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デニソワ人 知られざる祖先の物語
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/675.html
投稿者 中川隆 日時 2015 年 12 月 12 日 10:48:33: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 人類の「脱アフリカ」は定説より早かった!? 現代人は13万年前にヨーロッパに到着していた 投稿者 中川隆 日時 2014 年 5 月 19 日 21:13:45)


【ナショジオDVD】謎の人類 デニソワ人
https://www.youtube.com/watch?v=ov7p_3BJTrg


ネアンデルタール人と現生人類が地球上で暮らしていた3万年前、第3の人類“デニソワ人”が南シベリアに存在した!

異なる3種の人類は出会っていたのか?デニソワ人と我々現生人類、そしてネアンデルタール人との関係は?

わずか3点の骨と遺伝子の最新研究から、謎の人類と彼らの暮らした場所が明らかに。

シベリア南部の洞窟で見つかった化石。それは現生人類と共通の祖先をもつ“第3の人類”のものだった。


デニソワ人 知られざる祖先の物語
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130619/354943/

シベリア南部の洞窟で見つかった化石。それは現生人類と共通の祖先をもつ“第3の人類”のものだった。


  私たち現生人類(ホモ・サピエンス)とも、ネアンデルタール人とも違う、“第3の人類”。その骨の化石が見つかった。

 現場は、ロシアのシベリア。モンゴルと中国、カザフスタンとの国境から350キロほど離れた場所にある、デニソワと呼ばれる洞窟だ。

二つに割った化石の行方

 2008年7月のある日、そこで5万年から3万年前のものと思われる地層を調査していたロシアの若き考古学者アレクサンデル・チバンコフが、小さな骨のかけらを発見した。
 大きさも形も、靴の中に入り込んでくる小石とそう変わらなかった。そのちっぽけな骨を袋に入れてキャンプに持ち帰り、古生物学者に見せたという。


 古生物学者は、それが霊長類の指先の骨であることを突きとめた。

 5万年から3万年前のシベリアに人間以外の霊長類がいた証拠は見つかっていないため、骨は人類のものである可能性が高かった。関節との接合部分が不完全な形状であることから、年齢は8歳ぐらいと推定された。

 発掘チームを率いるアナトリー・デレビアンコは当初、その骨が現生人類(ホモ・サピエンス)のものだと考えた。以前、同じ地層から石を磨いて作った腕輪などが見つかっていたからだ。

 しかし、周辺の洞窟からネアンデルタール人の化石が見つかっていたため、デニソワ洞窟の骨もまた、ネアンデルタール人のものである可能性があった。

 デレビアンコは化石を二つに割った。

 片方は米国カリフォルニア州の、とある遺伝学研究所に送ったが、それから何の音沙汰もない。

 もう片方は、ドイツのライプチヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所の進化遺伝学者スバンテ・ペーボに手渡しで届けてもらった。スウェーデン出身のペーボは古人類のDNA研究における第一人者だ。

研究チームも驚いた分析結果

 デレビアンコからの荷物が届いた時、ペーボの研究チームはネアンデルタール人の全ゲノムを解読する作業に忙殺されていた。2009年も後半になってやっと、チームの古参メンバーだったヨハネス・クラウゼが、ロシアから送られてきた指の骨に目を留めた。

 ほかの誰もがそうであったように、クラウゼもまた、その骨が初期の現生人類のものであると考え、分析にとりかかった。

 ペーボが不在にしていたある日、クラウゼは研究所のスタッフを集めた。

 何度やっても変わらない分析結果に何か別の説明がつけられないか意見を募ったが、答えられる者は誰もいなかった。そしてついに、ペーボの携帯電話に連絡を入れた。

 その時のことを、ペーボはこう回想する。

 「クラウゼは最初に、私が座っているか聞いてきました。立っていると答えると、椅子を見つけた方がいいと言われたんです」

 クラウゼ自身は、その日を「科学者人生のなかで最も興奮した日」と振り返る。指の骨は、現生人類のものでもネアンデルタール人のものでもなかった。

 それは、まったく未知の人類の骨だったのだ。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130619/354943/


デニソワ人、現生人類と交雑の可能性 2010.12.24
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3587/


デニソワ人の大人の歯。デニソワ人の化石はこの歯を含め2点しか見つかっていない。


 現生人類とは別系統とされる「デニソワ人」について、最近行われた遺伝子解析の結果から、現生人類の祖先と交雑していた可能性が高いことが判明した。 デニソワ人は、数千年に渡ってアジア一帯に分布していたとされる人類の一種。ロシアのデニソワ洞窟で発見された約4万年前の少女の骨をDNA解析したところ、現在パプアニューギニアに住むメラネシア人から採取したDNAと一部共通の配列が確認されたという。これはメラネシア人が現生人類の祖先とデニソワ人との交雑の子孫である可能性を示唆している。

 パプアニューギニアが属するメラネシア地域は太平洋の北西端に位置する。ドイツのライプチヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所の研究員で調査に参加したベンス・フィオラ(Bence Viola)氏は、「デニソワ人がパプアニューギニアにやって来たわけではない」と話す。

「ネアンデルタール人がユーラシア大陸西部に分布していたのに対し、デニソワ人はユーラシア大陸東部に広く分布していたと考えられる。メラネシア人の祖先は、東南アジア付近でデニソワ人と出会い交雑した後、パプアニューギニアまで移動したというのがわれわれの説である」。

 2010年5月には現生人類の祖先とネアンデルタール人とが交雑していたことを示すDNA解析の結果が既に公表されている。スタンフォード大学の遺伝学者ブレンナ・ヘン(Brenna Henn)氏は、さらにデニソワ人との交雑が判明したことで、人類が進化する過程では従来考えられていたよりも多くの異種間交雑が起こっていた可能性が高くなったと話す。

 デニソワ人の骨の化石が見つかったのは2008年。今回DNA解析が行われたのは5〜7歳で死亡したと見られる少女の小指の骨である。

 研究チームは今回の解析に先立って、骨からミトコンドリアDNAを採取しその配列を決定していた。だがミトコンドリアDNAは母親からのみ受け継がれるため、遺伝子構造の情報は細胞核DNAに比べるとはるかに少ない。

 そこで新たに同じ骨から細胞核DNAを採取し、配列決定に成功した。またデニソワ人のDNA配列は、現生人類ともネアンデルタール人とも異なるとわかった。ただしネアンデルタール人とは近縁関係にある。研究チームでは、デニソワ人はおよそ35万年前にネアンデルタール人の祖先から分岐したのではないかと見ている。

 デニソワ洞窟で発掘にあたったロシア科学アカデミーの考古学チームは、大人の臼歯も1本発見している。現生人類のどの歯よりも大きく、ネアンデルタール人と比較しても劣らないという。ジョージ・ワシントン大学の古人類学者ブライアン・リッチモンド氏はデニソワ人の体格について、「ネアンデルタール人と同程度か、若干大きかったのではないか」と語る。

 ただし、リッチモンド氏によるとヒトの祖先の中には、「大きな歯でも体は決して大きくない個体が存在する」という。そのため、歯と体格は必ずしも比例しないと指摘する。 デニソワ人が人類とは別系統の新種であるかどうかについては、依然議論が分かれている。研究チームも慎重な姿勢を示しており、今のところ新種ではなくネアンデルタール人の姉妹群と位置づけている。

