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イエスと言わない技術 迷え 科学的管理 組織力 就職 ビッグデータ 必要な医療保障 白内障 体外受精 生活習慣病対策
http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/631.html
投稿者 eco 日時 2013 年 4 月 25 日 04:03:33: .WIEmPirTezGQ
 

(回答先: 複雑な現代社会で簡潔さが解決方法となるとき 投稿者 eco 日時 2013 年 4 月 02 日 18:25:47)

イエスと言わない技術
2013年04月25日
ビニート・ナイア  HCLテクノロジーズ 社長兼CEO

BacknumberProfile
ナイアはHCLを変革する過程で、マネジャーたちからさまざまな警告や疑念を表明されてきた。その際に使われる枕詞は“Yes, but...”であったという。無分別な「イエス」は変革やリーダーシップにマイナスとなる、という教訓をお届けする。


 学生時代の私は、幾何学の授業で最初に習うピタゴラスの定理の中にある、シンプルだが説得力のある論理に強く魅了された。そしてマネジャーとしての最初のレッスンも、ピタゴラスから教わった。「“イエス”と“ノー”という最も古く短い2つの言葉こそ、最も深い思慮を必要とする言葉である」――深い英知が宿るこの格言を、今でも忘れていない。

 多くの人が、「ノー」と正しく言うのに苦労した経験があるのではないだろうか。私たちリーダーは、否定的な発言によって人々のやる気や自信を損ねたり、取り組みに水を差したりしないよう気をつけなくてはいけないと学んできた。

 しかし私たちは多くの場合、「イエス」もまた、言い方によっては同じ悲惨な結果をもたらすということを忘れてしまいがちである。次の3つの例を見ていただきたい。

「はい、わかっています〜」(Yes, I know...)

 子どもはこう言うことで、自分があたかも大人になったような気になる。しかしマネジャーがこのフレーズを発すると、相手に「私は全部わかっているから、あなたの意見はいらない」というメッセージが伝わることになる。こうなると間違いなく、同僚の知恵を得ることができなくなってしまう。

 私は反対に、「いいえ、わかりません」と答えるようにしている。このフレーズは、参加型の組織文化を構築するうえで驚くほど有効である。

「イエスでもあり、ノーでもあります〜」(Well, yes ― and no...)

 このフレーズは一見バランスの取れた受け応えであるように見えるが、ほとんどの場合、曖昧な返答として受け取られてしまう。リーダーは、自己主張が強くてポジティブな人物という印象を相手に与えなくてはならない。リーダーシップ開発コンサルタントのスコット・エディンガーは、最近のブログで自己主張を次のように肯定している。「自己主張が強いことが、素晴らしい特性というわけではない。自己主張をすることで、他の多くのリーダーシップ能力も強調できるのだ」(HBRの英文ブログはこちら)。

 私もこれにまったく同感である。自己主張は――強引であることとは大きく異なり――「はい」と「いいえ」を交互に言う曖昧なマネジャーへの処方箋となる。

「そのとおりですが、しかしながら〜」(Yes, but...)

 私の辞書では、これはうまくいっていない状況への言い訳をいくつか用意してきた人物が使うフレーズである。

 HCLのCEOに就いて間もない頃、私が大きな変更を提案するたびに、「そのとおりですが、しかしながら〜」と言うマネジャーが数名いた。彼らは新しいアイデアに常に反対し、うまくいかないであろう理由をいくつも並べ立てる。このタイプの人々はイノベーションを妨げ、現状を変えるリスクを取ろうとせず、同僚が提案する解決策を信用しない。

 これら3つのフレーズは、「イエス」を上手に言うための技術ではなく、今日のリーダーシップに蔓延する優柔不断な態度を象徴するものである。あなたもそう思うだろうか?


HBR.net原文:How Not to Say Yes September 21, 2012

http://www.dhbr.net/articles/-/1743

 


 
【第5回】 2013年4月25日 三浦由紀江
【第5回】
心の底から仕事が楽しめ、
心が楽になる三浦式・心のスイッチ切り替え術
第190回NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」(2012年8月20日放送)でも取り上げられたカリスマ駅弁販売営業所長の三浦由紀江氏。なんと、110人のパート・アルバイトを束ね、所長就任4年で売上を1億1000万円アップさせたという。しかも4年目は東日本大震災があった。東北新幹線という大動脈を命綱にする大宮駅の駅弁販売がメインだけにこの痛手はあまりにも大きい。だが、この逆境にもめげずに、1本370円のミネラルウォーター「はやぶさウォーター」を“復興の旗印”と自ら考案。震災後の売上4割減のピンチを救う起死回生の一打になった。
このたび、『時給800円から年商10億円のカリスマ所長になった28の言葉』を刊行した三浦氏に、心の底から仕事を楽しみ、心が楽になる秘訣を聞いた。

気分よく売店に立つために、どうしても必要なこと

 私にはパートで働いていたときから、職場の雰囲気をよくしたいという気持ちがありました。
 ですから、早朝5時半に売店に行くときも、「今日はどうやってドアを開けようかな」といつも考えていました。

 事務所内で一生懸命お弁当を並べている配送のスタッフを、どうやって笑わせるかばかり考えていました。
 早朝4時半に出社し、眠い目をこすりながら仕事をしている配送スタッフも、ちょっとだけ笑うことでテンションが上がるでしょう。
 ですから「ハロー、ダーリン!」とか、「ハロー、ボーイズ!」と言いながら入っていったり、まだ開いていないシャッターをドンドン叩いて、「お弁当ちょうだい!」と言ってみたりと、いろいろ考えました。

 しょっちゅうそんなことばかりしていたので、普通に「おはよう」と入っていくと、「今日は三浦さん、機嫌が悪いの?」と聞かれました。

 もちろん機嫌が悪いわけではなく、たまたまその日はネタを思いつかなかっただけです。毎日違うネタを考えるのは、意外と大変なのです。

こうしてみんなを笑わせて職場の雰囲気を盛り上げ、自分も気分よく売店に立てるように工夫していたのです。

 ですから、せっかく上げたテンションを下げるような会話をする人には本当にムカッときました。
 こちらが挨拶したとき、「三浦さん、朝からご苦労さま。コーヒーを飲んでからいきなさいよ」という気遣いを見せてくれる人もいます。

 そこまで言ってくれなくても、ニッコリ笑って、「いってらっしゃい。稼いできてね!」とひと声かけてくれればいいのです。

 一方で、挨拶をしても下を向いたまま「ああ」としか言わない人もいます。
 そういう人には本当に腹が立って、必ず文句を言っていました。

 私が管理職になり、あるパートから、「朝、すごく機嫌の悪い営業さんがいて、私たちはいつもこっそり売店に出ていくんです」という話を聞いたときには、その営業スタッフを「こらぁ!」と一喝しました。

「パートさんに気分よく仕事してもらえるように、あなたが気遣うんでしょう?たった5分でいいからニッコリ笑いなさい。そして『いってらっしゃい。眠いなかありがとうね』と言って、販売スタッフを売店に送り出してから寝ればいいでしょう」

 もちろん、彼が眠いのはわかります。
 深夜1時頃まで作業をしてから仮眠を取り、早朝4時半に起きるのですから、眠いのは当然です。

 それでも朝5時半、6時から売店に立ち、お客様の相手をする販売スタッフのテンションを下げてはいけないのです。

 ほんの5分間ニッコリ笑って、販売スタッフのテンションを上げて送り出さなければ、それは営業としての仕事をきちんとやっていないということにほかなりません。

 とにかく職場の雰囲気づくりを徹底し、パートやアルバイトが元気よく笑顔でお客様の前に立てるようにすること、そして楽しく働ける環境をつくることこそ、社員の役割なのです。

笑っていると、脳が楽しく感じる

「仕事は楽しく」が私のモットーですが、楽しくないときだってあります。
 そんなときは、「全然楽しくない!」と叫んで笑ってみます。
 昔は「笑い袋」というおもちゃがありました。
 布製の袋のなかの機械のボタンをギュッと押すと、袋がいきなり「ワッハッハ」と笑い出すのです。

 最初は「何これ?」という感じですが、袋は1分近くも笑い続けるので、そのうちになぜかおかしい気持ちになり、まわりの人もみんな一緒になって笑ってしまうのです。

 私は専門家ではありませんが、人間の脳には「笑っていると脳が楽しく感じる」という仕組みがあると聞いたことがあります。

 笑うことによって心を楽しくする脳内物質のセラトニンやドーパミンが分泌され、脳が「楽しい」と勘違いすると言います。
「笑う門には福きたる」ということわざのとおり、毎日笑ってすごすほうが、楽しく幸せな人生を送れるわけです。
 ですから、仕事が楽しくないとき、落ち込んだときにはだまされたと思って笑ってみてください。

嫌なことがあったら「嫌なことばっかりだね」と笑う

 男性のなかには「そんなときに笑うなんてふざけている」「辛くたっていつもどおり仕事をこなすのがプロというものだ」と、拒否反応を示す人がけっこういます。

 でも、人間は感情を持った生き物であり、ロボットのように淡々と仕事ができるわけではありません。
 笑うことで気持ちがポジティブになり、自分が楽になるのなら、堂々と笑えばいいのです。

 以前、ある方の講演に行ったとき、
「仕事というのは大変なのが当たり前だ。仕事を楽しくしようと言う人が最近多いが、その考え方は大間違いであり、楽しい仕事なんかあるわけない」
 という持論を展開していました。
 私とは正反対の考え方ですが、間違っているとは思いません。
仕事が楽しいとは思わないけれど、家族のためにがんばっている人はたくさんいるでしょう。
 そうやって嫌なことを我慢しながら仕事をすることを否定する気持ちはありません。
 私だって仕事をしていると嫌な思いをすることはたくさんあります。

 でも私は、ネガティブな気持ちを抱え、「楽しくない」と思いながら仕事をすると疲れてしまうので、嫌なことは我慢しません。
 そう思っていたら、嫌なことがあったら自然と「嫌なことばっかりだね」と笑ってしまうようになりました。
 嫌なことは笑い飛ばしたほうが楽になるし、気持ちも前向きになれます。
 笑って前向きな気持ちになると、本質も見えてきます。

「どうして私ばっかりこんな思いをしなくてはいけないの」と思っていたときには見えなかった自分の反省点に気づき、「今後、2度と同じ失敗を繰り返すものか」とステップアップできるわけです。
 そうなれば、心から「いい勉強をさせてもらったね」と笑えるようになります。

 笑って心のスイッチを切り替える技術を身につけると、どんなに大変でも、どんなに嫌なことがあっても、どんなに理不尽なことがあっても、その状況を楽しめるようになるのです。
 これができると、本当に気持ちが楽になります。
 笑いがもたらしてくれる効果は絶大なのです。
 ですから、だまされたと思って、「笑い袋」と一緒に笑ってみてはどうでしょう。

三浦流グチのこぼし方、3つのルール

「グチを言ってはいけない」と思っている人が意外と多いと思います。
 でも、嫌なことをすべて自分の心のうちにしまって感情を整理できるのは、よほどの人格者だけです。
 私は、「嫌だ」「腹が立つ」という感情を自分のなかで消化できずに悶々とするくらいなら、グチを言ってスッキリしたほうが健康的だと考えています。
 ただし、グチを言うときには私のルールがあります。
 1つ目は、外に漏れない相手にだけグチる。
 2つ目は、グチを言うのは3分間と決める。
 3つ目は、笑いながら話す。

 たとえおかしくなくても、最後には必ず「おかしくて笑っちゃうよね。ハハハ」と言います。
 無理でも「ハハハ」と言えば、なんとなくおかしくなってきます。
 すると、つまらないことで悩んでいる必要はない、なんとかなるだろうというポジティブな気持ちになってくるのです。

次回は4月26日更新予定です。

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第190回NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で大反響!110人のパート・アルバイトを即戦力化する秘密!44歳で時給800円、52歳で正社員、53歳で大宮営業所長となり、就任4年で売上を1億1000万円アップさせた28の言葉。ギクシャクした人間関係修復のコツ、部下を動かす言葉、1%の偶然をチャンスに変える方法、モンスタークレーマーをファンにする言葉、使えるパート・アルバイトの採用法まで一挙公開!心の底から仕事が楽しめ、心が楽になる三浦語録が満載。ぜひ一度ご堪能ください。

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三浦由紀江(みうら・ゆきえ)
JR東日本グループの株式会社日本レストランエンタプライズ(NRE、旧・日本食堂)弁当営業部上野営業支店前大宮営業所長。現・上野営業支店セールスアドバイザー。97年、44歳時にJR上野駅の駅弁販売を開始。当時の時給は800円。52歳で正社員となり、53歳時に異例の抜擢で大宮営業所長となる。就任1年目で駅弁売上を5000万円アップさせ、年商10億円超を達成。以降、所長就任4年で売上を1億1000万円アップさせる。大宮駅限定のカリスマ駅弁を20種産み出すかたわら、9人の社員と110名のパート・アルバイトを束ね、6店舗を切り盛りするカリスマ営業所長として活躍。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」、TBS「応援!日本経済 がっちりマンデー!!」でも紹介された。
http://diamond.jp/articles/print/34527

 


【第4回】 2013年4月25日 潮凪 洋介
しっかり迷った経験が、
大きな自信に育っていく
知識でも、ノウハウでもなく、大切なのは「自信」。
19歳で起業。成功と失敗を繰り返し、2回目の脱サラ後、32歳で5000万円の借金を背負った著者が、どん底状態から、人生を大逆転させた行動力の秘密を語る。根拠がなくても、実績がなくても、やる気を生み、恐怖心を消し去る「強い心」のつくり方

自信のある人ほど、
「迷いの期間」が長かった

 今まで多くの「自信あふれる人」と出会ってきた。彼らの多くはすがすがしい空気をまとい、みなはつらつとしていた。

 彼らが自信に満ちているのは社会的な成功者だからか?
 それとも年収が高いからか?
 あるいは見た目が美しいからか?
 もしくは学歴か?

 しかし「この人は自信ありげだな」という人でも、必ずしも肩書、収入、学歴などがよいわけではなかった。何人かの人に「あなたは昔から、毎日イキイキと、魅力的な存在感を出しておられたんですか?」と尋ねてみた。

 この質問に対し、多くの人が首を横に振る。ほとんどの人が悩み、右往左往した過去を持っていたのだ。しかも普通の人よりも「迷いの期間」が圧倒的に長い。

 20代のうちに転職を3回も4回も繰り返した人。
 自分探しのために、自宅暮らしのフリーターをしていた人。
 20代でリストラにあった人。

 なぜか「不安定な過去」を過ごしてきた人が多かった。

きちんと迷い、
一番を選ぼう!

 実はこの「十分すぎるほどの不安定期」の中にこそ、彼らの自信あふれる態度の秘密があった。

 彼らがふらふらしているように見えたのは、じっくりと、一番自分にしっくりくる生き方を妥協なしに探し続けていたからなのだ。そしてとうとう最後に「これならいける!」というベストフィットな生き方と出会ったのである。

 多くの選択肢の中から納得いくまで取捨選択を繰り返し、きちんと迷い、一番を選んだ。だから彼らは自信に満ちている。

 自信に満ちた生き方をしたければ、彼らのように「きちんと迷う」ことだ。たくさんの選択肢を実体験してみよう。少ない選択肢から生き方を決めるのは危うい。たまたま目の前に転がり込んだこと、それが本当の生き方である可能性は低い。

 確信を持って「しっくり」な生き方と出会った人。そういう人は収入、肩書、学歴、キャリアなどに関係なく「圧倒的な自信」に満ちあふれる。少ない選択肢の中から生き方を決めた人は、何となく自分に自信が持てない。いつも「これでいいのか?」と自分を疑いながら生き続ける。

「納得いくまでしっかり悩む」。
その経験が自信を育てる

 ある30代の男性がいた。明るくてファッションセンスもよく、いつも全体に目を配り、人の輪を広げることが好き。パーティーなどに行っても、誰とでも堂々と楽しく会話を楽しめる。自信に満ちあふれているのだ。

 しかし彼は過去に高校を中退している。工事現場からコンビニまで、さまざまなバイトを転々とし、進むべき道についておおいに悩んだという。あっちにふらふら、こっちにふらふらとしているように見えて、親にもだいぶ心配をかけたという。

 やがて高校卒業資格を自力でとり、一般の会社に就職。しかしそこもすぐに辞めることになる。そして最後に「これだ!」と思えたのがイベントや展示会の舞台設計や設置の仕事だった。その道に入ってからすでに10年がたつ。個人事業主ながら、たくさんの外部スタッフとパートナーシップを組み、豊かなビジネスライフを楽しんでいる。

「しっくり」が見つかるまでは、ああでもない、こうでもないを繰り返そう。納得がいくまでしっかり悩んだ経験が、やがて大きな自信に育っていく。

 本当の自分の生き方に出会えたとき、ゆるぎない本当の自信が身につくだろう。

(次回連載は、4月26日の予定です)

第41回ダイヤモンド著者セミナー
『折れない自信をつくる48の習慣』
著者・潮凪洋介氏による無料ワークショップを開催!
日 時 : 2013年5月24日(金)
時 刻 : 19時開演(18時30分開場) 20時30分終了予定
会 場 : 東京 ダイヤモンド社 本社ビル9階セミナールーム
住 所 : 東京都渋谷区神宮前6−12−17
料 金 : 入場無料(事前登録制)
定 員 : 30名(先着順)
主 催 : ダイヤモンド社
お問い合わせ先: ダイヤモンド社書籍編集局
TEL : 03-5778-7294(担当中島)
E-mail:pbseminar@diamond.co.jp
http://diamond.jp/articles/print/35139

 


 
【第8回】 2013年4月25日 坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
大量生産の世紀を実現させた手法!
小説化もされた「マネジメントの原点」
『新訳 科学的管理法――マネジメントの原点』
ダイヤモンド社では経営書、中でもマネジメントに関する書籍を多く取り扱っています。最近では、先年ベストセラーとなった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の影響もあり、「マネジメント=ドラッカー」というイメージもありますが、そのドラッカーをして”マネジメントのルーツ”と言わしめる人物がいました。今回紹介するのは、その人、フレデリック W. テイラーによる歴史的な1冊です。

フォード社の大量生産方式を生んだ
科学的管理法

 本書『新訳 科学的管理法――マネジメントの原点』は2009年の出版ですが、原著は1911年に出ています。なんと100年以上前の本です。まさに「マネジメントの原点」。


『新訳 科学的管理法』
フレデリック W. テイラー著 有賀裕子訳、2009年11月刊行。歴史的名著の香り漂う落ち着いた装丁に仕上がっています。
 著者のフレデリック・テイラー(1853−1915)は、ハーバード大学に進学後、病気で中退し、工員見習いとして就業します。それからは働きながら、作業の効率化から生産計画の立案まで独学で考案していました。やがて経営幹部に認められ、のちに機械工学の修士号を取得し、53歳で米国機械学会会長まで上り詰めた人です。「マネジメントの原点」を作り上げた人物として知られています。

 テイラーは作業の標準化、用具の標準化、時間管理の標準化を定式化し、効率的な分業による労働時間の短縮と生産性の向上を実現しました。

 1903年に創業したフォードはテイラーの科学的管理法を導入し、8時間労働制を取り入れ、コスト管理を徹底した大量生産方式を完成させます。科学的管理法による大量生産をテイラー・システム、あるいはフォード・システムともいいます。

 以上は経済学の教科書にも出てくる基礎知識ですが、実際にテイラーはどのように書いていたのか、本書のこなれた日本語によってようやく理解できるようになりました。

 テイラー・システムについては、当時米国の労働組合が大反対運動を展開したように、冷酷な資本家による徹底的な労務管理術のように思われていたこともありました。ところが、本書を一読すれば印象はガラリと変わります。意外なことに、細密な人間観察によって労働者に適切な職場環境を与えるようにしていたのです。

雇用主に繁栄、働き手に豊かさ
マネジメントによる「組織のイノベーション」

「マネジメント」の目的について、テイラーはまずこのように書いています。ここがいちばんのポイントでしょう。

 マネジメントの目的は何より、雇用主に「限りない繁栄」をもたらし、併せて、働き手に「最大限の豊かさ」を届けることであるべきだ。
「限りない繁栄」という表現は広い意味に用いている。単に大きな利益や大きな配当を指すのではなく、あらゆる事業を最高水準にまで引き上げ、繁栄が途絶えないようにすることだ。
 同じく、働き手に最大限の豊かさを届けるとは、相場よりも高い賃金を支払うだけでなく、より重要な意味合いを持つ。各人の仕事の効率を最大限に高めて、月並みな表現ではあるが、可能性の限りを尽くした最高の仕事ができるようにする。さらに、事情が許せば、そのような仕事を実際に与えることである。(10ページ)

 本書ではあからさまに書いていませんが、「したがって労働組合は不要である」とテイラーは主張します。労組と対立したのはそのためでした。

 テイラーは勤務先のベツヘレム・スチールで実際に次のような観察を残しています。本書の記述をもとに要約すると、

 当時、銑鉄運びの1日一人当たり作業量は12.5トンだった。8人の作業者のうち、47.5トンを運ぶ頑健な労働者は一人だった。つまり8分の1である。そこで、他の職場から最適な体格の労働者を7人集めた。労働者は数千人いたので簡単にピックアップできた。次に不適格だった7人を適切な他の職場に回し、全体が効率化した。適職を探し、訓練してそれまでより高い賃金を得ることが可能になった。一方、マネジャーは絶えず観察し、サポートする。作業を効率化して生産を増やした作業者に賃金を上乗せする。こうしてマネジャーも労働者もそれぞれ仕事を分担し、効率化はさらに進むことになる。(72〜75ページ、筆者要約)


カバーのソデ部分にはドラッカーのテイラー評が。
[画像を拡大する]
 このような改善を積み重ねて生産性を上げ、収益率を向上させ、「最大限の豊かさ」を追求したのです。本書は大量生産時代初期、そしてマネジメント初期の重要なテキストであります。

 これは画期的な「組織のイノベーション」でした。イノベーションといえば、ヨゼフ・シュンペーター(1883−1950)が考案した資本主義を駆動するコンセプトです。当時オーストリア帝国のグラーツ大学教授だったシュンペーターは、1913/14年冬学期から14年夏学期まで、ニューヨークのコロンビア大学に招聘され、交換教授として滞在しました。

 アメリカの1910年代前半は機械工業の進展とテイラー・システムによって自動車産業が成長し、資本が蓄積され、人口は急増して経済力が増大する時期でした。シュンペーター流にいえば、革新的な企業家がイノベーションを起こしていた時期です。ウキウキして米国経済の活況を観察したに違いありません。そして帰国後はイノベーション論に磨きをかけ、『経済発展の理論』第2版(1926)を書き上げたのです。

邦訳書と同時期に出た小説
『無益の手数を省く秘訣』

 テイラー『科学的管理法』(The Principles Of Scientific Management)の邦訳書は1913年に初めて出版され、今日まで断続的に出版各社から出ています。ダイヤモンド社版の本書はもっとも新しい翻訳書の一つです。

 初の邦訳書は1913年に出ていると書きましたが、概要が紹介されたのはその2年前でした。テイラーによる原著出版は1911年初頭ですが、なんと3月には日本で紹介されています。これは安成貞雄(1885−1929)による「科学的操業管理法を案出」という論文で、「実業之世界」1913年3月15日号に掲載されています。

 また、同じ1911年には池田藤四郎(1872−1929)が「東京魁新聞」に「無益の手数を省く秘訣」を連載し、「科学的管理法」を紹介しています。連載はまとめられ、1913年に出版されました。原著邦訳書の出版と同時期だったようです。『無益の手数を省く秘訣』は創業2年目のダイヤモンド社から1914年10月に「代理販売」されています。これはダイヤモンド社の記録にありました。

 池田藤四郎はダイヤモンド社の名づけ親です。ダイヤモンド社の歴史は石山賢吉(1882−1964)が1913(大正2)年5月に「経済雑誌ダイヤモンド」を創刊して始まります。池田が石山に「小さくとも光るダイヤモンドという名称がいい」と言ったのだそうです。石山は「それはいい」と、雑誌名と社名を「ダイヤモンド」にしました。

 創刊の前年まで、池田と石山は同じ会社に続けて勤務していました。実業乃世界社と日本新聞社です。安成貞雄も実業乃世界社に勤務したことがあり、3人は同じ雑誌を編集していた同人でした。

 池田と安成は語学の達人として知られ、欧米の書物を入手して知識を涵養していました。『科学的管理法』も二人同時に入手し、すぐに紹介する価値があると踏んだのでしょう。あるいは、テイラーが学術雑誌に書いていた論文をすでに読んでいたのかもしれません。

 安成貞雄は社会主義者として知られ、文学から社会科学まで幅の広い論説記事を創刊後の「ダイヤモンド」にも時おり書いていました。一方、池田藤四郎は「ダイヤモンド」へほぼ毎号寄稿し、マネジメントの普及と紹介に集中しています。


『無益な手数を省く秘訣』の本文。現物を見ることはできず、複製されたものを図書館から借りて来ました。
[画像を拡大する]
 池田藤四郎の『無益の手数を省く秘訣』は1914年にダイヤモンド社が「代理販売」すると、翌年には実業乃世界社から発売されています。さらにその後も数社から順次発売され、10年以上にわたって累計で150万部から200万部売れたといわれています。たいへんなベストセラーです。どうして出版社を変えていったのかはわかりません。彼の最後の著作(1930年)もダイヤモンド社から出ているので、亡くなる直前まで石山賢吉と親しかったことは間違いありません。

 原著の邦訳書がそれほど売れたという記録はないので、『無益の手数を省く秘訣』のほうが読者になじみやすかったのでしょう。どうしてでしょうか。

『無益の手数を省く秘訣』は「14歳の太郎君」が工員になるところから始まる小説だったのです。

よりわかりやすく、多くの人へ
大ベストセラーの共通点

 物語は、父親が突如抱えた負債により、旧制中学、大学を志していた太郎君が、14歳にして町工場の工員になるところから始まります。もともと向学心旺盛な彼が「いかに仕事を効率良くこなすか」を研究し、その実績が認められて一工程全部、工場全部の効率化にとりかかることになり、そこで得た資金を元に学業にも復帰。そして工場ひいては企業の最適化のための調査を行う調査技師(コンサルタント)として独立し成功していく……という内容です。

 P.F.ドラッカーの主著『マネジメント〔エッセンシャル版〕』(ダイヤモンド社、2001)をかみくだき、女子高校生を主人公にした青春小説に仕立てた『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎夏海、ダイヤモンド社、2009)を思い出しますね。


『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
岩崎夏海著、2009年12月刊行。内容とともに、ビジネス書らしからぬ装丁も話題になりました。
「組織」「マーケティング」「イノベーション」といったドラッカーのコンセプトを弱小野球部の再建と成長のために活用していく『もしドラ』は、中学生から企業のマネジメント層まで多くの読者を獲得し、270万部という大部数を獲得しています。

 20世紀初頭のダイヤモンド社と100年後のダイヤモンド社で同じスタイルの経営書が出ていたのでした。池田藤四郎も、物語に仕立て直して青少年から経営層まで科学的管理法を普及させたいと考えたのでしょう。

 もう一人の紹介者、安成貞雄は社会主義者としても当時有名な存在だったと書きました。語学が得意で、雑誌「実業之世界」では「誤訳」というコラムで、有名な作家や学者の誤訳を徹底的にこきおろしていたそうです。

 その安成が資本主義の総本山、米国のテイラー・システムを称揚しつつ紹介しているのは不思議でした。

 しかし、テイラーが「マネジメントの目的は何より、雇用主に『限りない繁栄』をもたらし、併せて、働き手に『最大限の豊かさ』を届けることであるべきだ」と断言しているのを読んで腑に落ちました。テイラーの言葉は、皮肉屋の安成貞雄の心にも響いたのでしょう。

≪参考文献≫
・有田数士「わが国における科学的管理法小説風紹介者の事歴――池田藤四郎について」(「岩国短期大学紀要」第36号、2008)
・石山賢吉『回顧七十年』(ダイヤモンド社、1958)

次回は5月9日更新予定です。

◇今回の書籍 11/100冊目
『新訳 科学的管理法』


製造業の現場に近代化をもたらし、マネジメントの概念を確立したことで“マネジメントの父”とされるフレデリック・テイラーの代表的な著作。マネジメントにかかわるビジネスパーソンの必読書。

フレデリック W. テイラー 著
有賀裕子 訳

定価(税込)1,680円

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◇今回の書籍 12/100冊目
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』


敏腕マネージャーと野球部の仲間たちが甲子園を目指して奮闘する青春小説。これまでのドラッカー読者だけでなく、高校生や大学生、そして若手ビジネスパーソンなど多くの人に読んでほしい一冊。


岩崎夏海 著

定価(税込)1,680円

http://diamond.jp/articles/print/35092
 


 


意思決定の本質はリーダーではなく組織力

スタンフォード大学 アイゼンハート教授の論文を読む【2】

2013年4月25日(木)  清水 勝彦

前回に続いて取り上げるのは――Making fast strategic decisions in high-velocity environments(変化の激しい業界でスピーディーな戦略意思決定を行う)
Katheleen M. Eisenhardt(1989年 Academy of Management Journal)
対立意見がないほうが早い意思決定が行うことができると思われているが、実際は対立意見を出し、それをうまく解決する企業ほど意思決定が早い。
 アイゼンハート教授の論文には組織内のポリティクスを扱ったものもあり、その意味で同じ組織といえども、いろいろな利害の対立、駆け引きがあることは百も承知です。当然ですが、そうした対立があればあるほど、意思決定のスピードは遅れそうです。

 ここでXとX’の違いは何でしょうか? そうです、「対立がない」ということと「対立意見を言わない」ということはXとX’どころかXとZくらい全く違うということです。「対立意見が出ない」ということは、「対立がない」からかもしれませんが、おそらく世界中の企業の99%は「対立意見を言わない」「対立を隠す」からではないでしょうか?

