http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/312.html
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(回答先: アメリカ抜きの日本外交はありうるか?(内田樹の研究室) 投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 9 月 03 日 03:48:08)
フォロー元記事の下記コメントに全く同意しました。
**引用開始**
内田氏は、アメリカ抜きの日本外交があり得ないのは、日本のエスタブリッシュメントの思考停止の故であると言っているのであろう。
小沢氏も言っていたが、結局これは日本の問題なのだ。戦うよりも尻尾を振って益を取る。
井上ひさしの「東京ローズ」(、英語を公用語としようとするGHQの圧力に、日本語を守ろうと戦う日本人を対比させたユーモラスな小説)で、マッカーサーへの一般市民からの手紙の内容の統計(?)だかが載っていた。それによると、マッカーサー礼賛が大半で、ああしてくれ、こうしてくれのお願いや、果ては結婚してくれというプロポーズの手紙まであったという。
我々は強い物には巻かれろという格言まで持っている。仕方がないと受け流し、卑屈に見せてちゃっかり実を取る。しかし、もうその手は使えない時代に遭遇しているのではないか。
http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/278.html#c12
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(投稿者)
支配というのは文武でされますが、武によって支配した側のイデオロギーを被支配側が内面化したときに支配は完成します。
日本は西洋や東洋の他国と比べ識字率が高かったので、支配層のイデオロギーを内面化しエートスとし行動する被支配層が多数である特性を歴史的に国民が持っています。イデオロギーの建前でお上をたて村においてはしっかりと実を取るといった国民性です。
他国においては支配層の官僚等に顕著な特徴を国民全般が持っていると言えるのかも知れません。
菊と刀に捕虜になったら敵軍に忠誠をもって協力する日本軍人の姿を日本人の特徴として描かれていたのを覚えています。
負けたら何されてもしょうがない、勝った側の意図を汲んで従順にしたがうのが当たり前という考えがあり、こうした面が強いのは日本人の特性で、歴史的に性格の違う隣国と従軍慰安婦等の問題で摩擦が起きるのはそもそもプリミティブな意識が違う点も遠因になっているのかも知れません。
圧倒的な武力で鎮圧され内乱や私闘、山賊、海賊等々を鎮圧下に禁止された治安の良い状態を平和というのかも知れません。
刀狩り以来の知っての道で上様アメリカにうまく事(つか)えて来たけど、上様の権勢もだいぶ揺らいできたという時代です。
アメリカの衰退を待つしかないと思います。ただ衰退していっても日本とは比較にならない国力を持ち続けることは間違いないので慎重にしなければということです。
国力が衰退してきたのでアメリカからの収奪(年貢?笑)はきつくなるだろうし、足軽として戦争に徴用しようとする動きも強くなるでしょう。
こうした動きと同等以上に心配なのは支配層により顕著な上に述べたような日本の国民性の弱い(強いと裏表ですが)部分をアメリカに呆れられ見切りをつけられることです。
見切りをつけてほっといてくれるならいいのですが、そうなったらアメリカは上記の動きを加速するでしょうしアメリカ以外の他国との関係も今までがアメリカ一辺倒でやってきただけ厳しいものになるはずです。
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