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(回答先: 作られる”多数派”に”圧勝” アフター・リベラル、デモクラシーへ 投稿者 影の闇 日時 2017 年 11 月 01 日 08:48:28)
又一方で、自民党という政党の在り方も、清和会が権力を掌握して以降、決定的に変わっております。
コイズミが”自民党をぶっ壊す”と言ったのは、それまでの党人派主導の組織や体制を壊すということであり、結果、従来のボトムアップ型、意見集約型の党運営は完全に無くなり、トップダウン型、上意下達の一方通行が罷り通っている。
当然の如く、これまでの派閥が並び立つという光景は消え失せ、共産党真っ青の、ピラミッド型の政党に成って行くでしょうし、その中で、派閥の意味も従来とは様変わりして、中国共産党における「団派」「上海派」「太子党」の様に成って行くのでしょう。
かって日本においては、政党政治の終焉は大政翼賛会という形で現れましたが、今日においてのそれは、知らず知らずのうちに、中国共産党の似姿に成って行くのかも知れません。 大政翼賛会のモデルがソ連共産党であったことを考えれば、別に怪しむに足りないとは言えますが、しかしながら、それ以外、全く別の要素が其処に在る様にも思えます。
「大政」とは天皇親政を意味しますが、そのトップを以って近衛幕府とか東条幕府と言われた様に、殆どそれは徳川幕府の「大政委任」と変わり無く、イギリス型の統治システム(議会、政党)の行き詰まりに代わって登場した、アンシャンレジームの甦りという側面がある。
同様に、中国共産党の似姿に成って行く自民党も、上部の政治体制の違いとは異なる、共通するものが其処に見て取られるのです。
即ち「一君万民」型が東アジアに普遍的に共通する王権システムであり、「一党万民」型(與那覇潤)の中国はその変形※とするなら、同じ力学が日本にも働いている、但し特殊日本の変形としての「大政委任」、しかしながら天皇がアメリカで上書きされた戦後の日本においては、「大政」とは「アメリカ親政」を意味し、実質的にはアメリカ傀儡と選ぶ処は無いわけですが。
※今度の共産党大会で益々鮮明になった「習一強」は、文字通りの「一君万民」になる。
それにしても、議会の空洞化といい、政党政治の衰滅又は変質といい、どうしてこの様な事態が出て来たのか?
端折って結論から言うなら、世界(史)的視点における英米アングロサクソン主導で進んだ近代がいよいよ終焉に向かいつつあり、それが議会や政党という政治システムの形骸化や空洞化となって現れ出ているということであろうし、その過程の一環として、グローバリズムの進展による国家の弱体化、その反動として国家権力(行政権力)の強大化、更には専制化、独裁化(ボナパルティズム)が起きてるということで、日本の現象も例外ではない、ということでしょう。
つまりは、そういった体制システムへの不信や不満、不安などを強権を以って抑え込むということで、その点は洋の東西は変わりないとはいうものの、斯かる危機への対処の中に、旧来の、本源的な在り方が蘇っている、ということです。
だから、「独裁」とか「一強体制」とか、本当の問題はそこには無く、前回同様、目指す方向が誤ってるから<危機>がその様な尖鋭な形にならざるを得ない、ということなのです。
無謀な対米戦争に向かう東条幕府の奥庭に、戊辰戦争の落とし前をつけるという動機が隠されていたとするなら、あらゆる処で進行する危機から目を逸らし、危機の先送りを繰り返すアベ薩長政権の隠された動機は、隠しようも無くなった明治維新の破綻を糊塗或いは覆い隠し、のみならず改めて、世の内外に、明治の選択を上書き(承認)させるというところに在る、と思えるからです。
それでは、民主主義の減退とアンシャン.レジームの甦りの中で、ではどうするのか?
回天、或いは「大政」の転位が可能なのか?
稿を改めて、それについては論じたい、と思います。
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