04. 2013年9月13日 18:11:59
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2013年 9月 13日 17:16 JST ボルカー・ルールの文言策定で紛糾─承認から3年を経てもまとまらず By SCOTT PATTERSON, DEBORAH SOLOMON 今年2月に財務長官に就任したジェイコブ・ルー氏は、宣誓して数時間のうちに規制当局者たちを会議室に招集すると、単刀直入に、ボルカー・ルールの最終案をまとめよと指示した。 それから半年以上が過ぎた9月10日、ルー財務長官は、いまだにまとまっていないその最終案を巡る会議を進行している自分に気付いた。 ドッド=フランク法として知られる金融規制の全面的な見直しの中核であるボルカー・ルールは、金融システムをリスクから守ろうとするものだ。その概念は単純で、銀行が自己資金で投資を行うことを禁じている。 ところがそれを施行することは非常に難しいということがわかった。破綻しつつあった金融企業が世界的危機を引き起こしてから5年、ドッド=フランク法が政府の中心的な対応策としてボルカー・ルールの概要を示してから3年が経過した今も、細則を定めるはずの5つの政府機関は政策のもつれや内紛から抜け出せておらず、ボルカー・ルールを巡っては施行されるどころか最終案も出来上がっていない。 最終的な表決権がある22人の担当者を含む、このルールの策定に取り組んでいる人々はこの数年間、取引の定義から会議の場所まで、あらゆることを巡って激しいやり取りを繰り広げてきた。 銀行規制当局者と証券取引委員会(SEC)の担当者たちが参加したある会議では、顧客の代理として証券を売買する「マーケット・メイキング」についての1つの表現をめぐって2時間の議論になった。担当者たちはその交渉プロセスから互いの機関を締め出そうとし、書類を分かち合わなかった。ある当局者のグループが離れた場所で交渉の会議を行うことを承諾したのは、ファストフードのフライドチキンが食べたいときだけということすらあった。 このルールの名前の由来となったボルカー元米連邦準備制度理事会(FRB)議長はこうした遅延について「ばかげている」と断じ、「ボルカー・ルールの策定に3年もかける理由」などないと述べた。 多くの現職、元当局者とのインタビューで浮き彫りになった、このルールの長い策定期間は、進化し続ける金融界に適するように一定の規制文を定めようとするときに連邦機関が直面する困難を象徴している。 法律事務所デービス・ポーク・アンド・ウォードウェルの推定によると、ドッド=フランク法の400近い条項のうち、規定文で肉付けされて最終的に決定したものはわずか40%ほどだという。 デビットカードの手数料に上限を設けるという規定と先物取引での投機的なポジションを制限する規定で、裁判官が規制当局者の誤った法解釈を指摘するなど、裁判沙汰になった条項もある。単に広範囲に変更を呼び起こしかねないことや市場に予想外の波及効果をもたらし得るという懸念から行き詰まっている条項もある。 米国は金融危機で深い衝撃を受け、その脆弱(ぜいじゃく)性を露呈した。にもかかわらず、こうした遅延のせいで、米国の金融インフラの大部分はリスクにさらされたままになっている可能性がある。米国の10大銀行の資産は40%近く成長して11兆ドルとなっており、特定の金融機関は「大きすぎてつぶせない」という問題を政府は本当に解決したのだろうかという疑問の声も上がっている。 規制当局者たちは現時点で、ボルカー・ルールを施行させるための規制文言の作成が承認から3年半後となる今年末には終わるかもしれないと述べている。ボルカー氏が記した1ページ半の概要から始まったアイデアはこの間に膨大な文書となり、最終的には900ページ以上にもなり得る。 2014年7月の完全施行を予定しているボルカー・ルールだが、規制当局者たちはその導入にあたって多くの新たな難題を抱えることになるだろう。そして、銀行も、そのほとんどが自己勘定取引を専門とする部門をすでに廃止しているにもかかわらず、早急にそれを順守できるかが試されることになる。