http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/426.html
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(回答先: 映画「インポッシブル」インドネシア・スマトラ島沖の地震で、津波に巻き込まれながらも、奇跡的に無事再会を果たしたスペイン人 投稿者 たけしくん 日時 2014 年 2 月 06 日 23:07:43)
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現役医師である大鐘稔彦のベストセラー医療小説を映画化!
タブーとされた脳死肝移植に挑む鉄彦
新人医師の中村弘平(成宮寛貴)は、適切な治療を受けることがないまま急死した看護師の母・浪子(夏川結衣)の葬儀を終えると、実家に戻って母の遺品を整理していた。そこで彼が見つけたの一冊の古い日記帳だった。
看護師は自分の天職だと弘平に語って聞かせていた母の日記だけに、患者のケアで忙しい毎日を送りながらも、充実している思いが詰まっていると思いきや、そこには綴られていたのは母の泣き言だった。そして「先生のオペには気負いも衒いもない。正確で緻密な作業をコツコツ積み上げていく」と書き遺した一人の外科医との出会いが母を変えたのだった。
日記に記された年月は現在からおよそ20年遡った1989年―。母子家庭のため、育児の関係で一時は医療現場を離れていた浪子だったが、地元のさざなみ市民病院で再び看護師として働くことになった。しかし、浪子は手術室担当の仕事を苦痛に感じており、かつてのような情熱は失っていた。
というのも、同病院は京葉医科大学からの医師派遣なくして、外科手術ひとつ行うことができない有様なのだが、この医局派遣の医師自体もスキルが低いため、手術に何度も失敗したり、難しい症例は全て大学病院へ再搬送するからだ。
今日も手術中に担当医がミスをしたため、溢れ出た患者の血液をバケツ一杯流して暗澹たる気持ちに苛まれる浪子。そして、幼稚園に通う弘平を迎えに行き、日記に愚痴を書くのだった。そんなある日、消毒した手術器具を整理していた浪子のもとに、一人の男(堤真一)が現れて、「器具をもっと優しく扱うように」と優しく声をかける。嫌な奴と思う浪子だったが、彼こそ市長の大川松男(柄本明)が病院再生の切り札として、米国のピッツバーグ大学から呼び寄せた外科医・当麻鉄彦だった。
海外で高度な医療技術を習得し、肝臓移植も手掛けた経験もある当麻に期待をかける市長だったが、京葉医大から出向してきている医師たちの反発を考え、当初の予定である外科部長ではなく、第二外科の外科部長として当麻を赴任させることにした。難解な外科手術を円滑に行うためには、術医と手術室看護師、麻酔科医らの連携が欠かせないが、スタッフ間の意思疎通すら満足に行っていない着任早々、緊急手術を要する患者が搬送されてくる。
患者が下腹部の激痛を訴えていたので、盲腸と高をくくって開腹したら、実は腹部破裂で大量出血を引き起こしており、救急車で運ばれてきたのだ。「そんなオペはとてもじゃないが、ウチ(さざなみ市民病院)では無理だ。京葉医大病院へ直ぐに搬送したまえ」と事務長は端から及び腰だが、医大への搬送には1時間は必要で、患者の容態はそれを許しそうにない。「間に合わなかったらそれは彼の寿命ということだ」と無用な責任を追いたくない事務長は開き直る。
だが、当麻はこのままでは大量出血で患者が危ないので自分が止血を行うと主張して、患者を手術室へ搬送させる。初めて当麻の手技を目の当たりにする医師と浪子らコメディカルだったが、その目にも鮮やかで正確な手順による腹部の止血に驚くばかり。続けて破裂した部位の手術を行おうとする当麻に医大から派遣されてきた若手医師の青木隆三(吉沢悠)は「この患者のような症例は医大で手術を行うのが慣例です」と口を挟むが、当麻は「目の前の患者を助けるのに慣例は必要ない!」とこのうえない正論を述べて、短時間で無事に手術を成功させる。それはさざなみ市民病院で、何かが動き出した瞬間だった―。
ある日、アメリカで当麻と同じ病院で働いていたかつての同僚医師・実川剛(松重豊)から食事に誘われる。当麻ほどの腕前を持つ外科医が田舎の小さな市民病院で燻っていることが惜しいと考える実川は「どうしてこんな田舎にやってきた?」と問うが、当麻は迷うことなく「地域医療の底上げをするためだ」とは応える。彼が医師を続ける理由はただ一つ。目の前で苦しむ患者を一人でも多く救うことだ。そこに地位や名誉や名声が入り込む余地は全くない。
