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村上春樹の無自覚な不正学位取得会見が示す病根 日本社会や歴史も嘲る営利作家 平成ヤクザ辞めるも残酷、残るも地獄 上海異変
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/882.html
投稿者 うまき 日時 2018 年 11 月 13 日 08:43:30: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

村上春樹の無自覚な不正学位取得会見が示す病根
早稲田も日本の社会や歴史も嘲る営利作家とはいったい何者か
2018.11.13(火) 伊東 乾
村上春樹氏、オウム13人死刑執行に「『反対です』とは公言できない」
村上春樹氏(2014年11月7日撮影)。(c)AFP PHOTO / JOHN MACDOUGALL 〔AFPBB News〕

 このところ、医大入試について、男女の不均等や多浪生への不平等の実態が報じられ、問題視されています。

 日本社会では、「不正入試」と言うと何かと、やいのやいのと騒ぐ傾向があります。

 では「いったん入学してしまった後の、単位や進級はどうか?」と問われると、およそ「トンネル」に近いラフな現実があるように感じます。

 さて、大学で教えるようになって20年目の秋、目を剥くような、驚くべき報道に接しました。

 あろうことか、大学の公的な「記者会見」として、単位取得や卒業を不正に行っていた事実を、とくとくと、もしかすると半ば自慢げに語る記事を目にしたのです。

 「・・・テストも準備せずに受けて、問いも読まない。答案用紙の裏に、自分の書きたいことをぎっしり書いて出したら、点をくれました」

 「卒論も、参考文献なんか1冊も書かずに、1週間で原稿用紙100枚をでっち上げで書いた・・・」

 こんな問題外な内容を、こともあろうに大学の公的な記者会見で、固有名詞を挙げながら、何かの戦果であるかのごとくに語る内容。

 例えば、米ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学、英ケンブリッジ大学で、自分が取得した単位や卒論が、本来の水準に達していないのに、教員が不正に合格させた事実を大学当局同席の場で公表したら、どういうことになるでしょう?

 不正採点を行った教員は、当然責任を問われ、また取得した不正単位は剥奪、卒業証書は返還し、卒業資格停止が妥当な判断に一点の疑いもありません。

 それ自体があり得ないことですが、さらに問題と思うのは、こうした状況を現在の日本社会、多くのメディア読者が、全く問題と感じていないらしい。

 そこに日本の病根を強く感じます。

 この、卒業資格剥奪ものの酷い内容は、早稲田大学に所蔵資料を寄贈することにしたという、作家の村上春樹氏が述べたものです。

https://www.sankei.com/life/news/181104/lif1811040041-n1.html

 たまたまこれを見て、人間がどのようにして何かの味を占めるか、というメカニズムが理解できるように思われました。

パブロフの犬の作り方:味を占めさせる
 11月16日、私としては人生で最後の、オウム真理教に関係する内容を記した書籍が上梓されます。

 河出書房新社刊「オウムと死刑」(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309248868/)というものです。

 この中で私は、作家の村上春樹氏が7月末に発表した作文の凄まじい人権無感覚、調査を怠ったまま「ノンフィクション」のごとき体裁を取る刊行物で営利する「ノヴェライズド・ノンフィクション」(トルーマン・カポーティ)ならぬ「ノヴェライズド・NOノンフィクション」、すなわち単なる「フィクション」の執筆姿勢について、実証的に具体的な指摘をさせてもらいました。

 データマンまかせの不十分な調査を基に、事実と無関係に思いつきで地下鉄サリン事件やオウム真理教犯罪を巡って我儘勝手な感想文を濫発するのは、明らかに有害無益です。

 さらには関係者に迷惑であるので今後二度とやめてもらいたい、出回っているものは回収されることを望むという趣旨です。ご興味の方はどうぞ書籍をご覧ください。

 ほとんど「虚言症」と言っていいくらいの「フィクション(創造性)」を、ドキュメンタリーであるべき分野で発揮するのは、もしテレビ番組などであれば「捏造」との指弾も避け難いでしょう。