 現生人類とデニソワ人が異なる種ならば、交雑によって生まれた子どもには生殖能力がなかったと考えられる。だが今回の研究でわかったように、デニソワ人のDNAはメラネシア人に受け継がれている。フィオラ氏は、デニソワ人と現生人類は同種の可能性が高いと見ている。

 だがイギリス、マンチェスター大学の遺伝学者テリー・ブラウン氏はこう指摘する。「交雑していたとすれば両者が同じ種である可能性は高いが、細胞核DNAだけでは断定できない」。

 ただ、現生人類、ネアンデルタール人、およびデニソワ人に遺伝子レベルでの違いが存在することは明白である。「3者は交雑が起こるまで数十万年に渡って別々の道を歩んできた。これは確かだ」とリッチモンド氏は話している。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3587/


40万年前のヒトDNA解読に成功 2013.12.05
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8612/


スペインの洞窟で発見された約40万年前の人骨から抽出した人類最古のDNAを解読したところ、DNAの遺伝的特徴は、ヨーロッパにいたネアンデルタール人よりもシベリアにいた初期人類デニソワ人に似ていることがわかった。

Diagram by Juan Valesco and Maggie Smith, NG staff. Photographs by Robert Clark. Source: Matthias Meyer, Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology

 ドイツやスペインの研究チームが、スペインの洞窟で発掘された約40万年前の人骨からDNAを抽出し、塩基配列の解読に成功した。人類最古のDNA解析結果が、初期人類の進化の謎を解明する手掛かりになると期待されている。 共通の祖先を持つ初期人類ネアンデルタール人とデニソワ人は、それぞれヨーロッパとシベリアに分布していたと考えられている。今後は、両者の拡散ルートの見直しが迫られることになるだろう。

 20世紀後半、スペイン北部のシマ・デ・ロス・ウエソス(Sima de los Huesos)洞窟で、約30体分の初期人類の骨格化石が発見された。当初、ヨーロッパに分布していたネアンデルタール人との関連性を指摘されていたが、母親から子どもに受け継がれるミトコンドリアDNAを大腿骨から抽出して解読したところ、シベリアのデニソワ人とのより近縁な遺伝関係が判明した。

「ゲノム配列がデニソワ人に類似しているとは」と、ドイツのライプチヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所の人類学者で、研究チームを率いたマティアス・マイヤー(Matthias Meyer)氏は困惑を隠さない。

「ネアンデルタール人とデニソワ人の進化の歴史は非常に複雑で、他の初期人類との異種交配さえ疑われている」とマイヤー氏。

 両者ともヒト属の旧人で、その出現時期は、現生人類がアフリカから世界各地に拡散した6万年前よりさらに何十万年も遡る。我々の直系の先祖ではないが、DNAに両者の痕跡がわずかに残っており、異種交配の可能性が指摘されている。

 ヒト属のDNA解読は、およそ12万年前の化石にとどまっていた。

 今回は、一定だった洞窟内の気温が幸いして良好な状態に保たれたDNAと、遺伝子解析技術の飛躍的な進歩が相乗効果を発揮したとマイヤー氏は説明している。

◆異種交配?

 では、スペインの初期人類とデニソワ人のDNA配列の類似性はどう理解したら良いのだろうか。

 いくつかのシナリオが考えられると研究チームは述べている。例えば、スペインの初期人類はデニソワ人の近縁種で、ネアンデルタール人と隣り合わせで暮らしていたが遺伝的つながりがなかったという説。

 また、まったく独立した系統種であり、デニソワ人との交配によってデニソワ人のミトコンドリアDNAを受け継いだ可能性もある。しかし、これではネアンデルタール人の特徴を説明できない。

 もう1つの可能性として、スペインのミトコンドリアDNAが異種交配によってデニソワ人に受け継がれたとも考えられると、イギリス、ロンドン自然史博物館の古人類学者クリス・ストリンガー(Chris Stringer)氏は推測する。

 いろいろな意見が入り乱れて身元はいまだ謎に包まれており、解明にはさらなる調査が望まれる。「ミトコンドリアDNAの遺伝情報だけでは進化の過程までわからない。デニソワ人の全ゲノムを解読できれば手掛かりが得られるだろう」と同氏は期待している。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8612/


人類3種が数万年も共存、デニソワ人研究で判明
“第3の人類”のDNA分析で。現生人類とネアンデルタール人と時期重なる 2015.11.19
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/111800325/


2010年にデニソワ洞窟の発掘現場で見つかった臼歯の化石は、新しいヒト科ヒト属(ホモ属)であるデニソワ人の存在を示す重要な遺伝的証拠となった。この臼歯は、5万年以上前の女性のもの。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/111800325/?SS=imgview&FD=-787263934

 5年前の2010年に報告されたばかりの謎多き“第3の人類”デニソワ人。その歯の化石を分析したところ、彼らは現生人類やネアンデルタール人と数万年もの間共存していたことが、11月16日付けの科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences」の論文で明らかになった。

 我々ホモ・サピエンスの祖先が、かつて他のヒト科ヒト属(ホモ属)とユーラシア大陸を共有していたことを裏付ける研究結果である。約4万年前に姿を消したネアンデルタール人は、現生人類と数十万年もの間すぐそばで暮らしていたが、ある期間そこにはデニソワ人の姿もあったことになる。

 2010年、マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ氏率いる遺伝学者と人類学者の研究チームは、シベリア、アルタイ山脈のデニソワ洞窟で発見された指の骨が奇妙なDNA配列を示していると発表していた。


「大変興味深い場所です。全く異なる歴史を持った3種の人類が1カ所に共存していたことが分かっているのは、世界でもここだけです」と、ペーボ氏は語る。

 過去に行われた指の骨と歯の分析では、現生人類にデニソワ人の痕跡が残されていることが判明した。パプアニューギニアをはじめ太平洋の島々に住むメラネシア人のゲノムの5%に、デニソワ人が貢献しているという。

デニソワ人発見のきっかけとなった骨の断片のレプリカ。進化遺伝学者スバンテ・ペーボ氏の小指に乗っている。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
[http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/111800325/?SS=imgview&FD=1421851125

長らく見つからなかった第3の存在


 だが、デニソワ人については、かつて存在していたという事実と、現代人に残したわずかな遺伝的痕跡以外にはまだほとんど何もわかっていない。彼らは一体何者だったのか? アルタイ山脈にどれくらいの期間住んでいたのか? 本当にこれほど巨大な歯を持っていたのか? それとも、たまたまこの歯の持ち主だけが変わっていたのだろうか?