見栄や体裁への執着、院内で幅を利かせる医大の派遣医師、慣例主義、患者への不誠実な対応など、本来のあるべき姿を失っていたさざなみ市民病院において、患者のことだけを考えてメスを握り続ける当麻の姿勢は、生え抜きの第一外科部長・野本(生瀬勝久)らの反発を招く一方で、旧態依然とした病院の風土に風穴を開け、当初は批判的だった青木らスタッフも同調するようになる。特に、手術室担当の看護師として患者と真っ直ぐに向き合う当麻の姿勢を見てきた浪子は、彼の情熱に打たれ、自分が失っていた看護への意欲と誇りを取り戻していくのだった。
患者の命を救うため、当麻は生体臓器移植を行うことを決意する
医療現場が抱える問題を浮き彫りにする
しかし、病院の雰囲気が変わり始めた矢先、アクシデントが彼らを襲う。一年前に野本第一外科部長が手術を担当したがん患者が、切除可能な腫瘍を放置されるというミスのために症状が悪化して死亡したのだ。
野本は自分のミスが原因であることが明確にも関わらず、事件が発覚するのを未然に防ぐために隠蔽工作を図るのだった。患者を最後まで見届けた青木は野本の責任を追及するが、事態は一向に改善しない。当麻は若い青木の医師としての将来を潰さないために、かつて自分が在籍していたアメリカのピッツバーク病院への紹介状を書いて手渡すのだった。
そんななか、市民病院の改革に日夜奮闘していた大川市長が、会議の演説中に吐血して倒れ、病院へ搬送されてくる。彼の身体は自覚がないまま末期の肝硬変に蝕まれていたのだ。
もはや意識を取り戻すことすら危うい市長を助けるために残された手段は、世界でもまだ前例のない成人間の生体肝移植だった。市長の娘である翔子(中越典子)は家族で唯一、市長と血液型があるのだが彼女は肝臓が小さすぎて移植には適していなかった。
時をほぼ同じくして、浪子の知り合いである音楽教師の武井静(余貴美子)の息子・誠(太賀)が交通事故で搬送されてくる。数日後、息子の脳死を宣告された静は病院の屋上で当麻に会い、「息子(ボランティアに熱心な青年という設定)は人の役に立ちたいと思っているはずです」と生死を彷徨う市長への臓器提供を涙ながらに訴える。彼女の想いに打たれた当麻は、脳死肝移植を大川に施すことを決断するのだった…。
移植しなければ市長は確実に死ぬ。しかし、移植しても成功する確立は50%に過ぎない。加えて、当時の日本(1989年)ではタブーとされていた生体肝移植を行うことは、手術の成否に関わらず、その倫理面でマスコミのバッシングを受けることは避けられなかった。しかし、目の前の患者を助けたいという当麻は怯まずに言う。「この手術の責任は私がとります!」と。すると、院長の島田光治(平田満)も「いえ、責任は私にあります!」と言い返し、さざなみ市民病院での手術の決行が決まった。
それまで院内で行われる手術の一切を取り仕切っていた京葉医大の医者たちは、当麻が自分たちの聖域へ足を踏み入れていることが許せなかった。今回の生体肝移植を当麻潰しの絶好の機会と捉えた彼らは、警察やマスコミに電話をかけ、当麻医師主導による生体肝移植が行われる予定だが、これは権力志向が強い当麻によるスタンドプレーの色が濃いだけでなく、法律に抵触する恐れがあるとの誹謗中傷を行う。
手術当日―。病院前には肝移植の是非を倫理面から問いただそうとする記者やTVカメラが集まり、刑事(隆大介)もやってくる。「殺人として告訴されてもいいのか」と刑事は警告するが、倫理面について説明をしている時間が惜しい当麻は黙って手術室へ向かう。執刀医である当麻をサポートするのは、浪子ら看護師二人と麻酔医・助手を務める医師が二人。助手の一人は半年前に野本第一外科部長の隠蔽を追及し、当麻の勧めでピッツバーグの病院で修行をしていた青木だった。「当麻先生の手術に参加できて嬉しい」と青木は胸を張る。
(以下、クライマックスの手術シーンが展開される)半日を費やした大手術は成功し、市長は青年の肝臓にその生命を救われた。当麻は告訴もされなかった。当麻の追放を画策していた野本医師は、過去の治療におけるミスが明るみに出て、逆に病院から追い出されることになる。しかし、当麻は病院を自ら去るのだった。別れに際しては当麻は浪子に「あなたは最高のナースでした」と優しい言葉をかける。
