42. 2012年11月06日 19:42:56
: Aply9KcASU
今回の田中真紀子文科大臣の3大学不認可は やはり裁量権の逸脱と考える。諮問されたものや審議会で許認可されたものを すべて通すのがルールとは決して考えていない。 しかし、 今回の田中真紀子氏の不認可行為はやはり容認できない。 大学の乱立と大学の教育研究の質の低下という 現今かつ少子化社会に備えての将来的な問題を解決すべく 文科大臣がリーダーシップを発揮して 大学設置基準の見直しをはかり、 質の向上を督励することは本来の職務として大事である。 しかし、 今回の3大学の申請については、 裁量権の逸脱といわざるをえない。 文科相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」や 他の委員会、諮問機関のそれぞれの基準や性格、規模、影響等も 踏まえたうえでの議論でないと暴論になる。 文科省の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」は 大学設置基準にもとづいて、申請のあった大学がその基準に 適合しているかどうかを審査し、認可すべきかどうかを答申する。 ではその大学設置基準とはなにか。 インターネットで調べていただければよいが、 日本のすべての、いいですか、すべての大学がこの設置基準によって 運営されている。 大学には、専門教育の学部・学科・課程をおき、高等教育にふさわしい教員組織(教授、准教授、助教ら)があり、施設(校地、校舎等の施設及び設備等)が準備され、学生の定員も決められ、それでも財政的裏付けがなされないと認可されない。 施設でわかりやすいのはグラウンドだ。グラウンドのない学校は大学として認可されず、専門学校レベルとなる。図書館設置も義務づけられている。 大学設置基準は、このように我が国高等教育を支える法的拘束力をもつ基準である。 だから、その基準にあうかあわないか、文科省段階での申請書類の チェックが何度も行われる。普通は何年間も申請して、その認可基準に達する。 認可基準に達すれば、大学設置・学校法人審議会の審議にかかる。 たいていは、認可基準に達しているから、ここで新設の答申が出される。 投稿者は認可も下りていないうちに来年4月の開校準備をするほうがおかしいと いうが、それこそ無理難題であって、大学新設というのは、一軒の家を建てるのとはわけが違って、 申請時に大学にふさわしい何十人もの教員組織やグラウンドや校舎や施設を準備しておかないと、認可されないのである。 他の無数の小さな委員会などとは異なり、 大学設置・学校法人審議会の審議は、我が国の大学設置基準という法的拘束力を もつ基準のうえでの審査であり、答申が行われることをしっかり理解しておきたい。 文科大臣に大学の認可権があることは事実である。 だから、こうした手順を踏んでだされた認可答申を 文科大臣が不認可するということは、 基本的には申請大学に基準にあわない瑕疵があるときに限られる。 だから田中氏はこの三大学に対して、 こことここが大学設置基準にあわないから不認可としたと 説明しなくてはならない。 しかし、不認可の理由は「大学の質が低下した」というものである。 これは、三大学の申請とは異なる問題であり、 三大学にとって現時点で責任のない話であり 到底納得できるものではないだろう。 大学の質の低下は一般的な事実であろうし、 将来の少子化社会において、これ以上の新設大学は不要というのは 正しい方向性であるだろう。 しかし、今回の三大学に対して、 田中氏は大学の設置基準にあわないから不認可としたのではない。 群馬の創造学園大などの問題があり、大学の質の低下があるからという 一般論で不認可にした。 これはおかしい。 申請が現行の大学設置基準にあっているならば、認可すべきである。 大学の質の低下を防ぐてだてを考えるのは文科大臣の職務であるが 一般論と、個別対応を混同してはいけない。 ましてや、他のスレで板垣氏は、森元首相ら文教族への対抗だと 述べているが、これが本当なら、とんでもない暴挙となる。 なぜならば、では、自民党政権になったら田中真紀子の息がかかっているから 認可しないということになって、公平なルールがなくなってしまうからだ。 田中文科大臣のなすべきことは 認可取り消しを一刻も早く撤回して、社会的混乱を収めること。 そして、大学の質の低下を防ぐために現行の設置基準に問題があるならば その設置基準の見直しにとりかからせること、 大学の質の向上のために大学への財政措置をはかること、 大学設置・制度審議会に問題があるならば、その構成や制度的問題も含めて 手直しをはかること、 私立大学と文科省官僚との癒着、天下り、あるいは 建設にあたり自民党建設族との政治癒着があるならば、 そういう構造を改善する努力をすることである。
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