 したがって、「対立があるかどうか」は、実は意思決定のスピードとはほとんど関係ないのです。時々「意見の対立があるから決まらない」と嘆く経営者の方がいらっしゃいますが、それは「顧客がわがままだ」と言って嘆くのと同じです。組織には対立が必ずありますし、顧客はわがままなものに決まっています。それを言い訳にするのは、手が使えないからサッカーの試合に負けたというのと同じです。

 話が少しそれましたが、意思決定の早い企業はほとんど次のステップを取っているとアイゼンハート教授は指摘します。(1)すべての関係者の意見を出したうえでコンセンサスを得ようとする、(2)もし得られない場合は、すべての人々の意見を踏まえたうえでCEOあるいは担当役員が決定する。柴田昌治氏の名作『会社はなぜ変われないか』で、「衆知を集めて1人で決める」という言葉があったことを思い出します。

 一方で、意思決定の遅い企業はコンセンサスが「生まれるのを待っている」ケースが多いのです。そもそも意見が違うからコンセンサスが得られないのに、待っていても何も起こらないのが普通です。結果として、多くの場合「締め切り」、例えば決算発表だとか、社長交代だとか、に押されて「仕方なく」決めているのです。

 面白いことに、私が博士課程で調べた「意思変更」については、この「締め切り」「関係ない外部的イベント」が大きな役割を果たしていることが分かっています。例えば、買収した企業の業績が悪いから失敗だとして売却する、というのは一見もっともなのですが、1回赤字になったらすぐ売却するという企業はほとんどありません。「今期は特殊だ」「統合が進んだら黒字になる」などと考えるからです。その赤字が、2期、3期と続いた場合、いったい「いつ」売却を決めるか? 私の研究では「CEOの交代」「新任外部取締役の参加」「業績悪化のスピード」などが買収企業の業績悪化とあいまった時に、売却の比率が大きく上昇することが統計的に証明できています(注3)。

(注3)Shimizu, K, & Hitt, M.A. 2005. What constraints or facilitates divestitures of formerly acquired firms? The effects of organizational inertia. Journal of Management, 31: 50-72.
 すべての関係者を巻き込んだら、意見が対立して収拾がつかなくならないのでしょうか? これに対するアイゼンハート教授の考えは次の2つです。そもそも、「締め切り」を待っていたら意思決定が遅れるのは当然である。そして、もう1つ面白いのは、「役員連中は自分で決めないでいいのならいろいろな意見を言う」ということです。つまり意思決定には参加したい、でも自分が本当に関係あること自体は自分が決定するのはいやだという思いを、アメリカでも役員は思っているのです。

 いろいろな意見を言わせ、そのうえでCEOなり担当役員が決定をすることは、さまざまな角度から論点を議論できるだけでなく、役員の「参加感」を十分満たすこともできるのです。実際、心理学の研究では「自分の意見が通らなくても、意思決定に参加をしたという意識がある社員は、決定の実行により積極的に関与する」ことが明らかになっています。

重要な意思決定を1つひとつ行ったほうが早い意思決定ができると思われているが、実際は大小複数の意思決定を関連させている企業ほど意思決定が早い。
 「重要な案件を絞って、その決定に集中すること」「枝葉のことは、幹が決まってから考えればよい」ということで、重要な意思決定を1つずつやっていったほうがよさそうなものですが、アイゼンハート教授はまたもそうした「なんとなく正しいと思っている前提(weakly held assumption)」が間違いだといいます。意思決定する重要な案件ばかりか、細かな戦術的な案件も考慮に入れたほうがより早い意思決定ができるのだというのです。

 そう言われると本当かという感じですが、次のような実例を聞くと「はっ」とされる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

オムニコン(仮名)の役員たちは、具体的にどのような戦略にするのかも考えず、戦略の変更が必要かどうかだけを1年かけて議論した。変更が決まった後、新たな戦略をさらに6カ月かけて立案した。しかし、戦略ができた時にはまだ、どのような商品を具体的に開発し、どのように実行していくかはまだ白紙のままだった。

 複数の案件を同時並行的に、関連付けながら意思決定することのメリットはいくつもあります。1つは、いろいろな角度から案件を検討できること。さらに、実行という具体的な視点を持ち込むことで、できるかどうかのあいまいさが減ることです。前回述べた「自信」という点ともかかわってきます。そうした関連付けがないと、「重要な意思決定」は往々にして「抽象的な意思決定」になってしまい、議論や解釈がどうしてもあいまいになってコンセンサスが取りにくくなりますし、仮に取れても実際の実行で躓く、あるいはさらに時間が必要になることが多いのです。

意思決定スピードと業績

 本論文で唯一、あまり“That’s interesting!”でないのが最後の結論です。意思決定の早い企業は業績がよく、遅い企業は業績が悪いというのです。デービスの言葉を借りると“That’s obvious”ということになります。ただし、その理由は「環境変化が速いから」という表層的な理解で終わってはなりません。

 まず大切な理由は学習です。既に「情報を集めて決断する」のと同じかそれ以上に「情報を集めるために決断する」ことが大切であることを指摘しましたが、不確定な環境下では早く決定し、その結果を次のより良い決定につなげていくほうが、一生懸命情報だけ集めて考え込んでいるよりもはるかに良いということです。そして、もう1つの理由としてあげられているのは、よく言われるように「チャンスの女神に後ろ髪はない」ということ、つまり環境変化の激しい中でタイミングが一層大切だということです。

日本企業への示唆

 この論文が発表されたのは今から24年前です。実際、Academy of Management Journalにアクセプトされる場合、一発ですべてOKということはなく、レビュー(査読)をする審査員が一度コメントをして差し戻しているはずですし、アクセプトしてから若干のタイムラグもあるので、論文自体に実際にインタビューをした時期などは書いてありませんが、おそらく25年前くらいだと考えてよいでしょう。

 そのころから「意思決定のスピード」に対する問題意識はこれほど高かったのです。最近では日本でもスピードの重要性が指摘されるようになりましたが、それでも、例えばシンガポールや上海で現地駐在の方と話すと「華僑のスピードは日本の3倍速だ」「いや10倍速だ」などとびっくりするような話がいくらでも出てきます。日本企業が日本の本社にお伺いを立てているうちに、競合となる海外企業ではどんどん話が決まってしまうとすれば、日本企業はチャンスに乗り遅れるでしょうし、仮に決定が失敗に終わっても得られる「学習」も得られることはありません。つまり、差がつくばかりだということです。

 おそらく日本の経営者の多くは、どこかで「スピードに対する概念」と「正確さに対する概念」を見直さなくてはいけないのだと思います。電車の時間の正確さ、工業製品の品質の高さに代表される「緻密さ」を求める文化は、環境と目的がはっきりしていればものすごい力を発揮できます。しかし、環境が不確実でどんどん変わるし、技術も競合もどうなるかわからないといった時、「正確さ」を求めてもそれは「ムービングターゲット」でしかありません。

 つまり、ターゲットがどんどん変わるので、ターゲットをまずとらえて取り組もうという姿勢では、いつまでたっても決まらないし、事は起こせないのです。早く始めて、早く失敗すれば傷も浅くて済みます。正確さを求めることは、往々にして決定の先延ばしにつながり、さらに世の中に遅れて乾坤一擲の投資をして失敗した時の痛手の大きさはプラズマテレビの例がよく示しています。

 そうだ、そうだ。だから日本の経営者は変わらなくてはならない。正確さよりもスピード重視だ! よく聞くそういう話の行き着く先は「胆力のあるリーダー」「失敗を恐れないリーダー」ということで、スーパーリーダー願望です。そういうカリスマリーダーが現れればすごいのですが、実はもっと基本的で、スーパーリーダーでなくてもできるより大切なことが2つあります。

 1つは「タイミングの感覚」を磨くことです。確かにスピードは大切ですが、必ずしも常に早いほうがよいわけではありません。ジム・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー4』でも「早く行動しすぎるとときにリスクが高まる。遅く行動しすぎてもときにリスクが高まる」と指摘し、次のような経営者の言葉をあげています。

「確かに、不確実性を取り除きたいと願うのは人間の習性だ。でも、そう願うことで早急に判断を下してしまうこともある。時として早過ぎることも。…だから、状況を見守る時間があるならばそうする。何が起きているのかもっとはっきりするのを待てばいい。もちろん、その時が来たら一気呵成に行動できなければ ならない」

 ソフトバンクの孫正義氏もトップダウンで「ずばずば」決めそうに見えるのですが実は「本当に決めなくてはならなくなるまで決めない」と聞いたことがあります。

 そしてもう1つ同じかそれ以上に重要なことは「準備をしておくこと」です。「先ほどから環境変化が激しい、不確定だと言っておいて、準備などできるわけないじゃないか」と思う方もいらっしゃるかもしれません。おっしゃる通りです。「完璧な準備」など決してできません。しかし、「準備」をすることはできます。

 例えば、M&Aでいえば、ある魅力的な会社が売りに出ると、なかなか踏み切れずにせっかくのチャンスを見送ってしまうか、あるいは「競合が買うかもしれない」などと投資銀行にせかされて、勝算もないまま高値で買ってしまうかのどちらかが多いのではないでしょうか。

 しかし、事業を考えた時、グローバルで勝ち残るためには何が必要かはある程度分かるはずです。それは、中核技術かもしれないし、流通網かもしれません。そうした中長期的な戦略の考え、つまり「準備」があった時、ある会社が売りに出れば、それが自社にとって必要なピースかどうかは迅速に判断できるはずです(買収価格のネゴシエーションなどはまた別にあります)。そうした「準備」なしに、「〇〇会社が売りに出るらしい、どうしよう」と考えていても、迅速でよい意思決定ができるわけはありません。もっと積極的に「世界のモーター関連会社を視野に入れ買収候補をリストアップし、タイミングを見ながら当社からアプローチする」とおっしゃるのは日本電産の永守重信社長です(日本経済新聞、2013年3月1日)。

 「意思決定」という点では中身、スピードが取り上げられ、早い、遅い、良い悪いが議論の俎上に上がりますが、もっとその背景には大切なものがあることが分かります。その1つ目が、「タイミングの感覚」であり、「準備」です。さらそのベースには、「タイミングの感覚」「準備」が大切であるという組織としての姿勢、文化が必要とされるのではないかと思います。それが意思決定という視点から見た、「組織力」ではないでしょうか。

 そう考えてみると、先述のようにリーダー個人の資質としてとらえられることの多い意思決定も、実は組織の問題であることが分かります。つまり、その組織は意思決定に関してどのようなリーダーを欲しているかということです。「バランス感覚がある」「人望がある」そうした言葉が新任社長の紹介にはよく見られます。もちろんそうした美質はあったに越したことはありません。しかし、それらは意思決定に必要な資質ではありません。元早稲田ラグビー部の清宮克幸氏が、初めて監督に就任した時に選手に早稲田の強みを書いてほしいと言ったら、「伝統がある」「ファンに人気がある」といった、試合とは関係のない強みばかりが上がったという話がありますが、それと同じです。

 不確実な環境で勝ち残るためには、意思決定のスピードが必要なことは明らかです。アイゼンハート教授が指摘した5つのポイント、そのために必要な既にあげた「タイミングの感覚」「準備」にもう1つ足すとすれば、CEO、経営者の仕事とは難しい意思決定をすることであり、そうした人材を選ばなくてはならないということではないでしょうか。例えば60点の案が3つ、どれも帯に短し、たすきに長しだという時に、1つを選べる意志の強さ、使命感を持った人が意思決定者でなくてはならないのであり、それを組織全体で共有していなくてはならないのです。人望とかはその次の話です。


(この項終わり)


MBAプラスアルファの読書術

慶應ビジネススクール清水教授が、経営書から知られざる名論文まで幅広い書物を読み解き、本当に読むべき勘所とその応用の仕方を紹介します。欧米のMBAや博士課程の授業で学生が必ず読んでいる本や論文なども含め、実行するリーダーが、自分自身とその経営を振り返り、見直すための読書術です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20130411/246524/?ST=print

 


 


安易に大企業に就職してはいけません

2013年4月25日(木)  高岡 浩三 、 おちまさと


 チョコレートの「キットカット」やインスタントコーヒーの「ネスカフェ」などを販売するネスレ日本の高岡浩三社長兼CEO(最高経営責任者)は、父も祖父も42歳で亡くなったことから、自らの寿命も42歳で尽きることを覚悟して生きてきた。42歳を人生の「〆切」と定め、42歳からの逆算で人生を駆け抜けようと決めた結果、高岡氏は、今では1つの文化にまでなっているキットカットの受験生応援キャンペーンを成功させ、生え抜きの日本人として初めて社長に上り詰めた。
 このコラムでは人気プロデューサーおちまさと氏のプロデュースで高岡氏が自らの考えを綴った初の著書『逆算力 成功したけりゃ人生の〆切を決めろ』の一部を掲載し、高岡氏の逆算の人生哲学を紹介する。
「外資系企業」ネスレに入社する

 ネスレ日本というと今でこそ、多少知られた会社かもしれません。しかし、私が入社した当時はほとんど無名に近い会社でした。当時はフランス語読みのネスレではなく英語の発音で「ネッスル」と呼ばれていましたが、そうしたこととは関係なく、そもそも外資系企業に就職するという発想が学生にほとんどなかったのです。

 私にはもともとブランドを作る仕事をしたいという「志」がありました。そうした「志」を持っていたので、ブランドを作ることに優れているネスレを選びましたが、実は大手の広告代理店からも内定をもらっていました。

 その広告代理店には、母の弟、つまり叔父が勤めていました。母が若い時にある会社の役員秘書をしていて、そのつてで叔父が広告代理店でアルバイトをするようになったのがきっかけだったそうです。まだその会社がそれほど知られていない時期です。叔父はそのまま社員になり、広告代理店の急成長とともに会社員人生を歩んできました。

 父が亡くなった後はずっとこの叔父が父親代わりでした。当然、進路の相談もしていました。そんな成り行きもあって、叔父も母もその広告代理店に入ってほしかったようです。

 でも、私の頭の中には42歳という自分で決めた寿命があります。確かに叔父が勤めている会社はいい会社かもしれません。私が志していたブランドを作る仕事もできるでしょう。でも、日本の会社で42歳というと課長ぐらいの年齢です。せっかく就職するのに、係長とか課長で終わってしまっては「ブランドを作る」という「志」が達成できないと考えたのです。

 そこで外資系の企業に入ることを考えました。先ほども書いたように、当時は誰も外資系企業に見向きもしない時代でしたが、賭けてみたいと思ったのです。外資系であれば、きっと実力主義だろうと。そして、その結果、どこかの時点で会社を去ることになるかもしれないが、それも仕方ないと。実際のところ、欧州の企業であるネスレは米国企業と違って、そこまでの実力主義ではないのですが、当時はそこまでの知識はありませんでした。

 ネスレに惹かれたのは、年金が手厚かったことも理由の一つです。何しろ42歳で死んでしまうかもしれないわけですから、家族には苦労をかけたくないと思っていました。ネスレは基本給の半額を本人が亡くなるまで支払い、本人が亡くなった場合は基本給の4分の1を配偶者が亡くなるまで支払う年金制度が当時からあったのです。

 ネスレも私が入社する年がちょうど日本に来て70周年に当たるということで、ちょっと変わった採用をしていました。私が入社する前年が60人、前々年が100人と採用しているのに、私たちの年は7人しか採用しなかった。しかも、それまでは国立大学から入社する人はほとんどいなかったのに、私たちの年は京都大学、大阪大学、神戸大学、東北大学、小樽商科大学といった国立大学から採用したのです。

 結局、広告代理店は辞退して、ネスレに入社することを決めました。叔父にそのことを知らせると、「なんだ外国の会社に入るのか」と言われました。

 私が社会に出たのは1983年。日本が高度成長を果たし、絶頂に上り詰めようという時期でした。円高が一気に進むきっかけとなるプラザ合意の2年前。日本企業は安くて品質の高い製品を世界中に輸出し、米国などで日本企業脅威論が盛んに言われた時代でもありました。そんな日本企業が輝いている時に、あえて外資系企業を選ぶことは、変わった選択だと思われたのでしょう。  

 それが今や多くの日本企業が苦しんでいます。だから、これは特に若い人たちに言いたいのですが、安易に大きな会社や人気のある会社に就職して安定を得ようとしてはいけません。

 私は、今の若い人たちが安定志向を求めた結果、おそらく非常に苦しい状況に陥ってしまうのではないかと懸念しているのです。

就職することとは
「志」を実現する場所を
見つけること。
「志」を持った就活をせよ

 なぜ安易に人気企業に入ってはいけないのでしょうか。もう少し深く考えていきたいと思います。

 日本経済の低迷が続き、少子高齢化も進んでいて先行きは全く見えない。このような状況で安定を求める気持ちは分からなくもないのです。でも、だからこそ人気のある大企業に入れば安泰という図式は崩れていると思います。

 私の場合、10歳の時に42歳で死ぬと思ったので、残りの寿命は30年ちょっとでした。そう考えて生きてきて、人と違った選択をしてきました。これは企業にも当てはまるような気がします。

 「会社の寿命は30年」とよく言われます。これはその通りだと思います。もちろん長く続く企業もあります。でもいい時は30年も続かないと思って経営をしなければなりません。

 ところが、日本の企業はその点が甘い。企業というよりも経営者の責任かもしれませんが、企業が伸びてきたのは高度成長の後押しが大きいのに、それをすべて企業もしくは経営者の実力だと考えているところが多いような気がします。

 高度成長の大前提に人口の増加があるわけです。ところが、現在は少子高齢化が進んで、人口が減少する時代に入っています。安倍首相の経済政策「アベノミクス」で多少、景気は上向いているかもしれませんが、人口が減少しているのですから、経済力は基本的に落ちていきます。これは安倍さんが日本銀行にどんなにお金を刷らせても変わりません。

 だとすれば、企業もこれまで通りではとても成り立たないということです。電機業界を見てください。数年前までは絶好調だった会社が今は苦しんでいます。全員が右肩上がりのおこぼれをもらえた時代ならいざ知らず、人口減少社会に突入した日本では「大企業に入れば安心」という考え方はもはや幻想と言っていいでしょう。若年失業が問題になっていますが、こういう時代には大企業に入るどころか、いい大学を出ても、就職できないということも当たり前のことだと思います。

 若い人の中にも、大企業以外の会社を選んだり、中には最初から海外に職を求める人も増えてきていると聞きます。これはとてもいいことだと思います。それでも、こうした人はまだ少数派でしょう。なかなか若い人の意識も変わりません。

 若い人の意識がなかなか変わらないのは親にも原因があると思うのです。親たちはみんな社会に出て働いていて、日本経済の厳しさを知っていたり、肌で感じていたりするはずなのに、子供にはなかなかそういった話をしません。それどころか親の方が、自分が若かった頃の常識から離れられず、「少なくとも名前が通った大企業に入ってほしい」と望むことも少なくないようです。私の考えは全く違います。

 塾にお金をかけて、偏差値競争をして、いい大学に行く。そのことにどんな意味があるのかという議論は、私が若い頃からあった話です。それなのに、私たちの世代が親になってみたら、結局同じことをしています。しかし、それが若い人たちを苦しめる結果になりかねません。

 「大企業に入れば安心」という考え方が幻想になった今、仕事は「自分は何をしたいのか」という「志」で選ばなければならないと思います。実際、私自身は42歳で死んでしまうかもしれないという自分で決めた“寿命”もさることながら、「ブランドに関する大きな仕事をしたい」という「志」を持っていたので、ブランディングに関して超一流のネスレに入りました。子供たちにも同様に、「志」を持つことを教えてきたつもりです。

 私には娘が2人いますが、2人には高校1年生ぐらいから、とにかく何をしたいかということだけ聞いていました。大学に行くにしても、何をしたいかだけははっきりさせてから大学を選びなさいと。偏差値で大学を選んでも後で苦労するだけですから。

 やはり自分の意思で決めるのが一番いいと思うのです。高校生ぐらいで何をしたいのかと聞かれても、なかなか分からないと思います。それでも、ある程度の年齢になったら、自分の「志」を持たなければいけないと思いますし、親も「志」を持つということを教えてあげなくてはいけません。

 今の日本では、家庭でも学校でもこうした教育がほとんどありません。しかし、ただなんとなく大学に入り、安定している企業に就職することを望むだけでは、幸せは保証されないということをしっかりと教えなければならない時代になっているのではないでしょうか。

 私自身は学歴でどうこう思う人間ではありません。本人がなりたいものがあって、それが大学ではなくて専門学校でしか勉強できないのであれば、大学に行かず、専門学校で勉強した方が本人のためになると思います。

 そして、「志」を持って選んだ仕事であれば、簡単にはあきらめたりしないはずです。もちろん、仕事をしていくうえで大変なことはいくらでもあるでしょう。しかし、「志」を持っている人間であれば、仕事を楽しいと感じ、自ら考えて仕事を進めていくはずです。私は、それがリーダーシップにもつながると考えているのです。

人口減少社会に突入した日本。
「大企業に入れば安心」という考えは
もはや幻想と言える。
日経ビジネスの最新刊
『逆算力 成功したけりゃ人生の〆切を決めろ』

逆算力 (成功したけりゃ人生の〆切を決めろ)
父親も祖父も42歳で鬼籍に入った。
自分もきっと――。
そして、42歳を〆切にした人生を歩むと決めた。
日本的経営で圧倒的な利益をかせぐネスレ日本。
100年の歴史で日本人初の生え抜き社長となり、
伝説の「受験にキットカット」キャンペーンを
生んだ男の倍速人生論。
おちまさとがインタビューを重ね、
完全プロデュース。


ネスレ日本社長 高岡浩三の「逆算力」 成功したけりゃ人生の〆切を決めろ

国内の食品メーカーとしては異例とも言える高い営業利益率を誇るネスレ日本。社長兼CEOを務める高岡浩三氏は、もはや伝説となった「受験にキットカット」のキャンペーンを手がけ、ちょうど100年となる同社の歴史の中で、日本人の生え抜き社員として初めて社長に就いた。
成功の背景にあったのは、42歳を人生の「〆切」とする独特の人生哲学。人気プロデューサーおちまさと氏のプロデュースにより、高岡氏が自らの哲学を綴った初の著書「逆算力 成功したけりゃ人生の〆切を決めろ」から一部を抜粋して掲載する。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130424/247153/?ST=print


 


 

 
ビッグデータを経営に生かすツボ

ブレインパッドの草野隆史社長に聞く

2013年4月25日(木)  安藤 元博

日経デジタルマーケティングは、書籍『マーケティング立国ニッポンへ――デジタル時代、再生のカギはCMO機能』を発行した。このコラムでは、その関連記事を紹介していく。連載で紹介してきたセイコーマートや、宝島社のケーススタディを通じて明らかになった経営トップとマーケティングの密接な関係の重要性。それらを踏まえて連載最終回では、ビッグデータを核とした全社的なマーケティング戦略を展開する秘訣について、ブレインパッドの草野隆史社長に話を聞きながら解き明かしていく。
私は比較的長い間、広告会社の立場からマーケティングにかかわってきました。その目で改めて「ビッグデータのマーケティング活用」というテーマで感じることは、そもそも今の日本企業において、ビッグデータ以前に「マーケティング」そのものが不足しているのではないか、ということです。これは、最近一緒に本を書かせていただいた一橋大学の神岡太郎教授のお話をうかがいながら気づいたことでもあります。

 マーケティングとは企業と生活者が、市場を通じて相互にやりとりをしながら価値を創造していくことです。やりとりというのは必ずしも直接的な会話だけではない。企業からの商品そのものあるいはチャネルやコミュニケーションを通じた提案に対して生活者がどういう風に反応するのか。生活者の行動は、様々な形でデータという痕跡を残します。そういう意味で、データとは自社が生活者と向き合うための、広い意味での「言語」です。

 企業が顧客とのやりとりの中で価値提供をする、その基本的なツールが共通言語としての「データ」である。が、実際はそうなっていないのではないか。

 ビッグデータへの着目は、その改革の突破口になるのではないかと思うのです。ビッグデータがイシュー化することがきっかけとなって、データを核とした全社的、すなわち実効性のあるマーケティングが進むのではないか。そうあってほしい、というのが私の問題意識です。


ブレインパッド代表取締役社長。1972年東京都生まれ。97年慶応義塾大学大学院を修了後、サン・マイクロシステムズに入社。99年に退社後、インターネットプロバイダー関連事業の立ち上げに参画し法人営業と事業企画を担当する。プロバイダー事業に従事するうちに、「データマイニング&最適化」に特化した事業の起業を決意し、2004年ブレインパッドを設立。2011年東証マザーズに上場。
草野:同感です。私は、起業を考えて自分なりに状況を俯瞰したり、リサーチしたりした際に、マーケティング領域が最もデータを活用していないのではないか、と思いました。製造業などではデータに基づいて生産計画を立てるなど、ある程度データを活用する素地があるのに比べ、マーケティングの領域では、データと向き合って意思決定がなされているとは感じられなかったのです。

 しかし、ネットの普及により今後は間違いなく必要性が高まっていく分野であり、かつ先行する競合サービスがありません。また、マーケティング領域は成果の白黒もつけやすいため、評価が容易であるということもありました。マーケティングの施策に結びつきやすい領域であれば、我々の仕事の価値を定量的に認めていただくことができて、フィーをいただきやすいし、リピートもつきやすいのではないかと考えました。

ビッグデータは真のマーケティングを可能にする

興味深いですね。自分がマーケティング局に配属された80年代には多変量解析のマーケティングでの活用を中心に「マーケティングサイエンス」や「テクノロジーマーケティング」という言葉がはやっていて、「マーケティングと言えばデータ」という印象もあったのです。ただ、実感としては90年代半ばくらいから少し状況が変わっていったかなとも思います。草野さんはまさにその頃に仕事を始められたわけですが、具体的にどのあたりがどのように「手つかず」だと思われたのでしょうか?

