http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/253.html
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http://8706.teacup.com/uedam/bbs/11112
(略)
次は山本義隆の『福島の原発事故をめぐって』から。
日本は原発を国策としてスタートさせた、という点では、従来、中曽根康弘と正力松太郎が注目されていますが、山本氏が注目しているのが、岸信介です。
東京裁判ではA級戦犯となりましたが、東条英機たちが絞首刑される直前に、どういうわけか釈放されました。そこで、この人には、ずっと「アメリカと裏取引があったのではないか」との疑惑が消えません。
この問題は今は別にして、岸は、いかに原発推進にかかわったか?
山本氏が言います、
「1958年に原子力発電にむけてアクセルを踏んだのは、時の総理大臣で戦前に東条内閣のもとで商工相として戦時統制経済を指導した岸信介であり、・・。
(岸信介の回顧録からの引用) 省略
つまりこの時点では原子力発電(原子炉建設)の真の狙いは、エネルギー需要に対処するというよりは、むしろ日本が核技術を有すること自体、すなわちその気になれば核兵器を作り出しうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることに置かれていた。」p.8.9
となると、昨日の野田首相の大飯原発の再稼動宣言の裏にあるのは、やはり電力不足ではなく、核技術のキープにあるのか?
なんて疑問が出てきますが、私は、電力産業界と、それにまつわる核関連産業界は、初期の動機など関係なく、総括原価方式のうまみから、利益獲得至上主義に、推進史のどこかで変身したのだろう、と考えます。
で、面白いのは、岸信介がそれだけ原発推進に力を入れた理由です。
ダレスにばかにされたから、と。
1955年、岸信介は重光葵(ミズーリ号上での降伏調印文書の署名者)と訪米し、ダレスに会いました。日米安保の改定について話をするためでした。
そのとき、ダレスが言うには、「日本にそんな力があるかね」と。
「『岸信介・回顧録=ダレスから《日本にそんな力があるかね》と、かんではき捨てるように一蹴された光景が、生々しく焼きついていた。』
ダレスに馬鹿にされたというトラウマをもつ岸にとって、核開発は大国化の条件であり、核技術ー核兵器生産能力ーの習得は国際社会において発言権を得る必須の手段と思われたのであった。」p.10
「端的に、日本における原子力開発、原子炉建設は、戦後のパワー・ポリティクスから生まれたのであった。」p.12
というわけで、将来開かれることになる東電裁判において、岸信介は再度、戦犯の審査を受けることになるでしょうか?
東京裁判ではA級戦犯に使命されました。最終的には無罪放免になり、その後、日本国の首相になりました。
東電裁判ではどうでしょうか?
それには、岸信介がそのように発言した時点の要因が大きいでしょう。
1950年代の半ばであれば、まだ原発は国内で1基も動いていません。
だから、私が思うには、その時点で岸信介を動かしたのは、国家理性だった、ということです。ダレスの言葉に屈辱を感じたのも、もちろん、岸信介の個人的な問題ではなく、日本国の立場を自分そのものと認識していたからでした。その時点で、岸信介は国家理性を体現していたと見なすことができます。
それから、なぜ54基もの原発が建設されてしまったのか?
この点の山本氏の説明も面白いです。
通産省がそのように指導したから。
あらためて。
(以上転載終了)
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参考;(投稿者)
『核武装を動機とした原発推進派は、岸信介から梶山静六までの台湾ロビーと重なっていた』
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/224.html
の再掲
* * *
@話題にされない原発推進派の動機 : パワー・ポリティクスの文脈では核武装=脱・対米従属
http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/820.html
ARe: 話題にされない原発推進派の動機 : パワー・ポリティクスの文脈では核武装=脱・対米従属
http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/836.html
BRe:Re: 話題にされない原発推進派の動機 : パワー・ポリティクスの文脈では核武装=脱・対米従属
http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/930.html
CRe: Re:Re: 話題にされない原発推進派の動機 : パワー・ポリティクスの文脈では核武装=脱・対米従属
http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/937.html
核武装を動機とした原発推進派は、岸信介から梶山静六までの台湾ロビーと重なっていることに気付く。
言論界では櫻井よしこが、「そのまんま」で、他に中西輝政、屋山太郎、岡崎久彦・・・・台湾ロビーと深い関係の産経系よりも、正力、ナベツネのアメリカ直結の読売を広報紙とする傾向があった。ある時期まで連動していたと考える。
(政治家でも中曽根はアメリカ直結であります)。
ある時期とは安倍晋三周辺が米国にカルト・オブ・ヤスクニと危険視された2006年と考える。
これらの言論人は、この時期を境に、以前のようにマスコミにあまり出なくなった。
2011年の今、アメリカは中国と(日本の頭越しに)完全に手を結んだように見える。
台湾は中国と、より一層の一体化を進めているように見える。
以下に参考図書のタイトルのみを挙げます。
(略)
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01. 2011年6月16日 17:57:24: rWmc8odQao
「2011年の今、アメリカは中国と(日本の頭越しに)完全に手を結んだように見える。台湾は中国と、より一層の一体化を進めているように見える。」
で、みんなで仲良くしますか?
