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(回答先: 人は哀しい存在であることを知る〜自分の死について折にふれ考える/帯津良一 投稿者 藪素人 日時 2014 年 3 月 12 日 22:05:14)
〔人間にはちょうどいい「死に時」がある〕
「達者でポックリ」いくためには二つの大事な要素があります。
ひとつは常日頃からの心構えを持ち、自分の死のタイミングを見極める精神性を持つことです。
そしてもうひとつ大事なのは、日ごろからの「養生」です。日々、「生命」のエネルギーを高め、最期を迎えるまで自立してすごすことが、達者でポックリのためには欠かせない条件です。
その日を迎えるまで、健やかで充実した「生」を送り、その日が来たら迷わず向こう側の世界に飛び込んでいく。それが最高の「達者でポックリ」です。
〔長生きは本当に幸せか〕
(現役時代、立派な仕事をしながら、死期を逸して病院を転々としながらぞんざいな扱いを受けたり、単なる長生きが良くない事例がいくつか紹介されておる)
〔ちょうどよい「死に時」を見つける〕
(太極拳の楊名時先生や50歳代のキャリアウーマンの見事な死に際が紹介されておる)
〔「食」「気」「心」が養生の根幹〕
生命場を乱す原因とななにか。それは端的にいうと30%は食事にあり、残りの70%は心の問題であると私は考えています。
そして生命場を高めるには、「食」「気」「心」が養生の根幹となります。この三つは相互に関係し合って、病気の予防や健康の維持に役立っていることはもちろん、生き方にも大いにかかわってきます。
養生で生命場を高め続ける生き方をすれば、「虚空」の秩序と一致させるということにほかなりません。養生で生命場を高め続ける生き方をすれば、「虚空」の永遠の命と一体化することになります。それこそが私たちの生きている最大の目的といえるでしょう。
私が今まで見てきた中では、この生命場を高め続けた人ほど、見事な「達者でポックリ」を実現させています。生命場を高めるということは、大自然の流れに沿う生き方であると思います。
そういう意味では「寝たきり」や「要介護」になるということは不自然なのです。野生動物には「寝たきり」や「要介護」はありません。
【出所】帯津良一「達者でポックリ」東洋経済新報社 ‘08年
(ヤブ人)
野生動物には「寝たきり」や「要介護」がねえ、てえのは言われてみりゃ〜その通りじゃな。人が寝たきりや徘徊老人になるってえのは、そん人の生き方が間違っていたんだろうな。頭も良く人格者だった帯津はんの先輩がな、死期を掴み損ねで、ボケたあまり女の尻を追い掛け回しているなんてえ事例も紹介されておるで。拙者もそうなんねえよう、日々の暮らし方の再チェックが必要だわな。
拙者にも死期を掴み損ねた叔父がおっての、本人もてえへんじゃが、面倒見る家族の苦労は並大抵のもんじゃなかったな。拙者も駆り出されたんで良ぐ分かる。こんな要介護老人の姿見るど、現代社会が構造的に生み出している側面もあると思うがな。じゃが、まず個人のレベルでこの構造に組み込まれんようもがくことから始めるしかなかんばい。
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