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「日本一新運動」の原点―95
2012年02月13日 :(日本一新の会。)
日本一新の会・代表 平野 貞夫
(登石裁判官訴追請求は不訴追決定された)
2月8日付で、裁判官訴追委員会から、通知書(「一新のトランク」に掲載)が届いた。通知書の全文をお読みいただき、「日本一新の会」の皆さんからご意見があれば、事務局宛にお知らせいただきたい。
なお、私の訴追に関する諸資料は第91号、同92号に掲載しているから参考にしていただきたい。
(国民主権を理解しない訴追委員会関係者)
まず、「通知書」の問題点を考えてみよう。
《不訴追の理由》
裁判官弾劾法第2条に該当しない。これ以上の具体的理由並びに調査及び審議経過等については、議事非公開から、一切お答えすることはできない、と補足説明にある。不訴追の理由を「裁判官弾劾法第2条に該当しない」としていることは重大な問題である。この場合は、「該当しない」理由を明記すべきである。弾劾法2条のどの部分に該当しないのかは最小限は明記すべきではないか。「該当しない」ことと「訴追しない」ことは、同じ意思を別の言葉で言っているだけで理由にはならない。補足説明で、不訴追の理由を説明したつもりでいるようだが、「該当しない」理由が明記されていない以上、この通知書は公文書として不備なものである。不訴追決定に対する不服審査の制度がないとのことだが、通知書という公文書の不備について、訴追委員会に抗議することを考えている。
《議事非公開とは》
不訴追の具体的理由や審議経過等について、何故、公開しないのか。その根拠を同法第10条第3項「訴追委員会の議事は、これを公開しない」としている。「議事の非公開」と、決定した理由を公開することは別の問題である。公的機関が決定の理由を非公開とするなら、審議をしたかどうかさえも確認できない。これは国民主権を原理とする憲法に抵触する。このことは訴追委員会でもわかっているらしく、形の上では理由を説明したつもりでいるようだ。
前述したとおり通知書による「理由の説明」の内容は結果の通知であり、理由の説明になっていない詭弁である。これでは公文書とはいえない。「理由の説明を拒否」しているといえる。そもそも不訴追決定の理由を、訴追請求者に誠実に説明しないことが、憲法問題になることを訴追委員会関係者はわかっていないようだ。この点については、訴追委員会に問題提起するとともに、裁判官弾劾法に責任がある両院議長や議院運営委員会に改善を要請する予定だ。場合によっては法改正の請願活動が必要となる。
(登石裁判官の不訴追決定は憲法問題だ)
訴追委員会が、弾劾法第2条に該当しないとして不訴追としたが、その理由が明示されていないので、以下、理由を想定しての主張となることを理解されたい。また、不訴追になったとして、感情的な対応をすべきではない。これを機会に、憲法の原理から議会民主政治の健全な確立のため、司法権の独立とは何か、裁判官弾劾制度は何のためにあるのか、現行の弾劾・訴追制度のどこに問題があるのか、冷静に議論しなければならない。
《訴追委員会事務局の『訴追請求の手引』に問題あり》
昭和23年1月付で作成された訴追委員会事務局の『手引』中「3弾劾による裁判官罷免理由」の欄に重大な問題がある。ここでは弾劾法2条の罷免理由を掲載した上で、その運用方針を述べている。「・・・判決など裁判官の判断自体の当否について、他の国家機関が調査・判断することは司法権の独立の原則に抵触する恐れがあり、原則として許されません。例えば、判決が間違っている、自分の証拠を採用してくれない等の不満は、上訴や再審等の訴訟手続の中で対処すべきものであり、原則として罷免の理由にはなりません」とある。
改めて弾劾法第2条の罷免理由を読むと、@職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠ったとき。Aその他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき。と規定している。
憲法の国民主権に基づく罷免理由にしては、抽象的で不十分な規定だが、判決について論評してはならないとは規定していない。さらに機能に縛りをかけているのが、事務局の『手引』による解釈である。手引は「判決など「裁判官の判断の当否」について排除しているが、弾劾法による罷免理由には「職務上」の義務違反や怠慢、職務内外の非行を対象としている。
