http://www.asyura2.com/12/social9/msg/775.html
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【第9回】 2017年3月17日 中室牧子、津川友介
恐怖で子どもをしつけても意味がない
学校などで人が交通事故にあった映像を見せられ、「道路を飛び出してはいけない」と教えられた人は多いのではないだろうか。子どもが交通事故にあわないように、事故がいかに怖いものなのか説明する親もいるかもしれない。このような教育法を「スケアード・ストレート」と呼ぶ。しかし、『「原因と結果」の経済学』の著者、中室牧子氏と津川友介氏によれば、この教育法は意味がないどころか、逆効果を生む可能性すらあるという。詳細を聞いた。
子どもを怖がらせることは
躾として効果があるか
アメリカには「スケアード・ストレート」という教育法がある。子どもに「恐ろしい」(スケアード)と感じさせることで、正しい行動(ストレート)をとることの必要性を学ばせるものだ。交通事故の現場を再現して交通ルールの重要性を学ばせたり、非行少年に刑務所を見学させて更生を促したりすることが「スケアード・ストレート」の例である。
日本でも「早く寝ないとお化けが出るよ!」と言って子どもを寝かしつける親がいるから、「スケアード・ストレート」はアメリカに限った教育法ではないのだろう。
しかし、アメリカでこの「スケアード・ストレート」なる教育法が特に有名なのには理由がある。この教育法を体験したある若者グループが犯罪に関わらなくなったということが1970年代にテレビ番組で報道されたのだ。
それ以来、多くの人が「スケアード・ストレート」には若者の犯罪を抑止する効果があると認識してしまった。
これは、「スケアード・ストレート」を受けた前後で単純に比較している(「前後比較デザイン」と呼ぶ)。しかし、この方法では、「スケアード・ストレート」と「犯罪に関わる確率」の関係が因果関係なのか相関関係にすぎないかを明らかにすることはできない。
因果関係……2つのことがらのうち、片方が原因となって、もう片方が結果として生じる関係のこと。「スケアード・ストレート」と「犯罪に関わる確率」の関係が因果関係の場合、「スケアード・ストレート」による指導を受けた子どもは犯罪に関わりにくくなくなる。
相関関係……一見すると片方につられてもう片方も変化しているように見えるものの、原因と結果の関係にない関係のこと。「スケアード・ストレート」と「犯罪に関わる確率」の関係が相関関係にすぎない場合、「スケアード・ストレート」による指導受けても、それによって子どもが犯罪に関わる確率が変わることはない。
単純な前後比較では
因果関係を評価することはできない
なぜ、前後比較デザインを使うことができないのだろうか。理由は2つある。1つ目は、時間とともに起こる自然な経時変化(トレンド)の影響を考慮することができないからだ。
1970年代のテレビ番組の例で言うと、単にその若者グループが大人になったので、今までやっていたような非行行為がバカらしくなり、単に「大人になった」ため、犯罪に関わらなくなっただけかもしれない。
そのため、「スケアード・ストレート」を受けたかどうかにかかわらず生じていた「トレンド」を、あたかも「スケアード・ストレート」の効果と勘違いしてしまうリスクがある。
2つ目は「平均への回帰」の可能性である。これは、データ収集を繰り返していると、たまたま極端な値をとったあとは、徐々にいつもの水準に近づいていく、という統計的な現象のことだ。
テレビ番組のために集められたのが特に非行が激しい若者だったとすれば、「平均への回帰」の影響で、犯罪に関わる確率が次第に同世代の若者の平均に近づくかもしれない。
因果関係があるかどうかを
調べる最良の方法「ランダム化比較試験」
研究者らが「ランダム化比較試験」(第3回を参照)という方法を使い、「スケアード・ストレート」と「犯罪に関わる確率」の関係が因果関係か相関関係のどちらなのかを明らかにしようとした。
この方法では、研究の対象者となる若者を、「スケアード・ストレート」を受講するグループ(「介入群」と呼ぶ)と、受講しないグループ(「対照群」と呼ぶ)にランダムに割り付ける。
ランダムに割り付けることによって、若者や親は「スケアード・ストレート」を受けるかどうかを自分の意思で選択できなくなる。その結果、「犯罪に関わる確率」に影響を与えそうなほかの要素が似たもの同士になり、両者は「比較可能」になるのである。
この状態で、将来の犯罪への関与の差を取れば、「スケアード・ストレート」と「犯罪に関わる確率」が因果関係なのか相関関係なのかを明らかにすることができるというわけである。
「スケアード・ストレート」を
受けた若者は犯罪に関わる確率が高かった
ランダム化比較試験の結果、おどろくべきことに「スケアード・ストレート」を受けた若者は、その後の人生で犯罪に関わる確率が高かったことが示唆されたのだ。
