03. 2013年1月19日 23:35:57
: GVYsLuFuCE
戦後フランスの歴史を研究していて思うことは、植民地帝国と言うのは自国の権益を失うことを極度に嫌うあまり、どんどん泥沼にはまっていく傾向があることだ。第二次世界大戦でも当初の「まやかし戦争」が突如、ナチスドイツ軍のアルデンヌ高原侵攻によりマジノ線が簡単に突破され、首都パリが陥落した。ドゴール将軍率いる自由フランス軍が祖国を解放できたのは、それから4年後であった。やっとの思いで祖国を解放したのに、第二次世界大戦が終了するとフランス領インドシナが独立を宣言。フランスは荒廃した国土を再建することに集中できず、遠く離れた極東の地に外人部隊を送り、第二次世界大戦終結で余剰となった兵器をアメリカから供与されて戦ったものの、士気が余りにも低く8年もの時間を費やした後、無残に敗れてしまった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%88%A6%E4%BA%89 エジプトではイギリスとフランスが権益を持っていたスエズ運河が、1952年の自由将校団のクーデターによって王政が打倒され共和政に移行した。新しい政府は東側に接近したため、アメリカがアスワン・ハイダムの建設資金の融資を凍結した。ナセル大統領はスエズ運河を国有化し、通行料金で建設資金を捻出しようとしたが、スエズ運河を取られた恰好になったイギリス・フランスと、アラブ諸国と敵対するイスラエルが結託して戦争を開始した。これが第二次中東戦争(スエズ動乱)である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89 フランスは、この第二次中東戦争にも敗れ、スエズ運河を失ったのである。その前に植民地であったアルジェリアでも独立戦争が勃発。ここは石油を産することから、フランス側がアルジェリア民族解放戦線と熾烈な戦いに突入し、戦争は泥沼化していった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E3.83.95.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.82.B9.E9.A0.98.E6.99.82.E4.BB.A3.EF.BC.881830.E5.B9.B4-1962.E5.B9.B4.EF.BC.89 1958年になるとフランス国内の世論も分裂し、独立に反対するフランス軍部を政府が抑えられなくなり、アルジェリア駐留軍の本土進攻の危機に突入した。コティ大統領は打つ手が亡くなり、フランス軍部を抑えることが出来るのは退役したドゴール将軍しかいないことから、将軍に国家の危機を救って欲しいと懇願した。将軍は新憲法を起草し、1958年に首相、翌年に第五共和政初代大統領に就任した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB 大統領に就任したドゴール将軍は、軍部の意向に反してアルジェリアは独立させるべきだと考えていた。(ただし石油の権益はフランス側に残すと言う条件があった。)将軍は1960年にフランス領西サハラを多くの国々に分けて次々と独立させて既成事実化し、1961年にアルジェリア独立を問う国民投票を行なった。フランス国民は、既成事実の前に独立はやむなしとして、独立賛成が75%を占めた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89 これを不満に思う軍部や住民が地下活動でドゴール暗殺を狙い、ドゴール大統領は31回も暗殺事件に巻き込まれたと言う。しかし彼は死ななかった。どう見ても、神のご加護があったとしか考えられない。彼の愛用する公用車シトロエンDS伝説が生まれたのも、この時期からである。シトロエンの天才技術者アンドレ・ルフェーブルの設計したシトロエンDSは操縦性にきわめて優れ、タイヤを2本打ち抜かれても100km/h以上の高速で姿勢を崩さずに逃げ切ったと言う。 シトロエンDSの解説です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBDS アンドレ・ルフェーブルの解説です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB アルジェリアは1962年に独立したが、ベン・ベラ大統領との間で交わされたフランスの石油利権については、1965年のアルジェリアのクーデターで反故にされてしまった。ドゴール将軍の存命中は誰も言及しなかったものの、フランスが石油権益を失ってしまったことに対する悔しさが教訓となり、今日のフランスは再び西サハラに対する軍事介入にはまり込んでいる。マリは原子力発電の燃料のウランを産することから、重要な地域の一つである。2012年にはクーデターも起きており、政情は不安定である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD マリ軍事クーデター (2012年) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC_(2012%E5%B9%B4) マリ北部のトゥアレグ族が独立を目指しており、これがフランスを刺激したと見られる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B0%E6%97%8F 当方がフランス現代史を研究していて感じることは、フランスは戦争に弱いと言えることだ。彼らには失礼ながら、ナチスドイツに1ヶ月で負け、インドシナでも負け、エジプトにも負けた。そりゃ、最終兵器である原爆を開発したくなるわな。(環境に対する罪が大きすぎ)戦争に弱いのに兵器輸出に熱心なフランス。どうにもなりません。 |