 さらに個人情報の取り扱いも滅茶苦茶な作文が、いったいどういう心理から、書いたり発表できたりするのか、全く理解できません。

 そして、今回の早稲田大学での早稲田不正単位取得・不正卒業開き直り記者会見を目にして、ある納得がいきました。

 パブロフの犬、として躾けられたのだと。

 以下すべて、記者会見で語られた内容のみを引用して、実証してみましょう。出典はリンクの新聞報道(https://www.sankei.com/life/news/181104/lif1811040041-n1.html)です。

 村上氏は次のように語っています。

 「(村上)僕は一応、(早大の)文学部の演劇科を出ていますが、あんまり大学に出ていた記憶がないんです。ストライキとかゴタゴタが続いて、授業があんまりなかったし、出席日数がなくてもレポートを出せば単位をくれた時代でした」

 「僕は学生結婚しちゃって、(在学)途中から仕事(ジャズ喫茶の経営)を始めて、授業に出る余裕もなかった。でも、7年かけて卒業させてくれたんで、早稲田は寛容な学校だったんだな、と思います」 

 学生結婚して仕事を始め、大学に全く行かなく なったのなら、中退すればよいでしょう。そういう人生の選択をしたのだから。

 ところが、そういうことをしない変な甘えと開き直りがここから開陳されていきます。「寛容な学校」として引いている事例を、具体的に検討してると、

 「当時の話ですが、フランス文学に安堂信也さんという、翻訳でも有名な方がいまして、彼のラシーヌ(17世紀の劇作家)の講義を取っていました」

 「授業には出ませんでしたが、出ないと卒業できない。授業に出られない事情を説明したら、「じゃあ、君の店に一度行ってみよう」ということで、(ジャズ喫茶のあった東京の)国分寺に来てくれた」

 「で、店を見て、『君もいろいろ大変だなあ』って、スッと単位をくれた。いい人でしたね。ラシーヌなんて、1行も読んだことなかったけど」

 これは単位の不正取得そのもので、安堂信也教員は、現在であれば何らかの処分を免れません。

 不正に取得した単位で卒業したと称している本人の卒業証書は当然返納、卒業資格は剥奪が妥当な内容でしょう。

 それほど重要なことを、あろうことか学位を詐取した大学でぬけぬけと開き直って喋っている。

 これは、「37年ぶりに」犯行現場に再び現れた犯人の心理なのだろうと理解できました。

 一番いけないのは「ラシーヌの講義」で「ラシーヌなんて、1行も読んだことなかったけど」と悪びれず言っている部分でしょう。 

 「ラシーヌなんて 」

 こんな日本語が、大学文学部の名とともに公式の記者会見で口にされること自体、相当なことだと、世間はしっかり目を見開くべきなのではないでしょうか?

 かなり恥ずかしい事態です。

 「いいんだよ、医学部とかエンジニアだったら違うけど、文学部なんだから・・・」と言う人がいるとすれば、それは文学という学術を侮辱、愚弄するだけのことです。

 後発先進国日本における文学受容、歴史や哲学への軽視ないしは微妙な嘲笑まで、率直に感じることがあります。

 そういう情けない軽佻浮薄の開き直りにすぎないわけで、21世紀のグローバル社会で、現実には、文学も、歴史も、哲学も、本当にトップの大学では厳密に水準を問われる学術にほかなりません。

 米コロンビア大学でも英オックスフォード大学でも、同じことを言ったり開き直ったりすることを考えてみてください。率直に申して、かなり情けない、恥ずかしい話です。

 村上記者会見は、そういう羞恥の観念が全く欠如した、お寒い島国の本音をさらに披瀝し続けます。

 「・・・他のテストも準備せずに受けて、問も読まない。答案用紙の裏に、自分の書きたいことをぎっしり書いて出したら、点をくれました」

 「卒論も、参考文献なんか1冊も書かずに、1週間で原稿用紙100枚をでっち上げで書いたら、(早大で授業を持っていた演劇研究者)印南高一さんがAプラスの評価をくれ、『君はものを書く道に進んだ方がいい』とアドバイスしてくれました」

