2018年07月17日公開 名張毒ぶどう酒事件の真相!奥西勝/冤罪/真犯人/会長/夜這い https://kirari-media.net/posts/1071 名張毒ぶどう酒事件を知っていますか? 名前にインパクトのあるこの名張毒ぶどう酒事件の犯人とされた男性は奥西勝と言う人物ですが、冤罪だったとも言われています。 奥西勝が起こしたとされるこの事件の真相とは? 奥西勝は真犯人なのか? その真相に迫っていきます。 名張毒ぶどう酒事件とは?
名前にやたらインパクトのある名張毒ぶどう酒事件は帝銀事件や和歌山カレー事件に並ぶ日本の三大毒殺事件と言われています。 この名張毒ぶどう酒事件について知っている人はもう少なく、名張毒ぶどう酒事件と聞いてもどんな事件か知らない人も多いのではないでしょうか? 過去にこの名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画が公開されましたが、それでも知らない人の方が多いでしょう。この日本の三大毒殺事件のひとつと言われている名張毒ぶどう酒事件とはどのような事件だったのか始めに紹介しておきましょう。 三重県名張市葛尾の公民館で起きた大量殺人事件
名張毒ぶどう酒事件とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾地区の公民館で起きた毒物混入事件とされており、その毒物が混入されていたのが、ぶどう酒だったことから名張毒ぶどう酒事件と言う名が付けられた事件です。
名張毒ぶどう酒事件により5人が死亡、12人が中毒症状を起こしたとされており、名張毒ぶどう酒事件が起こる前に毒殺事件として世間を騒がせていた帝銀事件と同じ数の被害者を出した事から名張毒ぶどう酒事件は「第二の帝銀事件」とも言われていました。 重要参考人として呼ばれたのは三人の男性 この名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされたのが奥西勝でした。名張毒ぶどう酒事件が起きた当初、その懇親会に出席していた男性たちが怪しいと見て3人の男性が重要参考人として警察に呼ばれていました。 しかし、3人の内2人は犯行を否認、奥西勝だけが名張毒ぶどう酒事件の犯行を認め、自供したとされています。が、奥西勝は公判において、名張毒ぶどう酒事件に関する自供は警察によって強要されたものだったとして突如名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認しました。 真相・真犯人は不明?冤罪逮捕の可能性 この名張毒ぶどう酒事件で一度は無罪判決が下ったものの、二審で死刑判決となった後も、立て続けに名張毒ぶどう酒事件再審請求を送ったにもかかわらず、奥西勝が獄中で死亡するまでこの判決が覆されることはありませんでした。 ただ、名張毒ぶどう酒事件における奥西勝の無罪を支持する声や意見が上がっていたことも事実です。また、真犯人として三奈の会会長の名前が挙げられているなど、名張毒ぶどう酒事件の真犯人はいまだ謎のままとされています。 奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人ではないのであれば誰が名張毒ぶどう酒事件の真犯人なのか、名張毒ぶどう酒事件の真相はいまだ謎のまま、今も奥西勝を守る会と題して弁護団が名張毒ぶどう酒事件は冤罪だったとして真相解明に心血を注いでいます。 名張毒ぶどう酒事件の概要 名張毒ぶどう酒事件について分かったところで、名張毒ぶどう酒事件についてさらに真相を突き詰めていきましょう。果たして奥西勝は真犯人なのか、名張毒ぶどう酒事件の真相とはどのようなものなのか、それとも冤罪なのか調査していきます。 「三奈の会」で女性12名が負傷・5名が死亡 1961年3月28日夜、名張毒ぶどう酒事件が起こる前、三重県名張市葛尾地区の公民館で生活改善を目的としたサークル「三奈の会」で懇親会が開かれており、その公民館には当時32人の男女が集まっていたとされています。 懇親会が開始された直後女性だけが苦しみ始め、医者が呼ばれたものの5人が死亡、12人が中毒症状を起こしました。