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障害者心の叫び 生を受けた同じ人間 障害者施設職員、絶えぬ傷 「植松容疑者は正気」ダウン症の娘持つ最首さん 隣の障害者
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/706.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 8 月 21 日 17:30:25: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

障害者心の叫び 生を受けた同じ人間

「障害のあるなしを超えて対局できる」と、将棋は小池公男さん(右)にとって一番の楽しみ。自慢の駒で勝負する=甲府市羽黒町のきぼうの家 

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 「障害者なんていなくなってしまえばいい」。相模原市の障害者施設殺傷事件で、報道を通じ伝わる植松聖容疑者(26)の供述は、山梨県内の当事者やその家族に動揺を与えている。障害者はやるせなさを口にし、家族は差別的な考えが広がることを不安視する。なりたくてなったわけではない障害に向けられた「憎悪」に対し、障害者は「生を与えられた同じ人間」と訴える。県内の障害者や家族、介護従事者の思いを探った。〈窪田あずみ〉

 「寝ている時にそこの窓から入って来たら… 模倣犯が怖い」。障害者施設「きぼうの家」=甲府市羽黒町=に入所して30年余りになる女性(79)は身をすくめた。
 20代前半でリウマチを発症し、手足が不自由になった女性。身の回りのことに介助が必要だが、右手にフォークを挟んで食事を取る。「元気な時は何でも自分でやっていたけど、今は食事ぐらい。でも命のある限り、できることは一生懸命やりたい」
 そう思いながらも、幼い子どもを育てられず、親の面倒をみることができなかった自分を責める。「親にみてもらうなんてあべこべでしょ? せつないね。何もかも人にみてもらわなければならないなんて。障害者になりたくてなったわけじゃないけど、何もできなくなって申し訳ない」。植松容疑者の供述は、胸に深く刺さった。

◎自分を重ねる
 同施設に入所して40年ほどになる小池公男さん(58)は、「障害者が殺されたなんて本当は聞きたくないけど、どうしてこんな事件が起こったのか知りたい」とニュースに耳を傾ける。供述内容を聞くたびに「むなしいね。そんな考え方の人がいるとしたら。悔しさじゃなくて無力感に襲われる」。
 脳性まひのため手足が硬直している小池さんは、万が一の場合、自力で逃げることはできない。「恐怖は計り知れなかったでしょう。犯人が憎い」と、殺された重度障害者に自分を重ねる。
 小池さんは生活のほとんどに介助を必要とするが、あごで電動車いすを操作し、大学生らと将棋を楽しむ。若いころは旅行に出掛け、パソコンを使って自分史も作った。ニュースで耳にした「障害者は不幸」という容疑者の供述を否定する。
 「障害があって生まれてきたのは運命で、不幸ではなくその人の特徴。同じ人間として、生を与えてもらったと感じている。人間として生まれてきたからには、精いっぱい生きたい」
 子どものころは「何で僕ばっかりこんな重度なんだろう」と障害を恨んだが、回りの人が手助けしてくれる経験を重ね、「障害は不幸で不自由と考えちゃいけない」と感じるようになった。周囲の存在が小池さんを変えた。

◎傷付いた体験
 「そう考える人はまだまだ多い」と、供述を冷静に受け止めるのは、全身の筋肉が徐々に衰える筋ジストロフィーのため、車いすで生活する男子高校生(1年)=甲府市。地元の小中学校から高校に進み、障害の有無を超えて心を許せる友達もできたが、疎外感を受けたり傷付いたりする体験も重ねてきた。
 地元の小中学校の校舎はバリアフリーではなく、歩行が困難になるにつれてみんなと一緒にできないことが増えた。車いすを理由に、地域活動への参加を断られたこともあった。健常者と一緒に地域で暮らす中では、障害者が受け入れてもらえない場面も少なくない。
 こうした現状の中で、容疑者が供述した言葉に不安を感じる。「心の中でしか思っていなかった人の差別意識が表面化して、さらに大きくなってしまわないか心配」
=次回は21日に掲載します
http://www.sannichi.co.jp/article/2016/08/20/00142182

 