最終案の公表から完全施行まで、適用移行期間がわずか数カ月になる可能性が高いからだ。 2008年9月の危機の1年後に、ボルカー元FRB議長によって提案されたボルカー・ルールには、将来の税金による救済を未然に防ぐという意味もある。利益目的の自己資金での投資──いわゆる自己勘定取引──を禁止することで、預金保険のような連邦政府による保証をあてにしている金融機関でのリスクテイキングを抑制することを目指しているのだ。 このアイデアは2010年に成立したドッド=フランク・ウォール街改革・消費者保護法の策定中に激しい議論を呼んだ。当時、オバマ大統領の経済再生諮問会議で議長を務めていたボルカー氏らは、銀行が連邦政府という後ろ盾を利用し、低金利で借りた資金を、時には無分別に投資することで、顧客の預金やより広範な金融システムを危険にさらしていると主張した。 一方で反対派の主張は、金融危機の原因は自己勘定取引ではなく、それを制限することは米国の銀行の収益源を不必要に奪いかねない。その立場は世界的にも不利になり、まっとうな銀行業務をも抑制しかねない、というものだった。 ボルカー・ルールの策定者たちにとって中心的な課題は、銀行の利益のためだけに行われる取引と、そのように見えるかもしれない他の取引、例えば顧客やヘッジのための取引、あるいは、損失を防ぐために取られたポジションなどをどのようにはっきりと区別するかである。 ルールの制約が厳しすぎると、顧客の期待に沿うサービスが提供できなくなるかもしれないというのが銀行の懸念である。昨年、ある金融機関団体が規制当局者たちに宛てた手紙には「提案されたボルカー・ルールが想定している複雑な規制制度により、偶発的なルール違反を避けようとする金融機関が市場参加を抑制せざるを得なくなる事態をわれわれは懸念している」と書かれていた。その一方で、ボルカー・ルールの擁護者たちは、規制が緩すぎると銀行がその抜け穴を見つけ得ると心配している。 とはいえ、最終案の策定が遅れている原因は、定義という厄介な問題だけではない。銀行規制当局──FRB、米連邦預金保険公社(FDIC)、米通貨監督庁(OCC)──とSECの対決になることもあるように、それぞれの機関の異なる使命も関係している。FRBは銀行システムの安定が維持されることを重視する。SECの役割は不正行為を防止するために金融界の規則を守らせることにある。財務省は、商品先物取引委員会(CFTC)も含む規則の策定者たちがルールの一本化で合意することを強く要求している。 銀行幹部や政府当局者、開示された会議の内容などによると、ウォール街の銀行はこうした使命の違いにつけ込んで、政府機関の最高責任者とも連携しながら、ルールの緩和を求める組織的な活動を展開した。事情に詳しい人々によると、政府機関同士の意見の不一致に直面した規制当局者たちは、昨年末、その取り組みの評判がさらに落ちるのを恐れ、銀行との協議をやめることを決断したという。 規制当局者たちはボルカー・ルールの第一草案を2011年10月に提示した。298ページに及ぶその規則案にはコメントを求める380以上の設問も含まれていた。そうしたなかには、ある政府機関から最初の段階でその書類を公表することの承認を得るためだけの設問もあった。 ヘッジファンドについての設問もあった。ドッド=フランク法に略述されているように、ボルカー・ルールは銀行が行うすべてのタイプの投資を禁止しているわけではない。例えば、米国債や地方債への投資は可能なままである。その規則は、ヘッジファンドやプライベートエクイティー(PE)ファンドへの投資についても、出資額がそれぞれのファンドの3%以内という条件付きで認めている。 SECは、銀行規制当局がヘッジファンドやPEファンドを定義した文言に難色を示した。ファンドはその構成を変更することで、そうした投資制限をかわせるのではないかと懸念した。2011年10月の第一草案の設問には、この点に関する規則のアプローチが正しいかどうかを問うものもあった。 結局、全部で1万8000通もの手紙が寄せられた。財務省はそれを綿密にチェックするのに15人のスタッフを任命した。