草野:確かに調査などのデータは各種あったのでしょう。が、ユーザーの個々の行動履歴データを収集して、それを活用しているという様子はありませんでした。私が会社を始めた2004年当時、既にそれらは取ろうと思えばいくらでも取れる時代になっていたにもかかわらず、です。

 もちろん、「一億総中流」と呼ばれ、その真ん中のボリュームゾーンに対してモノを作りマス広告を打てばそこそこ売れていた、という時代背景があってのことだと思います。しかし、生活者の嗜好の多様化や経済の成熟化によりその時代は終わった。デジタル領域の拡大によって、今後は個々のユーザーの情報がどんどん重要になってくる、と思ったのです。

アクチュアルデータになった、ということが大きいですね。ビッグデータ以前にも大量の調査データをどうマーケティングに生かすかに焦点が当たっていた時期もあるわけです。ただ、そうしたデータと今のアクチュアルデータでは、データの質というか意味が違うのですね。扱う手段もそうだし、その生かし方のスピードも、それを使う場面や内容も変質してくる。構造でいうと、何か「らせん」のようなものを考えると分かりやすい。同じデータ活用だけれども、次元、階層が違ってきている。データとマーケティングの関係が変わってきた、ということだと思います。

アクチュアルデータに基づきスピーディーに動ける仕組みが必要

草野:マーケティングへのデータ活用で、スピードの問題は重要です。我々がまだ誰も取り組んでいなかったマーケティング領域にアプローチしたもう一つの理由は、データに基づいて何らかのアクションを起こすスピード感が、いわゆるシステムの安定稼働が旨である情報システム部門のそれとは違ったことです。情報システム部門は「守りのIT」であり、ちょっとしたことにも時間がかかりますが、顧客データから「攻めるIT」にはスピードと柔軟性が必要です。

 その差が経験的に分かっていたので、我々も最初は顧客データをお預かりして分析、提案し、DM配信に利用していただくなどマーケティングサイドで完結するサービスから始めました。ところが配信規模が大きくなり、効率化、自動化のためには、やはり徐々に基幹システムと連携する必要が出てきました。すると、状況が刻一刻と変化する時代のスピードとIT部門のそれとのギャップが大きな問題になってきたのです。ここを変えていかないと、時代についていけない、ビジネスが変わらない、ということに気づいたのです。今や情報システムとマーケティングは不可分なのに、そこが離れていることが、今の企業経営の大きな課題の一つだと思います。

その2つの部門は使う言葉からして違いますよね。ということは仕事を進める概念も異なる。

草野:はい。情報システム部門とマーケティング部門で抜本的に違うのはコスト構造だと思います。例えば、データベース(DB)からDM配信のためのデータを抽出しようとすると、その作業だけで費用がかかってしまう。本来はこのデータを使ってどんなアクションを起こすべきかを知るためのものなのに、その前に費用も時間もかかってしまい、それが単独にコストとして認識されてしまう。

 その上に、「システムの安定化」は企業活動の基本課題として厳然とあるので、情報システム部門にマーケティングのためのデータ抽出や分析を頼むというのは無理があるでしょう。こうした現状を考えた場合、マーケティングのためのデータは別のシステムで作っていくことを考えないと難しい、となります。

組織もそうですが、「マーケティング」「IT」「分析」という3つの領域にまたがるスキルやナレッジ、仕事の進め方に対応できる人材も必要になりますね。

草野:これらのスキルやナレッジを通常の企業で自然に習得するのは難しいため、企業側が意識的にジョブローテーションを回して育成することが重要になってきます。組織としても「マーケティング&アナリティクス」といった部門が必要になる。それが企業の強みにつながるはずです。

ファクトに基づく勇気ある経営を

ところで、以前草野さんが「データ活用はしているがビッグデータの活用の仕方が分からない」ことのハードルと、「そもそもデータを活用していないが活用できるようになる」ハードルのどちらが高いか、という話をされていたのを興味深くうかがったことがあります。

草野:断然後者のハードルが高いですね。例えばWebログの解析ツールを導入している企業はたくさんあると思いますが、そのデータからユーザビリティを継続的に改善しようとしている企業は少ない。実は、最低限のPDCA(計画、実行、評価、改善)サイクルさえ回している企業が少ないのが現状です。

 データ分析によってどの程度の効果が出てくるかは、やってみなければ分からないかもしれません。しかし、やらなければゼロなんです。単にPV(ページビュー)数を知っておしまいというのでなく、ログデータを使って何をどう改善しようとするか。そうやって真摯にユーザーに向き合う姿勢のある会社が成長していくのです。その成功体験が企業には必要なのです。

 例を挙げてみましょう。今話をしたWebログ解析の例でいえば、解析ツールを入れた後にPVをカウントしているだけの会社と、丁寧に仮説を立ててサイトのクリエイティブやユーザビリティにおいて、(複数のパターンから最良を選ぶ)A/Bテストを実施している会社では、結果としてサイトでの応募率や獲得コストで50%以上の差がつくこともあります。

 またカード会社などにおいても、DM送付先を選ぶ際、単純な属性に基づいて抽出する場合と、丁寧に過去のカード利用履歴を分析して配信する場合では、レスポンス率が数倍になることも珍しくありません。担当者の思い込みによらず、顧客の反応やデータを見て、対応を変えるか変えないかで、たった1回の施策だけでもこれだけの差がつくのです。

 こういう成功体験は、担当者も一度やれば、やみつきになります。単純に面白いですし、施策に対する顧客の反応自体が「学び」であり成長実感も持てますから。

そこにこそマーケティングに取り組む姿勢そのものがある、と改めて気づかされますね。

草野:経営者にも、単発の施策におけるROI(投資対効果)だけを求めるのではなく、失敗も含めてPDCAサイクルを回していく、というデータの価値を理解して腹をくくって向き合う気概が必要だと思います。

不都合かもしれないデータやファクトを正面から見つめて、事実に基づいて判断ができるか、ということですね。当然のようでいて、なかなかできていないことなのかもしれません。一方、ビッグデータの分析・活用には組織をあげてバックアップする体制が必要ですが、それを進めていくうえでのポイントは何だと思われますか?

データの価値を認めるカルチャーを根気強く築く

草野:やはりデータに向き合う姿勢、その重要性を認めるカルチャーを組織内で共有することですね。データを大事にする価値観は簡単に壊れてしまうのです。

 例えば、DMの配信リストを作るにしても、その現場には大きなプレッシャーがかかるのに、そうしたことが認められないようなケースもよく見られます。データ分析結果に基づいてDMを配送する場合、分析作業における判断や作業のミス一つで、億円単位の無駄なコストが発生するというプレッシャーの中で分析者は作業をしています。そのプレッシャーや労苦を上司や関係者は、評価・しんしゃくすることが大切です。もし、そうやって導かれたデータ(事実)に基づく結論を、経営幹部がカンや直感なんかで否定したら、分析官はその仕事をその職場で続けていくことができなくなるでしょう。失われやすいカルチャーでもあるのです。

 反対に、データ分析結果に重きが置かれ、PDCAが回っていればその業務に当たっている人は育っていくはずです。根拠やプロセスが明示されず恣意的に判断するようなマネジメントが続いてしまうと、施策は異なっていたとしても、データに基づいていないという意味では同じことの繰り返しに陥ってしまいます。そのような学習しないサイクルから脱しなければならないと思います。

具体的には、組織内のどのレイヤーでその感覚が欠けていると思いますか?

草野:現場自体にない場合もありますが、その上の管理職クラスに不足しがちなのかなという印象はあります。とにかく、組織を挙げて取り組み続けることが大事なんです。もちろん、時間がかかってしまう面はありますが、小さくても成果を出すサイクルを経験すれば、あとは前進していくことができると思います。

まずは手元にある小さなデータ、ファクトから始める、というスタンスが大事なのかもしれませんね。いわば「シンク・ビッグデータ、アクト・スモールデータ」というところでしょうか。

草野:そうですね。特にマーケティング領域はそのスタンスが良いのではないかと思います。

CMOとCIOの空白を埋める

ところで最近、CMO(最高マーケティング責任者)とCIO(最高情報責任者)の融合、というテーマが話題になりつつあります。

草野:CMOとCIOは、両方できる方がいればいいのですが、なかなかそういう人はいませんよね。強いて言えば、CIOが基幹系を担当し、CMOが情報系を担当するような形が現実的な感じがします。現在、マーケティング領域へのIT活用を自分の職責としているCIOは少ないのではないかと。

 情報システム部とマーケティング部を並列に置いていては、なかなかマーケティングへのデータの活用は進まない気がします。ですから、マーケティングで活用するためのデータアクセス環境は、情報システム部とは別に用意した方が組織間のあつれきも少なくて済むかと思います。ただ今度は、CMOに情報システムやデータ解析技術の知識は求められることになりますが……。

今の日本の企業には普通はCMOもいないわけですが、CIOとCMOの融合というテーマに関して言えば、こうした責任者の持つべき領域が空白である、という面こそが課題の本質だと改めて思います。これまでの経験から、うまくいったケース、何がKFS(事業成功ファクター)なのかを教えていただけませんか。

草野:やはり最初から経営層の理解があり、組織的にマーケティング部門の中に情報システム担当部門がある、という形ができているケースはやりやすいです。また、新規に部署を立ち上げる場合も、最初から権限や役割のデザインに関わることができるのでうまくいくケースが多いです。既存組織自体に関わっていくのはなかなか難しいと感じています。

経営のコミットメントがないと、なかなか難しいということですね。アクチュアルデータやファクトにきちんと向き合うことができる経営者が必要だと。業界、業種についてはどうでしょう。

草野:もちろんEC(電子商取引)、通販など、顧客との接点が履歴で追えている業種は使いやすいですね。金融などもオペレーションのために豊富なデータ履歴が追えているところも入りやすいと思います。反対に、購買や問い合わせがリアルで行われていて、広告関連のデータとつながっていないような業種は難しいですね。こうした領域もデータを使っていかなければならないと思います。システム構築の際に、最初から「マーケティングでのデータ分析」の視点を入れて、施策もそのシステムとつなぎ込むということが重要になりますね。

今、それが十分に行われていない業種でもデータをいかに作っていくかという視点と、仮に分断されたデータであってもそれを手がかりに小さくても実行し改良し続ける、という行動が必要ということですね。「ビッグデータ・ドリブン・マーケティング」や「CMOとCIOの融合」というテーマをきっかけにして、あらゆる業種・企業にとってのマーケティングそのものの空白を埋めることを考えていくべきだ、ということを、改めて今日のお話のメッセージとしたいと思います。


「CMO機能」実践への道

モノづくり立国からマーケティング立国へ――。弱点と言われればこそ、マーケティングの戦略的な強化が企業の競争優位にもつながりやすい。CMO(最高マーケティング責任者)不在とも言われる日本において、企業価値の向上のために必要なのは、経営トップのマーケティングへの正しい理解と深い関与だ。CMOを機能と捉えて、全社で組織的にその機能を実践していく方法論を模索する。そのためこのコラムでは、マーケティングをマネジメントに一体化したケーススタディを中心に詳しく紹介していく。ビッグデータ時代、企業はマーケティング戦略にどう生かせばいいかについても最終回で触れる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130412/246591/?ST=print


2013年4月24日 ザイ・オンライン編集部
本当に必要な医療保障とは?
医療保険を見直すポイントを押さえよう!
〜保険の見直しの基礎知識(5)〜
一口に医療保険とはいっても、単体の医療保険と死亡保障保険に特約ではどちらがいいのか、三大疾病保険やがん保険は必要なのか、そもそも入院保障はどのくらい必要なのか、見直しをしようにも、いろいろも迷うことばかり…。保険マンモスの古川徹さんに、医療保険を見直すポイントをズバリ教えてもらおう!
まずは入院保険を充実 目安は日額1万円以上
 医療保険とは広い範囲を含む表現で、入院保険、がん保険、三大疾病保険等を含みます。そうした時に医療保険は、何を基準に、どこを見直せばいいものなのか。古川徹さんは「まずは入院保険を充実させることが大切」とアドバイスする。
「入院保険は、病気やけがで入院したときに給付金を受け取れる、入院というリスクを保障する保険です。そこでまずは、入院給付金の1日あたりの金額(給付日額)はいくら必要か、保険期間はいつまであれば良いか、1回の入院で入院給付金を受け取れる日数の限度は何日か(上限日数)を考え、必要な保障を用意しましょう」(古川さん)
 そもそも入院すると1日あたり、どのくらいのお金が必要なのか? 生命保険文化センターの平成22年度「生活保障に関する調査」によると、直近の入院時の1日あたりの自己負担費用(保険支払い分を除く)は1万6004円となっている。入院保険の加入金額の平均(疾病入院給付日額・全生保)は、男性が1万971円、女性が9177円だ。
「ここから入院日額1万円以上をひとつの目安として、予算が許せば1万5000円くらいを考えるといいでしょう」(古川さん)
保険期間は終身、上限日数は60日以上が最低ライン
 次に保険期間はどうすべきか。「保険期間の設定は、10年や20年など年単位、40歳や60歳など年齢単位、そして保険が一生涯続く終身がある」と古川さん。
「定期型で保険期間が短いものは、当初の保険料は安いものの、更新のたびに保険料が上がっていきます。しかも、ほとんどのものが最長80歳までで、それ以降は更新できなくなっています」(古川さん)
 ちなみに、平均余命などの指標とされる厚生労働省の平成23年簡易生命表によると、80歳で生存している割合は、男性が58・74%、女性が78・305%。男女とも半数以上の人が80歳以降も生きている。さらに、平成23年「人口動態統計」によると76.2%が病院で死亡している。
「80歳を過ぎてから病院で亡くなる人が多いことを考えると、保険期間は終身が望ましいといえるでしょう」(古川さん)
 入院給付の上限日数には30日、60日、120日、360日、730日、1000日などのタイプがあり、日数が長くなるほど保険料も高くなる。実際のところ、入院期間はどのくらいを考えればいいのだろうか。
「厚生労働省の調査によると、一般的な60日型ならば入院の約半数をカバーできることになります。そこで60日以上を最低ラインとして、予算が許せば120日以上の保障を考えたいものです」(古川さん)

入院保険は特約より主契約で!
 入院保険に入っているといっても、単体の入院保険に入っている人もいれば、死亡保障の特約などで入っている人もいるだろう。
「定期付き終身保険の特約の場合は、定期保険期間が終わると医療特約も無くなってしまいます。一方、単体の入院保険など入院保険自体が主契約である場合は、特約に比べて保険料は高くなりますが、死亡保険を解約した場合でも入院保険には何の影響もありません。見直しをする、もしくは新たに入るのなら、入院保険が主契約のものが望ましいといえるでしょう」(古川さん)
 また、妻や子どもの入院保険が、夫の死亡保険の特約になっている場合もある。
「特約だと夫と離婚したり、夫が死亡した場合に、保険が無くなってしまいます。夫婦がそれぞれ独立して入院保険を契約するほうが安心です。また、子どもの入院保障は、社会人になるまでは親の特約で保険料を安くおさえ、社会人になったら自分が契約者になるという方法が考えられます」(古川さん)
できればリタイアまでに支払保険料の払い込みを終えたい
 保険料の払い込み期間や、どんな特約を付けるかも気になるところだ。
「保険料の払い込み期間は、短期払い(有期)と終身払いがあります。保障内容は同じでも、月々の保険料は終身払いのほうが安く済みます。ただし、生存中はずっと保険料を払い続けなければなりません。総支払額の比較をする場合、平均余命までの累計額を算出するとよいでしょう。予算や考え方にもよりますが、今後の公的年金を考えると、余裕があるなら短期払いを選んだほうがいいかもしれません」(古川さん)

 医療保険には、三大疾病特約や成人病特約、女性医療特約などの基本的な特約のほか、入院初期給付特約(1泊2日など短期入院をカバーする特約)、退院給付金特約、通院医療特約など発展的な特約、さらにはがん保険など、特定の病気や状態になった場合に保険金が支払われるものもある。
「当社に相談される方のなかにも、入院保険は日額も保険期間も上限日数も少ないのに、がん保険は充実しているというバランスを欠いたケースもあります。ですが、医療保険では、まず入院保険という保障範囲の広いものをベースとして確保することが重要です。入院日額1万円以上、保険期間は終身、上限日数60日以上を確保したうえで、予算に余裕があるなら基本的な特約から選択することを考えたいものです」(古川さん)

保険マンモスとは…
メールや電話でなく、FP(ファイナンシャル・プランナー)との面談によって保険をアドバイスするスタイルにこだわる保険相談サービスです。直接面談することで、資料を交えた具体的な説明ができ、利用者の疑問や不安にもFPが直接答えます。FPから提案された保険商品に必ず加入する必要はありません。無料相談後の勧誘も一切なし。
無料保険相談の申し込みはこちらからどうぞ(保険マンモスのサイトへジャンプします。)

『めちゃくちゃ売れてるマネー誌ZAiが作った保険の本
保険は三角にしなさい!?生命保険で500万円トクする魔法?』

普通の保険は“四角”なんだけど、これを“三角”にするだけで、500万円以上払い込み金額が減る人がほとんど。難しいことはわからなくてもこの“四角”→“三角”の理屈だけ理解すれば、もう保険のことは忘れてよし! とザイは思うのだった。

【はじめに】
導入マンガ 生命保険でムダづかいしてる ブタパパの衝撃
保険の基本ゼミナール 生命保険に出てくる「専門用語」を把握しよう
第1章 生命保険は三角にすればいい!
第2章 あなたの死亡保険はなぜ四角い?
第3章 あなたも今すぐ収入保障保険に入って正解!
第4章 みんなのテーマ医療保険ってほんとに必要?
第5章 迷わず入るには?保険はどこで売っている?
第6章 ライフスタイル別 保険の正しい入り方講座

http://diamond.jp/articles/zai-print/34084?page=1

 


【第49回】 2013年4月25日 早川幸子 [フリーライター]
白内障に多焦点レンズ使用=全額自己負担!?
日経新聞で混合診療の記事にミスリードの恐れ
 4月8日付の「日本経済新聞(日経新聞)」の朝刊に、「混合診療、出口見えぬまま10年」という記事が掲載された。この記事は、日経新聞のネットサイトでも閲覧できるようになっており、4月24日現在でも公開されている(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS25013_X20C13A3SHA000/)。

 記事では、白内障の手術を受けた名古屋市在住の女性(70歳)が、眼科医の勧めで健康保険の効かない多焦点レンズを利用したが、混合診療が認められていないために高額な負担を強いられ、「渋々大金を払った」というケースが紹介されている。

 こうしたケースを出すことで、混合診療を原則禁止にしている日本の医療制度が硬直的だと批判したいのだろうが、この記事は正確さを欠いており、読者に誤解を招く恐れが多分にある。

 というのも、多焦点レンズを使った白内障手術は、先進医療が適用されており実質的な混合診療が認められているからだ。

多焦点レンズは両目で約70万円
たしかに健康保険はきかないが…

 白内障は、おもに加齢が原因で起こる目の疾患で、水晶体が濁ることで物がぼやけたり霞んだりして視力が低下する。

 白内障の手術は、以前は濁った水晶体を取り除くだけだったが、現在は取り除いた水晶体の部分に、人工の眼内レンズを挿入するのが標準的な治療で、視力回復の効果が高い治療法だ。手術や検査など一連の治療にはすべて健康保険が適用されるので、誰でも少ない負担で手術を受けられる。

 健康保険が適用されている眼内レンズは、単焦点レンズというものだ。これは焦点の合う範囲が限定されているので、遠くを見たり、手元を見たりするときにはぼやけることもある。だが、眼鏡をかければ視力の矯正はできるので、日常生活に支障はない。

 保険適用の眼内レンズを使った場合の医療費の総額(通院治療の場合)は、両目で17万〜18万円。70歳以上で一般的な所得の人の窓口負担は1割なので、自己負担額は2万円以内。窓口負担割合が3割の人でも5〜6万円だ。

 一方、多焦点レンズは焦点を合わせられる範囲が広いというのがメリットだが、レンズの価格は両目で70万円程度。健康保険は適用されていない。

 健康保険を使って医療機関で治療を受ける場合、国が許可していない薬や医療機器などを使うことは禁止されている。これは安全性や有効性が確認されていない治療によって国民が健康被害に遭わないようにするために設けられているルールで、これを破って健康保険が適用されていない薬を使ったりすると、通常なら健康保険が使える検査や入院費も患者が全額自己負担しなければいけなくなる。これが、いわゆる「混合診療の禁止」と言われるものだ。

 多焦点レンズは健康保険の適用を受けていないので、これを使うとその他の検査や処置費用も健康保険がきかなくなり、原則的には手術にかかった費用は全額患者の自己負担なる。日経新聞に登場する女性は、このルールによって医療費を全額支払ったのだろう。

 しかし、多焦点レンズを利用しても、誰もが健康保険適用の治療まで全額自己負担をしているわけではない。前述したように、多焦点レンズを用いた白内障の手術は、すでに多くの医療機関で先進医療として扱われている。

多焦点レンズを使った白内障手術は
実質的な混合診療が認められている

 医療技術は日進月歩で、次々と新しい治療法や薬が開発されている。他に治療法のないガンなどの患者の中には、健康保険が適用されていなくても新しい治療法や薬を試したいという人もいる。そこで、こうした患者の利便性を高めて、選択肢を増やすという目的で作られたのが先進医療だ。

 先進医療は、健康保険が適用されていない治療でも、厚生労働大臣が特別に認めたものに関しては、一定条件のもとに利用を許可した制度だ。先進医療の技術料は全額自己負担になるが、その他に健康保険が適用された検査や入院費については3割(70歳未満の場合)の自己負担で利用できる。つまり、法律では禁止されている混合診療を部分的に認めているのだ。

 とはいえ、先進医療は、将来的に健康保険を適用するかどうかを評価している段階のもので、いうなれば実験途中の治療だ。

 評価が定まっていない治療をどこでも使えるようにしてしまうと、健康被害が出たときに歯止めがかからなくなる可能性がある。そのため、先進医療を行う医療機関には「専門医がいるか」「治療にあたる医師の経験が豊富か」「医療安全委員会があるか」など一定の基準が設けられており、厚生労働大臣の許可を得ることになっている。

 3月1日現在、こうした基準をクリアした医療機関は全国にのべ1155施設あり、106種類の先進医療が行われている(厚生労働省HP「先進医療を実施している医療機関の一覧」〈平成25年3月1日現在 第2項先進医療技術 【先進医療A】 65種類、713件〉より)。

 多焦点レンズを利用した白内障の手術(多焦点眼内レンズを用いた水晶体再建術)は、全国で263ヵ所の医療機関で行われており、日経新聞に登場する女性が暮らす愛知県でも15の病院や診療所が届け出をしている。これらの施設で治療を受ければ、お望みの「混合診療」は受けられたはずなのだ。

 施設基準を整えれば先進医療は行えるのに、女性が手術を受けた医療機関はなぜ届け出をしていなかったのか。他の医療機関に行けば、先進医療が利用できて費用が安くなることを医師から知らされなかったのか。

 単に、医師による正しいインフォームドコンセント(事前説明)が行われなかったために起こったトラブルを、混合診療の問題にすり替えているだけではないのかという疑問が湧く。だが、日経新聞の記事では、こうした検証は一切行われていない。

 この記事を書いた記者は、多焦点レンズが先進医療の対象になっていることを知らなかったのだろうか。たとえ知らなくても調べればすぐにわかることだ。それなのに、事実を読者に知らせず、混合診療を解禁しなければ問題が解決できないかのような書きぶりは不誠実といえるだろう。

混合診療の全面解禁と
先進医療はまったく異質

 多焦点レンズを利用した白内障の手術は、すべての眼科で行えるわけではないので、たしかに規制はされている。この点を捕らえて、混合診療全面解禁派の人々は「すべての規制を撤廃しないから、こうした“不都合”が起こる」と言いたいのかもしれない。

 だが、医療は命に直結するものだ。手術や投薬は病気やケガを治すために行われるものだが、メスで切ったり、化学化合物を投与したり、少なからず体に侵襲を与える。何かあってからの事後チェックでは取り返しのつかないことになるので、事前規制は国民の健康を守るための当然の措置だ。それをすべて取り払って、なんでも自由にできるようにしろというのは暴論だ。

 それに、「先進医療」と「混合診療の全面解禁」は似ているが異質のものだ。

 すでに述べたとおり、先進医療は将来的に健康保険を適用するかどうか評価している段階の治療だ。有効性と安全性が確認されて広く一般に普及できると認められれば健康保険が適用され、患者はかかった医療費の3割(70歳未満の場合)を負担するだけで治療を受けられるようになる。

 ところが、混合診療が全面解禁されると、健康保険がきく治療はここまでと線引きされ、それ以外の治療は健康保険を適用されなくなる可能性が高い。そうすると新しく効果的な治療法が生まれても健康保険は適用されないので、お金のある人しかその治療は受けられなくなってしまうのだ。

 先進医療ならば保険外の費用を全額自己負担するのは健康保険が適用されるまでの期間限定でよいが、混合診療の全面解禁では永久に保険外の費用を払い続けることになりそうだ。新しい治療ができたとしても健康保険に適用されることはなく、それどころか、健康保険で受けられる治療の範囲は狭められる可能性すらある。

 この2つを比べると、どう考えても混合診療の全面解禁より先進医療のほうが国民にとってはメリットが大きい。

 筆者は、自民党がマニフェストで言うような先進医療の拡大は望ましいことではなく、安全性と有効性の確認された薬や治療は速やかに健康保険を適用してほしいと思っている。だが、医療の安全性を担保しながら、新しい薬や治療法を健康保険に適用していくには、先進医療を適正に運用していくのが現実的な落としどころだとも考えている。

混合診療の全面解禁を
患者団体は求めていない

 混合診療解禁派の中には、患者が混合診療の解禁を望んでいるかのようなことを言う人もいる。しかし、難病患者で作られた「一般社団法人日本難病・疾病団体協議会(JPA)」は、混合診療訴訟の最高裁判決が出た2011年に次のような声明文を出している。

「混合診療については、今回の判決にかかわらず、患者団体が『解禁』に賛成しているかのように誤解されている向きも見られるので、最高裁判決が出された機会に、改めて意見を発表する」と前置きした上で、「私たちは基本的に、必要な医療は保険診療で行う現在の国民皆保険制度を守ることが大切と考えており、公的保険制度の縮小と自由診療に大きく道を開く『混合診療の解禁』には賛成できない」と明確な意思表明をしている(JPA「混合診療の最高裁判決について」(PDF)より)。

 難病は、原因不明で治療法が確立していない病気だ。療養期間も長期間に渡り、その間の医療費の負担に多くの患者が怯えている。こうした切実な患者の声には耳を傾けず、特異なケースを取り上げて(しかもそれは実質的な混合診療が認められているのにもかかわらず)、患者が混合診療を望んでいるかのような記事を書くのはいかがなものか。

 何よりも怖いのは、今回取り上げたような記事に惑わされて、実情を知らないままに国民が混合診療を望むようになることだ。何が国民にとって真にメリットのあることなのか。自分の頭でよく考える必要があるだろう。

 余談だが、筆者の父(78歳)は、今年3月に地域の眼科クリニックで両目の白内障手術を受けた。使用したのは健康保険が適用されている単焦点レンズだが、「これまで見るものすべてがセピア色だったのが、視野が明るくなって良く見える」と喜んでいる。