弘平が見つけた日記はここで終わりを迎え、彼の思いは今は亡き母親へと馳せるのだった。時を経て、弘平は地方のある病院へ赴任することになった。弘平が院長室で待たされている間に何気なく部屋を眺めると、そこにはさざなみ市民病院で撮られた集合写真と、当麻が好きだったという歌手・都はるみのカセットが置かれていた─。
医師が監修した臨場感溢れる手術シーン、堤真一と夏川結衣の熱演が見所
出演者情報
医師の偏在、看護師不足、患者のたらい回し、手術ミスと医療紛争、自治体病院の相次ぐ破綻など“患者を救う”という医師に課せられた使命の前に様々な問題が立ちはだかる日本の医療。
本作品(設定は1980年代)では当時タブーとされてきた臓器移植、大学病院の医局に医師派遣の生殺与奪を握られた公的病院の腐敗などの問題を浮き彫りにしながらも、命の価値を感じさせる感動の医療ヒューマンドラマになっている。
類いまれな手術の腕を持ちながらも、名誉・名声に囚われることなく、患者の命を救いたい唯一心で手術に挑む外科医・当麻鉄彦を熱演するのは、『クライマーズ・ハイ』、『ALWAYS 三丁目の夕日』、『舞妓Haaaan!!!』、『SP』シリーズなど、その安定した演技力で数々の映画、TV、舞台に出演し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞にも輝いている堤真一を起用。
彼の真摯さに打たれ、失いかけていた仕事への情熱を取り戻す看護師の波子を演じるのは、代表作に『アカシアの道』、『座頭市』、『結婚できない男』などがある夏川結衣。本作品では日記形式のナレーションも担当している。
浪子の一人息子で医師の弘平を演じるのは若手注目株として多数のCM、ドラマに出演している成宮寛貴。そのほか余 貴美子、生瀬勝久、柄本明、吉沢悠、中越典子、などの実力派俳優が脇を固めている。監督は、『クライマーズ・ハイ』(脚本)、『フライ、ダディ、フライ』『ミッドナイトイーグル』(監督)等などのヒット作を手掛けてきた成島出。
原作は、『チームバチスタの栄光』で知られる海堂尊と同様に、本人も現役医師(京都大学医学部卒)としてエホバの証人の無輸血手術をはじめ約6,000例の手術に携わり、現在は淡路島で僻地医療に取り組んでいる大鐘稔彦。現代の医療制度が抱えるタブーを鋭く抉り出した同名小説(全10巻)は、累計150万部を超えるベストセラーとなっている。
ちなみに作品内で主人公・当麻の渡米時代の勤務先としてピッツバーグ病院が登場するが、作者も実際にピッツバーグで肝移植手術を見学している。当麻のモデルは「半分が自分で、残り半分は自分の理想像」とのこと(メディカル朝日掲載のインタビューより)。作品の大きなテーマとなっている生体肝移植の手術シーンは、順天堂大学医学部の医療チームが監修に完全協力しているため、見る者をその世界に引き込む臨場感溢れるものとなっている。
ノンフィクション?実話のモデルは?
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2011/02/post-2a47.html
「孤高のメス」と「決断―生体肝移植の軌跡」と「洪庵のたいまつ」。
◆昨年6月公開の映画を今日初めてDVDで観ました。
これは、評判だったし、「脳死肝移植」がテーマな真面目な映画だし、
既にご覧になった方の評判も大変良いのですが、
「孤高のメス」という映画、見よう見ようと思いつつ、
昨日やっとDVDで見ました。
映画の内容の詳しいことは、まだご覧になっていない方もおられるでしょうから、
公式サイトへのリンクだけ貼っておきましょう。
これは、大元はマンガで、小説の原作が孤高のメス―外科医当麻鉄彦ですが、
小説のモデルになっているのは、私が毎年11月13日に取りあげる、
日本初の生体部分肝移植を行った当時島根医大(現・島根大学医学部)第二外科・永末直文助教授(当時)
だそうです。
「孤高のメス」はフィクションであり、日本で初めて、
移植(映画では、「脳死肝移植」という設定になっていますが)、
現実世界では、日本で札幌の心臓移植問題以降、兎にも角にも「移植」と名のつく手術を初めて行ったのは、
永末先生なのですから、小説「孤高のメス」の著者、大鐘稔彦氏は、
当然、永末先生のことを調べた筈です。
ネタバレになるので、詳細は描きませんが、映画で堤真一が演ずる、
主人公の外科医・当麻鉄彦は、全く「私欲」がなく、目の前の患者を救うこと以外は
頭に無い、という「医師とはかくあるべし」の見本のような人物。
◆永末先生が本当にそういう方なのです。
