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オバマ大統領の正体
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/730.html
投稿者 中川隆 日時 2016 年 9 月 13 日 04:35:22: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ヒラリー・クリントンの正体 投稿者 中川隆 日時 2016 年 8 月 20 日 08:41:25)

2016.09.11
オバマ米大統領の親がCIAと結びつき、インドネシアで1965年にあった虐殺にも関係したとの情報


フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領とアメリカのバラク・オバマ大統領との関係を悪化させる引き金はフィリピン政府が進めている「麻薬戦争」にあるのだが、その背景には1965年インドネシアでスカルノ政権を倒したクーデター、いわゆる「9月30日事件」があると指摘する人がいる。

 オバマは1961年8月、ハワイで生まれたとされている。母親はアメリカ生まれのスタンリー・アン・ダンハム、父親はケニヤ生まれのバラク・オバマ・シニア。ふたりはハワイ大学で1959年に知り合い、61年2月に結婚しているのだが、オバマ・シニアにはケニアへおいてきた身ごもった妻と幼い子どもがいた。その当時、アフリカのリーダー候補者をCIAはアメリカへ留学させ、アメリカ支配の手先を養成していたが、オバマ・シニアはそのひとりだ。

 1962年にオバマ・シニアはハーバード大学へ移り、64年に離婚して別のアメリカ人女性と結婚して帰国、CIAの協力者として活動することになる。彼の友人のひとりはケニヤで大きな影響力を持っていたトム・モボヤで、彼もCIAと結びついていた。この人物のライバルだったガーナの初代大統領クワメ・エンクルマは1966年2月、CIAによるクーデターで失脚している。モボヤは1969年に7月に暗殺された。

 母親のダンハムはハワイ大学の東西センターでインドネシアから来ていたロロ・ソエトロと1965年3月に結婚しているが、この年に東西センターのトップにハワード・ジョーンズが就任する。1958年から65年までインドネシア駐在アメリカ大使を務めた人物だ。後にインドネシアでの虐殺を擁護している。

 結婚した直後、ソエトロはインドネシアへ戻る。1966年7月とする記述もあるが、65年7月ともされている。帰国後、政府の地形調査の仕事をしたとされているが、スハルトの下で反対勢力の粛清に加わっていたとも言われている。

 ソエトロが結婚相手を置いて帰国した頃、インドネシアは大きく揺れていた。1965年9月30日にインドネシアでは小集団の若手将校が6名の将軍を誘拐のうえ殺害、ジャカルタの主要箇所を占拠、その武装蜂起を鎮圧するという形でスハルトがクーデターを実行、スカルノ体制を倒すことに成功しているのだ。

 クーデターの切っ掛けを作った若手将校は自分たちがCIAの支援を受けている反乱軍の一部だと放送、スカルノから権力を奪取すると宣言したとする話も流れているが、後に蜂起軍を率いていたウントゥング・シャムスリ中佐は違ったことを言っている。スハルトとCIAが1965年10月5日にクーデターを計画していることを知り、先手を打とうとしたのだというのだ。

 これに対し、ジョーンズは「典型的コミュニストのプロパガンダ」だと主張しているのだが、大統領だったスカルノは将軍殺害に関してコミュニストを非難していない。そのスカルノを排除することに成功したアメリカは粛清を開始、1966年3月まで30万人から100万人を殺したと言われている。現在では、CIAがスカルノを排除するために仕掛けたクーデターだと信じられている。

 前にも書いたことだが、アメリカはスカルノが1955年の総選挙で勝利して以来、スカルノ体制の打倒を企てていた。その年、インドネシアのバンドンで開かれた会議では、基本的人権と国連憲章の目的と原則の尊重、全ての国の主権と領土の尊重、あらゆる人種の平等と全ての国の平等権の尊重、内政への不介入と不干渉など「平和十原則」を打ち出している。アメリカの支配層にとって許しがたい内容だった。しかも、スカルノ政権は外国資産の国有化を始める。

