03. 2013年2月19日 01:00:30
: xEBOc6ttRg
「追い出し部屋は当然!」 “オレ様”に蝕まれる若手社員の叫び誰もがはまる可能性がある間違った対処の罠 2013年2月19日(火) 河合 薫 「追い出し部屋を作りたくなる気持ちも、分かりますよ。だってね、こんな言い方をするのは気が引けるんだけど、私の同世代の中には百害あって一利なしっていう、たちの悪い人っているんですよ」 追い出し部屋──。陰湿さとやるせなさが漂うその“部屋“の存在が、大々的に報じられたのは、昨年末。 「赤字にあえぐパナソニックグループに、従業員たちが『追い出し部屋』と呼ぶ部署がある」という文言で始まった記事には、100台ほどの古い机とパソコンが並ぶがらんとした室内に、様々な部署から正社員113人が集められ、退職強要とも受け止められる“業務“を課せられているなど、企業の卑劣なやり方が記されていた(朝日新聞2012年12月31日付朝刊)。 会社側は、「新たな技能を身につけてもらい、新しい担当に再配置するための部署。会社として退職を強要するものではない」(広報グループ)と説明しているということだが、集められた社員の中には、「希望退職するか異動を受け入れるか」の二者択一で配属されたケースもあり、「余剰人員を集めて辞めるように仕向ける狙い」と受け止められている。 「追い出し部屋」と思われる部署は、ソニーグループ、NECグループ、朝日生命保険などにもあり、「企業開拓チーム」という名目のもと、自分自身が社外での自分の出向先を見つけることを業務内容としている会社もあるのだという。 男性が語った「追い出し部屋を作りたくなる」最大の理由 まぁ、言うなれば新手のリストラ。これまでにもターゲットを絞って、じわりじわりと退職を迫るやり方は実際あったわけで。それをひとまとめにして、「事業・人材強化センター(パナソニックグループ)」と、それなりの名称を表向きは付けつつも、「やっていることは、陰湿なリストラだ!」と、その新しい手法にメディアが噛みついたのだ。 で、「それはひどい!」「解雇規制をなくせばいいだけだ!」と賛否両論が巻き起こっている中、「追い出し部屋を作りたくなる気持ちも分かる」と、冒頭の男性がこぼした。 彼は大企業から関連会社に転籍し、現在、取締役として勤務している方。言葉を慎重に選びながらも、企業の厳しい現状と追い出したくなる理由を、本音で語ってくれた。 百害あって一利なし、か。 最近は「濡れ落ち葉」と若い社員たちから揶揄される中高年社員もいると言われているだけに、何とも胸が痛む。だが、男性の話を詳しく聞いてみると、「あ〜。それだったら仕方がないよね」という気持ちになった。 要するに、「稼げない人におカネを払いたくない」という気持ちを超えた問題が生じていたのだ。リストラがどうだとか、終身雇用がどうだとか、仕事ができる、できないという問題を超えた、会社というコミュニティーに損失をもたらす中高年社員の存在。 「追い出し部屋を作りたくなる最大の理由」は、若い社員への悪影響だったのである。 そこで今回は、「追い出したくなる人々」について、考えてみようと思う。 その前に、先述の報道を受け、厚生労働省が記事で報じられた5社に対して行った、「退職強要の有無等の調査」結果を紹介しておこう。 調査結果の詳細は同省の報道発表資料を見ていただきたいのだが、結論を一言で言えば、「そういう部署はあった。でも、それはそれまでの業務とは異なる業務をさせているだけで、明らかに違法な退職強要を行っている企業はなかった」と、まぁ、予想通りの結果だった。 そもそもどんなに政府が調査に乗り出したところで、調査が企業側に対するヒアリングという手法を取っている以上、「違法行為」が見つかるわけがない。たとえ退職を強要するような心理的プレッシャーをかけていようとも法に触れないギリギリの線で迫るはずだし、「うちはこんなひどいことやってま〜す」などと、まんまと事実を話すわけがない。 いずれにしても厚労省では、化粧品訪問販売のノエビア、精密機器メーカーのセイコーインスツルメンツ、電機メーカーの東芝の3社に対しても、人事担当者らから任意で聞き取り調査をするそうだ。 いつまでも「自分は偉い」と勘違いしているオレ様社員 では、本題。 「ウチのような関連会社には、本社の身分のまま来る中高年の社員たちがいます。その中には本当に頭を抱えたくなるほど仕事のできない人がいるんです。ですから必然的に、ヒラの派遣の若い社員が彼らに仕事を教えたり、仕事の尻拭いをしたりなんてことも実際に起きているわけです」 「ただそういった状況になっても、謙虚に若い社員に教えを請うて、コツコツとやる人は、こちら側が使い方を工夫すれば何とかなる。