http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/654.html
Tweet |
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/12595
(略)
AKBがアセアンの晩餐会で「日本的おもてなし」をしたのだそうです。
で、私はそれを、安倍政権の精神年齢は、マッカーサーが言ったとおりの12歳だから、と解釈しました。
念のために繰り返すと、「日本人の精神年齢は12歳である」、と断定したのはマッカーサーであって、私ではありません。
ここで考えてみたいのは、では、なぜ日本人は12歳から成長していかないのか、です。
言い換えれば、なぜ12歳で止まってしまうのか?
答えを、ふと、思いつきました。
仏教の修行にある「雑念を追い払え」ではないか。
さきほど会員コーナーに書いた最新の話題の、この掲示板での見出しに、
「古代では、意識(=雑念)を消すことが手順だったが、キリスト以後は、意識をキープしたまま、が新しい手順となった」
と書いたのですが、ここから思いつきました。
仏教は、キリストが登場する前に形成されました。だいたいのところで、紀元前6世紀です。
ということは、その時代の修行は、それがなんであれ、地球のどこでも、基本は、意識を消滅させることでした。インドに限らず、古代ギリシアでも、エジプトでもそうです。
そこで、意識を、私たちが日本語で普通に耳にする仏教用語である「雑念」と見なすと、仏教の伝統の中で育つ日本人は、意識を消滅させることを修行とみなすことになります。
ここで思うのは、ー余談ですが、これが私には徹底的にいやで、つまり、日本人の慣習の中で、最も反感を覚えたものですが、ー意識が消え去ることをもって修行と見なすのであれば、そこで、その人の精神の成長はストップするだろう、と。
ゆえに、日本人は12歳で精神の発育を終えるのである。
これが、安倍政権がAKBでアセアン首脳たちをおもてなししても平気であることの日本的精神構造ではないか、と考えた次第です。
つまり、日本人の意識には仏教の伝統が染み付いているがゆえに、成長できなくなっている、と。
それは、キリスト以前にはまったく正しい修行方法だったが、以後は、時代錯誤になってしまった。
それなのに、まさに日本列島がパレスチナから遠いために、日本人はキリストの影響を受けることなく、紀元前に正しかった修行方法を、今に至るまで継承することになった、と。
ツイッターの各氏を見ていると、このことを「恥ずかしい」と反応している人が目につきます。
今では、この反応が時代にマッチしています。
では、なぜ安倍政権は、このAKB問題に限らず、先祖帰りしているかのような政策を次々に繰り出すのでしょうか?
自民党には、くもの巣が張っているのか?
そして、霞ヶ関にも?
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。