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(回答先: インド大好き _ 信心深い人々が暮らす理想の社会とは 投稿者 富山誠 日時 2013 年 3 月 02 日 11:19:53)
インド女性は美しい
PRINCE FINAL
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=riLWMbUKt-o
Saravana Stores antiq jwelary HQ
http://www.youtube.com/watch?v=zWsv6D5BN2Y&feature=player_embedded
GRT Wedding and Celebration Jewellery
http://www.youtube.com/watch?v=5pLs4g7EVZo&feature=player_embedded
SHREYA GHOSHAL'S JEWELLERY COLLECTION FROM JOYALUKKAS
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=oZvgTbKe_Pw
Nathella Jewellery- Chennai, India
http://www.youtube.com/watch?v=CUXkYu_FZdo&feature=player_embedded
TANISHQ ARIA TVC
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=HciYNzlLLxc
溜め息をつくしかない。あまりにも美しすぎるインド女性
インドは10年前までは貧困でしか語られることのなかった国だが、国民の1割でも中産階級になっていくと、10億人の1割は1億人なので、日本の人口と同じくらいの中産階級が生まれることになる。
こういった中産階級はもう貧困で語られることがなくなり、女性たちもまた華々しさを身につけ、アピールするようになる。
そうすると、撮られる写真もいよいよ豪華絢爛になっていくので、インド女性の美しさはいよいよ際立つことになる。
それにしても、この盛装
インド女性の美しさは以前にも写真で紹介した。「溜め息をつくしかない。あまりにも美しすぎるインド女性(1)」
(1)でも書いたが、インド人は「肌の白い」インド人が美しいと思い込んでいるので、まだまだインド中部〜南部を占める褐色のインド女性を美しく撮る写真家がいない。
いるのかもしれないが、あまり目立ってこない。
しかし、マジョリティをいつまでも無視することはできないから、やがては褐色の美しい女性が登場してインドの偏った美の概念(白肌信仰)が覆される時代が来るだろう。
それまでは、白肌のインド女性だけを見つめることになる。それにしても、この盛装はどうだろうか。溜め息をつくしかない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120613T1202200900.html
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1. インド人とは何か?
インド人というのは、白人なのか黒人なのか黄色人種なのか?
世界は三大人種群に分かれているとはよく言われている。白人、黒人、黄色人種というのがそれだ。
コーカソイド=白人
ネグロイド=黒人
モンゴロイド=黄色人種
中国や日本ではもちろんモンゴロイドが多い。アフリカ大陸ではネグロイドが多い。ヨーロッパではコーカソイドが多い。それは恐らく誰でも分かるだろう。
では、インド人はこの分類で言うと、どこに当てはまるのだろうか?
人によってイメージが変容する国
答えは、「そのどれでもない」が正解であり「そのすべてだ」というのも正解だ。つまり、どれを選んでも正解になる。
なぜなら、インド大陸にはこの三大人種群のすべてを内容し、さらにはそれらの混血も混じり、混血の混血もいるからだ。インドはすべてマサラ(混合)して存在しているのである。
インドの北部・北西部はコーカソイド系が多い。インドの南部はネグロイド系が多い。インドの北東部・東部はモンゴロイド系が多い。
ただし、この分類はとても大雑把なもので、細かく見れば違う。そのすべての地域にありとあらゆるタイプの「混血」がいるからだ。
その混合具合が本当にバラバラで、それがインドの面白いところなのだが、同時に複雑なところでもある。
これだけ人種が違うと、当然、宗教も文化も言語も違ってくるわけで、一言でインドと言っても、日本のように「人種はこれだ」「宗教はこれだ」とまとめ切れないのである。
「典型的なインドとはこれだ」と言った瞬間に、そこから漏れ落ちるものが多すぎて、まとめにならない。あまりにも違いが多すぎて、国民すべての「相互理解」というものがまったくない。
だから、インドはつかみどころがなく、人によってイメージが変容する国でもある。
「何も分からない」「何も確実なものはない」
ボリウッド映画に出てくる美男美女は、ほとんどが白人系(コーカソイド)であることに気がつくと、インドでも白人系が影響力や力を持っていることが理解できる。
しかし、彼らもよくよく見てみると、金髪碧眼ではない。確かにコーカソイド的な特徴を持っているようだが、では彼らが「白人か?」と言われれば、誰もが返事に窮してしまうだろう。
白人の骨格をしているが、褐色の肌や黒い髪の特徴はどう見ても白人のものではない。かと言って、ネグロイド(黒人)かと問われれば、やはりそれも違う。
虹彩が黒く、髪も黒く、肌も黒いとは言ってもネグロイド(黒人)とは明らかに違うのである。
モンゴロイド(黄色人種)でもない。ボリウッド映画の美男美女を見て、自分たちと同じ人種だと感じる日本人は皆無に等しいはずだ。まったく違うのである。
つまり、インド人は世界のどの民族と比べても、違うようで同じ、同じようで違う。
民族の混血度が進んでいると言えば、ブラジルもまたそうだが、ではブラジルとインドを比べて人種的な外観が似ているかと言われれば、違うと思う人も多いだろう。
後で調べてみると、インド・スリランカ人、つまりアーリア系のインド人はコーカソイド(白人)系なのだという。そういうことになっている。
私はその学術的根拠が何に基づいて発表されたものか知らないが、どうも信じる気にはなれそうにもない。
私の中ではアーリア系インド人は白人ではないのだ。アーリアは、コーカソイドでもネグロイドでもモンゴロイドでもない、
まったくの「新種」だと言われた方がまだ納得が行くし、私は自分の中ではそんな気でいる。
本当にインドは混沌としており、いろんなことを思いつかせてくれる国で飽きない。こんな国は、世界のどこを見ても、他には見つからない。
「何も分からない」「何も確実なものはない」という気持ちにさせてくれるこのインドが好きだ。
答えはひとつしかない、と学校教育の弊害に悩んでいる人は、インドを放浪すれば思考の解放ができるのではないだろうか。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120428T0523320900.html
青、緑、黄色。変わった瞳の色を持つインド女性のいくつか
唐突だが、あなたの瞳の色は何色だろうか。確認しないで「黒だ」と思う人もいるかもしれないが、まず自分の瞳を鏡で確認してから以下の文章を読んで欲しい。
日本人は自分の瞳が「黒」だと思っている人がいて、私もずっと自分の瞳の色は「黒」だと言っていた。
しかし、「あなたの瞳は黒ではない。ブラウンだ」と笑って指摘したのがロシア人の女性だった。(マイクズ・プレイス。緑の虹彩を持った女性とロシアの崩壊)
多くの日本人の瞳は焦げ茶色(ダーク・ブラウン)
改めて自分の瞳の色を確認したら、本当に「濃い茶色」だった。客観的にはそうなのだが、私たち日本人は自分の瞳の色のことを「黒」と言う。だから、意識下では黒だ。
しかし、黒は「比喩」であり、本当は日本人のほとんどが「茶色」なのである。もしかしたら、本当に「真っ黒」だと思い込んでいる人もいるかもしれない。
もちろん、全員がそうだとは言わない。しかし、多くの日本人は恐らく「焦げ茶色(ダーク・ブラウン)」だというのが正確なところだろう。
そういえば、どこかの国のアライバル・カード(出入国カード)で瞳の色を書かされた国もあったような気がするが、そのときにも黙って訂正されたような気もする。どこの国だったか思い出せない。
恐らく日本人は全員、無意識に"Black"と書いて"Brown"に訂正されるだろう。
しかし、人を判断するのに、瞳の色をとても重要視する国もあったりして、欧米人なども自分の瞳の色をよく知っている。それが自分の個性であり、自分の「お気に入り」だからである。
私の目をブラウンだと言ったロシア女性に、「君の目はブルーだね」と言ったら「違う、グリーンよ」と言われてよくよく見たらグリーンだったことも強い印象として残っている。
瞳の色は、日本人よりも外国人のほうが敏感なのである。
日本人はずっと「目の色は黒(茶色)」が当たり前だと思って暮らしているから、外国で相手の色が違うと本当に引き込まれる感じになるのではないだろうか。
インドの「多彩さ」に触れると病みつきになる
ところで、インド圏の女性に惹かれて戻ってこれない理由がひとつある。
それは、女性たちの肉体、衣服、文化、見た目、ファッション、持っている小物、美的感覚、匂い、声調、肌の色、すべてが東アジアや東南アジアの女性と違っていることだ。
何もかも違っている。「違っている」というのは、日本人等の東アジア女性と違っているという意味だけではない。
同じインド圏でも、あきれるほどの女性のバリエーションがあって、ひとりひとりが何もかも違うのである。
インドは広大な大陸で、北と南では文化も人種もまったく違っているので、そういった違う人種がすべて国内でめちゃくちゃに混ぜられていて、膨大な「異種」の人間を生み出している。
最初、インドの神がなぜ、たくさんの顔や手があるのか分からなかったが、インドをさまよいながら、ひとりひとり「極端に違う」のを見て分かったような気がした。
インド人は、人を見て「人間とはたくさんある」というのが子供の頃から脳裏に刻み込まれている。
だから、神を描くときは潜在的に「たくさん」が強調され、顔も手もたくさん描かれるのではないかと思ったのだった。
よくニューヨークは「人種の坩堝」と言われる。しかし、それは混ざっていない人種を指している。
インドも人種の坩堝だが、インドとニューヨークが違うのは、インドの場合は人間がまとめて交配して混ざった状態で違っているということだ。
混ざるというのは、当然、青い瞳も緑の瞳も黒も茶色も全部混ざるわけで、それが多彩なインド人の印象をさらに多彩にする。
コルカタの女性は多くがベンガル人だが、ベンガル女性の中にもドキリとする女性がいる。
顔は普通のベンガル女性のはずなのに、瞳の色が緑色だったりすることがあるのである。ベンガル女性の瞳の色は、一般的に明るいブラウンだ。
それが、たまに違う瞳の女性がいたりする。もちろん、数としては多くないのだが、日本人のように全員が全員「単色」ではないところが興味深くて仕方がない。
そういったインドの「多彩さ」に触れると、もう病みつきになって戻ってこれない。瞳でさえ、同一でない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120511T0348550900.html
いったい何という混沌なのか。インドが理解できなくて当然だ
インドには完全完璧なまでに無学で、野獣のように粗暴な人間がいる。しかし、その一方で世界でも有数の知的レベルを持ったハイテクに強い人材を莫大に抱えている。
インドには女性にアシッド・アタックするような残虐な人間がいる。しかし、その一方で生き物すべてを敬い、虫すらも殺さない完全菜食主義のジャイナ教を信奉するような優しい人たちも莫大に抱えている。
インドには売春地帯があちこちに存在していて堕落した男も大勢いる。しかし、その一方で完全に禁欲してしまった瞑想者や、享楽を悪とする仏教徒も莫大に抱えている。
インドには、極端なものがすべて同時に存在して、完全に混沌としている。
カレーの中には多くの種類のハーブ(香辛料)が混ぜられてそれがひとつの味を醸し出す。インドではこれを「マサラ」と呼ぶ。
インド社会は、まさにいろんな「違うもの」がひとつの鍋の中に詰め込まれた「マサラ」なのである。
果てしのない饒舌さと、完全なる沈黙
インドはハードな国だ。最初は、あの猥雑さと混乱と喧騒に、とても馴染めなかった。
貧しい人たちの必死の生き様に巻き込まれたりすると、それだけで精根尽きるような疲労感を感じた。
いつだったか、知り合ったインド女性と話をしていたことがあった。
彼女の口調は、一方的で、激しく、そして確信的だった。それが、延々と続く。それは、もはや閉口を通り越して、困惑すら感じさせるものだった。
彼女は英語に堪能というわけではない。
単語にヒンディー語が混じり、かつ、インド独特の「r」まで発音する単語読みや、インド独特のイントネーションも、すべて混じっていた。
流暢な英語も分からないが、あまりにローカルな英語もまたつらい。途中で何を言っているのか分からなくなる。
しかし、その饒舌さに、もう聞き返したり内容を把握しようとする気力すらもなくなってしまう。だから、インドを出るときはいつも疲れ果てていた。
饒舌は、大部分のインド人に共通するところがある。
しかし、よくよく思い出してみると、まったくその逆に、言葉が話せないのではないかと思うほど寡黙な人の存在もあった。
それは、まるで自分の存在を消し去ろうとしているかのような、病的なまでの寡黙さだった。インドには、そういう人もいるのである。
私がインド人らしいとイメージするインド女性。確かにインド人らしいとは思うが、彼女とはまったく異なる人種のインド女性も莫大にいる。
インドでは神まで混沌としている
インドは何から何まで極端だ。猥雑で、混乱している。しかし、それが一種の無法地帯のような自由さを醸し出して、中毒のような気持ちを生み出す。
インドは麻薬だ。一度でもインドにとらわれると、もう二度と逃れられない。インドという国そのものが、「放浪者の麻薬」にもなっている。
中毒になってしまって、一生インドがつきまとう。
常に両極端なものが存在するから、その両極端がたまらなく面白い。そもそも、インド人が信奉する神まで混沌としている。
インドで美と豊穣の女神パールバティなどは、まさにインドを象徴している神だ。インドの混沌を思い出すときは、いつも女神パールバティを思い出す。
パールバティは、美の象徴だ。
しかし、怒ると凶悪な神ドゥルガーに変異する。
さらに怒髪天を衝くような怒りにとらわれると、もはや地球をも破壊してしまうような真っ黒な異形神カーリーとなっていく。
美の象徴が、凶悪と破壊の象徴と結びついている。
美が割れると中には凶悪が入っており、それが高じると、さらに割れて中の破壊神が出てくる。
美しさと凶悪さが同居している。
パールバティ。美の化身。しかし、この女神が怒ると真ん中からふたつに割れて、怒りの神や破壊の神が出現する。
一国多文化で見識がガラリと変わる
日本は「あ・うん」の呼吸がある国だ。黙っていても相手の考えていることが読めるのが日本社会の美徳であると言われている。
それは裏を返すと、相手も自分と同質だから、考えが読めるということになる。
もっとも、最近は同じ日本人同士でも、話が通じない異質な世界に住んでいる人も増えたが、基本的には日本人は協調し、同質化する。
「誰もが同じ」
「異質を嫌う」
「同じことで安堵する」
「似たような考えでまとまる」
「相手と違うことはしない」
つまり、全体的にみれば、「みんなが右を向けば右」で、「みんなが左を向けば左」の国である。
日本のようにベクトルが常に同じ方向を向く国民性は、それが当たったときは強い力を発揮する。1950年代からの高度経済成長期はそうだった。
しかし、目指している方向が間違っていると、みんなまとめて浮かばれない。戦前の軍国主義時代がそうだった。
良くも悪くも、日本は「一国一文化」の特徴を持つ。
インドは完全なる「一国多文化」だ
だから、日本を見るのと同じ目で、インドが「一国一文化」であると思って見ていると、まったく分からない国になってしまう。
インドは完全なる「一国多文化」だ。
言葉も、文化も、宗教も、人種も、哲学も、何もかもが完全にバラバラで、同じインド国内でも隣の村でさえ言葉が通じない。
美意識ですら違う。太っている女性が美しいと思い込んでいる人もいるし、痩せている女性が美しいと思い込んでいる人もいる。
書き言葉も、ヒンディー語と、タミル語と、ベンガル語と、ウルドゥー語では、まったく違っている。
こんな国だから、インドとはいったいどんな国なのだとイメージがつかめずに悩む人がいてもおかしくない。
私も、インドという象の尻尾しかつかんでおらず、まだ鼻すらも触ったこともないと言える。
インドは「A」だ、と説明すれば、インドの中にある「B」も「C」も「D」もすべて取りこぼす。では「B」だと説明すれば、「X」も「Y」も「Z」も取りこぼす。
だから、インドについてよく分からなくなっても、分からない国がインドなのだと開き直るくらいでちょうどいいのかもしれない。
インドがどれだけ混沌としているのか
ちなみに、インドがどれだけ混沌としているのかは、ヒンディー語、英語以外の公用語を見れば分かる。
・アッサム語
・ベンガル語
・ボド語
・ドーグリー語
・グジャラート
・カンナダ語
・カシミール語
・コーンカニー語
・マイティリー語
・マラヤーラム語
・マニプル語
・マラーティー語
・ネパール語
・オリヤー語
・パンジャーブ語
・サンスクリット語
・サンタル語
・シンド語
・タミル語
・テルグ語
・ウルドゥー語
これ以外にも500万人以上の人々に話されている言語が16種類ほどある。いったい、何という混沌なのか……。
こういったものをすべて1つにして、「インド」というラベルを貼った国が、インドである。
マサラ(カレー)の中にはたくさんのスパイスが入っている。すべてまとめて、カレーというひとつの料理になる。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120927T2313140900.html
インドに亡命することになったら、生きていけるだろうか?
