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(回答先: 貧困報道を「トンデモ解釈」する困った人たち ある階級の人たちは「想像力」が欠如している 投稿者 てんさい(い) 日時 2016 年 7 月 01 日 08:32:23)
生活保護者は、働かずに飲んだくれている?
若い貧困者が「生活保護はズルい」と思うワケ
2016年6月29日
「でも生活保護とかズルくないっすか?」この質問は、取材活動の中でも端々で聞かれる。しかも、貧困の中…
貧困報道を「トンデモ解釈」する困った人たち
ある階級の人たちは「想像力」が欠如している
貧困報道を「トンデモ解釈」する困った人たち
2016年6月22日
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昨今の「貧困コンテンツ」ブームが危険な理由
底辺ライターが「貧困報道」に物申す!
昨今の「貧困コンテンツ」ブームが危険な理由
2016年6月8日
東京原宿。待ち合わせ場所のカラオケボックス前に現れた女性をストレートに描
http://toyokeizai.net/category/354
若い貧困者が「生活保護はズルい」と思うワケ
生活保護者は、働かずに飲んだくれている?
鈴木 大介 :ルポライター 2016年6月29日
「もし食い物万引きしちゃいけないって言うなら、3日間公園の水だけ飲んで暮らしてみればいいんすよ」と言う青年K君は、なぜ生活保護を「ズルい」と言うのか
「でも生活保護とかズルくないっすか?」
この質問は、取材活動の中でも端々で聞かれる。しかも、貧困の中で育った若者や、貧困者に近しい環境にいた者からも聞かれる。
この連載の一覧はこちら
たとえば前回の冒頭で「もし食い物万引きしちゃいけないって言うなら、3日間公園の水だけ飲んで暮らしてみればいいんすよ。非行少年なんか、親が3日飯食わせなかったら誰だってなるんすよ」と発言した青年もそうだった。
取材時に25歳だったK君は、まさにかつて子どもの貧困の当事者だった青年だ。母親と父親のなれそめは、母親がキャバクラでバイトをしながら専門学校に通っていたときで、父親は年の離れた元客だった。父の仕事は不動産の営業だったが、バブルの崩壊で父親は借金を抱えて失職し、母親へのDVもあったために離婚。
小学校に上がったばかりだったK君は母親とともに、某県の公営住宅で独り暮らしをしていた母の父親のところに身を寄せたという。
働かず毎日ワンカップを飲んでる祖父
「それで、ジジイが生活保護(受給者)だったんですけど、初めて部屋入ったときの臭いは忘れられない。リアルにうんこ。汚物の臭いで、俺、絶対こんなとこじゃ寝れないって思った。ばあちゃんはもう死んでて、ジジイは働かないで生活保護受けて、毎日ワンカップ飲んでるんですよ。母親は美容師の専門学校を途中でやめちゃった人なんで資格とか特になくて、地元に戻ったのはもともと付き合ってた男が狙いだったみたいで、ジジイの生活保護の金をむしって遊んでました。あとからわかったことですけど。でも当然、俺、母親の代わりにジジイに殴られますよね。金返せって」
殴られるのが嫌だから、祖父の部屋には帰りたくない。そう母親に言ったのは小学3年生の夏休み中。すると母親はK君に千円を渡して自力で何とかしろと言った。
「そっから母親は1週間帰ってきませんでした。夏休み中だったから給食もなくて、小学3年でホームレスですよ、俺は。千円なんか駄菓子食ってるだけで4日でなくなりましたよね。そのころは地元の友達もあんまりいなかったし、むしろ俺はジジイの部屋の臭いが服に移って、臭いって言われてたし。それで、母ちゃんいつ帰ってくるんだろうって、母親が帰ってきたらすぐにわかる団地の近くの公園でブラブラして、夜だけジジイの部屋の超臭い玄関で寝て、ジジイが起きる前に部屋逃げ出すんですよ」
祖父を頼らず、食べ物を万引き
渡された千円がなくなり、3日空腹に耐えたが母親は帰ってこなかった。母親は、さすがに金がなくなれば祖父が飯を食わすと思ったのだろうか。だがK君は祖父を頼らず、近くの食材店で食べ物を万引きして、その場で店員に保護されたのだという。
「母親じゃなくてジジイが迎えに来て、歯が1本しかねえ汚ねぇ口で“今度やるときは酒盗んで来いや”って言われた。母親にはあとからフルタコ(ぼこぼこ)にされました」
その後のK君は、一時的に児童養護施設に預けられたり母親の友人女性宅に置き去りにされたりしつつ、中学生のときにはしっかり鬼剃りパンチ(こめかみを極端に剃り込んだパンチパーマ)の不良少年のできあがり。