 あえて高いお金を払って先進医療を受けなくても、日本では健康保険で最適水準の医療を受けられることも付け加えておく。
http://diamond.jp/articles/print/35187

 

【第2回】 2013年4月25日 富坂美織
体外受精にかかるお金と
病院側の意外な事情
今や新生児の約40人に1人が「体外受精」によって生まれているが、その実態は経験した人以外にはほとんど知られていない。
具体的に何をするのか?いくらかかるのか?といった基礎知識だけでなく、「受精卵のその後」「病院によって妊娠の基準が異なること」、そして「大まかな成功率」といった実態を『妊娠・出産・不妊のリアル』の著者・富坂美織氏が教えてくれた。

人工授精と体外受精の違い

 人工授精と体外受精を混同している方がいるので、まずその違いを説明しておきましょう。

 人工授精は先がやわらかいチューブの注射器を使い、子宮の中まで精子を入れます。しくみは自然の妊娠方法、つまり、セックスに近いでしょう。一方の体外受精のやり方は次に説明するように、採卵をしてとってきた卵子と精子を体外、つまりシャーレの中で受精させます。

 ちなみに、紛らわしい「受精」と「授精」の漢字の使い分けですが、基本的に、
受精:卵子と精子が出会ってから、精子が卵子に入り融合するまでのプロセス
授精:卵子または生殖器に精子をふりかけたり、注入したりする行為
 を指します。

 では人工授精を行なう意味は何でしょうか。通常のセックスでは、精子は腟の中に射精され、ここから子宮を目指します。排卵期に頸管粘液の変化で精子が子宮内に入りやすくはなるものの、子宮の入り口の関門で大量の精子が死んでしまいます。

 そこで、人工授精は注射器で子宮の中まで精子を入れてしまうのです(この際、そのまま入れると雑菌が入ってしまう可能性があるため、処理・調整した精液を注入します)。そうすると関門で死ぬ精子がなくなり、精子の数が少なかったり、運動率が比較的低くても、受精する確率が高くなります。ですから、腟内射精ができない、あるいは、軽度の男性因子、子宮頸管粘液の分泌不足といった場合には効果があります。

 不妊治療に通うカップルですと、人工授精の場合の妊娠の成功率は5%〜8%あります。精子が少ない、あるいは運動率が低い人には有効な方法です。

 一般に精子濃度×運動率で表す運動精子濃度が、人工授精には1000万/㎖以上あることが望ましく、500万/㎖以下だと体外受精になります。

体外受精の具体的な方法

 次に、体外受精のやり方を順番に説明しましょう。

1. ホルモン剤を投与
 月経2〜3日目診察や採血結果によって、排卵誘発剤の種類を決定します。
 その後、注射もしくは内服(クロミフェンなど)によって卵胞を大きくします。

2. 卵子を取り出す
 卵胞が16mm〜20mmまで成長したところで、卵子の成熟を促す薬を使用します。
 約1日半後に、排卵直前の卵胞を、超音波ガイド下で腟を通じて穿刺吸引(せんしきゅういん)します。細くて長い針で卵巣を刺して、卵胞内容を吸い取るのです。成長した卵胞数によって鎮痛剤のみの使用か、静脈麻酔下で排卵を行ないます。
 ホルモン剤を使わないと発育卵胞はだいたい1個ですが、ホルモン剤で刺激すると、多数の卵胞ができることが多く、多い人だと20個くらいできることもあります。

3. 精子と卵子を合わせて受精卵をつくる
 同じ日に男性から精子をとり、卵子と精子を合わせて受精させます。
 受精のさせ方は2つあります。
 1つは、シャーレの中に卵子と精子を入れ、自然に受精させる方法です。もう1つは、顕微授精という方法です。精子の状態が悪い、あるいは受精障害の場合は、人工的に精子を卵子の中に注入します。
 次の日までに受精したかどうかわかります。受精すると受精卵ができます。

4. 受精卵を子宮に戻す
 受精卵を子宮に戻すプロセスは2つあります。採卵した後、2日〜5日程度培養した受精卵を戻す方法と、凍結させて時間をおいて戻す方法です。
 日本は凍結技術が特にすぐれており、受精卵をいったん液体窒素で凍結することが多いです。そして次の生理の周期からホルモン剤を使わずに自然の排卵を起こした後、あるいはホルモン剤を使用して、受精卵の着床しやすいホルモン状態と子宮内環境となった時期に受精卵を融解して戻します。
 他の国ではかつて、凍結や保存に設備とコストがかかることから、採卵の数日後に受精卵を子宮に戻すことも多かったのですが、現在では凍結保存が一般的です。ただし、宗教的な理由で凍結しない人もいます。たとえばイタリアの厳格なカトリック教徒の方は、カトリックの教義に従い受精卵は「人間」と考えるので、凍らせることを拒否する人もいます。
 液体窒素で凍結する方法のほうが、成功率が最大10%上がります。その理由は、女性のホルモンバランスの状況に関係します。採卵直後は、卵巣が腫れて大きくなっていることもありますし、採卵としては適したホルモン状態ではあっても、受精卵を戻すのには適していないこともあります。そのため凍結して、ホルモンバランスの回復を待ってから受精卵を戻すことで成功率を上げるのです。

いま、クラスに1人は体外受精で生まれる

 世の中には体外受精に対し抵抗のある人もいます。
 なかには「異常な子が生まれてくるんじゃないですか」「学習能力の低い子にはなりませんか」「運動能力が劣ってしまうのではありませんか」と心配する人がいます。

 ですが現在、約40人に1人が体外受精で生まれてきます。日本で生まれる子どもの数は年間約107万人ですが、そのうち体外受精で生まれてくる子は年間約2万5000人もいます。すでに世の中に定着し、体外受精で生まれても問題が起きることはまずないとわかっています。世界的に見ると、これまでに約400万人〜500万人が体外受精で生まれているのです。

 ちなみに、かつては体外受精で双子やそれ以上の三つ子がしばしば生まれていました。妊娠の確率が上がるよう、子宮に複数の受精卵を戻していたからです。
 しかし双子の場合、妊婦さんに妊娠高血圧症候群のリスクや流早産のリスクが高まり、帝王切開のリスクも高くなります。同時に、胎児にとっても胎盤位置の異常や臍帯付着部の異常、子宮内での発育の遅れが出やすくなります。また、分娩時には胎児同士がひっかかったり、ぶつかったりして出てこれないリスクがあります。
 ですから日本では、子宮に戻す受精卵は原則1個だけというガイドラインになっています。

体外受精にかかるお金と、意外な受精卵の「その後」

 体外受精の費用は、採卵から凍結させるまでに30万円〜60万円程度、子宮に戻すときに10万円〜20万円程度かかります。健康保険は適用されませんが、自治体によっては補助の出るところがあります。

 さらに受精卵の管理費が年間1万円〜5万円ほどかかります。それは、受精卵が、一般的にかなりの長期間、病院で保存されることになるからです。

 多くの患者さんの受精卵を液体窒素で凍結していくと、次第に数が増えていき、保管場所が不足していきます。受精卵は複数できるので、妊娠成功後にも残ることがあります。

 現在、日本産婦人科学会では受精卵の凍結保存期間について、「被実施者夫婦の婚姻の継続期間であって、かつ卵子を採取した女性の生殖年齢を超えないこと」としています。しかし、出産後、どこかに引っ越してしまって連絡がつかなくなっている人もおり、実際にはこの条件を満たさなくなっても、受精卵は廃棄せず、液体窒素に入れてそのまま保管することが多いです。

 日本は凍結の技術が進んでいるうえ、これからさらに体外受精が普及していくと、ますます保管場所の問題が出てくるでしょう。
 保管方法の問題もあります。東日本大震災の際、東北地方の不妊クリニックで受精卵を保管していたタンクが破損してしまい、訴訟になりそうだったケースがありました。そうしたことも含めて、受精卵をどう管理していくのかが、不妊治療の業界では話題になっています。

体外受精の成功率は胚培養士のスキル次第?

 不妊治療の現場で、医師と同等に重要な役割を担うのが胚培養士(はいばいようし)です。臨床検査技師を経て、もしくは大学等で生物学に関する勉強をしたあと、特別なトレーニングを受けて胚培養士になります。

 あまり知られていない存在ですが、医師の立場からみても、不妊治療の成功率は胚培養士にかかっていると言っても過言ではありません。不妊治療を行なうクリニックを開業する際、医師がいちばん気にするのは、よい胚培養士と組めるかどうかなのです。

 何しろ卵子や精子を直接扱うのは胚培養士です。
 女性から取り出した卵子に精子を注入する、受精卵を培養、凍結する、こうした1つ1つのプロセスで高い技術が必要です。まず、精子を遠心分離器にかけ、よい精子だけを抽出します。医師が採卵した卵子を回収して短時間のうちに培養庫にしまい、さらに顕微鏡で見て一番良質の精子を選び、卵子に入れます。

 このときの針の差し方が受精率に影響します。受精卵を凍結する際の温度の下げ方にも微妙なさじ加減が必要です。医師が受精卵を子宮に戻すときも、胚培養士がチューブの一番いい位置に受精卵を入れておくことが重要です。正しい位置に入れておかないと子宮の最適な場所に入らないのです。
 胚培養士の仕事はまさに職人の領域であるといえます。

 ちなみに最近では、体外受精の成功率をホームページなどで公表する病院が増えてきました。
 しかし、病院によって妊娠の判定基準が違うので注意が必要です。たとえば超音波で胎のうが見えたのを妊娠とカウントする病院もあれば、血液検査で妊娠反応がちょっとでも上がれば妊娠と判断する病院もあります。
 当然後者のほうが数字がよくなるので、一般の方が見ると、「成功確率の高い病院」に思えます。

体外受精での妊娠の成功率は20%〜30%くらい

 厳しい言い方かもしれませんが、不妊治療はそもそも確率が高いものではなく、お金と時間がかかるわりには割に合わないものだということも、現実です。

 初めて体外受精をする人で、「体外受精したら100%妊娠する」と思っていた方がいました。妊娠が成立しなかったことをお伝えすると、「どうしてなんですか!」と驚いていました。さらにその原因もわからないことに、どうしても納得できないようでした。

 たしかに大金を払って、痛い思いもし、夫婦で仕事を休んで頑張っている状況で、原因が不明というのでは腑に落ちないのも当然です。知りたい気持ちもよくわかります。医師としてもはっきりと原因をお伝えできないことを心苦しく思っているのです。

 実際のデータは次回あらためてお見せしたいと思いますが、臨床現場の感覚として、体外受精での妊娠の成功率は大体20%〜30%くらいです。
「命を授かる」という、ある意味で神の領域に手を入れているわけですから、まだわからないこと、うまくいかないことが多いのも仕方ないかもしれません。

次回は5月9日更新予定です。

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生活習慣病対策は食事から

2013年4月25日(木)  江田 証=江田クリニック院長

今日の診察:食事による生活習慣病対策
 生活習慣病対策には、食生活の改善が重要だ。米国では「5 A DAY(ファイブ・ア・デイ)運動(1日5皿以上の野菜と果物を取ろう)」や「デザイナーフーズ・ピラミッド」などが提唱されている。それらも参考に、ガンや生活習慣病予防に効果的な食事を紹介する。
 Aさん(34歳)がひどい全身のだるさを訴えて来院した。Aさんは、地域社会へ貢献したいというビジョンを掲げる社会起業家だ。休みも取らず、朝から夜遅くまで働きづめ。暴飲暴食や運動不足から、若くして糖尿病、高血圧、高脂血症を併せ持つうえ、慢性疲労症候群と診断された。

 米国には「聖なる炎(sacred fire)」という言葉がある。社会貢献のための無私な戦いを例えた言葉である。「世の中のためになりたい」という若き彼の純粋な夢を尊いと思う。しかし、聖なる炎に自らが焼かれてしまってはいけないのだ。Aさんには「聖なる炎に焼かれるからこそ自分は正しい」と感じるような、若さゆえの自己破滅的傾向もあった。

 そこで私は、Aさんにカウンセリングを行い、最も重要な食事について指導した。


「デザイナーフーズ」を多く取る

 米国ではガン患者数と死亡者数が減少してきている。これには「5 A DAY(ファイブ・ア・デイ)運動(1日5皿以上の野菜と果物を取ろう)」という、官民共同による全国的運動の成果が大きい。これにより米国民の野菜と果物の摂取量が大きく増加したのだ。

 また、NCI(米国立がん研究所)は1990年に「デザイナーフーズ・ピラミッド」という概念を発表した。ガンを予防し、健康に良い成分を含んだ機能性食品(ファンクショナルフーズ)を3ランクに分け、ピラミッドの上に行くほどガンや生活習慣病予防に効果的とするものである。

 詳しくは図と、以下のポイントを参考にしてほしい。

(1)キャベツは、ニンニクに次いで、高機能成分を特に多く含んだ野菜である。ガンを抑えるほか、キャベツに含まれるビタミンUは、胃酸を抑えて胃炎を軽減してくれる。

(2)茶に含まれるカテキンなどのポリフェノール群はガン抑制効果が高い。カテキンにはピロリ菌を抑える働きもあり、胃炎の改善にも効果を示す。

(3)オレンジ、レモン、グレープフルーツなどの柑橘類やトマト、ナス、ピーマンなどのナス科の野菜も毎日取りたい。トマトは特に、男性の前立腺肥大に効果がある。

(4)デザイナーフーズ・ピラミッドに記載はないが、ヨーグルトを毎日3週間以上食べ、腸内細菌を整えることで、インフルエンザウイルスに対する抵抗力や免疫力が高まる(プロバイオティクス)ことが証明されている。

 Aさんは、それまでの栄養バランスの偏った食事を野菜・果物中心の食事に改め、高機能食品を積極的に摂取したところ、血液データはみるみるうちに改善し、体調も回復していった。

 真摯な志を意気に感じて集い、支持してくれる人が必ずいる。Aさんには未来を信頼して、体をいたわりながら励むように話した。

心と体(日経ビジネス2009年10月12日号より)

日めくり診察室

日々ストレスがかかるビジネスパーソンに向けて、心と体の健康を維持するために役立つポイントをお届けします。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130415/246696/?ST=print
 

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01. 2013年4月27日 18:20:58 : nJF6kGWndY
http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/1283/
「絶望の国」の幸福論
最終更新日:2013年4月27日
経済が停滞し、閉塞感が高まる日本社会で幸福をどう見いだすか。時代の変化と向き合う論客3人の意見を軸に、若い世代の幸福論にせまる。

このページで紹介した論客らが語る「“絶望の国”の幸福論」はNHK Eテレで4月28日(日)0:00〜1:00〔土曜深夜〕放送

身の丈の幸せ
安藤美冬(スプリー代表)へのインタビュー - ジレンマ+(4月23日)
「“社会”を幸せにしよう」というと対象が大きすぎて、何をしたらいいのかわかりにくいのではないかと個人的には思います。私自身は、自分の身の回りにいくつかのコミュニティをつくり、自分の身近な人たちを手応えを持って幸せにしたいといつも考えています。その中には「個人」と「社会」を二元的に扱う感覚はありません。自分が個人として「幸せを感じるような生き方、働き方」のロールモデルを示すことが、結果的にその実践者を増やし、全体にも貢献できるのではないかと思うからです。
インタビュー全文を読む

「一人高度成長期女」の幸福論
水無田気流(詩人、社会学者)へのインタビュー - ジレンマ+(4月22日)
 父は大手製造業で人事の仕事をしていました。「おまえは好きなことばっかりやってるから、何をやってもダメなんだ」とずっと言われ続けてきました。「仕事っていうのは、苦労して、一生懸命辛い思いをして、ようやくお金を得られるものなんだ。なのにおまえはなんだ、好きなことばっかりやって」……と。流した汗のぶんだけ報酬が得られるという労働観です(笑)。
 確かにそうなんだけれど、就職活動なども含め、自分に向かないことをたくさんやってきて、気がついたら最後に物を書くことだけが残っていたんです。書くことに没頭している間、幸せとか不幸とかとは無縁の状態になります。結果的に、読者が読んで幸せになってくれたら、私も一番幸せ。読んでくれる人がいるという幸せ。この幸せは、おそらく父が現役であったころの製造業中心の労働観・幸福感とは異なる種類のものなのでしょう。ただ、たしかに好きなことをやってはいますが、私は父のように仕事と余暇がきっちり区別されていません。遊びと仕事の区別も曖昧です。つねに書きもののことを考えながら生活していますから、ある意味私は父よりもワーカホリックかもしれません。
インタビュー全文を読む

「豊かすぎてダメになった世代」なんて反省しなくていい
小室淑恵(ワーク・ライフバランス社長)へのインタビュー - ジレンマ+(4月23日)
「中国や韓国の若者は、日本の1970年代みたいにハングリー精神があって頑張っているぞ」とよく言われませんか(笑)。それは、70年代当時に若者だった人たちが、過去の自分を誉めるような気持ちで、自分たちを評価して言う言葉なのです。
 でもそれは、自分が過ごしてきたものがすべてだ、と思っている人たちの意見です。そんな過去の人たちの評価基軸に振り回されて、「若者としてハングリー精神が足りない。豊かすぎてダメになった世代だ」なんて変に反省とかしなくてもいいんですよ。
インタビュー全文を読む

番組情報

今回のテーマは「“絶望の国”の幸福論」。かつて、努力すればするほど豊かな暮らしを手に入れることができた時代の日本には、希望があふれていた。しかし経済が停滞する現在、若者の実感として「この国には絶望しているが、個人的には幸福である」という奇妙なねじれ現象が起きている。個人の幸福と社会の幸福の両方を実現することは可能なのか? 時代の変化に呼応した論客3人の意見を軸に、拡大・成長の時代に別れを告げた、若い世代の幸福論にせまる。
NHK Eテレ 4月28日(日)0:00〜1:00〔土曜深夜〕放送
NHK ニッポンのジレンマ
いま、ここから考える ジレンマ+
番組連動の意識調査
Q:この国に希望はありますか? そしてあなたは幸せですか? - Yahoo! JAPANソーシャルアクションラボ

2013.04.23
「“絶望の国”の幸福論2013」番組収録後インタビュー:安藤美冬
2013年4月28日(日)0:00〜1:00〔土曜深夜〕放送予定のニッポンのジレンマ「“絶望の国”の幸福論2013」収録後、出演者のみなさんにインタビューを行いました。

安藤 美冬 (アンドウ・ミフユ)
1980年生まれ。(株)スプリー代表。SNSでの発信を駆使した独自のノマドワークスタイルで学校運営、商品企画、PRなど幅広く手がける。NOTTV『テレビをほめるyes tv』レギュラー、シングルアラフォー向け雑誌『DRESS』「女のための女の内閣」働き方担当相。著書に『冒険に出よう』がある。

――「個人」にとっての幸福か、「社会」にとっての幸福か、という議論がありました。安藤さんは何を考えましたか?

安藤  「“社会”を幸せにしよう」というと対象が大きすぎて、何をしたらいいのかわかりにくいのではないかと個人的には思います。私自身は、自分の身の回りにいくつかのコミュニティをつくり、自分の身近な人たちを手応えを持って幸せにしたいといつも考えています。その中には「個人」と「社会」を二元的に扱う感覚はありません。自分が個人として「幸せを感じるような生き方、働き方」のロールモデルを示すことが、結果的にその実践者を増やし、全体にも貢献できるのではないかと思うからです。

――今回の番組で興味を持った、あるいは印象に残った発言や話題はありましたか?

安藤  「身の丈の幸せ」でしょうか。

 今回、番組のVTRでシェアハウスを実践されている方や農場で暮らす若者が登場していますが、彼らは、「自分たちサイズの幸せ」を分かっている。端から見れば、「お金という物質的な豊かさや、社会的地位には恵まれていない」という生き方に写るかもしれません。でも、彼らは彼らで「身の丈」に合った生活を自分で探り出しているし、少なくとも人のつながりや自分らしいライフスタイルという点では非常に豊かです。

 私自身も、モノには執着していませんし、社会的な常識にあまりとらわれていません。例えば今つけている腕時計の値段は、たったの1万円です。33歳の、まがりなりにも会社を経営しているいい大人が、NHKの討論番組に出演するのに1万円の腕時計をしている。このことに「大人げない」とか「けしからん」と眉をひそめる人もいるでしょうし、「そんなに儲かっていないのか」と勘ぐる人もいると思います。いや、ごもっともな反応なのですが……やっぱり私は高級時計に興味は湧かない。30万円の時計を買うこともできるけれど、時計としての「機能」が大事なのであって、「ブランド」に29万円の付加価値をどうしても感じられないのです。 だって、高級時計やスーツを身につけたからといって、モノが人を一流にしてくれるわけではないと思うのです。

 私はもし手元に30万円があったら、30万円の時計を買わずに、1万円の時計を買って残りの29万円を「人との関係性構築」と「学び」に投資します。つまり、モノへの消費ではなくてお金を生かす。30万円を時計に使い切ってしまったら、そこで30万円はおしまい。でも、人間関係づくりや学びへの投資にお金をまわせば、「もう1つの30万円」「もう2つめの30万円」……と、何度だって30万円をつくりだすことができる。不思議なことに、学校ではお金の稼ぎ方は教えてくれませんから。そうやって、生き抜く知恵と経験を積むことにお金をまわしたいと思っています。

http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/talk/4169


「“絶望の国”の幸福論2013」番組収録後インタビュー:水無田気流
2013年4月28日(日)0:00〜1:00〔土曜深夜〕放送予定のニッポンのジレンマ「“絶望の国”の幸福論2013」収録後、出演者のみなさんにインタビューを行いました。

水無田 気流 (ミナシタ・キリウ)
1970年生まれ。詩人、社会学者。東京工業大学世界文明センター・フェロー。著書に『無頼化する女たち』(洋泉社)、『平成幸福論ノート』(田中理恵子名義、光文社)、詩人として『音速平和』『Z境』(思潮社)など。
高度成長期を人にたとえると「青春時代」

――なぜ日本では「幸福論」がテーマになりうるのでしょうか。

水無田  若者が、自分が幸福かどうかを自問自答せねばならなくなり、「自分探し」――安藤さんが、「青い鳥症候群」と言っていましたが――をするようになりました。これは、日本がある程度の成熟経済状況に移行したために起こっている問題です。
 高度経済成長期、日本の社会全体は青春時代でした。当時の人はがむしゃら=ユーフォリア(イタリア語で幸福感、多幸感の意)ともいえる状態になり、個人として立ち止まって幸福について考える必要はなかった。

 しかし青春が終わって成熟に入ったとき、日本に需要は不足しはじめました。たとえば、耐久消費財もひと通り行き渡ってしまった。今までのようにがむしゃらにやっても、モノは売れない。私たちは、何を生きる目的にするべきなのか……。
 詩人で思想家の吉本隆明さんの講演を生前拝聴したときのことを思い出します。観衆は団塊のおじさまだらけ。会場からこんな質問が出ました。

 「なぜ、日本は“縮小、縮小”とばかり言われる社会になったのか。私にはそれが我慢できない」と。
 縮小それ自体に耐えられない世代と、最初から成長がありえないから自分の幸福を考えている世代が、話が合うわけがないのかもしれない。
 しかも今、身の丈にあった消費、身の丈にあった幸福というものが、人それぞれに極めて多様化し、見えづらくなっています。だからこそ、自問自答してしまうのでしょう。
 番組で紹介したような若い人たちが、幸せだとか資本主義の限界だとか考えなければならなくなっている事態について、上の世代が想像力を持っていないことも、問題だと思います。

“一人高度成長期女”の幸福論

水無田  自分の話をしますと、私は家庭の事情もあって、自分は幸福なのか? と考える余裕がないまま、今に至っています。学部を出てすぐに親が亡くなり、家族が入院し、看病やその後のリハビリを手伝いながら働くことが大変だったこともあり、結局、勤めていた会社をやめました。たまたま大学院を受験して受かったからいいものの、がむしゃらにやるしかなかったのです。自分探しをする余裕がなかった私は、ある意味自分の人生のなかに高度成長期があったようなもので、“一人高度成長期女”ですね。……よく考えたら、自分のことだけを考えている暇なんてなかった。

 でも、目の前にあるタスクを一生懸命こなし、ちょっとずつやってきた結果、なりたいけど絶対に自分にはなれないと思っていたもの――「物書き」になることができた。三度の飯よりも好きな、物を書くこと。それを仕事にできるのは本当に幸せです。

 父は大手製造業で人事の仕事をしていました。「おまえは好きなことばっかりやってるから、何をやってもダメなんだ」とずっと言われ続けてきました。「仕事っていうのは、苦労して、一生懸命辛い思いをして、ようやくお金を得られるものなんだ。なのにおまえはなんだ、好きなことばっかりやって」……と。流した汗のぶんだけ報酬が得られるという労働観です(笑)。

 確かにそうなんだけれど、就職活動なども含め、自分に向かないことをたくさんやってきて、気がついたら最後に物を書くことだけが残っていたんです。書くことに没頭している間、幸せとか不幸とかとは無縁の状態になります。結果的に、読者が読んで幸せになってくれたら、私も一番幸せ。読んでくれる人がいるという幸せ。この幸せは、おそらく父が現役であったころの製造業中心の労働観・幸福感とは異なる種類のものなのでしょう。ただ、たしかに好きなことをやってはいますが、私は父のように仕事と余暇がきっちり区別されていません。遊びと仕事の区別も曖昧です。つねに書きもののことを考えながら生活していますから、ある意味私は父よりもワーカホリックかもしれません。

人は幸福になるために生まれてきた

水無田  スタンダールが「人間は、金持ちになるためではなく、幸福になるために生まれてきた」と言っています。
 つまり、お金を稼ぐために余裕をなくすのは不幸だけれど、幸せになるために青い鳥を探しても、やっぱり不幸なんです。カフカも、「すべての悲劇は、余裕のなさから生じる」と言っています。私自身、時間に追われて子どもを怒鳴るたびに、この言葉をかみしめていますが……。

 個人的な生活感としては、子どもが小さいと、家族それ自体の青春期みたいなものです。生まれて、立って、話すようになって、幼稚園に入って……次々にステージが変わり、あまり深く考えている余地がないほど。この歳になって、こんなに巨大な「青春」がくると思わなかった。子育てっていいものですよ、がむしゃらになってしまいますから。がむしゃらになると、幸せについて考えることはなくなります。それが逆に、すごく幸せなことかもしれない。いまわの際に、「あの頃、幸せだったなあ」って思うでしょうけれど、いまはそんな暇はありません。

――「個人」の幸福か、「社会」の幸福か。どちらを先に考えるべきだと思いますか?