インド圏をさまよったことのある人間なら誰もが思うのは、インド人の自己主張の強さである。
インド人の政治家も壇上に上がって演説を始めると、原稿も見ないで延々と1時間でも2時間でも話している。
政治家だけではない。ビジネスマンの押しの強さ、粘り強さ、交渉のうまさも東南アジアや東アジアのものとはまったく違う。
話していると、まるでクモの糸に絡め取られるかのようにやられてしまう。とてもかなわないと思う。
「謙譲の文化」と「自己主張の文化」
商売人だけならまだいいが、物乞いまで強い。
小銭では満足せず、抱えている子供がいかにかわいそうかを堂々と訴えて喜捨をするように「説得」してくるのである。
当然、女性でも性根が据わっていて、「金を出せ」と激しく突き上げてきて折れない。
東南アジアでは、このような激しい交渉をする状況はあまりなかった。タイの歓楽街の女性も常に金を狙っているが、それでもタフな交渉相手ではない。
彼女たちは男たちと直接対峙するような交渉はしない。もし、仮に客と激しい口論になったとしても、インド人の執拗さ、執念深さに比べると、明らかに見劣りがする。
それは、東南アジアには人と人が対立するのを嫌う「謙譲の文化」が根底にあるからだろう。
謙譲とは、「へりくだり、譲ること」と辞書にある。日本でもそうだが、「譲り合う」ことは美徳である。
譲り合うどころか「それは俺のものだ」と自己主張するのは、感情すらも制御できない未熟者であると考えられる。そして、それは恥ずかしいことだ、とも考える。
仏教思想の「悟りを開く」状態の対極にあるのが、自分の感情すら制御できない混乱の状態である。
だから、たとえ共産国家であっても仏教圏の影響が強い東南アジアでは、そんなみっともない姿を見せたくないと考えてしまう。
激しい自己主張や、金銭に対する際限のない執着も、悟りを開いていない証拠だと見なされる。
インドという国はひとつだが、中身はカオス
しかしインドは違う。
ヒンドゥーは戦う神、怒り狂って手のつけられない神、セックスにまみれた神に溢れている。
荒々しい原始の感情、人間の持つあからさまな欲望は、すべて神々に投影され、誇張され、神話のスケールに増幅される。何もかも剥き出しであり、直接的である。
そのような感情を剥き出しにした宗教が根底にあって、さらに「分断」が社会を覆っている。
カースト制度で分断された分かり合えない各階層、シヴァ派、ヴィシュヌ派、クリシュナ派、カーリー派……と、神によって違う文化と思想。
そこに混じり込む仏教派、イスラム派、シーク派、キリスト派という異教徒の思想。
また、異人種の侵入もまたインドの文化を細分化し、それぞれを異質なものにする。
イラン側から侵入して来たアーリア系という侵略者、中国・モンゴル方面から侵入して来たモンゴロイド系。そして南アジアに土着していたドラヴィダ系。
それぞれの民族は異なった歴史を持ち、異なった言葉を持ち、異なった文化を持つ。ひとことに「異なった言語」と言うが、主要な言語だけでも、数え切れないほどだ。
ヒンディー語、ベンガル語、テルグ語、マラーティー語、タミル語、ウルドゥー語、グジャラーティー語、カンナダ語、マラヤーラム語、オリヤー語、パンジャービー語、アッサム語、カシュミーリー語、スィンディー語、ネパーリー語、コーンカニー語、マニプリー語、サンスクリット語……。
つまり、インドとは恐ろしいほどの雑多な文化・思想・民族・宗教・言語・社会・階層を無理やりひとつに包括した国である。
インドという国はひとつだが、中身はカオスだ。完全に違う存在が凝縮されてそこにある。
インドでは女も男もタフな交渉人
だからこそ、インド人は生きるために自己主張しなければならなかったと言える。「自己主張の文化」だ。
単一民族であれば主張などしなくても、目が合っただけで分かり合える。「謙譲」の文化だ。
インドは単一民族でもないし、言葉も文化もバラバラだから、何も分かりあえない。だから、訴え、叫び、説得するのである。そういう世界だった。
これほどまでに違うものを抱えていると、分かり合うために、自分たちの特徴を主張しなければ、永遠に無視されてしまうだろう。
また、自分たちの民族や宗教が勢力を広げるという野望があるのなら、その利点を説き、圧倒するしかない。
相手に飲み込まれないためには、それぞれの個体が自らの生存を示すために、声高に権利を主張する。
そうやって長い時間をかけて、インドという国は主張する国になっていったと考えられる。
・自分の立場を「主張」する。
・生き残るために「交渉」を重視する。
・自らの正しさを「断言」する。
アメリカは移民の国であり、さしずめニューヨークなどは「人種のるつぼ」だと言われている。同じことはインドでも言える。インドもまた想像を絶する「人種のるつぼ」なのである。
だから、インドでは女も男もタフな交渉人になる。
決して折れないし、あきらめない。自らの利益を主張することにかけては、執拗で、強迫観念に取り憑かれているようにも見える。
いろいろな国を巡ったとき、旅人であった私は無意識に「この国に亡命することになったら、生きていけるだろうか?」と考える。
タイやインドネシアでは生きていけると思った。しかし、インドでは、生きていけない。彼らと対等に駆け引きする能力は自分にはない。
あなたはインドで生きていけるだろうか。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120708T0007210900.html
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2. カースト制の起源
インドへのアーリア人侵入
「アーリア人侵入説」は、言語学の分野から持ち上がってきたものだ。
「インド・ヨーロッパ語族」という分類から、北インドのヒンズー支配層は、BC3000〜8000年に、欧州・中東・小アジア・コーカサスから移動してきた西ヨーロッパ人ではないか、と推理されるようになった。
つまり「白人、金髪、青い目」の侵略者たちが、先住民のドラヴィダ語族の民族を南に押しやり、北インドではカーストの支配者となったのではないか、という話なのだ。
_________
アメリカのユタ大学とインド南部のアンドラプラデシュ大学による共同研究
インドのカースト別のDNA分析から、侵攻したのは「コーカソイドの男子」であり、先住民の下層階級の女子と混血してきたことが証明された。
インドのカースト制度は、「4階層+不可触民」で、実質5階層になっている。
1930年にイギリスがとった人口統計によれば、
1)バラモン(僧侶)・・・・5%
2)クシャトリア(武士)・・・・7%
3)ヴァイシャ(商人)・・・・3%
4)シュードラ(農民工民)・・・・60%
5)アンタッチャブル(穢多非人)・・・・15%
という比率で、これにイスラム教、シーク教、キリスト教、ゾロアスター教などの「異教徒10%」をたすと、100%になる。
1930年以来、1度も統計調査がないというも驚きだが、不可触民(穢多非人)の「15%」という比率は、実際はもっと高いと言われている。
DNA分析の共同研究では、
上層カースト(バラモン+クシャトリア+ヴァイシャ)、
中層カースト(シュードラ)、
下層カースト(アンタッチャブル)
に分類し、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人のDNAと比較している。
表内の数字は、小さいほど関係性の距離が短い(先祖の共通性が高い)ことを示す。
http://jorde-lab.genetics.utah.edu/elibrary/Bamshad_2001a.pdf
Y染色体のSTR分析
アフリカ人 アジア人 ヨーロッパ人
上層カースト 0.0166 0.0104 0.0092
中層カースト 0.0156 0.0110 0.0108
低層カースト 0.0131 0.0088 0.0108
日本の皇位継承問題でもおなじみの「Y染色体」だが、これは男系の遺伝を示す。
インド人の「男系遺伝子」は、ヨーロッパ人とアジア人と同じぐらいの距離にある。
カースト別でいうと、上層カーストとヨーロッパ人の関係がもっとも近い。
低層カーストはアジア人にもっとも近い。
■ミトコンドリア染色体のHVR1分析
アフリカ人 アジア人 ヨーロッパ人
上層カースト 0.0179 0.0037 0.0100
中層カースト 0.0182 0.0025 0.0086
低層カースト 0.0163 0.0023 0.0113
ミトコンドリアのDNAは、母親のものだけが子供に伝わり、父親のものは次世代にはまったく関与しない「母系遺伝」になっているので、母系分析に使われる。
この分析によると、インド人の「先祖の女性」は、歴然とした数値をもって、アジア人に近い。
低層カーストがもっとも近く、上層になるにつれて距離が離れていく。
以上の研究から、インド人の母系と父系に明らかな「系統」が生じており、
1)「アーリア人の男性」が「ワンランク下の先住女性」と混血を繰り返した、
2)「低いカーストの男性」が「高いカーストの女性」と結婚するケースはほとんどなかった、
という結論になる。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1354332
「武士」「庶民」「奴隷」の上に絶対的権力をふるうカーストの最上位階級、バラモン(婆羅門)というのは、中央アジアにおいて極めて少数であったこの「白色人種(アーリヤン)」は、圧倒的多数の「黄色人種」や「黒色人種」の先住民と混血して、完全に同化されてしまうのを極度に恐れ、「バラモンの村」という特別区域に居住していました。
そして、彼らの持って来た民族宗教「バラモン教」の神々を武士階級と庶民階級には強制的に信仰させ、また、奴隷階級がバラモン教にふれることは禁止して、その権威を保とうとしたのでありました。
この白人支配下のインドに生れた釈迦は、この皮膚の色にもとづく苛酷な人種差別と職業差別とに反対し、「人間みな平等」(「四姓平等」)の立場に立って、かの宗教を創始したのでありました。
最新の研究によれば、ブッダが積極的に人種差別廃止を目指した事実はないとされている。しかし、ブッダは不可触民に対して最上格の敬語をもって接した。この事実そのものが既に革命的なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090111/p2
紀元前2500年頃、ペルシア(現在のイラン)に定住していた遊牧系のアーリア人種がドラヴィダ人の支配する地域に侵入した。そのとき、ドラヴィダ人のセックス観と性の放縦ぶりに、やってきたアーリア人は仰天したという。
ヴェーダ聖典によれば、セックスの自由は完全に許されており、男も女も気に入った相手を自由に選び、自由に取り換えていたのだという。結婚という概念は、地域によってあったりなかったりした。女性が妊娠して子供を産むと結婚するカップルもいた。しかし、そうでなければ、女性は子供を捨てて、別の関係を結ぶようにしたようだ。
ドラヴィダ人の信仰していた原始ヒンドゥーは、女性を讃え、賞賛し、そして崇拝した。つまり、女性は尊い存在だった。
白肌信仰は、潜在的にアーリア系崇拝になる
しかし、アーリア人はそうではなかった。彼らはゾロアスター教を信じていたが、その宗教は極めて倫理的で天国や地獄の概念を持ち、預言者や終末論の思想があった。
現在、預言者・終末論と言うとすぐにユダヤ教・イスラム教・キリスト教を思い浮かべるが、ゾロアスター教がそれらの宗教に影響を与えていたという学説がある。
その家長的な宗教を持つ遊牧民族アーリアがインドに侵略を開始してから、インドに土着していたドラヴィダ族は次第に追いつめられて南部へと押し込められていく。その過程で膨大な混血と宗教的な融合が起きて、インド・アーリア族とも言うべき混血民族が出来上がった。
インド人とは異なる民族と血が混じり合った人種だ。その混じり具合にもグラデーションがあって、それがカーストとしての身分制度につながったと見られている。
侵略戦争に勝利したのはアーリア人であり、彼らは人種的には白人か、白人に近い特徴を持っている。ドラヴィダ人は黒い肌を持ち、黒人に近い特徴がある。そこで、侵略に打ち勝ったアーリア人の「白肌」は高貴なものと見なされるようになり、侵略されたドラヴィダ人の「黒肌」は唾棄すべきものと決めつけられた。
ボリウッド映画に出てくる主人公たちを見れば分かるが、主演の男女はみんな白い肌の美男・美女ばかりだ。いまだにアーリア色が強いものであることが分かる。
白肌信仰は、潜在的にアーリア系崇拝になる。くだらないボリウッド映画がインド文化に根付けば根付くほど、インド人は意識的にも無意識にも洗脳されて、白い肌をさらに尊ぶようになる。
ドラヴィダ系の血筋を色濃く残した女性。肌が黒く、黒人種の特徴を多く残しているのが特徴だ。
ツァラトゥストラは何も語らないほうが良かった
白い肌にそれほど意味があるのかどうかは疑問だ。