度重なる補導に少年院を経験し、その少年院人脈を頼って17歳で上京独立。それからは振り込め詐欺界隈で「仕事」をし、現在では飲食店の共同経営者をしているという。
「中学校のころは、同じ団地の友達でやっぱ親とかジジイとかが生活保護受けてる奴がけっこういて、生活保護の受給日になるとジジイ捕まえてフルタコにして、金奪って地元の先輩への納金とかカンパとかに当ててましたね。そうしたらジジイ、無駄に体力あるんで“その金持ってかれたら酒が飲めねえだろ、パチンコ行けねえだろ”ってえれえ形相で追っかけてくるんですよ。そんとき俺は思いましたよね。ジジイてめえ、そんだけフルタコ食って走れる元気あるなら働けよって。母親も結局まともに仕事しないで生活保護受けてたときありましたしね。鈴木さん、これでも生活保護受けてる奴ってズルくないって思いますか?」
やばい。これは強敵である。
実は、昨今、生活保護制度に対して強い偏見や差別感情を持つ者には2種類あって、一方はネット情報鵜呑みで生活保護受給者など一度も見たことがない空想世界のお兄さんたち。もう一方で少なくないのは、K君のようにそれまでの人生の中で実際に身近に受給者が居た者だ。当然のことながら、後者に生活保護制度の必要性を説くほうが難題。
だが僕はこれまでの取材の中で、貧困者を差別し攻撃する元貧困者や貧困当事者との対話も重ねてきた中で、ちょっとしたズルい物語を考えてきた。
それが「連れションと月イチ生理の謎」だ。
なぜ人は「連れション」するのか
「K君は、女の人が集団生活を始めると、なぜか生理の周期がそろうようになるって話を聞いたことある?」
「ないっすね」
「じゃあK君は、友達と連れションしたことある? なんで人は、連れションするんだと思う」
「どっちが遠くに飛ぶか競うため?」
ちげーよ。だがK君は少し興味をひかれたようだ。
「じゃあK君は、人類の発祥がアフリカだって話は知ってる?」
「まあ、らしいっすね。それと連れション関係あるんすか?」
それが超関係あるんだよ、と言うと、K君は身を乗り出してきた。
「人類はアフリカで生まれて、そこから世界中に広まった。けどそれは当然原始時代の話だから、みんな足で移動したわけ。そう考えると、人類はそもそも“集団で旅をする生き物”だった。でも集団で移動するとき、誰かが小便したくなるたびに全体の足を止めてたら、全然旅が進まないでしょ? 女の人が生理になるたびに止まれないでしょ。だから人類はこうした旅を止めなければいけない生理現象はみんなで一緒にする。連れションするし、女性の生理は共同生活をしているとペースがそろってくるわけ」
「ほおおおおおおお」
実はこの情報のソースは僕の記憶にもうっすらで、たぶんSF小説の大家である故半村良氏の作品だった気がするが、ソースの信憑性はどうあれ、こうしたたとえは若者、特に知的好奇心の強い男子にはすこぶる引きが強い。
「で、それと生活保護と何の関係が?」
「人が群で移動する理由は、同じ場所に定住していると人口が増えて、自然採取の食物が足りなくなって、そこで争いが起きるから。だからより長く安定して暮らせる場所を求めて人類は旅をしてきたし、安定して同じ場所に暮らすために農耕を発達させてきた。となると、農耕発祥以前の旅する人類の目的は、安住の地にたどりついて、そこで社会を築くことなわけ。でも、その旅の途中で群の誰かが怪我して倒れたらどうしよう? 放っておく? 実はここでその怪我人を乗せて旅を続ける担架が、生活保護なんだ」
「ちょっと意味わかんないっすね」
「じゃその先を考えてみようか。旅する人類の目標は、旅の目的地に到達して、そこで安定した社会を築くこと。でも社会を作るには、働き手が沢山必要になる。木を切って井戸を掘って家を建てて畑を作って道路を整備して、そういう社会基盤を作るためには、働き手が必要でしょ? でも、辛い旅の途中で怪我した人をみんな置き去りにして来たら、せっかく安住の地に辿り着いても人手が足りない!ってなって困るわけ。だから、一時的に怪我をして働いたり歩いたりできなくなっている人は、まだ歩ける人が担架に乗っけて目的地まで運ぶ」
「でも日本人はもう旅なんかしてないっすけど。先祖は朝鮮とかモンゴルとかとのミックスなんですよね」
なぜ年中あちこちで道路工事をやるのか
よし、完全に食いついた。というか、元詐欺犯のK君は日本人のルーツに興味があるのか。
「確かにそうだよ。いまの日本は民族移動してるわけじゃないけれど、1カ所に定住した後に集団が発展していくのは、旅と同じことだとも考えられるだろ。それに一度作った社会基盤を維持存続させていく段階でも働き手は必要。たとえばK君ってクルマ好きだよね。K君のヴェルファイアが普段走ってる道路のアスファルト舗装って、何年持つか知ってる?
