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今回の総選挙結果、今度も又、公明党(創価学会)の存在が決定的な鍵を握っていたことは明らかであり、簡単な算術でその意味も掴めると思いますが、その公明党について、結党以来の半世紀は凡そ三つの時期に分れます。
70年代の左派路線、80年代〜90年代半ばまでの中道路線、清和会政権登場以来の右派路線。 なおこの「左」「右」はそれ自体意味は余り無く、アメリカとの距離、と考えればいい。
他方、この半世紀の政治のもう一つの側面はこの公明党(創価学会)を巡る自民党内の争いであり、党人派と官僚派のどちらに軍配が上がるか?でした。 隠れ田中派と言われた70年代から一・一ライン(小沢一郎・市川雄一)の90年代半ばまでは党人派側でしたが、結局、最終的に官僚派の軍門に下ったことを示すのが元検察官僚、”そうはイカンザキ”神崎武徳の代表就任(98年)です。
また同時に、自民党のヘゲモニーを官僚派(清和会)が完全に掌握したことをそれは示します。
70年代から90年代半ばまで続いた、執拗かつ異常な創価学会大バッシングが、清和会にくっ付いて以降ピタリと止んだのはそれ故です。
つまりは、70年の『創価学会を切る』(藤原公達)に始まる創価大バッシングの狙いは、この巨大宗教団体を(国家)官僚の側に屈服させることだったのです。 後は狙い通りの効果を発揮することになる。
『自民党 「一強」の真実』(中北浩爾)で指摘されてる通り、この間ずっと、”アベ一強”下においてさえ、自民党の絶対得票率は低下したまま(小選挙区25%前後、比例15〜20%)です。
この状況下で”圧勝”を作り出す為には@低投票率であることA或る程度の得票を持つ、固定的な補完勢力、仮に@を60%以下とすると、Aは10%近くを期待できる存在が是非とも必要であることは分るでしょう。 だから、一割近いの絶対得票率の公明党ー創価学会なのです。
とはいえ、アベになって、この二回で200万票数を減らしておりますが、創価学会婦人部を中心に、女性のアベ政治への拒絶感はそれ程強い、ということでしょう。 アベの表情が今一冴えないのも、補完勢力に如実に現れた、女性からの強い拒絶感の意味を感じ取ってるからかも知れません。 女性からの受けが良いコイズミ息子を前面に押し立てたのも同じ理由と思われます。
更に@を実現するー即ち低投票率を将来に渡って続けるー為には「投票で変えることが出来る」という幻想を徹底的に打ち砕かなければならない。 09年の民主党「政権交代」はその為に在った、と言っていいのです。
当時、永田町や霞が関、及びマスコミ周辺では、「政権交代」させない為の政権交代だと言われ、民主党政権の失敗が既定のものとされておりましたが、鳩山政権が、細川政権同様、短命に終わると見ていた私は、肯けるものではありました。
実際、霞が関官僚による露骨(分かる人には分かるという意味で)かつ隠微(一般には分り難いという意味で)なサボタージュを含め、右派を先頭に、マスメディア総掛かりで、民主党政権は、これでもかとばかりに、徹底的に愚弄され、その無能ぶりを満天下に曝け出すことになる。 本当は、その背後の黒衣役(官僚)が、そのように見せかけていたのですが。 兎にも角にも、これ程霞が関にコケにされた政権はこれまでありませんでした。
結果、民主党というよりそれを越えて、期待が大きかった分だけそのベクトルが逆に働き、政権交代そのものへの幻滅となって現れ出る。
09年に比べ、12年選挙で民主党が失った2000万人とはその意味であり、そういう人達は二度と「投票で変えることが出来る」という幻想は抱かないだろうし、その多くは投票に行くことはないでしょう。 この後、6割を超すということは二度と無い、と思われます。
その一方、自民党(絶対)支持層の大半は既得権益層であり、又衰退する一方の地方においては、江戸時代の領民意識さながらに、自民党支持が固着している。
従って、絶対得票率(小選挙区25%前後、比例15〜20%)は、漸次逓減傾向はあっても、殆ど変わる事はない、と思われます。
ー以上の事から、これからも、雨が降ろうとやりが降ろうと、何回やっても全く同じ”圧勝”という結論が導き出せるわけです。
但し、都議選や今回の選挙の様に、「政権交代」までは望まなくても、政権への不満や批判が一挙に膨れ上がるという事態も、当然の事ながら、考えられる。 その時「活躍」するのが、石原チンタやハシゲ、そして今回の小池の様に、野心満々の政治家もどき、タレントもどきの、マスコミ受けが良い”トリックスター”の面々です。 本人の意識とは別に、果たしている役割は、客観的には、批判票が一つの大きな塊りにならない様に、それらを分散(分断)することで、結果的には、与党”圧勝”に大きく貢献する。
これからも、そういう政治的”一発屋”は、入れ替わり立ち替わり、現れて来ることでしょう。
ところで、こういったことが永続して行くとなると、どういった事態が招来されることになるのか?
何度やっても、いつまでやっても結果は同じ!
ー 選挙の形骸化は必然的に議会の形骸化に繋がり、これまで以上に、議会は政府の追認機関と化すのです。
それを別の言い方に直すと、政府の更なる議会軽視が強まるということで、早くも、形だけの「特別国会」、「野党の質問時間削減」「臨時国会」も開かないという様に、現政権の姿勢の中にもそれは現れております。
何れにせよ、このままだと、議会は在っても無くても同じーという様な状況が早晩訪れるに違いないし、更にそれは選挙は在っても無くても同じーという様な認識を醸成していくことになるでしょう。
- Re:アフター・リベラル、デモクラシー 「中国共産党化」の真実 影の闇 2017/11/01 08:52:45
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