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スプートニック日本記事「48回世界経済フォーラム(WEF)「グローバルリスク報告書」2018年度版についての」理性批判
以下にある記事は、これもまた下に記したURLのスクートニックに掲載されていたものです。
この記事に示されている国際的諸問題についての私の見解を案内したく、皆様に提起したいと思います。
これより私が記事を校正したおおよそです。
スイス東部ダボスで23日開幕した第48回世界経済フォーラム(WEF)年次総会のテーマが「分断された世界における共通の未来の創造」というもので、「グローバルリスク報告書」の2018年度版も公表した。
その「グローバルリスク報告書」の内容は多種にわたっていて、異常気象、自然災害、食糧不足、疾病の流行、テロリズム、移民問題など。
気候変動、サイバー空間への依存、収入水準による階層化、進み行く社会の格差など世界的な問題が多くあるとしている。
政治的不安定の問題、農業地域で不作に繋がる問題。「幾つかの地域では水や肥沃な土地を争って境界争いに発展しており、これは完全な戦争になる可能性がある。こうなれば、食料品の世界的な価格上昇や制御不能なインフレ、新たな移民の波に繋がる。」と危惧している。
都市化、高齢化、ナショナリズム進行、経済・文化・技術的変化の問題。民主主義システムの不安定化の問題、治安維持のため市民の自由の制限と民主主義的制度の問題などもある。
総じて、報告書の考えによると、世界は新たな波乱に飛んだ地政学的フェーズに入り、世界は多極的であるだけでなく、多概念的となる。報告書にはその他の問題を含めて何らかの対処法は述べられていない。これは世界の専門家たちを対象にした調査結果で、危機管理の手引書ではないとしている。
しかし、報告書によると人類は問題状況を捉えられている範囲で危機的状況への対処法を習得しているが、この報告書で問題になっているリスクは複合的なもので、環境や気候から経済や人工知能といった相互に結びついた要素を持った問題で、多くの人々が関係する複雑なシステムを脅かしている。としている。
以上が記事の要約。
ここに示されている問題について若干述べたいことがある。
上の記事にもあるようにこれは私たちが直面している諸問題に関係しているので、阿修羅に集う皆様にもご一考いただきたいと考え、ここに載せさせて頂きたいとおもいました。(私が10年ほど前に書いたものですが、若干の加筆訂正をしました。)
「現代の人類史的課題と問題」とは
「現代の人類史的課題と問題」は次のような内容になるかと思う。
1、人類理性の危機の問題。国際的共通公理・公則(学問と科学認識)を確立する問題と課題およびその危機問題。知の合一と三者の合一の問題。
2、平和と大量核兵器の危機の問題
3、資本主義の無秩序な自然開発や産業開発で起こる自然と地球破壊の危機の問題
4、命と人権・民主主義の危機の問題
5、技術開発の危機(情報機器開発・情報操作・インターネット・遺伝子組み換え・バイオテクノロジー・戦争ロボット機械開発・独占的宇宙開発と利用・AIの問題・学際的集団活動の問題)
6、世界的経済崩壊の危機(金融暴走問題・南北格差問題・暗号通貨(仮想通貨)問題など)。
があります。
このような問題と課題・命題が現代に生きる我々と、人類に問われているのでしょう。
このような命題に解を与えるためには、いくつかの注意点があります。
その一つが、私たちには、それらの命題を同時進行的に解決できる道を模索しなければならないということです。
なぜなら、例えば、3の地球・自然の破壊の危機問題を解決しようとする場合。もしも原子力発電所事故が起きたり、核兵器(クライスター爆弾・砲弾も)が使われるような戦争や戦闘が起これば、自然に大打撃を与え自然破壊そのものにもなるからです。そうして核兵器の危機問題と地球自然破壊の危機問題は人間破壊問題を引き出し、4の命と人権・民主主義の危機の問題とも直結しであるわけです。またそれらは5の科学学問と技術の問題。6世界的経済崩壊の危機の問題でもあるのです。
つまりそれら人類の現代の諸課題のそれぞれが関連しあった、「弁証法的な不可分の課題」であって、二律背反的な構造をもった多律背反というべき論理的問題であって、抽象的ではあるが、一つにまとまった単一的な課題であり問題(命題)だといえるでしょう。