彼らは特定の問題が何度、誰によって提起されたかを概説する100ページの「ヒートマップ(色分け地図)」をまとめた。 寄せられた意見があまりにも多かったので、2人の共和党系のSEC委員、ダニエル・ギャラガー、トロイ・パレデスの両氏はその草案をボツにし、最初からやり直すことを提案した。 そうはならなかった。しかし、SECのスタッフはその専門的知識の範囲内と考えたマーケット・メイキングに関する部分で、独自の文言の草案作りに着手した。マーケット・メイキングは他の取引を伴うことが多いので、これは難しい作業となった。 ある銀行にXYZ社の社債1000万ドル分を購入したがっている顧客がいるとする。もし銀行がその社債を保有していなかった場合、銀行はこの取引を扱うために市場でそれを購入せざるを得なくなる。しかし、保有している間にその社債が価値を失うリスクにさらされたくない銀行は、別の取引を通じて自らを守る──これがヘッジングである。 この場合のヘッジングは、単純にXYZ社の社債と反対の値動きをする証券化商品を買うことかもしれないが、より巧妙な取引もあり得る。さまざまな組み合わせのデリバティブ、あるいは他の資産の価値や値動きと連動した商品の取引になるかもしれない。 銀行は過去にヘッジのためだけではなく、利益目的でもデリバティブを取引することが多かっただけに、こうした売買のすべてを自己勘定取引と区別するのは難しいかもしれない。規制当局者たちにとっての課題は、ある取引の前に、それが許可されているかどうかを銀行が判断できるようにし、まっとうな銀行業務を妨げないように規制案の文言を工夫することだった。 2012年の春、SECは独自に策定したマーケット・メイキング規制案を昔から銀行を規制してきた3つの政府機関に提示した。ある関係者によると、SECへの反応はほとんどなく、銀行規制当局者たちは「無線封止状態」に入ったという。 同じころ、あるウォール街の銀行が取引で巨額の損失を出したことで、銀行はそうした取引をヘッジングと見せかけることで自己勘定取引の禁止をかわし得るのではないかというもう1つの懸念が再浮上した。 JPモルガン・チェースの最高経営責任者(CEO)、ジェームズ・ダイモン氏は当初、「ロンドンのクジラ」と呼ばれるトレーダーが取ったポジションをそのように説明していた。ある企業グループの信用力に関連したそのデリバティブ取引は、同行の損失に対するエクスポージャーの管理を手助けしていた部署内で行われていた。 ボルカー・ルールの起草者の1人、カール・レビン上院議員(民主党、ミシガン州選出)はその説明に異を唱(とな)えた。同議員は当時の記者会見で「これはわれわれがその法律で定義したヘッジではない」と述べた。同議員とやはりボルカー・ルールの起草者の1人であるジェフ・マークリー上院議員(民主党、オレゴン州選出)は規制当局者たちにそのルールの文言策定を完了させることを強く要求した。 2012年6月の緊迫した議会公聴会でマークリー上院議員はいら立ちをあらわにした。同議員はOCCのトーマス・カリー長官に対して「あなたはウォール街の銀行がヘッジファンドスタイルの業務を継続できるように主張している抜け穴の封鎖を支持するつもりなのか」と質問した。 カリー長官は「それはすべての関連政府機関が検討している問題の1つだ」と答え、JPモルガンの「クジラ」による取引でこの問題に関する規制当局者の見解が明らかになったとも述べた。 カリー長官とFRB理事で銀行の規制を担当するダニエル・タルーロ氏は、ロンドンの鯨が行ったような取引を禁じる文言の策定をスタッフに指示した。 関係者によると、銀行規制当局者のカリー長官、タルーロ理事、マーティン・グルーエンバーグFDIC総裁は公聴会の数週間後に昼食を共にし、未解決の問題の解決を決断したという。彼らはSECや監督役を担う財務省との定期的な会合をやめることにした。銀行規制当局だけなら文言の策定作業をより早く終わらせることができると考えたのだった。 2012年の初秋、銀行規制当局はヘッジングに関する厳しい制限を含む大筋で合意した。その結果は10ページほどの条件規定書に記されている。 