水無田  すごく難しい問題です。
 社会としての幸福って、なかなか個人的には実感できませんね。でも、社会が幸福でないと、治安が悪化するなど、ぎすぎすした所に確実に現れるものです。ですから、「個人」の幸福も「社会」の幸福も、両方とも必ず必要なのです。
 社会学は人間の社会的行為について考える学問ですが、「幸福」の分析を苦手としてきました。「幸福」とは、非常に主観的な要素の強い事柄だからです。
 しかしこれまで主観的だと思われていた「幸福」を、個人と社会の間を橋渡しするものとして捉えるような理論が必要だと思い始めています。
 社会学者は、社会の状況という「体制」のほうに先に目がいきがちです。「個人」の幸せは、もちろん大事なんですけど、社会のほうに問題が何かあると思うと、まずはそっちを研究してしまう。
 でも、いま多くの人が、幸せについて考えなくてはいけない事態に直面していることに関しては、物書きとして、何か書く必要があるかもしれない。「個人」と「社会」の両方が並びたつような社会にしていくのが、私たち社会学者の仕事でもあるのだ、という思いを新たにしつつあります。

水無田気流「ニッポンのジレンマ」収録後インタビュー
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水無田気流
磨きすぎた女子力はもはや「妖刀」である --- 女子が自由に生きるには ジレンマ女子会【後半戦】
「結婚」で幸せになれますか?---女子が自由に生きるには ジレンマ女子会【前半戦】
http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/talk/4128

2013.04.23
「“絶望の国”の幸福論2013」番組収録後インタビュー:小室淑恵
2013年4月28日(日)0:00〜1:00〔土曜深夜〕放送予定のニッポンのジレンマ「“絶望の国”の幸福論2013」収録後、出演者のみなさんにインタビューを行いました。

小室 淑恵 (コムロ・ヨシエ)
株式会社ワーク・ライフバランス代表取締役社長。06年潟潤[ク・ライフバランスを設立。「ワーク・ライフバランス組織診断」や「育児休業者支援復帰プログラムarmo(アルモ)」、「介護と仕事の両立ナビ」、「朝メール.com」などを開発。09年よりワーク・ライフバランスコンサルタント養成講座などを主催、多種多様な価値観が受け入れられる社会を目指して邁進中。二児の母の顔をもつ。内閣府の委員など複数の公務を兼任。著書多数。近著に『夢を叶える28日間ToDoリスト』(講談社)。
「幸福ですみません」という感覚を持つ若者たち

小室  今回のテーマは「幸福論」ということでしたので、事前に、自分なりに少し調べてみました。私はいま38歳ですが、この番組のターゲットである20代の人の考え方はどんな感じなのかなと思い、番組に出る前に、いろいろな人の声を聞いてみたのです。
 番組の中でも取り上げられていた調査で、「幸福である」と実感している人が、20代にむしろ多いというデータがありましたが、思った以上にポジティブな意味ではない、と感じました。

 世界にはいろいろな国があり、自分たちと比較して大変な国のことも知っている世代なので、それと比べたら、「そりゃあ幸福ですよ」と一応みなさん答えるんだけれども、「幸福ですみません」みたいな、“豊かに過ごしてきてしまったことに対する罪悪感”というものをすごく持っている。
 団塊世代の方の「苦労して得られるものがある」という“根性論”が日本にはあると思うのですが、そういう苦労を免れた自分たちは、苦労しないと身につかないものが身につかないままきてしまった“不完全な自分たち”なのではないか、というような感覚が、若い人たちに共通して感じられるのです。
 幸福だと答えている割合が20代で高いのを、「20代の人たちは困っていないからだ」「まだ困ることがないから幸福だと安易に言えるのだ」という意見もありましたが、私は、「幸福だ」と答えつつも「幸福ですみません」というような自信のなさがつきまとっているのではないかな、と感じました。
過去の人たちの評価基軸に振り回されない

小室  私はいろいろな国の人口動態とか、それによって働き方がどう変わるかということを専門にしておりますので、その国の状況、例えば経済の発展というものと、働き方、幸福かどうかといったことを関連づけて考えます。
 日本は確かに物質的にはとても豊かで、そのことで苦労をさせられてはいません。そんな中、今ちょうど苦労しているアジアの同世代と比べられることが大きな原因だと思うんですね。
 「中国や韓国の若者は、日本の1970年代みたいにハングリー精神があって頑張っているぞ」とよく言われませんか(笑)。それは、70年代当時に若者だった人たちが、過去の自分を誉めるような気持ちで、自分たちを評価して言う言葉なのです。
 でもそれは、自分が過ごしてきたものがすべてだ、と思っている人たちの意見です。そんな過去の人たちの評価基軸に振り回されて、「若者としてハングリー精神が足りない。豊かすぎてダメになった世代だ」なんて変に反省とかしなくてもいいんですよということが、私が番組でも一番伝えたかったことなのです。
――「個人」の幸福か、「社会」の幸福か。どちらを先に考えるべきだと思われますか。

小室  1970年代だと、やっぱり「社会」の幸福が大事だったと思います。というのは、全員が非常に似たフェイズ(段階、局面)にいたので、社会が一括して幸福にしてあげられる構造でした。ほぼみんなが同じラインに乗っかって生活が進んでいくような状態で、「日本という国の幸福はこうなので、ここに一番投資します」、「ここに一番たくさん公共事業を行います」というように、大きな枠でガンとお金を費やすことによって、似た状態の人たちを効率よく幸福にできるという状態が、70年代にはありました。
 でも今はもう、多様で、複雑な状態なので、国が幸せにしてあげるということ自体がほぼ不可能なんです。ですから「社会」の幸福みたいなことは目指しようもないですし、共有されていない“幸福の概念”に対して投資をすることは、非常に非効率です。
 「個人」と「社会」どちらが先か、というよりは、「個人」が自分の幸福の軸を決めて、それに対して小さくてもいいので行動を起こしていくことが、全体の幸福をつくっていくという手法しかありえないのかなと思います。
――小室さんご自身は、何が自分を幸福にしてくれると実感されていますか。

小室  何か1つのものに押し込められず、いくつかの軸があることですね。それが一番幸福だと思っています。
 例えば私の1日でいえば、私の会社は全員残業禁止という方針を貫くことで、創業してからずっと増収増益を続けてきました。仕事は絶対18時に終わらせるという意識があるからこそ、とても集中することができています。非常に密度の濃い仕事をするので、18時ぐらいにはぐったり脳が疲れてきて、9時間離れていた子どもたちとすごく会いたくなって、「会いたい!」という気持ち満々で2人の子どもを迎えにいくわけです。毎日ドラマみたいに(笑)、子どもたちの名前を呼んで、ギュウギュウっとハグします(笑)。
 そして家に帰ってきて、子どもたちとたっぷり時間を過ごすと、家事をして過ごす中でいろいろと困らせられたりもして「可愛いんだけど、もうっ!」となって、翌朝には「あー仕事がしたい!」という気持ちで意欲満々に仕事に戻ります。さらに土曜日には学生たちへのボランティア、日曜日には大事な友人たちとのパーティーで別の刺激を受ける……このように、複数の軸を持ち、自分の思考を切り換えています。
 時間はありすぎたらいいものではなくて、制限があるからこそ、その中で適度なバランスが生まれると思うんです。子育てだけをすれば密室育児に苦しくなり、長時間労働では仕事の評価にしがみついて苦しくなります。妻が育児だけ、夫が仕事だけになると「あなたは育児の辛さわからないでしょう」「おまえは仕事の辛さわからないだろう」と責め合って互いに不満がつのります。
 いつも3つか4つの軸を持ちそれらに時間を適正に割り振って、1つだけにしがみつかない状態にすることで、何倍もの相乗効果を感じている状態。それが一番の幸福だと私は思っています。
http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/talk/4160

2012.12.26
「結婚」で幸せになれますか??女子が自由に生きるには ジレンマ女子会【前半戦】
都内某カフェ。女子を取り巻く状況を研究する荒ぶる3人が「女子会」を決行した。婚活の流行、専業主婦志向の高まりといった、若い女性の保守化傾向の裏にはどんな気持ちの変化があるのだろうか。「自分のお父さんのような大黒柱」を求め、「古い」幸福観に囚われて仕事と人生の帳尻合わせをする---「望ましさ」を捨てて、女子が軽やかに自由に生きるにはどうすればいいのか、男子1名をオブザーバーに迎え(「女子会“観戦”記」参照) 、本音で語る。いくつになっても「女子会」は楽しい。


古市 憲寿 (フルイチ・ノリトシ)
1985年生まれ。社会学者。著書に『希望難民ご一行様』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、『僕たちの前途』(講談社)などがある。

水無田 気流 (ミナシタ・キリウ)
1970年生まれ。詩人、社会学者。東京工業大学世界文明センター・フェロー。著書に『無頼化する女たち』(洋泉社)、『平成幸福論ノート』(田中理恵子名義、光文社)、詩人として『音速平和』『Z境』(思潮社)など。

千田 有紀 (センダ・ユキ)
1968年生まれ。社会学者。武蔵大学教授。専門は家族社会学、ジェンダー・セクシュアリティ研究。著書に『女性学/男性学』(岩波書店)、『上野千鶴子に挑む』(編著、勁草書房)『日本近代型家族』(勁草書房)などがある。

西森 路代 (ニシモリ・ミチヨ)
1972年生まれ。ライター。専門は香港、台湾、韓国などアジアのエンターテインメント、女性のカルチャー全般。著書に、『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)などがある。
旧来の結婚観を捨てられない

編集S (31歳女子) 私の最初の問題意識から始めますね。昔は特権階級のみならず誰もが結婚できるようになったという「再生産の平等主義」(落合恵美子)があったけれど、今は特に仕事を選んだり結婚することで年収や人生が決まってしまうから逆に不平等が生まれるという「再生産の不平等」の話を、千田先生が本(『日本型近代家族』で書いていらっしゃった。
 今、大学も仕事も、恋愛相手、結婚相手も自由に選べるんだけど、自由に生きることで結果的には自由じゃない、窮屈になっていることがあるのかなと思ったんです。
 でも一方で、「女性は家庭、男性は仕事」という価値観が正しいかという調査(「男女共同参画社会に関する世論調査」 内閣府)では、女性の半分くらいが「そう思う」という結果が出ているのを見て……。
西森  すごくわかる! 女性がそう言いたがる感じが。
編集S  各国比較でも、日本が突出してるんですね。その考え方にもたぶん偏りがあって。結婚などの制度のみならず、私たちの価値観のほうにもそもそも問題があるのかなと……。女子学生が保守化している、という話もよく耳にしますが。
水無田  確かに、すごく保守化傾向といいますか、専業主婦志向が高まっているというふうな言われ方をします。ただ、この場合の専業主婦志向というのが単純に“保守化“なのか、つまり、文化的な望ましさの問題なのか、規範の問題なのか、ライフコース選択の問題なのか、安定志向の切断面なのか、いろいろな切り口があると思うんです。
 わかりやすく言えば、かつての昭和的、高度成長期的な安定した社会構造があってこそ、性別分業も成り立っていたわけですよね。企業は護送船団方式で、系列企業同士はスクラムを組んで極力つぶれないような形になっていて、被雇用者から見れば日本型雇用慣行がしっかり守られていて。女性は正規雇用の男性、つまり一家の大黒柱、ブレッドウィナーとなるような男性とくっついて専業主婦になり、「ブレッドウィナー・アンド・ハウスメーカーカップル」になるという……ある意味、そういう形への憧れが強くなってきています。
千田  私も日本型経営の終焉と家族の変化がリンクしている点については同感です。特に1990年代後半ぐらいに、正規雇用がかなり有期雇用に置き換わったわけじゃないですか。大きく割りを食ったのが、古市さんやもう少し上ぐらいの若者の世代なわけですよね。
古市  そうですね。
千田  つまり結婚相手が今までのブレッドウィナーになれないというか、日本型の雇用環境に守られてないわけですよね。そうすると、専業主婦になるというオプション自体が、初めから阻まれているというか、女性にとってあまりないと思うんです。配偶者の控除とかを見ると、明らかに右肩上がりのグラフになっていて、収入が高ければ高いほど適用割合が高い。専業主婦なわけです。
 つまり専業主婦になりたいということは、専業主婦をさせてくれるような男の人をつかまえたいという意見の表明であって、現実にできるかというと……実現可能性に関しては難しいなと思っているんじゃないかと思うんです。


西森  この間、大学で学生に話を聞いたときに、皆この事実はちゃんと知っていて、納得していて、実現可能性が高くないということも、ちゃんと理解している。なのに、いざ自分のこととして「どうですか?」と聞いたときは、自分だけは大丈夫だと思っているという傾向がすごく高くてビックリしました。
水無田  客観的に見れば難しいだろうというのは、分かってるんです。でも、自分がその“望ましさ”を捨てるっていうのがなかなかできない。北風と太陽じゃないですけど、逆風があればあるほど、古い幸福観にしがみついてしまうみたいな。
 この間、宇野常寛さんとの対談の中で、若い女の子たちに旧来の結婚観、幸福観を捨てさせるのは、反政府勢力に武装解除させるより難しい、ということを話していて。要するに、人間、嫌な事柄を改善したり捨てたりというのは、比較的前向きに取り組むことができるんです。でも、望ましいもの、譲れないと思っているものを自ら捨てるって、ものすごく難しいことなんですよね。
 今、専業主婦といっても、1997年以降サラリーマン世帯、被雇用者世帯でも、専業主婦のいる世帯を共働きの世帯が抜いて、もうどんどん差が開いている。
千田  そうですね。共稼ぎと片稼ぎの割合が、ちょっともたついてる時期もありましたけど、今は完全に差がつきましたね。
水無田  全体で見ても、就業している女性に関して言えば、中高年の40代以上、なおかつ非正規雇用という人のほうがマジョリティなんです。
 若い女の子たちは要するに、専業主婦というか“セレブ妻”になりたいわけですね。自分の生活観とか結婚観って、どうしても自分の生育環境に根差しますから、自分の生まれ育った、一家の大黒柱の父親が自分にしてくれたようなことをできそうな男性を求めてしまうわけです。
千田  それはたぶん高い階層の話かなっていう気がします。例えば、私が知っている女子大生、いわば中堅どころの大学生の話なんだけど、「理想のライフコースを書いてください」って言うと、なんかM字型雇用(*)みたいなことをはっきり書いてくるんですよ。結婚してしばらくしたら、パートに出たいというふうに。なぜパートなのかというと、彼女たちは最初からパートをやってるんですね、スーパーとかで。本当はマクドナルドとかスターバックスとかすごく憧れなんだけど、今は非正規雇用の人がたくさんいるからそれすらない。「君たち試験前とか休むでしょ。学生バイトはいらない」って言われるとかで。だから、男の子は魚にラップかけて、女の子はレジ打ちしてて……。慣れ親しんだ仕事に戻るっていうことだと知って、私は結構ショックを受けましたね。
*M字型カーブ 「30代前半で出産・育児のために仕事を辞め、その後復帰してパートタイム労働などの低賃金労働につく」という女性労働者の働き方を示している。
水無田  東京の話ですか?
千田  東京近郊ですね。あまり上昇志向がなくて、なんか脱力系です。今の若い子って、バブル世代から見たら、びっくりするくらい、なんでそんなにやる気ないのって思いますよ。
西森  宝島社のOL向け雑誌『steady.』が意外と売れているそうですが、都市型じゃなくて田舎型で、どっちかっていうとバリバリ働く女性じゃなくて非正規雇用の女性が読んでるような感じなんですね。で、本当に皆さんがおっしゃっているように、高望み系じゃない。「怒られないファッション」とか、「会社でドジっ子やっちゃった」みたいな(笑)。ドジっ子なんだけど、最終的には会社の後輩に「そんなドジだから俺がそばにいないと」みたいな、そういう物語の1か月コーディネートページが毎号繰り広げられていて、なんかほんとに、高望みじゃないんです。
千田  ねぇ〜(激しく同意)。やっぱり現在は産業構造が変わりましたからね。今はサービス業かアイデアとか形のないものにしか雇用がないわけじゃないですか。機械化によって人の手を使う産業は空洞化してきている。才能を使ってすごく上のほうに行けるような人は、それこそ一攫千金みたいなことを考えるかもしれないけれど、そこにも手が届かないと初めから思っている子たちは、「もし総理大臣になったら」みたいな話をしたって、「総理大臣って、みんなに怒られる係ですよね」とか、「文句ばっかり言われるんですよね」と……。「なりたいとか思ったこと一度もないですよ」みたいな子たちが、結構マジョリティじゃないですか?
西森  でも、古市さんとかもそういう考えはありますよね。「怒られるの嫌だし」みたいな。


古市  総理大臣は別にならなくていいですよね。ただ、大都市に住む若者への調査を見ていると、20代の3割ぐらいは有名になりたいと答えていますね。
千田  有名人にはなりたいんですか?
古市  あと、独立してお店を持ちたいとか、起業志向とかも、大体3割ぐらいですね。
千田  だから、組織の中で責任を持つ総理大臣にはなりたくなくいけど、セレブっていうか、著名人にはなりたい。
水無田  「テレビに出てる人になりたい」っていうのは、小学生の女の子に多い意見でもありますね。
西森  アイドルもね。
水無田  何か特定の職業じゃないんですね。「テレビに出てる人になりたい」って。
西森  ちやほやされたいっていうことですよね。アイドルやアナウンサーになるフックとして学歴とかつける人いますしね。
水無田  だから、地域社会などの人間関係が希薄になっている中で、遠くの隣人より近くの芸能人とでもいうような現象が起きているんじゃないでしょうか。ちやほや志向もある一方で、極端なリスク回避志向も目につきます。以前、すごく意識が高い女子学生に「どうしてもリスクを取りたくないんですけど、ベンチャーで起業するのと公務員目指すのと、どっちがリスクが高いんですか?」って聞かれたことがあるんですね。「それをいきなりはかりにかけるのか!?」と思っちゃった(笑)。
 低成長時代で、デフレ社会を生きてきて、とにかくリスクの低いものを……今あるものを放さずに生きていけることを考えてる。大企業でも安穏としてはいられないし、現状では女性はなかなか出世できない。究極の選択なんでしょうね。
千田  組織の中に入って幸せがあるとあんまり思ってないんです。一般職みたいなところって、今までラインがあったわけじゃないですか。例えば銀行の一般職。そこが女子の就職率を結構押し上げてるんですよね。今までだったら、何年か働いて社内結婚とかして専業主婦になって……というコースがすごくよく見えたんだけど、今、それすらよく見えなくなってきている。国立社会保障・人口問題研究所の調査(岩澤美穂)とかを見ても、結婚相手との出会いの形態として明らかに“社内結婚”というものがガツンと減っていて。今まで、「いい企業に入ると女としての就職も保証される」だったのが、それすらもなくなってきてるんだなということがわかります。
古市  でも、地方はまだそういうのが残ってるんじゃないですか。地銀とか。僕は、全然地方のことわからないので、勝手に「地方」を想像しちゃうと、東京とかのいい大学を出た人が地方に帰って地銀に入って、それで地元の一般職で入ってきたお嬢様と結婚して幸せ! みたいなルートが、まだまだありそうな気がするんですけど。
西森  まだ、あるのかなぁ。私が地方にいた15〜16年前のときは、確実にそうだったんだけど。でも、私がいた会社も(女子は)全員派遣社員になったから、たぶん働いているだけで社内結婚というのは難しい。コンプライアンスみたいなのもあるし、階層差とか……、社内ではやっぱり男性側が気を遣わないといけないし……。
古市  実際恋人がいる割合とか結婚してる割合って、地方のほうが低いですよね。
水無田  そうなんです。「彼女いない歴全人生」っていう人も、地方のほうが多いですね。内閣府の「平成23年 結婚・家族形成に関する調査」では、20代・未婚男性のうち「交際経験なし」は都市部では3割ですが、地方だと4割にのぼります。地方は男性のモテ格差もすごく大きいんです。それは、地方在住の既婚者と未婚者の格差に如実に反映されています。生涯で付き合った人の数を調べると、地方の既婚男性は、今まで恋人として交際した人数が、20代・30代ともに未婚者の倍くらいです。
千田  地方はやっぱり二極化していて、結婚早い人は結構早いじゃないですか。それで、ワンボックスカーとか買って、子どもをたくさん連れて、いろいろな家族とバーベキューしたり……みたいな生活をする。ネットワークも高校のときのものが、まだずっと生きていて。それは大学のじゃないんですよね。
西森  地方でバーベキューできないと生きていけないんです。私、できないから東京に出てきたんですよ(笑)。
千田  東京はバーベキューがむしろないからね(笑)。ただ古市さんが言うような「地方にUターンする人」は一握りのエリートで、そういう人にはたぶん女子が群がりますよ。地方の雇用って、それこそインフラ系とマスコミ、それ以外ないですよね。
西森  あと、公務員と。でも、もしかしたら地方の人って、エリートとかあんまり考えない人のほうが多いかも。
古市  さっき千田さんが言っていた、「スーパーでバイト」してる女の子たちは、相手はやっぱりエリートがいいとかも別にないんじゃ……。
千田  思ってないと思いますけどね。ただ実際にちゃんと暮らしていけるだけの収入を得ることも、なかなか難しいんですよね。クオリティ・オブ・ライフは高いけど。
西森  っていうか、むしろ「エリートの人の話って意味わかんないし嫌だな」と思ってるかも。
千田  なんか面倒くさそうみたいなのもあるかもしれないですよね。
水無田  確かに昨今の結婚観は“水平婚”志向というか、要するに自分と同水準のトライブ(集団)に行きますよね。
千田  そう。分不相応の人と結婚したらやっぱり大変ですよね。スーパーでバイトしている子たちのなかにも、起業志向の子もやっぱりいる感じがしますね。で、何やりたいかというと、ネイル屋さんとかエステとか、雑貨屋さんとかを身内で起業したいとか、そういう感じですよね。バリバリ儲けたいとか思ってないんだけど、小さいお店とかをもって。それこそ今はネットショップもあるわけだし、つけまつげとかネイルとか、アクセサリー販売するとか、そういう身の丈に合ったところで食べていけるかも、みたいな志向の子もいるんですよね。
西森  私が最初に東京に来て派遣で働いたときの同僚も、美容系で独立するからと言って辞めていきましたね。その子は特に恋愛に対しての意識が高い、ちょっと上昇志向のある子だとは思う。
水無田  女子で上昇志向が強いっていうと、確かにバリバリ仕事で成功していこうっていうだけじゃなくて、むしろそっちの女子出世的な志向性が強い人が多数派かもしれません。
古市  たとえばギャルメイクの歯科衛生士とかですか?
西森  歯科衛生士とはどういう妄想で?
古市  そんなに勉強を頑張らないで、専門学校とか卒業して働き始めたら、自分よりも階層の高い歯科医師がたくさんいたりする。歯学部って学費が年間1000万円くらいはしますよね。だから、上昇婚を狙ってて、勉強したくない場合は歯科衛生士がいいんじゃないかなぁ。
西森  歯科医師と歯科衛生士は結婚してるんですか?
古市  歯科医師と結婚できなくても、歯科衛生士って合コンとかでイメージもいいじゃないですか。その立場を獲得するための投資に比べて、リターンが大きいと思うんです。
千田  でも歯科医師って初期投資も必要だし、今はワーキング・プアも多いですよね。それよりも薬剤師ですよ、薬剤師。病院に入ってお医者さんをつかまえるために薬剤師になるというコース。
古市  でも、薬剤師まで行ったら、もうちょっと頑張って医者まで頑張ればいい。
千田  自分が?
古市  自分が。だって、薬剤師の資格取るのって6年かかるじゃないですか。だったらもうちょっと頑張って医者になったほうが……。
千田  いやいや、そうはならないんですよ。
西森  今、男性のほうも、自分の持ってる資産を結婚によって減らしたくないから。
古市  わかる、わかる。
西森  古市さん、そんな階層の違う人と結婚する気、全くないでしょ? 古市さんと結婚する人は、古市さんと同じぐらい年収がないとやっていけないなって思ってるんだけど。
古市  いや、逆に僕より上がいいです。
西森  だろうね。
水無田  サラッと言っちゃいますね。
西森  そういう男性も多くなってると思いますね。
古市  結婚によって階層上昇を図りたい!(キリッ)
水無田  出ました、この宣言。


男女逆転時代

千田  女性のほうが年収が多いという「男女逆転カップル」に関する研究を見たことがありますが、顕著に2つのパターンがあることに気づいたんです。1つのパターンは、もともと“逆転”するつもりはなくて、自分(男性)が稼ぎ手になろうと思って結婚したのに、リストラなどによって妻に養われることになった「専業主夫」。彼らはどちらかというと卑屈なんですよ。やっぱり、男らしさの規範みたいなものがあるから、「こんなはずじゃなかった」とか「周りに言えない」とか思ってる。でも、もう1つのパターンは逆で、ものすごく楽しそうな男性たちなんです。「よかったー」って。本人がミュージシャンだったり大学院生だったりする場合です。
西森  好きなことができている人たちですね。
千田  そう。で、相手の女性は社長とかキャリア官僚とかでガッツリ稼いでいて、年の差もあって、「俺、彼女のおかげで好きなことさせてもらって、幸せっす」みたいな。
水無田  私、ポスドクのたまり場みたいな専門学校で10年ぐらいアルバイトしていたんですけど、学生と結婚した人が一人いた以外は、男性講師全員が年上女房をもらっていました。相手の女性は、高校の教員とか新聞記者とか、大学の専任講師とか、要するに自分より年収が高い専門職ばかり。ガンガン稼いでいる女房をつかまえて、自分は研究に打ち込んで、まさに「幸せっす」でしたね……。
古市  でも、実際男性側の「男は外で働いて女は家で」みたいな価値観の若者の増加が最近も話題になっていましたよね。特に20代男性に関しては55.7%。3年前の調査よりもだいぶ増えています。
千田  とはいえ、国立社会保障・人口問題研究所の調査を見ると、「専業主婦を望む」という層が雪崩を打つように減っていて、「妻に稼いでもらいたい」みたいな打算が見えませんか?
西森  あるアンケートでは、相手に「自分と同程度の年収」を希望する男性が多くて、「自分より多い」がその次で、「自分より少ない」が3番目でしたね。
水無田  でも、学生の意識調査をとると、確かに共働き志向ではあるんですけど、男子学生は、「働きたいなら働くのを許可してあげてもいい」とか、「好きな仕事なら、続けさせてあげてもいい」といったような、上から目線なんですよね。若年男性の昇給ベースがこれからどんどん鈍化していくことを考えると、「働くのを許可してやってもいい」どころの騒ぎではなくなっていくことは必至なんですけど。そこのところの「上から目線の平等志向」は、感覚の問題として根強いんですかね。
西森  男女平等っていうか、女子化したがっている男子が多いのでは。女子だけ定時に帰れる状況とかをすごく意識してるっていうか。「女子並み」に働きたいと。
古市  一般職になりたい男の子たち、今いますよね。
千田  実際にもういますよ。学生で。
水無田  でも、昨今では一般職女性自体の採用も減って、どんどん派遣にすげ替えられていっています。かつてよりずっと「狭き門」ではないんでしょうか。確かに産休や育休などの制度を、額面上フル活用できて身分も保証されているので、「寿退社」慣行が弛緩したら、結婚してもある程度年齢を重ねても、容易には辞めない人が増加しているとも聞きます。