しかし、近年の歴史は白人が有色人種を支配してきた歴史なのだから「白人の優位性」は、どこの有色人種の国でも見られる傾向だ。
当然、宗教や文化にもやはりアーリアの思想が優位になっていくのだが、それはゾロアスターをも取り込んだヒンドゥーの思想にも反映されていった。
初期ヒンドゥーの女性崇拝は静かに消されていった。家長主義、父権主義の思想が女性崇拝に取って変わり、やがて「女性はひとりの男性に従うもの」という保守的な文化へと変容していった。
ツァラトゥストラ(ゾロアスター教開祖)が何を語ったにせよ、自由を束縛されたインドのドラヴィダ女性にとっては、実に迷惑な話だったのは間違いない。
ツァラトゥストラは何も語らないほうが良かったのだ。
家長主義の特徴である「一夫一婦制」は、古代のドラヴィダ女性だけではなく、全世界の全人類にとって、人間の本性と合致していない。
人間は最初から雑婚だ。ドラヴィダ人の方が正しかった。一夫一婦制は、古臭く、宗教臭い。結婚制度は、もう形骸化しているし、そもそも最初から無理がある。
人間は成長したり、老化したり、考えが変わったり、気質が変化したりする。自分も配偶者も、いつまでも結婚した時と同じ人間であるはずがない。それなのに、なぜ同じ配偶者と一緒にいなければならないのか。
かつての古代ヒンドゥーの世界のように、自由のままでよかったのではないか。そして、人間はその方向に軌道修正すべきなのではないか。
現在のイラン人はインドに踏み入ったアーリア系の末裔であると考えられている。
産む子供は、父親が別々のほうが子供の生存に有利
女性は特に、これらの宗教には距離をおいたほうがいい。
本来、女性にとっては、産む子供は父親が別々のほうが子供の生存に有利である。
なぜなら、多様な遺伝子を残すことができるので、環境が変わったときに、子供たちの誰かがその環境に適応できる確率が高くなるからだ。
最初の男は肉体的に優れていて、次の男が頭脳的に優れているとする。次の時代が戦争の時代だったら最初の男の子供が生き残るし、平和の時代だったら、二番目の男の子供が生き残る確率が高い。
一夫一婦制であったとき、結婚した相手が愚鈍な男だった場合は、どんなに子供を産んでも愚鈍な子供しか生まれてこない確率が高い。
女はたまったものではない。しかし、結婚さえできれば、男は愚鈍でも自分の遺伝子を残せるのだから有利だ。
今の社会はユダヤ・キリスト・イスラムの影響が世界の隅々にまで浸透していて、それらの宗教の作り出す文化がグローバル社会によって画一化されている。したがって、放縦な性的関係は批判されるものになるし、無批判に結婚制度や一夫一婦制を受け入れなければならない。これらの呪縛から逃れようとした女性は、「売春婦」だとか「淫売」だとか呼ばれて蔑まれる。
もしドラヴィダ人が世界を征服していたら、人類の性に対する考え方は、今とは180度違うものとなっていただろう。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130105T0318320900.html
色(ヴァルナ)。黒い肌は人間的に劣る人間だと制度化された
インドの女性は「黒」が嫌いだ。
インドの肌の黒い女性は、自分の肌を嫌悪している人もいて、男が「黒い肌が好きだ」と言うと、自分の肌が黒いにも関わらず、必死でその意見が間違っていることを諭そうとする。
「白い肌が美しいのよ。黒い肌は美しくない」
インドでは「色」のことを「ヴァルナ」と言うが、このヴァルナは容易に肌の区別に結びついて、それが最終的には人種差別にまで行き着く。
すなわち、黒い肌の女性は劣っており、ロー・カースト(最下層)であり、醜い女性であると社会通念として通っている。
白肌に価値があると洗脳するかのようなCM
インド女性は顔貌(かおかたち)が美しい人が多い。とくに横顔を見るとその端正さが際立って目を離すことができない。
インドの男たちも自国の女性は東アジア(中国・韓国・日本)の女たちよりも美しいと言って憚らない。
もちろん個人差はあるので美醜の比較は一般論でしかないが、それにしてもインドの美しい女性は、世界中の美しい女性を圧倒的に引き離していて足元にも寄せつけない。
しかし、それでも肌の黒い自国の女と白い肌の東アジアの女がいたら、肌が白いというだけで東アジアの女性と一緒になりたいという男は多い。
白い肌は彼らの中では崇拝に値するものになっている。
女性もそれを知っているので、インドではやたらと美白化粧品が売れる。
たとえば、「Fair & lovely」という化粧品がインドにあるのだが、このコマーシャルは露骨だ。
黒肌で自信喪失の女性が見る見る白い肌に変身して輝く笑みを浮かべるのである。
あるいは、白い肌になったら注目されて成功して幸せになるようなコマーシャルが恥も外聞もなく流されている。
テレビに出てくる女性も、コマーシャルに出てくる女性も、映画に出てくる女性も、みんな判を押したかのように「白肌」だ。
インドは白い肌の人々だけが住んでいるのかと思わせるくらい、白肌俳優の採用が徹底していて、それがボリウッド映画が「夢うつつ」のような下らない内容のものにしてしまっている。
歌あり、踊りあり、シリアスあり、ドラマあり、アクションあり、サスペンスありでも、「真実」だけがない。それが、あまりに「黒」を排除するからだという遠因もある。
白肌崇拝を煽るコマーシャル。白い肌であることが重要であると洗脳するかのようなコマーシャルである。
黒は嘲笑の的になった
インドはインダス文明の担い手だったドラヴィダ族(黒肌)が、アーリア族(白肌)に征服されていく過程で生まれた国である。
アーリア族(白肌)はどドラヴィダ族(黒肌)を屈服させたあとに、肌で身分を分けた。
白肌は崇高で高貴であり、黒肌は劣っていて価値がないという身分制度である。ヴァルナで分けられた身分制度だ。
それをカーストと呼んで社会に定着させて、黒という色は「醜い」という意味を持たせるような徹底ぶりだったから、アーリア族の悪質さが分かる。
とは言っても、アーリア族はまったく躊躇なくドラヴィダとの混血を進めたから、もしかしたら実際には黒肌が劣っているとは思っていなかったのかもしれない。
本当に黒肌が「醜い」と思っていたのであれば、彼らと交わることなどなかったはずだ。
歴史はその逆の結果を見せつけている。インドほど白肌と黒肌の混血が進んだ国家はない。
口ではあれこれ言いながら、アーリア族はドラヴィダ族の女性が美しかったのを実は知っていたのだろう。これも、建前と本音の乖離であって、結果がすべてを物語っている。
肌が白くなったら、とても注目されて人気者になれるというメッセージを露骨に主張するコマーシャル。
黒は白に変えられた。そして、白は崇拝されている
インドでもっとも注意を惹くヒンドゥーの女神にシヴァの妃であるパールヴァティーがいる。
パールヴァティーは「白肌」だ。しかし、怒りに駆られると額が割れて、ドゥルガーという女神が飛び出して来る。
さらにドゥルガーが激怒していくと、今度は正真正銘の「真っ黒の神」であるカーリーに変異していく。
これはパールヴァティー(白肌)からカーリー(漆黒)の順番で語られている。
しかし、歴史から見ると逆だろう。
ドラヴィダの黒がアーリアの男の血を受けて白肌になっていったのだ。
だから、パールヴァティー(白肌)がカーリー(黒肌)になっていくのは先祖帰りであって、元々は「黒」がルーツなのだということを如実に示している。
黒肌のカーリー(左)と、白肌のパールヴァティー(右)。
ドラヴィダ族は征服されたのだから、内心では怒り狂っているのは当然だ。
カーリーがいつも怒り狂っているのは、そういった歴史の悲哀がそこに静かに込められているのであろうと推測している。
黒は白に変えられた。そして、白は崇拝されている。
しかし、インド圏で白が美しいというのは、白い肌の人が歴史の闘争に勝ったからであって、それ以外の何者でもない。
白い肌の人々が負けていれば、白が醜いヴァルナになっていたはずだ。
民族が闘争に負けるというのは、その民族の持つ特質が否定されることでもある。たとえば、日本人が闘争に負ければ、日本人の持つ何らかの特性は嘲笑の的になる。
ドラヴィダは民族闘争に負けて、インドの大地でその肌の黒さが嘲笑の的にされた。ヴァルナ(色)でその嘲笑が制度化されて、インドの歴史は黒を否定した。
私ひとりが黒い女性が美しいと思っていても、当の黒い肌のインド女性がそれを否定する。それでも、私は「黒」が好きだ。
黒い肌の女性が美しくないなんて、いったいどこの誰が考えついた冗談なのだろう。黒い肌の女性も、美しい。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120629T2225080900.html
身分の低い人間は穢れていると考えるのが、身分制度の無意識
インドのカーストの最底辺の中の最底辺、カーストにすら入れないほどの身分の人間を「不可触民」と言う。英語ではアンタッチャブルである。
「触ることすらできないほど穢れた人たち」
そういう侮蔑が込められた恐るべき言葉が「不可触民」という単語に現れている。
インドでは売春女性が最下層のカーストであるのは意味がある。それは不道徳だからという理由もあるだろうが、他人にかなり密接に「触れる」からだ。
インドでは他人に触れるというのは「汚らわしい」と考える文化が根底にある。まして、カーストの低い穢れた人間など触りたくもないと思うようだ。
穢(けが)れ……。
「不可触民」というのも触れないほど「穢れて」いるのだという思想で定義された。
自分までもが汚れてしまうと無意識に考える
私たちは普通、「他人が穢れている」「他人が汚い」とは思わない。触りたくないという感覚も起きない。
それは、あまりにも当たり前のように感じるかもしれない。しかし、それは人間が平等であるという意識があるから感じないだけかもしれない。
人間には上下関係があって、自分より身分が下の人間は「劣っている」という傲慢な意識があれば、どうなってしまうのだろうか。
あまりに「穢れている」ので、そんな身分の人間を触れば自分までもが汚れてしまうと無意識に考えるのだ。
少なくとも、カースト制度の中のインド人は、そのように考えたようだ。
今でも程度の差こそあれ、そんな文化がインドでの暗黙の了解になっている。意識化されていないことも多いが、意識してそう語るインド人もいる。
だから、人に触ったり人の持ち物に触ったりしなければならない職業の人間は、最低ランクのカーストと見られるのは自然の流れだったのだろう。
他人の排泄物を扱うバンギー・カーストや不可触民が最低底のカーストと思われているのは、最も汚れたものである排泄物に「触れる」からだ。
そして、他人と肉体交渉することが仕事になっているような売春女性は、女性の中でも最も穢れていると言われている。
誘拐されて売春地帯に放り込まれ、救出されて村に戻っても、売春ビジネスをしていたということが分かったら、村人はこの女性を受け入れない。
彼女は、穢れてしまったからである。
売春地帯に堕ちた女性は、そこを抜け出しても村で受け入れてもらえないことも多い。
劣情の前には不可触民が「不可触」ではなくなる
売春ビジネスに放り込まれる女性は多いのに、いったん放り込まれると抜け出しても彼女は過去を清算することができない。
一度穢れると、今がどうであれ、すでに穢されて元に戻らないと社会が考えているからだ。
NGOが売春女性を救出して女性を村に戻しても、誰も関わろうとしないので生きていけず、仕方がなくまた売春ビジネスに戻る女性も多い。
売春というビジネスの中身を考えると、他人に触れることを無意識に嫌うインド人には「身の毛もよだつ」ことに違いない。
売春女性は他人に「触れる」どころか、男の肉体を自分の体内にまで侵入させるのを許さなければならないからだ。
しかも、1日に何人もの男を受け入れなければならず、それを拒むことができない。
必然的に売春女性は、不浄の極まった女、もはや清くなることはあり得ないまでに穢れてしまった女として扱われるようになる。
どこの国でも売春女性は存在を酷評されるが、インドは格別にそれがひどい。人権を認めるに値せず、もはや人間として扱う必要すらないとでも考えている。
しかし、皮肉な現実もある。
自分の欲望が抑え切れなくなると、「彼らは不可触だから何をしてもいい」と言いながら、ダリット女性の意志も無視して押し倒す男がいるのである。
ボロボロになるまで「不可触」の女性をレイプする警察官の存在もある。
つまり、劣情の前には「不可触民」が「不可触」ではなくなる。触ってもいいことになってしまうのだ。
インドが変わるのは、まだまだ時間がかかる
いったい、どういうことなのだろうか。
これは、別に難しい話ではない。本当は、男たちは誰も「不可触民に触れたら自分も穢れる」とは思っていないのだ。
ただ、そういうことにしておいた方が、最下層の人間を常に奴隷的に扱えるので都合がいい。だから、上位カーストの人間は思っているフリをしている。
現在でも、インドでは最下層の女性たちに対する性的虐待の事件が次々と起きている。国際ニュースになるほど事件が起きているのに、なぜ改善されないのか?