 ありがたいことに2010年に、デニソワ洞窟でさらなる発見があった。洞窟のもっと奥まった場所で、2本目の臼歯である親知らずが見つかったのだ。その前から研究所の倉庫に保管されていた1本目の臼歯を分析したカナダ、トロント大学の人類学者べンセイ・ビオラ氏が2本目の分析も行った。1本目の歯を調べた時は、大きさや広がった歯根から、最初はホラアナグマの歯かと思ったという。

 しかしビオラ氏は、2本の歯が同じ種のもので、現生人類やネアンデルタール人のそれとは異なると結論付けた。これによって初めて、デニソワ人は大きな歯を持つ種であったことが強く示唆された。

 大きな歯を持ったデニソワ人とは、どのような外見をしていたのだろうか。親知らずの形は持ち主によってさまざまだが、「巨大な歯根を持った大きな歯には、巨大なあごが必要であることは間違いありません」と、ビオラ氏は言う。

DNAの謎


 最近の遺伝学の目覚ましい発展は、人類史の研究にも大きく貢献している。

 マックス・プランク進化人類学研究所のスザンナ・ソーヤー氏率いるチームは、化石の中で長期間良好な状態で保存されるミトコンドリアDNAを調べ、2本目の臼歯の分析と年代測定を行った。


シベリア、アルタイ山脈のデニソワ洞窟で発掘調査中に休憩を取る学生のゾーヤ・グドコバさん。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/111800325/?SS=imgview&FD=1422774646

 デニソワ人のきれいなDNAを見つけ出すのは容易ではなかった。現生人類、現代および古代のバクテリア、それに洞窟をあさっていた古代のハイエナなどの混入物を特定し、排除しなければならないのだ。

 ようやく2本目のミトコンドリアDNAの解析が終わってみると、歯はやはりデニソワ人のものであることが確認された。また、新たなDNAによって、洞窟で見つかった3体分に共通する祖先のミトコンドリア・ゲノムを復元させることも可能となった。

 共通祖先のDNAのおかげで、ゲノムの突然変異率から年代を推定できるようになった。共通祖先の生きていた頃に近い時代に死んだデニソワ人は、もっと後の時代のデニソワ人よりも突然変異したゲノムの数が少ないはずである。ソーヤー氏は、2本目の歯の突然変異の数が、1本目の歯および小指の骨と比較すると半分しかなかったことを突きとめた。すなわち、こちらの方が古いことになる。

 この歯の持ち主であるデニソワ人は、もうひとつの歯と指の骨の持ち主たちよりも約6万年も前に生きていたことを示唆している。この簡単な人類の系譜が示すように、デニソワ人は単一の種として、少なくとも現生人類と同じくらいの期間この地域に断続的に存在していたということだ。

外見はまったく不明


 しかし、まだ研究すべきことは数多く残されている。

 第一に、デニソワ人の化石の断片が5万年以上前のものだということ以外は分かっていない。放射性炭素年代測定によって特定できる古さは、ここまでが限度なのだ。

 また、人類の系譜の枝分かれについても、最新の研究と2010年のそれには相容れない部分がある。2010年の研究は細胞に含まれる核DNAを分析したものだが、ミトコンドリアDNAを使用した今回の研究の結果、これまで考えられていたほどネアンデルタール人とデニソワ人は近縁ではないかもしれないことが示唆された。

2010年の研究によれば、ネアンデルタール人とデニソワ人は近縁種だった。DNAを比較した結果、現生人類は彼らからおよそ50万年前に枝分かれしたと考えられる。(CHIP CLARK, SMITHSONIAN INSTITUTION)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/111800325/?SS=imgview&FD=1423698167

 また、デニソワ人の外見や体の動き、行動も謎に包まれたままだ。「おかしな話ですが、遺伝学的見地からは彼らのことはよく分かっているのですけれど」と、英ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの人類学者マリア・マルティノン・トレス氏は言う。同氏は、この研究には関わっていない。

 けれども、今後アジア各地からデニソワ人の化石が出てくる可能性はある。初期人類ホモ・エレクトスまたは現生人類のものと誤って分類されて、博物館に保存されているかもしれないのだ。中でも、最近中国南部で発見された8万〜12万年前のヒト属の歯は、人類拡散の歴史を書き換えるかと話題になったが、現代と古代の特徴を兼ね備えており、デニソワ人の歯にとてもよく似ている。(参考記事:「アジアでもデニソワ人と交雑の可能性」)

 中国のヒトの歯を分析したマルティノン・トレス氏は言う。「本当にデニソワ人のものがあっても私は驚きません」

DVDの詳しい紹介はこちら。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/111800325/


チベット人の高地適応はデニソワ人由来 2014.07.03
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9430/

 現生人類における自然環境への適応の特に顕著な事例は、近縁種との異種交配によって起こった可能性がある。 チベット人の生理機能は、大気中の酸素濃度の低い高地での生活に適応している。これはネアンデルタール人と共通の祖先を持つ初期人類のデニソワ人との異種交配の結果である可能性が高いことが、最新の研究によって明らかになった。

 今年はじめにも、現代人の多くがDNAの一部をネアンデルタール人から受け継いでいるという研究結果が発表されている。これと並んで今回の研究も、現代人のゲノムがさまざまな人類種の“複雑なタペストリー”であることを示すものだ。また今回の研究は、現生人類の繁栄の一因として、これまで見過ごされてきた要素を指摘している。現生人類は近縁種との異種交配によって、その土地に適応しやすい身体的特性を手に入れてきた可能性があるというのだ。

「こうしたことは人類史の中でたびたび起こっており、今回たまたまこの事例を確認できただけ、と考えるべきであろう。近縁種からの遺伝子の継承は、私たちの進化にとって重要であったと考えられる」と、カリフォルニア大学バークレー校のラスムス・ニールセン(Rasmus Nielsen)氏は言う。

◆高地での生活に適した遺伝子

 ニールセン氏らのグループはこれまでの研究で、現代のチベット人には、代謝経路に関係する遺伝子「EPAS1」に変異が見られることが明らかになっていた。低酸素環境における身体反応を制御するものであるため、ニールセン氏らはこのことが、チベット人が高地で生き延びる上で重要な役割を果たしてきたのではないかと推測した。

 海抜の低い地域に住む人が高地に行くと、その身体は血中で酸素を運ぶタンパク質であるヘモグロビンの量を増やして適応しようとする。ところがチベット人のヘモグロビン量はそれほど多くないので、ヘモグロビン濃度の上昇に伴う心臓への負担を避けられている可能性がある。

 チベット人の女性にはさらにメリットがある。妊娠中も高血圧になりにくく、高地での出産がさほど負担にならないのだ。

 ところが、チベット人のこの遺伝子の変異は、これまで知られている人類の移動のパターンに当てはまらず、遺伝子の出どころを突き止められなかったとニールセン氏は言う。

 そんな中、シベリア南部の洞窟で見つかった骨の断片から、デニソワ人という人類の近縁種の存在が2010年に確認された。発見された骨は小さかったが、ゲノムをほぼ完全に確認できた。

 今回の研究で、ニールセン氏のグループはチベット人40人と、中国の漢民族40人からDNAを採取し、デニソワ人のゲノムと比較した。その結果、デニソワ人のEPAS1遺伝子は、チベット人のものとほとんど同一であることが確認された。

「(異種交配による)遺伝子移入なしにこれほどの一致が見られる可能性はゼロだ」とニールセン氏は言う。

 現生人類とデニソワ人の異種交配が起こったのは3万〜4万年前のことだろうとニールセン氏は言う。親しく交流していたかは不明だが、デニソワ人のDNAがその周辺の地域で現生人類の遺伝子プールに流入するのに十分なだけの関係はあったようだ。その後、現生人類がチベット高原に移り住む際に、デニソワ人に由来するEPAS1の変異が有利に働いたようで、自然選択の結果、現在この地域に住む人の大部分にこの変異が見られるのだという。