たたかれ、かみつかれ… 障害者施設の職員、絶えぬ傷
太田泉生2016年8月19日13時45分
写真・図版
障害者施設で働く男性の腕には傷が絶えない
 東北地方の重度障害者施設に勤める40代の男性の腕にはいくつも傷がある。右前腕部が多く、取材した日は赤い傷が五カ所ほど。暴れる利用者が爪を立てたり、たたいたりした痕だ。かみつかれて血が出たこともある。

 「反応すればさらに興奮するから、平然と対応するように教わった。押さえつけるわけにはいかず、他の利用者にけがをさせてもいけない。職員がけがをしてでも盾になるしかない」

 約50人の利用者が暮らす入所施設で働く。担当するのは約20人いる最重度の人たち。利用者が暴れるのは毎日のことだ。

 福祉を志して、今の施設に勤め始めて1年近く。理想を持ってはいるが、24時間を超える宿直が明けるとぐったりする。疲労でケアが乱雑になる日もある。

 「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」

 津久井やまゆり園で起きた事件で逮捕された植松聖(さとし)容疑者(26)は、衆院議長に宛てた手紙にそう書いた。その内容は、理解できる面もあるという。

 利用者にとって本当は自宅に居るのが一番落ち着くだろうと思う。だが家族の負担は大きい。確かに疲れ切った家族はいる。身寄りのない人や、家族がほとんど会いに来ない人もいる。

 「生気の欠けた瞳」という言葉には、とっさにある同僚を思い浮かべた。トラブルが続いて疲れ切った日は、自分だってそんな目をしているかもしれない。

 植松容疑者は、福祉の仕事に前向きな言葉を述べたこともあったとされる。

 「きれいな言葉とそうでない面と、この仕事をしていれば、ひとりの中で同居することはあるんじゃないでしょうか」

 現場には、給料や労働条件からたまたま福祉を選んだ人もいる。上司は「福祉を志してきた人と、そうでない人の差が大きい」と言った。仕事は低賃金ながら責任は重く、体力と使命感が要る。

 「人員がもう少しほしいというのはどこの現場でも感じていると思う。少人数の共同生活のほうが利用者も落ち着くとも、誰もが思っているのではないか」

 入所者はそれぞれに強い個性を持っている。他の入所者との相性もある。だが大きな入所施設では、効率的な集団生活を重視せざるを得ない。「障害が重ければ重いほど、大きい施設は悪い環境」とまで言う。

 こうした環境では、自傷や他害などの問題も増えやすい。働く人のストレスも多くなる。

 少数の利用者と支援者が共同生活する「グループホーム」なら、一人一人に合わせたより手厚い支援ができる。「暴れたりパニックになったりするのも理由がある。自傷や他害のある人でも、グループホームならはるかに落ち着くはずだ」

 事件をきっかけに、こうした障害者福祉のあり方も問い直してほしいと、男性は考えている。(太田泉生)

■「施設から地域へ」転換めざす

 重い障害がある人たちの生活の場をめぐり、政府は2002年の計画で「施設から地域へ」と掲げた。津久井やまゆり園のような入所施設の数を最小限にとどめ、グループホームなどでの地域生活への転換を目指したものだ。

 神奈川県もこの理念に沿って計画を策定。13年度末の施設入所者は5053人だが、15年3月の第4期計画では、17年度末までにこのうち535人(11%)を、グループホームや一般住宅での地域生活に移行させるとの目標を掲げた。

 だが現実には、障害が重い人ほど地域生活への移行も難しいという。新たに施設に入る人も一定数見込まれ、県は、入所者数が17年度末で2%減の4935人程度になるとみている。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ8D6G0LJ8DULOB012.html


「植松容疑者は正気だった」 ダウン症の娘持つ最首さん
古田寛也2016年8月8日05時01分 
 「起こるべくして起こってしまった」。横浜市旭区で暮らす和光大学名誉教授の最首(さいしゅ)悟さん(79)は、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件を知った時、そう感じたという。ダウン症で知的障害がある三女の星子さん(39)と同居している。

特集:相模原の殺傷事件
 「障害者は不幸を作ることしかできません」「日本国が大きな第一歩を踏み出す」。植松聖(さとし)容疑者(26)は、衆院議長に宛てた手紙にそう書いて、重度障害者を次々と刃物で殺傷したとみられている。