このプログラムは一見効果があるように見えるが、決して若者を更生させる力をもたないばかりか、かえって彼らを犯罪者にする確率を高めているということになる。
安易に前後比較デザインを用いて政策を評価することは「スケアード・ストレート」のように期待した結果が得られないどころか、むしろ社会的な害悪となる可能性がある政策を高く評価してしまうということになりかねない。
日本でも「ゆとり教育」のように、いきなり全国展開した後に、流行が廃れるように終了し、その後は前後比較デザインに基づく評価しかなされていないという政策が山のようにある。
因果関係を検証することなしに、一見すると効果があるように見える政策を実施することは、何よりもその政策によって影響を受ける子どもや親に大きなリスクを負わせているのだということを忘れてはなるまい。
参考文献
P etrosino, A., Turpin-Petrosino, C. and Buehler, J. (2003) Scared Straight and Other Juvenile Awareness Programs for Preventing Juvenile Delinquency: A Systematic Review of the Randomized Experimental Evidence, Annals of the American Academy of Political and Social Science, 589, 41-62.
Farrington, D. P. and Welsh, B. C. (2005) Randomized Experiments in Criminology: What Have We Learned in the Last Two Decades?. Journal of Experimental Criminology, 1 (1), 9-38.
http://diamond.jp/articles/-/121520
【第82回】 2017年3月17日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
「生活保護なめんな」ジャンパー事件の深層、行政の現場は何を怖れていたのか
ジャンパー事件を「そんなものだ」で
済ませなかった小田原市
2017年3月14日に開催された、小田原市「生活保護行政のあり方検討会」第3回会合には、有識者5名・小田原市職員6名が参加。市民39名が傍聴する中で開催された Photo by Yoshiko Miwa
今年1月、小田原市の生活保護ケースワーカーが「チーム保護」「保護なめんな」とプリントした揃いのジャンパーを作り、10年間にわたって市庁舎内・市庁舎外で業務に就いていたことが報道され、大きな話題となった。ジャンパー着用のまま行っていた庁外業務の中には、生活保護で暮らす世帯への訪問調査も含まれていた。このことは、結果として近隣に「生活保護バレ」するリスクを含んでいる。「援助する仕事」という意識で制度運用を行っている福祉事務所では、生活保護ケースワーカーであることが分かる「見た目」どころか、役所の人間であることが分かる言動も避けるように指導するものだからだ。
正直なところ、この報道に接した私は「ああ、またか」と思った、生活保護で暮らしている人々が、ケースワーカーに「努力不足」「自己責任」「何か悪いことをしているのでは」という視線や態度や言葉を浴びせられた話自体は、少しも珍しくないからだ。そういったことが皆無に近い地域も若干はあるが、「また○○市か」という地域も多い。「なめんな」と書いたジャンパーを着ていなくても、態度や言葉で言ったり示したりしていれば、同じことではないか。
しかし1月中には、生活保護問題対策全国会議をはじめとする団体の申し入れが行われた。また、報道が鎮静する気配はなく、次から次へと「ジャンパーだけではなく夏服も」「グッズも」といった新事実が報道された。小田原市は事態を軽視せず、「生活保護行政のあり方検討会(以下、検討会)」の開催を決定した。全4回が予定されている検討会は、先月、2月28日に第1回、3月4日に第2回、3月14日に第3回が開催され、3月25日に予定されている第4回で一応の終了となる。
スピード開催、当事者を有識者として起用
異例づくしの検討会
報道の翌月からの検討会開催、年度内に取りまとめると推察されるスケジュール。「役所」の対応としては、特筆すべきスピード感ではないだろうか。
開会挨拶する井手英策氏(慶應義塾大学教授・財政社会学) 有識者の一人・櫛部武俊氏(一般社団法人釧路社会的企業創造協議会 副代表)は、長年にわたってケースワーカーとして生活保護業務に携わった後、現在は広く生活困窮者支援に関わっている。温和な櫛部氏は、検討会の開会を前に、厳しい表情を見せていた Photo by Y.M.
