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(略)
オノデキタさんが、おもしろいつぶやきを拾ってきました。
* 「onodekita @onodekita ? 8 分
細川 珠生(ほそかわ・たまお) 東京から一斉に人々が消えていく,そのことが,まさに「我欲」の象徴であるとさえ,思ったものだ。
外人達が逃げ出したのも「我欲」だったのか・・・」
細川さんのつぶやきがあるサイト。
http://www.aesj.or.jp/atomos/tachiyomi/2014-07mokuji.pdf
お見事。
まさにこれです、日本人が「その程度の安倍さんの知力」に負けてしまう原点が。
つまり、日本人は、いまだに、近代西洋人の「権利」の根本がわからない、と。
わからない、というより、日本人の常識は、その逆から成り立っている、と。
近代政治哲学思想家で、権利思想を立ち上げたのは、トマス・ホッブスでした。
その根拠は、人間は、誰しも、自分の生命の保存を最優先にすることができる、ということでした。これが、ホッブスが考えた「権利」の内容です。
ゆえに、東京の外人たちは、福島で原発事故が起きたとき、ホッブスの「権利」思想通りの行動をしたのでした。
しかし、細川さんは、それはおかしい、という。
それまで東京にいて、福島からの電力で暮らしていたのに、ひとたび事故が起きれば、とたんに、手をひらを返したように東京を逃げ出すのはおかしい、と。
逃げ出すことは、権利ではなく、我欲である、と。
だから、この思想により、日本人は安倍さんの「その程度の知力に」負けてしまう、と私は考えます。
権利思想が、日本社会では成り立たないから、と。
東京から逃げることが権利ではなく、我欲と解釈される律令思想。
これが、「その程度の知力」を擁護しています。
安倍政権の原発推進政策を反転させるには、ここから始める必要があります。
いったい、権利とは何なのか? と。
それは、我欲なのか、そうでなければ、何なのか?
英語では、権利とは、right です。
日本語では、正義、とも訳される言葉です。
日本語の権利には、この「正義」の意味が乏しいです。
right=「権利」、とすることには、幕末・明治の翻訳者たちが、大いに悩みました。
今になって思えば、間違った訳語ではなかったか、と私などは判断したくなります。
なお、ホッブスが権利思想を立ち上げた背景には、西洋社会が「近代」に入っていた、という事情もあります。
自己意識が確立されてきた、ということです。
律令理性人には、この点もまだ、発展途中です。
ゆえに、「その程度の知力に」負けるしかない現状になっています。
悲観することはありません。
権利意識を本気にすれば、「その程度の知力」が、その通り、その程度の知力になります。
ばかばかしい、と。
- 日本人の知力は、最初から当人の意志と乖離しているため、その程度の安倍さんの知力に負けてしまう、という構造問題 五月晴郎 2014/8/12 15:33:41
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