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2016年7月1日 有井太郎
日本の不倫バッシングは、なぜここまで激しさを増しているのか?
芸能人の不倫が相次ぎ、ニュースやネット上では、当事者たちへの批判やバッシングが降り注いでいる。もちろん不倫はいけないことで、彼らが批判されるのも当然。ただ、最近の過熱ぶりを見ると、「昔よりも、不倫への批判が激しさを増したのでは?」と思うこともある。果たして、その変化はいつ、どこから生まれたのか。不倫を軸に、人々の価値観や世論の“時代性”を考えたい。(取材・文/有井太郎、編集協力/プレスラボ)
不倫で埋め尽くされた日本のニュース
「不貞」への風当たりは強くなった?
芸能人の不倫が連日のようにワイドショーを占拠し、不倫バッシングが激しさを増している。この異様なまでの過熱ぶりはなぜだろうか?
「ニュース番組の半分近くが不倫ネタって……。いくらなんでも時間を割きすぎじゃない?」
6月上旬、とある夕方のニュース番組は不倫ネタで埋め尽くされていた。冒頭で流れたのは、今年初頭に“ゲス不倫”を起こしたタレント、ベッキーの復帰会見。続いて取り上げられたのは、落語家の三遊亭円楽による不倫の謝罪会見。いずれも、会見の様子が繰り返し放送された。
筆者の見ていたニュース番組が、冒頭から2人の不倫ネタに割いた時間は40分を超えた。さらに、番組後半でも再度このネタを取り上げたり、芸能コーナーで振り返ったり……。ニュース番組というより、もはや「不倫ワイドショー」だった。
確かに不倫はいけないことだ。それについてここで反論する気はない。ただ、個人の不倫ネタに対してあまりに報道が過熱しすぎではないだろうか。そこまで厳しく、何度も取り上げ続ける必要があるのだろうか(他のニュースを削ってまでも)。そう思って、首をひねってしまう。
不倫への激しい反応は、メディアに限った話ではない。ネット上にも見られる。たとえば今春、タレントの矢口真里が自身の不倫をネタにしたCMに出演すると、すぐに批判が殺到。放送中止となった件は記憶に新しい。また、ベッキーなどへの批判もネット上に集中した。
これらはあくまで不倫をした当事者たちの「自業自得」。だが、ここまで激しいバッシングを見ていると「不倫に対する反応は、昔よりも厳しくなったのでは?」という気もしてくる。
果たして、不倫への“風当たり”に「時代の変化」は関係があるのだろうか。もしあるとすれば、なぜそうした変化が起きているのか。不倫が良いか悪いかという問題ではなく、不倫を軸に世間の反応を追っていくことで、人々の価値観や世論の“時代性”が掴めるかもしれない。筆者は興味を持った。
そこで今回は、「歴史」と「ネット」の面から専門家の意見を交えて検証したい。
「夜這い」「暗闇祭り」の文化から
モラルの文化へと変わっていった歴史
まず「歴史」の面で話を聞いたのは、著書に『昔とはここまで違う! 歴史教科書の新常識』(彩図社)などがある、歴史家の濱田浩一郎氏。同氏は、「不倫に対する“処罰”については、昔の方が厳しかった」という。
「不倫という行為自体は古代からありましたが、厳しく罰せられるようになったのは、鎌倉時代あたりから。それまでは『源氏物語』『伊勢物語』の主人公を見てもわかるように、不倫がそれほど非難されることはありませんでした。これが鎌倉時代に入ると、武士が他人の妻を抱いたら所領の半分を没収され、今でいえば出勤停止(職務罷免)の罰を与えるということが、御成敗式目(武家に関する法律)に規定されます。さらに徳川時代でも、不倫は男女同罪で『夫は、密通した間男をその場で殺しても良い』と定められていたほどでした」
そのような処罰だけでなく、中世以降は「妻が不倫した際に、夫が不倫相手の男性と妻を殺害する“妻敵討”という行為もありました」と濱田氏。「世が世なら、矢口真里さんは旦那さんに殺害されても文句は言えなかったのです」と続ける。
ただし、処罰は厳しくても、実際の庶民の“意識”はまた違ったようだ。