また検討会冒頭で、小田原市長・加藤憲一氏は、
「このたびの件を、小田原市全体が、『いのちを大切にする小田原』であるということをしっかりと外部に発信し、私たちの胸にも刻みつけていく、強力なモメンタムにしていかなければなりません」
と挨拶した。真摯さと意欲に加え、「一部職員が問題あるユニホームを作っていた」という問題に限られる話でもなく、生活保護業務に限定した話でもなく、市政の根幹、市民の生存と生活に関わる問題であることが、市長に認識されている。「市長は」「小田原市は」重く受け止めたと考えてよいであろう。
さらに特筆すべきは、「有識者」5名が、大学教員2名(座長の井手栄策氏および猪飼周平氏)、ケースワーカー経験者2名(団体職員・櫛部武俊氏、弁護士・森川清氏)に加え、元生活保護利用者1名という構成になっていることだ。生活保護に関する検討会や審議会に、「元」といえども生活保護で暮らした経験を持つ人が、委員あるいは有識者として参加したのは、この小田原市の検討会が初めてではないだろうか。
なお、その有識者として参加しているのは、本連載に過去2回登場していただいた、和久井みちる氏だ。和久井氏は現在、自身の経験も活かしながら、支援の現場で働いている。
団結心とモチベーションでジャンパー作成
発端となった市役所内での傷害事件とは?
問題の発端となった「保護なめんな」ジャンパーは、2007年に作られた。多数の報道で既に明らかにされている通り、このジャンパーが作られたきっかけは、生活保護打ち切りとなった男性が福祉事務所内で刃物を振り回して傷害事件を起こしたことだった。
検討会の第1回・第2回においては、この事件そのもの・ジャンパーが作られて10年間着用されたことそのものについても検討が行われた。
検討会終了後、生活保護の窓口(生活支援課)に近づいてみた。市庁舎内の掲示を見ると、この方向なのだが、「生活保護」という語句はない Photo by Y.M.
検討によれば、生活保護担当部署(名称は時期によりさまざま)は、小田原市役所内で孤立する傾向にあった。このため、困難に際して他部署の協力を得るという発想が湧きづらかった。また、「大変な業務」と認識されており、男性職員ばかりの状況が長く続いていた。生活保護ケースワーカーたちは、士気を高めるために「保護なめんな」ジャンパーを作成したという。
発端となった事件は、2007年7月5日に起こった。加害者となったのは、当時61歳の男性である。男性は、前月までは小田原市内のアパートに住み、生活保護で暮らしていた。しかし7月の始め、保護費が振り込まれていないことに気づき、市役所を訪れた。自分の生活保護が打ち切りになっていると知った男性は興奮し、杖でケースワーカーの頭部を殴打しようとした。別の職員4、5人が取り押さえようしたものの、男性は、カッターナイフで別の職員の脇腹を切りつけ、刃物を取り上げようとした職員の手を負傷させた後、110番通報により現行犯逮捕された。
事件の原因となったのは、事件の前月である2007年6月15日、男性が住んでいたアパートの契約を、家主の意向により更新できなかったことだった。担当ケースワーカーらは、無料低額宿泊所を含め、新しい住居を確保できるように助言はしており、男性も無料低額宿泊所へ入居する意向であったという。しかし結局、男性は転居せずに行方不明となり、アパートは契約更新されないままとなった。小田原市内での定住所が失われたため、小田原市は生活保護を打ち切りとした。
生活支援課の方向を示す掲示の一つには、「生活保護に関するもの」と書かれていた。紙が古びていないところを見ると、最近のものらしい Photo by Y.M.
