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(回答先: 「モンゴロイド系」 vs. 「アーリア系」 投稿者 中川隆 日時 2014 年 10 月 24 日 09:01:33)
ギリシャは長い間オスマントルコ帝国の支配下(約400年)にあり、その間徹底したオスマン帝国の混血政策で、現在のトルコ共和国のトルコ人(中央アジアのトルコ民族も基は一緒だが)と現在のギリシャ人は医学的にはほとんど同じ人種である。
異なるのは宗教と言葉と長い歴史とそれに基づく文化である)。
それが民族間のとくに征服されたギリシャ側のトルコに対する憎悪を際立たせている。
トルコ人の発祥は古く中央アジアも中国よりのあたりと言われている。今ではトルキスタンと言われている地域だ。中央アジアの共通語は今でもトルコ語だ。 トルコ語人口は共和国を入れて約7000万人が話している。トルコ語だけでアジアを横断できると言われているくらいの広域言語だ。
トルコはその後セルジュクトルコやオスマントルコとして発展しながら、アジアからすこしづつヨーロッパに移動をしていった。その間にイスラム教に改宗した。またその間に移動した先々で混血をしたため、本籍のモンゴロイド系に、イラン系、アラビア系が加わり、世界最大のオスマン帝国時代にアフリカ系やヨーロッパ人の血を入れた。 特にギリシャ人、ブルガリア人との混血はすごかった。共和国トルコ人とギリシャ人、ブルガリア人は医学的にほとんど同一人種と言われている。言語と文化と住む地域と歴史が違うため、区別ができるのだ。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/
ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/1-14.htm
当ガラパゴス史観が若い頃にイスタンブールに駐在していたことは当記事1-13.中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?で触れましたが、オスマントルコ帝国は約400年のバルカン半島の一部を支配下に置き、特に現代のギリシャとブルガリアに当たる隣接地域の徹底した混血政策をすすめた結果、 特にギリシャ人とブルガリア人のトルコ人に対する憎悪は計り知れないものがあります。
数百年以上に渡る長い間オスマン帝国の、それも首都のイスタンブールに隣接したギリシャ地域は ヨーロッパ人からはすっかり忘れられ、イスラム教徒の一部でしかなかったのです。
ところがヨーロッパ文明の夜明けであったギリシャ文明を興したギリシャ人を探していた西欧は オスマン帝国内にギリシャ語を話す集団がいることに気が付いたのです。しかもギリシャ正教を守っていたのです。これはギリシャ人の末裔に違いないと喜んだのです。
下記はオスマン帝国が支配した歴史を持つバルカン半島に現存する国家とトルコ内のクルド人のY-DNA頻度リストです。つまり「南欧」地域です。これを見るとバルカン民族は大きく次の3種に分類されることがわかります。
1.ローマ帝国の子孫系と思われるラテン系Y-DNA「E1b1b1」が多い民族は、
30%以上がギリシャ人とアルバニア人、
20%がブルガリア人、セルビア人、マケドニア人
2.最も多いバルカン系遺伝子のY-DNA「I2」(ノルマン系はY-DNA「I1」)は、
50%以上がヘルツェゴヴィナ人とボスニア人、
30%以上がクロアチア人、セルビア人、ルーマニア人、マケドニア人とブルガリア人
3.メソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」+アラブ系Y-DNA「J1」は、
30%以上がトルコ人とクルド人、
20%以上がアルーマニア人とアルバニア人です。
その3種のY-DNAに2種の遺伝子が更に絡んでいるのもわかります。
4.スラヴ系遺伝子のY-DNA「R1a」は、
30%弱がクロアチア人、
20%弱がボスニア人
5.ケルト系遺伝子のY-DNA「R1b」は、
20%以上がアルーマニア人、
20%弱がトルコ人、クルド人とアルバニア人
以上の5種のY-DNAが複雑に絡み合っているのがバルカン半島です。確かに民族毎に主要遺伝子がありますが、これにキリスト教、正教会とイスラム教などの宗教とそれぞれの言語が更に絡み合い訳がわからなくなっています。
かつてバルカン半島の大部分の国名だったユーゴスラヴィアは南スラヴ人の国と言う意味ですが、スラヴのY-DNA「R1a」は主要な遺伝子ではなく、チトーがソビエトに操られ机上で作った国家に過ぎなかったことが良くわかります。 解体は必然だったようです。あまりにも混沌としている地域なので深入りせずにY-DNA研究の結果のみを淡々とお届けします。
では、本題の、現代ギリシャはヨーロッパなのか?
当ガラパゴス史観の経験とY-DNA調査の結果から判断すると、ギリシャはイタリア、スペイン、ポルトガルと一緒の南欧つまり地中海国家であって、北欧国家とは完全に別の地域国家なのです。
更にギリシャ人は長いオスマン帝国の徹底同化政策で南欧の中でもトルコ人と非常に似ておりペロポネソス半島とアナトリアはほぼ一体で考えられてきたのです。
地中海国家とは、北アフリカも含めた地中海南岸と北岸のことです。現在の地中海南岸はサラセン帝国と後継アラブ国家とオスマン帝国によって完全にイスラム圏とY-DNA「J1」アラブの国家群に変貌してしまいましたが、 本来はY-DNA「E1b1b1」のラテン系地域だったのです。
現在でもアフリカ北岸のアラブ諸国のラテン度はかなり高く、特に砂漠の民ベルベル人、特にトゥアレグ族はY-DNA「E1b1b1」が主体の基本ラテン系民族で、 ローマ帝国に対抗した古代チュニジアなどアフリカ北岸を形成した古代民族遺伝子集団の末裔の一つと思われます。
Y-DNA「J1」アラブ遺伝子集団が来なければ、オスマン帝国が来なければ、 アフリカ北岸はY-DNA「E1b1b1」ベルベル人主体の地中海民族集団として西欧列強の植民地になり戦後独立し、結局今と同じような地図上の国境線引きでベルベル人国家が出来ていたでしょう。
一方北欧は本来のヨーロッパ国家群でケルト・ゲルマン系とスラヴ系及びノルマン系の遺伝子が混じり合い民族エネルギーを高めてきた国家群なのですが、長い間南欧ローマ帝国から見ると辺境の野蛮人集団に過ぎなかったのです。
つまり、北欧諸国は文明の先進地域だった南欧に対し、決定的なコンプレックスを持っているのです。ギリシャ文明もローマ文明もルネッサンスも全てギリシャとイタリアから。 だからオスマン帝国に埋もれていたギリシャ文明の末裔を探し出したのです。
だからギリシャの踏み倒しの脅しにも関わらず更に支援を考えています。ギリシャもその北欧のコンプレックスを良く理解しているので、足元を見て平気で踏み倒しができるのです。
この民族の心の動きが下記の朝日新聞の記事で明瞭に理解できます。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/1-14.htm
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