http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/325.html
Tweet |
(回答先: カリフ制という考え方がここまで浸透してきただけでも物凄い進歩/中田 孝 投稿者 仁王像 日時 2015 年 12 月 11 日 06:46:36)
≪まえがき≫
カリフ制の再興は、1648年に締結されたウェストファリア条約に因んで「ウェストファリア体制」とも呼ばれる領民国民国家、主権国家による国際秩序の解体の序章であり、西欧の文明的ヘゲモニーの衰退を象徴的に示す世界史的事件である。
世界史的事件をリアルタイムで「世界史的事件」として認識しうる者は稀である。世界史的事件の世界史的意義が同時代人に明らかになるには、一定の時間の経過を必要とする。特に、西欧文明のパラダイムに全面的に思考を規定されている「現代人」にとって、西欧文明自体のアンチテーゼとなる事件の意義を正しく理解することは決して容易なことではない。
≪6 カリフ制再興の文明論≫
今日の世界は全て西欧の文化植民地であり、思考様式の西欧化は意識に上らないまでに血肉化しており、それはムスリム世界も例外ではない。特に政治思想の領域ではそうであり、ギリシャの政治思想とキリスト教が結びついた「人の支配」、そのメモタルフォーゼであり近代資本主義と結びついて世界を覆い尽くした「法人」制度、その究極形態である領域国民国家システムは、多くのムスリムにとっても当然とされており、カリフ制でさえその色眼鏡を通して理解されることで認識に歪みが生じている。それゆえ…(略)
≪エピローグ カリフ制と人類の未来≫
そもそも西欧が、人権や平等を語りながら、領域国民国家の存在を自明視し、平然とアジア・アフリカの国々を植民地化し「原住民」を差別し見下し搾取することができたのは、なぜであろうか。実のところ、西欧が言うところの「人権」や「平等」などは、実証的、客観的には人類に共通する普遍性な倫理を抽出したものではなく、当時の彼らのローカルな思想に過ぎなかった。ところが、彼らはそれを人類普遍の原理であるかのように思いなすことで、自分たちと「人権」や「平等」などの概念を共有しない他者を人間以下の「未開人」として見下し、人権を認めず牛馬のように扱ったり「非-人」として悪魔化し殲滅したりすることができたのである。
2014年にカリフ制を称して樹立されたイスラーム国は、カリフ制の理念を体現しているとはとても言い難い。しかしイスラーム国がカリフ制再興の義務を世界に知らしめた功績は大きい。イスラーム国が今後、真のカリフ制に変容していくのか、それともカリフ制再興の先駆けとして役目を終えて滅びるのかは、現時点では明らかではない。
しかし、既にパンドラの箱は開かれ、カリフ制再興の流れは不可逆であり、その声を封殺することはもはやできない。
【出典】「カリフ制再興」中田孝’15年
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。