本人にとっては多少屈辱的なこともあるかと思うのですが、時間をかけながらも適応していきます。問題はいつまでも『自分は偉い』と勘違いしている、“オレ様”社員です」 「彼らは平気で若い人たちのモチベーションを下げるようなことを言うわけです。例えば、ウチでプロパー採用している若い社員の給料は、本社に比べると低い。そんな彼らに、『2万円や3万円のスーツを着ていたんじゃ、営業先に相手にされないだろ。オレなんか若い時は 見栄を張ってでも、高いスーツを着てたけどなぁ』と言ったりする。あ〜、それを言ったらおしまいでしょ、ていうオレ様話を平気でするんです」 「こんな言い方をするのも何ですけど、彼らの経費は親会社が払っているんで、彼らを抱えることによるうちの会社の物理的な損失はないとも言えます。でもね、厳しい状況の中で必死に頑張っている若い社員のモチベーションを下げるような言動は困るんです。50人程度の小さな会社ですから、全員野球で取り組まないとやっていけない」 「こちらも若い社員の力を最大限に引き出す努力をしています。ただでさえ、今の若い社員は中高年に厳しい目を向けている状況なのに、“オレ様”の思慮に欠けた発言で、若い社員たちのモチベーションを奪わないでくれよと。実際、若い社員たちと面談をすると “オレ様”社員の存在にストレスを感じ、やる気をなくしている人が結構いる。申し訳ないけど、仕事もやらなくていいから、おとなしくしていてくれと正直思ってしまうんです」 周りのストレスとなる人は、どこの組織にもいる。でも、恐らく誰もが、「そういう人にだけはなりたくない」と思っているのではないだろうか。 私は組織の人間ではないので、部下も毎日一緒に仕事をするスタッフもいないけれども、彼の話を聞きながら、「あ〜、そういう人にだけはなりたくないなぁ」などと素直に思った。 でも、不甲斐ないことに100%「そうならない」という自信もない。だって、もし自分が同じ状況になったら……、トゲのある言葉の1つや2つ、ひょっとすると言ってしまうこともあるかもしれないなどと思ってしまったのだ。 その何と言うか、人間の持つ自己防衛本能とでも言うのだろうか。ある意味、ストレスへの間違った対処。その罠に、自分がはまってしまう可能性はゼロではないと思うのだ。 恐らく、“オレ様”話をするベテラン社員にとっては、子会社に異動になったことも、若い社員に教えてもらえないと仕事もできないことも、若い社員に仕事を教えてもらうことも、ストレスだった。そんな自分を恥ずかしいとか、情けないとか思ったこともあった。それでも逃げるわけにもいかず、毎日会社に行くしかない。 そんな時、自分に降り注いでいるストレスの雨から逃れるために、時に過去の自慢話をしたり、時に周りを非難したりすることで、自分の威厳を保とうとしたのではないか。全くもって、間違った、くだらないやり方なのだが、自分が脅威を感じる他者に対して心ない言葉を発することで、自分を守ろうとしたのではないだろうか。 自信のない人ほど、自慢話をするなんてことはあるわけで。他人を見下すことで、自分が上にいるような錯覚になるなんてことだってあったのかもしれない。どれもこれも実にくだらない、意味のないことではあるのだけどね。うん。 オレ様発言の背景に隠された錯覚 弱音の1つでも言ってくれれば、まだ良かったのだろうけど、そんなことは到底できない。だって、「ストレスだ」と認めてしまった途端、自分がどうしようもなく、とんでもなく弱い人間になってしまうような気がして、それが怖い。弱音を吐きたい気持ちとは裏腹に、オレ様発言をすることで、自分のプライドを必死に守ろうとしたのだ。 ちょっとばかり虚しい話ではあるけれど、人間ってそんなに強くないからね。そんな一面が出てしまうこともあると思う。 とはいえ、言われた方にしたら、たまったもんじゃない。 とりわけ、若い世代の中高年に対するアレルギーは猛烈に強い。 定年延長が義務化され、たいして働かないくせに高い給料だけもらっているオッサンたちの存在を疎ましく思っている若者は多いし、何でオッサンたちの給料のために自分たちが酷使されるのかという不満もある。中高年vs若者という構図が数年前から確実に出来上がっていて、その対立は加速していると言っても過言ではない。 これまでにも、特に30代の社員たちから、仕事ができない、仕事をしない、仕事をやろうともしないベテラン社員たちの不満を何度も聞かされてきた。そういう人たちに限って、トゲのある一言を吐く。 「残業やって疲れた時なんて、タクシーで帰ればいいじゃないか。1万円もあれば帰れるだろう?」と、連日連夜の残業に疲れて体調が悪いという話をしていた時に、横からご丁寧なアドバイスをくださった人。 「牛丼で夕食を済ませるなんて信じられないな」と、牛丼生活が続いていることを嘆いていた時に言われた一言。 