http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/143.html
Tweet |
(回答先: 田母神氏の精神内のバランス・シートが少しばかり壊れている(uedam.com掲示板より) 投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 7 月 16 日 04:57:58)
http://www.uedam.com/zizi.html
2012.4.
原発問題の本質は、国家理性にある
ちょうど1年前になるが、私は本欄に「福島原発―この期に及んで、なぜ原発是非の国民投票がないのか」の一文を書いた。今も国民投票は行われていないが、しかし、事故から1年たったところで、日本人はしっかりと事故の教訓を活かしている。日本全国にある54基の原発のうち、2012年4月の時点で、53基が稼動を停止した。その中には静岡・浜岡原発のように菅・前首相命令によって停止した原発もあるが、他はすべて定期点検のためだ。来月5日には、稼働中の最後の北海道・泊原発も点検のために停止する。目下、野田首相が福井・大飯原発の3.4号機を再稼動させようとしているが、滋賀県・京都府の両知事が安全性に疑問を投げているため、どうなるかわからない。もしかしたら、このまま停止を続け、福島第一の1〜4号機だけではなく、全基がそのまま廃炉に向かうかもしれない。しかし、このように予想するのは、推進派の力を考えれば、楽観的すぎるだろう。目下、原発推進派と反対派の間で、壮絶な戦いが展開されている最中だ。
そこで、本稿では「原発の本質とは何か」を検討してみたい。現実に事故が起きた今、あらためて推進するにせよ、反対するにせよ、そもそも原発とは何なのか、を知らなくては始まらない。抽象的な話をしても仕方がないので、具体的な事例を見ていこう。問題はこうだ、事故は地震のせいか、津波のせいか。
まず事故の様子を見ると、2011年3月11日の午後2時46分に地震が起こり、続いて津波が東北地方の太平洋岸に押し寄せた。福島第一原発の1〜5号機で全電源が失われ(ステーション・ブラックアウト)、原子炉が冷やせなくなる。翌日の午前10時17分、1号機の格納容器内で高まった放射能ガスを外部に逃がすため、ベントが行われる。午後3時16分、1号機が水素爆発。午後8時、海水注入開始。13日、3時、満水となり、炉心が水で覆われたものの、1号機は地震のあったその日にメルトダウン(炉心溶融)を起こしていた。すでにご承知のように、爆発とベントによって放射能が外部に拡散し、福島県やその周辺の人たちは、大変な被爆をした。人体被害の問題は無視し得ないが、今は1号機の問題に絞ろう。
4号機を設計した日立の技術者・田中三彦氏は、東電が発表した事故の時系列の報告書を元に、1号機は地震によって配管が破損したと主張。東電はそれを否認して、事故は津波によって起きたとIAEAに報告。どちらが正解かは、現場が高度の放射能のため誰も近づけないことから、今後数年は判明しないが、問題は、はたして田中説が言うごとく、地震のせいだったらどうなるか、だ。
答えは簡単、「安全神話」が崩壊してしまう。3.11まで40年も原発と付き合ってきた私たちは、誰もが「原発は絶対に安全」と聞かされてきた。日本は地震列島だが、2006年の原発耐震指針では「原発はどんな地震があっても大丈夫」とされた。田中説はこれを一撃で倒してしまう。さらに重要なのはここからだ。
安全神話が吹き飛べば停止中の原発の再稼動は困難になるが、この事態の直撃を受けるのが、青森・下北半島にある六ヶ所村の核燃料再処理工場だ。ここの再処理作業が停止するとどうなるか。商業用原発が稼動してから40年が経過した現在、日本全国の原発には使用済み核燃料が満杯で、六ヶ所村が閉鎖されると、それらの行き場所がなくなる。使用済み核燃料の保管場所がなくなれば、原発は運転不能になってしまう。だから、推進派は、1号機の事故は地震によって始まったとする田中説を認めることはできない。