女性だけが被害にあった理由は、毒物が混入されたぶどう酒にありました。 当時ぶどう酒はお洒落な飲み物と言う認識があり、特に女性には人気の嗜好品でした。そのため、この名張毒ぶどう酒事件で振舞われたぶどう酒を口にしたのは女性のみで、男性陣は清酒を楽しんでいたため名張毒ぶどう酒事件の難を逃れるに至りました。 出されたぶどう酒から農薬のニッカリンが見つかる ぶどう酒を飲んでいた女性ばかりに中毒症状が出ていたため、警察もぶどう酒に毒物が混入されていると見て捜査を開始しました。警察の見立て通り、ぶどう酒からはニッカリンと呼ばれる農薬が検出されました。 そのことから重要参考人として懇親会に出席していた3人の男性が重要参考人として呼ばれましたが、内2人は容疑を否認していたと言います。 奥西勝が逮捕・起訴され死刑判決を受ける 重要参考人として呼ばれた3人の中で唯一犯行を自供したのが奥西勝だったとされています。動機とされたのが、殺害された女性の中に奥西勝の愛人が含まれていたため、その愛人との関係に行き違いがあったと推測されています。 供述は「公民館でひとりになった際にぶどう酒のフタを空けて農薬(ニッカリン)を混入した」と供述したとされています。 奥西勝は冤罪を主張するも再審請求は全て棄却 4月2日に行われた取り調べで奥西勝は「公民館でひとりになった際、ぶどう酒のフタを空けて農薬(ニッカリン)を混入したと供述しており、この自供を真相として警察は奥西勝を容疑者と断定しました。 しかし、公判で奥西勝が「自供は警察に強要されたもの」として犯行を否認しました。1964年の一審で「無罪」となったものの、1969年の二審では「死刑」判決が下されています。 1972年6月に最高裁でも「死刑」判決が下り、奥西勝の死刑が決定されました。奥西勝はこの判決を不服として名古屋高裁に異議を申し立てていました。 奥西勝死刑囚が獄死する 1972年6月に下された死刑判決に異議を申し立てていた奥西勝死刑囚ですが、2012年6月に肺炎を患って以降体調が悪化し、八王子病院に身柄を移されてからは人工呼吸器を装着して寝たきりとなっていました。 2014年4月19日には国内の死刑囚としては最高齢に認定されました。2015年5月15日に奥西勝死刑囚の病状を気にかけた弁護団により最高裁への特別抗告が取り下げられましたが、同年10月4日午後0時19分奥西勝死刑囚の死亡が確認されました。 奥西勝死刑囚が死亡した後、妹にあたる人物が最高裁へ10次再審請求を出すも2017年12月8日に棄却されています。 奥西勝の家族構成・人間関係 名張毒ぶどう酒事件の真犯人として死刑判決が下されたまま無念の死を遂げた奥西勝ですが、名張毒ぶどう酒事件を引き起こしたとされている奥西勝とはどのような人物だったのか、家族構成や人間関係の視点から調査してみました。 三奈の会会長・奥西楢雄 まず、三奈の会会長である奥西楢雄は名張市葛尾地区に住んでいます。昔から葛尾地区で役職を努めるなど精力的に活動していた経緯があり、趣味にも余念のない人物です。 淡路島を訪れた際は乗馬を楽しみ、その楽しさから名張乗馬クラブを結成するなど、公私とも精力的な活動をしていました。「動ける間は色々したい」と語り、現在は交通事故をいかになくすかを考えていると話しました。 奥西勝とは愛人を共有した仲と言う認識で違いないようです。愛人の共有と言うと現在社会では考えられない話ですが、事件当時の葛尾地区では夜這いの習慣があったとされていることからも、愛人の共有は当たり前のように行われていたとされています。 母・奥西タツノ 奥西勝の母にあたるのが奥西タツノです。奥西タツノに関する情報は名張毒ぶどう酒事件の大きさゆえに伏せられていますが、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行を自供した際には名張葛尾地区の村人によって手厚く保護しようとする動きが見られました。 しかし、奥西勝が裁判で名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認し始めると、手のひらを返したように奥西タツノに暴行を加えたと言われています。 