20. 2012年10月22日 22:40:58
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なんかバトルの様相になっていますがコメントさせて頂きます。私は、双方が仰るような難解な法律のことなどは正直言ってよく分かりません。 それにレベルが高いとか低いというようなやり合いも好きではありません。 でも自分の認識が間違っているかどうかは知りたいのでコメントさせて頂きます。 結論から言うと私は亜砂利さんを支持してます。 理由は、私は法律的な事はよく分かりませんが、少なくとも亜砂利さんは行動をされています。 そこで質問です。 私の認識によれば一連の小沢氏に関する裁判ですが、秘書3人の逮捕及び控訴まで含めまして理由はただひとつ、小沢一郎という政治家に権力を握らせないための事件だと認識しています。 ことの発端は、小沢氏が先導して行われた歴史的な政権交代。しかもその後の代表戦で小沢一郎がトップになるかどうかの瀬戸際での出来事でした。 それを妨害したのが今回の事件だと思っています。 ここまでは正しいでしょうか?続けます。 小沢一郎という政治家に権力を握らせないためにはどうすればいいか? そこで行われたのが特捜部による見込み捜査でした。秘書を逮捕して関係企業も徹底して捜査しましたが全く何も出てはきませんでした。 本筋は収賄罪で逮捕することを見込んで、無理筋の捜査を特捜がしたのだと思っています。 しかし、特捜の予想とは裏腹に小沢一郎は思った以上にクリーンな政治家であり、直接的に起訴できる証拠は何も出てきませんでした。 そして、この時点で引き返す勇気を示せなかったことが、のちのちに尾を引く事態に発展したのだと思っています。 多額な捜査費用(税金)を使って行われた既得権益側が仕掛けた馬鹿馬鹿しい捜査でしたが今更引くわけには行きません。 そこで徹底的に調べ上げた上で唯一おかしな所を見つけたのが例の「記ヅレ」です。 特捜部は考えました。 無理筋で「記ヅレ」を犯罪にすることは出来る。 いわゆる政治資金規正法違反です。しかし、それでは本筋である小沢氏を起訴することは出来ません。 政治資金規正法では政治家自身を逮捕する事が法律的に出来ないからです。 なので既得権益側はこのなんかバトルの様相になっていますがコメントさせて頂きます。 私は、双方が仰るような難解な法律のことなどは正直言ってよく分かりません。 それにレベルが高いとか低いというようなやり合いも好きではありません。 でも自分の認識が間違っているかどうかは知りたいのでコメントさせて頂きます。 結論から言うと私は亜砂利さんを支持してます。 理由は、私は法律的な事はよく分かりませんが、少なくとも亜砂利さんは行動をされています。 そこで質問です。 私の認識によれば一連の小沢氏に関する裁判ですが、秘書3人の逮捕及び控訴まで含めまして理由はただひとつ、小沢一郎という政治家に権力を握らせないための事件だと認識しています。 ことの発端は、小沢氏が先導して行われた歴史的な政権交代。しかもその後の代表戦で小沢一郎がトップになるかどうかの瀬戸際での出来事でした。 それを妨害したのが今回の事件だと思っています。 ここまでは正しいでしょうか?続けます。 小沢一郎という政治家に権力を握らせないためにはどうすればいいか? そこで行われたのが特捜部による見込み捜査でした。秘書を逮捕して関係企業も徹底して捜査しましたが全く何も出てはきませんでした。 本筋は収賄罪で逮捕することを見込んで、無理筋の捜査を特捜がしたのだと思っています。 しかし、特捜の予想とは裏腹に小沢一郎は思った以上にクリーンな政治家であり、直接的に起訴できる証拠は何も出てきませんでした。 そして、この時点で引き返す勇気を示せなかったことが、のちのちに尾を引く事態に発展したのだと思っています。 多額な捜査費用(税金)を使って行われた既得権益側が仕掛けた馬鹿馬鹿しい捜査でしたが今更引くわけには行きません。 そこで徹底的に調べ上げた上で唯一おかしな所を見つけたのが例の「記ヅレ」です。 特捜部は考えました。 無理筋で「記ヅレ」を犯罪にすることは出来る。 いわゆる政治資金規正法違反です。しかし、それでは本筋である小沢氏を起訴することは出来ません。 政治資金規正法では政治家自身を逮捕する事が法律的に出来ないからです。 ですので既得権益側はこの政治資金規正法違反から小沢氏の起訴へ何とか階段を結び付けようとお得意のシナリオを妄想しました。 この「記ヅレ」を行った理由が水谷建設からの違法な金銭の授受を隠すためという勝手な妄想の決め付けですね。 しかし、この違法な金銭の授受を証明する証拠がどうしても挙がりません。 そこで、空想である妄想を現実のことと見せるためにマスメディア(TBS)を使って実際に違法な金銭の授受が行われたようにテレビで報道までしました。 この時点で相当に苦しいですが、テレビを見ている国民は信じてしまったことも否めません。小沢バッシングの人物破壊攻撃が最高潮に達します。 しかし、実際的には水谷建設の運転手記録には受け渡しの日に、金銭授受のホテルに行った記録も見つからず、証言内容も石川議員は長身でしたなど、頓珍漢なものばかりでした。