その後、男性は路上生活をしていたが、7月はじめ、保護費が振り込まれていないことに気づいて小田原市役所を訪れ、傷害事件に至った。
このいきさつには、数多くの「ツッコミどころ」がある。また、家主が契約更新をしない意向でも、借家人の権利は手厚く保護されているものだ。通常、「契約更新されなかった=住居喪失」とはならない。「定住所がなくなり、本人の行方は不明」を理由として、即、保護打ち切りとするのも、乱暴すぎる。せいぜい「本人の所在も状況も確認できないから一時停止」であろう。
傷害事件の日、小田原市は生活保護を既に打ち切った後ではあったが、それでも、訪れた男性に対し、その場で申請を受け付け、無料低額宿泊所等で即時保護とすることは可能だった。このような対応が行なわれていれば、男性は犯罪者にならずに済んだかもしれない。
ともあれ、不幸な傷害事件の結果、小田原市の生活保護ケースワーカーたちは、恐怖心を募らせることになった。そして、士気を高めるため、「保護なめんな」ジャンパーを作ったのである。
小田原市の生活保護ケースワーカーは
いったい何を怖れていたのか?
生活保護の相談窓口は、壁とキャビネットの間、大人が2人並んで通ることは難しそうな通路の奥にある。ある市民は「あそこで何を言われてても、誰も気づかないよね?」と私に耳打ちした Photo by Y.M.
検討会では、限られた時間の中で、数多くの問題点に関して白熱した議論が交わされている。問題点は、「なぜ小田原市の生活保護母子世帯は、こんなに少ないのか」「住民に向けた生活保護制度の説明が、必要でも申請しないという選択へと誘導するものではないのか」「無料低額宿泊所を利用する場合の滞在期間が長過ぎる(平均3年3ヵ月)」「不正受給の判定は妥当に行なわれていない可能性が」など数多い。また、生活困窮者自立支援事業など、生活保護に限定せず、困っている人を援助する法や制度にも視野を広げた議論となっている。
限られた時間で議論を尽くすには、小田原市役所側の協力も必要だ。私の目には、小田原市はできるだけの対応はしているように見えた。しかし、現場のケースワーカーや査察指導員、「保護なめんな」ジャンパー問題の当事者らが検討会に参加していないため、即答できないことも多かった。
検討会に参加した有識者5名の発言内容はそれぞれ、生命に関わる最後のセーフティネットである生活保護の意義を踏まえた、重みあるものだった。
どの箇所も印象深かったのだが、和久井みちる氏の発言から、特に印象深かった部分を紹介したい(発言は筆者のメモによる)。
「生活保護にたどり着く人は、そもそもどういう人なのかという理解がないまま、実施に入っているような印象を受けます。どういう人がいて、何が必要なのか、理解が欠けているのではないかと思います」
「(女性職員が長年いなかったことについて)『生活保護ケースワーカーの仕事は怖いし大変だ』という意識が職員の中にあることを、『仕方ない』としてきたのでしょうか?