 「僕は当時『この人、ぼけてるな(笑)』と 思ったけれど、後になって感謝しています」

 ここで、この作家の「コルサコフ作話症的」性向が決定づけられたのだと思います。

 問も読まずに自分が書きたいことをぎっしり書けば、点はつくのだ。

 卒論も、参考文献なんか1冊も記載せず、つまり精密に資料をチェックして跡付けるといった知的作業は行わず、1週間で原稿用紙100枚を<でっち上げで書いたら>プラスAの評価を詐取できた・・・。

 これに味を占めてしまったために、あんなことになってしまったのでしょう。

 さらにここで最低最悪なのは、そのような評価をかすめ取った印南高一(1903-2001)早稲田大学名誉教授・元文学部長(英文学)を、あろうことか「このひと、ボケてるな」と思って舌を出している。

 どうしようもなく低劣な青年の本音が垣間見えているところと思います。

 当時、すでに70歳近かったであろう印南高一氏がどれくらい「ボケて」いたかは、いまや故人ですから全く分かりません。

 しかし、私が尊敬する映画監督の篠田正浩さんをはじめ、若き日の印南教授に厳しい指導を受け、生涯にわたって厳密な知的検証への誠実な姿勢を貫いた文学人が多数いることは存じています。

 そうした全体を冒涜する内容を、そうと意識してか、せずしてか、単位や卒業証書を詐取した現場である大学にやって来て、開き直って喋っている。

 その背景には、一抹程度のやましさと、それをもみ消したい心理、さらには、何も学ばなかったという母校に、自分の「資料」を寄贈するという、夜郎自大の同居を感じます。

 こんなことでは、いつまで経っても日本の大学の特に「文系知」は、世界のつま先にも手が届かない低空飛行にとどまり続けることでしょう。

「私の履歴書」が大学と日本をダメにする
 日本経済新聞の「人気連載」の1つ、「私の履歴書」は、日本を相当ダメにしていると思います。

 明確な理由を指摘することができます。すなわち、少なからざる記事に、学生時代、まともに勉強しなかったとか、ボート部でオールばかり握っていたとか、学業を軽視するような内容が、半ば自慢のごとく記されているように思われるからです。

 こんな風潮は、かつての日本、例えば<金時計>が出ていた明治、大正初期の日本には絶対になかったと思います。

 大学は学の府であり、厳密に学業に精励すべき場所だった。それが最初の変質を遂げたのは1920年の大正の高等学術改革あたりと思います。

 この頃、早稲田も慶應義塾も含めた私立学校が大学として認可されました。つまり今から2年後の2020年は、大学教育自由化から100年という節目に当たる年ということになる。

 私自身、大学時代には非常によく勉強した時期と仕事が回り始めてしまって勉強が後手になった時期、それを反省して、再度精励した時期、という3つの区分がハッキリあります。

 東大に着任して20年、こうした事柄には、きっかりと襟を正すことにしています。

 1960〜70年代、学園紛争で揺れた時期の大学が、まともな高等教育機関としての機能を果たしていなかったのは残念な事実です。

 しかし、それを「昔取った杵柄」のごとく、商売で成功した企業人や大衆作家が自慢しても、負のロールモデルにしかならないでしょう。

 「そうか、学校のテストは問題も読まずに、勝手なことをでっち上げて嘘っぱちを並べた方が、大衆小説家としては成功するのだな・・・」

 といった誤解を抱く若者が、間違いなく複数、すでに発生しているはずです。そして人生を損なう可能性が危惧される。

 それに対して売文業者などは何一つ責任を取るわけがない。有害無益と断じるゆえんです。

 「あの頃は寛容だった」「おおらかで、良い時代だった」といった寝言も願い下げです。

 旧制高校・大学だって、新制になった直後だって、学業をいい加減にもっぱらスポーツにかまける、あるいは遊んでいて、文学とか経済学、法学部などの卒業証書を手にするといったことが<寛容に>認められていたわけではありません。

 私の父は1944年、19歳で帝国大学経済学部に入学しましたが、9月に召集され、学徒出陣で関東軍に配属されました。

 激しい戦闘があったのは終戦直前から、むしろ8月15日以降で、夏とはいえ荒地のシベリアで、ソ連の最新兵器の戦車に追われ、素手で穴を掘って抵抗しますが、ほどなく捕まり、強制収容所に入れられました。