「ん〜、50年ぐらいですかね?」
「いや、基本設計では10年の耐久性ってことになってる。10年で壊れてくるから、年中あちこちで道路工事ってやってるわけだ。道路だけじゃなく、ガスも電気も水道も建物も、人が作って社会のために役立てているモノには全部寿命があって、作り続ける人手がないと、社会っていうのは維持ができないものなわけ」
「なるほど……そういえばこの間久しぶりに地元に戻ったら、団地の近くの道がボッコボコにヒビとか入って穴も開いてて、車が通れる道なのに普通にコンクリから雑草生えてましたね」
それはまた相当に貧しい自治体だな……などという僕の驚きは隠して、ここからがズルい物語の締めだ。
「となると、やっぱり担架があったほうがいいよね。みんながヒイヒイ言って歩いてる横を担架に乗ってる人がいたらズルいって思うかもしれないけど、集団の最終目的のためには彼らも必要な人材なんだ。そのためにあるのが、生活保護って制度なわけ」
さあ、反応はどうだ? 基本的にはこのロジックで、大体の若者は「なるほど!」となってくれる。結果ありきで誘導的な説話だが、1日のうち数時間をまとめサイトの閲覧に費やしているようなタイプの若者には、その後の考察の端緒を与えることはできる。だがK君の場合はどうだろうか。
「でも鈴木さん」
ヤバい。やっぱり彼は強敵だった。
「その考えでいったら、目的地に到着した先でも、その組織のために働けない人は、担架に乗せる必要はないですよね。たとえば障害者とか、高齢者とか……。保護したところで、あとから道路工事する人になれないっすよね」
集団ではなく組織ときたか……。さて困った。実際に生活保護の受給者は近年とみに高齢者、母子世帯、障害・傷病者に集中する傾向にある。その大半は働「か」ない人たちではなく、働「け」ない人たち。彼らを担架に乗せる理由は何だろう。
そもそも生活保護法の根拠は憲法25条の国民の「生存権」にあるが、そうした法解釈は非常に専門的な議論で肌感覚が薄く、前段の連れション理論のほうがよほど説得力をもつ。
「詐欺犯罪」で洗脳される若者
まして、これまでの僕の著書にも書いてきたことだが、ことに特殊詐欺犯罪の界隈では有資産の高齢者から金を奪うことを正当化する洗脳的研修が日常的になっている。日本の金融資産の大半を高齢者が保有していることや若者の貧困をソースにして、「大金を持つ高齢者から多少の金を奪うことは最悪の犯罪ではないし、金のない若者からさらにむしろうとする行為よりはマシ」「むしろ高齢者をターゲットにした詐欺は、非合法の再分配である」といった理屈の刷り込みが行われている。
K君もまさにこうした洗脳を受けているから、連れションの説話は簡単に「やっぱ老人騙す詐欺は悪くない。金抱えてもう働かない奴から金取るのは悪いことじゃない」というロジックの裏付けにされてしまいかねない。
だがここで僕が思うのはどうやってその先を説諭すればいいのかではない。あふれるのは、なんてもったいないんだろうという、ため息だ。
K君は明らかに、かつて子どもの貧困の当事者であって、今も貧困の生い立ちの被害者だ。今はかつての犯罪収益金を種銭に飲食経営事業などやっているが、元詐欺犯の飲食経営が何年もうまく続いたケースを見たことなんてない。落ち目になればまた裏稼業の世界に戻り、生き馬の目を抜く裏社会の中で時代の趨(すう)勢についていけなければ、いつか逮捕されて出所後には自らが大人の貧困の当事者になりかねない。
カラッとした快活な性格で、よく笑い、友達思いで、なによりすこぶる頭の回転が早くて、こんなK君が中卒の院卒(少年院卒)なのだ。もし環境が違ったら、彼はどんな人材になっていたのだろう。そう思うと、その社会の喪失感がなによりも悔しいが、実はこうした反応は、昨今のブラック企業でバリバリ働いてしまっている若者にも少なくないものだ。
ともあれ必要なのは、この働「け」なくなっている人たちを社会がケアする根拠と方法について、連れション理論と同じぐらいの肌感覚で説明する物語だ。K君への説諭は次回へと続く。
中途半端な終わり方で読者の皆さんにフルタコにされそうだが、来週まで、ぜひ皆さんも考えておいてほしい。
http://toyokeizai.net/articles/-/124699
貧困者を安易にコンテンツ化してはならない
異様な容姿の奥に見え隠れする「本当の彼女」
鈴木 大介 :ルポライター 2016年6月11日
前回登場した「ホークちゃん」こと瑠衣さんの行方は……
異臭漂う28歳の巨漢ロリータ服の援デリ(組織売春)嬢のホークちゃんこと瑠衣さんは、思ったとおりの問題児であった。初回の取材でも「一品ものの老舗ブランド服」と言っていたロリータ服は明らかに縫製が甘い安物だったし、語る言葉からは深く考えるまでもなくバレバレのウソがいっぱいだ。
追加取材のアポイントを取り付けたが、初回取材の翌週にセッティングした待ち合わせ場所に彼女は訪れず、翌日になって「腰痛で死んでたにゃ」とLINEが1本。さらに翌週のアポイントをするも、その直後にLINEのアカウントも変更されて音信不通になり、紹介元の援デリ業者のところからも「瑠衣は飛んだ(失踪した)」と連絡があった。
こうした取材ではあまりにもアルアルの展開で驚きもしないが、そんなこんなで数カ月後に、唐突に僕の携帯のSMSに「瑠衣ですがちょっと相談があるので会えませんか」と単刀直入な連絡が入った。
ようやくここからが、本当の取材開始だな。そう思った。
フルメイクのロリータ武装とは別人!