◆先住民との交流

ドイツ、マックス・プランク進化人類学研究所に所属する古遺伝学のスバンテ・ペーボ(Svante Paabo)氏は、デニソワ人の化石のDNA配列の分析を率いた人物だ。ペーボ氏は今回の研究の結論に同意している。「今回の研究は、人類の適応の特に顕著な事例がデニソワ人に由来していたことを示すものだ」とペーボ氏は言う。

 ただし、デニソワ人とチベット人において、EPAS1遺伝子が同じように機能したかどうかは分からないとロンドン自然史博物館の古生物学者クリス・ストリンガー(Chris Stringer)氏は指摘する。それでも今回の研究は「近縁種との異種交配を経て私たちのゲノムに“パッチワーク”的な追加が起こったことを示す新たな事例をもたらした」とストリンガー氏は言う。

 ニールセン氏の推測では、こうしたシナリオは先史時代に何度も起こっており、そのおかげで現生人類は、約6万年前にアフリカを離れてから、目覚ましい早さで新しい環境に適応できたのだという。変異が自然に起こるのを待つのではなく、すでにその土地に適応した近縁種との異種交配を試みたのだ。

 文化面の移入もあったかもしれないとニールセン氏は言う。ただ今のところは、現存する遺伝情報のほかには手がかりがない。

「初期人類からの遺伝子の流入は、現生人類の生理機能に重要な役割を果たしてきた。将来的にはほかにも同様の事例を確認できるだろう」とペーボ氏も言う。

 ニールセン氏らのグループによる今回の研究結果は、7月2日付で「Nature」誌に発表された。

PHOTOGRAPH BY LYNN JOHNSON / NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9430/


 

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コメント
1. 中川隆[-13709] koaQ7Jey 2018年8月23日 22:01:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18052] 報告
「母はネアンデルタール人、父はデニソワ人」 ロシアで発見の化石 DNA鑑定で


ヘレン・ブリッグス BBCニュース


Denisova caveImage copyright B Viola, MPI-EVA
Image caption
デニソワ人が住んでいた洞窟

昔々ロシアの洞窟で、異なる種の旧人類2人が出会った。5万年後、科学者らは2人には娘がいたことを突き止めた。

この洞窟で発見された骨から検出された遺伝子によって、この骨の持ち主の少女はネアンデルタール人の母とデニソワ人の父を持つことが分かった。


学術誌「ネイチャー」に発表されたこの発見は、現生人類に最も近いヒトの生活について、貴重な情報をもたらしてくれた。

ネアンデルタール人とデニソワ人は我々と同じヒト属だが、違う種に属している。

独マックス・プランク進化人類学研究所(MPI-EVA)の研究員ビビアン・スロン博士は、「これまでの研究から、ネアンデルタール人とデニソワ人の間に子どもができていたことは推測されていた」と話した。

「しかし実際に両者の間にできた子どもを発見できるとは思っていなかった」

人類はネアンデルタール人の子孫?

現在、非アフリカ系の人類の遺伝子にはネアンデルタール人を起源とするものが少量含まれている。

そのうち一部地域に住んでいる人はさらに、アジア地域に住んでいたデニソワ人の遺伝子も持っている。


Excavations at the caveImage copyright B Viola, MPI-EVA
Image caption
洞窟での発掘の様子

何世代にもわたって受け継がれてきた遺伝子によって、種の異なるヒト同士で交配があったことが示されている。

しかし、デニソワ人とネアンデルタール人両方の化石が見つかっているのは、シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟だけだ。

さらに、これまでにDNA鑑定を受けた化石人類はとても少なく、20体以下だという。

スロン博士はBBCニュースの取材で、「このとても少ない鑑定の中から、種の異なる父母を持つ個体を見つけた」と話した。

他の研究なども考え合わせれば、「人類の進化の歴史は全て、混血によって成り立っているという説が浮上してくる」という。

ネアンデルタール人とデニソワ人とは?

ネアンデルタール人とデニソワ人は、ユーラシア大陸で同じ時期に生きていたことが分かっている。

ネアンデルタール人は西側で、デニソワ人は東側で、共に4万年前ごろまで生きていた。

その後、ネアンデルタール人が東に移住していくことで、デニソワ人や、現生人類の祖先に出会った可能性がある。

MPI-EVAのスバンテ・ペーボ所長は、「ネアンデルタール人とデニソワ人が出会う機会はそれほど多くなかっただろう」と話した。

「しかし一度出会えば、私たちがこれまで考えていた以上に頻繁に交配していたはずだ」

この家族について分かっていることは?

数年前にデニソワ洞窟でロシアの考古学者が見つけた骨のかけらから、この少女の物語は始まった。

骨は独ライプツィヒで遺伝子分析を受けた。

カナダ・トロント大学のベンス・バイオラ氏は、「このかけらは長い骨の一部で、この人物が少なくとも13歳に達していたと推測できた」と説明する。

研究者らは、この少女の母親はそれまでデニソワ洞窟に住んでいたネアンデルタール人より、西欧地域に住んでいたネアンデルタール人に遺伝的に近いと推測している。

つまり、ネアンデルタール人は絶滅する数万年前から、欧州東西とアジアの間で移住を繰り返したことになる。

遺伝子分析ではさらに、デニソワ人の父親には少なくとも1人、ネアンデルタール人の祖先がいたことも明らかになった。

(英語記事 DNA shows cave girl was half Neanderthal)
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45280109

2. 中川隆[-10399] koaQ7Jey 2024年5月30日 08:40:41 : mJGD1HcMnQ : VGhETmpHY0tQemc=[2] 報告
日本人にも影響を与えた謎の種『デニソワ人』とは?これまで解明された真相を徹底解説!
世界ミステリーch 2024/05/29
https://www.youtube.com/watch?v=kkCZbAkSkcs

デニソワ人とはなんなのか?
現生人類にも影響を与えた古代の人類の近縁種デニソワ人。
これまでの研究で分かっていることを徹底解説します!