銀行規制当局者たちがその作業内容を知らせてこないことにSECの当局者たちは懸念を募らせた。議員たちは作業の進展を妨げている理由を聞こうと、SEC当局者に電話をかけ始めた。当時の状況を知る関係者によると、書類のコピーも受け取っていなかったSECの担当者たちは激怒していたという。 財務省も、政府機関の最高責任者たちと当時の財務長官、ティモシー・ガイトナー氏が参加する会議の直前まで、そのコピーを受け取っていなかった。その場にいた関係者によると、ガイトナー長官はその会議で、財務省がヘッジングに関する規則の草案を受け取っていなかった理由をタルーロ理事に問い正したという。それに対する返答は、同日早くに渡していたというものだった。 FRBは最終的にSECとそれを共有した。ところが、その草案には、その考え方をはっきりさせる前文が含まれていなかった。ギャラガーSEC委員は自分のスタッフに「何を見ているのかさっぱりわからない」と話した。 SEC担当者たちの懸念は、銀行規制当局者たちがあまりも制約を厳しくしたことで銀行が顧客のために証券の売買を行う能力まで抑制され得るというものだった。銀行規制当局者たちはその心配は無用であり、銀行の日々の取引を追跡できる自分たちの能力があれば、マーケット・メイキングが妨げられることもないと保証した。SECの当局者たちのこれに対する反応は、銀行規制当局と違ってSECには銀行の取引を習慣的に監視する能力がないというものだった。 昨年の秋、当時のSEC委員長、メアリー・シャピロ氏と3つの銀行規制当局の最高責任者たちが昼食を共にすると、その行き詰まりはわずかに緩和された。各政府機関は不可能な試みではなく、合意している分野を探すべきだとシャピロ委員長は述べた。その場にいた関係者によると、シャピロ委員長は「海を煮詰めるのはやめよう」と発言したという。 高官レベルが参加することもある一連の長時間に及ぶ会議では、主に若手の大勢のスタッフが新たなアイデアについても合意を生み始めた。 こうした会議をどこで開くかで口論になることもあった。銀行規制当局のスタッフは街の反対側、ユニオン駅近くにあるSECのオフィスまでわざわざ出向いていくことに難色を示した。財務相の当局者たちは、ユニオン駅にあるフライドチキン・レストラン、ボージャングルズへの寄り道を約束することで彼らの承諾を勝ち取ったこともあった。 交渉があまりにも難しくなると、SECと銀行規制当局の一部は、独自の取引規制の策定を検討し始めた。その一方で、そんなことをすれば、銀行を混乱に陥れることになると警告する者もいた。 昨年12月、SECがようやくその規制のいくつかの側面で主導権を握り始めたとき、シャピロ委員長と数人の直属の部下たちが同機関を去ってしまった。これがさらなる遅延を招き、最終案をまとめよというルー財務長官から規制当局者への指示にもつながった。ルー財務長官は6月にもこの要請を繰り返し、担当者たちには遅延のせいで市場に不透明感が生じていると伝えた。 ルー長官は9月10日の会議で、年末までの作業終了という目標を達成するためにも一連の期限に間に合わせることを担当者たちに強く求めた。それが本当にできるかどうかはまだわからない。
2013年 9月 11日 19:01 JST 米金融危機から5年:救済のドラマとその教訓 By DAVID WESSEL 世界の金融システムが崩壊寸前の事態に陥ってから5年。米国人は勝利を祝うこともできるだろう。 Five years after the financial crisis, enough time has passed to identify key moments in the war to save the world economy. It could have been worse, but could it have been better? David Wessel discusses on the News Hub. Photo: AP関連記事 金融危機から5年─米国で再び盛り上がる借り入れ機運 関連インタラクティブ [image] 