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(回答先: 何故8月15日に終戦したのか? <核の神話>の破壊の為に 投稿者 影の闇 日時 2012 年 8 月 15 日 09:18:27)
去る8月6日※のNスペ「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報」では、図らずも、「ソ連の対日参戦」の報せに衝撃を受けた軍上層部の大混乱の模様が浮び上がっておりましたが、これは@を直撃すると共に、Aの問題も直撃したからです。
※この文章自体は、一年前に書いたものです。
明治以来の国防の大本である軍事戦略とは、日本における、言うならば<地政学的戦略>と言える北進論と南進論ー正確に言えば、南守北進論と北守南進論ーです。
幕末の<攘夷論>以来、北(大陸)からの露西亜(ソ連)南(海洋)からの米(英)が日本の存立を脅かす<敵>として認識されており、従って明治以来、前者が陸軍の<仮想敵国>、後者が海軍の<仮想敵国>として、其々が主にその戦略を受け持つこと※になっておりました。
※所謂「太平洋戦争」を調べれば、戦争が深刻度を増しても、「対米戦は基本的には海軍マター、海軍さんのお手並み拝見」というのが陸軍側の姿勢だったことに驚かれるでしょう。 私などは、現在の霞ヶ関まで引き継がれる「省庁の割拠主義」−その極限の姿をここに見るものです。 ”独裁者”とされた東条英機首相にも海軍の重要情報は知らされなかったー丁度、原発事故で、東電や経産省からの重要情報が菅首相にもたらされれる事はなかった様に(”尖閣”の海保も然り!)。
そうして、「二正面作戦」は不可能であるとして、北進=露西亜と戦う時には南(米英)とは同盟、乃至最低限(好意的)中立を勝ち取り、南進=米英と戦う時にはその逆。
言うまでも無く、前者が日露戦争であり、後者が「太平洋戦争」(日ソ中立条約時の外相松岡洋祐には、その先に、日独ソのユーラシア枢軸構想が有りました)です。
「ソ連の対日参戦」とは、だから、明治以来のこの「国防方針」の完全破綻を意味していました。
もちろん、当然、アメリカ側もその事はよく承知していましたし、それを示すのがソ連への「対日参戦要請」です。
何故アメリカがソ連に「対日参戦」を要請したのか?
”カイロ会談”(43年11月)の段階では兎も角、少なくとも”ヤルタ”(45年2月)の時期においては、日本は<制海権>も<制空権>も失っているのだから、継戦能力の点から言っても、敗北は必須ー時間の問題と認識されてたはずで、しかも”ポツダム”(7月26日)の時点に至っては降伏のタイミングのみだったのは分かっていたのだから、戦後の極東におけるソ連軍のプレゼンスの増大ということを考えたら、なるべくは避けたかったはず。 にも係わらず、敢えて要請したのは、(勿論カイロの密約もあるでしょうが)大戦後の「世界の戦後処理」ということを考えたら、対日戦を一刻も早く終らせたかった、そうして「ソ連の対日参戦」はその切り札だった(しかも、その分だけ、欧州域からソ連軍の大部隊を遠ざけることにもなる)、ということです。
その事を逆に言えば、ソ連の対日参戦が無かったら、8月10日のポツダム宣言受け入れはもちろん、15日の「終戦」も無かったでしょう。 それは、宣言の出た後も、日本は、ソ連の仲介を求めてー丁度、日露戦争におけるアメリカの役割を期待したのでしょうー近衛元首相を特使として派遣しようとした処にも表れております。 だから、もしソ連の対日参戦が無かったとしたらー例え何発の原爆を受けようとも!ー、8月15日以降も、ずるずると、戦争は続いていたでしょうし、反対に、一年前でも二年前でも、「ソ連の対日参戦」が有った時点で日本は手を挙げたでしょう。
また、そもそも、「日ソ中立条約」が無かったらーソ連と緊張関係にあったならー対米戦争に突き進むことは無かったに違いない。
そうして、以上の事は、何故、今においても異常な対米従属が続くのか?「日米安保」以外に考えられないのか?ーということの軍事からみた真の意味を明らかにするものです。
悪夢の二正面作戦が現実のものになるという、軍事戦略における”想定外”の事態。
ーそれは明治以来の国防戦略が<絵に描いた餅>であったことを白日の下に曝すものであり、独立国家としての国防戦略の根幹が崩れるーそれに替わり得る国防戦略を打ち立てることが不可能というー独立ということの困難(アポリア)に逢着していることを意味します。 このアポリアが解消されない限り<独立>は不可能ーこのように観れば、冷戦期に日米安保が定着して行った心理的側面が、逆に見えて来るのです。
形式的に観たら、「日米安保」は南守北進論(対ソ主敵)であり、その限りでは従来の国防戦略に合致しており、しかもそれは明治の成功(日露戦争)にオーバーラップしている! −更に又、戦後の惨めな現実(占領状態)を糊塗し、イソップの狐の如く<合理化>出来る。
かくして<自己欺瞞>は日本人の深い処を規定し、またそれ故に、更に一層現実を直視しない(出来ない)習性が身に付いて行った、と思われます。
国防は従属であり、防衛体制の強化とは占領状態の強化であるー変貌していってる世界とは何ら関わることなく、『1984年』の侭の日本でいることの意味を問う時、その由って来る原因は「明治以来の国防戦略」そのものの中に在るー即ちこの国防政策の誤り、冒頭で示している通り、その究極の原因は明治の選択(脱亜入欧ーアジアに仲間を見出せない!)に在る、と私は考えるのです。
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