学者や専門家やマスコミがそのような人類の課題や問題が不可分な関係にある単一的課題や問題であることを見ずに、地球自然破壊の危機の問題だけに取り組んだり(つまり専門性と専門家の根本問題)を喧伝するのだとしたら、さらまた地球自然破壊の危機の問題を「CO²の問題」だけかのように矮小化して喧伝したりするのだとしたら、その他の課題に目を向けず他の多数の人類問題と課題が示されていることを反故にしてしまい、かえって自然破壊を推し進める結果となるでしょう。
したがってそのような階梯的問題を混同することは錯誤であり、さらにもしマスコミや学者たちがそのことを自覚していながら自然崩壊の危機問題だけを宣伝するのだとしたら、自然破壊問題を引き起こす他の連関問題を利する「策謀」ともなるのでしょう。
つまり錯誤問題が転倒すると倒錯になるのであり、諸問題を進捗加速させる問題でもあるのです。あるいはそれを顕在化させる問題でもあるのです。
それと同じことは4としてあげた命と人権・民主主義の危機の問題でもいえることであり、命と人権・民主主義の危機の問題はイジメ問題、セクハラ・モラハラ・ストカー・犯罪被害者・死刑廃止存続問題、精神科医療問題など、人が人として生きられない様々な社会的不条理と理不尽な問題のことであり、
またアフリカ諸国にある植民地主義の結果責任である、飢餓・奴隷制度・貧困・栄養失調・疾病(エイズなど)・南北格差・などなどの命と生きる権利などの人権の問題でもあるのです。
さらにこれらの問題は、食料確保のためと、利害得失のための自然破壊(活動)問題としてリンクしているし、病気を克服したり食糧生産を発展させたりする科学技術問題でもあり、貧困と無知・情報格差・情報教育問題でもあり、それらの利害得失や格差からくる部族対立・民族対立・宗教対立・文化対立による戦闘と戦争の問題とも不可分にリンクしている問題でもあるわけです。
そうして上のように、学者や専門家やマスコミが人類に示されている諸課題がそれぞれ不可分な単一的な問題であることを見ずに、命と人権・民主主義の危機の問題(ユニセフなどの例でも)だけを喧伝するのは、さらまた命と人権・民主主義の危機の問題を「イジメ問題」や「教育問題」「アフリカの問題」「エイズが問題」かのように矮小化して喧伝することは、
その他の課題に目を向けず反故にして、さらなる、例えば地球と自然破壊の経済活動によって食糧危機を拡大したり南北格差先進国と後発国の格差を広げたりし、かえって命と人権・民主主義の危機を推し進めることになる錯誤と倒錯となってしまうのです。
さらにそのことを自覚していながら、細部問題を宣伝するのだとしたら、命と人権・民主主義を破壊しているモノを利する「策謀」ともなるのでしょう。
19世紀から出題されている人類知性・理性・学問・意識・認識などの問題の「認識論と論理学と弁証法の統一」の理論と、そこから見出される「単一の学」「単一の智」を得ることこそ、現代人と現代人類の課題中の課題なのです。根本的問題なのです。
つまり1、の国際的共通公理・公則を確立する課題と問題、ならびにその危機問題のことでもあり、この科学と学問を人類共通の認識を得て、共通の判断と行動の基準とすることで、さらにそうして国際企業や各国の政府の活動基準とすることで、
2、平和と核兵器の危機の問題 3、地球自然破壊の危機の問題 4、命と人権・民主主義の危機の問題 5、遺伝子操作、情報操作、戦争ロボットなど技術開発の科学的学問的危機の問題6、世界的経済崩壊の危機(特に暗号通貨(仮想通貨)問題。
そのような主要問題と課題・命題が解決し得るのでしょう。
またそれらの主要問題の下段に位置する様々な問題の解答も解決策も得られるのではないでしょうか。
是非阿修羅の皆さんにも検討していただきたいと思うわけです。
さらに話が飛ぶようですが、人類と世界が自らを救済する真理を獲得できず、このまま推移する可能性もありますが、しかしながらそれらの問題と課題そのものが必ず人々を悩ませ理性の方向へ追い出すでしょうから、また上の話を心底理解する人がいつか現れるでしょうから、話を足すことにしますが、
あらゆる宗教が真理と愛・幸せを言います。
それは人なら必ずそれらを考え悩み求めるものであり人類史を通してある普遍問題であり普遍課題でもあります。
