http://www.asyura2.com/12/senkyo134/msg/757.html
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(回答先: われら国民はイラク戦争に次いでまたも100兆円オーダーの戦費拠出を米国から強要されるのか?(新ベンチャー革命) 投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 8 月 23 日 15:01:22)
幻想に操られる日本人 藤原肇博士と小室直樹博士対談 1982年12月刊行の「脱ニッポン型思考のすすめ」電子テキスト第一章
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/567.html
丁度30年前の対談です。一部を抜粋転載します。
■「日本共和党」を実現させよ
小室
それでなくとも、アメリカとの関係で日本の立場は弱いのに、日本のマスコミは結果的に反ソ反米と相手に受け取られるようなことばかりここにきてやっていますね。ソ連のことはあとで論じるとして、八〇年代の世界情勢を展望するなら、日米は最大の敵対関係になるのは疑いないです。
藤原
僕もそう思う。最大の理由は、日本人のやり方があまりに手前勝手のヤラズブッタクリだからです。この点を反省して改善したら、敵対しないアプローチも生まれてくると思うんですよ。
小室
それは不可能です。破綻の原因が、無規範性を自覚しないでアメリカとの関係を維持しようとするという、日本人特有の行動様式にかかわっている以上、日本の前途には破局しかないのです。
藤原
そういった認識はすでにお互いに確認し合っている結論だけど、なんとか救いが欲しいですね。たとえ一時的な気休めにすぎないにしても、時間稼ぎをしながら破綻をより遠い時点に押しやる努力をしない限り、悲劇は悲惨の度合を増すばかりですよ。
小室
ひとつの選択としては、シベリア開発などでソ連を経済的に援助しながら、米ソ関係の調整の中で日本が生きる途をさぐることです。しかし、それだって日本が国際社会で生きのびる上で、これまでのような行動様式を改めなければだめです。
藤原
ということは、日本文化を自己否定してそれを乗り越えるということでしょう。むずかしいな。
小室
日本型の行動原理を日米関係から取り除くことです。官僚エリートによるタコツボ的発想から自らを解放して、無責任体制をやめる努力をするのです。
藤原
それは個人主義のベースを作ることだし、日本人の政治感覚の中にリパブリカンの思想を導入することです。これはある意味でモナルキーに対してのアンチテーゼに相当するので、現在の日本ではとてもじゃないけど認められないのじゃありませんか。下手にリパブリックなどと口にしようものなら、畳に出刃包丁をつきつける物騒な連中が日本にはまだ多いから....。
小室
リパブリックというと、日本人はすぐに共和国と訳したかるけれど、これがそもそも大間違いです。共和ということばは絶対君主としての王様の存在形式ではなく、リパブリックは王様がいるいないに関係がないのです。たとえば、ナポレオンが皇帝になるときに、「皇帝は共和国とその人民のために全力を尽くす」という宣誓をしている。日本語の感覚からすると、皇帝がいたら共和国ではないということになります。もともと、日本語の共和ということばは中国に起源があって、周の時代の皇帝がいないときに、いく人かの貴族と官僚が政治をやった例が強烈なイメージになって残っている。だから、共和国というと王様がいないという意味になってしまいかねないが、英語やフランス語のリパブリックというのはコモンウェルスの意味で、王様や皇帝の存在は無関係であり、共和国に王様がいても少しも差しつかえないのです。
藤原
これまで誰も厳密な意味でこういった議論をしないまま、リパブリックは天皇制を否定する反逆思想に連なるということで、一種のタブー扱いをしてきましたね。それゆえに、日本では幕末期に榎本武揚が五稜郭に立てこもって、蝦夷共和国を宣言したという歴史的な事実でさえ、文部省は懸命になって抹殺しようとしてきたのです。
小室 物事の本質を理解する能力を持ち合わせず、英和辞典を引くだけで横のものを縦に翻訳しようと考える程度の手合が、小役人として文部省で権力風を吹かせる国だから、こんなごく当り前のことさえ何十年も誤解され続けたのです。それくらいのことは、歴史の本を読めば常識以前の事柄で、共和国には貴族政と民主政の二つの政体が含まれているくらいは、日本以外の国では中学生でも知っています。
