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(回答先: 失われた王族支配に内包される民の解放の真意とは 投稿者 金十字架 日時 2013 年 2 月 14 日 16:53:48)
物事を突き詰めれば今もってそこに自覚すべき事が浮かび上がる
「私とは純粋に生命としての尊厳を携えたままどこかに向かおうとしつづける」
「今もかつてもそして未来永劫に渉って」
「だが私は此所に在る」
「私という意識はずっと此処にあるままだ」
私の在り方そして命の使い方は私が決める
だが私が私でないものに集中しない限りは
私の中から私が消えて無くなることはない
「私」が'存在した'のは「私」というものを意識した時からである
つまり「比較の世界」の中に私が「姿」を現したのは
他の誰でもない私が「私」を産み落とした瞬間からである
そこに「私」が誕生しえたのである
私が「私足りえる事」を自覚する為の要素として
「他の存在」があげられるとするなら
それもまた「私」を構成するのに欠かせない要素である
つまりそれも「私」の一部だ
私の目の前にあるもの
触れられるもの
感じられるもの
すべて私が「私であること」を知る為に必要なものだ
そしてまたそうした要素に触れ合う事で新たな私が生まれ続ける
「私の中に私が生まれ続ける」
そしてまた「私が私である限り私に無視されるような瞬間などどこにもありはしない」
それを踏まえて語るべき事が山ほど在る
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