「庶民の意識は、どちらかというと性の問題に寛容だったと思います。徳川時代より前でいえば、日本に来たポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、『日本の妻は、夫に何も言わずに、好きなところに出かける自由がある』『日本の娘たちが両親に断りもしないで、何日も1人で好きなところに出かけていることに驚いた』と述べています。さらに徳川時代以降は、人妻を夜這いに行く風習や、『暗闇祭り』のような祭りの夜の乱交もありました。不倫を絶対悪だとする考えは、庶民において希薄だったのではないでしょうか」
だとすると、やはり時代の中で不倫に対する考えは厳しくなってきたのだろうか。
歴史的な変遷を踏まえて、濱田氏は「不倫に対する世論は、厳しい方へと変化してきたように感じます」と語る。
「かつては『不倫は男性の甲斐性』などと言われることもあり、男性が不倫しやすい風潮さえありました。では、なぜそれが変化したのか。1つは、昔のように男性優位の社会ではなくなったことが大きいと思います。家庭における男性の立場が昔に比べて弱くなり、男性が不倫しにくい状況になったと言えるでしょう」
つまり、現代の女性は働くことが増え、経済力があって独り立ちできる。そのため、「不倫が表に出れば即離婚につながり、慰謝料が発生します。男女とも、それほどのリスクを背負って不倫することはなくなり、併せて不倫への考えも厳しくなったのではないでしょうか」と濱田氏は見る。
昔は、女性が家に入ることが多かったため、夫の不倫を知っても離婚できず、見て見ぬフリをしていたのかもしれない。それが女性の地位向上により、離婚のカードを切れるようになった。つまり、不倫を断罪できるようになった。
こうして不倫への世論が厳しくなっていったとすれば、それはとても“健全な変化”といえるだろう。
「その他には、近代から現代社会になるにつれて、不倫=悪(罪悪)という観念も強くなったのではないでしょうか。そこには、教育やメディア、文化の影響などがあると思います。さらには、結婚相手を『運命の相手』とし、一生の恋愛関係にあることを理想とする考えが広まったのも一因でしょう」
これらの要素が噛み合って、不倫への見方は厳しさを増していった。これが、歴史的観点から考えた濱田氏の見解である。
ネット上の攻撃は純粋な世論か?
「意見が見える」という落とし穴
一方筆者は、不倫への反応が過熱する背景として「インターネット」の存在を考えてみた。ネットの普及も、最近の不倫バッシングに大きな影響を与えているのではないだろうか。
そこで話を聞いたのが、駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部准教授の山口浩氏。ネットの普及による人間行動の変化に着目する同氏は、不倫への厳しい反応とネットの関係をこう語る。
「まず、インターネットによりバッシングが可視化されたことが大きいです。不倫に限らず、様々なクレームやバッシングは以前なら目に見えず、たとえば電話で企業にクレームを言っても、握りつぶされることさえありました。今は、1人1人の苦情やバッシングが見えるため、炎上へと発展。苦情やクレームがネットで見えるようになったことで、特定の相手だけでなく、社会全体に発信する形になりました」
埋もれていた“声”が見えるようになったのは良いこと。だが、こうしたネット上の意見は、見えるからこその「性質」を持ち、それが大きなバッシングを生み出す種になるという。山口氏が続ける。
「ネットやSNSでは、他人の意見が見えることにより、多数派と異なる意見を言いにくい心理が生まれます。自分だけ違うことを言って叩かれたり、思わぬ炎上になったりするのはイヤですから。それを懸念するため、流れに逆らう意見は出にくい。結果、ネットでのコメントは一方向への大きな流れが起きやすくなります」
たとえば、最近モラルに関する厳しい批判がネットで殺到するのも、「明らかに間違っていると世間が考える行為への批判は、言い返される不安がない。安心して批判できるので、コメントをする人が多くなりがち」と山口氏は指摘する。
ベッキーが炎上した一因も、誰が見ても不倫関係にありながら「友達」だとシラを切ったから。ベッキーの行動に対し、ネットで「嘘をつけ!」と批判しても、言い返されることはあり得なかった。明確に「悪」を指摘できる事象は、ネット上で批判がしやすくなる。