「彼女と割り勘でデートしてるのか? そんなことしてるから女にナメられるんだ」と、たまたま彼女の話をしている時、それを営業先の女性部長との仕事を決められなかった話にすり替えられた。 「週末まで仕事しなきゃならないなんて、仕事のやり方に問題があるんじゃないか?」と、休みが取れていない不満をポロリと漏らした時に、その原因を自分のせいにさせられた。 などなど。生意気な部下の不満を漏らす上司たち以上に、部下たちは不満を抱え、ちょっとした一言をストレスと感じているのだ。 追い出したくなる存在になるリスクは誰にでもある 恐らく他人には、たわいもない一言に感じるだろうし、「そんなのどうせ負け惜しみで言ってるんだから、相手にするな」と言いたくもなる。だが、どんなに他人にはたわいもないオレ様話であっても、言われた本人たちの心はミシミシと歪んでいく。ちりも積もれば山となる。「もう、いい加減にしてくれよ!」とうんざりする。 もちろん若い時には、いつの時代にも上の存在はわずらわしかった。でも、今はそのわずらわしさに加えて、不公平感がある。たまたま生まれた時代が違うというだけで、学生時代から厳しい社会に苦労している若い社員たちにとってオレ様社員は目の上のたんこぶ。どうしたって許せない存在なのだ。 そして、前述した男性が指摘するように、次第にやる気も失せ、自分たちよりも高い給料をもらっている中高年に対してだけでなく、彼らにお金を払って雇い続ける会社にも、不信感を募らせていくのである。 と、ここで疑問がわく。 そもそも追い出したくなる社員は、入社した時からそういう存在だったのか? あるいは、何かをきっかけにそうなってしまうのか? 「そんなの最初からに決まってるだろ。能力なんてないのに、時代がいいだけでいい会社に入れた人たちなんだからさ」 「そうそう。こんなことも知らずによく今まで生きてきたよ、っていう世代なんだよ。だから問題なんだよ」 う〜ん。そうなのだろうか? もちろん中には、ずっと「切りたい」と会社が思いながらも、するりするりとくぐり抜け、しがみ付いてきた、そういうゾンビのような人たちもいるかもしれない。 だが、キャリア発達論から見ると、誰もが追い出したくなる存在になるリスクを抱えていることが分かる。 言い方を変えれば、「そういう人にだけはなりたくないなぁ」と思っている人も、「自分には関係ない」と考えている人も、あるターニングポイントをうまく切り抜けることに失敗すると、「追い出したくなる人」になってしまう罠がキャリア発達の過程には存在しているのだ。 キャリアの危機──。 これは、私たちがキャリアを積み重ねる中で遭遇する、困難な課題を招く特定の過渡期のことを指す。 いくつかある危機の中で、「追い出したくなる社員」となるかどうかの分かれ目となるのが、「キャリア中期の危機」で、早い人では35歳頃、遅い人でも40代後半には遭遇する。 誰もが組織にいると、 ・ この会社で自分がどこまで昇進しそうか ・ 自分がどんな仕事で終わりそうか といった組織内での自分の将来像が見えてくる時期があるが、それがまさしくキャリア中期の危機である。 この段階で、「おお、いい線いってるなぁ」と納得できれば、そのまま邁進することで危機を脱することが可能だが、自分が若い頃に抱いていた自己イメージと、その時点における自己イメージとにギャップがあると、「このままで本当に終わっていいのだろうか?」と不安を抱く。 うまくこれを乗り越えるには、自分と向き合い、 ・自分の経験と知識をゼネラリストとしてどう生かすか? ・後輩たちの良き助言者となるためにどういったことができるか? といった問題を軸に、新たな自己イメージを再構築することが求められる。 自分と向き合えないと自己正当化が加速 中には、新たな自己イメージを構築するために、 ・ もっと、違う自分はいないか? ・ もっと、自分にできることはないか? ・ もっと、自分の能力を引き出せないか? と転職を試みたり、大学院などに通い出したりする人たちもいる。 自分と向き合い、自分の強みと問題点を自ら明らかにできれば、新たな自己イメージに向けた一歩を踏み出せる。不安をなくすには、前に進むのが最善の策。前に踏み出せた人は、キャリア中期の危機で生じた不安が次第に軽減され、キャリア後期に向けて前向きに力を発揮できる。 ところが、ここで自分と向き合うことができないと、ただただ不安から逃れるために、もっともらしい理屈をつけて自らの行為を正当化するようになる。 さらに、キャリア中期の危機では、大抵の人には家庭もあるため、子供や配偶者との関係なども複雑に絡み合い、混沌とした不安になるケースが多い。不安の糸と糸が微妙に絡み合い、得体の知れない不安を抱きながらも、「何が? どうして? 