 最首さんは植松容疑者が精神異常者でも快楽殺人者でもなく、「正気」だったと考えている。「今の社会にとって、『正しいことをした』と思っているはずです」。植松容疑者は介護を続けてきた遺族に向けて謝罪する一方で、被害者に対する言葉はない。

 そして最首さんは、「共感する人も必ずいるでしょう」と言った。確かに事件後、インターネット上には、「正論」「障害者は生きていても誰の得にもならなかった」といった投稿が相次いだ。

 「いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」。植松容疑者は、人々の深層にある思いに訴えて「英雄」になった、と考える。

 だが、不幸を生み出す障害者を代わりに殺してあげたというような代行犯罪に対しては、はらわたが煮えくりかえるような怒りを感じている。「命とは何かを問うとき、その人の器量が問われる。障害者はいなくなってしまえばいい、というのは浅い考えだ」

 娘の星子さんは、言葉を発することが出来ない。自分で食事ができず、排泄(はいせつ)の世話も必要だ。

 「命は尊いとか、命は地球より重いといった『きれいごと』は言えない。『あの子がいなければ』と『あの子がいてくれたから』という相いれない気持ちが表裏一体となり、日々を過ごしている」

 最首さんはその日々を「一定(いちじょう)の地獄」と表現する。地獄であることが普通になってしまったような生活だという。「その生活のなかで、ふっと希望が湧く瞬間がある。理由は分からない。命とは、分からず、はかれない価値を持つ」

 最首さんが憂慮するのは、超高齢社会に突入した日本社会が迎える窮状だ。

 2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、認知症患者が700万人に達するとみられている。社会保障の財源も、働いて社会を支える人も足りない。「生産する能力がない人に、一方的に社会資源を注ぎ続ける余力がなくなっていく」と最首さんはみる。

 尊厳死や安楽死といった「死」への考察、「IQ20以下は人ではない」とする米国の生命倫理学者の考え。障害者を社会の中でどう受け入れていくのか、親として考え続けてきたことが、一層問われていくと思っている。(古田寛也)

     ◇

 〈さいしゅ・さとる〉 東京大学大学院博士課程中退後、同大教養学部生物学科助手などを経て和光大学教授。専門は、いのち論。水俣病の現地調査団の団長を務めた。現在も横浜市内で精神障害者通所施設や作業所の運営に携わる。

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http://digital.asahi.com/articles/ASJ854DWTJ85ULOB007.html?

 