また、奥西勝家の墓だけが共同墓地から追い払われるなど、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行を否認に転じてからというもの村人からの迫害を受け続けた人物となります。 妻・奥西千恵子 名張毒ぶどう酒事件で死亡した5人の内の一人が奥西勝の妻・奥西千恵子でした。1947年1月に奥西勝と恋愛結婚を果たし1948年に長男、1954年に長女をもうけています。 1960年10月に奥村勝が北浦ヤス子と仲睦まじく歩く姿を目撃して以降夫婦仲は険悪となっていったようです。名張毒ぶどう酒事件で被害者の一人に名を連ねたのはそういった背景があってのことと考えられています。 奥西勝の子供 奥西勝と妻・千恵子の間に生まれた子供は名張毒ぶどう酒事件当時長男が中学生、長女が小学6年生であったとされています。名張毒ぶどう酒事件直後、母は名張毒ぶどう酒事件の被害者となり死亡しています。 しかも、父は名張毒ぶどう酒事件について警察の取り調べを受けているなど、子供にとってショックの大きさは計り知れません。また、奥西勝も娘の中学入学に間に合うなどそそのかして名張毒ぶどう酒事件の犯行を自供させたとも言われています。 愛人・北浦ヤス子 奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされた大きな要因である愛人・北浦ヤス子は冷め切っていた夫婦関係とは裏腹に、奥西勝と畑や映画に行くなど非常に仲のいい関係であったと言われています。 奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の犯行に至った経緯には、北浦ヤス子が会長である奥西楢雄に「奥西勝とは別れるから奥様とも分かれてほしい」と迫っていたことを奥西勝が知り、名張毒ぶどう酒事件を起こしたとされています。 奥西勝が犯人とされた理由 冤罪ともささやかれる名張毒ぶどう酒事件で奥西勝はなぜ真犯人とされたのでしょうか?奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を起こす動機や警察が集めた名張毒ぶどう酒事件の証拠について調べてみました。 奥西勝が真犯人とされた動機とは 名張毒ぶどう酒事件の真犯人として検挙されたからには奥西勝には名張毒ぶどう酒事件を引き起こすなんらかの動機があってしかるべきですが、奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を引き起こした理由として挙げられたのは愛人とのすれ違いによるものだったと言われています。 愛人・北浦ヤス子と奥西勝は当時不倫関係にあったとされています。しかも、この愛人・北浦ヤス子は会長である奥西楢雄とも愛人関係にあった人物で、奥西楢雄に「奥西勝とは別れるから奥西楢雄にも妻と別れてほしい」とせがんでいたと言われています。 その現場を偶然目撃した奥西勝と会長・奥西楢雄、愛人・北浦ヤス子と揉めている現場を目撃した人がいました。愛人との関係にすれ違いを感じての犯行であると警察は見ていたようです。 こうした揉め事は村の風習「夜這い」にも関係が 名張毒ぶどう酒事件発生当時の葛尾地区には現在日本では考えられない風習「夜這い」が横行していました。この夜這いは男性が気になる女性の元に夜訪れるもので、一見犯罪のように見受けられます。 しかし、この地区の夜這いは相手女性の同意なしに夜這いを強行できないようになっていました。もし、無理にでも夜這いをしようものなら村八分にされるなど、一重に夜這いと言っても女性側に強みのある夜這いでした。 と言うのも、当時テレビなどの娯楽もなく、娯楽らしい娯楽と言えばお酒と食事くらいだったこの地区では、夜這いも一種の娯楽として嗜まれていたようです。 果たして愛人との揉め事は動機になりうるか 夜這いと言う特殊な風習に伴い、奥村勝にも北浦ヤス子以外に数人愛人がいたと言われています。当然のように夜這いが行われる風習であったため、葛尾地区人口100人、15世帯の内10組が夜這いによる不倫関係であったとも言われています。 ここで疑問がわいてきます。果たして、「夜這いによる不倫関係が当たり前であった地区で愛人との痴情のもつれが原因で名張毒ぶどう酒事件を引き起こす動機になりうるのか?」