千田  だから、総合職と一般職とどっちが得かっていうことを現実的に考えると、実際の答えは難しいですよね。私の世代の総合職って結構辞めているんですけど、働き続けたかったのに辞める人だけではなくて、初めから“腰掛け”のつもりで入った人がいたのは面白かったですね……例えばテレビ局で3、4年ガンガン働いて、「わー、楽しかった。いい思い出ができたわ」っていうところで、取材先の人に気に入られて、息子を紹介されて、それで結婚して退職するとかいう人もいます。
 どうせ少しの間だから、忙しくても楽しくてエキサイティングに仕事をしたいっていう女の子って、東大とかにもいるわけですよ。その一方で、やっぱり見ていて思うんだけれど、総合職で太く長く働き続けている人って、体力・気力ともに凄い人たちなわけじゃないですか。私は、そういう人たちが好きですけど。でもそうすると、そこそこでいいから一般職でずーっと働き続けるっていうのは、悪い働き方じゃない。
 某大手の商社では、社内結婚して退職する慣行があった。だから従来は女性をお嫁さん候補として採用していたんだけど、社内結婚じゃなかったら辞めなくていいんですって。となると、社内結婚しなければ高い給料をもらい続けられるわけじゃないですか。そうすると、皆が社内結婚をしなくなって、高給一般職っていうのがたくさんいたんだそうです。だから一時期景気の悪いときには、一般職は採用できなかったという。
水無田  短期間で辞めてくれるサイクルであるからこそ可能だった制度が、建前と実態の乖離というんでしょうか、建前をそのままちゃっかり利用する人たちが増えてきていると思うんです。総合職じゃなくて最初から一般職狙いとか。
 私、大学のキャリア支援の経験が結構長くて、女子の就職、特に公務員試験にはちょっと詳しいんですけど、例えば国Tと国U両方に受かっても、あえて国Tを蹴って国Uに行く女子の多いこと! いい大学出ていて、留学もして、資格もいろいろ取ったうえで公務員試験勉強もやって、それだけコストをかけて国T・国U両方受かったら、普通男の子だったらどう考えても国Tでキャリア官僚への道を選択するんですけど、あっさり国Uを選ぶわけです。
千田  働きやすいからですかね。
水無田  はい。産休・育休も取りやすいですし。国Tになって本当に責任ある職に就いてしまうと、やっぱり女子は働き続けられないので、賢く選択しているんです。総合的に見て、この人はなんと女子力が高いんだろうと。
千田  それがわかる人は女子力が高い人ですよね。低い人は東大で博士号とか取って、生きづらくなるんですよ。私のことですけど(笑)。
西森  女子は能力が低いほうが幸せになれると思っている人もいると思うんですよ。旧来型の考え方として。
水無田  女子の社会的地位が高くなりすぎてしまうと、能力の種類にもよりますけど、恋愛・結婚市場では弱者になってしまうんですね……。
西森  そう思いこんできたけど、古市さんみたいな人が出てきてるっていうことは、もしかしたらそうとも言い切れないのかもしれない。
水無田  ああ。古市さんみたいな人が出てきたのは、日本の女子の希望なんですかね。
西森  私は希望だと思いますよ。


【後半戦】へ続く…

磨きすぎた女子力はもはや「妖刀」である ? 女子が自由に生きるには ジレンマ女子会【後半戦】
都内某カフェ。女子を取り巻く状況を研究する荒ぶる3人が「女子会」を決行した。婚活の流行、専業主婦志向の高まりといった、若い女性の保守化傾向の裏にはどんな気持ちの変化があるのだろうか。「自分のお父さんのような大黒柱」を求め、「古い」幸福観に囚われて仕事と人生の帳尻合わせをする---「望ましさ」を捨てて、女子が軽やかに自由に生きるにはどうすればいいのか、男子1名をオブザーバーに迎え、本音で語る。いくつになっても「女子会」は楽しい。


古市 憲寿 (フルイチ・ノリトシ)
1985年生まれ。社会学者。著書に『希望難民ご一行様』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、『僕たちの前途』(講談社)などがある。

水無田 気流 (ミナシタ・キリウ)
1970年生まれ。詩人、社会学者。東京工業大学世界文明センター・フェロー。著書に『無頼化する女たち』(洋泉社)、『平成幸福論ノート』(田中理恵子名義、光文社)、詩人として『音速平和』『Z境』(思潮社)など。

千田 有紀 (センダ・ユキ)
1968年生まれ。社会学者。武蔵大学教授。専門は家族社会学、ジェンダー・セクシュアリティ研究。著書に『女性学/男性学』(岩波書店)、『上野千鶴子に挑む』(編著、勁草書房)『日本近代型家族』(勁草書房)などがある。

西森 路代 (ニシモリ・ミチヨ)
1972年生まれ。ライター。専門は香港、台湾、韓国などアジアのエンターテインメント、女性のカルチャー全般。著書に、『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)などがある。
男女逆転時代 つづき

古市  前回(ジレンマ女子会【前半戦】)、結婚と階層の話が出ました。今の未婚化の原因の一つには階層下降があると思うんです。未婚者の大体7割は親と同居していますよね。親と同居していた女性が、結婚して彼と住むとします。すると、お互いが共働きでも、もともとの生活水準を下げなくちゃいけない場合も多い。実家ではすべてお小遣いにできていた給料を生活費にあてなくちゃいけなくなったりとか。
千田  だからみんな結婚しないんじゃないですか。
古市  もちろん、それだけじゃないと思いますけど。
西森  いろんなものが目減りすると考えられますからね。
水無田  例えば酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』を読んで思ったのが、都心の私立女子校上がりの人たちは、自分の所属集団の目が気になっちゃって、仲間内でうらやましがられるような結婚じゃないとできないっていう意識が、すごく強い。
千田  特に40代のバブル世代はそうですよね。「ここまで待ったんだから、周りにうらやましがられるような結婚しなきゃいけない」って思って、だんだんハードルが上がる。
水無田  友だちに自慢できないような人が見つからなければ、「いっそ外国人でもないと無理」とか。
千田  そうそう。外国人だったら、無職でも寺島しのぶパターンみたいなのがある。何やっている人かよくわかんないけど「でも、私の夫はフランス人だから」って言ったら“勝ち”みたいな。
水無田  私の友達は、類は友を呼ばずに優秀な女性ばっかりなんですけど、40歳過ぎて結婚したのは、みんな相手は外国人というパターンばかりで。どういうことよって思いました。
古市  僕も外国人と結婚したいですね。
水無田  だんだん固まってきましたよ、古市さんのお相手プロファイリングが。
古市  浜崎あゆみの結婚が、すごくいいなと思ったんです。日本で籍も入れなくて、ロサンゼルスで結婚して、しかも年3〜4回しか会わないみたいな。まぁ、すぐに離婚しちゃいましたけど。
水無田  結婚の意味あるんですか?
古市  僕の妹が今年結婚したんです。結婚は別にうらやましくないんですけど、結婚式はすごい楽しそうだなと思って。
西森  やっぱり女子じゃないですか!
水無田  待ってください。古市さんがわかんなくなってきた(笑)
古市  結婚式って、自分たちが主役のパーティーじゃないですか。それを長い間準備して、当日にみんなからちやほやされるって、楽しそうだなぁ、って。
水無田  結婚式が楽しそうって言う男子、初めて見ました。
西森  昔はいなかったですよね。
水無田  いい世代ですね。考えたら、1990年代初頭ぐらいまでは、会社員にとって職場がまだまだお見合いの場だったから、仲人が上司だったりして。そうすると、お嫁さんのほうは、自分さえきれいに見えればいいんですけど、旦那さんのほうは、会社村の中での「さらし者」ですから。で、3つの袋とかですから(笑)。
 そりゃ嫌ですよね。友達とか気の合った仲間しか呼ばなくて、会社の上司とか関係ないところで、自分のコミュニティの中で結婚式をするんだったら、楽しいでしょうね。
西森  男性の感覚が変わってきているというのもたぶんあって。昔は、着飾ったり、主役になったり、晴れがましいことをするのって男性にとっては「しゃらくせえ」ことだったと思うんですけど、今や、ひげを脱毛するような人たちがそういうことを思うわけないっていうか。
水無田  そういえば古市さん、永久脱毛してるんですよね?
古市  ひげだけですけどね。単純に便利なので。毎日剃るの面倒くさいじゃないですか。結構まわりに多いですよ。
水無田  なるほど。便利ならそれでいいんじゃないですかね。
千田  剃らないほうがお肌もきれいなままに保てますよね。
西森  昔は私、「ロマンティックラブ・イデオロギー」を信じていましたし、マッチョな思想に対して同調したい気持ちもあったから、女子化していると思われる古市さんを見て「こいつらが国を滅ぼすんだ!」とか勝手に思ってたんだけど(笑)
水無田  なんで「国を滅ぼす」なんですか。
西森  保守的だったんでしょうね。
古市  「こんな人がいたら国が滅びる」みたいな。
水無田  どこまで頭の中オヤジなんですか!(笑)


西森  私も、最近やっと「女子化した男性ってなんて楽なんだろう」って思い始めて、私自身も脱マッチョ化してきました。
水無田  私は編集者さんをはじめ、メディア関係の方とかとお仕事する機会が多いですけど、こういう業界で仕事ができる男の人って、フェミニンっていうか、端的に言っておばちゃんっぽい人が多いですよ。
 だから、女子学生には「君たち、おばちゃんっぽい男がこれから出世するから。つかまえるなら、イケメンよりおばちゃん男子がお勧めよ!」と伝えています。もはや女子を通り越して「おばちゃん」。
千田  でも、20年前は、出世するタイプはやっぱりオヤジだったじゃないですか。それがもう全然違うと思う。
水無田  そうですね。
西森  自分の世代くらいが分かれ目な感じがします。
水無田  そうそう、分水嶺ですよね。
千田  私たちはコーホート的に損してますよね。今の若い子たち見てると。

「女子力アップ」の果てに

水無田  私たちの世代は、中学・高校とか、彼氏ができた女の子から勉強をセーブしだすっていう感覚があったような……。彼氏が言うわけじゃないんだけれども、彼女のほうからなんとなく一歩引いてしまうというか。今でもその傾向はあるかもしれませんが。
西森  自分の思い込みがあるんですよね。それが一番何に表れているかというと、日本の管理職の女性の割合にそういうところが出ていると思います。女性は、会社でうまくやっていくのに「能力が高すぎないほうがいい」という思い込みが、すごく大きいと思うんです。OLしていたから分かりますが、余計なことは言わないように悪目立ちしないようにという意識がすごく大きい……。
千田  そうですよ! 私も学会で風当たりが強くて……ある先生に理由を聞いたら、まず「君は大きいしさ」って。あと「声が低すぎる」(笑)
西森  “できる、でかい、声が低い!”は女性がこうありたくない要素ですよね。
千田  だから小柄な子が小さな声で「えっと、よくわかんなくて」と発表してたら、みんなすごく優しいのよ(笑)
水無田  千田さんは、まだ偉いおじさまの先生に声かけていただけるからいいんですよ。私、最近気が付いたんですけど、学会に行くたびに腐女友増えるなって。研究職系女子の腐女子率がすごく高いので、つい楽しくお話をしてしまって。考えたらこういう時って、偉いおじさまの先生に売り込むくらいの気概がないと、専任の職はゲットできないはずなんです。でも私は、偉いおじさまの先生どころか、男性研究者一般が、決して近付けない亜空間を生み出してるのに、やっと気が付いて。
西森  それって学会とかだけの話じゃなくて、一般社会だって絶対そうなっていますよね。行き場のなさが腐女子をはじめとした、おじさまの理解を超えた新しい女子像を生んでいるような。
 古市さんぐらいになると、逆に「いじられて怒られたい」ぐらいの感じですか?
古市  別にいいっていうか、関係性としてはそのほうが楽ですよね。でも女子も、かつてはこうだったんじゃないですか?
西森  そうそう、だから古市さんを見ると、昔の女の子を思い出すんです(笑)
古市  今でもこういう女の子はいるんじゃないですか? たまたま「このあたり」にいないだけで(笑)
西森  男女差があまりないんですよね、古市さんの世代って。
古市  男女差というものは減ってきている気はするんですけど、そしたら上野千鶴子さんに「そんなことはない」って。
千田  男女差はわからないけど、“性欲の二極化”みたいなのは起こってませんか?
古市  ああ、二極化はそうですね。
千田  すごくやる気のある人とない人と。それは男女とも。だから、性欲のない学生同士は、旅行とか行って男女2人で同室で寝たりとかしてるんですよね。何かあると思うほうが変、みたいな。しかも、女子にアタックされると、今の男の子は引いてますよ。実際、ちょっといいなと思ってた子に積極的に来られて、怖くなって逃げたっていう話がありますよ。例えば一緒に泊まってて、彼のほうが何も手を出してこない。女の子は「なんで?」と思って、ちょっと積極的になったら「ドン引き」みたいな感じで。これから男の子がみんなそういう草食系ばっかりになっちゃって大丈夫なんですかね。
西森  それこそ、古市さんが国を滅ぼすんだろうな、みたいな(笑)
千田  そう。さっきからそのセリフが頭から離れないんだけど(笑)
古市  女子力っていうか、女子って何を頑張ればいいですか? そもそも女子力アップとかって言うけど、女子力アップの果てに何があるのか……。
水無田  男子がみんな古市さん型になった社会になって、女子がどう頑張ればいいかっていうことですね。
西森  古市さんは女子力というものをどう思ってますか?
古市  なんだろう……。女性誌とかで“30日コーデ”とかあるじゃないですか。それってもう別に明らかに男性のためのものでも、職場の人のためのものでもない。
西森  本当は古市さんをはじめとした男性に見てもらいたくてしてることかもしれないけど、そう思われちゃうわけですね。
古市  そう。結局それは誰のためなんだろうとか、すごく思っちゃう。「モテ」とかって書いてあるのを見ると、これは誰のために何のために頑張ってるんだろうみたいな。だから女子力というのは、誰のためか分からないような努力を黙々と続け、しかもその努力を人には見せない修行僧のような能力だと思います。
西森  昔はそうやってスカートを毎日変えたり、華やかにしてるだけでありがたがってくれる男性っていうものがいたんですけど。それこそ、さっき水無田さんが言ってたように、旧来の女子の価値観がいまだに変わらずに主流になっていて、スカートを毎日変えたほうがいいというのが残っている。
古市  でも、スカートを毎日変えて、16日目ぐらいにそれの存在意義を疑わないんですかね。このスカートは、果たして私にどんなポジティヴな影響を及ぼしてくれるんだとか。
 今、若い女性にとって、憧れの女性とかタレントとかセレブリティーって誰なんでしょうね。
西森  ブロガーとかじゃないですかね。自分に近い存在を同一化するほうが楽しいっていうか。タレントとかに投影するんじゃなくて、普通の人が階層移動した形が、例えばブロガーみたいな感じがします。自分から離れた存在ではなくて、自己が投影しやすい人のほうが憧れられるのでは。
千田  やっぱり組織とかでバリバリやってる人みたいなのは目標にならないし。起業でもあまりにもガーンとやってると自分からは遠いから、それこそちょっと身近なところで……読モ(読者モデル)とか。読モの影響は考えるべきだと思いますよ。
水無田  ありますね。読モ的世界というか、読モが文化集団というか、レファレンスグループになっちゃってるところが大きいんですよね。
千田  ほんとのモデルのようなプロ意識もなく、なんとなく読モとして、おいしいところだけチョロチョロできるかもっていう幻想ですけど。
西森  女性のガツガツしたプロ意識みたいなものを忌避したい男性心理と、女子の中でイケてる成功者みたいなところがちょうどいいということなんだけど、そんな中途半端なのを目指してて、どうなるんだという気も……。
水無田  確かに「意識高い(笑)」になってしまったように、女子が特に人生に対して、アグレッシブであることに対する危機意識って強いですね。これはなんなんでしょうね。
西森  男性に選ばれないということが大きいですよね。
水無田  でも、実際問題として選ばれないですよね。
西森  でも、古市さん的には収入が高い人はいいんですよね?
古市  基本的にはそうですね。ただ難しいのは、意識と社会制度のギャップですよね。男性でもそういう「意識高い(笑)」とかあると思うんです。ただ、男性の場合は、意識高いまま総合商社とかに入ってキャリアアップしていくというルートがまだ残されている。だけど女性は同じような高い意識を持っていても、そこでルートがないから空転しちゃうのかなっていう。
千田  すごい、フェミニストみたい。
水無田  確かにそうなんですよね。例えば女子会の場で、ひたすら女子向けに“素敵な私”をアピールしていくんですが、自家中毒を起こしてしまっているような、ある種の切なさが……。
西森  そうなんですよ。自家中毒っていうと、女子会の中で素敵になるっていう方向性もあるんですけど、今や女子会の中では、自分たちのグループのみんなを出し抜かないように、自虐したりして、みんなが自縛し合うっていう状態があって。特に上昇志向っていうのが、女子の中では全然いいことに向かわない感じがします。
古市  でも、その中には、本当は上昇したいと思ってる人もいるんじゃないですか?
西森  無意識の状態でしょうけど、階層は上昇したいと考えますよね。でも、その上昇志向に一番向いてるのが読モかもしれないっていうことに、気付いてるのかもしれない。
千田  本当に階層上昇したいんだったら、実は中途半端に女子力を高めることではなくて……勉強したほうがいいですよね(笑)
西森  さっきも出てきましたが(ジレンマ女子会【前半戦】参照)、薬剤師よりも医師になれっていうことですよね。
千田  だって、女性医師って男性医師と結婚して辞めちゃうんだものね。それが医師不足に繋がって、問題になってるじゃないですか。でも、そういうのは見えなくて、「女子力高めればなんとかなるかも」って思っちゃうんだけど、実はそのアグレッシブな女子力っていうのは引かれてたりとかして。男子が相手に求めるものって「共稼ぎしてほしい」っていう……これだけ財力を期待されてるんですよっていうことを、国立社会保障・人口問題研究所の調査のあのグラフを見せるってことですかね。それでいいのかって問題はありますけど。
将来訪れる“友人格差”

編集S (31歳女子) そもそも結婚自体もしたほうがいいかどうかよくわからない時代に、家庭を持つ意味とか、今後の家族像がどう変わっていくのかなといったあたりをお聞きしたいんですが。
西森  私自身は結婚してませんけど、一般的には、離婚率は高まっているし、死別もあるから、未婚だった人も結婚してた人も離婚した人も、おばあちゃんになったときは結構フラットに同じような感じになるんじゃないかという気がしていて。
編集S  今は分断されていても……。
西森  そう。この前、友達がディズニーランドに行ったら中高年の女性同士のグループがすごく多かったらしくて、その話を聞いて結構いいなと思ったんです。古市さんの世代ぐらいだったら、男性も年をとってから友達とディズニーランドに行くかもしれない。昔のマッチョな人たちにはできなかったことが、たぶんできるようになっていくんだろうし、女性はもともとそういうことができていたから。友達は、その中高年女性4人組を見て「あれがサマンサで、あれがキャリーだ!」とかって言っていて。
水無田  年季の入った『セックス・アンド・ザ・シティ』ですか(笑)
西森  おばあちゃんになっても『セックス・アンド・ザ・シティ』的な友情があるなら希望だなと思って。
古市  そうなると、友人を作れる人と作れない人の格差っていう問題が出てくるんじゃないですか? 結婚できる・できないというのがかつての格差だったのが、今度はたぶん友人ができる・できないっていうものが新しい格差として出現している。今って、単身高齢世帯の増加が話題になっていますよね。だけど、今の高齢者たちって兄弟も多いし、子どもも1人、2人とかいることが多いから、世帯としては単身であっても、なんとかなることが多いと思うんです。だけど、今40代の一人っ子、それも子どももいない人たちがこれから60代とかになれば、本当の単身になるわけですよね。そこで、友人がいるかいないか、というのがものすごく大きな問題になってくる。
西森  そうか。社会保障的なことも少なくなっていくから。
古市  そうそう。社会保障が家族からも期待できない、国からも期待できない、友人もいないとなると……。そこでの友人格差っていうものがすごく重要かなっていう気がします。
水無田  確かにそれはありますね。
古市 最近では、クリスマスよりもハロウィンとかのほうがつらいなと思うんです。都市部だけかもしれませんけど、ハロウィンって恋人とかじゃなくて、仲間たちで盛り上がるイベントになってるから、誘われないとほんとに寂しいみたいな……。
水無田 それは、今までなかった文化ですね。逆にハロウィンが大変なんだ……。
千田  ただ、友達格差でいうと、例えば私立の一貫校に通う人は、それこそ幼稚園、小学校からずーっと一緒で。そういう人たちって、すごいネットワークを持ってるわけでしょ?
西森  それって、社会に出てからも結構関係あるんですか?
千田  ある。
水無田  相当ある!
西森  えー、もう完全な格差社会じゃないですか。
千田  そうですよ、社会的なネットワークの格差。そういうネットワークって、すごく無視できない強さがあるんですよね。
水無田  それが彼らのソーシャルキャピタル(社会関係資本)ですから。
千田  今の私たちの世代は、まだ親があんまり負の遺産を持ってない、子どもを援助できる立場であるからいいけれど、私たちの世代が親になった場合はものすごい格差ですよね。親から援助がもらえるか、親に仕送りしなきゃいけないかっていうのは、ものすごい差として表れてくる。
西森  なんか暗くなる感じ……。だって、そこで得られる人間関係って、階層でもう決まっちゃってるじゃないですか。生まれたときからの格差みたいなもので。例えば韓国とかだと、結構貧乏な人も学歴で一発逆転ができるかもっていう……学歴だけが階層を変えられるという夢を持っているっていうのがありますが、日本はもうそれもダメってことですか?
古市  一応、それはまだ夢としては残ってるんじゃないですか。いい学校を出たらいい会社に入れるっていうのが壊れていることは分かりつつも、でもそれにやっぱり乗るしかない人がまだまだいる。
千田  でもそれは、たぶん上の階層の話ですよね。そういう人は、階層戦略っていうのが見えるんですよね、こうすると階層が上がるんだということがわかる。
古市  努力できる・できないも階層差に規定されるのかっていう有名な研究がありましたね。階層が上の人は、本を読んだり、何かを調べたりという広い意味での「努力」が子どものころから当たり前だから、普通に勉強もできたりする。
千田  それはあるでしょうね。例えば「子どもをのびのびと育てたい」と言う親がいますよね。適切に親が水路づけて本人の自主性に任せるのは正解でも、本当にのびのびさせて何もしないのはまずいわけですよね。たぶん競争に負けちゃう。
水無田  階層上昇とか社会の中でうまく乗り切っていくための“武器の使い方”というか、そういうことがある程度わかっている親なら、のびのびでも別にいいんですけどね。「周りがやるからやらなきゃ」だと、うまくいかないでしょうね。
女子力はいらない

――古市さん、時間切れにて退場。本物の女子会になる。

編集S  それではまとめとして、この記事を読んだ女性たちが自分の生き方を大事にして自由に生きていくために、アドバイスをお願いします。
水無田  自由になって、選択肢が増えたといっても、選べない選択肢だらけじゃないですか。選べない選択肢は選択肢とは言えません。それは、「絵に描いた餅」です。さらに、女子の人生にとって今なお大きな意味を持つ「結婚」について言えば、お見合いシステムが瓦解して自由市場化された後の恋愛結婚って、自分にも相手にもこれだけは譲れないという条件や、選択する権利があるわけです。そうすると、根本的に自分が選択した相手に選択されない可能性が高くなるという問題に直面する機会も増えます。選べるはずなのに、選ばれない確率が上がるという矛盾がそこにあるわけです。その分、相対的はく奪感は高まるんじゃないですかね。
西森  私より少し上の世代だと、お見合い制度がまだ残っていて、もうちょっと保守的だったじゃないですか。
千田  そうそう。まわりにお見合いおばさんとか、上司とか社内結婚とか、とにかくまとめられてしまう。自由には生きられないんだけど、でもある意味で、その枠中では生活保証がされてたんですよね。これからの下の世代はバブル世代ほどは高望みをしないで、ほんとに手軽に結婚するっていう説と、やっぱり生涯未婚率はどんどん上がるっていう説と、予想は両方あるんですが、この下の世代のことは意外に語られていない。先行き不透明で、今、結婚すること自体も難しいわけじゃないですか。「結婚してもしなくてもいいんだよ」って言われてるけど、それって本当に選べてるのかなって……。
西森  男性は、「別に結婚はいいです」と自分から降りても「かわいそう」と言われないし、以前のように結婚をしないと社会的に認められないという状況も少なくなってきている気もします。でも、逆に女性は、旧来の価値観をいまだにひきずっていて、男性に選ばれないと、いくら仕事ができても社会的に認められていないような、「かわいそう」な感覚がまだあるというか、逆に大きくなっている気がします。
千田  20代の結婚では、大きなきっかけは、子どもができたからですよ。20代前半で6割ぐらいかな?  10代だと8割以上ですよね。
西森  だから男性が相当警戒するということもありますね。
千田  結婚のメリットが思いつかないんですね。デートとか外泊とか自由じゃなかった時代だと、相手と自由に会いたいしセックスもしたいからみたいなのが、結婚へのインセンティブになるけど、今は自由に付き合えるし。
水無田  あまりにもフリーになってしまって、結婚に対して公的なプレッシャーが何もかからなくなって。
千田  というわけで、みんなが結婚するためには、外泊禁止にすればいいんですね(笑)
編集S  じゃあ結婚したい女子にできることって……。
水無田  結局、その人に適した「女子力」を上げることなんですかね……。
西森  今、女子力の高い人はサッカーに行く人という感じがします。男の人の趣味にあわせることこそが女子力だと思います。どっちかというと、女子の慣れ合いに染まらないということのほうがモテるためには必要なんですよね。男性が多いところに入るのが、一番結婚できる確率が高くなるし。だから、意外と今まで考えられていたような女子力ってモテるためには必要ないかもしれないですね。
千田  知り合いの男性編集者は地元の卓球の会で相手を見つけました。逆にお見合いはことごとく駄目で。やっぱり趣味っていうか、競争相手のいないところで、自分の良さを生かせるところに行く。それがわかるっていうのが真の女子力。
西森  一番いけないのが、例えば手芸をやるのに女子だけで固まるとか。
千田  ワインの会とかね(笑)
水無田  私、理系の大学でも教えてるんですけど、女子学生はきれいなのに化粧っけがあんまりないようなタイプが多くて。だって、雨の日にガチなゴム長を履いてたりするんですよ!
千田  でも、それはモテますよ〜。
西森  男性のほうは、作った魅力とか計算して近寄ってくるものに対しての知識が高くなっているので。
水無田  ハンパな女子力は駄目なんですね。
千田  完璧ならいいんですよ。隙がないぐらいの女子力だったら、それはそれでまたターゲットとしてあるんだけど、中途半端な女子力があるぐらいだったらゴム長を履いてる子のほうが理系の学生もきっと心がなごむんですよ。ハイヒールじゃなくてね。
水無田  私思うんですけど、消費メディアにあおられて自分磨きばかりしていると、むしろ磨きすぎて相手がいなくなる。よく磨きすぎた日本刀って、近寄るだけで、触ってないのに斬られるっていうじゃないですか。磨きすぎて、名刀どころか妖刀になってる可能性があるなと(笑)
 西森さんが「女子力がほんとに高い人は男の趣味に入るのよ」って言われたんですけど、男の趣味の中でも、あまりにマニアなほうに行ってしまうと、かえって出会いはないんじゃないですかね。私の好きなFPSのオンラインゲームなんて、女性もいませんが、日本人もあんまりいないですし……。やはりメジャーな男子世界に入るべきだとアドバイスすべきでしょうか。
西森  いやいや、モテますよ。しかもマニアはマニアほど、「俺の趣味がわかってくれる人がいない」っていうことに悲しんでいるので、それをわかってくれる人っていうのは、神みたいに見えるんですよ。でも、気をつけなくちゃいけないのは、趣味で男性に勝っちゃいけない。理解してあげてもいいけど、勝ってはいけないんです。
千田  そこの加減は難しいですね。『30婚』って書いて「ミソコン」って読む漫画があるんです。主人公がどういうふうに男性をゲットするかというと、彼女がひたむきに仕事とかしていて、そういう姿にみんな「この子、裏表がなくて一生懸命なんだ」っていって惹かれていくっていう。やっぱり女子力が中途半端にあるっていうか、計算高い人が絶対駄目になるように漫画では描かれてるんですよ。打算じゃうまくいかないんだと。
西森  打算が見えるからいけないんですよね。
水無田  完璧に打算が見えないぐらい女子力高ければ、いいんですね。
千田  ほんとに女子力高い人って、自分も騙してますからね(笑)
編集S  どうやったら結婚できるか、という以前に、みなさんは結婚はしたほうがいいと思いますか?
千田  一回はしたほうがいいんじゃないですかね。こんなもんかっていうことを思うために。私が周囲を見てて思うのは、一度結婚して離婚した人は、結婚願望とか結婚幻想とか全くなくなって、すごい身軽になって、そして一人を満喫してて。ここが一番の勝ち組だなと私は思うんですよね。
西森  私も今ごろ一回離婚とかしてたら、気持ち的にすごい楽だろうなと思います。
編集S  一回幻想を手に入れて、それを解き放った時が一番軽くなる……。
西森  偏見とかも少なくなるんじゃないですか。
水無田  解脱するのはそれからと。
千田  そうです。でも、現実にはシングルマザーは大変ですけどね。
 子ども幻想っていうのもあって、それも経験しないと幻想が崩れないっていうのがある。もちろん、いない人はそれでとてもいいんですけど。やっぱり人生一回きりしかないのが惜しいですね。幻想がなくなったあとで、もう一回人生やり直してみるみたいなオプションがあるといいんだけれども。幻想みたいなものは、経験しないと崩れないっていう、人生の不条理みたいなものを感じますけどね。
水無田  経験は最大の教師である。ただし授業料が高すぎる。
千田  ほんとに高すぎる(笑)
編集S  いいまとめになりました。


【了】

http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/talk/3090


2012.12.26
女子会“観戦”記 :古市憲寿
千田有紀・水無田気流・西森路代によって行われた「女子が自由に生きるには ジレンマ女子会」【前半戦】 で、「国を滅ぼす男子」というレッテルから一転、「彼のような価値観の男性がこれからの女子にとっての希望」という評価を受けた古市憲寿さん。そんな彼が、女子会に参加してみた率直な感想とは?