結局は直接的に違法な金銭を授受した証拠はなかったのです。 しかし、既得権益側はこの時点で超えてはならない一線を越えてしまっていますので今更後には引けません。 その結果、登石裁判長は秘書3人の判決で「推認」で有罪というウルトラCの前代未聞の判決でカバーしました。 ここは重要な点です。 小沢氏を起訴するためには、どうしても違法な金銭の授受が「あった」という判決にせざるを得ません。 支持資金規制法違反だけでは小沢一郎という政治家を有罪にすることが出来ないからです。この登石という裁判長はとんでもない判決を下しました。 これがすべてです。 この事で検察と裁判所が「既得権益」という意味で全く同じものだという事が多くの国民に知れ渡りました。 何しろ証拠がないのに有罪なのです。この意味は重大です。 しべては小沢一郎起訴への階段をつなぐためでしょう。ここで無罪なら既得権益側は「あきらめた」ということだからです。 しかし、決してあきらめません。「あきらめる」ということは既得権益側にとって死を意味するからです。 すべての権力を使って小沢一郎を政治的に抹殺しようということですね。 この登石裁判長の秘書3人への「推認」有罪で何とかギリギリ小沢氏の起訴への階段をつなぐことが出来ました。 何しろこの「推認」の意味が、ゼネコンへの利益供与の為に小沢氏は天の声を発していたと思われるというようなわけの分からない「推認」だからです。 噛み砕いていえば登石裁判長はこう言っていたということです。 直接的な証拠は何もないけれど、小沢さんの秘書が土地を購入した代金を期日をずらして帳簿に記載するのはおかしい。 きっと怪しいことを隠すために記載日をずらして書いたのだろう? 理由は水谷建設に仕事上の便宜を図るため。その便宜を図った見返りに秘書に金銭を受け取らせたのだろう?(妄想) そして、その違法な金銭の授受を隠蔽するために土地を購入して、しかもその事を隠すために記載の日付をずらしたのだろう? といった「推認」です。 これで秘書は有罪になりました。理由は秘書が「記ヅレ」で有罪になるだけでは小沢氏への階段を繋ぐことが出来ないからです。 政治資金規正法違反では政治家を逮捕できませんので無理やりにでも違法な金銭の授受を「推認」する必要性があったのです。 なぜなら「共謀」という罪に問うことが出来るからです。これなら小沢氏を逮捕することが出来ます。 しかし、検察特捜部の中でも常識的にはこんな事で小沢氏を起訴出来るわけがありません。この時点でも検察内部でも意思統一出来ていない状況だったのでしょう。 でも一部の人たちが更に暴走します。 有名になった田代検事が作成した「捏造捜査報告書」です。 検察の不起訴にも関わらず、一部の人たちは部外者を使って検察審査会にこの不起訴の案件を申し立てしました。 当然受理されましたが、ここで効果を発揮したのが例の田代検事が作成した「捏造捜査報告書」です。 しかも、一線を越えて暴走した勢力はここまできたら絶対に後には引けません。 最早、完全な犯罪だからです。 そこで、更なる緻密な作戦を繰り返します。皆さんご存知の最高裁事務総局のイカサマソフト、それに既得権益側の息の掛かった指定弁護士の人選などです。 徹底的に念を入れた工作によって、見事に小沢氏は強制起訴されます。 しかし小沢氏も引きません。悪いことなど何もやっていないのですから当然ですが。 公判での冒頭陳述で真っ向から検察と対決姿勢を示します。(凄いことです) この時点で多くの国民が検察のイカサマに気づいています。あまりにも滅茶苦茶だから当然といえば当然です。 そして4月26日の判決を迎えます。 日本中が注目していた裁判の結果です。裁判所の外では検察と裁判所の横暴に怒る市民が押しかけるような状況です。 この状況下ではさすがに有罪は出せません。世論にはかなわないからです。 そして無罪が下されます。 その判決は評価され安堵に浸る国民も多かったでしょう。 しかし、小沢氏本人に喜びの表情はありません。権力というものを知り尽くしているのですから当然です。 本当に安堵できるのは控訴訴えの期限が切れるときなのですから当然です。 もちろん、無罪判決はただのガス抜きでしょう。無理筋を通すときには一気にはいけないことを既得権益側は当然知り尽くしています。 無理を通すときには世論を抑えながら段階的に目的に達するということです。
最初に決めた目的に達するまでは、必ず階段を繋げています。 階段が切れたときは、「あきらめる」ということであり力を持っている既得権益に「あきらめる」という概念があるわけはないのです。「あきらめる」ということは 既得権益側にとっては自殺行為なのですから。権力があるのに自らリストラ宣告するわけがありません。 なので、当然世間の批判も省みず「控訴」に踏み切るのでしょう。 何しろ「指定」弁護士など手足のように使いこなせるのですから。 彼らは我々が思っているような普通の弁護士ではないのです。何しろ既得権益側が「指定」した弁護士なのですから小沢氏に有利なことをするわけがないのです。 ここまでの経緯で分かることはただ一つ。 小沢一郎という政治家に「権力」を渡さない為には何でもするという事です。 それが違法だろうが批判を浴びようが関係ありません。 