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まず、このブログでもたくさん使っている「モンゴロイド系」「アーリア系」という言葉について少し弁明しておきたい。
人類を「コーカソイド」、「モンゴロイド」、「ネグロイド」、などと分類する仕方自体が、今日の科学的な知見からは誤りであるとされている。
人類は一種目である、というのが学問的には正しいということである。
「コーカソイド」という言葉も、旧約聖書のノアの箱舟の物語に由来するもので、コーケイジアンこそ神に択ばれた種族であるという含意を持つ。
モンゴルと何の関係もない東南アジアの原住民系の人々を「古モンゴロイド」などといって「モンゴロイド」に分類するのもまったくおかしなことである。このような自然人類学は、要するに、「白人」を、世界支配の資格のある「人種」として説明するために白人によって作り出された学問に過ぎない。
まして「アーリア系」、「アーリアン」などという分類には何の根拠もない。欧米のマトモなところでそんな言葉を使ったら、ネオナチ扱いされるかもしれない。
ところが、ネパールでは今でも、「アーリアン」「モンゴリアン」という英語が、ごく普通に教育のある人たちによって使われている。マオイストの活動家もこれらの言葉を振り回すのが大好きである。
この場合、「アーリアン」とは「バフン」「チェトリ」のいわゆるアーリア系上位カーストを指す言葉で、「モンゴリアン」はグルン、タマン、ライ、リンブー、マガル、タカリ、およびチベット人など、いわゆるモンゴロイド系カーストを指す。英語を話すネパール人には、日本人や中国人もモンゴリアンだと説明するものが多い。ただし、ヨーロッパ人が「アーリアン」かどうか、については、そう思わないネパール人もいるようである。また、被差別カーストの人は、どんなに「コーカソイド」的な容姿をしていても、ネパール人からは「アーリアン」とは看做されない。
これらの言葉がどのくらい浸透しているのかを観察してみた。
英語をまったく知らない人(保守的なチェトリ)には、「アーリアン」という言葉が通じなかった。彼らも「アーリアArya」という言葉は知っていると思う。たとえばコイララ元首相が火葬されたのはパシュパティナートの「アーリアガート」だった。しかし、バフン(バウン)とチェトリを一括して「アーリアン」と分類する発想は、伝統的にはないように見える。伝統的な人から見れば、バフンはバフンであり、チェトリはチェトリである。
だから、人間ないしカーストを「アーリアン」や「モンゴリアン」に分類する、今ネパールのインテリがごく普通に行っているやり方は、英語とともにネパールに持ち込まれたものであり、白人のアーリア主義者・人種主義者によってネパール人に教え込まれているものである、と見ることが妥当であると思う。
以上は前置きである。以上のことを確認した上で、現にネパールで行われている「アーリアン」「モンゴリアン」という分類を一応受け入れて、旅行者としての感想、印象を述べる。ここではネパール人の言う「アーリアン」を「アーリア系」とし、「モンゴリアン」を「モンゴロイド系」とする。
私はアーリア系と欧米白人とは本質的に同じ種族・連中だと思っていたので、欧米白人が嫌いなようにネパールのアーリア系にも最初から良いイメージは持っていなかった。
しかし、各種カースト・種族民族が混住しているネパールの田舎町にじっくり長期滞在してみて、私のアーリア系とモンゴロイド系とに対する印象、評価は少し変わってきた。
結論から言えば、最終的に一層嫌らしく排他的なのはモンゴロイド系カーストの連中であるように感じられる。安心して長くつき合えるのはアーリア系の人であることが多い。
モンゴロイド系は、最初は敷居も低いし人当たりも良く如才ない。概してアーリア系よりお洒落で、山村の同じ環境に生まれ育ってもアーリア系より洗練されて都会的に見える。アーリア系はガサツなのが多く、居丈高で最初は排他的に見える。
だから、ネパールに始めて旅行した日本人は(肉弁女を除き)モンゴロイド系カーストのネパール人と仲が良くなることが多いかもしれない。そうすると、「自分たちは同じモンゴロイド系だ」と相手から売り込んでくることもあるし、「ロングノーズ」(アーリア系)がいかにずるくセルフィッシュな人々であるかという話を聞かされることになり、なるほどそうかと思い込んでしまう場合もある。(しかし、アーリア系の連中も話をしてみると「モンゴリアンはセルフィッシュだ」と思っているようである)。
モンゴロイド系は敷居が低く如才ないかもしれないが、彼らは、「中に引き入れてから中で排除する」のである。中に入れて中に縛り付けておいて連携して八分にしようとする。要するにイジメが好きなのだ。チベット人を含むすべてのモンゴロイド系カーストが、アーリア系に比較してこの傾向を強く持ち、八分で連携するということが見えてきたように思う。(日本人ももちろんこの呼吸に同調するだろう)。
さらに、モンゴロイド系は嫉妬深い。嫌らしく嫉妬する。
モンゴロイド系は、女が男にでも嫉妬する。特に、私のような美男が現れると、最初は感嘆し、次に羨望し、褒めながらも奇妙な嫉妬心を募らせ、やがてあらを探しはじめ「復讐」しようとするのである。これは大変気持ちの悪い現象である。
私は肌がキレイである。ネパールの田舎の人には大変キレイに見えるらしい。髪もきれいらしい。これらのことは、アーリア系からもモンゴロイド系からも褒められるのだが褒める態度が違うし、その後の顛末はまったく違ったものになる。
肌がキレイだが何かクリームでも塗っているのかとアーリア系の人に聞かれたので、石鹸で洗っているだけだと答えると、「ジャティ(カースト)だね」ということになり納得されて終わりだった。つまり、それが日本人というジャティ(カースト)の身体的特徴だということで彼らは納得したのである。カーストが違えば何もかも違うのが当然だ、という原則に戻って納得したのである。
ところが、モンゴロイド系はこういう風にきれいに納得してくれない。彼らは安易に人を褒める。盛んに人を褒めるが、自分で褒めている間に妬みと怨念めいた鬱憤が募っていくらしく、ある時点から今まで褒めていた相手のアラをしきりに探し始める。そして、ここが弱点だ、弱点を見つけたと思い込むと、徹底的にそこをついて引きずりおろそうとするのである。日本人を含むモンゴロイド系の人間に良くある卑しい行動様式である。
モンゴロイド系は、自分たちがアーリア系より劣った種族であるという自意識を持っている。
日本人には少し奇異に見えるが、アーリア系は自分たちより頭脳が良いと本気で思っているモンゴロイド系が多いようである。(ヒンドゥ教カースト制度の影響だろうか)。
容姿についても同じで、自信がないせいか、他人の容姿をあれこれ批評することを非常に好む。面と向かってパーソナルリマークを平気でしてくる者も(アーリア系にももちろんいるが)モンゴロイド系に多い。とにかく嫉妬深い。
私の経験では、特にチベット人にこれらの傾向が顕著である。
チベット人は一般に、モンゴロイド系のなかでも容姿が醜い集団なのでコンプレックスも強いらしい。自意識も強くプライドだけは高いので、一層屈折した形で表現されるのだろう。
http://kuantan2007.wordpress.com/2010/04/11/%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%b4%e3%83%ad%e3%82%a4%e3%83%89%e7%b3%bb/
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