金融危機の主な登場人物の経歴 インタラクティブ を見る In this special Crisis Plus 5 series of The Big Interview, former U.S. senator and co-author of the Dodd-Frank Act Chris Dodd shares with WSJ Washington Bureau Chief Jerry Seib why he believes Too Big To Fail has been solved, why he's still watching Fannie and Freddie from the sidelines, and why Ben Bernanke will go down in history as a great leader. Photo: AP 実際、米国経済は成長しており、1人あたりのGDPは危機以前の水準に戻った。失業は減少し、銀行は活力を回復。2450億ドル近く注入された公的資金はほぼ返済された。株式市場は失った分を回復した。家計の純資産も同様だ。 しかし、一方では、米国人はなぜ状況が依然として厳しいのか問いただし、追求すべき政策や回避すべき措置など経済的痛みの長期化を和らげるために別の方策があったのか見直すべきかもしれない。 4年に渡る経済成長が続いたにもかかわらず、依然1130万人もの失業者がいる。雇用は増加しているものの、就業者数は2008年のピーク時よりも190万人少ない。 住宅価格は上昇しているが、住宅ローンを組んだ6人に1人が現在も住宅の価値を超えるローン残高にあえいでいる。最新の予測では、典型的な家計の所得(統計上の中間値)はインフレ調整済みベースで08年9月時点を5%下回っている。 国民は全般的に反感を持っている。ウォール街が救済され、メーンストリートは放置されたとの見方が大勢を占める。「経済を救うために、われわれは『リスクを負えばその結果を受け入れなければならない』という米国の肝心な原則を侵さなくてはならなかった」と米財務省で納税者の資金を銀行に注入する不良資産救済プログラム(TARP)を率いたニール・カシュカリ氏は語った。 世界経済を救う戦いを巡り、重大な局面を見極めるには十分な時間が経過した。司令官について後から述べることでも同様だ。さらなる事態悪化の可能性もあった中、大恐慌は免れた。しかし、もっと良くなった可能性はあるのか。失政は危機を悪化させたのか、あるいは次の危機の火種になったのだろうか。 MITのエコノミスト、アンドリュー・ロー氏は、危機の原因、解決策のいずれについて議論の余地は大いにあると述べる。「われわれは国として、社会として、こうした失敗を研究しなくてはならない。国家運輸安全委員会が航空機事故を研究し、旅行をより安全にするように」とロー氏は語った。 大きすぎる大きさとは ウォール街のドミノ倒しのきっかけはベアー・スターンズだった。JPモルガン・チェース(NYSE:JPM)が政府の支援の下で同社を買収したため、多くの投資家が政府は大手金融機関をつぶすことはないと結論づけた。しかし、この想定は恐ろしいほど間違いだったことが数カ月後に証明された。 Five years after the bankruptcy of Lehman Brothers, where does the U.S. economy stand now? Looking at the latest data on GDP, jobs, and housing, WSJ's Jason Bellini has #TheShortAnswer ベアーを救うために、米連邦準備制度理事会(FRB)は08年3月に公的資金290億ドルをリスクにさらし、買収を成立させた。バーナンキFRB議長はこれを「最も厳しい選択だった」と振り返る。バーナンキ議長はその理由について「最初の1件」だったため説明する。それは、FRBが監督対象外の金融機関にセーフティーネットを適用した最初のケースだった。 