本連載の著者・みわよしこさんの書籍「生活保護リアル」(日本評論社)が好評発売中
東京あたりだと、男女比が50:50は、当たり前です。4つの係があれば2つの係の係長は女性だったりします。また、相談課長が女性ということも、珍しくありません。女性だから何ができないというのでしょうか。何を怖れているのでしょうか。
生活保護の人が、全員ナイフ振り回すわけじゃありません。困っていて、助けを求めにきているんです。何を職務だと思っているのでしょうか。
どういう方が来ていて、何をすることが役割なのかを考えれば、自ずと適正な(男女)比率ができてきます。
ご自分たちが何を怖れていて、どうなったら男女半数くらいの比率になって、市民が安心して相談できる環境になるのかから、考えていただきたいです」
なお、より詳細に知りたい方は、ぜひ、小田原市が公開している資料(小田原市:生活保護行政のあり方検討会の開催)にも、目を通してみていただきたい。
(フリーランス・ライター みわよしこ)
http://diamond.jp/articles/-/121596
ダイヤモンド・オンライン
2017年3月17日 藤井弘美
「社内不倫」がバレたら!?火遊びの悲惨な代償実例集(上)
昨年から引き続き途切れることのない不倫報道。「社内不倫」という言葉には、甘美な響きと、それ相応のリスクを思い起こさせるものがある。会社に関係しない不倫であれば「離婚」や「慰謝料」などがそのリスクとなるが、会社に関係した不倫はここに「異動」や「社内での孤立」といったさらなるリスクが追加される。社内不倫がバレた場合、どのような措置が待っているのだろうか?経験者数名に、事の顛末を聞いた。(取材・文/藤井弘美)
誰にでも起こりうる
社内不倫の誘惑
怒涛の“不倫”報道が続いた2016年に引き続き、今年も芸能人の不倫が報道されている。ひとたび不倫報道が起こると巻き起こるのがバッシング。昨今は特に、擁護する人はほぼ見られない。擁護すれば「もしかしてこの人も」と疑われること必至だから、致し方ないところだろう。
しかし実際のところ、家族や友人、同僚など知り合いに1人も「不倫経験者」がいない、という人はなかなかいないのではないだろうか。以前の記事『「家族の不倫」に巻き込まれた人の苦悶煩悶エピソード集』の最後でアンケートを取ったところ、知り合いに不倫経験者がいると答えた人は半数を超えた。
不倫は、少なくとも現代日本においては道徳的観点からいって悪であるし、リスクを考えれば余程の思いがないと踏み切れるものではない。しかし人間の恋心や性欲というものは「余程の思い」といって差し支えのない強い衝動であり、いとも簡単に不倫という高い壁を乗り越えさせてしまう。
社内不倫という言葉には、「秘密の恋愛」といった甘美な響きや、「バレたらおしまい」といった破滅的なニュアンスを想起させるものがある。破滅の可能性は恋愛や性交を盛り上げるスパイスとして作用する節もあり、「社内恋愛」の甘美さをさらに高めている。証拠に、というわけでもないが、社内不倫はドラマや特にマンガでひっきりなしに採り上げられるテーマであり、一定のジャンル・シチュエーションとして人々がそこに何かしらの夢を見ているのが見て取れる。創作物の中で語られる社内不倫は主に甘い部分にフォーカスしている。
では、現実の社内不倫はどのように起こり、どんな結末を迎えるのだろう。
年下社員からのアプローチ
気軽に始めた社内不倫は…
まず紹介するのは、広告代理店勤務の40代既婚男性Aさん。独身で20代の部下と不倫関係になった。社内不倫のパターンとしては「男上司と女部下」というよくありそうなかたちだが、本人たちにしてみればそんな簡単な言葉でまとめられていいものではないという。彼らは自身の人生を賭けて社内不倫に臨んだのだ。
「彼女は同じ部署の違う課にいた社員でした。仕事上の接点はあまりなかったけれども、会社の集まりやゴルフコンペなどでは親しく話を交わす間柄で、当時からお互い悪くない感じでした」
そんな2人だったが、ある時期を境に急速に親しくなっていく。
「入社4年目の彼女があるプロジェクトのリーダーを務めることになりました。彼女にとっては初の大きな責任を負う仕事で、本人もかなり苦労しているようでしたが『がんばってやっているな』という気持ちで遠くから眺めていました」