3. 中川隆[-7226] koaQ7Jey 2025年4月11日 08:55:48 : qahoZwkBF6 : Q3RFZWc2T1IuMGM=[6] 報告
<▽42行くらい>
台湾で発見された化石を分析、古代の謎の旧人「デニソワ人」と判明…日本などの国際研究チーム
2025/04/11

 台湾で発見された化石を最新の技術で分析した結果、古代の謎の旧人「デニソワ人」の男性のものと判明したと、総合研究大学院大などの国際研究チームが発表した。デニソワ人の骨はほとんど見つかっておらず、アジア北部以外で化石が見つかったのは初めて。論文が科学誌サイエンスに掲載される。

研究チームによるデニソワ人の想像図(孫正涵氏作画)
 デニソワ人は、中国に近いシベリア南部のデニソワ洞窟で指の骨の化石が見つかり、DNA分析により2010年に存在が証明された。化石はチベットでも見つかっており、ネアンデルタール人と同じ旧人に属する。数万年前に現生人類(ホモ・サピエンス)と交雑したと考えられている。その後絶滅したが、日本人を含む現生人類のDNAにもわずかに遺伝情報が残っている。

 総合研究大学院大の 蔦谷匠つたやたくみ 助教(自然人類学)らは台湾沖の海底で発見された下顎の骨の化石から微量のたんぱく質を採取し、分析した。2種類のたんぱく質について、デニソワ人に特有の配列が確認され、特定に至った。歯からは男性特有のたんぱく質も検出された。時期は19万〜1万年前と推定され、大きくて頑丈な形状が特徴という。

デニソワ人と判明した下顎の骨の化石(海部教授提供)
 分布域がより南方に広がっていたことを示す発見で、チームの海部陽介・東京大総合研究博物館教授(人類進化学)は「アジアにおける人類の歴史が、これまで考えられたよりも複雑だった可能性がある」と話している。これまで、この骨は北京原人やジャワ原人、フローレス原人に続く「アジアで4番目の原人」のものとみられていた。

  国立科学博物館の篠田謙一館長(分子人類学)の話
「現代人のゲノム解析でアジア南東部にもデニソワ人が分布していたことは予想されてきたが、今回初めて証拠を提示したことは意義深い」
https://www.yomiuri.co.jp/science/20250410-OYT1T50208/?utm_source=newsshowcase&utm_medium=gnews&utm_campaign=CDAqEAgAKgcICjDX194KMOi01gEw2YDAAw&utm_content=rundown&gaa_at=g&gaa_n=AerBZYOf6hms9Zf_wf0auWVnjW_jlvMQNuFpNET2ks9l4Zz6joVPYfDNdX14YZ9gQJZX1RHVNiL2MmkJRYSlPXtApM9nPT6hbZJMwnw%3D&gaa_ts=67f864f4&gaa_sig=fGY_URlGRT_H2rA-TvTH4REX6AkmD1mBU2_5rOd8lU8zXz28pz9DeuqqGuDzAwu44596DV6d4T5g-sEFlc3SgQ%3D%3D

4. 中川隆[-7203] koaQ7Jey 2025年4月13日 12:13:42 : nnniZAQWzI : OU9QVDRMWDQ4ZFk=[2] 報告
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雑記帳 2025年04月13日
台湾沖で発見されたデニソワ人の下顎骨
https://sicambre.seesaa.net/article/202504article_13.html

 台湾沖で発見された人類遺骸のプロテオーム解析結果を報告した研究(Tsutaya et al., 2025)が報道されました。日本語の解説記事もあります。[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。本論文は、台湾本島と澎湖諸島の間の水深60m〜120mの海域で、他の脊椎動物とともに漁網にかかって発見された、「澎湖1号(Penghu 1)」と呼ばれているホモ属の下顎骨[26]を、プロテオーム解析に基づき、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と同定しています。デニソワ人は、現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とは遺伝的に異なるホモ属の分類群で、現生人類よりもネアンデルタール人の方と近縁です[8、11]。

 デニソワ人は元々、シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された指骨断片から遺伝学的に特定されましたが[8]、デニソワ人の現代人への遺伝的影響は、オセアニア[16]やアジア南東部島嶼部の一部の集団[15]でとくに高いことから、デニソワ人がユーラシア南東部、さらにはオセアニアにまで拡散した可能性も指摘されていました[14]。これまで、分子生物学的にデニソワ人と同定された人類遺骸は、デニソワ洞窟以外では、チベット高原[18]でしか確認されておらず、いずれも寒冷な地域でした。チベット高原のデニソワ人遺骸は、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県のチベット高原北東端の海抜3280mに位置する白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見されました。

 しかし、ラオスのフアパン(Huà Pan)県に位置するタム・グ・ハオ2(Tam Ngu Hao 2、略してTNH2)で発見された、164000〜131000年前頃と推定されている人類の歯(TNH2-1)が形態に基づいてデニソワ人と分類されており[21]、デニソワ人がより温暖湿潤な地域にも分布していた可能性は高い、と考えていた人は多かったでしょう。本論文は、デニソワ人がアジア東部南方にまで分布していたことを示し、デニソワ人が気候の異なる広範な地域に分布していたことを確証しています。デニソワ人は、寒冷なアルタイ山脈から、より温暖湿潤と思われるアジア東部南方やアジア南東部にまで分布していたことがほぼ確実な人類集団で、チベット高原のような高地での存在も確認されていますから[18〜20]、ネアンデルタール人よりも多様な生態系に適応していた可能性も考えられ、今後の研究の進展が注目されます。

 なお、タンパク質の略称は、AMBN(ameloblastin、アメロブラスチン)、COL1A2{collagen α-2(I) chain、コラーゲンα-2(I)鎖}、COL11A1{collagen α-1(XI) chain、コラーゲンα-1(XI)鎖}、COL2A1{collagen α-1(II) chain、コラーゲンα-1(II)鎖}、COL5A2{collagen α-2(V) chain、コラーゲンα-2(V)鎖}、AMEL(amelogenin、アメロゲニン)、アメロゲニンのYアイソフォーム(AMELY)です。以下は本論文の日本語訳ですが、この記事の最後に「私見」の項目で再度、本論文で提示された知見を踏まえつつ、デニソワ人について現時点で考えていることをより詳しくまとめます。


●要約

 デニソワ人は、シベリア南部の中期〜後期更新世の古代ゲノムによって定義される絶滅人類集団です。ゲノムの証拠はデニソワ人のアジア東部とおそらくはオセアニアにわたる広範な分布を示唆していますが、これまで、アルタイとチベットからのごく少数の化石しか、デニソワ人と分子的に同定されていません。本論文は古代のタンパク質解析によって、台湾の人類下顎骨である澎湖1号(7万〜1万年前頃、もしくは19万〜13万年前頃)が男性のデニソワ人に属すると、と同定しました。4241点のアミノ酸残基が回収され、2点の2点のデニソワ人固有の多様体が特定されました。デニソワ人化石の標本の増加は、温暖湿潤地域を含めてそのより広範な分布や、姉妹集団であるネアンデルタール人とは著しく対照的な、独特で頑丈な歯顎形質を論証しています。


●研究史

 化石標本の最近の発見と再分析は、分子技術および新たな年代測定手法の適用とともに、現生人類の到来前の、中期〜後期更新世のアジア東部における古代型人類【絶滅人類、非現生人類ホモ属】の予期せぬ多様性を明らかにしてきました[3]。「デニソワ人」の同定は、そうした進歩の重要な一例です。デニソワ人はシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟から発掘された断片的な骨と歯のDNA解析によって、ネアンデルタール人および現生人類とは異なる人類集団と認識されました(4〜6、8)。デニソワ人はその核ゲノムから、ネアンデルタール人との姉妹群としての独自のクレード(単系統群)を形成した、と示されており、この2クレード【デニソワ人とネアンデルタール人】間のゲノムの分岐は40万年以上前に起きた、と計算されています(本論文はこの【2クレードのうちネアンデルタール人ではない方の】クレードの全構成員をデニソワ人と呼びます)[9、10]。遺伝学的証拠は、デニソワ人と現生人類とネアンデルタール人との間の遺伝子流動も示唆しています(8〜11)。現代人集団における遺伝子移入されたデニソワ人のDNAに関する研究は、アジア東部大陸部とおそらくはアジア南東部島嶼部の一部にわたりかつて広範囲に分布していた[12〜17]、複数のゲノムの異なるデニソワ人集団の存在を示唆しています。