バーナンキ議長や当時の財務長官だったヘンリー・ポールソン氏、ニューヨーク連銀総裁だったティム・ガイトナー氏ら金融当局の司令官は、ベアー・スターンズの救済は、金融システム全体と同社があまりに密接につながっていたため回避できなかったと述べる。そして、納税者は注入した資金をすべて回収したと指摘している。 批判派は、ベアーの破綻を黙認していれば、投資家がその後ウォール街の企業に容易に資金を提供することもなく、その後の事態悪化を招くこともなかったと反論する。元連銀幹部のビンセント・ラインハート氏は、ベアー・スターンズの破綻を食い止めた判断は「一世代で最悪の失政」だったと述べた。 大きなドミノは、不良債権にあえいだ投資銀行、リーマン・ブラザーズだった。08年9月に同社を破綻させたことは、危機全体で最も議論を呼ぶものだった。コロンビア大学の経済学者、フレドリック・ミシュキン氏は「振り返ると、これが間違いでなかったと主張することはかなり難しい」と述べた。同氏は08年8月にFRBを離れた。 それでも当時は、ウォール街に教訓を与えるためリーマンを破綻させるべきとの主張もあったと同氏は語る。 ミシュキン氏によると、中央銀行や他の規制当局は、「システムを破壊しない程度に厳しく対応する」ことを使命と考えている。もちろん、難しいのは、いつ厳しく臨み、いつシステムの崩壊を防ぐために介入するかという点だ。 金融危機から丸5年―苦渋に満ちた当時の表情の数々 スライドショー を見る [SB10001424127887323438704579058030915876744] リーマンのCEOだったリチャード・ファルド氏は、金融危機調査委員会に対し、政府の支援下で救済されることを最後の最後まで信じていたと述べた。ポールソン氏に対しては「つなぎ(ローン)を提供してくれるならリーマンを一緒に立て直そう。われわれはポジションを解消し、多くの醜さをなくすことができる」と伝えたという。 政府がこれを拒否したことは言うまでもない。 バーナンキFRB議長はリーマン破綻の1年後、「われわれはリーマンの破綻が壊滅的な影響をもたらすと確信していた」と金融危機調査委員会に語った。財務省やFRBはリーマンの売却を目指したものの、実現しなかった。当時はさまざまな説明を行っていたバーナンキ、ガイトナー、ポールソンの各氏だが、現在では破綻を認める以外に選択の余地はなかったとの見解で一致している。 バーナンキ議長は「われわれはリーマンを救うためあらゆる努力を尽くしたが、法的権限の欠如からそれを成し遂げられなかったことを、私は死の床まで抱えていくことになる」と語った。 ポールソン氏は、議会が10年に認めたような権限を金融監督当局が08年に得ていたならば、リーマンを管理下に置いただろうと述べた。「たとえ混乱の極みになっても、より良い選択となったことだろう」と同氏は語った。 リーマン破綻の翌日、世界中の市場がパニックに陥る中、FRBは渋々ながらアメリカン・インターナショナル・グループ(NYSE:AIG)を救済した。巨大な保険会社である同社は、デリバティブ(金融派生商品)取引で巨額の損失を抱えていた。 FRBと財務省はAIGに合わせて1820億ドルを投じた。その見返りに納税者は同社の株式の大半を取得した。現在これらの株式はすべて売却されており、財務省の試算によると、納税者は全資金を回収し、230億ドルの利益を得た。AIGの規模は危機前の半分となっている。 しかし、AIGの国有化は、特にゴールドマン・サックスや他の企業との取引が清算され、損失の現場にいたAIGの幹部、トレーダーらが巨額のボーナスを得たことが判明したことから、政治的反発を浴びた。 TARPの下でのサプライズ リーマン破綻やその後の一連の出来事を受けて、銀行救済のためにTARPに公的資金7000億ドルを投じるというブッシュ前大統領の要請を、議会は大いにためらいながらも承認した。ポールソン氏が議会に示した構想は、資金が用いられる前に変更されたものの、政府の目的はおおむね達成され、納税者が負担したコストは08年当時の最も楽観的な予想よりも少なくすんだ。 ポールソン氏は、TARP制度は「不良資産」、つまり完全な返済が見込まれないモーゲージ(住宅ローン)を銀行から購入するために活用されると議会に伝えた。