「ある日、ランチを食べにエレベーターに乗るとたまたま彼女がいました。『プロジェクトどう?』みたいな世間話を振ると、暗い表情で『思ったようにうまくいかなくて……』と沈黙。少し元気付けようと思って夜飲みにいかないか誘うと『ぜひ!』という返事だったのです。その日の夜は彼女の話を聞いて、アドバイスなどをして別れました」
以降、Aさんは彼女から何度か飲みに誘われるようになった。一線を越えたのは4回目に2人で飲んだときだという。
「1軒目を出て帰ろうかというタイミングで、彼女から『今夜一緒にいてほしい』という申し出が。家族もいる身だし、こんなおっさんが若くてキレイな彼女の相手なんかできるわけないと断ると、『ずっと憧れていました』と。ここで私の理性も崩壊して、社内不倫が始まりました」
そんな関係が続いたのは約1ヵ月間。彼女が社内不倫をしているようなことを自身で匂わすような発言をし始め、人事が内偵に乗り出したのだ。やがて事は露見した。
しかしなぜ、相手の女性は秘すべき社内不倫の事実を周りに気づかれるような振る舞いをしたのだろうか。Aさんはこう推測する。
「自分で言うのもなんですが、私は男性社員の中でもわりと女性に人気のある方だったので、彼女は私と不倫をしているという優越感を周囲に隠し切れなかったのだと思います」
その後Aさんは離婚。会社からはすぐに依願退職するよう指示された。Aさんは社内で白い目で見られる暇もなく、事実上のクビとなった。
「彼女からモーションがあったとはいえ、家庭があるのは自分の方だけですから、やはり悪いのは自分1人です。1ヵ月の短い不倫とはいえ、妻は私の不貞がどうしても許せなかったらしく、しばらく別居したのち、子どもは向こうが引き取るかたちで離婚が成立しました。社内的に、社内不倫は以前に泥沼化したケースが何度かあったためかなり厳しく見られていて、私の依願退職もその辺を加味しての制裁だと思います」
「彼女の方は、社内的には特にお咎めがなかったようでその後1年くらい勤めていたようですが、寿退社したと風の噂で聞きました」
わずかひと月の甘い蜜月の代償は、Aさんの人生を大きく狂わせるものとなってしまったようだ。
その後、Aさんは同業種の別会社への再就職に成功。年収は下がったがなんとか生活していける水準を確保できた。かつてのマイホームは売りに出し、Aさんはアパートに移り住んでしばらく一人寂しい日々を過ごしていたが、現在はお付き合いしている女性がいるという。一方、相手の女性社員は円満退社。彼女にとってはその社内不倫も「過ぎし日の思い出」くらいの、ちょっとした出来事だったのかもしれない。
中途半端な大岡裁き?
当事者3人のうち異動は2人
2人目のエピソードは、総合商社に新卒採用された年に男性の上司2人と関係を持ったという女性Bさん。なぜそのような関係に陥ったのだろう。
入社時から振り返ると、希望を胸に入った職場は想像以上の激務だったという。
「私が入社した会社はわりと厳しいことで評判の社風。特に私の配属された課が厳しかったみたいで…」
新人への当たりは特に厳しく、Bさんは叱責されるたびに全身が震え、朝、玄関先で吐いてから出社することも珍しくなかったという。
「配属された課の課長が特に厳しい人で、自分がいかに何もできない存在であるかを思い知らされる毎日でした。先輩たちからは『新人はみんなそんなものだから気にするな』と励ましてもらって、幾分か前向きになれましたが、焼け石に水という感もあって……」
ある日、Bさんは同じ課の男性の先輩に飲みに誘われた。
「すごく励まされて号泣してしまいました。そんな私を彼はしばらく眺めていましたが、やがておもむろに肩を引き寄せられて、その胸で泣くかたちに。その流れでその夜に関係を持ちました」
お相手は結婚2年目の若手社員。Bさんは独身だったが、れっきとした社内不倫である。
「定期的な密会が始まりましたが、社内で私の立場がよくなったわけではありません。つらい日々は相変わらずでした」
その後、状況はさらに複雑になった。