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今度は待ち合わせ場所に指定した三郷のサイゼリヤに時間どおりにやってきた瑠衣さんだったが、原宿で1回見ただけという理由ではなく、僕は人込みの中から彼女を見分けられなかった。
見事なまでの眉なしノーメイクに、なぜか大きなサングラス。顔はニキビでいっぱい。控えめに見ても4Lサイズのマキシワンピースでふくよかなボディラインを隠し(切れず)、袖だけが派手な水玉模様だが、二の腕パツンパツン。いずれにせよ前回のフルメイクのロリータ武装とは別人だ。
呼び出しの要件はアポイントのやり取りの段階で、初めの「相談がある」から「取材の続きはしないんですか?」に変わっていたが、瑠衣さんの狙いが取材謝礼であることはわかっていた。
サイゼリヤの席に着くなり、封筒に入れた取材謝礼(3万円也)を渡すと、明らかに彼女の安堵が伝わってきた。「ちょっといいですか?」と言って、バタバタと小走りでサイゼリヤを出ていく。何かの支払いに、銀行かコンビニのATMに向かったのだろう。
さらに30分。戻ってくる途中で買ったのであろう何かを口の中でもぐもぐさせながらサイゼリヤに帰ってきた瑠衣さんを前に、本当にようやくのようやくで、取材が始まったのだった。
「前に話した(ホストの)彼氏が店の店長とトラブっちゃって。そんで傷害で訴えられて、彼氏もケガしてたんだけどこっちは診断書取ってないけど向こうは診断書あって、なんかわかんないけどその医者もグルで本当はかすり傷なのに眼底骨折って言われて診断書作られちゃって。ウチは売り掛けと彼氏に20万円渡したんだけど、彼がウチの身も危ないからちょっとおまえガラ交わせ(身を隠せ)って話になり。結局(風俗店の)移籍の話とかもなしになっちゃって……」
とつとつと語る言葉は初回取材時のように'80年代風の語尾伸び伸びではなかったが、これが瑠衣さんの本来のパーソナリティなのだろう。
「それで今はどうしてるの?」
「元カレの家にいます。仕事はしてないけど探してる」
ピンと来た。元カレとは、瑠衣さんを僕に紹介した援デリ業者の前に瑠衣さんを使って売春をさせていたという、元ヤクザの中年男のことだろう。援デリ業者からは、この元ヤクザと売春の縄張り問題でもめ事があった際に、瑠衣さんを「押し付けられた」と聞いていた。要するに元カレとは、かつて瑠衣さんに売春相手の男を紹介してカネをピンハネしていたヒモ男だ。
「どうするつもりなの……」
「わかんないよ……」
そう言って下を向いて汗ばんだ髪の毛をかきあげる瑠衣さんの大きな頭に、かさぶたの塊が見えた。「元カレ」から暴力を受けているのだろうか。
それにしても前回の原宿取材とのテンションの差はどうしたことか。たぶんクローゼットに200万円分のロリ服もウソで、原宿に着て来た安物ロリータ服も記者からの取材ということで気合いを入れて着込んできた一張羅の勝負服だったのかもしれない。そう思うと、なんだか瑠衣さんの瑠衣さんなりの一生懸命さが、その孤独が、悲しくて仕方なくなってきた。
その後、何回かに分けて、彼女の生い立ちを聞き取り取材をした。
貧しい祖母に預けられた中学時代
散漫でわき道にそれがちだった話のつじつまを合わせると、彼女は実年齢34歳。千葉県北部出身で、障害のある弟と3人暮らしの母子家庭で育った。父親のことは記憶にないが、弟が生まれて障害があることがわかった時点で行方をくらましたという。母親は病院の看護助手をしていたが、瑠衣さんの小学校時代から母娘は性格が合わず、母からはたびたび暴力を振るわれた。
中学になると瑠衣さんのほうが力が強くなり、母親にケガをさせたことをきっかけに、茨城県南部の利根川沿いに住む母方の祖母に預けられることになる。祖母は貧しく、細々と自給自足に近い農業をやっていた。祖母は母ほど頻繁ではないものの瑠衣さんに暴力を振るったが、農業で鍛え続けてきたその腕っぷしの強さは母の比ではなく、瑠衣さんは抵抗の意思を失ったという。
瑠衣さんは祖母の下で中学時代を過ごし、一応、定時制の高校に入学するも、1年で退学。することもなく、千葉県の柏駅近くを歩いていたところを路上スカウトされ、地場のデリヘルに年齢をごまかして入ることになった。
18歳で当時付き合っていた(というかおそらくヒモの)インディーズバンドのメンバーと同棲を開始、2年後に子供ができたが、切迫早産で入院中の37週目で死産。バンドをやめた彼と一緒に彼の実家(父子家庭)に身を預けたころから、デリヘルに加えて個人的に携帯の出会い系サイトを使った売春を始め、数グループの援デリに所属し、今に至るという。
その間、客の子供を妊娠して3度の中絶手術を受けた。
こうした取材を続けていれば何度もお目にかかる、あまりにもありふれたライフストーリーではあった。
「瑠衣さんはどうしたい?」
「とりあえず死にたい。生きてる意味ない。次、携帯止まったら死ぬ」
先ほど大急ぎで支払いに行ったのは携帯料金か。
「少なくとも今、瑠衣さんには自分が払う責任のある借金はないと思うよ。ホストの彼氏の肩代わりなんかしなくていいでしょ」