「職務」とは、裁判活動全体をいう。それに関係する活動で義務違反や怠慢、非行に当たる考え方や行為がありうる。それを事務局が『司法権の独立』という抽象概念で、手引で解釈し弾劾法の活動を制約していると指摘せざるを得ない。この問題は「訴追請求」の原点が、憲法第十五条の国民主権による「公務員の弾劾罷免」にあることを、訴追委員会事務局が理解していないことに原因がある。手引のこの部分は、訴追委員会自身で改めるべきだ。改善できない場合には、弾劾法を所管する両院の議院運営委員会で問題とするべきである。
この問題は国会の権威にかけても改善してもらいたい。そもそも現在の国会議員は、「司法権の独立」と議会民主政治の関係を理解しているのか、はなはだ疑問である。検察権も含めた広い意味での司法権は、議会民主政治を機能させる国会と常に緊張関係にあるものだ。「司法権の独立」について、憲法第76条第3項は「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職務を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定している。「司法権の独立」といい、「裁判官の自由心証主義」といえども、「憲法と法律」の枠の中で機能するものだということを、訴追委員会のメンバーは知らないようだ。私は、登石裁判官の判決の当否を訴追請求で問おうということではない。それは第2審でやればよい。登石裁判官が「自己の良心に基づいて」職務(裁判)を行ったとは私は思わない。人類が築いた普遍的な原理をはじめ、憲法や法律との関係で、著しく義務に違反し甚だしく職務を怠り、威信を失墜させる非行により、「裁判を暴走」させたことは、国民の眼に明かである。それを訴追委員会で訴追しなくてどこがやるのか。たった1回の審議で「不訴追」を決定するとは、司法権の下請け機関になっているのが、訴追委員会(国会)の実態だと言わざるを得ない。
(裁判官弾劾制度の本質)
憲法制定の実務責任者で、戦後のもっとも優れた憲法学者・佐藤功氏は、憲法第78条(裁判官の身分保障)について、次のように論じている。(『憲法』註釈全書・新版・有斐閣)
「本条が裁判官について、弾劾によって罷免されることがあることも認めたのは、司法権の独立を実効的たらしめるために裁判官の身分が保障されなければならないが、司法権も主権の存する国民の信託により裁判所に属せしめられたものであり、したがって裁判官の地位の根拠も究極的には国民の意思に求めれれるものである以上、一定の場合には国民の意思に基づき裁判官の身分を失わしめる制度が設けられる必要があるとする理由による。すなわち、裁判官が罷免されるのは心身の故障により職務を執ることができない場合に限られるとするのでは、裁判官が国民の信託に反すると見られるべき行為をなした場合においてもこれを罷免することができないこととならざるを得ないが、裁判官の身分をこのような場合にまで保証すべき理由はない。本条が弾劾の制度を認めたのは、右のような行為をなした裁判官を国民の意思に基づいて罷免しうるものとしたのである」
この佐藤理論で、登石裁判官の職務状況をみた場合、憲法や刑事法が規定する「推定無罪・証拠中心主義・基本的人権等」を踏みにじり、国民の信託に反したことは明確である。これを弾劾の対象としなくて、何を対象とするのか。今回の訴追委員会の決定に対して、国民的運動を展開して、国民主権原理を冒涜する勢力に反省を求めなければならない。
私がこの問題に拘る理由は、最近の司法権の劣化は国会に設けられている訴追委員会が機能していないことに問題があると思うからである。そのための運動論として、両院議長や議院運営委員長ら関係者に対する公開質問状の提出、必要に応じて国会請願活動が考えられるが、日本一新の会の皆さんの意見を参考とした運動としたい。
それにしても、巨大メディアと国会議員に、この民主主義の根本についての関心がないことに、この国の劣化を感じる。
追記
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元記事リンク:http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-129.html
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