 選挙の際、プロパガンダでコントロールしようとしたが失敗、暴力での打倒に切り替える。1957年から沖縄、フィリピン、台湾、シンガポールなどで戦闘員を訓練、兵站基地も設置した。そして1958年、スカルノが日本を訪問しているときにインドネシアで最初の蜂起が決行される。

 反乱グループの中心は旧貴族階級と地主で、スマトラ島を拠点としていたインドネシア軍の将校が参加していた。さらに学生の懐柔にも力を入れる。例えば、フォード財団は貴族階級出身のインドネシア人をアメリカの大学に留学させて訓練している。育成された「近代的エリート」は、後に「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれているようになった。

 1965年9月30日以降、こうしたグループが反対勢力の殺戮でも中心的な役割を演じるが、その際、イスラム教徒もアメリカ支配層の側につき、虐殺にも参加していた。クーデターに先立ち、イスラム系の新月星党はCIAから資金を受け取り、コミュニスト、中国系の人びと、キリスト教徒などを攻撃することになる。この政党の主張はサラフ主義者/ワッハーブ派に近い。

 1967年8月にダンハムはハワイ大学を卒業、10月に息子を連れてインドネシアへ渡って英語を教え始め、その後は金融の仕事を始めるが、CIAと緊密な関係にあるUSAID(米国国際開発局)が背後に存在していた。

 1971年に後の大統領はハワイへ戻り、祖母のマデリン・ダンハムに育てられる。その当時、マデリンはハワイ銀行の副頭取を務め、CIAがフィリピンに君臨していたフェルディナンド・マルコスや南ベトナム大統領だったグエン・バン・チューなどに対するカネの支払いに利用する口座を管理していたという。

 オバマを愚弄する発言をしたフィリピンのドゥテルテ大統領は1988年2月にダバオ(ミンダナオ島の港湾都市)市長に就任しているが、そこではサウジアラビアを後ろ盾とするワッハーブ派の武装集団が活動していた。クーデター直後のインドネシア、あるいは現在のイラクやシリアと同じ問題を抱えていたということである。ドゥテルテはオバマ大統領の子ども時代にイスラム教徒としてモスクで礼拝していたこと、彼の義父や実母、そしてCIAの活動についての情報を持ち、快くは思っていないようだ。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609110000/  

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コメント
 
1. 中川隆[3998] koaQ7Jey 2016年9月13日 10:27:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4392]

フィリピン大統領がアメリカの傀儡と言われたベニグノ・アキノ3世から自立派のロドリゴ・ドゥテルテへ交代したのだ。新大統領は先日、バラク・オバマ大統領に対して「あの野郎(son of a bitch)」という表現を使っている。オバマの両親が東南アジアで行ったことをドゥテルテが知っていることも、そうした発言の背景にあると言われている。その一方、ドゥテルテ政権は中国との交渉を進め、中国はフィリピンのインフラを整備するために多額の投資を提案しているという。

 中国の杭州でG20サミットが開催された際、空港でオバマ大統領にはタラップが用意されず、赤い絨毯も敷かれていなかったことは本ブログでも紹介した。中国政府のアメリカ政府に対するメッセージではあるが、それだけでなく、世界に対してそうした中国の姿勢を見せるという意味もあっただろう。「脅せば屈する」というネオコン/シオニスト流の戦術は機能しないという警告にも見える。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609130000/


2. 中川隆[-13906] koaQ7Jey 2018年7月22日 20:25:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17260]
2018.07.22
ソロスの期待に応えられなかったオバマだが、侵略は継続、言論を封殺


 アメリカの巨大資本にとって好ましくない体制を転覆させるプロジェクトで重要な役割を果たしてきた投機家の​ジョージ・ソロスがバラク・オバマへの失望を口にした​。多額の献金をしたにもかかわらず、ソロスが望む結果が得られなかったということのようだ。