「先輩と社内不倫を始めて2ヵ月ほど経ったころ、今度は課長から飲みに連れ出されました。『すごく怒られるんだろうな』と思っていたら案の定で、その席でも私は号泣。すると課長は『お前に見込みがあると思うから、こうやって厳しくしていることをわかってくれ。俺だってつらい』と言って手を握ってきました。たぶん私はかなり流されやすいんだと思います。その夜、課長とも関係を持ちました」
課長は40代の妻子持ち。それからというもの、Bさんは先輩と課長それぞれの求めに応じるままに日々を過ごした。
「先輩にも課長にも恋愛感情があったわけではなかったのですが、とにかく誰かから必要とされるのがすごく嬉しかった。仕事がつらかった分、そこで埋め合わせてバランスを取ろうとしていたのだと思います」
傍から聞くと、ブラック気味の社風の中で3人はそれぞれ疑似恋愛にすがっていたようにも聞こえる。特にBさんが2人の男性からのオファーを断れなかったところに、嫌な気配がある。
>>(下)に続く
http://diamond.jp/articles/-/121592
2017年3月17日 藤井弘美
「社内不倫」がバレたら!?火遊びの悲惨な代償実例集(下)
>>(上)より続く
やがてBさんの所属する課の雰囲気がぎこちなくなっていった。先輩と課長がBさんを取り合うような格好でいがみ合い始めたのである。既婚者2人が1人の独身女性に恋をして修羅場を演じるというのは滑稽な気がしないでもないが、修羅場には違いない。「女の嫉妬は怖い」というが、男の嫉妬も顕在化すると手に負えないくらいタチが悪い。
課の異変はすぐに周りの知るところとなり、人事が動いた。Bさんと先輩を地方の、それぞれ別の支社に異動。課長はお咎めなしであった。課長だけ処罰を免れた理由について、Bさんはこう推測する。
「課長はすごく仕事ができる人だったので、会社的にもそこで課長を手放すことはできなかったのではないかと思います。人事部とも親しかったみたいだし。会社的には私と先輩が異動すればひとまず事は丸く収まるので」
当事者3人のうち、2人が異動となり、この件はひとまずの解決を見たようである。当時を振り返り、Bさんはこう語った。
「どんな理由があっても私の行動は浅はかだったと思います。私への異動辞令には納得ですが、課長に何の処罰もなかったのは少し不満に思う部分はあります。ただ、会社とはそういうところなのだなという勉強にはなりました」
キャリアウーマンは諸事やり手?
バレても傷を負わない立ち回り
3ケース目は、独身男性と既婚女性の不倫だ。
Cさんは当時独身、電機メーカーの営業部に勤める若手男性社員だった。所属する課の課長は30代後半の子持ち既婚女性で、社内でもちょっと目を引くキャリアウーマンだった。
「課長はとにかく仕事ができる人で、下に限らず上からも恐れられていました。ただ恐がっているというよりは、『あの課長に叱られるってことは自分ができてないってことだからがんばろう』みたいな感じで、課長は周囲にいい意味で緊張感を持たせるような存在でした」
Cさんは課長に畏れと憧れを持って接していた。厳しくされることはあってもそれも自分の糧になるはずと信じ、乗り切ってきた。そんなCさんを、課長もそれなりに評価してくれているようであった。
入社3年目の夏、Cさんは課長の出張に同行することになった。Cさんにとっては初の海外出張、客との商談をまとめるため、課長の指示のもと資料作成等の事前準備に励んだ。
「出張は3日間で、最終日にお客さんから商談OKの返事をもらうことができました。課長も相当うれしかったらしく、お客さんらとディナーをともにしたあと、ホテルのバーに帰って2人で祝杯をあげました」
海外出張を成功のうちに終えることができ、Cさんのテンションも上がっていた。その案件を一緒にやりおおせた課長が非常に魅力的にも思えていた。ここでCさんは初めて、課長に対して部下としてではなく、男としての一面を見せる。このあと課長の部屋に行きたいと願い出たのだった。
「課長は『いいよ』という感じで、サラッと承諾しました。そこで初めて関係を持ち、社内不倫がスタートしました。僕の方は『あの課長と……』という恋愛感情に近い興奮がありましたが、課長はその件に関してどう考えているかイマイチつかめない様子で、わりとドライな印象でした」
