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(回答先: 金持ち様がいるからみんな生きていける 投稿者 kibou101 日時 2012 年 4 月 21 日 08:19:14)
紹介されているブログは、タイトルが「小さな政府を語ろう」で、「世界の流れを見つめ、日本の将来を語り合い、世の中の画一的で単純な見方に対して論点を提示しみんなで考えいくブログです。アメブロを中心に活動している「小さな政府を支持する」5人が中心になって立ち上げた共同ブログです。」というキャプションが付いている。
紹介された文章以外はまったく読んでいないが、NHKがご執心のマイケル・サンデル教授の「白熱教室」で見たハーバード大学の学生や東京の大学(院)生の発言を思い起こさせるような内容に思わず微笑んだ。
「1970年代に見られたような停滞に世界中の先進国が陥る可能性は高そうだ。いや、それで済めばいい。もっともっと事態は深刻で多くの先進国が破綻する可能性すらある」という認識は、“破綻”はともかく、昨日も投稿したように基本的に共有している。
しかし、その根拠や理由付けが倒錯的なものであるのには驚かされる。
先進国が停滞する理由は「嫉妬と不満にあふれるこの社会に未来はないかもしれない」であり、停滞や破綻を防ぐ手立ては「金持ちを貧乏にすることで我々は豊かになるのだろうか?僕は「否」だと思う」ということらしい。
どうでもいいことから先に言うと、「嫉妬と不満」という心理に関する見方が、紋切り型というか薄っぺらのように思える。
用語法の問題なのかもしれないが、嫉妬や不満がなかったり少なかったりの世の中は、善し悪しは別として、停滞に陥りがちなものである。
筆者は「嫉妬と不満」に危惧を示す一方で、「意欲・能力・アニマルスピリットを持った若者を前向きにさせる社会の制度が必要」とも書いている。
「意欲・能力・アニマルスピリット」を持ちながらそれを発揮できないという「不満」を、社会制度で解消していくべきという趣旨であろう。「不満」の背後には、自分とあまり能力が違わない人が活躍の場を手に入れているのに自分は?という「嫉妬」もあるかもしれない。
本題に移るが、経済成長には才能に満ちたクリエーターや才覚あふれるビジネスマンが必要という考えを否定するものではないが、彼らは、税制や社会制度を孵化器として生まれてくるものではなく、より広く深い歴史性と現在性に支えられている出現すると考えている。
日本が、明治維新後、それほど時間をかけずに欧米諸国に近づいたのも、江戸時代までに培われてきた共同体意識や物作り能力があったがゆえである。
私は物作り能力がない社会を否定的には捉えていないが、自然の生り物に恵まれた南方の島の人たちに、「お金をいくら稼いでも税金はゼロ」だとか「ビッグビジネスを生み出した人には莫大な報償金」といったインセンティブを設定しても、興味を示すかどうかが問題だが、実りのある効果は期待できないと思う。
ホンダの本田宗一郎氏も、戦前戦中の浜松で育ったことがバイクなど輸送機器のクリエーターとしての才能を開花させたのであって、同じ時代に生まれていても人里離れた農村で育っていれば違った才能を開花させていたはずだ。
次に現在性だが、ビジネスの才覚にあふれた人に、「ビジネスにどれほどの才覚があるのか、自然の生り物に恵まれた南方の島でみせてくれ」と頼むと尻込みするだろう。
歴史的経緯から衣類や日用品を買う生活に馴染んでいるが、それを質量面でよりよく手に入れる目的でしゃかりきになってお金を手に入れようという気はないという島で、商売を大きく成功させるのは至難である。
筆者は、「新しいビジネス・革新は社会のあり方を一変させるのはそういった才能である。そして、そういった才能が過去の日本の発展に貢献し、日本の製造業は世界を席巻した。その結果として数多くの雇用が生まれた。もちろん、その企業の雇用だけではない、その企業があることでその周囲に多くのビジネスが生まれたのである」と書いている。
私も個々の生身の生き様が好きなので、そのような見方を嫌うわけではないが、“才能”は、歴史性や現在性そして共同体性を抜きには出現しないとも考えている。
逆に、歴史性や現在性そして共同体性という基盤があれば、Aさんが“才能”として出現しなくても、Xさんが“才能”として出現するものだと思っている。
エジソンしかりで、エジソンが電球を発明しなくても、それほど時間が経過しないうちに別の人が電球を発明し、エジソンほどビジネスに才覚がなければ、また他の誰かがビジネスとして大きく育てたであろう。
また、「そういった才能が過去の日本の発展に貢献し、日本の製造業は世界を席巻した。その結果として数多くの雇用が生まれた」時代の所得税は、最高税率が75%にも達していた。法人税も45%という時代である。
根源的に言えば、ビジネスの才覚が尊ばれるのも時代性の産物なのであり、時代が移ろえば、ビジネスの才覚は疎まれるようになるかもしれないのである。
筆者にもっとも欠落している視点は、買う能力を持つ人がいなければ、“才能”も発揮されないということである。
パソコンや携帯電話に象徴されるデジタル製品は、かつて雇用を支えた重化学工業製品やアナログ家電製品のような大量の雇用を生み出さず、開発者を別にすれば熟練労働者も必要としない。
デジタル製品は、高給の雇用者をたいして必要としないからこそ、成功した企業に高収益をもたらすのである。そして、高収益を得るためには、自国を見捨てて世界で商売に励むしかない。
多くのひとは雇われてお金を稼ぐことで様々な商品を買うことができるのだから、雇用を生み出さないで、売上や利益を手に入れようと思ったら、他の誰かが雇用してくれることでお金を稼いでいる人が多くいる場所で商売するしかないからだ。
筆者は、結論的に、「金持ちを貧乏にすることで我々は豊かになるのだろうか?僕は「否」だと思う」と書いている。
センセーショナルな表現を使っているが、金持ちを貧乏にする政策は、共産主義中国でさえ現在は行われていない。
先進諸国で政策になるのは、せいぜい、金持ちにもう少し多く税の負担をして欲しいというものであろう。
“僕”の所得水準は知らないが、それを通じた“所得再分配”によって、害悪を生じさせないまま、低中所得者が今より少し豊かになれる“可能性”はある。
何より、「金持ちでない人を貧乏にすることで我々は豊かになるのだろうか?」という問いのほうが重要であると指摘したい。
「金持ちを貧乏にすることで我々は豊かになるのだろうか?」という問いには、やり方次第だよと答えておく。
NHKの「白熱教室」を見ている限りの印象でしかないが、出演している日本の大学(院)生の半数ほどが筆者に近い考え方をしているようなので一言書かせてもらった。
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