「バックレたら二度と埼玉のホスクラで遊べない。ホスクラでも行かなきゃ、誰もウチのことなんか本気で相手してくれない。鈴木さんも仕事だからウチの話聞いてるんしょ? つうか、なんかしてくれるっていうならお店(風俗店)紹介してくれるか、婚活手伝って。ノッツェ(婚活サイト)ってどうなのノッツェって、知ってるノッツェ?」
さあ参った。どうしよう。などと思っているうちに、情けないことに僕自身が脳梗塞で倒れてしまった。取材は中断。昨年のことである。
くだんの援デリ業者の報告によれば、瑠衣さんはその後、母親と弟の住むアパートに戻って、弟の障害者年金や生活保護費を横取りして暮らしているという。その話もまた、どこまでウソだか本当だかわからない。
貧困者を安易にコンテンツ化してはならない
この「面倒くさい」「手に負えない」「出口見えない」を絵にかいたような瑠衣さんは、まさに僕の主張したい「貧困の当事者を安易にコンテンツ化してはならない」のサンプルケースとして、あえて描かせていただいた。
もちろん、当事者の特定ができないよう、瑠衣さん自身が記事を読んで傷つかないよう、いくつもの取材対象者の話を組み合わせ、設定や環境を改変しているが、個々のディテールはすべて実在の人物取材によるものだ(ホークちゃんのコードネームも、近しい状況にある別の取材対象者のものを転用した)。
ようやく提言に移りたい。初回の取材で、瑠衣さんが新聞やテレビなどのメジャーメディアの取材線上に引っかからなくてよかったと思ったのには、いくつもの理由がある。
まず第一に、多くの「速報性」を求めるテレビメディアや新聞メディアのほとんどは、限られた短い取材期間の中で当事者を見つけ、さらっと取材してそれをコンテンツにしようとしてしまう。だがことに相手が貧困者の場合、そこで起きる弊害は、甚大だ。
初回の原宿取材で登場した「ホークちゃん」である瑠衣さんを、その初回の印象や言動のみでルポとして描いたら、どうなってしまうだろう。それはほとんどギャグだ。瑠衣さんの特異な容姿やめちゃくちゃな言動は、下手をしなくても嘲笑の対象になりがちだ。彼女をそのままに描くことは、見世物小屋的な露悪趣味を満たすギャグコンテンツとして消費されかねないし、貧困当事者への差別を招きかねない。
けれども、瑠衣さんの抱えた問題や、ウソのベールの奥にあった本当の生い立ちや、ずっと味わい続けてきた彼女の苦しみは、何度もの取材でようやくこぼれ出てきたものだった。今回の取材では「幸いにも」初回取材の直後に彼女がトラブルに巻き込まれて苦境に陥ったから早々に本音が聞き取れたが、彼女が売春のシノギでギリギリ生活を継続させることができていたならば、もっともっと取材に時間がかかり、悪くすればいつまで経っても本音や本当の話が聞き取れなかったかもしれない。
つまり、さまざまな当事者取材の中でも、貧困者の当事者取材は本当の対象者の像が見えて来るまでに時間がかかるのだ。理由は明らかで、重度の貧困とは複雑な要因が長期間連鎖して陥るものだからで、むしろその要因が複雑でわかり辛いからこそ、彼らは支援の手からすり抜け続けて今も貧困にあるのだと言えるから。単に昨日今日失職したからというものではないからである。
大手メディア記者と貧困者は別世界の住人
さらに最悪なのは、大手メディアの記者となる平均的な人物と、取材対象となる貧困の当事者が、同じ日本にありながら別世界の住人だということだ。
僕自身、貧困当事者についていくつもの本を出し続けてきた結果、多くの大手メディアから「取材に協力してほしい」「取材対象者を紹介してほしい」「取材対象者の探し方を教えてほしい」と、うんざりするほどの量の依頼を受けてきて、「ご自分でお探しください」と依頼のほぼすべてを断ってきた。
そこそこキチンとした家庭に育ち、有名大学に進学してドロップアウトすることもなく、そこそこ苛烈な競争率を勝ち抜いて大手メディアの記者になった人々にとって、原宿に現れたあの「ホークちゃん」は、明らかに想像のはるか斜め上で、理解不能だろう。
僕も記者として今よりもっと未熟な頃は、こうした協力依頼に応えて取材したことのある当事者を紹介したこともあったが、見事に100%の確率でもめ、後に紹介した人たちからクレームを受けるハメになった。
取材の現場で正論を振りかざす、安易な解決策を押し付けるならまだしも、人格を否定し説教する。「あなたそのままで大丈夫だと思ってるの?」という。
殺意が湧く。
大手メディア批判に終始しても仕方がないが、僕はこれまで貧困の当事者を記事に描く中で、その生い立ちや抱えている苦しみや孤独、その貧困からの脱出を阻む、絡み合ったさまざまな背景を強調して書き、それ以外の「彼らが特殊なんでしょ」「彼らの自己責任でしょ」的な論を導き出しかねない描写については、可能なかぎり避けてきた。これが「バイアスモード」だ。
実際、取材すれば取材するほどに思うのは、貧困者とはそもそも、男女問わず、かわいらしくもなければかわいそうにもなかなか思えない人々だ。むしろ見るからにかわいらしくてかわいそうなら、誰かが手を差し伸べて貧困に陥っていないかもしれない。
これまでの拙著の大半は、いずれも売春で生計を立てる貧困女性を描いたルポだったが、彼女らのほとんどはそうとうに性格がひん曲がっていて、売春で糊口をしのぐシングルマザーのほとんどは明らかに肥満だった。そして彼女らは、息を吐くように普通にウソをついた。