古市 憲寿 (フルイチ・ノリトシ)
1985年生まれ。社会学者。著書に『希望難民ご一行様』(光文社新書)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、『僕たちの前途』(講談社)などがある。
女子会に出て得たもの、失ったもの


古市:  女子会というのは、さしたる目的もなく、ただただ女子たちが話す会のことである。つまり、井戸端会議。それがオシャレなカフェやレストランで開かれると、一気に「女子会」という名前が与えられる。

 今回、僕は女子でもないのに、女子会に呼ばれた。しかもその「観戦記」を書いて欲しいという。あの女子会は「戦」だったのかと気づき戦慄するが、編集者からもらったその先の指示がすごい。

 「女子会に参加することで得たもの・失ったもの」を書け、というのだ。
 「戦」どころか、ただ脇で見ていた人間が、何かを得たり、失ったりする会だったのか。

 確かに今回の女子会(「戦」なら「女子戦」と呼ぶべきなのかも知れない)に参加したメンバーというのは千田有紀さん、水無田気流さん、西森路代さんという、一見穏やかな表情をしているが、経歴を見る限り、どんなルサンチマンや憎悪やパッションを抱えているのかわからないメンツだ。
 さながら女子更衣室のような、笑顔で互いを値踏みし合うような激戦が繰り広げられるのか! と思ったら、そんなことはまるでなかった。本編を読んでもらえばわかるが、基本的に終始和やか。ふわっとした楽しげな話が多い。
 これは、おじさんばかりの学会シンポジウムではなく、あくまでも女子会なので、別に話にエビデンスなんていらないのである。

 とはいえ、専門家の人たちの女子会だけあって、女性の結婚やキャリアに関する真面目な話も多かった。
 僕から見ても、同世代の女の子たちは大変だなあと思う。男の子たちは20代、30代とがむしゃらに働きたければ働き続けることもできるが、女の子の場合、出産にはタイムリミットがある。だから、子どもを産むという選択をした場合、どこかでキャリアに空白ができてしまう。
 待機児童が問題になっているように、日本では子どもを育てる環境が十分に整っているとはいえない。だから、出産か仕事か、みたいな二者択一を迫られてしまう人が少なくない。
 ただし、翻って男の子たちも大変だ。長期的な安定雇用が減っていくように見える中で、なかなか「俺に着いてこい!」なんてことは言えない。かといって、一般職としてのんびり働くなんていう選択肢を、多くの企業は用意してくれていない。
 最近発表された内閣府「男女共同参画社会に関する世論調査」によれば、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」と考える20代は50.0%。女性では43.7%、男性では55.7%。前回の調査よりも大きく増えたという。

 これはきっと、反実仮想といった面が強いのだろう。そういった生き方が希少になっているから、憧れる人が増える。だけど、給料も上がらない、安定雇用が少なくなっていくとなれば、夫が外で働き、妻が家庭にいる、なんて暮らし方はできなくなっていく。

 ちなみに僕は外で働きたくもないし、家庭を守りたくもない。どっちも誰かにやって欲しいなあと思う。
 もう少し真面目に書けば、働くことと家庭を守ることを男女が役割分担する必要はないし、それは結婚したカップルなど男女のペアである必要もない。
 さらにいえば「家庭を守る」って言葉の意味がわからない。別に家庭なんてルンバとセコムにでも守ってもらえばいい。
 そうやって、男だとか女だとか、働くだとか守るだとかが、混ざり合って、溶け合ってしまったほうが、もっとみんな生きやすくなると思う。

 というわけで、女子会に出て得たものも、失ったものは特にない。ただ、ぐだぐだ色んな話ができて楽しかったというだけだ。それには女子も男子も関係ない。女子会とは、万人に開かれたアゴラなのだ。

 なんて、きれいにまとめても仕方ないので、ちょっとだけ「戦」になりそうな、どうでもいいことを最後に書いておく。
 僕の講談社の担当編集者は、千田さんのことを昔から知っている。その編集者はよく千田さんのことをマツコ・デラックスに喩える。背が高くて、毒舌で、迫力がある。千田さんをマツコみたいなキャラで売り出せばいいというのだ。

 僕は別に千田さんがマツコに似ているとは思わないが、千田×マツコ対決は見てみたいので、ぜひ次回の女子会には、マツコ・デラックスを呼んで欲しい。それなら僕も文字通り、観戦記を書けるだろうから。

【おわり】

http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/think/2837


古市憲寿水無田気流西森路代
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磨きすぎた女子力はもはや「妖刀」である --- 女子が自由に生きるには ジレンマ女子会【後半戦】.
http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/talk/2748
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO36362540Z01C11A1000000/
若者不在の若者論、20代が反論 「絶望の国の幸福な若者たち」の著者、古市憲寿氏に聞く
2011/11/11 7:00日本経済新聞 電子版
 10月26日付の日本経済新聞電子版で「日本の若者はなぜ立ち上がらないのか」という記事を掲載したところ、大きな反響があった。若者の動向に詳しい4人の識者の意見に対して賛同の声が寄せられる一方で、20代や30代などからは反発もあった。そこで『絶望の国の幸福な若者たち』などの著書で注目されている20代の社会学者、古市憲寿氏(26)に、当事者として4氏の意見と読者の声についてどう感じるか、聞いてみた。

■「若者」って誰? 「一億総若者社会」では…

 前回の記事では内田樹・神戸女学院大学名誉教授(61)、城繁幸・ジョーズ・ラボ代表(38)、原田泰・大和総研顧問(61)、山田昌弘・中央大学教授(53)に意見を聞きました。記事を読んで率直な感想は。


1985年生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。専攻は社会学。
 「僕は以前、ニューヨーク・タイムズの東京支局長から同じ質問を受けたことがあります。日本の中でも同じような疑問を持つ人がいるでしょう。でもよく考えてみると、『若者』って誰なんでしょうか? 若者という言葉は、空疎なわりには人をわかったような気にさせるマジックワードです。誰しも若者であった経験があるから、言いたいことが言える。でも同じ若い人でもサラリーマンと学生とフリーターとでは立場が違う。年齢だけでひとくくりにするのは無理があります」

読者の皆さん
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 「各種調査などを見ていくと、世代間の意識差はかつてなく縮まっています。20代も30代も40代も、あるいは70代だって意識は若い。『一億総若者社会』とでもいえる世の中になっています」

 「もちろん『若者』という言葉や世代論が全く無意味だとは思いません。今でも世代ごとの意識差はあるし、おかれた境遇の違いはある。しかしそれをむやみやたらと抽象論に接続させてしまうことには注意が必要だと思います。もちろん自戒を込めて」

 「ところで、そもそもなぜ『若者』だけが立ち上がらないといけないのか。社会に文句があるなら、文句のある人が立ち上がればいいじゃないですか。『若者』だけが社会に怒りを向ける変革の主体である、という想定には無理がある気がします。僕の実感でいえば『中年』のほうがよっぽど怒りっぽいんですけど」

■20代の生活満足度、過去40年で最も高い

 「若者が立ち上がらないのは、不満がないから。将来を考えれば不安はあるが、今は楽しい。これが大方の若者の本音ではないか」(山田昌弘氏)


マイナビが夏休みに開いた就活のための啓発セミナー(東京・千代田)
 「その通りだと思います。内閣府の『国民生活に関する世論調査』によると、2010年時点で20代男子の65.9%、20代女子の75.2%が現在の生活に満足していると答えています。同じ調査で40代は58.2%、50代は55.3%まで満足度が減る。時代をさかのぼって1960年代後半には20代の満足度は60%程度、1970年代の20代だと50%程度にすぎない。過去40年間で最高に満足度が高いという結果が、他の調査などでも明らかになっています」

 「一方で内閣府の調査では、『悩みや不安がある』と答えた20代は1980年代後半に40%を切っていたのが、2010年には63.1%になっている。生活に満足しているものの不安を抱えている、という20代の心理が浮かび上がってきます」

 「この現象を説明するのが、社会学者の大沢真幸氏の説です。大沢氏によると、人は『将来はより幸せになれるだろう』と考えたとき、現在の生活に満足できないと感じる。一方で自分はこれ以上幸せになるとは思えないとき、今の生活に満足する。将来に希望を持てないからこそ、今に幸せを感じるという現象が起きているのではないでしょうか」

 「もちろんだからといって若者みんなが幸せでよかったね、という話ではありません。たとえば過酷な労働環境で働きながら、それを誰のせいにもできずに自分で抱え込んでしまう『優しい』若者がいる。本当につらい人はデモをする余裕さえもないんです」

■携帯もiPadもない1980年代には戻りたくない

 「デフレの進行によって、かつてないほど生活費が抑えられている。1980年代の20代よりも、今の20代の方が物質的には豊か。また欧米と違って、日本には明確なデモの標的がいない」(城繁幸氏)


デフレが進み、安い値段でも食事ができるようになった(東京都内の吉野家)
 「確かにそうですね。26歳として実感があります。僕は携帯もパソコンもiPadもない1980年代に戻りたいとは思いませんから」

 「標的がいない、というのもその通りだと思います。海外の反格差デモに呼応した『オキュパイ・トウキョウ』には数百人ほどしか集まりませんでしたが、『フジテレビの番組編成が韓国ドラマや音楽など韓国関連に偏っている』と抗議する『反韓流デモ』には数千人が参加した。これはわかりやすい標的ができたから」

 「でも1970年代に起きたテレビの不買運動などに比べると甘いですよね。1970年に松下電器産業(現パナソニック)の二重価格問題をきっかけにして、消費者団体が同社の全製品のボイコットを呼びかけた。社会問題に発展して松下の業績は悪化して、家電業界に大きな影響を与えた運動です。『本気度』が伝わってくるこうした運動に比べると、最近のデモは遊びの延長ともいえなくもない」

 「現在の日本社会では、多少なりともリーダーの素質がある人はほとんど、企業が吸い上げている。企業の採用システムが若者の行動を阻んでいる」(原田泰氏)

 「ある意味ではその通りです。しかしこの議論が当てはまるのは男性社会の話。あくまで『男性の若者』について。企業の採用システムから漏れた女性はこれまでも数多くいたのです。この10年で男性の非正規雇用者が増えてきたことで、それが『若年雇用問題』という社会問題として認知された。その意味で『若者』と『女性』は同じような立場になった、といえるのかもしれません」

■若い世代、社会のために「立ち上がっている」

 「震災後の若者の行動には、不満を誰かにぶつけるより、自分のできることをしよう、という機運を感じました」(東京都の男性 自然石さん、40代)


東日本大震災後、多くの学生がボランティアとして被災地で活動している(6月、宮城県石巻市)
 「今の若い世代には、もうとっくに『立ち上がっている』人がいます。社会起業家と呼ばれる人たちをはじめ、社会に対して貢献しよう、何かしよう、と考える人が目立つようになってきました。2011年1月に調査が実施された内閣府の『社会意識に関する世論調査』によると、20代のうち『社会志向』なのは55.0%でした。同じ調査で70歳以上を見ると『社会志向』が54.1%と20代よりも低かった。20代の『社会志向』は1980年代には30%以下だったのが、右肩上がりに強まっているのです」

 「若い人たちがなぜ社会に目を向けるのか。それは僕の実感を含めて予測すると『後ろめたさ』のようなものがあるから。特に大学に通うことができるくらいの階層の人々に顕著だと思いますが、自分たちに格差社会の被害者であるという意識はない。むしろ、日本という国はなんて恵まれているんだとさえ思う。都市部の大学で増えている海外ボランティアサークルが象徴的だと思います」

 「でもその意識は、なかなか自分たちの足元には向かわない。ほとんどが外国の、わかりやすい貧困に向いてしまう。だってカンボジアだったら150万円もあれば学校が建てられるし、多くの子どもたちを助けられるから。翻って日本では、何をすれば社会のためになるのかわからない。誰を倒して誰を懐柔すればいいのかわからない。攻撃するターゲットも見つけにくいし、解決すべき問題や手段もわかりにくい。東日本大震災は、ある意味そうした若い人たちの『何かをしたい』という気持ちに火をつけたのだと思います」

■今の社会を築いたのは中高年世代

 「今の日本の若者が格差の拡大や弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないのは、彼らが『連帯の作法』を失ってしまったから」(内田樹氏)


日本大学の全学抗議集会。東大紛争とともに「大学解体」を叫ぶ全共闘運動が全国に拡大した(1968年10月3日、東京・両国の日大講堂)=共同
 「人々に『連帯の作法』が必要なのはその通りだと思います。しかし日本の歴史上、弱者の連帯が社会を変えたことって何度くらいあるのでしょうか。もしくは内田先生世代の方は『連帯の作法』をお持ちなのでしょうか。もしも『連帯の作法』をご存じなのでしたら、それを身をもって示すために、ぜひ社会のために立ち上がっていただきたいと思います」

 「おやじたちの若者論や、独りよがりの説明にあきあきしている」(東京都の男性 nirusukenさん、40代)

 「若者論は、大人たちの自分探しでもあります。『近ごろの若者はけしからん』と若者を『異質な他者』扱いすることで、自分を含めた社会が正常であることを確認する。一方で『若者よ、頑張ってくれ』と若者を『都合のいい協力者』とみなすことで『若者』を含んだ社会は大丈夫だと安心する。『若者』を語るように見せかけた社会語り、一種のコミュニケーションツールですね」

 「若者の政治離れを嘆く中高年の方がよくいますが、そういう方こそ、長く生きている分、今の社会に対して責任がある。若者に対してぶつくさ言う暇があったら、若いころご自分たちが何をしてきたのか、お聞きしたい。彼らが嘆く『若者』を生み出したのは、自分たちが作った社会ではないのですか? むげに今の『若者』を批判することはできないはずです」

■富の蓄積があるうちに暴動が起こらない方策を

 「私は海外在住の高校生です。日本の若者が立ち上がらない理由は、日本の国民性ともいえるハングリー精神のなさだと思う。どんどんデモを起こせとは言わないが、世界の中での日本の立場を認識し、自分の甘さに対する認識や危機感を持つことは大切だと考えます」(海外在住の女性 Mie.Mさん、10代)


反格差デモで火をつけられた車。デモは社会不安を増幅する(10月15日、ローマ)=共同
 「毎日ハングリー精神がないと生きていけない社会ってどうなんでしょう。確かに米国では何をするにも強く主張しないといけない。移民国家というのもあるでしょう。日本では声を張り上げなくてもいい社会の仕組みや環境があります。逆にそれも豊かさの形なのでは」

 「中東のデモを賛美する声があります。それってどうかと思います。無政府状態や、革命直後の社会の混乱ってひどいものですよ。デモをしろ、立ち上がれと主張する人たちは、人々の生活のことをどう考えているのでしょうか。むしろ、これからも社会に暴動が起こらないような方策を考えるべきです。日本にまだ富の蓄積があるうちに」

■もっと地方議員に立候補を

 読者の意見からは「てめえら」「恥を知れ」など激しい言葉も多かった。公開する可能性のあるコメントでありながら、こうした言葉が飛び交う。

 「一種のガス抜きだと思います。ネットで書き込めば、社会に何か言った気になる。日本社会にはガス抜き装置があまりにも多い。コメント欄や2ちゃんねるが典型です。ツイッターなどのソーシャルメディアも、ある意味ではガス抜きといえると思います。ソーシャルメディアは運動を広げる触媒のように語られますが、一方で逆の作用もある。日本のように切迫度がまだそれほど高くはない社会においては、こうしたガス抜き装置が社会運動を阻害する一つの原因になっているのかもしれませんね」

 「抽象的な言葉であれこれやり合うより、目の前にある個別の課題を一つ一つ解決していく方がいい。個人の痛みや悩みから出発しないと。『反格差』というようなリアリティーのない抽象的な議論よりも、『就活がつらい』とか『ブラック企業で働きたくない』といった個別の問題のほうが、まだ人々の関心を集めやすい。まずは、そこから『社会』のことを考えていくしかないと思います」

 「お祭り気分で、もっと若者が地方議員にでも立候補すればいいと思うんですけどね。別に難しく考える必要はない。都道府県議会議員で3000人弱、市区町村議会議員なら3万人以上もいる。歌手や画家になるより、よっぽど簡単です。ドイツのベルリンでは平均年齢29歳の『海賊党』が15議席を獲得しました。デモをして満足しているよりも、よっぽど有意義なのでは」

(聞き手は電子報道部 河尻定)

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985年生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶応義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。大学院で若者とコミュニティーについて研究する一方で、有限会社ゼントでIT戦略立案などに関わる。世界平和や護憲を訴えながら世界をクルーズする非政府組織(NGO)、ピースボートに同行した経験を基に書いた『希望難民ご一行様』や『絶望の国の幸福な若者たち』が「若者論を刷新する」などと注目されている。


02. 2013年5月02日 10:35:03 : nJF6kGWndY
 


新人研修は育てる場か競わせる場か

グローバル人材に育てる最短の方法は?

2013年5月2日(木)  佐藤 登

 4月19日に開始した本コラム。第1回目は“就活”をテーマに「就活時点で日本は負けている」と題したコラムを執筆させていただいた。タイトルが少々過激だったこともあり、読者の皆様から様々なコメントをいただき、反響の大きさに驚いているところだ。

 コメントを拝見すると賛同と異論がそれぞれあり、納得させられる指摘がある一方で、誤解もあったと感じた。個人的には、今後のコラムはテーマ次第でもっと論議を呼ぶことになるだろうし、その意見交換こそが本コラムの特徴になると考えている。

 ただし、私自身は2004年から5年間、韓国で仕事と生活をしてきたため、その経験がない読者の方々より、実際の現場で何が起きているかを目の当たりにしてきた。さらに遠慮のないご意見を頂戴したい。

 前置きが少々長くなったが、そろそろ本題へ入ろう。第2回となる今回は、入社後に待ち構える新入社員研修を取り上げたい。私自身がホンダに入社した際の体験に加え、ホンダや韓国サムスンにおける自身および上司の立場での経験を交えながら考えてみたい。

1年かけて一人前の社会人に

 まずは、日本における新入社員研修からだ。日本でも企業によって考え方はさまざま。社会人としての最低限のマナーを教えるだけの企業もあれば、企業文化などについて徹底的に教え込む企業もあるため、ひとくくりにして説明するのは難しい。

 筆者自身、1978年から2004年まで約26年間ホンダに籍を置いたが、その間に新入社員研修の期間や内容は大きく変遷したと感じている。かつての日本企業が実施してきた新入社員研修は長期間にわたり、会社員として鍛え上げる機会だったと思う。

 少々古い話になるが、筆者が1978年にホンダに入社した当時は、入社前となる3月から新入社員研修がスタートしており、修士論文を執筆、大学に提出してから休むことなく社会人の第一歩を踏み出していた。当時のホンダの新入社員研修は丸1年で、寮での共同生活が基本。文系社員が44人、理系社員が127人(大卒以上は108人、高専卒が19人)の合計171人だった。

 研修内容は、文系社員が3拠点での工場実習、理系社員が2拠点での工場実習と4カ月半の研究所実習だ。工場実習は2交替制で早朝からの勤務と午後からの勤務シフトは1週間ごとで変わるため、当初は慣れるまでに大変だったと記憶している。

 研究所への配属を希望していた筆者にとって、有意義だったのが研究所での実習だ。実際に研修で与えられたテーマは、開発が急務だった自動車用排ガス触媒。化学系専攻だった筆者にとっては、取り組みやすいテーマだった。ホンダでの開発も始まったばかりで、私自身の考えも提案できた。あくまでも研修の一環だったが、研究に携われたことは喜びであった。

 研究所実習での最終日には、研究所の役員幹部への成果発表会が開催され、新入社員の全員が4カ月半におよぶ研究成果に関して発表する機会を与えられた。実習で得た知見をまとめて報告したところ、役員幹部での評価も高かった。気分を良くした筆者は、これで埼玉県和光市にある研究所に配属されるだろうと勝手に決め込んでいた。後日、まったく想定もしていなかった配属先を聞かされ衝撃を受けることになるのだが、これについては別の機会に紹介しよう。

地元の営業研修で顧客目線を体得

 余談になるが、寮生活は数多くの同期と交流する良い機会となった。工場実習時の交替制シフトが反対だと生活パターンも逆になってしまうため、全員と交流できたわけではなかった。現在、ホンダの社長である伊東孝紳氏も同期入社だが、シフトが逆だったこともあり研修中はほとんど話をする場面がなかった。

 筆者が寮生活で積極的に交流を図っていたのが文系社員だ。考え方や行動が理系社員とは異なると思ったからで、学生時代とはまた別の人間関係の構築につながるとの判断からだ。その仮説は正しく、ユニークな人物も少なからずいたので大いに刺激を受けた。日本企業にとって新入社員研修は、交流を深める狙いもあるのだろう。

 もっとも、日本企業の新入社員研修も時代と共に変わっている。筆者が管理職となった1992年当時もそうだったが、さかのぼれば1980年代中盤以降の800人もの大量採用の時代からは研究所実習もなくなってしまった。研究所での勤務をイメージする新入社員にとっては残念な消失だと思う。

 その代わりに導入されたのが、出身地での営業研修だ。あえて地元でホンダ製品の営業所に出向き販売に直接関わることで、ホンダ製品の魅力や課題などの消費者の声が体得できる。私自身、製品は顧客目線で開発されるべきものだと考えている。研究所に配属される理系出身者にとって、顧客目線が何たるかを実感できるこの研修プログラムは有意義だと言える。

1000人の新入社員がチームで大パフォーマンス

 これに対して韓国サムスングループにおける新入社員研修の目的は、より明確だ。新入社員研修はグループ全体で実施されるが、今後永遠と続くサムスン社内での厳しい競争を、研修においてまず体験させるのだ。具体的には、あるテーマに沿って約1カ月間、企画構想から取り組み、最後にグループのCEOや役員幹部の前でその成果を発表するイベントが大々的に実施される。

 筆者自身、2006年6月にこのイベントに役員の立場で参加した経験がある。会場は韓国・江原道にあるフェニックスパーク。このイベントに参加し発表する新入社員は大卒以上であり、約1万1000人にも及ぶ。会場はスタジアムのようなドームで周辺はリゾート地なので、研修に集中しやすい環境にある。

 研修では、研究部門で実施されるイベントもあるが、最も盛り上がるのが「アイデンティティ(存在感)コンテスト」だ。これは、1000人単位の新入社員が1チームとなり、それぞれがサムスンのイメージをミュージカルさながらのパフォーマンスでいかに表現するかを競わせる大会である。


韓国に赴任した頃(2004年)の筆者。韓国民俗村にて。
 もちろん、サムスンなので単なる芸術的なイベントではない。パフォーマンスの内容は幹部によって採点され、順位を競わせているのだ。上位のチームは幹部から直々に表彰され、その後のサムスンでの業務に自信と弾みを付ける。経営幹部が採点するだけに、新入社員のモチベーションは非常に高い。研修段階から存在感や一体感、競争心、精進の意味を実感できる、まさにサムスンのDNAを植え付けるイベントと言える。

 筆者が参加した2006年は、合計11チームが発表に臨んだ。当日は途中からスコールともいえる土砂降りの雨。だが、中止になることもなく各チームがドラマチックな内容のパフォーマンスを実施していたのが印象的だった。練りに練った企画構想と素早いダイナミックな動きはサムスンのスピード感に相通じるところが多く、更に一糸乱れぬパフォーマンスは緻密な練習を重ねた成果であり、完成度を高めて競争力を発揮するところもサムスン流である。その姿に、私を含めた採点する幹部が感動したことは説明するまでもない。

グローバル競争を意識させる研修とは?