<となりの障害者> (上)バンド活動 俺にも夢はある

2016年8月19日


「俺は仲間が、仲間がほしい」。派手なメークでソロ曲を歌う井上さん=さいたま市中央区で
写真
 動きがのろいって蹴られた/こんなのもできないのって殴られた(略)どうせ何にも分からないって/障害があるだけでばか扱い(「いじめ」)
 さいたま市中央区の小さなライブハウスに、叫ぶような歌声が響いた。口裂け女やピエロの化粧、法被やチャイナドレス姿。奇抜な衣装に身を包んだ二十人前後がステージに入り乱れる。バンド「スーパー猛毒ちんどん」の単独ライブ。全員が障害者自立支援組織「虹の会」(同市桜区)の関係者だ。
 中央に立つ歌舞伎の隈(くま)取り姿の男は、リーダーの井上正邦(34)。左手のまひと知的障害があり、虹の会では副会長を務めている。「いじめ」は、井上の実体験から生まれた曲だ。「学校は嫌なことが多かった」。
 養護学校高等部二年のとき、実習に行った工場。朝から夕方まで誰とも話さず、ひたすらカレー粉を袋詰めした。もう一つの実習先だった虹の会では、他の障害者や職員と協力し合い、バザーを運営した。初めて見つけた居場所だった。
 人前に立つのは苦手というが、ライブでは堂々としたトークで客を引き付ける。「練習は緊張するけど、本番は勢いで。後ろのメンバーがいるから歌える」。歌詞を覚えられなくても客席になだれ込んだり、レオタード姿で踊ったり。メンバー全員に役割がある。「歌ってるときの俺はかっこいい」と胸を張る。
 俺は黙ってカレーを詰める/笑うことも忘れた/俺は仲間が仲間がほしい/ふざけて笑える仲間が(「カレー」)
     ◇
 内容は暗いが、曲調は底抜けに明るい。「ポップな曲だからこそ歌詞が引き立つ」と、同じく副会長で、曲作りを担当する佐藤一成(50)。「歌は自己表現。本当に言いたいことじゃないと意味がない」と障害のあるメンバーから体験を聞き取っている。
 高校時代はモヒカン刈りのパンク少年だった佐藤。一九八五年に埼玉大に入学し、障害者運動史を学んだ。同級生の誘いで通い始めた当時の同会は、全身の筋肉が萎縮していく筋ジストロフィーに侵されながら、同大近くで一人暮らしを始めた福嶋あき江(故人)を介助するボランティアの女子学生の集まりだった。
 福嶋は介助を受けるだけの障害者ではなかった。施設から出て自立生活を目指す「闘う障害者」だった。初めて話し込んだ大学三年の夏。「会をただのボランティア団体じゃなく、運動にしたい」。熱っぽくそう語った福嶋は、その数日後、たんが詰まり二十九歳で急逝。「言い残されたような気分になった」。佐藤が同会を引っ張るようになったのはそれからだ。
 死去の翌年に福嶋の人生をドラマ化したテレビ番組は、単純な「お涙ちょうだい」の物語だった。「本当は嫌な奴(やつ)も世間知らずな奴もいるのに『障害者は勇気をくれる。前向きだ』って。うそつけと思う」。バンドの奇抜さには、そんな障害者イメージへの反感が込められている。
 十数年前に「みんなの遊び」として始まったバンド。今年はネット動画を見た音楽関係者から大阪のイベントに招かれるなど、着実に活動の幅を広げている。ライブを締めくくるのは、必ずこの曲だ。
 一つ人より頭は弱いが/二つ不器用何のその(略)三つ見た目もいまいちだけど/四つ世渡りもうまかない(略)今が時だ逆襲だ/俺にだって夢はあふれている(「スーパー猛毒ちんどんの数え歌」)
     ◇
 「障害者なんていなくなればいい」−。先月、相模原市で障害者十九人の命を奪った男の言葉が、多くの人を震撼(しんかん)させた。でもそれは、虹の会のメンバーにとって、目新しい言葉ではない。すでに学校で、職場で、さんざん爪はじきにされてきたから。「どんなに障害が重くても、地域で暮らすのが当たり前」を旗印に、親元や病院や施設を離れて街中のアパートで暮らす彼らは、決して「いなくならない」。その挑戦の軌跡を追った。 =文中敬称略(谷岡聖史)


 