けれど、それをそのまま描いてどうなるだろう。
彼ら彼女らが当たり前のようにウソをつくのは、邪悪な人格でこちらをおとしめようとしているからではなく、追いつめられた状況の中でつくウソが常態化した結果だ。返せない借金の取り立てを受けているとき、人は返せない理由のウソをつくだろう。どうしても立ち上がれないほどに疲弊している状態で出勤を強要されたら、人はウソをつき仮病をかたるだろう。
そういうものなのだ。他者に説明する気力さえ失われるほどに追いつめられ続けた人々は、ウソが常態化する。それとは別に、セックスワーカーの貧困女性などは、客につくウソに慣れてしまっている。これはこれで、彼女らの体を買う男たちが何百と重ねた「なんでこんな仕事してるの」の質問に答え続けてきた結果だ。
服装がだらしなく、不潔で、行動が粗暴
なんで生活保護を受けているような貧困者が肥満なのか? これも貧困者をストレートに映像で映してしまうテレビ報道にはついて回る定型の批判だ。だが、知的な障害を抱えた当事者が、子供の頃のハイカロリー食を成人後も続けた結果肥満するのは一定の「症例」だし、貧困や孤独といった追いつめられた精神状況は人から感情や行動を自律的に抑制する機能を失わせ、体重と食欲のコントロールを不可能にするというケースもある。摂食障害は自堕落ではなく、治療を要する危険な病気だ。
服装がだらしなく、不潔で臭いがする。行動も粗暴。これも貧困当事者取材でのアルアルだが、これにしても彼ら彼女らがだらしないからでも、人格が破綻しているからでもない。生い立ちから貧困の中にあり、衛生観念や基本的な生活習慣を身に付ける教育すら、ネグレクトな環境の中で与えられてこなかった結果だとすれば、どうか。
ウソつきで荒っぽく不潔な貧困者の像は、長く社会から疎外されてきた被害者像にガラッと転じる。扱いづらい彼ら彼女らの背後に、誰からもケアされず腹を空かせ汚れて泣いている子供の姿が透けて見えてくるのではないか。
何よりも、言動や容姿がハチャメチャであることと、その当事者が苦しんでいることや、それを助けるべきか否かはまったく別問題だ。医者が患者の容姿で治療をするかどうかを決めたら大問題だろう。
以上が貧困者の報道がそもそも「大手速報メディア」とは相性が悪い理由のほんの一端だ。貧困の当事者報道をするのであれば、その複雑な背景が見えるまでに取材に時間をかけ、背景を語ってくれるまで人間関係を紡ぎ、そのうえで新たな差別や誤認が起きないように、あえて一定のバイアス、細心の注意を払ったバイアスをかけた報道が求められると思えてならないのだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/121878
昨今の「貧困コンテンツ」ブームが危険な理由
底辺ライターが「貧困報道」に物申す!
鈴木 大介 :ルポライター 2016年6月8日
売春、窃盗、詐欺の現場取材を専門としてきたルポライターが警鐘を鳴らす
東京原宿。待ち合わせ場所のカラオケボックス前に現れた女性をストレートに描写すると、こうなる。身長は165センチぐらい。おそらく体重は80キロは下らないだろう。事前に聞いていた年齢は28歳だというが、その服装はいわゆるロリータ服で、スカートの丈が膝上だから、白のニーハイソックスとスカートの間にソックスに収まり切らないモモ肉がはみだしている。
破壊的なメイク、40分遅刻、異臭
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おそらく素の顔は見ようによってはそれなりにかわいらしいのだろうが、そのメイクは破壊的だった。つけまつげの反り返りっぷりは、大昔の暴走族のバイクが付けていたテールカウルを思わせるほどに長く反り返り、その目は緑のカラコン入り。電気のついていない部屋でメイクしたように、ファンデーションは粉を吹きまくっているし、生え際では産毛というには随分濃い顔毛がその粉末と戦っていた。
実は待ち合わせの時間から40分以上遅れているが、そのことについては一言も触れずに、彼女はこう言った。
「瑠衣ですぅぅ。ちょっとウチ、買い物したかったんでぇぇ、原宿まで出てきてもらってよかったですぅぅぅぅ」
待ち合わせに原宿を指定してきたのは、'80年代の女性でもこんなには長くなかっただろうと思うほどに語尾がやたらに伸びがちなこの瑠衣さんのほうだったが、瑠衣さんの「紹介者」からは、その自宅は東京と埼玉の境にある八潮のアパートだと聞いていた。
とにかく取材を始めようとカラオケボックスで受付を済ませてエレベーターに2人で入ると、彼女の体からぞうきんのような、洗濯物の生乾きのような異臭が漂い、鼻を突いた。
彼女を取材記者である僕に紹介してきたのは、埼玉県南部を中心に活動している援デリ(売春組織)の経営者男性であった。ちなみに彼に依頼していたのは「援デリ業界で稼いでいる女性と稼いでいない女性の両方を紹介してほしい」。たいへん失礼ながら瑠衣さんは、その「稼いでいない援デリ嬢」として援デリ業者が取材をセッティングしてくれた取材対象者のひとりだった。
カラオケボックスの個室に入ってからの瑠衣さんの話を要約するとこうなる。