 木こりの重労働で20代前半を空費したのですが、復員後、時差なく復学した大学で、いくら勉強しても、戦地に出征しなかった年下の上級生たちに追いつかない。

 その絶望と焦燥の中で、抑留時代に罹患した結核菌が背骨に入り、脊椎カリエス、つまり骨の虫歯となって30歳まで寝たきり、勉強などろくにできないまま社会復帰、40歳で結婚、46歳で亡くなりました。

 父の最終学歴は「旧制東京府立高等学校卒業」です。今とはかなり違う状況ですが「高卒」。学徒出陣と長い療養生活で東京大学経済学部は中退。

 30歳を過ぎて社会復帰して仕事を始めねばならず、学窓を去り、私を設けてくれましたが、今回この記者会見を見て、父の選択をむしろ誇らしく思うようになりました。

 私が12年前の「日経ビジネスオンライン」連載以来、一貫して経済コラムを記しながら、地味な手仕事でマクロやファイナンスの第2専攻を自分の研究室で続けてきたのは、すべて父の無念のあだ討ちという個人的な動機があります。

 前回、また次回も私たちの「Fintech 協創圏」の話題を記しますが、伊達や酔狂で取り組んできたわけではない。

 その背景には真摯に学問と向き合おうとしながら、戦争、抑留、疾病、そして健康を回復した後は生活するために働かねばならず、学成らなかった人の無念、いや莫大な怨念があるのを認識しています。

 それに愧じることはできないという、学術のモラルがあるからにほかなりません。

 父は昭和19年の4月に入学、同じ年の10月の学徒出陣で、第1年次を修了できなかった。これが「旧制高校卒」で終わった決定的な制度上の理由になりました。

 もし、1年目を終えていれば、その後、「繰り上げ卒業」がいろいろ可能であったことを昨年から今年になって、当時学生で実際に同じ経済学部から学徒出陣した方から伺いました。

 どんなに父が無念のまま、絶望と焦燥の中、木の板に背中を固定されて、無為の20代を過ごしたか、改めて気の通くなる思いを持ちました。今年の梅雨頃に知った事柄です。

 ですから「あの頃は良かった」式に、安易な単位発給や、ろくろく学業もせずに卒業したうんぬんをとくとくと語る類は、言語道断と思わざるを得ません。

 後進に取り返しのつかない勘違いを与えぬよう、一切の残滓を払拭する必要があるように、静かに確信する次第です。

 後々経営者として成功しようが、売文業で営利しようが、大学1年の内容、いや、中学や高校で習う内容も含め、素っ飛ばしていい加減にした分については、いい加減なまま、あるいはさらに劣化しているはずです。

 含羞をもって黙って奮励努力するのが、知的誠実というものであるはずです。

 おかしなロールモデルのふりまき商法はいい加減どうにかしないと、日本の高等教育機関にも、さらには日本全体の未来にも、間違いなく暗い影が差すことになってしまうでしょう。 

 中年を過ぎても、中学1年の英単語の綴りが怪しければ、さっと辞書を引く。そういう習慣が、まともな知の水準をキープしているのが、本当の現実なのですから。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54648


 

辞めるも残酷、残るも地獄──平成ヤクザの現在(いま)
現代ヤクザに明日はあるのか
2018.11.13(火) 廣末 登

 昭和から平成初期にかけての時代、われわれにとって「ヤクザ」は日常の中にある存在だった。ところが2010年代に全国各地で暴排条例が施行され始めると、一転して彼らは「付き合ってはならない存在」となった。では一般市民の日常から見えにくくなったヤクザたちは、どのような世界に追い込まれ、その世界をどう生き抜いているのか。ヤクザの世界を取材し続ける社会学者・廣末登氏が、知られざる世界をレポートする。(JBpress)

時代の推移と観の変容
 平成の世がカウントダウンに入った。昭和に青春を生きた者としては、現在でも隔世の感を禁じ得ないが、そんなわれわれを置き去りにしつつ、歳月は流れ、世間は変わっていく。