<となりの障害者> (中)外の世界へ 自由に生きたい

2016年8月20日


大型映画館を訪れた工藤さん(右)と佐藤さん。2人ともホラーやサスペンス作品を好む=県内で
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 小林厚士(33)は知的障害と軽い吃音(きつおん)がある。会話は苦手だ。その人生で最大の出来事を尋ねると、きっぱりと答えた。「家出です」。二〇〇五年の正月、通勤の定期券だけを手に久喜市の実家を飛び出して以来、さいたま市内のアパートで暮らしている。障害者自立支援組織「虹の会」事務所のすぐそばだ。
 家出の二年前から、同会が運営するリサイクル店「にじ屋」の店員だった小林。だが父親は、外で働くことに反対だった。〇四年十二月、「もう行くな、って監禁された」。無断欠勤が一週間も続いた翌月二日。やっと「パンを買ってきて」と外出を許された。「にじ屋では友だちができたけど、このままだと終わりだ」。パン代の二百円をそっと自宅の郵便受けに戻し、そのまま駅に向かった。
 虹の会副会長の佐藤一成(50)によると、二百円を見た父親は「俺が『お金を盗んじゃいけない』と言ったことは守ってくれた」と泣き、「厚士が望むなら」とアパート暮らしを認めた。「虹の会より施設に入れた方が安心だと、お父さんなりに将来を心配していたんだろう」と推し量る。
 それから十一年半。出勤前には近くの事務所に仲間と集まるのが小林の日課だ。「そこで佐藤さんが作った朝ご飯をみんなと食べるのが、一番楽しい」
     ◇
 小林と同じアパートには、全身の筋肉が動かなくなる進行性の難病、筋ジストロフィーの工藤伸一(51)も暮らしている。
 わずかに動く右手でパソコンを操り、特殊な機器を使って呼吸の回数や長さでエアコン、部屋の照明などを自分で動かす。寝室の隣には、工藤の指示でトイレや入浴、食事などを手助けする男性介助者が二十四時間体制で待機する。介助者を派遣する虹の会で会長を務める工藤は、最古参の一人だ。
 同会は一九八二(昭和五十七)年に発足。当初は同じ病気の福嶋あき江(故人)の支援団体だった。筋ジス患者の退院は不可能だといわれていた当時、募金を集めて一年余り米国の障害者福祉を視察。帰国後は旧浦和市で自立生活を始め、話題の人となっていた。
 その頃、工藤は蓮田市の筋ジス病棟にいた。「なぜ他人の力まで使って外で暮らすのか」。福嶋を否定する半面、迷いもあった。
 入院生活は九歳から。数年後には車いす生活となり、十九歳で電動車いすに。若い患者が多い病棟は「学生寮のような雰囲気」。こっそり成人雑誌を買ったり酒を飲んだり、一種の「青春」があった。だが苦痛だったのは、自由にトイレに行けないこと。趣味の油絵も決まった時間だけ。日常すべてに制約があった。
 八八年、病棟の交流会で同会のボランティアと知り合ったことから、埼玉大四年だった佐藤が定期的に会いに来るようになり、気持ちが動いた。「病院にいればそれなりに生活できるが、ずっと環境は変わらない。だったら死んでもいい。思い切って外に出たい」。翌年七月、二十四歳で現在のアパートに移った。
 病気は現在も進行中だ。自発呼吸が弱まり〇二年に気管を切開。旅行中に呼吸器のバッテリーが切れ、冷や汗をかいたこともある。それでも工藤は、佐藤らとの映画館通いを毎週続けている。「(生命の)保障はなくても自分の責任で、自分の意思で決められる。それだけで自由を感じる」。この夏、工藤の一人暮らしは二十八年目に突入した。 =文中敬称略(谷岡聖史)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201608/CK2016082002000151.html

 


<となりの障害者> (下)親子の距離 それぞれに自立

2016年8月21日


アパートの自室でカメラに笑顔を見せる市丸さん(左)と同居人の小倉さん(中)、久保さんの3人=さいたま市桜区で
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 「ねえねえ野球好き? お酒は飲む? どこ住んでる?」。さいたま市桜区にある障害者自立支援組織「虹の会」を取材に訪れると、決まって市丸敦啓(39)の質問攻めに遭う。顔をくしゃくしゃにして笑い、人懐っこい性格。今でこそ同会のマスコット的存在だが、十年前は問題児だった。
 北本市の実家から同会のリサイクル店「にじ屋」に通い始めたのは二〇〇六年三月。「すぐに『逆ギレ』していた」と専従職員の外口孝治(52)。常に目は三角につり上がり、カッターナイフを持ち出したことも。二週間の実習の末、他の障害者全員に「おまえなんかとやりたくない」と拒否されるほど協調性がなかった。仕事後に映画に誘っても「行きたくない」と家路を急ぐような日々が続いた。
 市丸が変身したきっかけの一つが、〇九年四月の「脱腸事件」。同会の旅行中に鼠径(そけい)ヘルニアを発症し、外口は北本市の病院ではなく、にじ屋の近くで入院させるよう市丸の家族に勧めた。市丸は「俺手術したんだよ。みんなが見舞いに来てくれた」とうれしそうに振り返る。
 一一年三月にはこんなことも起きた。知的障害者が起こした刑事事件の裁判の傍聴に行くと、柵の向こう側の法廷に現れた被告人を見て、市丸は「あっちに行きたくない。みんなと働けなくなる」と外口に泣きついた。いつの間にか、虹の会は大切な居場所になっていた。一二年四月、実家を出て暮らし始めた。
 市丸は現在、掃除や食事作りに専従職員の助けを借り、小倉章義(36)、久保魁(かい)(24)と同じ部屋に住んでいる。「小倉はいびきがうるさい。魁には一回かまれた。でも、みんなで住むのはいい感じです」。知的障害者が三人。毎日騒動を起こしながら、同居生活を楽しんでいる。
      ◇
 母親(68)に言わせれば「敦啓は変わったというより、元の明るい性格に戻った」。以前に働いていた母親の知人の雑貨店では、客に親しく話し掛けるたび、上司に怒られた。「自分を受け入れてもらえず、イライラが募っていた」
 抱っこしても体を寄せてこないなど、赤ん坊のころから違和感はあった。小学校入学前に「自閉傾向」と診断されたが、地域から断絶するのはおかしいと、小中学校は養護学級を断り普通学級へ。中学では柔道の絞め技の練習台になるなど、いじめも受けた。
 障害者の親として実感したのが「日本社会は産んだ者に責任を強く求める」こと。学校や病院では必ず「普通分娩(ぶんべん)でしたか」と質問される。市丸一人でコンビニに行けば近所の人に「なぜ親がついて行かない」と聞かれる。「踏ん張らなきゃ」。いつしか抱え込んでいた。
 初めて同会を訪ねると障害のことは細かく聞かれず、「とにかく大事なのは本人の意思」とだけ言われ、驚いた。親が運営に関与しないのが同会の基本方針。にじ屋への出入りも禁止と徹底している。外口は「反抗期などで自然に離れていくのが親と子。でも障害があると同じ距離のまま大人になり、手放したくても抱え込んでしまう。親にも子にも自分の人生を生きてほしいから」と説明する。
 市丸だけでなく母親も変わった。現在、趣味の洋裁や読書で忙しい日々だ。「障害者の親だからこそ価値観が変わり、人生の幅が広がった」と振り返る余裕も生まれた。市丸の帰省は盆と正月だけ。実家の部屋には、母親の織り機が鎮座している。 =文中敬称略(谷岡聖史)