藤原 それに、行政の形式のいかんにかかわらず、法によって治められる国家を共和国と呼んだルソーの発想にしたがえば、合法的な政府を持つ国はすべて共和国です。現に彼は、君主政体そのものも共和的になる、と書いているし、マキャベルリの『君主論』こそ最も先鋭的な共和思想の教科書だという意味で、日本ほどリパブリックということばが間違った形で理解されている国は他に例がないですね。
小室
第二次大戦における連合国の戦争遂行機関であり、戦後に旧敵国の管理機構の役目を演じている国連を、日本人はまるで国際政治を調整するユニバーサルな機関のように誤解して、国連中心主義などという軽率なことを唱えている。この国連への誤解と同じで、共和政への日本人の理解は支難滅裂です。
藤原
日本人がアメリカを正しく理解できない理由の第一は、この共和思想に対しての無理解に由来しています。なぜアメリカの政治が民主党と共和党の二大政党対立の形をとっているのかと、南北戦争の時代に遡って歴史的に理解するところから始めなくてはいけない。
小室
世界史的に見ても、共和主義はブルジョワ階級の思想です。それは自らを治める能力と実力を持つ人々が自分たちにとって最も好ましい社会的規範を確立し、それを法理論の体系の下に政治的運営をしようということです。しかも、主体になる法体系は市民法であり、近代的な民主社会の基盤を作っているのです。
藤原
レーガン政権が共和党の政策執行機関として登場したことと、日米間の政治摩擦が高まろうとしている事実からするなら、日本人が何をさて置いてもやらなければならないのは、共和思想の正しい理解です。とくに現在の日本は、たとえグラスルーツにしても、偽装された共産主義路線を歩んでいる。自由を旗じるしにしたアメリカの共和主義に対して最も鋭く敵対するのが、実は日本的な平等感に墓づいた全体主義体制だという皮肉も生まれてくる。自由と民主を自称する日本の自民党がやっている政治が、実は共産主義であり、全体主義以外の何ものでもないという事実は、それ自体アメリカの共和主義と敵対関係を深めることです。
小室
日本の政治が内包するこの矛盾にアメリカ人が気がつけば、これはえらいことになる。しかし、日本の破綻はそれ以前の段階で、日本人の無規範性の側面から起こると思います。
藤原
僕の印象では、レーガンは自らが正義の味方で白いカウボーイ・ハットをかむった存在だと思い、当面はロシア人が黒いカウボーイ・ハットをかむった仇役だと信じきっている。だから、早撃ちの二丁拳銃で身構えて、スタイリストとしての見せ場を作っているが、そのうちふとロシア人もリパブリックを自称していると気がついて、「奴は間違って黒いカウボーイ・ハットをかむったに違いない」と首をかしげる。そんな所へ日本人が灰色のカウボーイ・ハットで登場すると、レーガンにはロシア人の黒が赤く見え、日本人のグレイが漆黒に映り、ほんとうの敵は日本だったということで滅多撃ちにする恐れもあります。
小室
そのきっかけになるのが中国問題です。中国市場に対しての投資で、日米が死にもの狂いで激突する日がくるのは、そんなに遠い将来のことではない。日米経済戦争はアメリカ市場ではなく、中国市場の奪い合いを通して火を吹きます。
藤原
僕はアメリカ市場での対決のほうが危険だと思うな。なにしろ、日本のやり方はヤラズブッタクリであり、日本人が中国市場で同じことをしても、アメリカ人には何ともないけれど、これ以上アメリカ市場で続けるとなれば、アメリカ人は灰色のカウボーイ・ハットの日本人に対してピストル乱射は必至です。徹底的な袋叩きにあいますよ。
小室
西部劇に見るように、昔から黄色人種に対しての蔑視は根強いものがある。だから、アパッチ族殲滅作戦と同じ阿鼻叫喚の惨状が起こり得ます。
藤原
そのときに、日本人がアメリカ人に講和を申し入れる最低案件として必要なのは、リパブリカンを使者に立てる才覚です。だから、できるだけ早い期間に、日本人は現在の与党と野党の他に、第三党として、共和党を設立して育成することです。不思議なことに、現在の日本では誰一人として日本共和党を発足させようといわないけれど、この辺に最大の政治的盲点があるんじゃいかな。
小室
日本に共和党が生まれれば、自民党と共産党が合同して、新しい名前をつけて共産自由新党とでも名のるのではないか。本質的にあの両党は官僚的で全体主義ですからね。
藤原
ともに偏狭な民族主義集団だから、ことによると国粋自共党という看板でやるかもしれませんよ。
小室
それなら国民党でいい。
藤原
国粋主義的でインタナショナルなセンスに欠けているから、国民国家党としたらどうでしょう。どう見ても正真正銘の全体主義攻党だということは一目瞭然だ。
小室
アメリカ人の本音には、日本が軍事的に力を持つことに対しての不快感がある。戦後三十年の蜜月が過ぎ去ろうとしているいま、宿命的なライバルとしての日米両国は、同床異夢の開係にあるのです。
