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1972年5月15日にアメリカから返還された沖縄は、ベトナム戦争を戦う米軍の補給・前線基地だった。今年、本土復帰40年を迎えた沖縄だが、普天間問題が暗礁に乗り上げるなか、新たな「戦争の負の遺産」問題に揺れている。
ベトナム戦争で大量に散布され、多くの奇形の子供たちを生み出し、今でも現地に深刻な土壌汚染や遺伝的影響を残す枯葉剤。その枯葉剤がベトナム戦争の最中、沖縄に持ち込まれ、そして、沖縄でも使用されていた疑惑が浮上したのだ。
日米両政府は一貫して枯葉剤が沖縄に持ち込まれたことすら否定しているが、長年の沈黙を破り、沖縄に駐留していた退役軍人たちが封印された真実を語り始めた。
さらに、取材を進める中で、沖縄で枯葉剤に被曝したとして健康被害の補償を認める米国退役軍人省の公文書や、沖縄への持ち込みを示唆する機密文書の存在も明らかとなった。
猛毒のダイオキシンを大量に含む枯葉剤の存在はけっして過去の出来事ではない。
今回取材に応じた16人の元米兵たちも、今なお枯葉剤の後遺症と見られるがんや糖尿病などで苦しんでおり、その影響は子供にまで及んでいる。また、それら枯葉剤の多くは、日本政府が手を出すことのできない米軍基地の中で使用され、今も、さながら「ホットスポット」のごとく土壌を汚染し続けている可能性を指摘する専門家もいる。
1961年に米軍が初めてベトナムに枯れ葉剤を散布してから半世紀。
そして、沖縄が返還されて40年という節目に、太平洋戦争の地・沖縄で交わる、もうひとつの戦争との「点と線」を取材した。
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