 時代の推移と共に、大きく変容するものが「観」である。同じ状況や現象でも、観が変われば、その価値や社会的な受け止め方は全く異なるものとなる。換言すると、観の変容とは、その時代を生きる人々の眼差しの変化、社会が抱く対象イメージの変容といえるのではないか。

 例えば、昭和の時代、不登校児童は登校拒否として問題児扱いにされていた。そして、不登校の原因は子ども自身、あるいは、子どもを登校させない親の責任として、学校や世間の父兄は非難したものである。しかし、現在はどうか。「不登校」の子どもの問題は学校や教員に帰責され、不登校を容認する社会的な観が醸成された。

 子どもの非行も「やんちゃ者」から「若い犯罪者」という観が芽生えつつある。少年法は厳罰化に傾斜している。2022年4月から18歳成年となり、約140年ぶりに成年の定義が見直される。この変化は、もしかすると、非行少年観の変容に拍車をかけるかもしれない。これまで成人犯罪者と異なる教育的処遇の対象とされてきた少年が、成人同様の処遇を受けるのではないかと危惧するところである。

 大人観も随分と変わった。昔の大人、少なくとも筆者の大人観は、夜遅くまで仕事をしつつも、タバコと酒を存分に嗜み、三つ揃いのスーツやトレンチコートが似合う仕事人間であった。男気という点においても、懐が少しくらい寂しくても、若手には酒を飲ませて恰好をつけることを美学とした。しかし、昨今、部下を強引に酒席に誘うとパワハラ・ランプが点滅するし、タバコを嗜む男子は不健康のシンボルであり、平成生まれの女性にモテないそうである。まこと、ここ十数年における観の変容、眼差しの変化には、驚きを禁じ得ない。

ヤクザから反社会的勢力という観の変容
 近年における観の変容で、もっとも窮地に陥っているのは、ヤクザではないだろうか。

 昭和から平成の初期は、市井のサラリーマンでも、居酒屋の一角でヤクザ話に花を咲かせたものである。そして、どこそこ組の幹部と一献盃を傾けたとか、ゴルフをプレーしたことが、ちょっとした自慢になったものである。洋服屋にヤクザの顧客はつきもので、若い者が出所したら、(刑務所内の健康的な食生活で)体型が変わっているため、親分が馴染みのテーラーを事務所に呼んで、「放免スーツ」を作ってくれていた。


 祭りともなると、ヤクザは血が騒ぐようで、もろ肌脱ぎで桴も折れよと太鼓を叩いたものである。しかし、それらははるか遠い時代の牧歌的な記憶となり果てた。

 現在、当局から「密接交際者」などと疑われたら、自営業者にとっては死活問題である。ヤクザと一緒に公然と会食したり、ゴルフプレーをしようものなら、密接交際者として自治体のホームページに実名と社名が掲示される可能性がある。そうなると、公共工事の入札は出来ないし、銀行融資も受けられなくなる。実際、こうした事例は福岡県で発生しており、密接交際者とされた企業で倒産したところもある。

 当然、祭りにヤクザが公然と参加することはできなくなり、筆者の感覚では、祭りの殷賑が薄れてきたように思う。

 例えば、筆者の地元である博多。そこには九州一の歓楽街・中洲がある。中洲では例年10月末に「中洲まつり」があるが、ここでも数年前からテキヤが参加できなくなったことで賑わいが半減した。素人が「飲食ワゴン」なるもので祭りを盛り上げようとしても、プロであるテキヤには及ばない。

 そもそも神農を崇めるテキヤはヤクザではない。たしかに、テキヤの親分はヤクザと盃をするが、若中頭をはじめ配下の若い者はカタギである。当局の論理では、「組織のトップである親分が、ヤクザと盃を交わしていたら、そりゃもう『密接交際者』だから排除せよ」という論理かもしれない。しかし、それは日本の慣習であり、江戸時代の寺社奉行管轄の庭場から、バイ(商売)を行ってきた長い歴史を背景とした陋習である。あまり厳格に取り締まるのは如何なものかと思う。