永末先生はじめ、日本発の生体肝移植を実行した、
旧・島根医大のドクターたちが書いた「決断―生体肝移植の軌跡」という本があります。
Amazonでレビューを書いているは私ですが、そのレビューを転載します。
日本で最初に生体肝移植をしたのは島根医大だ, 2005/10/16
日本で最初の生体肝移植を行ったのは、他ならぬ島根医大だ。
昭和40年代、北海道の大学病院が心臓移植手術に失敗して、執刀医が殺人罪の容疑までかけられてから、30年以上も日本の医学界では「移植」はタブーだった。
本書は、題名「決断」の文字通り、永年の禁忌を打破して、移植手術を行う「決断」を下すまでの葛藤と、術後の合併症と医師団との壮絶な闘いの記録からなる。
いずれも、貴重な記録だが、特に、手術を決める、当時の永末助教授の覚悟が並大抵ではなかったことが良く分かる。
「我々は肝移植を標榜している。赤ん坊は死にかけている。家族は結果は問わないから、手術をしてくれと言う。これでこの手術を断るなら、明日から肝移植の研究など止めよう」と、病院スタッフに語りかける場面はご本人の控えめな文体からも、ものすごい迫力が伝わってくる。
永末医師は、この手術に失敗したら大学を追われることを覚悟して、その時には故郷の福岡で開業すればよいと思った、と本書では書いているが、NHKの「プロジェクトX」に出演したとき、本当は、「医師も辞めなければならないかも知れない、そのときは私は英語が得意だから、塾で英語の先生をすれば、食べられるだろうと思った」といった。ここまで立派な先生がいたのか、と感激する。
杉本裕也ちゃんは残念ながら無くなったが、ご両親はそれでも、永末医師らスタッフに感謝していたことからも、医師の誠意が良く分かる。
島根医大の様子を見てから、京都大学や信州大学が次々に生体肝移植を行い、成功した。京大が書いた岩波新書の「生体肝移植」の方が本書よりも有名になってしまった。
だが、「初めにやること」ほど大変なものはない。永末医師の「決断」がなければ、今でも日本では生体肝移植は行われていなかったかも知れない。
本書は医療を語る書物の金字塔と言っても過言ではない。(注:色太文字は引用者による)
映画の「孤高のメス」しか知らない人は、もしかすると、
あんな立派な、私心が全くない、自らの医師生命が絶たれるかも知れない手術を行う医者など、現実にいるわけがない。
と思うかも知れませんが、永末先生は本当にそういうドクターなのだ、
ということが、私のレビューから、お分かり頂けると思います。
それは、先日ご紹介した緒方洪庵の言葉そのものなのです。
◆「洪庵のたいまつにある、洪庵自らへの戒めの言葉。
1ヶ月ほど前に、司馬遼太郎氏が晩年、小学校5年生の為に書き下ろした
「洪庵のたいまつ」という文章をご紹介しました。
2011年01月16日(日)「世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない。」「洪庵のたいまつ」--美しい一生を描いた美しい文章。(ココログ)
その文章の終わり近くに次のような一節があります。
洪庵は、自分自身と弟子たちへのいましめとして、十二か条よりなる訓かいを書いた。
その第一条の意味は次のようで、まことにきびしい。
医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。
私は、「孤高のメス」の当麻鉄彦は、
緒方洪庵の教えそのままに行動しているように見えました。
更に、驚くべきは、「孤高のメス」の当麻鉄彦は架空の人物ですが、
そのモデルとなった、永末先生は、実在の人物なのです。
永末先生は、失礼ながら、緒方洪庵の「訓戒」を御存知だったかどうか分かりません。
少なくとも「洪庵のたいまつ」は、生体肝移植の当時、読んでおられなかったでしょう。
にも関わらず、永末先生と、島根医大第二外科のスタッフの皆さんの決断と行為は、
「人を救うことだけを考えよ」
という、洪庵の教えそのものではありませんか。
この世知辛い世の中にも、今この瞬間にも、そのようなドクターがおられる。
その事実に私は一層感動します。
映画「孤高のメス」をご覧になっていない方は是非ご覧になることを、
そして、「決断―生体肝移植の軌跡」を読んでいない方は、是非お読みになることを
薦めます。人間の最も美しい「心」が描かれている、と思います。
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