犯人を死刑にすれば状況は変わるのか?
無駄だ。身分制度(カースト)が、社会や、人々の心の中にある限り、最下層の人を見下したり、最下層の女性を見下す状況は変わらない。
また、身分制度とは別に、インドでは保守的な家長主義も浸透しているから、女性であること自体に身分に関係なく虐げられる現状もある。
下層カーストでなくても、女性は男に虐待されたり、虐げられたり、家庭内暴力を受けたりする。これが、インドの女性の置かれている厳しい現状だ。
インドの歴史は、そうやって苛烈な差別を内包したまま続いてきた。しかし、1992年からこの国は経済成長に向けて動き出しており、それから約20年近く経った。
インドはこれでも少しずつ変わりつつある。
しかし、未だ国民の6割が貧困層である現状を見ると、経済発展の動きはとても鈍いことが分かる。インドが根本的に変わるのは、まだまだ時間がかかるのだろう。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130228T0248220900.html
人間以下(Sub-human)と呼び捨てられて、生きている人たち
人身売買されて売春宿に放り込まれ、精神を病んだ若い女性を知っている。
彼女は感情を失い、まるで小さな人形のようにイスに座り、ほとんど何もしゃべることもなかった。
何か問いかけても、彼女の声はほとんど聞き取れないほど小さく、人間としての生気が消えかけているように思えた。(コルカタの売春地帯で、デビーは人間性を叩きつぶされていた)
あとで彼女は拉致されて売春宿に放り込まれたのだというのを知ったが、猥雑で混沌としたエネルギーがうねっているようなインドの売春地帯で、彼女の醸し出す雰囲気はとても不気味なものがあった。
彼らはインドの中では人間扱いされていない
インドは自他とも認める「人身売買国家」である。他人の子供を拉致・誘拐して、売春地帯や組織に売り飛ばす職業の人間が存在していて、インド・ネパール・バングラデシュ全域をテリトリーにしている。
信じられないかもしれないが、子供が行方不明になるのは珍しい事件でも何でもなく、日本では重大な事件に発展するようなケースが警察に訴えても放置される。
なぜなら、誘拐される子供たちのほとんどが低層のカースト、もしくは不可触民であるからだ。
彼らはインドの中では人間扱いされていない。
上位カーストの男たちが下層カーストの娘たちをレイプするのは日常茶飯事だ。
思春期になって処女のままの下層カーストの娘はほとんどいないともいわれている。集団レイプが横行しているのである。(なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか)
そういえば以前、こんな事件があった。
下層カーストの少年が上位カーストの少女に恋してラブレターを送った。それを知った上位カーストの男たちは少年をリンチしたあげくに、少年の母親の目の間で、少年を走っている列車に放り込んで轢殺したのである。
凄惨な事件だが、インド人が聞いたら「そういうこともあるだろう」で終わってしまう。
なぜなら、下層カーストの男と上位カーストの女は「交わってはならない」文化になっており、それを破るのは命を捨てることだからである。
最悪の種類の排斥を受けて搾取され、虐待を受けている
インドではいまだに身分制度が堅牢であり、低カーストの人間は人間以下なのだから「豊かになる権利」すらない。
カーストにすら入る権利のない人間(アウト・オブ・カースト)の人間は、インドでは Sub-human であると言われているが、この言葉にインド人の信じるヒンドゥー教のおぞましさが潜んでいる。
Sub-human。人間以下。
低カースト、不可触民(ダリット)たちは、人間の形をしているが、人間ではないことになっている。
彼らは前世で罪を犯したので、今のような身分に生まれてきたのだと社会は定義しており、彼ら自身もまたそのように信じている。
そこに、ヒンドゥー教という宗教の恐ろしさがある。人間以下の人間がいることを、宗教が断言し、社会がそれに染まり、固く信じられているのである。
ヒンドゥー教は人間以下の人間がいると定義しており、ヒンドゥー教徒はそれを潜在意識にも刷り込まれて、社会全体で洗脳し合っている。
そういうわけだから、人間ではない「Sub-human」に人権などない。彼らの富はいつでも奪うことができるし、彼らの女性はいつでもレイプすることができる。
彼らの子供たちが拉致されても、人間ではないのだから、真剣に捜査する必要性すらないと信じられている。
インドが経済発展して貧困がなくなるとは恐れ入った概念だ。
確かに上位カーストは豊かになるだろう。立派な教育を受けたり、いい家に住むこともできるだろう。
しかし、低カーストの人間が果たしてその仲間入りができるかどうかは分からない。
もちろん、多少の例外は出てくるだろうが、圧倒的大多数は無視され続けるだろう。
文化的に彼らは抹殺されており、教育すら受けられないのだから、今のままでは救われることなどありえない。圧倒的大多数のスラムドッグはミリオネアにはなれない。
インドの売春婦たちの惨状をレポートしているNPOでは、このように嘆いている。
They live in sub-human conditions, are abused and exploited and their progeny suffer ostracism of the worst kind.
(彼らは人間以下の状況で暮らしており、彼らの子孫は最悪の種類の排斥を受けて搾取され、虐待を受けている)
インドの貧困地区の現状は、恐らくインドに行ったことのない欧米人や日本人の想像をはるかに圧倒するほどの劣悪さの中にある。
ムンバイのダラピや、コルコタのカリグハットの向こう側のスラムに足を踏み入れれば分かる。
そこに展開されている世界は、今もなおインドが激しい身分制度を内包したいびつな国家であることを示している。
人身売買はなくなるのだろうか。100パーセントの確率で私はなくならないと断言したい。人間ではない人間がいるという社会通念が南アジアの大地に根強く浸透している。
野良犬を捕獲するように、人間以下の身分の子供たちを捕獲して売り飛ばす悪魔や女衒が跳梁跋扈している。これは過去の話ではない。現代の話である。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120731T2334260900.html
2013-02-28
今でもインドでは排泄物を集める仕事しか就けない女性がいる
インドにおける非常に厳しい差別の実態はブラックアジア第三部のインド編でしばしば言及した。(ブラックアジア「第三部」)
この中で、ダリット(不可触民)と呼ばれる人たちが、私たちの目から見ると、信じられない差別の中に放り込まれていて、苦難の人生を歩んでいることも書いた。
たとえば、掃除や死体処理やトイレのくみ取りの仕事を強制され、それしかできない人たちがいる。(人間の排泄物を両手で集めることを強いられた人たちがいる)
これは昔々の話ではなく、2013年に入った今でも現状は変わらない。インドでは生まれながらにして、「トイレ掃除しかやってはいけない」というカースト(身分)があるのである。
インドの社会全体が、誰もやりたがらない仕事を下位カーストに押し付け、そしてそれを固定化させたのだ。
非人=人に非(あら)ず=人間ではない
ダリット(不可触民)は、日本人にも分かりやすく言うと、「非人」である。
江戸時代、日本も身分制度の社会にあって、それは士農工商制度と言われているが、その士農工商のいずれにも属さないカテゴリーも設定されていて、こういった人たちを「非人」と言っていた。
非人=人に非(あら)ず=人間ではない。
そういう身分を作っていた身分制度があったのだ。私たちは明治時代になってから誰が何の仕事をしても構わないようになったが、今でも「家業を継ぐ」という考え方が依然として社会に残っていることもある。
芸能や事業や政治のような「高尚」な分野では家業を継いだほうが楽して儲かるので、利権を守るために自然に「家業を継ぐ」という考え方になる。
金の儲かる仕事に就いている一族であれば、家業は継ぐべきものなのである。
貧困者にとっては家業を継いでも何も得しないので、家業を継がないことが多い。また、家業を継がないことが許される。
もし、これが許されなかったら、あるいは社会に身分を強制されていたら、日本の社会はこれほど発展しなかったということが分かるはずだ。
身分制度は捨てて正解だったのである。
しかし、インドではいまだカーストと呼ばれる身分制度が続いており、カーストによって下位カーストや不可触民に対しての差別が色濃く残っており、継承されている。
排泄物の処理を仕事とするインドの「不可触民」
AFPがこの排泄物処理をしているインドの女性たちの短い特集をユーチューブに上げているので、ここでも紹介したい。いまだにこのような現状にあることがよく分かる映像だ。
映像では、NGO団体が彼女たちを救い出そうと努力している姿が映し出されているが、50万人以上の女性がここで救い出されるわけではない。
インドの闇では依然としてこのような女性たちが差別されたまま放置されて、現状の改善はなされない。
そして、もっとひどいことに、このような仕事に就いている家庭で娘が生まれると、若いうちからレイプされてしまったり、売春地帯に売られることも日常茶飯事のように起きる。(なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか)
コルカタの売春地帯に売られてやって来た女性たちのうちの何人かは、このようなカーストから来た女性たちである。現実は、この映像よりもはるかに沈鬱で救いがない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130228T0037110900.html
なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか 2011年8月27日土曜日
1980年代後半まで、タイ・ヤラワーやスティサンには冷気茶室という売春宿が当たり前にあった。そこには見るからに幼い少女が監禁されている場所だった。今の人たちには信じられないかもしれないが、少女が監禁されていることくらい誰でも知っていた。1990年代のカンボジアにもあちこちの置屋でベトナムから売られてきた少女が雛壇に並んでいた。ベトナム人の売春村もあって、そこにも10歳にもならない少女が売春していた。少女が売春していることくらい誰でも知っていた。
セックスの奴隷
インドネシアのとある売春村ではもっと悲惨だった。少女が売春宿の地下に監禁されていたのである。
まだ知っている。
インド・ムンバイの売春ストリートも少女を水浴び場に監禁しているし、他の売春地帯では鍵のかかった部屋に押し込められていた。警察が来ると、さらに屋根裏の空洞に隠される。
娼婦が売春するための部屋には天然痘にかかってイボだらけの子供が疲れた身体を横たえて苦しんでいる。娼婦が客を取ってくると、子供は追い出される。娼婦と客は、さっきまで病気の子供が寝ていた温かい体温の残ったベッドでビジネスをする。
コルカタでは、売春する少女が客を部屋まで連れてくると、エイズに罹って幽鬼のようになった痩せさらばえた母親が金を受け取りにやってくる。売春する娘の隣の部屋でエイズの女性が治療もされずに横たわっている。これがあちこちの売春宿で普通に見る光景であると言えば驚かれるだろうか?