しかし宗教においては、その答えを信者や人々に与え導こうとするわけですが、だがそれらの宗教が言う真理と愛・幸せは、キリスト教はキリスト教徒だけに語りかけ教えるものであり、
他の宗教徒には解答を示すことができないのです。イスラム教も仏教も他の宗教も同様に、一神教で有る限り他教と一線を画し、自宗の信徒だけしか教えられませんし、導けませんし、自宗の信徒だけしか救うことができない問題にもなります。
各宗教の信徒の側も自宗のそれしか信じませんし、学びませんし、他教と一線を画しているでしょう。
しかし科学は、そうして宗教ではない単一の科学が成立するなら、世界中の万民を教え導き、愛・幸せ・真理を獲得できるわけです。数学も化学も物理学も、科学と真の学問は、宗教に関係なく万民を公平に教え、導き富を与えるものでしょう。
つまり科学と学問こそ、真理中の真理(愛と幸せ)を獲得できるものなのです。
とくに現代人は愛と幸せ真理などというものと、科学や学問とはまったく関係なく別物のように思われていることでしょう。
しかしそれは現代社会が刷り込んだ錯誤であって、元来の科学と学問は人間生活そのものに貢献すべきものとして生まれて、また成立しているものなのす。
つまり人々が物質的に満たされ幸せな生活を送られて、男女や人々が対立し戦うためにではなく愛のためあり、さらに、そうある人(社会)と、自然と宇宙を結ぶ原理(真理)を知るためにあるのです。
残念ながら人々は、主観と客観の違いも理解していませんし、宗教と科学の違いも知りませんし、愛も幸せもまだ見ず知りません。それらが一つになる真理も知らないわけです。
ましてそう有る実際の自身(人間・人類)さえ知らないでいるのです。(古代ギリシャの哲人が「汝自身を知れ」といった謎賭けの通り、人間と人類史の問題・命題なのです。)
第48回世界経済フォーラム(WEF)で示された諸問題は、現代の知性の倒錯現象そのものではないでしょうか。
19世紀人類知性が到達した理論(ヘーゲル、マルクスら)を、世界資本家階級がこれをマズイと考えて、ウイーン学団を支援し、この学団が人類知性の発展を阻む倒錯理論を生み出して、それを妨害し破壊し始めたのです。
その理論路線を現代まで推し進めてきたのがアメリカ学術界と社会システムであり、現代問題と課題が徐々に顕在化して来たのもその必然的結果なのです。(経済学ではシカゴ学派が有名)その路線とは世間で言うところの「プラグマティクとかプラグマティズム」とか言われるもの(哲学の本来の意味内容とは別ですが、その)の結果なのです。
こうして彼ら(世界資本家階級体制)が生み出した命題の立て方そのものに、問題原因が隠されているのですから、単一の理性とは別な方向に進で問題を解決しようとしても、科学と学問の目的に適わないことは明らかでしょう。
さらに、そもそも各専門(学者)家が研究を進めることそのものに、錯誤を生む根本的問題も潜んであるのです。
研究(理性活動)とは問題を分析(分解・抽象)することを意味しますから、100年続ければその分だけ問題は細分化して矮小問題に到達するのです。それが全ジャンルで進捗するのですから、特に社会科学系・隣接自然科学・医学系(精神・心理)はその根本的錯誤の影響が出てきて、複雑系問題化させているのです。
彼らは問題階梯を下降するだけで上向することを知らないのです。それに気が付かないのです。ただただ研究に励みその分だけ下降するだけに成りがちなのです。
経済学者は自分は人と社会のことを理解しているのだと自負しているでしょう。
法学者とその関係者は、自分こそが人と社会のことを理解しているのだと自負しているでしょう。
政治学者は自分こそが人と社会のことを理解しているのだと自負しているでしょう。
経営学学者も自分こそが。教育学学者、歴史学学者などなどと、ジャンル別の専門家・学者が自分こそが人と社会のことを理解しているのだと自負しているのでしょう。
だがそれら全員のなかに地球(宇宙)と人類の全体を見られる者は居ないのです。
それができるのは、ただ一者(学問と学者)だけ、、、、、なのです。それさえ今となっては死に絶えたのか、どこに居るやらこれを書く私も知りません。
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