既得権益が「死」を迎えるよりはいいのです。違法だろうが関係ないのです。何しろ合法も違法も決められるのが「権力」というものなのですから。 既得権益側が一番恐れているのは「国民が覚醒」することであり、国民全体が本当のことに「気づく」ことなのです。 なので物事や法律は複雑にしますし、わざと難解な言葉を使うのです。誰もが理解する「シンプル」は敵なのです。 実際に陸山会事件を正しく理解している国民は少ないですし、あえてそうしているのでしょう。 秘書が有罪?小沢は無罪?でも控訴??なんで??? というのが実際のところでしょう。多くの国民には全く意味がわかりません。 しかし阿闍梨さんには分かっているように私には思えます。 何が分かっているかというと、検察が作ってきた「階段」は一切途切れていないということと、既得権益側は決して「あきらめ」たりしていないということを。 結局、水谷建設がお金を渡していないことが証明できなければ小沢氏の裁判は成り立ちません。 なので藤島氏はそこを突いているのです。一発で終わりますから。 阿闍梨さんの指摘は正しいと私は思います。 ですが、いったいどれだけの国民がそのことに気づくでしょう? 秘書の判決は先でなければいけないと私も思います。順序は重要です。 何故なら、万が一秘書が「無罪」であるならば、小沢氏の「共謀」は絶対い成立しないからです。 意図的に順序を組んでいるとしか思えません。 パターンとしてはこうなのではないでしょうか? もし、秘書が「無罪」であれば小沢氏は100%罪に問われることは無い。 事実上の裁判の消滅です。どんな理論も理屈も通りませんし、絶対に世論が許しません。 逆にもし秘書が「有罪」であれば、小沢氏の可能性は「無罪」と「有罪」の両方があることになります。 ようは、「階段」は生きているということです。イコール小沢氏に権力を握らせないという最初の目的を「あきらめ」ていないということです。 しかし既得権益側も現在のような小沢氏が普通に活動されている、さも裁判は「無罪」が確定的であるというガス抜きされた状況で無理筋を通してくるような気もします。 何故なら既得権益というものが、ここまで無理をしてきていまさら「あきらめる」とは思えないからです。 既に小沢氏が起訴されて、証拠も無いのに裁判所が「推認」で有罪を下す。 かと思えば、直接的な明確な証拠があるにもかかわらず田代検事は不起訴にされているのです。 このような滅茶苦茶を行ってもこの国では暴動も起きませんし、ネットやデモで多少批判されるだけで済むのです。 この状態で既得権益側はどんなシナリオを組んで、どう考えるでしょうか? もし、私が既得権益側であれば、どんなに滅茶苦茶をやっても大丈夫だと思うと思います。 しかも、今は小沢氏の判決結果は当然のごとく無罪だと思われているのです。 小沢支持デモもいまは起きていませんし、検察への批判も一段落しているようなガス抜きされた状態です。 ここで仮に小沢氏が「有罪」にされるとします。 当然、世間は驚愕します。まさかの「有罪」ですから。 しかし、裁判所側はこれまでの「推認」判決よりはハードルは低いと思います。 「有罪」へのエクスキューズは簡単です。 「一審の判決には瑕疵があった。」 これだけで済むのです。控訴審は一審の判決に瑕疵があったかどうかを判断するだけですので、どんなに批判が起きても関係ありません。 それ以上のハードルは「推認」判決で越えていますのでこれ以上はありません。 何しろ、証拠が無いのに「有罪」判決を下せるのですから何でもありでしょう。 最早、正邪の判断や法律等は超えていると思います。 常識や法的な問題で考えては小沢氏の裁判に関しては正しい結論を導けないと思います。 「当然無罪」だろう。とか 「どう考えても有罪はあり得ない」と多くの人は仰ります。 ですが、証拠が無いのに「有罪」なのです。 指定弁護士が「控訴」をする世界なのを忘れてはいないでしょうか? このような無茶苦茶がまかり通る国で、何故小沢氏の判決が「無罪」と思えるのかが不思議です。 「無罪」ということは既得権益側の死を意味しているのです。 それは小沢氏の公言している「革命的な改革」が成されたということを意味します。 そんなに簡単じゃないことは小沢氏も当然承知しているでしょう。 何しろ小沢氏の言っている「革命的な改革」は、小沢氏が政権を取ってから始まるものではなく、小沢氏が政権を取ったときは既に革命がなされたということなのですから。 今が小沢氏の言う「革命的な改革」の真っ最中なことを認識している国民がどれだけいるのでしょうか? 小沢氏の「無罪」はそれが達成したということですが、既得権益側がそんなに簡単に「あきらめる」わけがありません。 長々書きましたが、以上の理由で阿闍梨さんの仰ることが分かる気がします。 日付の設定がおかしいということです。 端的に言えば、小沢氏が「有罪」にされる可能性は十分に残っているし、どんなに世論の常識を外れていようが白いものを黒と断定できるのが「権力」というものだからです。 法律のことはよく分かりませんが、この認識は間違っているでしょうか?
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