週に1度の逢瀬が3ヵ月ほど続いたある日、Cさんは突然、人事部長に呼び出された。
「人事部長から『君のところの課長と君が社内不倫しているという噂があるが、本当か?』と尋ねられました。冷や水を浴びせられたような思いでしたが、なるべく平静を装って『ただの噂だと思います』と返事しました。人事部長は全てを見通したような表情で重く頷き、『もし社内不倫をしている事実があるなら会社としても何かしらの対処をせざるを得ない。くれぐれも肝に銘じておくように』と忠告されました。それで僕は、『人事部長は真相を知っているけど事が表面化する前に解決させておこうとしているのだな』とわかりました」
Cさんが人事部からデスクに戻ろうとしたとき、廊下で課長とすれ違った。課長は周りに人がいないことを確認した。それからこんな会話をしたという。
「聞いた?」
「あ、はい…」
「そう。じゃあ、ああいうのはこれっきりね」
「それ以降、課長とは不倫のことについて一言も話したことはありません。向こうの『その話はするな!』というオーラがものすごく……。僕はまだ関係を続けたく思いましたが、向こうは家族もいますし、ここは潮時として引き下がらなくちゃいけないともわかっていました」
その後、Cさんは同僚などから課長との社内不倫について「あれ本当なの?」と聞かれることがあった。その折を利用してCさんは逆に質問をし、舞台裏についての情報を集めていった。なぜ社内不倫がバレたのか? 普通人事にバレたら異動の措置が取られるのがCさんの会社の通例であるのに、厳重注意で済んだのはなぜか?
「逢瀬には会社から離れた駅のホテルを利用していたのですが、たまたま社員の誰かがホテルに向かう僕たちを目撃したようなのです。それでそれが噂になり……というところですね。ただの注意で済まされたのは、どうやら課長の人事への根回しがあったみたいです。普段の勤務態度や仕事の成績から課長は社内的に信頼が厚かったので、噂を耳にしてすぐ、まだ何も知らない人事に駆け込んで、『これまで社内不倫をしていたが今後は二度としないので』と許しを請うたらしいです。人事は役員まで巻き込んだ大騒動になったらしいですが、課長の態度が好感され結局お咎めなしとなりました。社内風紀を自ら正そうとする姿勢がよかったみたいです」
課長が日ごろ培った信頼があってこそなせるわざだったのかもしれない。それ以降、課長は何事もなかったかのように振る舞った。一方、Cさんは社内不倫を快く思わなかった同僚や女性社員から冷遇されるようになり、課長から回される仕事もなんとなくパッとしないものとなった。社内で座りが悪くなったと感じたCさんは、次の異動のタイミングで異動願いを出し、営業部とは遠い畑に移っていった。
「女性は強いですね。課長は陰口を叩かれたりしているのを意に介さないふうで、相変わらずのキャリアウーマンっぷりでした。一方僕はもうへこたれてしまって、とてもじゃないが、あのままあそこで働いていくことはできなかった」
ひょっとしたら、Cさんをさりげなく冷遇することで自主的に異動させることも課長の狙い通りだったのかもしれない。結局課長は、社内不倫がバレたにもかかわらずその一件を表ざたにされることなく、会社と家庭での自分の立場を守りきったわけである。
不倫は社会通念として頑として悪いものとして捉えられているため、社内で行われている不倫を会社側が知ることになったら、会社は示しをつけるためになんらかの処罰を下す。
甘く強烈な誘惑を放つ社内不倫ではあるが、会社にバレたら人生を棒に振るほどのリスクをはらんでいることを忘れない方が賢明であろう。
Cさんの場合は密会の現場を第三者に偶然目撃されたことがきっかけとなって社内不倫が露見したが、AさんとBさんの場合は社内不倫を極秘事項として当人たちの胸に留めておけなかった隙があったための露見である。体だけの割り切った関係と双方が納得した社内不倫ならもう少し水面下で続けることができたのかもしれないが、渦中にいる当人たちの心中はそこまでドライに徹しきれるほど穏やかなものではなかったようである。
http://diamond.jp/articles/-/121716
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