と言う疑問です。 妻も被害者となっていることから不倫による痴情のもつれが動機となるのは分かります。が、村の夜這いと言う風習と絡めると奥西勝が名張毒ぶどう酒事件を引き起こすに足る動機になるとは考えにくいものがあります。 事件直前の目撃証言 奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人として検挙された要因のひとつに目撃証言がありました。懇親会で出されるぶどう酒を公民館に運び込んだ石原と言う人物です。 石原は会長である奥西楢雄からぶどう酒の発注を受け、公民館に運び入れた人物で、このぶどう酒と清酒を受け取ったのは奥西楢雄の妻だったとされています。その時刻は17時頃とされています。 ぶどう酒が運び込まれた直後に三奈の会が開かれたため、毒物を混入できたのは奥西勝しかいないとされ、名張毒ぶどう酒事件の真犯人として奥西勝が真犯人とされたのです。 名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物について ぶどう酒に混入されたと言われているニッカリンですが、どのような毒物なのでしょうか?また、その入手経路とはどのようなものか調べてみました。 ぶどう酒に混入されたニッカリンとは 名張毒ぶどう酒事件に使われたニッカリンとは、農薬の名前でこのニッカリンに多く含まれている成分がピロリン酸テトラエチルです。ピロリン酸テトラエチルの致死量は0.06グラム〜0.15グラムとされています。 脊椎動物が筋肉などを動かす際に出される脳からの信号を伝達する物質の活動を著しく抑えます。この物質は伝達を終えると他の細胞に吸収されるのですが、伝達を終えていない物質は回収されず細胞内に止まったままとなります。 結果、筋肉には命令が出されたままの状態に陥るためずっと動き続けることになり、筋肉が痙攣を起こしてしまい、最終的には呼吸筋が動かなくなり死亡します。 ニッカリンの入手経路 名張毒ぶどう酒事件のぶどう酒に入れられたニッカリンと言う農薬は現在でこそ農薬としての使用が禁止されていますが、名張毒ぶどう酒事件発生当時は一般的に使用されていた農薬です。つまり農家であれば誰でも所持しているものだったと言うわけです。 そのため、名張市葛尾地区で農家を営んでいた奥西勝も当然この農薬を所持・使用していたと考えられます。これも奥西勝が名張毒ぶどう酒事件の真犯人と断定した要因となったようです。 農薬としての名前はニッカリンまたはテップなどと言った商品名で一般に販売されていましたが、高い毒性を示したために農薬の登録から外され、劇薬として厳重取扱注意となっています。 名張毒ぶどう酒事件の判決 いたるところから不信な点が見つかる名張毒ぶどう酒事件の真相が冤罪なのでしょうか?名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされた奥西勝にはどのような判決が下ったのでしょうか?名張毒ぶどう酒事件の裁判を振り返ってみましょう。 第一審では無罪判決だった 名張毒ぶどう酒事件は検察・弁護団から何度も異議申し立てがあったことで何度も裁判が行われています。そもそも、いくつか不審な点が見受けられる名張毒ぶどう酒事件には真相に迫る確たる証拠は何もありませんでした。 そもそも奥西勝の供述によれば、名張毒ぶどう酒事件は「ひとりになったときにぶどう酒のフタを歯で空けて自宅から持ち込んだニッカリンを入れた」となっています。 歯でフタを空けたため、フタに残っていた傷跡が奥西勝のものであるという試験結果と、一致しなかったと言う結果の両方が出ています。この点について弁護団より追求され、1964年12月23日一審は無罪判決となりました。 検察側の異議申し立てにより二審で死刑判決 しかし、裁判での判決を不服とした検察が名張毒ぶどう酒事件再審申請をしたことにより、無罪判決が下されたはずの名張毒ぶどう酒事件の真相は急転します。 1969年9月10日の名張毒ぶどう酒事件再審により、ぶどう酒のフタに残された歯型は奥西勝のものである、村人の供述通り名張毒ぶどう酒事件当日ぶどう酒に毒物を混入できたのは奥西勝だけであったと裁判所が決定しました。 