あるいは父親が誰だか分からない子供を産み、その子供を脇に置いたままビジネスをする娼婦もいる。この世の地獄とはまさに売春宿のことを指すのだろう。少女たちは、ただ売春宿が儲けるためだけに生かされている。
この恐るべき実態はもちろんユニセフ(国連児童基金)やNGO団体も承知しており、それだからこそ最近は様々な機会で児童売春の深刻な問題を議題に上げるようになってきている。
毎年100万人もの娘たち(少女たち)がセックスの奴隷として売買され、性的搾取されているのはユニセフの報道を読むまでもない。
この国の矛盾はいつか大きな暴力に
この中で、人身売買がもっとも多い国として、インドが挙げられている。インドは世界最大の売春地帯であり、世界最悪の人身売買国家である。東南アジアのどの国よりも劣悪な環境の中で、ネパールなどから売られてきた少女たちが凶暴な売春宿の経営者によって監禁され、虐待され、売春をさせられている。その数が一年間に40万人ということなので、先に挙げた毎年100人の犠牲者の約4割はインドが占めていることになる。
インドはカースト制度の中で国が成り立っている。上位カースト(ブラーミン)は、不可触民(ダリット、アンタッチャブル)の娘たちを面白半分に好きなだけ犯しても罪に問われない。カーストを身分制度というが、私に言わせればそれは間違った訳語であって、正確には「差別制度」である。インドでは陰でこのようなことが囁かれている。
「不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいない」
なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか。理由を聞くと、あまりの恐ろしさに絶句する。
不可触民の娘なら何をしても警察は相手にしないので、男たちが道を歩いている不可触民の娘たちを好き勝手に集団レイプするからだという。もちろん、警察は動くことはないし、悪が糾弾されることはない。果敢に訴えた不可触民もいるが、家ごと燃やされて焼き殺されたりして凄惨な末路を迎えている。ほとんどが泣き寝入りになる。
ちなみにダリットはよく建物ごと焼き殺される。何もかも燃やしてこの世から消してしまいたいと上位カーストは思っているようだ。
生きたまま燃やされた不可触民の少女
顔は残っているが、身体は炭化している
輪姦されて殺されて焼かれた不可触民の姉妹
レイプされ、縛られ、焼き殺された不可触民の女性
性器から血を流しているので乱暴なレイプだったことが分かる
なぜこんなことになるのか。なぜなら、彼らは不可触民(アンタッチャブル)だからである。人間ではないと思われているのだ。不可触民は不可触民というカーストに属しているのではない。彼らはカーストにも属せないほど穢れている、すなわちカースト外(アウト・オブ・カースト)なのである。
この恐るべき差別の国で、売春宿がどういう実態になっているのかは想像するまでもない。売春宿の女性たちのほとんどが不可触民の女性である。カースト色が薄らいできたというのは、上位カースト(ブラーミン)だけの話である。
あらゆる悪が置き去りにされている
カースト制度はすでに過去のもので法的にも廃止されているはずだし、差別的言動は認められないはずだと言う人もいる。しかし、一週間もインドにいれば、それは単なる理想だったということが分かる。法律は機能していない。売春禁止法がどこの国でもまったく機能しない以上に、カースト廃止も機能していない。地方の村では相変わらずカーストに縛られて人々は暮らしており、それは今後も変革される見込みもない。
インドの人口は10億人を越えており、次世代を担う新興国と世界は持ち上げているが、そのうちの約5億人は貧困の中にある。その貧困が半端なものではない。
世界最大の売春地帯であるインド。神々が棲み、すべてが混沌とし、あらゆる思想と哲学が渦巻くこの国。
あらゆる性の技巧が記された古典「カーマ・スートラ」を生んだ国。
『ラ・マン』を生んだフランスの大作家マルグリット・デュラスの愛した国。
しかし、この国は今でもあらゆる悪が置き去りにされて跳梁跋扈としている。
ひとつ注意しなければならないのは、この国の矛盾はいつか大きな暴力となって国を覆っていくということだ。それこそ国が割れるような騒乱が起きても不思議ではない。一筋縄ではいかない国で、一筋縄ではいかない人たちがひしめき、それで何もかも順調に経済発展が享受できると思ったら大間違いだろう。
この国では何が起きてもおかしくない。
http://www.bllackz.com/2011/01/blog-post_5583.html
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3.インド人の起源
Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
人間の設計図は核の中の46本の染色体にすべて書き込まれています。その中で性別を決めるのがXとYの性染色体です。受精時にXXなら女性、XYなら男性になるのが基本設計図なのですが、「基本」と言うとおりそれだけで男女別の分化が完成するわけではなく、受精から誕生後の幼児期〜思春期まで3回程の段階を経て男女分化が完成します。どこかの段階で分化が上手くゆかないと性不一致の問題が生じます。
そのY染色体には膨大な遺伝情報(DNA)があり以前は技術が伴わず解析は無理だったため、より簡単だったmtDNAの解析が先に進みましたが、技術・手法の急激な進化で解析が急速に進みmtDNA解析に取って代わり民族の起源を調べる最有力な方法になりました。
このY-DNA(男系遺伝子)情報を調べることでmtDNA(女系遺伝子)では分からなかった民族の移動がはっきりしてきつつあります。勿論日本人の起源もかなり調べられてきています。 人類の移動には大きく2種類あるそうです。人類が集団で男も女も一緒に動いた場合、たとえば70000万年頃前の砂漠化したサハラ以北のアフリカ大陸から絶滅寸前だった現代人の祖先が出アフリカを決行した時を始めとして、その後まだ人類に種族や国家などの排他意識が完全に生まれる前の移動やモンゴロイドがアリューシャン列島を渡り、南アメリカの最南端まで到達したのは、この男女セットの集団移動によります。この場合は男系のY-DNA遺伝子も女系のmtDNA遺伝子もセットで動きました。また近い時代ではトルコ系のタタール人のように民族ごとクリミヤ半島に強制移住させられた集団もいます。
一方、人類に種族や国家などの排他意識が完全に生まれたあとは、侵略・侵攻・征服など戦争による場合はほとんど男によってなされるため、侵略した男系のY-DNA遺伝子が一方的に動き、侵略された土地の女系遺伝子と交配し新たな遺伝子セットが出来上がります。ひどい場合はその土地の男系は根絶やしになり、男系遺伝子が完全に入れ変わる場合もあったようです。中南米の現代の地元集団・インディオの成り立ちは侵略者のスペイン系やポルトガル系などヨーロッパのY-DNAと先住民の女性遺伝子との混血でラテン系の新たな集団に生まれ変わっているそうです。本当の先住民(ネイティヴアメリカン)は結局アマゾンの奥地などにひっそりと隠れ住み、ベーリング海峡を渡った偉大な冒険者の面影はあまり残してはいません。
という訳で、Y-DNAを追いかけると、民族の変遷、征服・侵略・侵攻など現代に繋がる近代国家の成り立ちが見えてくるそうです。残念ながらmtDNA遺伝子研究では民族性にかんして重要な寄与はできないと欧米の研究者は考えているようです。このため当ブログも情報量の多いY-DNAをメインに進めます。
遺伝子調査で古典的なStanford大学の論文を紹介します
重要な内容だけまとめると、
・ホモサピエンスの出アフリカ時の全人口が約2,000人に過ぎなかったと推測できる。
・その祖先の人口の少なさは、チンパンジーや他の近縁の種と比較して、なぜ遺伝的変異性が人間のDNAではほとんどないのか説明できる。
・アフリカ、南北アメリカおよびオセアニアの先住狩猟採集民の「狩猟採集文化」は恐らく資源の制限と疾病、長距離移住等の重要な影響のため人口増加を経験してこなかった。
・一方、アフリカの農業人口の先祖は、技術革新と出生率の増加という35,000年前頃に始まった人口拡張を経験したように見える つまり古代遺伝子の一つのY-DNA「E」がアフリカに出戻ったのは35000年前頃ではないかと考えられます。
・また、ユーラシアと東アジアの民族は約25,000年前頃に人口拡張が始まったと思われる。いわゆる古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した新興遺伝子
つまり、残念ながら同じホモサピエンスでも農業を経験しなかった集団は狩猟採集の段階に留まり、現代人類の人口爆発や文明の構築等の発展に一切貢献出来なかったのです。現代に発展したのは農業を経験し更に農耕革命を経験出来た集団と行動を共にした集団だけだった、と言うことです。
その農耕革命を興したのは、1万年前頃に東西で同時に発生した、
・肥沃な三角地帯でメソポタミア文明を興したY-DNA「J2」はセム系の兄弟遺伝子集団
・長江流域で稲作農耕文明を立ち上げたYDNA「O1」,「O2」は長江文明集団
です。
当時野蛮な僻地でしかなかったヨーロッパは農耕技術を取り入れかつ多くの遺伝子集団を融合させ集団エネルギーを高め発展し、黄河文明も農耕先進地の華南を取り込むことにより豊かな食糧を手に入れ更に北の遺伝子集団も取り込み集団エネルギーを高め発展したのですが、
同時に手に入れたものはどちらも「好戦性」でした。その代表がY-DNA「R1b」とY-DNA「O3」です。世界中を侵略して回り植民地化し富を独占したのが「R1b」、遅れながらも極東の先進国家の支配層・エリート層を独占しているのが対抗する「O3」です。
このStanford論文や最近の新しい論文などを総合するといろいろな視点から史観を形づくれます。とにかく次カラムのY-DNAハプロタイプツリーで一目了然のとおり「出アフリカ」を果たした我々現代人はY-DNAツリーの一番下の行のY-DNA「A1b2b」でしかなかったのです、それもたった20000人しかいなかったのです。極めて同質なのです。
ではなぜ、我々から見たら同じ黒人にしか見えないコイサン族やピグミー族より我々の方が遺伝子変異が小さいにも関わらず、見た目の形質が多様なのでしょうか?