 日本人の原風景である四季折々の祭を演出してきた主役は、テキヤであった。テキヤについては、筆者も一宿一飯の義理があり、後日、稿を改めて、テキヤ文化の一部を紹介したいと思う。

 いずれにしても、昭和から平成後期にかけて、日本社会の「ヤクザ観」は大きく変わり、反社会的勢力として、排除の対象となった。先述したように、テキヤですらその影響を被っているのである。ちなみに、本稿ではヤクザという表現を用いているが、マスコミでは基本的に「暴力団」と表現しないと記事にはしてくれないご時世である。なぜ、そうなってしまったのか。それは、日本社会が、暴排条例というターニング・ポイントを経験したからであろう。

暴排条例という社会的排除
 2010年に福岡県が全国に先駆けて暴力団排除条例(以下、暴排条例)を制定し、2011年、東京都と沖縄県が施行したことで、全都道府県で暴排条例が施行された。この年は、島田紳助の暴力団関係記事が紙面を賑わせたことで、暴力団に注目が集まった年でもあった。

 この暴排条例が、日本社会のヤクザ観を大きく変えたと考える。なぜなら、暴排条例は、暴力団を取り締まるだけではなく、彼らと関係するカタギの市民をも取り締まりの視野に入れたからである。

 この暴排条例とは何なのか、当初はそこまで深刻に受け止められていなかった。しかし、その条例が対岸の火事ではないことが、徐々に認識されていった。なぜなら、この条例には、目的の部分に「都及び都民等の責務を明らかにする(東京都の場合)」とあり、条例が想定するのは、「都及び都民」であり、暴力団や組員に限定していないからである。

ヤクザが締め出された新宿・歌舞伎町では半グレや外国人犯罪集団が幅を利かせるようになったという
 さらに、基本理念においては「暴力団と交際しないこと、暴力団を恐れないこと、暴力団に資金を提供しないこと……都、特別区及び市町村並びに都民等の連携及び協力により推進する」云々と明記されている。そこでは、住民や企業に対して、自己責任で暴力団との関係遮断、対決をするように求めているため、暴力団のシノギである「ミカジメ」「高額な商品リ−ス」「債権回収」等からの収入源は寸断されることとなった。

 経済界からの暴排は、銀行の「金融暴排」に代表される。これには、2007年、暴排条例制定以前に公表された政府指針「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」が寄与した。以降、全国で暴排条例が施行されてからは、口座開設を始めとする諸契約には、反社会的勢力に属していないかどうかのチエック項目「暴排条項」が散見されるようになり、現在では、暴力団など反社会的勢力との関係を確認する企業コンプライアンスは常識となっている。

 企業努力として、社会的責任を果たすために、商行為などを通じて暴力団への利益供与を拒否し、関係を遮断する必要性から当然であろう。結果、暴力団関係者は、銀行口座から不動産の賃貸契約まで、ありとあらゆる商取引から排除された。

 しかし、ここに大きな問題が生じた。暴力団やフロント企業という密接交際者や周辺者以外にも、暴力団を離脱した者(その家族)までもが、社会的、経済的な不利益を被る事態が出来したのである。

生活口座を奪う、元暴5年条項
 このような事態は、暴排条例に明記された「元暴5年条項」の弊害によるものである。つまり、条例によって、暴力団を離脱しても、おおむね5年間は暴力団員関係者とみなされ、自分の名義で家を借りることも、口座を開設することもできない。

 全国銀行協会は、2009年9月、マネーロンダリング対策の一環として、加盟行187社に対して、預金口座開設を拒否するように通知した。2018年1月からは、警察庁の暴力団データベース(約1万8000名が登録)による照会が開始され、より厳格な取り組みが開始されている。

 金融機関の立場からしては、暴力団離脱者が、実際に離脱しているか否かの判断が容易ではないという事情がある。しかし、離脱者が日常的に利用する「生活口座」が持てなければ、就職活動や自営業を営むことが難しく、憲法で保障された健康で文化的な生活を享受できない。そうであれば、警察庁、法務省が暴力追放運動推進センターとの連携をはかって実施している「暴力団離脱の働きかけ」を阻害する可能性がある。この働きかけは、2016年に施行された「再犯の防止等の推進に関する法律」に基づいて、翌年に策定された「再犯防止推進計画」が根拠となっている。