 しかし、デニソワ洞窟以外では、デニソワ人の直接的な分枝証拠は、チベット高原の1ヶ所の遺跡のみで見つかっています(図1)。甘粛省の夏河県の白石崖溶洞では、下顎骨1点(夏河1号)[18]と肋骨1点(夏河2号)[19]がそのタンパク質配列に基づいてデニソワ人と同定されました。さらに、デニソワ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)が、白石崖溶洞の堆積物で見つかりました[20]。たとえば、中国北東部のハルビンや中国北部の許家窯(Xujiayao)遺跡や中国中央部の河南省許昌市(Xuchang)の霊井(Lingjing)遺跡やラオスのTNH2といった、アジア東部の他の化石が、その形態もしくは間接的な遺伝学的推測に基づいて、他のデニソワ人候補として示唆されてきました(図1)[21、23]。しかし、直接的な古代の生体分子がないので、これらの帰属は暫定的なままです[3、7]。これは、今までデニソワ人が分子的に定義されているからで、デニソワ人の頭蓋歯形態について現時点で限られた情報しか利用可能ではないためでもあります[8、18、23、25]。以下は本論文の図1です。
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 したがって、デニソワ人の可能性がある標本からの確実なデニソワ人特有の分子識別特性の回収は、アジア東部におけるデニソワ人の人口構造および地理的分布、および形態や差異や進化をより適切に特徴づけるためにはきわめて重要です。本論文は、台湾の澎湖水道から発見された古代型人類の下顎骨(澎湖1号、NMNS006655、F051911)[26]が男性のデニソワ人個体に属する、と示す古プロテオームの証拠を提示します。

 澎湖1号と多くの動物標本を含む澎湖骨格遺骸は、商業漁業と関連する浚渫活動中に、海底(台湾の西岸から25km離れた水深60〜120m)から収集されました[26]。この地域は、更新世の海面低下期にはアジア本土の一部でした(図1)。澎湖1号は45万年前以降と年代測定されており、最も可能性が高い年代範囲は、微量元素含有量と生物層序学的敵証拠と過去の海水準変化によると、7万〜1万年前頃か、19万〜13万年前頃です[26]。海水のウランの影響のため、澎湖1号の直接的なウラン年代測定が失敗したのに対して、低い窒素濃度から、放射性炭素年代測定に不充分なコラーゲンが示唆されました[26]。澎湖1号からDNAを抽出する以前の試みはこれまで失敗しましたが、夏河1号下顎骨との形態学的類似性から、澎湖1号もデニソワ人の下顎骨かもしれない、と示唆されています[18]。


●プロテオーム配列の回収

 澎湖1号の処理の前に、澎湖1号への損傷を最小限にするために、同じ場所の動物標本を用いて、標本調整法が最適化されました。動物の骨と象牙質とエナメル質から、それぞれ約5mgの内在性タンパク質の回収に成功しました。下顎骨と歯のエナメル質は、保存されているタンパク質特性がより豊富で良好なので、抽出に最も有望な組織と特定されました。LC–MS/MS(liquid chromatography coupled with tandem mass spectrometry、液体色層縦列質量分光法)を使用し、44回の測定活動を通じて、13回の異なるタンパク質抽出および酵素選択が検証されました。動物標本の分析から得られた結果に基づいて、(1)酵素を伴わない手法[29]と、(2)ミネラル除去剤を除かずに、3種の異なるエンドプロテアーゼのある酵素を含んだ作業の流れの組み合わせによって、澎湖1号が処理されました。

 この戦略で、ケラチンなど典型的な現代の汚染タンパク質の除外外に、澎湖1号の51点のプロテオームから4241点のアミノ酸残基が特定されました。澎湖1号では、回収されたすべての残基の52.3%(4241点のうち2216点)が単一の作業の流れのみで回収されました。回収された全ての残基のうち、83.6%(3546点)が澎湖1号の下顎骨の内部から穴を開けて採取された25mgの骨粉に由来したのに対して、16.4%(695点)は第二大臼歯の微小破壊的に酸処理されたエナメル質表面に由来しました。これらのプロテオームは、夏河2号の肋骨(4597点のアミノ酸残基)[18]、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡のサイ科のステファノリヌス属(Stephanorhinus)化石(875点のアミノ酸残基)[29]、中国の吹風(Chuifeng)洞窟で発見されたギガントピテクス・ブラッキー(Gigantopithecus blacki)の化石(456点のアミノ酸残基)[34]など、更新世化石から報告されている高品質なプロテオームに匹敵します。澎湖1号のプロテオームは、コラーゲンやアメロゲニンやエナメリンやα-2-HS糖タンパク質など、骨もしくはエナメル質組織で通常見つかるタンパク質から構成されています。生体分子の分解と正に相関する代理である、特定されたタンパク質一式の平均脱アミド化率[34]は、1点の標本で特定された20点以上のアスパラギンおよびグルタミンの残基のある全ての測定で、83%を超えています。これらの結果は、回収された人類のプロテオームの確実性を裏づけます。


●澎湖1号はデニソワ人に属します

 澎湖1号で回収された51点のタンパク質から得られた4241点のアミノ酸残基のうち、5点のタンパク質から得られた差異の5ヶ所の部位は、デニソワ人に特有か、系統発生的に関連する変異でした(表1)。デニソワ人と関連する2点の派生的なアミノ酸配列多様体が、澎湖1号のAMBN(M273V)とCOL1A2(R996K)で特定され、ペプチドの深度はそれぞれ17と28でした(表1、図2)。AMBNとCOL1A2の両方で、澎湖1号の本論文のデータセットにおいて、かなりの配列網羅率(それぞれ、35.8%と67.7%)がありました(図2A・B)。AMBN(M273V)のデニソワ人型多様体は、ほとんどの現代人において対応するSNP(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)のアレル(rs564905233)では頻度が1%未満ですが、フィリピン人では21.22%(104個体)の頻度です[35]。遺伝学的証拠は、フィリピンがデニソワ人からの遺伝子移入の地域の一つであることを示唆しています。COL1A2(R996K)の派生的な多様体はこれまで、澎湖1号と夏河1号と夏河2号とデニソワ3号でしか見つかっていません。以下は本論文の図2です。
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 最尤法とベイズ手法を用いて構築された系統樹は同一でした。これらの系統樹は、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人と大型類人猿の間の系統発生的関係を正確に反映しています(図3)。澎湖1号は利用可能である充分な参照ゲノム配列のある唯一のデニソワ人個体であるデニソワ3号とクラスタ化します(まとまります)。デニソワ人特有の多様体と全体的な系統発生の結果は、澎湖1号がデニソワ人の下顎骨であることを確証します。以下は本論文の図3です。
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●さらなるタンパク質配列の差異