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201608/CK2016082102000135.html


 

相模原の障害者施設殺傷 互いに話を聞く努力を 認定NPO法人コンボ専務理事・島田豊彰さん

毎日新聞2016年8月21日 東京朝刊

社会
事件・事故・裁判
紙面掲載記事
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島田豊彰さん
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 事件直後に、地域精神保健福祉機構(コンボ)では、障害のある当事者らが思いを書き込み、共有するためのウェブサイトをつくった。「精神障害ということで容疑者と同じに見られないか不安」「きれいごとを言っても、本当は社会は障害者をいらないと思っているのか」。苦しみを吐き出すような言葉が続々と集まった。不安で体調を崩し、恐怖で外を出歩けなくなった人たちもいる。

 コンボは、精神障害者が主体的に生きていくことができる社会をつくるために活動してきた。当事者が顔や実名を出して登場する月刊誌を作ったり、毎年、本人や家族、医療関係者などが集まって現状や課題を語り合う「リカバリー全国フォーラム」(今年は26、27日)を開いたりしている。

 「リカバリー」とは障害からの回復だけでなく多様性を認める社会への回復を指している。現在の社会にはヘイトクライム(憎悪犯罪)を生む土壌がある。被害者の遺族が実名を公表できないのも、この土壌が関係しているのではないか。

 障害を「見える化」することが必要だ。例えば職場では、当事者が障害をオープンにして症状をよく説明した方が必要な支援を得やすい。隠せば周囲もタブーに感じ、どう接していいか分からない。一方で健常者はもっと障害者の話を聞く努力をしなければならない。コミュニケーションこそ社会を変える唯一の方法だと信じている。【聞き手・黒田阿紗子】=随時掲載

 ■人物略歴

しまだ・とよあき
 製薬会社を退職後、2013年から活動に加わる。
http://mainichi.jp/articles/20160821/ddm/041/040/067000c


 

十勝の障害者ら衝撃 安全環境の整備を
2016年8月21日 14時00分
 東京都内の地下鉄駅で15日に盲導犬を連れた男性がホームから転落し、電車にひかれて死亡した事故は、十勝管内の視覚障害者や関係者にもショックを与えている。車移動が中心の十勝などでは、歩・車道も含めた安全環境の整備を進める必要性や、周囲の気配りが事故防止につながるとの指摘も聞かれている。