 金融暴排による口座開設問題につき、裁判所は以下のように判示している。
暴排条項は目的の正当性が認められ、目的達成のために反社会的勢力に属する預金契約者に対し解約を求めることにも合理性が認められるから、憲法14条1項、22条1項の趣旨や公序良俗に反するものではなく有効であり、暴排条項の適用によって被る暴力団員の不利益は自らの意思で暴力団を脱退さえすれば回避できるものであると(福岡地判決平28.3.4、福岡高判平28.10.4)。

 しかしながら、暴力団を離脱しても、生活口座が開設できないという現状は、裁判所の見解に疑義が差し挟まれかねないという問題が生じている(荒井隆男「金融暴排実務の到達点――政府指針公表後10年を経過して」金融法務事情2100号)。

『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。―― 極道歴30年中本サンのカタギ修行奮闘記 』(廣末登著・新潮社)
 筆者は、2015年以降、暴力団を離脱した当事者、その家族による怨嗟の声のリアルに耳を傾けてきた。彼らとその家族は、日本国民でありながら、様々な社会権が制約されている。家族を養うには仕事が必要であるが、10〜17年度に暴追センターなどの支援で離脱した4810人うち、就労率は約2.6%と低調である。

 組織に属していたら会費は納めなくてはならないがシノギはない。組織を辞めても社会に受け入れられず仕事がない現在、一部の離脱者は、裏社会の掟すら逸脱したアウトローに身を落とし、危険なシノギによって糊口をしのいでいる。彼らの牙は、未成年者や高齢者という社会的弱者に向けられるようになった。

 全国で施行された暴排条例というターニング・ポイント。そして、自治体から暴排主体としての役割を担わされた住民の困惑と「ヤクザ観」の変容、暴力団のアングラ化。時代は変化し続けている。辞めるも残酷、残るも地獄――そのような現代ヤクザに明日はあるのか。筆者は、自ら明日を手探りで手に入れようとする二人の暴力団離脱者を精緻に取材した。次回以降、社会的排除の中で、必死に生きようともがく彼らの挑戦を紹介したい。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54645


 


上海で異変、日本人がどんどん逃げ出している!
社会の急変に危機感? 先を争うように脱出する日本人居住者たち
2018.11.13(火) 姫田 小夏
上海の日本人居住者はなぜ減っているのか?
「上海の日本人居住者がどんどん減っています」――上海で日本人向けに食材を販売する経営者が明かす。

 食材店だけではない。上海では、病院や日本語学校などでも、日本人の利用者は減少傾向にある。

 これは、数字をみても明らかだ。外務省の海外在留邦人数調査統計によれば、上海の在留邦人は2007年にニューヨーク、ロサンゼルスを抜いて1位(4万7731人)となり増加の一途をたどったが、その後、2012(平成24)年の5万7458人をピークに減少に転じる。人件費高騰による工場の撤退などの要因で、多くの駐在員とその家族が帰国の途についたのだ。そして2017年は4万3455人にまで減少した。都市別ランキングでは4位だった。

 上海には、独資で会社を設立した中小企業の経営者や、日本企業の現地法人などで働く日本人が数多くいる。2000年代前半、上海に乗り込んだ日本人が異口同音にコメントしていたのは、「中国には市場があり、上海には日本にはない闊達さがある」というものだった。上海ビジネスにどっぷり漬かる人たちも多く、「上海マイコツ(埋骨)会」と称した集まりもできた。

 だが今、滞在歴が10年、20年を超える“ベテラン”駐留者たちですら、先を争うように帰国しようとしているのだ。

 帰国を急ぐ理由はさまざまだ。年齢や家庭の事情などもあるだろうが、特に外国人が居留証を申請しにくくなったことは大きい。

 だが、筆者はもっと大きな原因があるのではないかとみている。それは、上海に住む日本人が上海に「明るい未来」を見出せなくなったことだ。

 かつては多くの日本人が上海に希望を見出してきた。政治体制こそ違うが、地方経済の縮小や少子高齢化が進む日本の行く末を思えば、いっそ中国の先進都市に身を投じた方が、日本を上回る安定した生活を送ることができる。むしろ、これから勝ち組になりたければ「中国を選択」することだ──そう確信して中国に渡る人が少なくなかった。