藤原
ライバル関係であればあるほど、たてまえではなくて本音を知る必要があるのです。
小室
それをやるのが外交ですよ。
■外交技術のおそるべき稚拙さ
藤原
外交官が低迷しているがゆえに、マスコミなどでは、民間外交の一端としてのインタビューなどで、大いに頑張ってもらわなければいけないのに、逆に失点ばかりを稼いでいる現状がありますね。防衛予算の問題だって、焦点をカネの問題に限定せずに、もっと大枠からアプローチして、相手に本音をしゃべらせるべきです。たとえば、「防衛予算を増して日本の国防力を強化したところで、アメリカとしてはこれで安心できるという状況を、いまの日本人に期待していないのと違うか」という具合に切り返すアプローチを使うのも一法です。そうすれば、「日本の軍隊は実戦の経験を持つ韓国軍に較べて、はたしてほんとうに強いかどうかは疑問に思う」とか、「自衛隊がアジアの軍事的なバランスにとって、大きな意味を持つなどと、われわれは少しも思っていない。それは自衛隊に軍事顧問として派遣している将校の報告を読めば一目瞭然だし、第一、あの漫画ばかり読む日本の若者を見れば、緊急事態に臨んで彼らが役に立つとは夢にも期待し得ない」という返事になります。
小室
アメリカの中部には働き者で射撃のうまい若者たちがいっぱいいるから、いざとなれば彼らを徴兵すればいい。だから、無理してまで自衛力を日本に増強しろとはいわない、というのがアメリカ人の正直な気持です。
藤原
そこで政治的にもっとしっかりした役割をしてもらいたい、という本音が出ざるを得ない。経済援助を行なうにあたって米国に資金的余裕がないときには、日本が進んで肩替りするのを連中が期待しているとすれば、その気持をインタビューを通じて叩き出せばいいのだし、外交交渉の席上でも、そこまで相手の真意を引き出さなくてはいけないのです。
小室
つまり、日本には外交という発想がないのです。その証拠に、わが国の外務大臣が外国に行くと、向うの要人と酒を飲んで腹を見せ合い、「まあまあ」といった気分になることをもって外交だと思い込んでいる。外交というのは、よりよい契約を結ぶための話し合いのプロセスだが、日本人には契約という概念がそもそも存在しない。当然のことで、交渉が概念としても成り立ちません。たとえば、日本の外相がメキシコに行って、十万バーレルの石油を買ってくる。ところがそのやり方というのが日本的でして、「もし輸入の話がまとまらないと自分の顔が潰れるんだ」といったようなことをいって向うの大統領に泣きつき、その結果として、ねだり取るような形で石油を売ってもらうのです。
藤原
ロジックをベースにした取引じゃない。いうならばナニワ節の世界。
小室
こういう馬鹿なやり方ばかりを押し通してきたのが、戦後三十数年にわたる日米交渉の正体だった。だから、この頃ではアメリカ側が日本のやり方を覚えこんでしまい、日本の大臣がアメリカへ行って交渉すると、アメリカ側が、「この要求が通らないと議員としての面目が立たない」とか「南部諸州の議員を説得するから、ここは彼らの顔を立ててやって欲しい」といわれるのだそうです。すると日本側は、「それならば仕方がない。向うの顔を立てておくか」というようなことを呟いて譲歩せざるを得なくなるらしい。まったくあきれた話で、これでは論理もヘチマもあったものじゃないです。
藤原
日本人は昔から知日派アメリカ人とか親日派のアメリカ人とかいってきましたね。ところがアメリカ人の中には知日派はいるにしても、親日派などという存在しないのです。
小室
知日派といわれている人だって、日本のこともよく知っているというだけのことであって、何も日本のことだけを特別に知っているわけではありません。
藤原
だけど、お人善しの日本人は知日派というレッテルだけで嬉しくなってしまい、必要以上にチヤホヤして大もてなしをする癖があります。だから、彼らも日本人のしたいようにさせて、大いにエンジョイしながら歓待されてきたわけです。
小室
でも心ある知日派の外国人には、度を過ごした日本人のもてなし方はあまり気持がよくないはずです。
藤原
同じことが外交面などに現われていて、アメリカに住む心ある知日派アメリカ人たちが、最近における日本人のぶざまなやり方を目撃してイライラしており、ついには可愛さ余って憎さ百倍とでもいうのか、反日に転じているケースが多いそうです。これは日本が世界から孤立しないために、真の友人を一人でも多く必要とすることからすると、とても恐ろしいと思うんですよ。
小室
心から日本のためを思ってくれる外国人にとって一番つらいのは、規範を持ち合わせていないために、日本人がいったい何を考えているかも、何をやろうとしているかも見当がつかないという点です。