その理由は、出アフリカしたホモサピエンスは遺伝子そのものが変わるような古典的な突然変異だけではなく、遺伝子発現が変異する突然変異(エピジェネティクス=後天的獲得形質)を受けたからです。
我々出アフリカ組が受けた変異はこれまで書いてきたように3種類あります。
1.ネアンデルタール人との亜種間交配
その結果我々ホモサピエンスの遺伝子の1-4%はネアンデルタール人から受け継いだ配列になっています。
Y-DNAは出アフリカ時の「B」から「CF」と「DE」に分化しました。
受け継いだ最も大きな形質は、・色白、大柄、金髪/赤毛、碧眼などの欧米人に多い形質やいかつい顔、肉食性などが特に「CF」に受け継がれ、黒色だったホモサピエンスの肌は程度により褐色から白色へと薄まりました。
「DE」はホモサピエンスのオリジナル形質のネグリート性を維持し、肌も色黒のままでしたが、亜種間交配の負の遺産の無精子症/乏精子症を特に「D2」は受け継いでしまいました。
2.レトロウイルス感染
アフリカ大地に存在するレトロウイルスしか感染・内在化していない非出アフリカ組に対し
出アフリカ組はネアンデルタール人との交配でネアンデルタール人が出アフリカ後のユーラシア大陸で感染・内在化した非アフリカレトロウイルスを受け継ぎ、
また出アフリカ組は移動した中東やインド亜大陸でネアンデルタール人も感染していないその土地の新しいレトロウイルスに感染し内在化によってハプロタイプの古代亜型Y-DNA「C」、「D」、{E」と「F」への分化が生じました。
3.エピジェネティクス(後天的獲得形質)
・高緯度地適応
ネアンデルタール人との亜種間交配の結果獲得した色白.....等の形質は低緯度出身のネアンデルタール人が数十万年のユーラシアア大陸居住で獲得したエピジェネティクスです。
それを我々ホモサピエンスはネアンデルタール人との交配でいとも簡単に手に入れることができたのです。
・寒冷地適応
肉食の頂点捕食者だったネアンデルタール人は寒冷地適応する前に、獲物の大型獣などが寒冷化でいなくなり、絶滅してしまいましたが、
雑食化して生き延びたホモサピエンスは、寒冷化したシベリア大地でも生き延び、Y-DNA「N」や「P」、「Q」など古住シベリア民がフルフラット・フェースや蒙古襞などの寒冷地適応をしました。
・黄砂適応
黄河流域に住んでいたY-DNA「O3」は寒冷地適応もあったようですが、どちらかと言うと黄砂適応しフラットフェースになったのではないかと考えられます。
研究者はホモサピエンスが出アフリカしたのは今の角アフリカと言われるソマリア近辺だろうと考えています。当然ですが、海面は今より低くアフリカ大地とアラビア半島はこの辺りで繋がっていたのです。
そしてこの中東で人類がであった最大の出来事は先輩人類のネアンデルタール人との出会いと交配でした。60万年ぐらい前に先に出アフリカしたネアンデルタール人は既に高緯度地適応をしており、交配した新人は本来数10万年かかる形質変化を一気に獲得したのです。つまりネアンデルタール人と交配しなかったのがY-DNA「A」と「B」で交配したのが残りの全現代人なのです。交配の結果Y-DNAは「DE」と「CF」の2タイプに分化したようなのです。そしてその後の遺伝子の変遷は2タイプ間でかなり異なるものとなりました。
このブログで時折書いてきましたが、スタンフォード大学の調査で、灼熱化したサハラで2000人ほどに絶滅危惧種になるほど激減したらしいホモサピエンスの一部は危機感を持ち種の維持のために原人や旧人などの古い人類と同様に出アフリカしたのです。
良く考えると早くにアフリカを出て冒険の旅に出た先輩人類の原人と旧人達は全て絶滅し、最後までぐずぐずとアフリカを離れられないでいた優柔不断の先祖がいたため、ホモサピエンスとして生き残り発展することができたのは皮肉なことです。
その優柔不断のホモサピエンスの中でも出アフリカできずに最後までアフリカを離れられなかったホモサピエンスの落ちこぼれの子孫ががY-DNA「A」のブッシュマン(コイサン族)やY-DNA「B」のピグミー族です。
もし数万年後に出アフリカ後出戻ったY-DNA「E」がいなければ、アフリカ大地の人類は極めて未開のままで絶滅していた可能性が大です。Y-DNA「E」が出戻ったことで遺伝子の多様性が増大し集団エネルギーが高まったためアフリカンとして生き残ることができたのです。そして自己選択ではなく奴隷という望みも予想もしなかった他者選択によって世界に拡がり、交配種が今やアメリカ大統領になったのです。
我々出アフリカ組は中東あたりで先住民の旧人・ネアンデルタール人と亜種間交配し先輩人類の1-4%の遺伝子を後輩の明かしとしてもらいました。異種間交配は自然界ではめったにありませんが、人工交配ではライガーなど生殖機能が損なわれており子孫が出来ないことが確認されています。さて亜種間交配ではどうだったのでしょうか?我々が現在数十億人まで人口が増えた、ということは子孫を残すことができた、と言うことです。
ネアンデルタール人との遭遇
欧米の遺伝子研究で明らかにされたのは、ネアンデルタール人との亜種間交配です。我らホモサピエンスの遺伝子の1-4%はネアンデルタール人との交配で獲得したものだということです。ニューギニアの一部の先住民の遺伝子Y-DNA「S」はデニソワ人との交配でY-DNA「K」から分化したと推測されています。
ただし、非常に重要なことはmtDNA解析ではネアンデルタール人とホモ・サピエンスは全く接点がない、という点です。つまりネアンデルタール人の女性のmtDNAはホモサピエンスには全く受け継がれていない、つまり結果としてネアンデルタール人の男性とホモ・サピエンスの女性間の交配しか現代にまで子孫を残すことができなかった、と言うことです。この考察はまだ仮説にまで検討ができていません、ゆっくり考えてみます。
中東でネアンデルタール人と遭遇したホモサピエンスは2グループの古代遺伝子に分化しました。「DE」組と「CF」組です。約20万年前に既に進化したmtDNA「L」から遅れること7万年後の約13万年前に原人からホモサピエンスに進化したY-DNA「A」は狩猟採集の雑食人類としてアフリカのサバンナに生きてきましたが、更におくれること6万年〜7万年後に過酷な環境を生き抜くために森林に戻った集団はY-DNA「B」に、中東に移住した集団は「DE」と「CF」に分化したのです。
そしてその後の歴史の違いで更に「D」、「E」と「C」、「F」の4種の古代シーラカンス遺伝子に分化したのです。全出アフリカ組人類にネアンデルタール人の遺伝子が組み込まれているということは、交配の結果取り込んだ遺伝子の違いで分化が起こったのでしょう。そして当然受け取った遺伝子が発現する形質も異なったのでしょう。
ホモサピエンスは本来濃褐色の肌色の集団でしたが、灼熱化したサハラで生活している間に低緯度地適応で黒肌になっていたようです。現存している「D」100%のアンダマン諸島のOnge族やJarawa族は今でも低緯度地に居住するため、黒肌を守り世界で最も黒い種族と言われていますが、出アフリカ時のホモサピエンスの姿をそのまま留めていると言われています。「E」も同じように黒肌です。
ところが「CF」組は高緯度地適応した白肌のネアンデルタール人との交配で褐色程度に薄まっており、白肌や赤髪もいた可能性がかなりあります。つまりネアンデルタール人が数十万年掛けて獲得した高緯度地適応のエピジェネティクス(後天的な獲得形質)を交配で一気に手に入れたようなのです。そしてジャガイモ顔だったホモサピエンスはネアンデルタール人の凹凸のあるいわゆるゴリラ顔が加わり彫の深い顔に変化をしていたようです。そしてホモサピエンスよりも10~15cm以上背が高かった形質も受け取り大柄な個体も出てきたようです。
ネアンデルタール人は遺伝子研究の結果、現代の欧米人と同じ赤髪碧眼(金髪もいたそうです)だったそうで、アフリカから高緯度の地域に移住し数十万年も居住していたため高緯度地適応し肌は色白で、いかついソース顔だったそうです。赤髪碧眼も高緯度地適応の結果だったそうです。
現代人は誕生したアフリカ大陸からユーラシア大陸に移住しまだ6-70000年しか経っていないのですが、ネアンデルタール人が数十万年掛けて手に入れた形質を既に獲得していますが、それは何故でしょうか?
旧人の中で我ら現代人と交配し遺伝子をホモサピエンスに残したのはネアンデルタール人と中央アジアで見つかったデニソワ人のみだそうです。デニソワ人が何者かはまだ詳しくはわかってはいませんが、ネアンデルタール人は中央アジアでも化石が発掘されるので、ネアンデルタール人の地域型(シベリア型)ではないかと考えられます。
ネアンデルタール人の親子(左図)と復元顔(右の左)とよく似たミュージシャンの顔です。ネアンデルタール人が出アフリカ後60万年掛けて獲得したいかついソース顔や赤髪を現代人はたった6万年程度で交配することで手に入れたのです。ホモサピエンスの本来はジャガイモ顔なのです。
しかし大きな相違点はホモサピエンスに比べてネアンデルタール人は額の上部が引っ込んでいることです。この特徴がソース顔の現代人にもかなり見受けられます。ネアンデルタールの特徴です。
左図はネアンデルタール人の少女の復元だそうです。金髪に碧い眼、つまり金髪碧眼で白い肌です。この高緯度地適応の特徴もホモサピエンスはネアンデルタール人から交配の結果短期間で手に入れたのです。ホモサピエンスの出アフリカご6万年程度ではこの特徴を手に入れることは難しいのだそうですが、「交配」はそれを簡単に実現したらしいです。
絶滅寸前期のネアンデルタール人は現代人類の中欧/北欧人と良く似ていたと思われます。ヨーロッパ大陸の頂点の肉食捕食者であったことが不幸にも彼らを絶滅に追い込んでしまったと言うことのようです。
古代シーラカンス遺伝子ハプロタイプY-DNA「D」「E」「C」「F」への分化
人類のY-DNA、mtDNA遺伝子のハプロタイプ(型)を分化させた最初の推進力はネアンデルタール人との交配でしたが、次に大きい要因は異種ハプロタイプ(型)間交配になります。
出アフリカした人類のハプロタイプは古代シーラカンス遺伝子「D」、「E」、「C」、「F」の4種あります。「D」、「E」と「C」は亜型への分化に留まりそれ以上の新興ハプロタイプへの分化は起こりませんでした。不思議なことに「G」から「T」までの全ての新興遺伝子ハプロタイプは全て「F」から分化してきたのです。
60000年前頃に中東で分化したY-DNA遺伝子のうちY-DNA「C2」と「C4」は50000年前頃には既にサフールランド(ニューギニア/オーストラリア大陸に到達していたことがわかっています。1万年かかってというか僅か1万年でインド洋からスンダランドの沿岸を東進し到達していたのです。昨年のサイエンスの論文でオーストラロイドY-DNA「C2」と「C4」の祖先は高度な海事技術を持ちマグロを取っていたことがわかってきました。インド洋の沿岸を徒歩だけでなく船で走った可能性も相当高いのです。
中東から東に向かった祖先集団は恐らくインド亜大陸で相当期間留まりそこで交配を深めたと考えられます。文化的にも発展をしていたと考えられます。欧米の研究者は特にY-DNA「CF」と「D」は行動を共にし、交配度を深めていた可能性が高いと書いています。
しかし「E」は何を考えたか再度西に向かい大多数はなんとアフリカ大陸に出戻ってしまったのです。理由はまだ解明されてはいません。そして先住民であったY-DNA「A」、「B」と交配し、現在に至るアフリカンを形成したのです。現在100%の「A」、「B」と「E」部族は存在しませんが、互いに交配をする中で亜型、子亜型へ分化が進み特にY-DNA「E1b1a」はアフリカの最も代表的な遺伝子になっています。
一方アフリカではなく地中海の北側に移動した集団もいました。彼らは先住民だったY-DNA「I」と密に交配しY-DNA「E1b1b」に分化し、現在のラテン系の遺伝子となっています。この遺伝子は後に「J」セム系遺伝子と密に交配し「J2」を分化させました。この「J2」遺伝子は「E1b1b」と共にメソポタミアの農耕文明遺伝子となり海に出てフェニキア人遺伝子にもなりました。
「I」はクロマニヨン人の遺伝子で「I1」はノルマン人の遺伝子になっています。「I2」はバルカン民族の遺伝子になりました。つまり「I」はバイキングの主流遺伝子でもあるのです。この「I」も「J」も「F」から分化した第二世代の新興遺伝子なのです。
ではY-DNA「D」と「C」はインド亜大陸で何をしていたのでしょうか?
インド周辺にはY-DNA「D*」がほんの少数点在しています。そして南のアンダマン諸島には100%のY-DNA「D*」が現存しています。Y-DNA「D」はインド亜大陸に一時拡大をしたようですが、生き残ることはできなかったようです。「C」も同様だったようです。「D」以上にインド亜大陸には残っていません。
一方「F」はインド亜大陸で大いに隆盛し東南アジアにも一部拡大をしましたが「F」自身それほど目立つ部族は全くなく、特筆すべきは第一世代の新興遺伝子であるコーカサス遺伝子Y-DNA「G」、ロマ族遺伝子「H」と近代文明遺伝子の親遺伝子のY-DNA「IJK」に分化したのですが、分化した要因はまだ解明されていません。一体何が遺伝子分化の推進力だったのでしょうか?