不安なのか?」を見極められずに、間違った対処の罠にはまりやすい。 例えば、「子供の教育費がかかるあと〇年は、会社に居続けなきゃならない」というように、早期退職しないのは家族のためという人がいるが、こういった考え方は、会社にしがみついている自分を「子供」の問題にすり替え、自分を正当化しているだけに過ぎないというわけだ。 しかもやっかいなことに、正当化すればするほど自分を守るためだけの言動が助長され、本来であれば役に立つはずの経験や知識を生かすことも、後輩たちの良き助言者となることもできなくなってしまうのだ。 さらに、事態を複雑にさせるのが、「キャリア中期の危機」に遭遇した人にとって、若い力は最大の脅威であるということ。 もちろん自己イメージの再構築に成功さえすれば、どんなに血気盛んで能力の高い部下や若い世代と競争させられても、自分にベクトルを向けた建設的な行動が引き出され、「若い脅威」が良い意味で緊張感をもたらし、「負けてたまるか!」と前に進むエネルギーに変えることが可能だ。 ところが、自己イメージを再構築できなかった人は、自らの行為を正当化することに加え、若い脅威から逃れるために、やたらと攻撃的になったり、無視をしたり、「勘弁してくれよ」と周りが悲鳴を上げたくなる言動をエスカレートさせてしまうのだ。 普通であれば、自分の言動が周りにどう思われているかが気になるのだが、間違った対処をしている本人には一切そうした感覚がない。 実際には何も解決していないのに、自分の中では「解決した」という錯覚に陥る。そして、周りからヒンシュクを買って、「追い出し部屋に押し込みたい」と思われる存在になっているとは微塵も感じない。間違った対処のネガティブ・スパイラル。キャリア中期の危機で、自分と向き合うきっかけを逃したことで、その後の人生が大きく変わってしまうのだ。 米国の組織心理学者が主張した企業支援の必要性 キャリア中期の危機への対処を訴えた、米国の組織心理学者、エドガー・シャインは、「キャリアの再構築の失敗は、個人だけでなく組織にも損失をもたらす」として、企業の支援を訴えた。 最近は、中高年を対象に、キャリア意識を変える研修を行っている会社もあるが、シャインは、「同僚との真面目な話し合いの場」の必要性を示唆している。 そのきっかけとなったのが1970年代初期に、アメリカで起きた30代後半以上のエンジニアたちの大量リストラだった。 当時、彼らのキャリアを縦断的に調査研究したシャインは、長年にわたる調査の結果、「彼らが遭遇している困難に対する建設的な対処は、一方的に教え込むのではなく、彼らが“同僚との真面目な話し合い”を持つことによって、自らの意志で考えさせることが最も効果的だった」と主張したのだ。 同僚との真面目な話し合いとは、自分と同年齢の人たちと、言葉通り真面目な話し合いをすること。単に集まって社交的な会話をするのではなく、少人数で気にかけている人生問題を共有し、互いに意見を言い合うのだ。 年を重ねてくると、誰もが自分なりの価値観を持っていて、「自分は自分なりにやってきた」という自負があるだけに、部外者からの助言を素直に受け止めることが難しくなる。 ところが、同世代の同僚たちであれば、似たような経験をしていたり、似たような悩みを持っていたりするので、「自分の問題」として受け止めることが可能となる。 時には、「ああ、自分だけじゃなかったのか」と同僚たちの悩みを聞くことで安心し、同じ年代の人たちが、もがき苦しみながらも、立ち向かっている話を聞くと、「自分にもできるかもしれない」と勇気をもらうことができる。 加えて、同じ悩みを持つ同世代の人同士であれば、「キミにはこんなに素晴らしいところもあるじゃないか」と、自分では気づいていなかった自分の“強み”を指摘されることもある。 同僚との真面目な話し合いで得られる、「共感」という感情が、人間にとって最も苦手な「自分と向き合う」勇気をもたらし、人間に宿る強さを引き出すのだ。 自分と向き合うのは、難しい。勇気がいる行為でもある。だからこそ、同僚、という同世代の、相手に自分を映し出すことができる機会を、他者の手=企業の支援として差し出すべきだとシャインは訴えたのである。 だって、明日は我が身、かもしれないのだから。そして、「追い出し部屋を作ってくれよ」と嘆いている人たちも、自分と向き合う機会を意識的に持つ努力を…。私も、組織の人間はないけれど、向き合ってみます。 河合 薫(かわい・かおる) 博士(Ph.D.、保健学)・東京大学非常勤講師・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『を使えない上司はいらない!』(PHP新書604) |