 COL5A2とCOL2A1における派生的多様体は、特定のデニソワ人個体に固有です(表1)。COL5A2(E1211V)の多様体は澎湖1号に特有で、これまでに配列決定された他の人類個体では見つかっていません。澎湖1号におけるこの部位は、派生的(V)および一般的(E)両方の残基を6点と3点のペプチドの深度で示しており、異型接合状態が示唆されます。先行研究では、異型接合のペプチドの組み合わせはショットガンプロテオミクスで容易に検出でき、化石標本でさえ検出可能である、と示されました。夏河1号[18]に存在するCOL2A1(E583G)の派生的多様体は澎湖1号や夏河2号や他の人類および類人猿の個体群では観察されず、それは、これらの全個体がその部位ではEの多様体を有していたからです(表1)。

 調査対象の古代型人類において、澎湖1号のみでCOL11A1の多様体が特定され、その深度は2ペプチドです(表1)。この多様体は現代人にも存在し、対応するSNP(P1535S、rs1676486)は地域的な偏りなしに世界的に分布しており、その平均頻度は80.08%です(281988個体)。このSNPの推定される起源は125万年〜156万年以上前です。したがって、澎湖1号におけるこの多様体が現生人類からデニソワ人への遺伝子流動の結果なのか、あるいは人類で共有される祖先的な多型として存在しているのかどうか、明らかではありません。


●性別は男性です

 性染色体上でコードされ、歯のエナメル質のみで発現するAMEL(アメロゲニン)のアイソフォームは、対象個体の遺伝的性別の判定に使用できます。澎湖1号の酸処理された歯のエナメル質から、男性特有の標識であるアメロゲニンのYアイソフォーム(AMELY)が23ヶ所の診断部位のうち11ヶ所の配列網羅率で特定され、その深度は最大で44ペプチドです(図2C)。AMELYに特有のペプチドのみから計算されたAMELYのアミノ酸配列網羅率は、澎湖1号では48.9%でした。この証拠から、澎湖1号は遺伝学的に男性に帰属します。


●考察

 相対的に良好な化石の保存状態と最適化されたタンパク質抽出手法によって可能となった、澎湖1号から得られた高品質な古プロテオームデータは、澎湖1号が男性のデニソワ人に属していたことを示唆します。AMBNとCOL1A2のデニソワ人の多様体における2ヶ所の診断部位は、19点以上のペプチドで網羅されていました(図2A・B)。AMBNのデニソワ人関連多様体は本論文の主張への裏づけを追加し、それは、この部位がデニソワ人標本[18、19]もしくは暫定的なデニソワ人標本[21]の以前のプロテオーム研究で観察されなかったからです。プロテオーム組成は組織で異なり、タンパク質配列の差異の発生はDNAより低いので、2点の系統発生的に情報をもたらす残基でさえ、一般的に確実な裏づけを提供します。異なる二つの手法両方の使用によって構築された系統樹は、澎湖1号がデニソワ3号とクラスタ化することを示唆しました(図3)。さらに、11ヶ所のAMELY特有の部位が澎湖1号の最大深度44のペプチドで網羅されており、澎湖1号標本が男性であることを示唆しています(図2C)。

 これらの調査結果は、アジア東部大陸部における中期〜後期更新世の古代型人類への洞察を提供します。第一に、澎湖1号は直接的な分子証拠のあるデニソワ人の既知の地理的範囲を拡大します。澎湖1号はデニソワ洞窟から南東約4000km、【チベット高原の】夏河の南東約2000kmに位置しています(図1)。デニソワ人の科学としての澎湖1号の同定は、デニソワ人がアジア東部に広範に分布していた、との現代人のゲノム研究からの推測を確証します。長く寒い冬(デニソワ洞窟、北緯51度)から、高い標高(海抜3280m)と関連する高山の亜北極気候(夏河、北緯35度)や、低緯度(澎湖、北緯23度)のより温暖湿潤な気候まで、多様な気候地理および気候地帯におけるデニソワ人の存在は、その適応的柔軟性を論証します[19]。低い海水準の氷期における台湾の古気候は現在より寒冷だったものの、以前の元素分析は澎湖1号とアジアスイギュウ属(Bubalus)のほぼ同時の出現を示しました[26]。アジアスイギュウ属は現在のアジア南東部の代表的な動物で、シベリア南部およびチベット高原とは対照的な環境を示唆しています。そうした環境は、最近のモデル模擬実験[44]によって推定された、デニソワ人の選好する生息地と一致します。

 第二に、澎湖1号の追加の分子証拠によって、今や歯のある2点の下顎骨(夏河1号と澎湖1号)と2点の大臼歯(デニソワ4号および8号)があり、これらからデニソワ人の形態学的特徴に関する確実な考察が可能となります。まとめると、これらの化石から、デニソワ人には、厚いものの低い下顎体、広い前歯弓状部、大きなサイズの歯(とくに大臼歯で明らかです)、分枝傾向のある頑丈な小臼歯根、第一大臼歯(M₁)根より長くて頑丈な第二大臼歯(M₂)根、M₂の近位と遠位の歯根の頬側面の間の独特である余分な歯根、第三大臼歯(M₃)の無形成傾向(これらの遊離した歯が第三大臼歯ではなく第二大臼歯を表しているならば、澎湖1号と夏河1号だけではなく、デニソワ4号および8号もこの傾向を示します)がある、と示唆されます[8、18、25、26]。既存の人類化石のうち、駐車場東部の安徽省馬鞍山市(Ma'anshan)の和県(Hexian)で発見された下顎と歯は、これらの特徴の殆ど若しくは全てを示しており[26]、この遺跡から発見された頭蓋および歯顎遺骸もデニソワ人クレード(単系統群)に属している、と示唆されます(しかし、異なる解釈もあります)。デニソワ人化石で見られるこれらの特徴は、DNAメチル化パターン[23]によると、再構築されたデニソワ人の骨格形態とは異なっており、これが示唆するのは、下顎突出と顆状の大きさと下顎前方の幅および高さが現代人より大きいか、ネアンデルタール人と匹敵する、ということです。しかし、この再構築は、デニソワ人の下顎がまだ発見されていないデニソワ洞窟からのゲノムデータに由来します。

 第三に、分子的に性別判定されたデニソワ人化石には今や、デニソワ洞窟の巨大な大臼歯2点(デニソワ4号および8号)[25]と本論文の頑丈な澎湖1号が含まれ、すべて男性と特定されました。これは、頑丈な特徴が男性の性別に起因するのかどうか、一方で、形態学的に女性と性別判定されている中国北東部の金牛山(Jinniushan)遺跡個体など、より華奢な歯顎の特徴のある一部の他のアジアの化石はデニソワ人の女性を表しているかもしれないのか、という問題を提起します。しかし、この問題の解決には、分子情報のあるより多くの化石が必要です。

 これらの不確実性は置くとして、今や明らかなのは、対照的な人類の2集団、つまり、高いものの華奢な下顎のある小さな歯のネアンデルタール人と、低いものの頑丈な下顎のある大きな歯のデニソワ人(人口集団もしくは男性の特徴として)が、ユーラシアの中期更新世後期から後期更新世初期に共存していたことです。後者【デニソワ人】の形態はアフリカとユーラシアの前期更新世後期から中期更新世初期の化石では稀か存在しないので、以前に示唆されたように[25]祖先的な保持ではなく、おそらくはデニソワ人クレードにおいて、40万年以上前のネアンデルタール人からの遺伝的分離[9、10]後に発達したか強化されました。ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)やホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)[49]といったアジア南東部島嶼部やホモ・ナレディ(Homo naledi)[50]といった南アフリカ共和国からの最近の発見は、ホモ属の多様な進化を浮き彫りにしており、現生人類につながる系統とは対照的です。デニソワ人の歯顎形態は、ホモ属で起きた別のそうした独特な進化として解釈できます。