このように出アフリカしたホモサピエンスのY-DNAはネアンデルタール人との交配でY-DNA「DE」と「CF」の2グループに分化し、更に恐らくインド亜大陸辺りで「D」、「E」、「C」と「F」の4種の古代シーラカンス遺伝子に分化をしたようです。このうち「D」、「C」と「F」が日本人の遺伝子を作りだしたのです。
デニソワ人 :ネアンデルタール人のアジアの姉妹旧人
複数の人種の移動によって形成されたアジアの歴史をDNAが解明
古代から現代までのヒトのDNAパターンを研究している国際チームは、40,000年前のアジアへの集団大移動と人種間のDNAの混合について新事実を発見した。ハーバード大学医学部とドイツ、ライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所の研究チームが最先端のゲノム解析法を使って調べた結果、デニソバンと呼ばれる古代人類が、現代のニューギニアだけではなく、フィリピンとオーストラリアのアボリジニのDNAに関与していることが分かった。このデニソバンとは最古の人類の一種で、去年シベリアで発掘された指骨のDNAを解析した結果解明された。今回の研究結果はこれまでの遺伝子学研究による説を否定し、現生人類は複数の大移動でアジアに定着したという事になる。
今回発見されたパターンは、少なくとも二回の大移動があったことを示している。
一つは東南アジアとオセアニアに住む原住民のアボリジニ、
もう一つは東南アジアの人口のほとんどを占めている東アジア人の系統である。
また、この研究は古代デニソバンが居住していた場所についても新たな考察が成されている。マックス・プランク研究所の教授であり、今回の論文の著者でもあるマーク・ストーンキング博士によると、デニソバンはシベリアから熱帯の東南アジアまでの非常に大規模な生態学的、地理的範囲に移住していたとされる。
「デニソバンのDNAが東南アジアのいくつかのアボリジニに存在しているということは、44,000年以上前にデニソバのDNAを持つ人種と持たない人口が市松模様のように存在していたということになります。このように、デニソバンの遺伝子を有するグループとそうでないグループがあるということは、デニソバンが東南アジアに住んでいたとすれば説明がつきます」と博士は説明する。この所見は、2011年9月22日付けのAmerican Journal of Human Genetics誌に記載されている。
今回の研究は、マックス・プランク研究所のリーク博士率いるチームが2008年にシベリアのデニソバ洞窟でロシアの考古学者によって発見された古代の小指の骨を分析した研究に基づいている。スヴァンテ・パーボ博士率いるマックス・プランク研究所チームは、この骨の核ゲノム配列を解析し、リーク博士が研究員と開発したアルゴリズムを使って人種の遺伝子解析を行った。
2010年12月のNature誌に掲載された彼らの研究結果によると、デニソバンが30,000年以上前に存在していた古代原人の一系統であり、現代のニューギニア人の遺伝子に関与しているようだ。デニソバンはネアンデール人でも現生人類でもないが、共通祖先がいるという結論に達している。この論文により、初期の人類がアフリカを離れた時期から曖昧になっていた人類の進化の過程について説明と、人間が歴史的に混在しているという見解が補完された。
新しい研究は、東南アジアとオセアニアの遺伝子変異の専門家であるストーンキング博士によって始められた。博士は、これらの地域から多様なサンプルを集め全体像の構築を行なっている。この研究はデニソバンの遺伝子が移動した「足跡」に重点を置いており、研究チームは、ボルネオ島、フィジー、インドネシア、マレーシア、オーストラリア、フィリピン、パプアニューギニア、そしてポリネシアを含む東南アジアとオセアニアにおける現在の人種の多種多様のDNAを解析した。
既存のデータと新たなデータの解析結果を統合した分析結果によると、デニソバンはニューギニア人だけでなく、オーストラリアのアボリジニとママンワと呼ばれるフィリピンのネグリト族、また東南アジアとオセアニアのいくつかの人種に遺伝子材パーツを提供している。しかし、アンダマン諸島のオンジ族(注:Onge族のこと、日本人の縄文人の祖先型のY-DNA「D*」100%の遺伝子集団なので当然デニソワ人とは交配していない)やマレーシアのジェハイ族、また東アジア諸島を含む西部や北西部の人種はデニソバンと交配していない。
研究チームは、デニソバンは現生人類と44,000年以上前に東南アジアで交配したと結論付けた。これは、オーストラリア人とパプアニューギニア人が分化する前である。東南アジアは、現在の中国人とインドネシア人とは関係のない近代人種によって植民地化された。この「南方ルート」仮説は、考古学的な証拠によってはサポートされていたが、強力な遺伝子的証拠は今まで存在していなかった。MITとハーバード大学のブロード研究所、ドイツ、インド、台湾、日本、マレーシア、そしてオランダからのチームによる共同研究によってこの研究は行なわれた。
東アジアと南アメリカの遺伝子はY-DNA「M」,「N」,「O」,「S」と「Q」です。いずれもY-DNA「K(×LT)」から分化した亜型になります。
「R」のみがアーリア人の遺伝子となり西進しヨーロッパ人の主力となり、南下してインドアーリア人になりました。
HLA抗原・免疫システムから解析した現代人と旧人の交配
出アフリカした現代人の遺伝子にネアンデルタール人とデニソワ人の遺伝子が交配していることは明らかになりつつありますが、免疫システムも受け継いでいるようです。
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一般財団法人 HLA研究所の説明から抜粋すると、
HLA抗原(Human Leukocyte Antigen=ヒト白血球抗原)は発見から半世紀以上を経て、HLAは白血球だけにあるのではなく、ほぼすべての細胞と体液に分布していて、組織適合性抗原(ヒトの免疫に関わる重要な分子)として働いていることが明らかになりました。
遺伝子型ごとに2つの型が判明します。それは、父親と母親の型を1つずつ受け継いでいるからです。両親から受け継いだ遺伝子の染色体は一対になっていますが、そのためにHLAも同様に両親から受け継いだ2つの型が一対となって1つのセットを形成しています。それを「HLAハプロタイプ」と呼びます。 自分のHLA検査を行えば、各遺伝子型の2個の型が判明するだけですが、両親のHLA検査も行うと、どちらの遺伝子がどちらの親から遺伝したのかがわかります。
今日あるHLA検査は、HLAが遺伝子の第6染色体の短腕にあることが解明された結果です。 HLAはA,B,C,DR,DQ,DPなど多くの抗原の組み合わせで構成され、さらにそれぞれが数十種類の異なるタイプ(アリル)をもち、ハプロタイプの組み合わせは、数万通りともいわれます。HLAはヒトの体の中で重要な免疫機構として働いており、その主な役割は自他認識をすることにあります。
例えば「HLA-A2」ハプロタイプを持つ人は「橋本病」や「Graves病」を発症しやすいのです。
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この論文の図では、「B*73」・「C*15-」のHLAハプロタイプを持っていた原人(エレクトス)から旧人(ネアンデルタール人、デニソワ人)が、
●アフリカで分離したのは27万年〜44万年前頃、アフリカに残っていた残存原人から進化した、
●新人(ホモサピエンス)が’出アフリカ’したのは67500年前頃で、
●65000年前頃に新人存亡の危機で「C*15+」を獲得し、
●50000年前頃に東地中海辺り(つまり中東)で旧人と新人の亜種間交配が起り、旧人類が獲得していた色白、碧眼、赤毛や彫深顔などの形質だけでなく無精子症・乏精子症などの負の遺産も受け継ぎ、そして免疫システムをも受け継いだらしい。
●その後30000年前頃に肉食の頂点捕食者だった旧人は大型動物の激減と共に絶滅し、雑食に変化していた新人は生き残り、アフリカ以外のアメリカ大陸も含む世界中に拡大し、
●10000年前頃にY-DNA「E」がとうとう’出戻りアフリカ’を果たし、交配したY-DNA「A」、「B」の非出アフリカ組のアフリカ先住民にも「B*73+」・「C*15+」が受け継がれた、
のだそうです。
本論文ではデニソワ人はネアンデルター人の姉妹人類と表現しています。他の論文では明らかにmtDNAのヌクレオチド配置が異なるためネアンデルタール人とは区別されると表現しています。当ガラパゴス史観はデニソワ人はネアンデルタール人のアジア型ではないかと推測しています。
また更に別の論文では、新人と旧人の交配は60000年前頃の中東で恐らくネアンデルタール人と、45000年前頃に東アジアでデニソワ人との交配の可能性を報告しています。
欧米で発表される論文は、ネアンデルタール人、デニソワ人の両旧人類と我々新人類との交配が間違いないことを続々と報告しています。恐らくその通りなのでしょう。
50000年前頃に新人が突然技術力が上がったり、芸術性が芽生えたり、色黒のジャガイモ顔から彫深の褐色肌に薄まり、とうとう高緯度地域特有の色白紅毛碧眼になったのはネアンデルタール人との交配で一気に獲得した形質とすれば、ネアンデルタール人が獲得に数10万年かかった高緯度地域適応を数万年の短期間で手に入れた理由が納得できます。
またY-DNA「D2」特有の日本人に多い無精子症・乏精子症の発症も亜種間交配のマイナスの結果と考えればすんなり納得できます。また同じ新人類なのにネグリート形質を今でも維持しているY-DNA「A」、「B」の非出アフリカ組や「D」の日本人、チベット人、「E」の地中海沿岸のラテン系民族等と比べて、ノルマン系など高身長人民族が大型だったネアンデルタール人との亜種間交配のプラスの結果、大型形質を受け継いだと考えることも非常に納得できます。
まとめると、ネアンデルタール人との交配で獲得した形質は、
・旧人のHLA抗原(全新人類か?!)
・無精子症・乏精子症(正式に報告されたのはY-DNA「D2」のみ)
・彫深顔(Y-DNA「CF」系が獲得)
・肉食性・攻撃性(大型獣ハンター、特にY-DNA「CF」系)
・高身長(特に北欧系・ノルマン系Y-DNA「I」の家系に顕著)
・色白、紅毛、碧眼(高緯度地適応なので北欧系に顕著)
などが目立つところです。
新人類ホモサピエンスの中でアウストラロピテクス時代の人類本来のネグリート体質が受け継がれてきた古代遺伝子のY-DNA「A」「B」「C」「D」「E」「F」は全て現代でも基本的に小柄な遺伝子血統です。
しかし中東で大型のネアンデルタール人と交配したことで大柄になる形質つまりエピジェネティクスを一気に獲得し、特にY-DNA「F」の新興子亜型遺伝子群にその大柄形質は濃く受け継がれました。中でも最も早くヨーロッパ大陸に拡大したクロマニヨン人つまりノルマン系「I」は、絶滅寸前のネアンデルタール人とのさらに密接な交配でしっかりと大柄形質を固定化し北欧に特に展開したため高緯度寒地に高身長が強く発現したのです。ラテン系以外の欧州人にはほとんどの民族にこのネアンデルタール人→ノルマン人遺伝子「I」がしっかりと交配しているため、欧州人は基本的に背が高いのです(大型化はエピジェネティクス=後天的獲得形質なので遺伝子そのものに変化は受けず、遺伝子の発現の仕方がコントロールされるのです)。
一方ノルマン系遺伝子「I」の交配頻度の低い南欧のラテン系は新人本来のネグリート性を維持しているため小柄度が高いのです。勿論個々に見ると個体差はありますが民族全体で見るとはっきり違いがわかります。南欧度が高いほど小柄で、北欧度が高いほど大柄になるのです。同様に色白・紅毛・碧眼の形質度も北高南低です。
氷河期とホモサピエンスの拡散の軌跡
National GeographicとIBMの共同運営している「THE GENOGRAPHIC PROJECT」というサイトがありますが、氷河期の地図とホモサピエンスの拡散がわかりやすく世界地図にされているのでご参考に転載します。mtDNAの拡散図もあるのですがY-DNAの拡散図にしました。
1. 6万年以前の地図です。白い部分が氷河です。グリーンランド、スカンジナビアと北アメリカの最北端が氷河で覆われています。まだホモサピエンスの展開は示されていません。
2. 55,000〜60,000年前頃です。寒冷化が始まりました。北米の半分はすっかり氷河に覆われています。
3. 50,000〜55,000年前頃です。ホモサピエンスが出アフリカし東ユーラシア(中華大陸とスンダランド)に展開したのがわかります。この東ユーラシアに展開したのが古代遺伝子Y-DNA「D」で、行動を共にしたとされている古代遺伝子Y-DNA「C」も含まれているようです。このようにY-DNA「D」は東ユーラシアに展開した最初のホモサピエンスだったのです。アフリカで出アフリカしなかった残留部隊もY-DNA「A」と「B」に分化し始めています。
4. 45,000〜50,000年前頃です。非出アフリカ遺伝子Y-DNA「A」と「B」の子亜型への分化が進んでいます。
5. 40,000〜45,000年前頃です。インド亜大陸でY-DNA「C」は「D」との交配で子亜型に分化し、「C4」はオーストラリア大陸に既に到達していることがわかります。同じく子亜型に分化していたY-DNA「D」はまだ中原辺りに留まっているようです。
6. 35,000か〜40,000年前頃です。古代遺伝子Y-DNA「E」は環地中海域(南欧州と北アフリカ)に展開を始め、インド亜大陸で古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した新興遺伝子Y-DNA「I」がクロマニヨン人として欧州に、新興遺伝子Y-DNA「J」もセム種として中近東や北アフリカに展開を始めました。中華大陸の華南辺りではいよいよ新興遺伝子Y-DNA「O」が現れました。新興遺伝子Y-DNA「R」は更に新しい遺伝子なのでまだ現れてはいないようです。
7. 30,000〜35,000年前頃です。Y-DNA「D2」が日本列島に到達したことを示しています。日本列島の旧石器時代はY-DNA「D2」及び行動を共にしていたとされているY-DNA「C1」によって確立されたと欧米では考えています。