 2006年は、私が管轄していた部門の新入社員たちもアイデンティティコンテストに参加していたため、研修が終わって配属先へ戻ってきた際にその3人に感想を尋ねてみた。そのうち2人からの回答は、「サムスンのエネルギーを感じて新鮮だった」「サムスンのパワーと将来性を感じた」といったもの。研修を通じて、サムスンスピリッツが何かを植えつけられてきたと言える。

 残りの1人の感想は「研究所での研修が楽しかったので、グループ全体の研修をしている間にも早く研究室に戻って研究をしたかった」というもの。この新入社員は、グループ全体の新入社員研修に参加する前の1カ月間、サムスンSDIの中央研究所での研修を経験していた。グループ研修も有意義だったのは事実だが、全体研修で競争心を掻き立てられたこともあって、早く研究の現場で自分の成果を出したいという気持ちの高揚であった。

 やはり、新入社員研修は会社側の意向を一方的に課しても意味がないということだろう。新入社員の自立心を掻き立て、仲間意識と同時に競争意識をもたせるコンテンツが必要だ。それが結果として、将来のグローバル競争を闘い抜く人材作りにつながっていく。

 現在、日本企業が新入社員や若手社員に期待する資質は、以前に比べて大きく変わりつつある。「2011年度から20代の全社員に海外経験を課す」(三菱商事)、「本社勤務の外国人比率を2020年までに50%に高める」(イオン)、「2013年度以降に新入社員の1500人中1200人を外国人に」(ファーストリテイリング)、「英語公用語化、課長昇進時にTOEICスコアは750点以上」(楽天)、「2012年度入社の内定者から選抜で海外留学を経験」(トヨタ自動車)、「若手社員2000人の海外派遣」(日立製作所)、「2013年度新卒採用の30%を外国人に、課長昇進はTOEICスコア650点以上」(ソニー)…。発表や報道に目を通すと、各社がグローバルでの競争に勝ち抜ける人材の確保と育成に躍起であることは一目瞭然だ。

 日本も韓国も若者が置かれている環境にそれぞれ差異はあるものの、企業がグローバル競争で闘うために必要な資源が人材であることは変わらない。企業には、それを意識的に教育し実践させる経営が求められるのではないだろうか。


技術経営――日本の強み・韓国の強み

 エレクトロニクス業界でのサムスンやLG、自動車業界での現代自動車など、グローバル市場において日本企業以上に影響力のある韓国企業が多く登場している。もともと独自技術が弱いと言われてきた韓国企業だが、今やハイテク製品の一部の技術開発をリードしている。では、日本の製造業は、このまま韓国の後塵を拝してしまうのか。日本の技術に優位性があるといっても、海外に積極的に目を向けスピード感と決断力に長けた経営体質を構築した韓国企業の長所を真摯に学ばないと、多くの分野で太刀打ちできないといったことも現実として起こりうる。本コラムでは、ホンダとサムスンSDIという日韓の大手メーカーに在籍し、それぞれの開発をリードした経験を持つ筆者が、両国の技術開発の強みを分析し、日本の技術陣に求められる姿勢を明らかにする。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130430/247397/?ST=print


“分からないこと”をすぐ調べると結果的にソンをする

2013年5月2日(木)  横田 尚哉

 春から新しく社会人になった人も多いでしょう。もしかしたら、新しい職場に移った人もおられるかもしれません。これから企業や社会に対して、何らかの役割をはたしていく皆さんに、私からメッセージを送りたいと思います。

 特に、20代に若者には読んでいただきたいです。30代、40代をより有意義なものにするために、自分自身が輝く存在にあるために、私の20代を振り返りながら、お伝えしたいと思います。

若者よ、安易に丸くなるな

 若い時は、角張っている人材であるべきです。特に20代前半は、まだ仕事のこともわからず、自分の考え方も間違っているかもしれません。それでも、角張っている方がいいのです。時には「わからず屋」であり、「無鉄砲」で「向こう見ず」であるべきです。自己主張のない、自分の意思を持たない無機質な人材になるなということです。

 もちろん、会社側、上司側からすると、何も分からないのに自己主張ばかり強くては仕事になりません。指示通り動き、完ぺきに仕事をこなす、従順な部下が望まれます。むしろ、余計なことを考えず、発言せず、言うとおりにしていればいいと思うかもしれません。

 しかし、業績に貢献しても、進化に貢献することができません。川の石も上流域では、角張っているものです。角張っているから、ほかの石とぶつかり合い、お互いの形を変えることができ、やがて自然と丸みができてくるものです。

 人も同じです。20代前半から、丸くなってしまっては、組織へのなんら働きかけのできない人材になってしまいます。

 だから、若い間は、少々角張っている方がいいのです。モノわかりのいい人材ばかりだと、上司のスキルも育ちません。仕事のやり方も変わりません。正しいか、正しくないかよりも、自分の意思を持ち、発言することが大切です。

若者よ、調べないで考えろ

 考えるとは、妄想することです。知ることでも、理解することでもありません。考えるという作業には、論理的問題解決に必要な「考える」と創造的問題解決に必要な「考える」があるのです。企業の経営において欠かすことのできないことは、後者の「考える」です。理屈や法則のようなものではないのです。この「創造的」がキーワードです。

 例えば、マーケティングの戦略を考えている2人の営業マンの会話です。

考える営業マンA「来月の営業戦略はどうしましょうか?」
調べる営業マンB「今のターゲットからの反応率が全く伸びていないので、新しいターゲットにシフトした方がいいと考えている」
考える営業マンA「でも、そろそろ反応し始めるのではないでしょうか」
調べる営業マンB「このグラフを見ろ。どの分析からも、右肩下がりになっている。魅力はないね」
考える営業マンA「本当ですか? 現場の雰囲気を見ているとどうも信じられないな……」
 この会話は、いつまでもかみ合わないでしょう。なぜなら、考える営業マンAは創造的問題としてとらえているのに対して、調べる営業マンBは論理的問題ととらえているからです。調べる先輩営業マンBは、データ分析に絶対的な自信を持っており、マーケティングは分析力だと思っています。すべてはデータに表れているというのです。

 この2つの違いは、顧客の昨日を見ているか、顧客の明日を見ているかです。昨日はデータで分析できますが、明日はデータでは測れません。明日は昨日の延長線上にはないということです。では、どうするのでしょうか。まさに、妄想、空想、想像です。

若者よ、大人を捨てろ

 大学を卒業してしばらくは、社会人としてまだまだ子供なのです。だから、一人前の社会人になるまでは、「大人」の部分を捨てるべきです。大人な部分とは、我慢と遠慮と羞恥心です。子供は、我慢と遠慮ができません。羞恥心がありません。だから、自由に発言ができるのです。自分の意思があり、それを周りに伝えることができるのです。

 ただ、社会のルールを無視して、勝手気ままに行動しろと言っているのではありません。ビジネスの上での話です。人として、我慢と遠慮が必要な時もあります。組織員として機能するためには、それが協調性として活かされるものです。

 ここでお伝えしたいのは、改善点やビジネスヒントに気が付いたら、組織に生かしてほしいということです。発言していくべきなのです。「自分が言っても何も変わらないだろう」「言うといろいろ言われそうだからやめておこう」などと考えるべきではないのです。若者だからこそ気づくこと、若者でしか気づかないことがあるのです。

 つまり、大人な部分を手放して、若者らしい態度が、自分にとっても組織にとっても大切なのです。そうすれば、経験と知識を身につけていくのです。我慢と遠慮をしていると、いつまでたっても経験と知識は身につきません。だから、「大人を捨てろ」なのです。

若者よ、悩み苦しむ道を選べ

 スキルを高めるコトは、覚えるコトではありません。身につけるコトです。身につけるとは、頭に入れ、自力で使ってみて、腑に落ちるコトです。「腑」とは脳ではなく、内臓のことです。脳にある間は、単なる知識であって、まだスキルとは言えません。腑に落とすために、自力で使ってみること、その中で、悩み苦しむ経験を重ねることです。

 とはいえ、悩まず、苦しまずとも、楽に腑に落ちるコトもあります。わざわざ苦労を買ってでる必要もないかもしれません。今やネットで検索すれば、大抵の問題は解決します。ネットを使いこなすことが、スキルと言える時代かもしれません。

 ただ、ネットのスキルが成長しているだけであって、自分のスキルは逆に退化していきます。私の持論はこうです。

 「努力した分だけ、力がつく」「苦労した分だけ、強くなる」「悩んだ分だけ、大きくなる」です。肉体的なスキルも、思考的なスキルも、精神的なスキルも、すべて同じことが言えるのです。楽してもスキルは身につかないのです。

 だから、若い間は、あえて悩み苦しむ道を選んでほしいのです。そして、中堅となってもこのことを忘れないでいただきたいです。やがて、それが本当のスキルとなって、自分自身、そして周りの人に働きかけのできる、本物の大人になれるのです。

「明日の決定学」

経営とは、未来の行動を決定することです。過去の行動を調べ上げることでも、現在の行動を徹底追及することでもありません。社員が、そして企業が、未来にどのような行動を取ればいいかを決めていくのが経営です。過去にとらわれず、現在に縛られず、向かうべき未来を見て、感じなければなりません。これが「明日の決定学」です。
このことは、経営だけではないのです。普段の仕事でも、プライベートでも、日常の決定と、「明日の決定」があるのです。本を読んでも、人に聞いても、ネットで調べても、誰も決めてくれない自分の明日は、自分で決めなければならないのです。
筆者は、これまでも『長期計画の作り方が分かるようになる「感性」「知性」「理性」』、『80年周期のサイクルで世の中を観てみる』、『2012年度は経営指標が使い物にならない』などで、その重要性を伝えてきました。10年後、30年後を見すえた時代のうねりを感じるようにならなければならないのです。
本コラムでは、これからの時代を担う方のために、これまで見えなかった大きな潮流を読み取るコツをつかんでいただきたいと思っています。日常の喧騒から少し離れ、物事の本質を感じとれる力を身につけてもらいたいのです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130424/247191/?ST=print


【第7回】 2013年5月2日 潮凪 洋介
急増する「愛してくれ症候群」。
20〜40代の男性がキケン!
過去の連載にて、「自信=自己肯定感の積み重ね」という話をした。自己肯定感を高める努力は必要なのだが、それが行き過ぎてしまうと、大きな悲劇が待っている。本日は、20〜40代の男性に多い「愛してくれ症候群」を見ていきたい。

「自分がいかに価値ある人間か」。
誰かにわかってほしくてたまらない

?30代後半の男性が人生相談にやってきた。彼は友人や恋人と呼べるコミュニティーを持っておらず、当然のことながら、会社の中にも仲のいい人がいない。

「このままではいけない!」と思った彼は、積極的に交流会に顔を出すよう心がけた。しかし、なかなか友人や恋人候補が見つからないという。

?一見、自信家の彼。経歴も申し分ない。しかし、彼は何かに怯えているようにも見えた。なぜだろうと質問を続けると、ある問題が浮かび上がってきた。

「人から愛された経験がない」

?彼に友人、恋人ができない理由はここにあった。人から愛された経験、認められた経験がないため、自己肯定感が低い。だから、自分がいかに価値ある人間かを、誰かにわかってほしくてたまらないのだ。

?そのため、人の話を聞くことができず、自分の話ばかりしてしまう。交流会やパーティ、食事会での接し方においても、すぐに「出身大学」「自分が所属する会社名」「知り合いの著名人」の話ばかりをしてしまう傾向があった。

「学歴」と「会社」で
自分を守る人々

?学歴や会社名は悪くないのに、そういうスタンスをとるばかりに、「顔見知り」はできても本当の友達ができなかったのだ。無論、異性の親しい友人もできず、フェイスブック上で知り合った知人は増えても、なかなかデート、そして交際に発展することがなかったのだ。

「学歴」と「会社」以外の話題で会話を楽しむことができない。むしろそれを盾にして、本当の自分を隠しているようにも見えた。

?私は彼に2つのアドバイスを行った。1つは、日常生活の中で、「人生計画」や「目標実現」などの話をしないこと。自分の優秀さをアピールする前に、まず目の前の人と言葉のキャッチボールをすること。そして、話すことと聞くことの割合を「2対8」ぐらいにして、とにかく人の話を聞くようにとアドバイスをした。

?もう1つは、「誰も俺を愛してくれない!」と落ち込むのではなく、まず自分から誰かを愛すること。

?彼の最大の問題点は、自己肯定感の低さゆえに、「俺を見てくれ、愛してくれ」と、周囲に過剰アピールしているところだった。この状況では愛されるどころか、どんどん人を遠ざけてしまう。発想を根本から変えるしかなかった。

「愛してほしい!」ではなく、
「愛しています」と言おう

「愛してくれではなく、愛しています」。このように、自分から誰かを愛することを勧めたのだ。

「好意の返報性」という言葉を知っているだろうか。これは、「人は、自分を好きになってくれた相手に対し、好意を持つ」という心理効果のことだ。

?イメージしてみてほしい。好かれていることがわかれば、自然とその人のことが目に入らないだろうか。このように相手を気にしているうちに、徐々に好意が高まっていくというしくみだ。

?この2つのアドバイスを守らせた結果、半年後には社内の友人も増え、女友だちもできるようになった。さらにその3カ月後、「恋人ができました!」と報告があった。

?彼が変わったのはそれからだった。自信に満ちた物腰で、誰とでも笑顔で、屈託なく会話ができるようになったのだ。「学歴」や「仕事」で、人を遠ざけていたのが信じられないくらいだ。

?今の20〜40代の男性には、昔の彼のように「俺を見てくれ、愛してくれ」と苦しんでいる人が多い。もしあなたが、自信の持てない日々を過ごしているなら、「愛してくれ!」と言う前に、「愛しています」と誰かに伝えてみてはどうだろうか。

(次回掲載は、5月10日の予定です)
http://diamond.jp/articles/-/35326

【第59講】 2013年5月2日 三谷宏治 [K.I.T.虎ノ門大学院主任教授]
本のアイデアはどこからくるの?
〜「私が知りたい!」から始まった『経営戦略全史』
出版業界が陥る
プリズナーズ・ジレンマ(囚人のジレンマ)

?2006年夏に9年と11ヵ月勤めていたアクセンチュアを辞め、ボストンコンサルティンググループ入社以来、19年半の経営戦略コンサルタント生活に別れを告げました。爾来、7年。14冊の本(と2本のDVD)を世に出すことができました。今年はこの4月27日に出た『経営戦略全史』のほかに、5月14日発売予定の『親と子の「伝える技術」』が控えているので、2009年以降は毎年3冊のペースです。

?まさか、こんなに本を書くことになろうとは、まったく思ってはいませんでしたし、最近は娘にも「お父さん、あんなにイロイロ書いて、ネタ尽きないの?」と心配してもらってもいます(笑)。

?でも出版業界全体をみると、本はもっともっと溢れています。こんなに出版不況なのに、いや、不況だからこそ出版社は過去、市場縮小に対抗すべく、企業努力として出版点数を増やし続けてきました。結果として、書籍の新刊点数はここ十年強で1万点も伸び、2012年には年間7万8000点を数えました。

?しかし、書店は毎日200点もの新刊書籍を捌き切れるわけもなく、一部のベストセラーを除けば、本が店頭に列ぶ期間はどんどん短くなっています。書店員は嘆きます。「出版社も本を乱造しないで、もっとじっくり絞り込んでつくってくれればいいのに」。

?でも、出版社側にそんなことができるわけもありません。自社だけが絞り込んでも、他社が出し続ければ同じことですし、出したうちのどれが当たるかなんて自分たちにだって読めないのですから。これこそ典型的なプリズナーズ・ジレンマ(囚人のジレンマ)です。出版社みんなで協調して絞り込んだほうがいいとわかっていても、他の出版社の「裏切り」が怖くて誰もその最善手を取れず、全員が出版数を増やす最悪の状況に落ち込むという。

?結局、2000年以降これまで、書籍の単価は1200円から1100円に落ち、書店からの返品率は40%で高止まり、市場規模は9700億円から8013億円へと激減(*1)しました。

*1?2012年現在の電子書籍市場規模は700億円程度にすぎない(インプレス推定)。

テーマのアイデアは出版社の編集者から

?これだけの本が溢れる中で、オリジナリティのない本を出しても意味がありません(*2)。なので、ネタが尽きたら終わり。娘たちが心配するのも当然です。

?私も最初の数年は、「書きたいこと」が(20年分?)溜まっていて、それをカタチにすることが中心でした。『観想力』(2006)に始まって、『正しく決める力』『発想の視点力』(2009)までがそうでしょうか。

?以来、「決める力」と「発想力」は、私の共育活動における不変の中核テーマです。

?ただ、本の書き方としては、『発想の視点力』がちょうど転換点でした。出版のちょうど1年前、日本実業出版社の多根由希絵さんから連絡をいただきました。「発想力テーマで本を書かないか」と。驚くべきことに、その1週間後、ほとんど同じテーマでの執筆依頼が、別の出版社からも舞い込みました。さすがに同じテーマで2冊同時はムリなので、両方のお話を伺った後、多根さんと企画を進めることにしました。

?出版社の編集者は、この「新刊のネタを考える」ところが命です。それがハズレだったら、その後どんなに努力して「良い本」をつくったところで、売れる本にはなりません。半年後、1年後、どんな「テーマ」で「誰」に書かせたら売れるのかを、見極めなくてはいけない(*3)のです。

?ゆえに編集者は最強の読者でもあります。世に溢れる書き手の中から「私だったらこのヒトに、もっと面白いものを書かせられる」と思える対象を見つけ出すために、編集者は万巻を読破します。

?ディスカヴァー・トゥエンティワンの社長である干場弓子さんも、そうでした。

*2?出版社としてはベストセラーの後追いは重要な戦略。『○○の品格』などでわかるように、柳の下にドジョウはいっぱいいる(ときがある)。
*3?そしてその腹案をもって著者候補の了解を取り付け、社内の企画会議を通さねばならない。

「いっぱい詰め込みすぎ!」
「もっと絞り込んで」

?当時ディスカヴァーに在籍していた河野恵子(カワノケイコ)さんを、「大学の先輩だよ」と友人の池井戸潤さんに紹介され、何が書けそうか探る日々がスタートしたのが2009年の夏。

?社内でなかなか企画が固まらなかった河野さんは、ある日業を煮やして作戦を考えました。「三谷さんを干場社長に直接ぶつけちゃおう!」

?初対面の機会が新刊の企画議論とは、なかなか大胆な作戦です。ドキドキしながら干場さんにお目にかかりましたが、彼女は付箋がびっしりついた『発想の視点力』を片手に言いました。

「この本、面白いんだけど、ちょっといっぱい詰め込みすぎ」
「一番面白いのは、この第2章の『ハカる』かな」
「この第2章だけで1冊書いてもらえません?」

?こうして『ハカる考動学』(2010)の出版が決まりました。

?翌年、かんき出版の濱村眞哉さんは「伝える」ことに絞り込んだ本の執筆を、私に迫りました。

「『考える』ことがダイジなことはわかっています。でも『考えろ』といわれると多くの読者は引いてしまう」
「だから、『言いたいことはあってもそれがうまく伝わらないよね』というスタンスで書きましょう」
「そのほうが、絶対読者層が拡がりますから」

『一瞬で大切なことを伝える技術』(2011)は啓文堂書店・ビジネス書大賞の栄誉にも浴し、5万部を超えるヒットとなりました。

?絞り込むって、ダイジなのです。そして、これまでの本からの「スピンオフ企画」がその後も続きます。

「私が知りたい!」

?2012年の夏、久しぶりにディスカヴァーにお邪魔することになりました。干場さん直々の呼び出しです。「ちょっとお願いがあるんだけど」

?そのミーティングの中心テーマは『超図解 全思考法カタログ』(2011〜12)に結実したもの。「すべての思考法を網羅した図解の解説本」がオーダーでした。

?確かに、カチッとした論理思考と、フワフワした発想思考の両方を、ちゃんと扱える書き手はそれほど多くはありません。今回は「絞り込み」ではなく、「網羅的・体系的」であることを必要とする企画でした。

?そしてそのとき干場さんが、「もう1つ、こういうのもあるんだけど、興味あるかな?」と持ち出してきたのが「経営戦略論の歴史」というテーマでした。

「経営戦略って、なんかいっぱいあるでしょ」
「ここ50年分くらいでいいんだけれど、整理して書けないかな」
「私が知りたいの!」

?う〜っむ。確かに、経営戦略論を学者・コンサルタント・企業家の視点で幅広く(かつ面白く)描ける書き手は、あんまりいません。これまた「網羅的・体系的」であることを必要とする企画でした。「これを書くのは自分しかいない!」と勝手に直観し、干場さんに答えました。「ここ50年じゃツマラナイ。多分、その源流に戻って100年分を書かないと」

?100年、100人、90コンセプトをカバーした『経営戦略全史』の企画が決まった瞬間でした。

?以降、実際の編集作業は『ハカる考動学』でもお世話になった原典宏さんが務められました。この本に関してはディレクターとなった干場さんの「ロックな経営書をつくろう」という方向付けで、とても楽しい作品作りとなりました。もちろん、原さんにとっては、史上最高難度の編集作業のはじまりでもありましたが。

?編集者は、最強の読み手であると同時に、「未来の読者」でなくてはなりません。「私が知りたい!」から始まる本も、あるのです。

作品としての『経営戦略全史』

?なぜこの本の編集作業が高難度となったかといえば、それはこれが単なる「書籍」でなく「作品」レベルを目指したからです。しかも、432頁、図版300点の。

?チーム編成はこんな感じです。

?ディレクター:干場弓子さん(d21社長)
?編集:原典宏さん(d21編集)
?著者:三谷宏治(私)
?デザイン:吉岡秀典さん(セプテンバーカウボーイ)
?イラスト:長崎訓子さん(プラチナスタジオ)
?図版:荒井雅美さん(トモエキコウ)
?校正・校閲:小林茂樹さん、文字工房燦光
?索引語抽出:三谷沙比(長女)
?DTPディレクター:紺野慎一さん(凸版印刷)
?DTP:浦山憲一さん他(トッパングラフィックコミュニケーションズ)
?印刷・製本:凸版印刷(営業担当 永井聡さん、中田良さん)
?プロモーション:山崎あゆみさん(d21社長室)

?この大プロジェクトによる作品づくりの中核を担ったのは、ブック・デザイナー 吉岡秀典さんです。彼のセンスとこだわりと技術なくして、この作品はありえません。A5変形の縦長の紙面を、上下左右フルに使いつつ、メリハリの効いた構成と各種字体の絶妙なバランス。「巨人」たちのプロフィール写真1つひとつの位置まで、すべて彼自身によって調整されています。印刷技術の限界に挑んだようなカバーデザイン(クラフト紙の上に厚く白をかけて、そこに極細のインク盛り文字)も秀逸ですが、カバーなしで持ち歩きたい読者のための、きわめてシンプルな表紙デザインもお洒落です。

?ただ、私を含め、ワガママを言う人たちの真ん中で、「編集」という名の進捗管理・各種手配・調整・交渉・原稿チェック・見出しの付け直し・統合などを行ったのは編集の原典宏さんでした。大役、ご苦労さまでした。

?この本の構想を練るために「年表」をつくり始めたのが2012年の9月末。100年、100人が列ぶExcel表を3週間で完成させてから、本文を書き始めました。右往左往・試行錯誤しながらも、2ヵ月ちょっとで書き上げ、11月末にいったん原稿を完成させ、図表完成にもう2週間。そこから、この「作品」の完成・配本まで4ヵ月強かかりました。

?干場さんからのアイデアに始まって、執筆に着手してから7ヵ月。この『経営戦略全史』は、大胆な構想とともに、緻密で膨大な作業を積み重ねた作品なのです。そのどの段階にも、手抜きはありません。「神は細部に宿る」のですから。

?そして今はただ、読者諸氏の審判を待つ身。初版本のみに挟み込まれた「セミナーチケット」で、K.I.T.虎ノ門大学院で行われる無料出版記念セミナーに参加できます。そこでお会いできますように。

?娘たちは心配してくれますし、自分自身も「続くのかな」とときどき思いますが、世の編集者さんたちのお陰で、本を書くネタはなかなか尽きなさそうです。次回は、5月の新刊『親と子の「伝える技術」』での創作秘話を。主人公は三谷家の3人娘たちです。

?読まれての感想やご要望を、是非、HPまでお寄せ下さい。Official Websiteの「お問い合わせ」で受け付けています。

お知らせ

『経営戦略全史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)が4月28日に全国の書店・ネット書店で発売となりました。ぜひ手に取ってみてください。序章の立ち読みはこちら「学びの源泉:第99回」で。無料出版セミナーへの申し込み自体は、本の入手前でもできますので、お早めにこちらまで!
http://diamond.jp/articles/print/35386

【第229回】 2013年5月2日 
地球にやさしい人生最後の選択肢「エコ葬儀」

心身ともに健在であれば、希望に沿った葬儀を行える生前葬も選択肢の1つ。「生前予約割引」を用意している葬儀業者もある(※写真はイメージ)
?終活、エンディングノート、老前・生前整理…。老いる前、旅立つ前に準備を済ませて、快適な老後を過ごしたいという人が増えている。

?葬儀について“決着”しておきたければ、「生前葬」という手がある。生きているうちに葬儀をあげ、お世話になった人たちに直接感謝の気持ちを伝えたい、通常は残された家族が行うセレモニーに自分の意思を反映させようと考える人がいても不思議ではない。

?とはいえ、大多数の人は“死後”に親族が葬儀を行うこととなる。そこで、どのような葬儀をしてもらうか、考えておく必要がある。

?葬儀環境問題が身近なニュースとなる昨今、葬儀業界においても“地球にやさしい葬儀”が取り上げられるようになった。自分なりのこだわりとして、残された人と地球環境の双方に感謝を込める「エコ葬儀」とはどういったものなのか。

?実はこのエコ葬儀、推奨している業者は多く、これといった定義付けがされている葬儀サービスではない。ただ、共通認識とされているのは、木製に比べてCO2排出量が少なく、燃焼時間が15分と短い紙製の「エコ棺」を用いること、そして売上の一部を森林再生事業のために寄付することなどである。火葬率が100%近い日本において、紙製の棺の需要は高そうだ。

?なお、紙製の棺は強度が気になるところだが、棺の形状を工夫したり、内部を補強して形が崩れないようにしているという。

?遺体を液体窒素によって乾燥凍結させ、灰のように細かい粒子にした後に埋葬する「フリーズドライ葬」など、旅立ちの置き土産をできるだけ少なくする取り組みも存在する。こうした主旨に賛同する葬儀社や葬具メーカー増えてくれば、棺以外のエコ葬儀製品の開発もさらに進むだろう。

?終活とは、自分がいなくなったことで残された人間が困らないようにする“引き継ぎ”ではない。安心して旅立てる準備を早めに整えることで、充実した“いま”を過ごすためのものだ。

?人生最後の決定事項、早めに準備を始めておいても損はないだろう。

(筒井健二/5時から作家塾(R))
http://diamond.jp/articles/print/35295


「自分がいかに価値ある人間か」。
誰かにわかってほしくてたまらない

?30代後半の男性が人生相談にやってきた。彼は友人や恋人と呼べるコミュニティーを持っておらず、当然のことながら、会社の中にも仲のいい人がいない。

「このままではいけない!」と思った彼は、積極的に交流会に顔を出すよう心がけた。しかし、なかなか友人や恋人候補が見つからないという。

?一見、自信家の彼。経歴も申し分ない。しかし、彼は何かに怯えているようにも見えた。なぜだろうと質問を続けると、ある問題が浮かび上がってきた。

「人から愛された経験がない」

?彼に友人、恋人ができない理由はここにあった。人から愛された経験、認められた経験がないため、自己肯定感が低い。だから、自分がいかに価値ある人間かを、誰かにわかってほしくてたまらないのだ。

?そのため、人の話を聞くことができず、自分の話ばかりしてしまう。交流会やパーティ、食事会での接し方においても、すぐに「出身大学」「自分が所属する会社名」「知り合いの著名人」の話ばかりをしてしまう傾向があった。

「学歴」と「会社」で
自分を守る人々

?学歴や会社名は悪くないのに、そういうスタンスをとるばかりに、「顔見知り」はできても本当の友達ができなかったのだ。無論、異性の親しい友人もできず、フェイスブック上で知り合った知人は増えても、なかなかデート、そして交際に発展することがなかったのだ。

「学歴」と「会社」以外の話題で会話を楽しむことができない。むしろそれを盾にして、本当の自分を隠しているようにも見えた。

?私は彼に2つのアドバイスを行った。1つは、日常生活の中で、「人生計画」や「目標実現」などの話をしないこと。自分の優秀さをアピールする前に、まず目の前の人と言葉のキャッチボールをすること。そして、話すことと聞くことの割合を「2対8」ぐらいにして、とにかく人の話を聞くようにとアドバイスをした。

?もう1つは、「誰も俺を愛してくれない!」と落ち込むのではなく、まず自分から誰かを愛すること。

?彼の最大の問題点は、自己肯定感の低さゆえに、「俺を見てくれ、愛してくれ」と、周囲に過剰アピールしているところだった。この状況では愛されるどころか、どんどん人を遠ざけてしまう。発想を根本から変えるしかなかった。

「愛してほしい!」ではなく、
「愛しています」と言おう

「愛してくれではなく、愛しています」。このように、自分から誰かを愛することを勧めたのだ。

「好意の返報性」という言葉を知っているだろうか。これは、「人は、自分を好きになってくれた相手に対し、好意を持つ」という心理効果のことだ。

?イメージしてみてほしい。好かれていることがわかれば、自然とその人のことが目に入らないだろうか。このように相手を気にしているうちに、徐々に好意が高まっていくというしくみだ。

?この2つのアドバイスを守らせた結果、半年後には社内の友人も増え、女友だちもできるようになった。さらにその3カ月後、「恋人ができました!」と報告があった。

?彼が変わったのはそれからだった。自信に満ちた物腰で、誰とでも笑顔で、屈託なく会話ができるようになったのだ。「学歴」や「仕事」で、人を遠ざけていたのが信じられないくらいだ。

?今の20〜40代の男性には、昔の彼のように「俺を見てくれ、愛してくれ」と苦しんでいる人が多い。もしあなたが、自信の持てない日々を過ごしているなら、「愛してくれ!」と言う前に、「愛しています」と誰かに伝えてみてはどうだろうか。

(次回掲載は、5月10日の予定です)

第41回ダイヤモンド著者セミナー
『折れない自信をつくる48の習慣』
http://diamond.jp/articles/print/35326


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