一方、地震説を認めるとどうなるか。六ヶ所村の場合を見ると、ここは今現在、非常に危険な状態にある。ここは今、日本中の原発から生み出された使用済み核燃料が3000トンのプールに満杯になっている。地震当日、運転を停止していた福島第一の4号機の10倍の量だ。もし万一、六ヶ所村を地震が襲い、事故が起きれば、福島第一原発の事故の比ではなくなる。単純計算で、福島事故の10倍以上の事故になる。民主党政権は安全基準を世界で最高に緩いレベルに引き上げたが、事故以前の基準に厳密に従えば(年間1ミリ・シーベルト)、福島事故による住民の立ち入り禁止区域は琵琶湖の3つ分の面積になる。ということは、六ヶ所村で事故が起きれば、日本人の住む場所はなくなる。
以上のように3.11の福島原発事故によって、私たちは原発事故がどういうものかを知った。放射能の恐怖を体感した人たちから「にわか反原発派」が急増した。この現象に不思議はない。たとえば、4月5日には、愛知県岡崎市の幼稚園の給食で1キログラムあたり1400ベクレルのセシウムが検出された。事故以前には、100ベクレルを超えれば「放射性廃棄物」になっていたところだが、その14倍のセシウムが幼稚園児の給食で検出される時代に私たちは入った。3.11以前と以後では、明らかに世界が変わった。
ところが、野田政権は、原発を再稼動しようと躍起になっている。4月5日、藤村官房長官が記者会見で、「停止中の原発を再稼動するにあたって、地元住民の同意は必要ない」と述べた。藤村氏は、「法律が住民の同意を求めていない」、と発言の正当性を主張したが、安全神話が信じられていた時代はともかく、事故後の今、住民の意向を無視しての原発の再稼動は大きな問題を生むことは間違いない。今、衆院選挙を行ったら、増税問題といい、民主党の敗北は必至だ。では、野田政権は、なぜそこまで原発推進にこだわるのか? 原発推進の背景には何があるのか?ここから本稿の結論に入ろう。原発の本質とは何か?だ。
それが電力の供給でないことは、今となっては明らかだ。3.11直後、電力不足が生じるとして、東電は計画停電を実施した。東電の最西端に住む私も計画停電を体験したが、すぐに終わった。1年後の今、53基の原発が止まっても、どこにも停電は起きていない。
実は、電力会社は、国策に巻き込まれただけなのである。電力会社が原発を稼動する気になったのは、事故が起きても、その賠償責任から逃れることができる法律が1961年に制定されてからのことだ。では、日本国の原発推進の原点はどこにあるか?
1945年8月6日、午前8時15分、人類史上初めての原子爆弾が広島上空で炸裂した。核爆発から巨大な「きのこ雲」が立ち上がり、放射能は成層圏まで急上昇した。これを爆心地から150キロ離れた高知で目撃した一人の若き青年海軍将校がいた。俗人とは逆に、彼は「きのこ雲」に輝かしい未来を見た。あれほどのエネルギーをもつ原子力を、日本人も使わない手はない、と。戦後、彼はすぐに国会議員になり、原子力法案の成立に動いた。中曽根康弘だ。1955年の年末のこと、原爆アレルギーが濃厚に残る国民世論をよそに、超党派の数人で、中曽根は原子力に予算をつけてしまった。ウラン235にちなんで、予算の額は2億3500万円だった。そして、科学技術庁を設置し、初代の長官に正力松太郎を据えた。このようにして、原発行政がスタートした。
ここで私たちが注意すべきは、中曽根をそのように動かした動機だ。中曽根の自伝によれば、原子力を原発のほかに、軍事用にも転用できるとする「一般利用普遍化の原則」を考えていた。もちろん、原発だろうと、原爆だろうと、核分裂の反応を利用するのだから、基本は同じだ。したがってここに、原発=核兵器=国防=国家理性、という等式が成り立つ。名著『国家理性の理念』を書いたマイネッケは、「国家の自立は、国家理性が命ずる法則」と述べた。敗戦と占領を体験したばかりの中曽根を動かしたのは、国家の自立だった。というわけで、福島事故以後の日本政府は、どの党が政権を担うにしても、放射能からの国民の安全と、国家の自立という、実に困難な連立方程式を解かねばならない。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
- 福島原発事故―この期に及んで、なぜ原発是非の国民投票がないのか? 2011年4月 (uedam.com) 五月晴郎 2012/7/16 05:09:12
(0)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK133掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。