結論が書かれていない気がします。
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02. 2011年6月16日 17:59:34: BLII8Mvbng
1 :名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/06/14(火) 18:21:21.42 ID:s6c7Snfd0 ?PLT(12000) ポイント特典
中曽根、李登輝氏を尊敬=菅首相
14日の東日本大震災復興特別委員会で菅直人首相は、中曽根康弘元首相と台湾の李登輝元総統を「尊敬している」と高く評価した。
中曽根氏については「当時は『田中曽根内閣』と批判したが、首相を辞めた後は、話を聞いていて、日本と政治のことを非常に深く考えている方だと感じた」。
李氏に関しても「台湾の自宅で、日本人が忘れた原点を聞かせていただいた。尊敬する人物の1人だ」と語った。自民党の丸山和也氏への答弁。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110614-00000098-jij-pol
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鋭く切り込む投稿感謝
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03. 2011年6月16日 18:25:06: yxstEvnWG6
>>1
原発推進派は、核武装を動機として原発の導入をアメリカから進めた。
この動機には、日本と違い核武装が可能な国際的環境を有していた中国への意識が、深く影響している。
この原発推進派を背後で支援したアメリカは今、その中国と「戦略的パートナーシップ」をとなえ、台湾は今、中国と一体化を進めている。
これらの変化から、記事冒頭@の「地下原発を推進する議連」も、「核武装=脱・対米従属路線」は、アメリカという釈迦の手の上での行為であったこと、アメリカの極東戦略という大きな枠組みがあっての枠組みであったとの認識を持っているはずということを指摘したく思います。
記事冒頭@の「今の日本の政治を支配する勢力」は、「地下原発を推進する議連」以上にアメリカの言いなりの勢力ではと見ています。
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04. 2011年6月16日 18:35:39: yxstEvnWG6
>>3
よって、菅が(菅以外の誰が「今の日本の政治を支配する勢力」から首相になっても同じ)脱・原発に舵を切るとすれば>>3の文脈でやると考えます。菅か菅の次の誰かが脱・原発をしたとしても、この範囲内でする。
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05. 2011年6月16日 23:18:36: yxstEvnWG6
(投稿者)参照; 日本における台湾ロビーは、アメリカにおける第二次世界大戦前の宋美齢で有名な「チャイナ・ロビー」の流れ、つまり中国大陸における国民党の流れです。
また、第二次世界大戦後において、1953年の朝鮮戦争停戦後には、その政治的影響力と潤沢な資金を、次のように描かれています。
=引用開始=
53年の朝鮮戦争停戦後、「チャイナ・ロビー」と呼ばれる超党派の一大勢力が力をつけた。強力な政治的影響力と潤沢な資金源は、麻薬とCIAだったと言われている。蒋介石率いる国民党は、48年に独立したビルマでアヘン戦争時頃からケシの栽培を続けていた。これを軍資金としていたのだ。実態は、タイ経由(タイ警察まで加担)で運搬し、CIAが運営している航空会社で欧米などへ輸出していた。
CIAと米軍が麻薬取引にどの程度関与したかは不明だが、CIAの活動資金はこれらの取引によって生み出されていたことも事実である。例えば59年のキューバ革命後、亡命者にアメリカへの麻薬輸入をさせていたのはCIAだ。80年代のレバノン内戦介入時には、麻薬の栽培まで手を広げている。さらにアフガニスタンでのソ連との戦いでは、ゲリラ地域でケシの栽培を盛んに行っていた。
整理すると、国民党勢力による麻薬栽培や精製を支援していたのがCIAだった。アメリカの自国民を麻薬付けにしてもなお、その資金が必要だったのだ。あらゆる手段での販売で得られた資金は、政界にばら撒かれた。いわゆる「チャイナ・ロビー」がアメリカの外交政策を進めるという構図は、このような資金によってまかなわれていた。この結果、米ソの冷戦状態が続くこととなった。
冷戦を遂行するCIAや軍は、連邦会議も知らない秘密資金や作戦を拡大させた。これらは「産軍複合体」と呼ばれ、61年にアイゼンハワー大統領自ら非難するほどの国益を損なう勢力だった。後任は43歳のケネディー大統領。フルシチョフが冷戦を終了しソ連を立て直したいとの情報から、冷戦の和解と・終了を提案した。ところが産軍複合体は、これを全力で阻止しようとした。CIAの解体を含む冷戦終結構想は、63年のケネディ暗殺により幕を閉じた。その後ベトナム戦争は泥沼化し、一般人を巻き込み300万人もの死傷者を出した。
=引用終了=
引用元:「米中論 〜何も知らない日本〜」
http://www9.ocn.ne.jp/~smatsu/reports/bei/bei2.html
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(参考2)(投稿者)
『本澤二郎の政治評論「台湾ロビー」(1)(2)(3)(4)(5)(最終回):本澤二郎』
http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/885.html
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