しかしこれは実行されなかった。代わりに、財務省は金融機関の株式を購入し、その資本強化を支援した。 「危機の深刻さや常に拡大する危機の性質は、われわれが頻繁に即断を迫られたことを意味する」とポールソン氏は振り返る。「われわれはTARPで実行しようと思ったことはできなかったが、別の方法で素晴らしい成功を収めた」。 TARPの条件については、救済された金融機関の配当継続、その後のシティグループ(NYSE:C)、バンク・オブ・アメリカ(NYSE:BAC)の救済、幹部報酬への介入(厳しすぎる、緩すぎるなどの批判)、TARP資金の受け入れと融資拡大との関連性(あるいはその欠如)などを巡り、依然として議論の的となっている。 議会が指名した監視委員会はその後、TARPについて、「深い不透明感を伴う時点に重要な支援を市場に提供した」ものの、「市場のひずみの持続、大衆の政策担当者への怒り、完全な透明性や説明責任の欠如」など「問題となる遺産」を残したと述べた。 連邦議会予算事務局(CBO)の推定によると、TARPでは当初の7000億ドルのうち4280億ドルが支払われたか支払われる予定。この大半は返済された。CBOは最終的な納税者の負担を210億ドルと見込んでいる。 政府の金融機関救済キャンペーンにおける最大級の成功の1つは、厳しい批判の対象となった「ストレステスト(健全性審査)」にある。09年前半に導入された大手金融機関19社のストレステストは、これを満たさなかった企業に増資を強いた点で重要な意味を持つ。 その後欧州でも同様のストレステストが実施されたが、その内容は米国ほど積極的でも厳しくもなかった。現在、苦境に陥っている欧州の金融機関はユーロ圏経済の足を引っ張っている。 米国のハンドルさばき 米自動車業界の救済は、振り返ると驚異的な成功のように見える。ブッシュ、オバマ両大統領とも、少なくとも金融パニックの時期には、同業界を大きすぎてつぶせないと考えた。注入された公的資金は800億ドル前後にのぼった。財務省によると、これまでの回収額は約510億ドル。クライスラーは借入金を完済したが、ゼネラル・モーターズ(NYSE:GM)の株式については納税者が損失を被ることは必至となっている。 デトロイトの自動車メーカーは復活を遂げ、多額の利益を生み出している。政府主導の事業再編によって余剰生産能力の大半は解消され、債務負担が軽減されたほか、多くのケースで賃下げや労働規定の柔軟化につながった。これらは各社による値上げや、利益をより効率的な自動車、トラックに投資することを可能にした。 自動車および部品業界は09年6月から19万件の雇用を追加したものの、労働力は危機前よりもはるかに縮小している。 救済には副作用もある。TARP監視委員会は、自動車業界救済の結果、「米国のあらゆる企業が破綻によって大量の雇用が失われるか、あるいは経済的打撃を及ぼす恐れが場合には、政府の支援が受けられる」と期待するようになったと指摘した。 住宅セクターの後遺症 住宅価格の30%下落を受けて、ブッシュ、オバマ両政権と議会は誰も満足できないような悩ましい選択を余儀なくされた。そして住宅は最近まで経済に重くのしかかっていた。 最悪時には住宅ローンを借り入れている米国人の4人に1人近くが住宅価値を上回るローンを抱えていた。不動産調査会社コアロジックによると、債権者は過去5年間で450万戸の住宅を差し押さえた。 住宅保有者を救うため、複数の公的プログラムが打ち出され、その多くは効果をもたらした。ある制度の下では、住宅ローン90万件近くが毎月の返済額引き下げの対象になった。低金利での借り換えでも約270万件が支援を受けた。 しかし、多くのローン借り手は支援を得られなかった。 TARPを監視したカシュカリ氏は、「ある意味で、こうした制度はいずれも失敗に終わった。いずれも若干の支援のみを必要とする人々を支える意図があったものの、対象となったのは返済に窮した住宅保有者のごくわずかに過ぎなかった」と語った。 より大きな取り組みも議論された。