そう考えると、明らかに当事者が悪い「不倫」は、ネットにおいて批判のコメントが募りやすいニュースの1つ。最近の過熱には、そういった要因もあるのではないか。つまり、ネットでのバッシングだけで、人々が不倫に厳しくなったとは言い切れないのかもしれない。
「ネットやSNSの意見にはそういった性質があるので、必ずしも世の中の価値観や世論と一致しているとは言えません。表向きの態度と実際の態度が違うケースも考えられます。また、もともとネット炎上で熱心に書き込むのは、多くの場合ごく少数の人ですが、実際より多数に見えるのも事実。意見はインターネットで見えるようになったものの、それが全てではないと考える必要があります」(山口氏)
メディアとネットの掛け合いで
バッシングが生まれる「着火構造」
山口氏は、「そもそも、芸能人の不倫ネタは大多数の人にとって“どうでもいい”問題。だからこそ、わざわざ世間と反対の意見を述べてネットで戦う人はいないし、世間が受け入れやすい態度をとる」と言う。彼はこれを「『どうでもいい』の壁」と呼ぶが、そうした態度が、ネット上の意見を一方向に加速させるのだろう。
ちなみに、Googleトレンドを使って「不倫」というキーワードの検索回数を時系列で調べると、矢口真里の不倫ニュースが出た2013年あたりから、今日まで上昇傾向が続いている。
「2007年にiPhoneが登場し、他社もAndroid携帯で追随。2010年以降からスマホが急速に普及しました。それにより、SNSなどで手軽に意見を言えるようになりましたよね。すると、個人的にはどうでもいいと思っていることでも以前よりコメントや同調をする人は増えます。そこに先ほどの可視化の性質が加わって、バッシングがより過熱する環境ができていったのではないでしょうか」
さらに、バッシングを大きくした要素として、山口氏は「マスメディアの存在」をあげる。
「当然ながら、マスメディアの担当者はネットに殺到するコメントを見ているわけで、それを参考に番組や記事の方向性を考えます。特に『怒り』の感情は人を動かしやすいので、ネットに募る批判は“おいしい材料”。つまり、ネットで批判が盛り上がると、メディアはそれを煽るような内容を報じる。すると、さらにネットが盛り上がる……。こうしてネットとマスメディアの間を、掛け合いのようにぐるぐる回っていき、火種がすごく大きくなってしまう。こういった炎上の構造ができているのでしょう」
山口氏は、「マスメディアがネットからネタを拾う傾向は以前より強まっていると思います。その結果、ネットとマスメディアの掛け合いは加速していきます」と考える。冒頭で記したニュース番組の構成も、その表れかもしれない。
不倫へのバッシングはあって不思議はないが、それがあれほど過熱した背景には、こうしたネットの影響も存在しているということだ。これは不倫に限らず、様々なバッシングや炎上にも言えることだろう。
不倫ニュースから見える
「価値観」と「世論」の変化
「歴史」と「ネット」の側面から、不倫への価値観や世論における “時代性”を考えてみた。歴史的に見れば、女性の地位が向上したことなどを背景に、不倫を悪とする世の中のモラルが向上。正しい形に変容していったと言えるだろう。まさに、社会背景が元となった価値観の変化だ。これは、数十年、数百年という大きな視点での結論である。
ただし、ここ数年の不倫ニュースに対する激しい反応は、価値観だけの変化によるものではない。インターネットが持つ一定の性質により、大きなバッシングや批判が生まれやすい構造ができていると言える。
もちろん、この影響は不倫ニュースに限らない。別のニュースや事象に関しても、ネットの持つこの性質は多分に関わっているのではないか。現代における「世論」や「世間の声」を考える上で、避けては通れないテーマだろう。
今年の上半期を通じて世間を賑わし続けてきた芸能人の不倫。興味本位で見るばかりでなく、そのニュースの裏にある“時代性”についても、少し考えておきたい。
http://diamond.jp/articles/-/94011
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