着ているロリータ服は老舗ブランド「ジェーンマープル」の一点もので、15万円する。家のクローゼットの中のロリ服全部をオークションで売ったら200万円以上の価値がある。
瑠衣さんの彼氏は埼玉県内のローカルホストクラブに勤めるホスト。独立予定があって来月にはこのホストの地元の埼玉県上尾市にホストクラブを新規出店する。ちなみに上尾は瑠衣さんの出身地でもある。
先月はこの彼が勤めるホストクラブで一晩40万円溶かして、まだ売り掛けありだが全然余裕。
余裕の理由は、現在、瑠衣さんにはほかの援デリグループとデリヘル店からの引き抜きの話がきていて、引き抜き料は20万円で保証(客がつかなくても貰える日給)が3万あるので、来月末には売り掛けをきれいに払えるから。心配すんな。
今、稼げてないのは所属する援デリ業者の打ち子(男客をつけるキャスティングスタッフ)がクソ客ばかり引くクソ打ち子だから。
ウソで固めたセルフストーリー
見事に、紹介者である援デリ経営者から聞いていたプロフィールとは食い違う自己紹介やセルフストーリーの数々だった。経営者の語る瑠衣さんとは、一応都内の売春業者が暗黙で決めた価格協定=最低売春単価2万円の額を大きく割り込む、1本1万2000円で売春をし(そうしなければ客がつかず)、リピート客もゼロというド底辺援デリ嬢。1カ月売春をして15万円も稼げないにもかかわらず、無断遅刻やドタ直(機嫌が悪いなどの理由で無断でホテルから自宅に直帰)の常習犯だと聞いていた。
なぜクビにしないかと聞けば、彼女が「NGゼロ嬢」で、このグループに所属するほかの援デリ嬢の誰もがNGというタイプの客でも大丈夫だからだという。なお、この援デリ業者における瑠衣さんの影のコードネームは「ホークちゃん」(人気漫画『七つの大罪』に登場する残飯処理部隊の豚から)である。
この初回の取材に要した時間は3時間。激しい貧乏揺すりをしながらマシンガントークをする瑠衣さんを見ながら、こう思った。この子は間違いなく貧困者である。だけど彼女が僕より前に大手新聞やテレビなどメジャーなメディアに取材されるようなことがなくてよかった……。
さて。東洋経済オンラインから「貧困男性当事者についての記事を連載してほしい」という打診メールをいただいたのに、即日で「嫌です」と反射的に断ったのは、たかだかフリーランスのルポライター風情としてはありえない選択だった。圧倒的なPV数を誇るこの媒体での連載は、記者としてはノドから手が出る仕事。
それでも「貧困の当事者をコンテンツ化することは、もうやってはならない」「当事者の見せ物報道にはウンザリ」「あらためて現状の貧困問題についての提言記事ならばやらせていただく」と、大上段構えの返答をしてしまった。
幸い中の幸いにも「ならばその提言記事をお願いします」と言ってもらえたのでこうして書けてはいるが、残念ながらこれは昨今、けっこうな閲覧数を稼ぐ貧困当事者のルポ記事ではない。
本当にもう、うんざりなのだ。
僕自身がもう10年以上、子供や若者や女性の貧困をルポしてきた当事者報道の急先鋒でありながら、そして日本にある貧困問題を「可視化」すべきだと強く訴え続けてきたくせに、昨今の貧困の当事者報道には、ほとほと嫌気がさしている。
メディアは貧困者を選別して報道してきた
うんざりの理由はいくつもあるが、たとえばそのひとつは「メディアが報道する貧困者の選別加減」である。この点で貧困報道ではマスメディアはずいぶん前から大きな失敗をいくつも犯してきている。
たとえばリーマンショック、派遣切り、ネットカフェ難民、年越しホームレス問題などで浮上した、ホームレスからワーキングプアまでさまざまな貧困者の報道で、どんな当事者がピックアップされていたかを思い出してほしい。
自戒を込めて思い出せば、忘れもしない僕自身、その当時、取引先の出版社の編集部から取材をしてほしいと言われたのは、「昨日まで一般的な社会生活を送れていた人々」で、「思わぬキッカケで貧困に陥ってしまった人々」だった。具体的に言えば、昨日まで普通に幸せに生きてたサラリーマンで、今日はホームレスになって炊き出しに並んでいるお父さんだ。失職を契機に妻子を失ったりしているとさらに御涙ちょうだいでよろしい。
だがどうだろう。そのコンテンツの意図はこうだ。第一に、読者視聴者のあなた方もいつか貧困に陥るかもしれないという脅し、こうしたコンテンツは視聴者読者の引きが強い。その理由は単純で、テレビ朝日のキラーコンテンツ“本当は怖い家庭の医学”をはじめとする多くの健康バラエティが一定の視聴率を取るのと同様に、人は自分の身に降りかかるかもしれないリスクの情報には、本能的に注目するからだ。
さらにこうした定型の貧困コンテンツでは、その当事者がなぜ貧困に陥ったかのプロセスを描く。これがいわば病気の「セルフチェックシート」に近いもので、提示された身近な危機に実際に自分が陥るのかどうか、陥らないためには何をすればいいのかが描かれる。
そして、こうしたコンテンツに飛びついた読者視聴者たちは、「あたしヤバいかもしれないから対策しないと」もしくは「俺はまだ大丈夫だわ」となるわけだ。が、はたしてこれは貧困報道として、購読数・視聴数を稼ぐ以外の何の意味があるのか?