相棒の盲導犬を連れ、「ひやっとすることもあるが、障害者も健常者も互いに一声掛ける勇気が必要」と訴える森本さん
 「盲導犬は通常、線路側を歩くよう訓練されているので事故は驚いた。ただ、駅のような場所は風の吹き方や人の雑音の多さで方向感覚を失いやすい。私は1人では行かないし、駅員などの助けを借りる」。帯広市内ではり灸治療院を運営する森本義弘さん(71)は「痛ましい事故」とした上でこう話した。

 森本さんは30代後半に白内障や網膜剥離などのため、死亡した男性と同様に中途で全盲となった。1987年から盲導犬を連れている。十勝で数少ない所有者の一人で現在4代目だ。

 十勝視覚障害者の会の鈴木英晴会長も「同じような(転落などの)事故がなくならない。駅でいえば、ホームドア(線路に面する部分に設置する仕切り)はほとんど付いていない。一日も早く必要な対策を講じてほしい」と力説する。

 JR北海道によると、道内は北海道新幹線の駅以外にホームドアはなく、他の駅で進める予定はないという。ただ、「管内では帯広駅に点字ブロックがある。事前に話をしてくれれば、職員が介助などは可能な限り対応したい」(釧路支社)と話している。

 一方、関係者は「十勝で怖いのは車や自転車」と口をそろえる。昨年、徳島で盲導犬連れの男性がバックしたダンプに追突され、新潟で視覚障害の姉妹の1人が軽自動車にひかれてともに死亡した事故もあった。

 森本さんは「ひやっと体験は頻繁。車にひかれた仲間もいる」と打ち明ける。鈴木会長も「電気自動車などエンジン音がしないと判断しかねる」と訴える。

 同会では、ガイドヘルプボランティアくるみの会(久保寧男会長)と合同で2009年から年2回、市内公共施設周辺の信号や点字ブロック、障害物の状況を、行政担当者らとチェックし、必要に応じ改善を求めている。「せっかく整備しても機能的でないこともある」(久保会長)と言い、点字ブロックの配置を変更したこともある。

 同会は昨年、会員らを対象にJR帯広駅で初のガイド講習も実施、列車内の移動時の注意点などを確認した。今年も11月に講習を計画する。久保会長は「点字ブロックの上に物を置かない、危険な状況を見たら声を掛けるといった周囲の配慮も重要だ」としている。
http://www.tokachi.co.jp/news/201608/20160821-0024529.php  

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コメント
 
1. 2016年8月21日 17:46:38 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[2401]

>心の中でしか思っていなかった人の差別意識が表面化して、さらに大きくなってしまわないか心配

今後、産業の生産性上昇が低迷が続く一方で、益々、高齢者の割合は増え、高度医療が発達する

その膨大なコストを国民に転嫁し続けるのであれば、さらに現役世帯の負担は増し、貧困化が進む

その場合、当然、自分たちの生活にとって重い負担をもたらす障害者・老人などへの差別意識は拡大していくだろう

>いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある
>IQ20以下は人ではない

一方、今後も、科学技術と経済成長が続き、AIが発達していけば、IQ150でも、生産能力がないと見なされるようになるし

ロボットが発達すれば、重度障害者の脳にAIを埋め込み、ロボットで身体をコントロールできるようになれば、ほとんど障害者と健常者の区別など意味はなくなっていくだろう

どちらになるかは、現在の我々次第ということになる


2. 2016年8月26日 14:09:50 : 7c2PbgLJCM : _FE8sW9THEU[6]
>「今の社会にとって、『正しいことをした』と思っているはずです」。

そんなことはない。
狂気というものをどう捕らえるか、難しいところだ。精神的な病気でない狂気ともいうべきものではないだろうか。
というのは、加害者はどうも現実に破れ(借金もあった)、生活が厳しくなる一方で、今回の事件でちゃっかり一発逆転の生活を夢想していたから。
この夢想を、着々と通常人では行わないような行動をしていることをもっても、夢想を夢想でなく計画と考える確かな狂気が伺える。
 もし、社会にとって正しいことをしているなどという、客観的な判断評価ができるようならば、それは狂気とは言わないだろう。空想的な利益を秘めている場合、通常の人はそれを正しいことと、見なさないだろう。そして、なぜか今日このような狂気に近い人が多くなっていることは間違いない。


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