藤原
すべてが出たとこ勝負だし、一人よがりの自己満足に終わるからです。
小室
己れを知らないせいです。
藤原
そのいい例が、大統領がカーターからレーガンに交替したときに、駐日大使のマンスフィールドが留任になり、大使を続けることになった直後の日本側の反応です。政界・財界はいうに及ばず、日本人のジャーナリズムが、これは非常に結構な措置だといって、有頂天になって喜びました。
小室
マンスフィールド大使はアメリカ議会の長老であるだけでなく、日本では親日アメリカ人としてもてはやされていたから....。
藤原
ところが、アメリカ側の情報を総合すると、「誰が日本などに行くものか。あんな日本でこれから厄介な仕事をさせられると自分の出世の妨げになる」というのが真相だったのです。日本大使の候補として合計八人のアメリカ人がレーガンから話を受けたが、誰も喜んで引き受けようとしなかった。そこで仕方がなくて、結局はマンスフィールドが留任することになったのです。
小室
ところが、日本では誰一人としてそんなことはいっていないですよ。
藤原
日本側ではマンスフィールドがまた駐日アメリカ大使になったということで、これでパイプが再びつながったと大喜びしているのです。しかし、考えてみるまでもなく、この発想は実におかしいですよ。
小室
マンスフィールド以外に日本人を相手にしてもいいという大使役がいないのは、日本にとって重大問題です。パイプはたった一本しかないということですからね。しかも、日本人は、親日派のマンスフィールド大使がパイプ役だということで、さらに新しいパイプをいくつもつけ加えようという努力をしなくなってしまう。単細胞的な発想ですよ。
藤原
外交をすることの基本が、相手の強味を、条件を変えることによって弱味に転ずること、裏返せば自分の弱味を強味にする点にあるとすれば、ここに教訓があると思うんです。マンスフィールド大使が仕事を継続したのは、ある意味で非常に都合がいいと見えるが、条件が変わることで、とんでもない状況が生まれることだってあり得る。こう考える人が出ていいはずだし、次の駐日大使がもたらす問題点を予想する上でのヒントも提供されているのです。ところが誰もそれをやらないで、国をあげて軟迎の大合唱をしていた。これはある意味で、実におぞましいという感じがするんですよ。
小室
つまり日本では、単なるパーソナル・コンタクトがあることをもって、実質的なコミュニケーションがあると思い込んでしまう。そこでマンスフィールドがいればパイプがあるが、もし彼が死ぬようなことでもあればいったいパイプはどうなるのだ、パイプはなくならないのか、と理詰めに考えようとしない。誰がいても、日本とアメリカの利害を調整して、しかも日本と仲良くすることはこれだけ米国にとって利益の多いものですよ、といって説得するのが外交の役目だということを指摘しようとする人間がいない。
藤原
真珠湾奇襲直前の日米交渉のときだって、野村特使がルーズベルトとハーバード大学の同窓で、しかも、ワシソトン駐在武官のときに海軍次官だったルーズベルトと親しかったということだけで、パイプ役として交渉を担当させられたのです。ところが、野村海軍中将の英語力はとても外交をやるだけのものではなくて、彼が何をいいたいのか相手は理解に苦しんだらしい。そのことは当時の駐日アメリカ大使をやったグルーの『滞日十年』にも書いてあるけど、日本人はいまだに、個人的つき合いと交渉としての外交の違いについて、よくわかっていないようですね。
小室
日本人は、交渉や外交については想像を絶するほどの音痴です。この国では政治や外交がムードで動かされるし、ロジックのわからない人たちが仕事を担当しているので、何をやっているのか見当がつかなくなる。そして行きつくところは無秩序(アノミー)であり、破局です。
藤原
日本人の最大の欠点は次元の展開ができないことです。個人の次元と組織の組合せとしての企業間問題、それに東京都やカリフォルニア州というコミュニティの次元や、日本とかアメリカのようなソサイェティの次元を日本人はごちゃまぜに取り扱う。
小室
要するに、日本人は演算能力は優れたものを持っているが、数学的な思考能力では世界でも最も劣った人種です。だから、論理的なアプローチができないし、次元の問題となどになると、さっぱりわからなくなってしまうのです。
藤原
だから、クライスラーやトヨタの企業の問題をアメリカ国と日本国の自動車戦争といった具合に、メチャメチャな次元の枠組みの中で論じて大騒ぎしているんです。
小室 問題があることにさえ気づかないから平然としていられるのです。大平楽な国民ですよ。
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