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(回答先: 日本人は少子高齢化という衰退を楽しんでいるのか/ 歴史人口学者エマニュエル・トッド氏インタビュー/日経ビジネスオンライン 投稿者 五月晴郎 日時 2014 年 5 月 18 日 18:18:59)
http://renkonn.blogspot.jp/2012/06/blog-post.html
数字から見た江戸時代の実態を探る
輿那覇先生の「中国化する日本」で、この「歴史人口学で見た日本」という著書を知った。他にも沢山の文献紹介があったが、これだけはどうしても読みたいと思って買ったのである。
統計学が日本に入って来たのは明治維新以降で、それまでは全国的にキチンと数を把握する為の調査は無かった。
だから、あくまで推定となるが「宗門改帳(そうもんあらためちょう)」という各地方村単位で行われた調査記録が、はからずも江戸時代の人口とその流動実態を浮き彫りにした、、というのが著者である速水氏の研究成果だ。
「宗門改め」とは豊臣秀吉に始まった「キリシタン禁令」を徳川幕府も継承した際に
「当家にはキリシタンはおりません。」
と届け出させる為に、決まった間隔で各戸の人数調査をした記録の事である。調査方法や記録の取り方は、各村のやり方に任されていたらしく、全国一律というものでは無いが、それでも保存状態の良い村ではかなりの年数に渡って、どれだけの人が生まれ、どこへ移動し、どうなったのか、、という事がつぶさに分かるらしい。
速水氏はヨーロッパ留学をした際に「教会に残る出生記録」を使って歴史学者達が過去の人口構成を推測しているという学問に触れ、日本の「宗門改帳」とを後に結びついたらしい。
エクセルもデジカメも無い時代、車に辛うじて詰めるマイクロフィルム撮影機を持ち運んで、資料が出たと聞いては収拾に走り、一点一点手書き作業で情報の整理/分類に費やした労力には感服する。
「少し早く生まれ過ぎたかな。」
と、現代の恵まれた統計ツールを見ると思うそうだ。
都市アリ地獄説
速水氏の研究で目を惹くのはこの学説だ。江戸期の大都市は農村で余った労働力を吸い込んで、使い捨ててしまうというのだ。
江戸中期である1721年〜1846年の125年の間、全国単位で見ると総人口に変化が無い。変化が無いから学者はあまり関心を持たないそうなのだが、速水氏は逆に注目したのである。
関東地方と関西地方の大都市を有する地域では、飢饉が無い年にも関わらず人口が減っている。
一方「宗門改帳」には各戸の人の出入りが記録され、出た人の理由やその後どうなったのかが推測出来ると言う。ある村の記録を例に取ると、周辺の大都市に出稼ぎに出た人の約30%が「奉公の終了理由→死亡」となっている。
つまり、地方村は放っておくと人口は徐々に上昇しはじめる。土地を中心とした「家制度」だと、沢山の子どもに土地を分け与えて行くとやがて先細ってしまう。次男、三男、女の子等は平均13〜14歳で奉公に出されていた。
一番立場の弱い小作人が最も多く輩出しているが、自作農/地主層からも奉公に出るケースが見受けられ、適宜全体の人数調整をしているというのだ。
この時代の都市は決して良い住環境とは言えず、劣悪な環境下で命をすり潰していた。
「江戸っ子は三代もたぬ。」
という諺を引用しているのが、印象的だ。輿那覇先生は
「姥捨て山ならぬ孫捨て都市だ。」
と説いて、家長直系ラインに乗った者以外は蹴落としてしまう姿に、現代のブラック企業しか就職先を見つけられない若者達の姿と重ね合わせておられる。
高い乳幼児死亡率
もう一つ印象深かったのは、非常に高い乳幼児死亡率だ。何となくそうだろうと思っていたが具体的な数字に驚いた。
記録が几帳面に残っている「奈良」「美濃」を例に取ると、年齢別の死亡率では、一歳未満が21%と突出して高く、他の年齢では平均5%前後にぐっと下がる。
しかもこの調査は「毎月行われていた」という貴重な特徴があり、少なくとも一ヶ月は生存した赤ちゃんの事をカウントしている事になる。
速水氏はもっと高い死亡率では無かったかと推測している。というのも、明治期に入って試験的に「人口調査」が導入された横浜市では最悪期だと一歳未満の死亡率が30%という記録もあり、恐らく江戸時代中期であればもっと一ヶ月未満で死亡してしまうケースが多かっただろうというのである。
「子どもが無事に成長できるか。」
は非常に不確実な懸案事項で、跡取りが絶える事を恐れる「家制度」ではリスク回避の為に子どもを産み続け、あぶれてしまうと「外に出す」を繰り返していた事が分かる。
ここ数ヶ月、様々な人物伝を読んで来たが、貧富に関わらず明治期までは、子どもの生存率が低いなぁと感じていた。
山県有朋は何人も正妻との間に子どもをもうけながら成人したのは娘一人だし、石原莞爾の兄弟は次々夭折して成人したのは彼を含めて3人だけ、東条英機も彼の上に夭折した兄が二人も居た。
生まれた子がほぼ成長出来るのは、大正期に入ってから。。。これは工業化に伴う住環境や食糧の質が向上したからだ、、という説を読んだ事がある。
医学の進歩と言われるが、劇的に変わったのは「感染症」に対する抗生剤の発見程度で、圧倒的に影響を及ぼしたのは免疫力を向上させる「食糧」と「住環境の保温」だそうだ。
少子化が問題視されて久しいが、歴史を長い尺で眺めてみると
「この意味は何なのか?」
と自問したくなる。
三児の母であるからこそ、子育ての嬉しさと辛さが少しは分かっているつもりで、余計に考え込んでしまった。とは言え最後に無視出来ない図表をアップして、今回は終了。
このグラフが現実なのだから、システムを変更しないと大変な事になるのは自明ですね。
グラフ:http://renkonn.blogspot.jp/2012/06/blog-post.html
「日本の人口ピラミッドは『釣り鐘型』かな。」と呑気な事を言ったら、当時中1の長女に「お母さん、日本の人口はもう『壷型』だよ。」と諭される。こんな突き出た庇を細い土台では支えられませんね。
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