64. 一隅より 2012年7月30日 22:04:45
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>>58さん >陰謀があると考えているのですか?「陰謀」というよりも、はっきり目に見える一連の動きがありました。 あなたの言う、>「問題をこじらせた事件」、「第一次世界大戦時のイギリスの三枚舌外交」、もそのひとつです。 もうひとつ、>「国連総会は、パレスチナの地をユダヤ人とアラブ人によって分割して、二つの国家とするパレスチナ分割決議を行います」、のところを、もう少し具体的に補ってみます。 ↓ 1.(前提となる、当時の状況) まず、19世紀半ばまでパレスチナ地方に住むユダヤ教徒の人口比率は、全体の5〜7%だった(推定)。 その後、〜1930年代までのユダヤ人の入植状況については、>>58さんが書かれています。パレスチナ人の側からは(>「警戒感を強めていき、次第に暴力も見られ」た)、「移民による侵略」と非難もされた。 この結果、1940年代当時ユダヤ人の人口はパレスチナ人口の約3分の1になり、国土の6〜7%を所有していた。 2. 1947年11月29日、国連総会で「決議181号(パレスチナ分割決議)」が採択された。パレスチナの土地の56%をユダヤ国家、43%をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという内容だった。 決議案の内容はユダヤ人の側に有利なものだった。人口あたりの面積の点だけでなく、ユダヤ人にあてられた場所は水資源があって農耕に向いていた。パレスチナ人にはほとんど砂漠に近い領域しか認められなかった。 そこにはアメリカの強力な後押しがあった。当時、大統領トルーマンは、「なぜユダヤの肩ばかり持つのか」というマスコミの質問にたいして、「アラブの肩を持っても票にならない」、と答えたという。 当時のアメリカには約600万人のユダヤ系アメリカ人がいた。人口比でいうと3%のマイノリティーに過ぎなかったが、政財界などで重要な位置を占めていた。 評論家D・ギルモアの著書『パレスチナ人の歴史──奪われし民の告発』によれば、 「アメリカは、国連総会に分割案を採択させようと躍起になった。分割案が採択に必要な3分の1の多数票を獲得できるかどうかあやしくなると、アメリカは奥の手を発揮し、分割反対にまわっていたハイチ、リベリア、フィリピン、中華民国、エチオピア、ギリシアに猛烈な政治的、経済的な圧力をかけた。ギリシアを除いたこれらの国は、方針変更を“説得”された。フィリピン代表にいたっては、熱烈な分割反対の演説をした直後に、本国政府から分割の賛成投票の訓令を受けるという、茶番劇を演じさせられてしまった」、という。 3. この決議案は、賛成33、反対13(全アラブ諸国含む)、棄権10で可決された。 賛成 33票: オーストラリア、ベルギー、ボリビア、ブラジル、ベラルーシ、カナダ、コスタリカ、チェコスロバキア、デンマーク、ドミニカ、エクアドル、フランス、グアテマラ、ハイチ、アイスランド、リベリア、ルクセンブルグ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウエー、パナマ、パラグアイ、ペルー、フィリピン、ポーランド、スウェーデン、ウクライナ、南アフリカ、ソビエト、アメリカ、ウルグアイ、ベネズェラ 反対 13票:アフガニスタン、キューバ、エジプト、ギリシャ、インド、イラン、イラク、レバノン、パキスタン、サウジアラビア、シリア、トルコ、イエメン 棄権 10票:アルゼンチン、チリ、中国、コロンビア、エルサルバドル、エチオピア、ホンジュラス、メキシコ、イギリス、ユーゴスラビア しかしパレスチナのユダヤ人たちの多く(とくにシオニスト勢力)はこの国連決議案に満足せず、1948年5月14日イギリスの委任統治が終わると同時に、 国境を明示しないままイスラエル国家の樹立を宣言した。 周辺のアラブ諸国がこれに抗議し、戦闘が開始された(第一次中東戦争)。その結果、イスラエルは国連案に定められた面積の1.5倍の面積をもつ領域を占領して、以後ユダヤ人国家とした。 -------------------- ◇ 以上が、(>>58さんもとっくにご存知の)、具体的な経緯です。 >>58さんも、同じところを、>「ユダヤ人は、もともと国を持っていなかったのでこれを受諾し、イスラエルの建国を宣言します。しかし、パレスチナ人たちは全てが祖先の土地であり、分割は容れられないとして受諾を拒否します・・・」、とまとめています。 しかし、うえの経緯を見れば、「ユダヤ人(全般)は・・・、しかしパレスチナ人は・・・」と表現して、それで事態が描き切れるとは思えません。 シオニズム運動の創始される前、パレスチナのユダヤ人たちはどのようにその地で暮らしていたのか。 20世紀前半、移住を呼びかけ組織しようとした運動、それを後押しした勢力は何をめざしていたのか。それにこたえて移住、入植した人たちは何を望んでいたのか。争いを求めていたのか。 迎えたパレスチナのアラブ人たちは皆、これを排撃し、たたかうことを(その結果土地を追われることを)、望んでいたのか。 「世界には多様な民族、文化があるから、対立が起こるのも仕方ない」、「世界はそういうもの」と結論づける前に、争いにいたるまで、誰が何を望み、考え、どう行動したか、細かく考えてみたほうがよいと、私は思います。 ◇ もとオスマン・トルコ治下にあったためイスラム教徒とキリスト教徒がモザイク状に混住しているバルカン半島での争いも、「仕方ない」、「世界はそういうもの」とするのではない見かたができると思います。 誰がいつ誰に向けて引き金をひいたか、その銃はどうやってその者の手に入ったか、考えてみてください。 (あるいは、戦争で利益を得る勢力というものはある、儲ける連中は常にいる、と考えたほうがいいです。これは別に「陰謀」でも何でもない、はっきり目に見える事実です。) それとも、一民族(人種的や文化的、歴史的にまとまりをもった一グループ)がひとつの国家をなすべきだ(=だから国家間の争いは仕方がないのだ)、という考えかたがこれからもいつまでも続くと考えますか。 そんな考え(国民国家の主張)はたかだかここ三百年のもの、人類の何千年の歴史の中では一時の流行ですよ。 手近なところではアメリカ合衆国はどうでしょうか。この多民族国家は、何をかかげて他国と争い、国民はそれを支持している(共有していると思い込んでいる)のですか。民族の利害ではないですよね。 ◇ >>44には、多くの国家間の戦争、国家間ではない「紛争」があがっています。 そして>>57では、>争いの理由、勢力などない。「世界はそういうもの」、と短く述べられています。 しかしもう少ししんぼう強く考えたら、どうでしょう。 これまで確かに、「他人を虐げてでも利益を得たい」勢力というものはあったし、今もある。 しかし、他民族を虐げてでも利益を得たいひとつの民族(全体)などというものが、これまであったのでしょうか。そんな「民族」の実例がありますか。 ◇ 戦争から利益を得る勢力がある限り、日本は米属領支配を脱して、自立し、自主防衛すべきです。中国やロシアがかりに「攻めて」くるおそれがあるなら、その備えをすべきです。 しかし同時に、アメリカからの侵略にたいしても十分な備えをしなければならないはずです。ありえないことではありません。ペリー来襲も、本土空襲もありましたから。 アメリカに太刀打ちできるはずがない? そうですね、そう考えると軍事や戦争を中心にものを考えるのが馬鹿ばかしくなって、何か別の手立てを考えたほうがいい、と思えて来ませんか。 |