連邦預金保険公社(FDIC)のシーラ・ベア元総裁は、「われわれははるかに大規模な措置を講じることもできた」と述べた。「導入は困難だっただろうが、不可能ではなかった」。 しかし、いくつかのスキームは高コストを伴ったため、債券保有者に打撃を及ぼすか、購買力以上の住宅を購入しなかった米国人から徴税し、購入した人々を支援することにもなりかねなかった。ブッシュ、オバマ両政権とも、それがうまく機能するとは考えなかった。 ガイトナー氏は今年行われたインタビューで、住宅について、「何が可能か、何が現実的かを巡り、人々の期待に最大のギャップがあった分野だ」と語った。「元本削減を支援するための資金はなかった」、「それを実施すれば、経済を支援する上でかなり非効率的な方法になったほか、多くの面で不公平をもたらした」と述べた。 経済:引き続き回復 5年が過ぎ、金融システムは十分に癒され、過去に見られたような過剰融資が復活しているとの懸念がしばしば聞かれるまでになった。しかし、経済は財政・金融面の驚異的なパワーをもってしても完全に治癒したとは言えない。 政策を巡る根本的に未解決の疑問は、財政・金融刺激策が誤った処方箋だったのか、あるいは役割を果たす上で小さすぎたかという点だ。 08年以来、政策担当者はケインズの著書からホコリを払った。大恐慌への対応に向けて歳出拡大や減税を提唱した20世紀半ばの英国人経済学者による学説は、日本でも20世紀終わりにかけてデフレに直面する中で参考にされた。 オバマ大統領は、歳出拡大や減税について議会から承認を得た。CBOの最新推定によると、これは10年間で最大8300万ドルに達する。FRBは08年12月に短期金利をゼロ%に引き下げたが、ほぼ5年経った今でもあと数年はそれを据え置くと約束している。FRBはそれでも不十分と考え、債券買い取りを通じて長期金利を引き下げるため約2兆8000億ドルを投じるという前例のない措置を講じた。 それでも、ここ数年は毎年のように年初時点で年3%の成長を遂げると期待されているが、その後は失望に変わる状況が続いた。CBOは、米国の物品、サービスの生産は少なくとも17年まで潜在力を割り込むと予想している。失業率も以前はリセッション(景気後退)時にしか見られなかったような水準に高止まっている。 この観点では、共和党員がしばしば観測するように、財政・金融出動は失敗したように見える。ガイトナー氏は、欧州ソブリン債務危機や日本の津波、原発事故など相次ぐ悪運に見舞われたと指摘する。 現在、オバマ政権や連銀の上層部は、より多くの財政出動を通じて民間セクターの需要不足を補うことが望ましかったと考えている。 オバマ大統領のアドバイザーの1人で、バーナンキ氏の後継者として次期FRB総裁候補でもあるローレンス・サマーズ氏は、「われわれは最適を超えるペースで赤字を縮小し、その影響で必要以上の成長減速に苦しんだ」と述べた。 危機への対応を主導した政策担当者は、刺激策がなければ経済はさらに悪化したはずだと主張する。この見解は民間エコノミストからも幅広い支持を得ている。 しかし、誰もが納得しているわけではない。スタンフォード大学のエコノミスト、ジョン・テイラー氏は「問題の原因は政府の政策にある」と指摘する。同氏が示す処方せんは、歳出縮小と「過剰マネーの解消」。それに加え、FRBによる裁量の余地を狭め、ルールに則ったより予測可能な手法に戻すことだ。 また、不透明感や不安が景気を圧迫しているとの感覚も残る。 クリストファー・ドッド元上院議員は「人々の気分が上向く瞬間があるかと思えば、その後再び落ち込むこともある」と述べた。同氏の名前は危機後に金融規制強化を目指して策定された金融規制改革法(ドッド・フランク法)に刻まれている。同氏は「大丈夫だという安心感の欠如」が「離陸できない」主因だと指摘している。 http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323410304579068562650344276.html
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