 だが、上海に明るい未来があると信じる日本人はもはや少数派だ。

1年半ぶりに訪れた上海の変化に唖然
 実際に上海を引き払い、日本に帰国した遠藤真紀さん(仮名)のケースを紹介しよう。

上海の日系企業に現地採用されて活躍していた遠藤さんは、昨年(2017年)、20年ぶりに日本に帰国した。持ち前の明るい性格で現地の中国人と交流し、その生活は充実していた。「あなたこそ中国と心中する」といわれていた遠藤さんだっただけに、突如の帰国の知らせに誰もが耳を疑ったものだった。

 遠藤さんは日本への帰国後、上海を懐かしみ、この秋、1年半ぶりに訪れてみた。筆者は遠藤さんが長年住み慣れた街をさぞかし懐かしんで楽しんでいるのではないかと想像したのだが、筆者に届いたのは次のようなメッセージだった。

「上海で私が通っていた馴染みの飲食店はすっかりなくなって、チェーン店ばかりになっていました。ひっそりと経営していた“地元の味”は跡形もありません。街はきれいになりましたが、共産党の“中国夢”のスローガンで覆いつくされています」

「なんでもスマホで済ませられる生活は確かに便利です。けれども、自分の消費データはすべて企業に吸い上げられ、それが今後、個人の格付けに使われるといわれています。中国では13億人を格付けする信用社会システムが始まろうとしています。赤信号を横断すると減点、駐車違反でも減点です。点数が低いと航空券が買えなくなったり、子どもの進学先が制限されるなど、さまざまな制限を受けることになりそうです・・・」

「国には力がある、民族には希望がある」。上海の街は政治的スローガンで覆われている。
「社会信用システム」とは、政府が社会統治を強化する手段として、一般市民を点数で評価する仕組みだ。スコアが高い“エリート”は、飛行場のVIPラウンジでくつろげたり飛行機に優先的に搭乗できるなど、さまざまな優先権を獲得できる。一方、点数が低いと、移動の自由が妨げられたり、買い物の自由も妨げられるなど、多くの制限を受けることになる。

 遠藤さんが20年もの長い歳月を上海で過ごしたのは、何よりも上海という街を気に入っていたからだ。しかし、久しぶりに上海を訪れた遠藤さんは、「やはり脱出してよかった。ギリギリセーフだった」と語り、安堵の表情を見せる。帰国を選択した彼女の「第六感」は正しかったのだ。

日に日に強まる息苦しさ
 そんな遠藤さんの報告を聞いて、筆者も上海の街を歩いてみた。

 久しぶりに訪れた上海の街は整然とし、市民のマナーが向上し、着ている服もおしゃれになっていた。スマホさえ持てばどこまでも利便性を追求できるシステムは、完全に日本を凌駕している。この1年で上海はまた大きく変貌していた。

 しかし、その変貌の先にあるのは一体何だろう。少なくとも遠藤さんは「明るい未来」を感じ取ってはいない。

 筆者は上海で何人かの日本人と話をしたが、その中の1人も「上海は、お金を稼ぐためだけの街だ。それ以外には何も楽しみがない」と言っていた。

 最近、帰国する日本人が目立ってきたのは、長年の変化を知る長期滞在者からすれば、急変する中国社会に危機感を持ってのことではないだろうか。便利さの代償としてあらゆる個人データを吸い上げられ、お金を儲けることと引き換えに「自由」を奪われていく――少なくとも上海はそんな街に方向づけられてしまっている。

 建国以来、徹底的な管理体制のもとに置かれ、それに慣れきってしまった中国の人々は、「自由」や「民主主義」に対する感度が鈍い。しかし、上海の在住歴が長い日本人たちは“炭鉱のカナリヤ”のように、日に日に強まる息苦しさを敏感に嗅ぎ取っているのではないだろうか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54631  

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