8. 25,000〜30,000年前頃です。最寒冷期になり、北欧の氷河が大きく発達し海面がかなり降下しベーリング海峡は広大なベーリング大陸となり、Y-DNA「Q」がまだ氷河におおわれている北米大陸に到達しました。この時に4タイプ程度のmtDNAも同時に渡っています。日本列島にはY-DNA「O3」が到達したようになっていますが勿論間違いです。この頃に渡ってきたとするならY-DN「C3a」のはずです。
9. 20,000〜25,000年前頃です。Y-DNA「C3a」は最寒冷化するシベリアから逃げ南下してきた大型獣を追って日本列島に入ったようです。一方北東沿岸沿いに逃げた部隊Y-DNA「C3b」はとうとうベーリング大陸を渡り北米に到達しY-DNA「Q」と共にネイティヴアメリカンの一部になりました。中南米で発見される縄文土器似の土器の製作者のようです。
10. 15,000〜20,000年前頃です。Y-DNA「Q」はとうとう南米大陸に到達しました。しかしY-DNA「C3b」は南米大陸には南下していなかったようです。
11. 10,000〜15,000年前頃です。氷河の縮退が始まりました。北欧を覆っていた氷河はスカンジナビアのみに縮小し、北ヒマラヤの氷河も消失しました。
12. 〜10,000年前頃です。間氷期になり温暖化し北極圏以外の氷河は消失し、現在に続いています。海面は上昇し現在の海岸線が出来上がり、更なる温暖化で海面は徐々に上昇し続けています。
ご参考にmtDNAの軌跡図です。
古代の女性は集団を越えて他の集団に移動するという、人類とチンパンジーにのみ認められる方法で先ず女性に現れる新しい遺伝子を拡散してきました。
mtDNAイヴが最新の学説で20万年前頃(前説では14万年前頃)に誕生して6万年も後の14万年前頃(前説では9万年前頃)にやっとY-DNAアダムが誕生したくらいホモサピエンスのY-DNAが確立するには時間がかかっているのです。最新学説では14万年前頃にY-DNAアダムが誕生して次にハプロタイプY-DNA「A」になるわけですが、次のY-DNA「B」が分化するのは最新説も前説と変わらず60000〜65000年前頃ごろだそうです。
つまり人類が進化を始めるのに8万年近く(前説では3万年近く)かかっているのです。人類はホモサピエンスに進化してもすぐに古代遺伝子「C」「D」「E」「F」が分化してきたわけではないのです。「B」との共通の祖先が乾燥化して住めなくなったサハラ砂漠から絶滅危惧種に陥りながら先輩人類同様出アフリカを果たし、中東で先輩の旧人ネアンデルタール人と遭遇し、交配し初めて交配度の低い古代遺伝子「D」「E」と交配度の高い「C」「F」に分化を果たしたのです。
もしネアンデルタール人と遭遇・交配をしていなかったら50000年前頃一気に高まった現代人類の祖先の技術力や芸術性などの進歩はもっと遅れて、農業革命も遅れ人類は今だ古代のままだった可能性も充分にあるのです。何故ホモサピエンスのみが現代まで生き残れ、更なる進化を遂げることができたのかは、まだ皆目わかってはいません。創造主足る天体地球のみが知るところなのでしょう。
とにかく、直接のキッカケは樹上から降りて木の実食から肉食となり一気に脳が増大したことですが、絶滅危惧種に陥り出アフリカをするときに肉という食料の不足から生き延びるために雑食性になっていたことだと思います。肉食から変われなかった先輩人類のネアンデルタール人は最寒冷化で餌の大型獣がいなくなり絶滅し雑食のホモサピエンスはなんとか生き延び、理由はわかりませんが必死に一気に東へ進みインド亜大陸辺りで4種の古代遺伝子が亜型に分化し「D」と「C」はそのまま東遷し、東ユーラシアとサフール大陸に到達し古代性を持ったまま最終的に僻地のチベットや日本列島、オーストラリア大陸やニューギニアに生き残りました。
一方「F」はインド亜大陸で大いに分化し全ての新興遺伝子を分化させ、「G」「H」が分化した後の「I」が真っ先にヨーロッパ大陸に移動しクロマニヨン人となり、後に「J」や「E」が環地中海に出戻りしました。特に「E」はアフリカ全土に展開し先住の「A」や「B」と交配し現代アフリカ人を作り上げました。しかし同じくアフリカに戻った「J」は「A」「B」とは交配をせず、セム族として独自の展開をしました。
特に「E」はほぼすべてのアフリカ人と最北欧以外のほぼすべてのヨーロッパ人に交配しています。交配した相手の違いで今見られるような外見の形質の違いが生まれています。「E」を基にすればアフリカ人と最北以外のヨーロッパ人は同じ遺伝子交配人種と言っても差し支えはないほどです。みかけの形質の人種論より遺伝情報の方がはるかに重要である良い例です。
新興遺伝子の中から、「K」「T」「L」「M」「N」が分化し次に「O」が分化し東ユーラシアに展開し先住の古代遺伝子「D」と「C」を僻地に追い出し主役となり、「P」「Q」の後最後に分化した最新の「R」は中央アジア辺りで「R1a」と「R1b」に分化し「R1b」は一気に西遷し現代ヨーロッパ人の中で攻撃性や支配欲の源泉となり、現在世界中を搾取しています。
「R1a」はインド亜大陸に南下し先住のインダス文明のドラヴィダ人を南インドに追い出しインドの主役となり、西北に移動した別働隊は後のスラブ民族になりました。
さてY-DNAの分化は事実上「R」が最後なのですが、しかし「S」という更なる特殊な分化が或る特定の地域ニューギニアに存在することがわかっています。デニソワ人との遭遇と交配で予定されていなかった分化をしてしまったのではないかと推測できますが、果たして......。
Y-DNAによるヨーロッパ民族度
今日、巨大書店のジュンク堂で世界史地図帳を購入しました。目を通していて、インド・ヨーロッパ語族の移動のところでアーリヤ人が印欧語族の故地の中西部ユーラシア(黒海/カスピ海/アラル海の北側に拡がる広大な地域)から、移動を開始したことが書かれていました。知っていたはずですがうろ覚えであることを思い知らされました。
ある集団(Y-DNA「R1b」)は西進しヨーロッパに侵入し先住のクロマニヨン人の子孫(Y-DNA「I 」)と遭遇し、交配を嫌い独自文化を保とうとしたのがケルト民族になってゆき、交配を強めたのがゲルマン民族になっていったようです。ドイツ人やオランダ人のY-DNA「I 」頻度は意外に高いのです。やはり異なる遺伝子と交配することで民族エネルギーが上がり、純度を保とうとすると同質性が高まり民族エネルギーが下がる、という民族学の知識はここでも生きているようです。
方や南下しイラン高原からインド北部に侵入した集団(Y-DNA「R1a」)は、インド・アーリヤ人として先住のインダス文明人のドラヴィダ人(Y-DNA「H」)を追い出しインド亜大陸南部に押し込めたのは、世界史の常識として知っていましたが...。インド人の肌の黒褐色はかなり密接に交配したドラヴィダ人から受け継いだものです。
すっかり忘れていたのはその時にY-DNA「R1a」は故地に留まるかやや北に移動した集団がいたことです。それがスラブ系の集団になったのです。つまりY-DNA「R1a」はヨーロッパでは間違いなくスラブ民族遺伝子なのですが、実はインド・アーリア人遺伝子でもあったのです。スラブ民族とインドアリーヤ人は同根なのです。つまり交配した相手の違いで今我々が知っているくらい違う外観に変貌したのです。すっかり忘れていました。やはりうろ覚えの知識はダメですね。ロシアのプーチンはY-DNA「N」系のような感じですがメドベージェフは「R1a」のような気がします。調べてほしいですね。
古代遺伝子Y-DNA「F」はインド亜大陸で更に「H」、「IJK」に分化し、「IJK」が更に「I」、「J」と「K」に分化をし、「I」はすみやかに西に移動しヨーロッパ大陸に入り後にクロマニヨン人と呼ばれるようになり、その後氷河の後退に従い北進しスカンジナヴィアでノルマン人として定着し、後にヴァイキングと呼ばれるようになりヨーロッパを海賊行為で席巻しました。
一方「J」はかなり遅れて「I」と同様に西進し、肥沃な三角地帯で農耕文化を興しメソポタミア文明と呼ばれるようになり、更に後にはセム種としてアラブ世界を確立しました。
最後の「K」は中央アジア・東アジアに広く拡散し、その中から先ず極東遺伝子の「O」が分化し、遅れて欧米遺伝子の基になる「R」が分化し更にその中からスラブ・インドアーリアン系「R1a」とケルト・ゲルマン系「R1b」が分化し、西ユーラシア一帯に広く分布しています。
クロマニヨン人度 (ノルマン度)調査 Y-DNA「I 」
ヨーロッパの主要な遺伝子としてヨーロッパ人固有の遺伝子Y-DNA「I」ノルマン民族度の調査結果から代表例をご報告します。
ノルマン人は、クロマニヨン人の骨から検出された遺伝子がY-DNA「I 」であることから、クロマニヨン人の直接の子孫でネアンデルタール人亡き後のヨーロッパの最初の先住民のようです。
Y-DNA「I」が「J」とインド亜大陸の古代遺伝子Y-DNA「F」から分化したのは当然インドからコーカサス辺りの一帯のはずですが、その後西に戻り地中海の北側に展開し有名なラスコー等の洞窟画を残しました。
北欧を覆っていた氷河の後退に従い北進しスカジナヴィア一帯に定着したのがY-DNA「I1」のノルマン人となり、地中海北岸に留まり、中東から出戻ってきた古代遺伝子のY-DNA「E」と交配し分化したのが後のバルカン人Y-DNA「I2」となったようです。
2系統に分化したノルマン系Y-DNA「I1」とバルカン系Y-DNA「I2」ともども、ケルト系遺伝子「R1b」、スラブ・インドアーリアン系遺伝子「R1a」との交配度も相当高く、またラテン系遺伝子「E1b1b」やセム系遺伝子「J」とも交配していて、ヨーロッパ人は遺伝子タイプが複雑に交配しており、また言語も遺伝子頻度と必ずしも一致せずヨーロッパ人の過去の複雑な動きが見えてきます。
しかしさすがにスカンジナビアではラテン系遺伝子のY-DNA「E1b1b」の出現頻度は極めて低く交配は少ないようです、アフリカに戻ったような遺伝子集団なのでスカンジナヴィアのような寒いところは苦手なのでしょう。
スラブ度(インドアーリアン度)調査 Y-DNA「R1a」
ノルマン系やケルト系と異なり交配しているアジア系遺伝子など他遺伝子の種類が多いのです。
Y-DNA「R1」の発祥の地は中央アジア/コーカサス一帯と言われていますが、集団は3手に別れ、1隊はアフリカに到達し先住の「A」,「B」,「E1a」と交配し、もう1隊は「Q」か「C3b」と共にベーリング海峡を渡り北米に現存しています。
残留部隊はその後「R1a」と「R1b」に分化し、2隊に別れ1隊は西進し「R1a」は東欧圏に留まりスラブ系民族になりましたが「R1b」は更に西進し西欧圏に到達しケルト系民族になりました。
最後の1隊はインド亜大陸に南下し先住のインダス文明の子孫のY-DNA「L」ドラヴィダ人を追い出しインド南部に押し込めながら交配しインド・アーリアン民族となりました。
ロシア人の主要民族のスラブ系とインド・アーリアンは完全に同根なのです。インド人が意外に小柄なようにプーチン等ロシア人もケルト系もラテン系も小柄です。欧州人の大柄はネアンデルタール人と密に交配したクロマニヨン人の遺伝子を持つノルマン系の形質なのです。
スラブ系集団はヨーロッパの僻地に展開したケルト系と異なり大陸の中にいたため他の集団との交配が盛んだったのか、大陸の中央部にいるためそれだけ侵略・征服されてきたのか、アジア系の遺伝子も多く検出されています。大唐帝国(Y-DNA「O」)、モンゴル帝国(Y-DNA「C」)、チムール帝国(テュルク系)など中央アジアに進出した大帝国は意外に多いので様々な遺伝子が混じっていてもおかしくはありません。
キルギス人やタジク人などテュルク系集団が「R1a」がこれほど高頻度とは意外でした。言語と遺伝子はイコールではないことの代表例のような気がします。つまり「テュルク系」という民族遺伝子は全く存在せず、テュルク語を話す集団がテュルクに集約されたのでしょう。それだけ過去の中央アジア〜中東におけるテュルク系集団の帝国、チムール帝国、セルジュク・トルコやオスマン・トルコの存在が大きかったからでしょう。
もともとモンゴル系Y-DNA「C3c」であったと思われるテュルクの現在の主要遺伝子は、トルコ共和国もテュルクメン等の中央アジア国家も、セム民族系遺伝子Y-DNA「J」に変貌しています。宗教もイスラム教でほぼまとまっています。
人は元の遺伝子はばらばらでも同じ宗教、言語で新たな集団を作るのです。そして遺伝子が複雑なほど民族エネルビーは高まり、交配を嫌うほど民族エネルギーは下がり先住民族・辺境民族化し滅んでゆくのです。これは遺伝子の持つ宿命なのです。
セム度(メソポタミア度)調査 Y-DNA「J 」
ヨーロッパ人の遺伝子調査の最後はY-DNA「I 」の兄弟遺伝子「J 」です。「J1」はセム種です。
ヨーロッパ人にとって、セム語族は極めて重要です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、この3つの宗教全てを始めたのはセム語族だからです。ユダヤ人もセム種、キリストもセム種、マホメットもセム種です。欧米の宗教はセム種によって開示されたのです。当時ローマ人以外は野蛮だったヨーロッパ人は宗教なんて高尚な概念はなかったのです。ただの未開集団に過ぎませんでした。しかしローマがキリスト教を受け入れて変化が起きたのです。
そのローマ人は地中海系民族だったのでやはり野蛮なヨーロッパ人とは一線を画していたのです。そしてヨーロッパに農耕文明をもたらしたメソポタミア文明人は「J2」遺伝子集団と考えられています。
農耕技術を持ってヨーロッパ大陸に拡散をしていったためほとんどの欧州人に「J」遺伝子が交配されています。「J」はラテン遺伝子の「E1b1b」と共にヨーロッパ人の重要な遺伝子なのです。しかし「G」はコーカサス遺伝子と知っていましたが、「J」もコーカサス発祥とは初めて知りました。コーカサスはヨーロッパの母なる土地です。
欧米では、世界最古の民族はアルメニア人だと、以前言われていましたが、Y-DNA遺伝子の調査では、シーラカンス古代遺伝子のY-DNA「D」と「C」以外の新世代遺伝子Y-DNA「F」の中で最も古いタイプがコーカサス遺伝子Y-DNA「G」ですが、その頻度が最も高いグルジア人が最古のような気がします。いずれにせよアルメニア人も発祥の地であるコーカサス一帯が現代文明人の故郷のような気がします。実は「G」遺伝子を持つコーカサス民族には農耕をヨーロッパにもたらしたメソポタミア遺伝子「J2」の頻度も高く、当時最先端の文化を誇っていたはずなのです。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/
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