●私見

 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文はプロテオーム解析によって、台湾沖で発見されたホモ属の下顎(澎湖1号)がデニソワ人系統の男性であることを示しました。夏河1号と澎湖1号との形態の類似性は以前から指摘されており[3]、歯根の本数からも澎湖1号がデニソワ人系統である可能性は提示されていたので(Bailey et al., 2019、Scott et al., 2020、Bailey et al., 2020)、私も含めて(関連記事)澎湖1号がデニソワ人系統に属する可能性を想定していた人は多かったのではないか、と思います。その意味で、本論文の結論自体に驚く人は少ないかもしれませんが、じっさいにプロテオーム解析に成功して証明したことは画期的と思います。

 本論文の意義として挙げられるのは、デニソワ人はこれまで、断片的な人類遺骸からの高品質なゲノムデータ[5]によって遺伝学的情報が豊富だったものの、形態学的情報が不足していた状況を、下顎骨の澎湖1号をデニソワ人系統と示したことで、大きく改善したことです。これによって、デニソワ人系統の可能性が想定されながら、デニソワ人系統と分類することが難しかった非現生人類ホモ属遺骸を、より高い確実性でデニソワ人系統に位置づけることが可能となります。とはいえ、形態のみから後期ホモ属の系統関係を論じることには慎重でなければならないとは思います。また本論文は、人類進化研究におけるプロテオーム解析の重要性を改めて示した点でも注目されます。プロテオーム解析はDNA解析よりも得られる遺伝的情報がずっと少ないとはいえ、時空間的に適用可能な範囲はずっと広いでしょうから[29、34]、今後も人類進化史の解明でプロテオーム解析の果たす役割には大いに期待しています。

 本論文によって、デニソワ人が寒冷なアルタイ山脈やチベット高原だけではなく、比較的温暖湿潤だったと思われる地域にも分布していた可能性はきわめて高い、と示され、デニソワ人の環境適応能力が改めて注目されます。ラオスで発見されたTNH2もデニソワ人である可能性が高そうですから[21]、デニソワ人は寒冷な環境や海抜2500m以上の高地や比較的温暖湿潤と思われる地域にも拡散していたわけで、ネアンデルタール人よりも多様な生態系に適応していた可能性も考えられます。デニソワ人よりもネアンデルタール人の方がずっと研究は進んでいるわけですが、本論文によってデニソワ人の形態学的情報が増えたことで、今後はデニソワ人の研究がこれまで以上に進むことも期待されます。最近、中華人民共和国河北省張家口市陽原県の許家窯(Xujiayao)遺跡で発見された中期更新世のホモ属遺骸の形態学的分析から、この許家窯個体はデニソワ人系統である可能性が指摘されています(Zhang et al., 2024)。この許家窯個体には部分的な下顎も残っているので、澎湖1号との比較が注目されます。

 本論文は、頑丈な下顎や大きな大臼歯がデニソワ人系統に共通する特徴である可能性を示しています。ただ、すでに古代ゲノム研究において、デニソワ人が複数の系統に分岐していき、異なる現代人集団の祖先集団と交雑した可能性が指摘されており[14]、そうした研究でも推測されていたように、デニソワ人はシベリア南部からチベット高原やアジア東部南方やアジア南東部まで広範囲に分布していたようなので、デニソワ人系統は全体的に多様な形態だった可能性が高そうです。本論文で指摘されているように、澎湖1号も含めて、デニソワ人系統と考えられる断片的ではない人類遺骸は、デニソワ洞窟で発見され、高品質なゲノムデータが得られている、デニソワ人の1個体であるデニソワ3号[6]のDNAメチル化パターンから再構築されたデニソワ人の骨格形態[23]とは異なるところがあります。これは、デニソワ人系統が分岐し、異なる生態系の環境に広く拡散していき、多様化していったことを反映しているのかもしれません。

 上述のように、デニソワ人は複数の系統に分岐していき、異なる現代人集団の祖先集団と交雑した可能性が指摘されており[14]、澎湖1号はその地理的位置から、76200〜51600年前頃のデニソワ3号の高品質なゲノムデータ[5]によって表されるアルタイ山脈のデニソワ人集団よりも、パプア人の祖先集団[16]やアジア南東部島嶼部の一部の集団[15]と交雑したデニソワ人集団の方と遺伝的に近いかもしれません。現代のパプア人[16]やアジア南東部島嶼部の一部の集団[15]のゲノムには、他地域の現代人集団よりもずっと多い割合のデニソワ人由来と考えられる領域があります。ただ、澎湖1号やデニソワ人の可能性が高そうなTNH2[21]は、その発見場所からDNA解析は難しそうなので、この仮説を証明することはできないでしょう。

 そこで注目されるのは、チベット高原のデニソワ人集団です。チベット高原北東端の海抜3280mに位置する白石崖溶洞では、堆積物からデニソワ人系統のmtDNAが確認されています[20]。堆積物からmtDNAが解析されているため、白石崖溶洞はデニソワ洞窟ほどではないかもしれないとしても、DNAの保存に適した環境と考えられるので、断片的でも人類遺骸が確認されれば、比較的高品質なゲノムデータが得られる可能性は低くないように思います。チベット高原のデニソワ人集団が、分岐して多様化していったと考えられるデニソワ人集団[14]のどの系統と遺伝的に近いのか、現時点では不明ですが、高品質なゲノムデータ[5]によって表されるアルタイ山脈のデニソワ人集団よりも、パプア人の祖先集団やアジア東部現代人の祖先集団と交雑したデニソワ人集団の方に近い可能性も考えられます。また、堆積物のmtDNA解析[20]から、チベット高原のデニソワ人集団において人口置換が生じた可能性も考えられ、チベット高原には複数系統のデニソワ人集団が存在したかもしれません。チベット高原では、45000年前頃以降にデニソワ人と現生人類が共存していたかもしれない点でも注目されます[19]。

 本論文は、ユーラシア東部圏における非現生人類ホモ属の具体的様相の一端を示しています。ユーラシア東部圏における、デニソワ人系統も含めて非現生人類ホモ属多様性や、そうした非現生人類ホモ属と拡散してきた現生人類との関係の解明に、澎湖1号は寄与できるでしょう。澎湖1号の年代は19万〜13万年前頃もしくは7万〜1万年前頃で[26]、7万〜1万年前頃ならば、現生人類と共存していた可能性も考えられます。アジア東部現代人集団にもわずかながらデニソワ人系統由来のゲノム領域があり、それはパプア人の祖先集団と交雑したデニソワ人とは異なる系統と推測されていますが[14]、澎湖1号はそうしたデニソワ人系統と遺伝的に比較的近い集団を表しているかもしれません。
https://sicambre.seesaa.net/article/202504article_13.html

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