それは単にエンターテインメントのひとつであって、貧困にいる人々の救済には何の役にも立ってこなかったどころか、大きな弊害すら生んできたように思えてならないのだ。
はたして「貧困=自己責任」なのか?
こうした紋切型の貧困啓蒙(警戒)コンテンツには、いくつもの問題がある。たとえば貧困者がそこに陥ったプロセスを描く中で、「ここでこの人は○○をしてこなかった結果、貧困になった」という場合、この○○をしなかった当事者に、貧困に陥った「自己責任」があるとも取られる。
だが実際はそうではない。少なくとも僕が取材してきた貧困者とは、いくつか自発的なリスク回避をしたぐらいで「貧困に陥らずに済む」ほど、軽い事情の持ち主たちではなかった。本人の資質や周囲の環境がからみあって、縁も運も何もかも尽き果てて、もうやむをえず、あがいても何をしてもはまり込んでしまって抜け出せないのが、貧困だ。そう感じてきた。
だが、多くの報道からはそうした複雑なバックグラウンドが抜け落ち、短い尺の番組や記事の中で、単に「非貧困者」のための予防情報を提供するだけだった。
一方で、「昨日まで普通のお父さん」的な読者視聴者に近いライフストーリーを過去に持つ貧困者を意図的に選択・報道することには、もうひとつ大きな問題がある。
たとえばあの年越派遣村報道の際には、公園の炊き出しに並ぶ多くの野宿者の中から、20代や30代といった若年ホームレスをピックアップして取材する姿が目立った。行列の中から彼だけをピックアップする姿に、吐き気を催した。公園で取材を受けていた「彼」以外の行列を成す野宿者が、見事に背景扱いだったからだ。
ネットカフェ難民報道についてもそうだ。テレビさんや新聞記者さんは、実際に何日かネットカフェ生活を体験してみることすらしなかったのだろうか。そこにいるのは何も若い男女や派遣労働者だけじゃない。売れないセックスワーカーのおばちゃんや、住所不定、職業(半ば)犯罪といった怪しいオッサンまでがたくさんいたはずだ。
ネットカフェという新しい業態と派遣労働者問題という新低所得層が時流にマッチングしたからか、やはり選択的に若い失職者や携帯1本で生き抜く派遣の若者ばかりがピックアップされた。
背景になった彼らは、何年も前から貧困者だったかもしれないし、その公園はそれこそ日本経済が頂点を迎えたバブルの時代から路上生活者への炊き出しをやっていたはずだ。ネットカフェのおっちゃんおばちゃんもそうだ。ネットカフェなんて業態が生まれるずいぶん前から、町の汚いサウナやカプセルホテルなんかには、住民票の住所に住める人間と路上生活者の境界線にある貧困者がたくさんいたものだ。
そんな彼らを背景とし、キャッチ―で今風貧困な取材対象者だけをピックアップすることの最大の問題は、はやりで紋切化したコンテンツはいずれ飽きられて、人が目を背けるようになることだ。飽きられないように新しい当事者、よりキャッチ―な当事者へと取材はエスカレートしていくだろうが、いずれは飽き去られ、「またこの手の貧困ネタっすか、ゲップ」という感じに、タイトルだけで読み飛ばされるようになりかねない。昨今の「貧困女子報道」「子供の貧困報道」では、すでにその読み飛ばしモードまでコンテンツの消費が進んでいるようにも思える。
貧困問題は、消費されてはならない
だが、貧困問題とは本来、こうした消費コンテンツとして決して消えてはならない、社会全体の大きな問題だ。そもそも昨今の貧困報道で「背景扱い」されたような、過去からずっとずっと世の中にあって、無視され差別され続けてきた貧困者を放置してきたことが、社会全体の底が抜けて、貧困が身近なコンテンツになるまでに至ってしまった原因だと思っている。
先日、知人の先輩編集者から、「鈴木さんは貧困報道の一人者ですよね」的なことを言われたがとんでもない。僕などは何の専門ライターかと言えば「売春と窃盗と詐欺」の現場取材専門ライターにすぎない。底辺も底辺だけど、自身が底辺だからこそ、この社会から逸脱した人々への取材は、ずいぶん前から貧困の当事者取材でもあると認識して続けてきたし、今、こうして貧困コンテンツが「ブーム」になって大手メディアもこぞって紋切コンテンツを垂れ流しているのを見て、十数年間、裏の人々取材の中でたまりきった感情が暴発寸前である。
彼らを見世物にしないでほしい。コンテンツとして消費しないでほしい。けれど彼らの抱えた苦しみをきちんと報道し、可視化するべきだ。
最底辺ルポライターからの貧困報道への提言。見苦しい記事が続いて申し訳ないが、数回の連載の枠をいただいたので、お付き合いいただきたく思う。
次回は冒頭に突然登場してもらった揚げ句に、この最終行までスルーしてしまったウソつき貧困援デリ嬢「ホークちゃん」を例に、貧困報道にあってほしい「バイアスモード」について書きたい。
http://toyokeizai.net/articles/print/121457
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