また、奥西勝と愛人・北浦ヤス子との痴情のもつれが犯行の動機として十分だとして名張毒ぶどう酒事件再審で下された判決は死刑となりました。 なぜ再審されなかったのか? 奥西勝死刑囚と弁護団は再審の判決を不服として名張毒ぶどう酒事件再審を求めました。しかし、この名張毒ぶどう酒事件再審については裁判所から棄却されています。 その後、5回もの名張毒ぶどう酒事件再審請求をしたにもかかわらず、これらすべてが棄却されています。裁判所が下した名張毒ぶどう酒事件再審棄却の理由は、ぶどう酒が公民館に運び込まれてから10分間奥西勝死刑囚が一人でいたことがあげられています。 ぶどう酒のフタに残った歯型が奥西勝死刑囚のものと一致したこと、何より奥西勝死刑囚の自供があったことから裁判所は名張毒ぶどう酒事件再審を棄却しています。 名張毒ぶどう酒事件の弁護団 このように、冤罪の可能性が色濃く残る名張毒ぶどう酒事件の真相ですが、この真犯人とされてしまった奥西勝には味方となりうる人物が数多くいます。 その内のひとつである弁護団にスポットをあてて、弁護団が内立ててきた名張毒ぶどう酒事件裁判での戦歴を振り返ってみましょう。 奥西勝の為に戦う弁護団 名張毒ぶどう酒事件の真犯人とされてしまった奥西勝死刑囚のために立ち上がった弁護団は名張毒ぶどう事件を「ずば抜けて不当」とし、奥西勝死刑囚が亡くなった今も遺族とともに裁判所へ名張毒ぶどう酒事件再審請求を提出し続けています。 弁護団が提出する次回の名張毒ぶどう酒事件再審提出で10次になることから分かるようにこれまで9回もの名張毒ぶどう酒事件再審請求が棄却されていることになります。 そこで、奥西勝死刑囚のために戦う弁護団がこれまで裁判所に提出してきた追加証拠について振り返っていきましょう。 追加証拠を提出!裁判官・検察に真実を問う 名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求では、ぶどう酒の中ブタが完全に折れ曲がっていたという事実に対して、歯で空けた場合完全に折れ曲がることはないとした鑑定結果を得ました。 また、ニッカリンが混入されたぶどう酒が白ぶどう酒であったこと、ニッカリンが赤色の農薬であったことから、混ぜれば少なくとも赤くなることから、奥西勝死刑囚の自供とは矛盾が生じるとして名張毒ぶどう酒事件再審請求を提出しました。 しかし、裁判所の判断は名張毒ぶどう酒事件で使用された毒物は奥西勝死刑囚が所持していたニッカリンの可能性は十分にある、中ブタの曲がり方に関しては死刑判決を覆すほどのものではないとして、弁護団の努力もむなしく裁判所は再審請求を棄却しました。 名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画 第二の帝銀事件、弁護団から「ずば抜けて不当」と言われたこの名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画があります。名張毒ぶどう酒事件を元に製作された映画について紹介しましょう。 冤罪事件であるとして制作されている この名張毒ぶどう酒事件を題材にした映画の製作に当たったスタッフは実際に裁判資料を読み、現地の人々に取材を重ねた上で、これは奥西勝死刑囚の冤罪事件であると判断して映画が製作されています。 一審で無罪判決を受けたにもかかわらず、二審では死刑判決が下され、その後すべての再審請求が棄却されていく絶望と心情に焦点を当てた作品になっており、そこかしこに冤罪と言うニュアンスがちりばめられています。 この映画からは司法の在り方を世のすべての人に訴えかけ、名張毒ぶどう酒事件は冤罪事件であることを認識させようとしています。この映画を製作した監督は「名張毒ぶどう酒事件が冤罪事件であることを伝えなくてはならない」と熱く語っていたと言います。 映画「約束」にこめられた願い 名張毒ぶどう酒事件を元に製作された「約束」は奥西勝死刑囚のドキュメンタリー映画となっています。いつくるか分からない処刑という絶望と何度も提出される再審請求という希望の狭間で生きる奥西勝死刑囚の心情が映画の中で絶妙に表現されています。 