
1957年2月3日生まれ。大阪府出身。曽祖父は東洋紡・日清紡ホールディングス・兼松創業に関与した田附政次郎で「田附将軍」と呼ばれた綿糸相場師だ。3人姉妹の次女。三和銀行国際部で仕事一筋の父の海外勤務にともない、幼稚園はアメリカ、小学校1年から5年まで曽祖父が開校した帝塚山学院小学校、小学校6年から中学校まで香港、高校は聖心インターナショナルスクールと、日本と海外を行き来しながら過ごす。79年、米国ブラウン大学を卒業。国際関係・国際経済を専攻し、在学中の論文は「広田弘毅時代の日米関係」だった。
帰国後、外資系の家庭用品メーカーに就職するが、最先端ビジネスの手法に馴染めず、1年で退職。やりたいことが見えないまま、26歳まで派遣会社や外国人記者クラブに登録して、海外映像チェック、リサーチなどに従事した。
チャンスは一本の電話からだった。家族ぐるみで交際があったNHK特派員からの要請で、81年、「7時のニュース」英語放送アナウンサーに。85年、29歳で結婚すると渡米して専業主婦になるが、87年、BSニューヨーク発のキャスターに就任。ジャーナリストの立花隆氏に評価される。88年に帰国し、NHK「ニューストゥデイ」のキャスターに抜擢。30歳だった。ところが橋本大二郎や福島敦子などに囲まれているうちに、キャリア不足を痛感した。半年後にBSに戻され、これが人生最大の転機となった。
09年の「AERA」のインタビューで「この先、自分らしく生きるためには、キャスターとして成功しなくてはと思いました」と語っていたように、BSは国谷にとって敗者復活戦の舞台となった。89年、ゴルバチョフとケ小平の首脳会談取材のため北京を訪れると、天安門事件に遭遇し、広場が見える部屋のベランダからリポートした。ベルリンの壁崩壊や湾岸戦争勃発など世界が激動する時代に、毎日さまざまな識者にインタビュー。睡眠時間3、4時間でひたすら走り続けた。そしてとうとう「クロ現」にたどりつき、報道の世界でリベンジを成し遂げた。
放送ウーマン賞、菊池寛賞などの受賞歴を持ち、尊敬する放送人は“アメリカの良識”と称され、75歳まで活躍したABC報道番組キャスター、テッド・コペル。「クロ現」降板については官邸の圧力説なども飛び交っているが、「NHK報道の良心」とも呼ばれた国谷の存在は、こんな時代だからこそ価値を発揮する。
今後もコペルのように、長く羽ばたき続けてもらいたい。
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