 オバマは2009年1月から17年1月まで大統領を務めた。その間、2010年8月にムスリム同胞団を使った侵略戦争を承認、11年2月にはリビア、同年3月にはシリアへの侵略戦争を始めた。その手先になったのがムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とするジハード傭兵。


 西側で「アラブの春」と命名された反政府運動の一環とされていたが、その運動で政権が倒されたチュニジアやエジプトの政権はリビアのムアンマル・アル・カダフィが進めていたアフリカ自立プロジェクトに賛成していた。両国の体制転覆にアメリカ政府が関与していた可能性は高い。


 ジャーナリストや内部告発者への攻撃が激化、秘密指定される文書の件数が激増したこともオバマ政権の特徴だった。2011年だけで秘密指定された文書は9200万件以上だと言われている。この間、有力メディアの支配層に対する従属度は高まり、単なる偽情報の発信源に成り下がった。


 嘘で始められたイラクへの侵略戦争でアメリカがCIAなどが拘束された人々を拷問していた(いる)が、その事実を明らかにしたひとりにCIAのオフィサーだったジョン・キリアクがいる。2007年12月にネットワーク局のABCニュースのインタビューでウォーターボーディングと呼ばれる拷問が行われているという話をCIAの同僚から聞いたと発言したのだ。それを理由として、キリアクは2013年1月、懲役30カ月の判決を受け、刑期を全うした。


 アメリカ政府は2014年2月22日にウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除することに成功した。この人物は西側の傀儡ではなく、ウクライナの東部や南部で支持され、2010年2月の大統領選挙で勝利していた。


 その政権を倒すためにアメリカ政府はNGOを使って抗議活動を演出、2013年11月にはキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)へ約2000名の反ヤヌコビッチ派が集めることに成功した。


 規模が大きくなったところでアメリカ政府はネオ・ナチのグループを投入してクーデター劇の幕が開く。このグループは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始め、2月中旬には2500丁以上の銃を持ち込み、狙撃も始めた。その背後にはアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補やジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使がいた。ジョン・マケイン上院議員もクーデターを扇動するためにウクライナ入りしている。


 狙撃に関し、西側の政府や有力メディアはヤヌコビッチ政権に責任をなすりつけていたが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だということを知り、その結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で報告した。


 「​全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合(クーデター派)の誰かだというきわめて強い理解がある。​」


 この情報をEUは封印した。


 このクーデターを資金面から支援していたソロスは2016年の大統領選挙でヒラリー・クリントンを支援している。ちなみに、ネオコンのヌランドはヒラリーの友人として知られている。この選挙でソロスは民主党(事実上、ヒラリー陣営)へ2500万ドル以上を寄付した。勿論、これは表に出た資金だけの話だ。


 民主党の幹部は2015年の段階でヒラリーを候補者にすることにしていたのだが、この事実がウィキリークスが2016年3月16日に公表した彼女の電子メールで発覚してしまう。2015年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールもあったのだ。この事実はサンダースの支持者を怒らせることになった。​民主党の幹部がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNC(民主党全国委員会)の委員長だったドンナ・ブラジルも認めている​。


 この電子メール発覚の前、2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してプーチン大統領と会談、22日にシリアで停戦の合意が成立している。これを見て大統領選挙の「風が変わった」と噂されていた。


 この電子メールを明らかにしたウィキリークスをアメリカ支配層は潰そうとしている。ロンドンのエクアドル大使館で軟禁状態になっているウィキリークスのジュリアン・アッサンジは今年(2018年)3月から外部との接触を断たれているが、本ブログでも書いたように、ここにきてイギリスの当局へ数日から数週間の間に引き渡されるのではないかという話が流れている。エクアドルの大統領が昨年5月に対米自立派のラファエル・コレアから従属派のレニン・モレノへ交代したことが大きい。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201807220000/


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