この映画には、この世に生きる人々のすべてが映画の中の奥西勝死刑囚と同じ境遇に立たされるかもしれないという事実を突き付けています。この映画を持って私たちにできることは何かを考えされられる仕上がりになっています。 名張毒ぶどう酒事件の真相・真犯人は? 警察や裁判所が有効とした自供や証拠には不審な点が多く見受けられるにもかかわらず、名張毒ぶどう酒事件以降、再審請求は棄却され続け、奥西勝死刑囚は死刑判決のまま獄中死しました。 この名張毒ぶどう酒事件には奥西勝死刑囚が語った真相とは別の真相、真犯人の存在がまことしやかにささやかれています。名張毒ぶどう酒事件の真犯人とは誰なのでしょうか? 犯人は奥西勝だったのか?会長が真犯人と言われる理由 名張毒ぶどう酒事件の真犯人としてよく名前が挙げられるのが、会長の奥西楢雄と言われています。北浦ヤス子が奥西勝と同時に会長とも愛人関係にあったこと、「妻と別れること」を迫られていた会長にも名張毒ぶどう酒事件を起こす動機があったと考えられためです。 名張毒ぶどう酒事件では奥西勝の妻も被害者となっていますが、会長の妻も同様に名張毒ぶどう酒事件が原因で死亡しています。犯行動機となった愛人との三角関係は会長にもあったのです。 また、三奈の会が行われる会場には会長の妻と会長もいたことから、会長にも十分に犯行できる状況であったことも会長が真犯人である可能性を強めています。 会長が犯人と言われる村人の不審な行動@ また、会長が名張毒ぶどう酒事件の真犯人ではないかと言われる理由のひとつに、事件からたった2時間で村人の供述が変わったことあります。 ぶどう酒が運び込まれた時間が名張毒ぶどう酒事件直後は16時頃だったと証言されていたのにもかわらず、名張毒ぶどう酒事件発生からたった2時間で、17時だったと証言を覆す村人が続出したのです。 これにより空白の1時間が消え、犯行可能だった人物が奥村勝死刑囚のみとされてしまいました。この証言の変化が名張毒ぶどう酒事件が冤罪事件と言われる所以でもあります。 会長が犯人と言われる村人の不審な行動A また、奥西勝に死刑判決が下った直後は奥西勝死刑囚の家族を保護しよう」という動きが見られましたが、名張毒ぶどう酒事件再審請求をした途端村人の態度は一変しました。 奥西勝死刑囚の家族をリンチする、奥西勝家の墓を共同墓地から出すなど村八分のような扱いを受けています。これほどの統率した動きを村人にさせられるのは会長しかいないため、会長が名張毒ぶどう酒事件の真犯人なのではないかと言う億測がなされているのです。 奥西勝の自白のみで物的証拠のなかった事件 名張毒ぶどう酒事件は物的証拠が何もありませんでした。ぶどう酒のフタを空ける際の歯型も9割一致していませんでした。指紋が検出された事実もなければ、名張毒ぶどう酒事件で混入された毒物が奥西勝死刑囚が所持していたニッカリンだという確証もありません。 裁判所も弁護団が提出する証拠を新証拠に該当するものとしながらも名張毒ぶどう酒事件再審請求を棄却するに至っています。 というのも、奥西勝死刑囚の名張毒ぶどう酒事件に関する自供があるためとしていますが、名張毒ぶどう酒事件については自供以外の物的証拠もなしに、死刑を確定すると言うのはいささか疑問が残ります。 名張毒ぶどう酒事件は冤罪事件の可能性も ここまで、名張毒ぶどう酒事件について様々な観点から振り返ってきましたが、名張毒ぶどう酒事件に関して検察や裁判書は奥西勝死刑囚が名張毒ぶどう酒事件の犯人と決め付けてしまっている印象があります。 有効な物的証拠もなく、奥西勝死刑囚の名張毒ぶどう酒事件に関する自供だけで死刑判決が下されている点、その自供も奥西勝死刑囚の証言通り強要されたものとすれば、名張毒ぶどう酒事件は過去最大の冤罪事件だったのではないかと疑わざるを得ません。 奥西勝死刑囚が獄中死した今も奥西勝死刑囚とその遺族、弁護団が名張毒ぶどう酒事件の真相解明にあたっています。映画でも問われていたように司法の在り方に疑問を抱いてしまう名張毒ぶどう事件は他人事ではありません。 https://kirari-media.net/posts/1071
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