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スポーツ(それがなんであれ)に打ち込もうとする子供たちは
"自己の肉体に対する-健全な-探求者"だと言える
-自発的に促されてそこにあることが条件だが-
そして勿論の事その内奥からの自然な衝動に従順である彼らは
その欲求を満たそうとし
そのためだけに純粋な力を発揮して
強く何かに打ち込んで(挑んで)いく事が出来る
そうした彼らの純粋な動機が満たされる場がスポーツ界にあるのならば
何も問題は出ないだろうにと思う
こうしたことは何もスポーツに限られた問題ではない
そのひた向きな姿勢は一方でそれを忘れていくだけに思える大人達の前には
輝かしい存在として映り込むだろう
しかしながら未だ社会に対して彼らは何も備えがないのだと云う
危うげな存在としてもまたその目に映っていると云う訳だ
勿論それはひとつの立場からの(大人達の)一方的な見解の押し売りでしかない
そうした見解を謂わば自負している大人達は自身の経験の中に
好きな選択を選ぶことのできる自由というものを
自ら制限を課し剥奪(我慢)して来たと云う経緯がある
そこには両立するという選択肢はほぼ無かったと記憶されていることだろう
実際はそんな事は無いのだが彼らの言う良識とはそのように自制心の現れとして働いている
そしてまたそうした見解は「元来人は自由ではあり得ない」とする彼らの言い分にも
常に正当性を持たせてくれる
よってその立場を彼ら自身の庇護のために死守する
そこから彼らは慰みだけを受け続ける
これは殆ど呪縛である
そこにはいつまでも救われない彼らの鎮魂の為の生け贄が捧げられつづけることとなる
それもまた彼らの病理として-永続するかの様に-
問題を生み出しつづける原因となる
人が自己処理の出来ない問題を抱えるとそれは必ず外部の問題へと転嫁される
それは殆ど本人の自覚が無いまま無意識に行われている
そうした彼らは大抵の分野に於いて慢性的な不満状態に陥っている
何故ならそれはどんな場合も自らに無意識に「満足させないこと」を課しているからでもある
そしてそれが彼らの良心であり
周囲とのコミュニティレベルを維持し繋ぎ止める役割となってしまっている
よって彼らは他者をもそのような眼で縛ろうとする事も道義的であり
そこにわずかな安堵を求めることにもなっているのだ
問題の起きる舞台ではそうした他者の眼に子供たちは取り囲まれている可能性がある
そこでは人に何かを教えると云う事が真に出来ているとは思えない
実際自発的な行動に駆り立てられている子供たちに
大人達がそうした自分本位の期待を投げかけて制御したりしなければ
彼らは彼らなりの観念体系に沿って
まったく自己に無害の経験を組み立てる事が出来る
子供たちに言える事は「人の意見は気にしない方がいい」と云う事だ
それを無視しようとすることや振りほどいて逃げる真似はしなくていい
それは「気にしている」と云う事だから
だがどんな大人達にも感謝できることはたくさんある
どんな悪い手本があったとしてもそれがあるからこそ
今の自分がどうありたいかがはっきりと見えて来るものだ
だからどんなことにも感謝出来る事は必ず見つけられる
「本当の良心」とは-つまり心とは-
他者の機嫌を伺ったり
自分の表現したい想いを押し隠して我慢を強いる為にあるのではない
そしてまたそれは見えないからこそ怖れてはならない
あなたが人を怖れればそこにあった筈の相手の心も奪い隠し見えなくしてしまうのだ
あなたを苦しめる他者の眼を生み出すのも
それはあなただけが出来る行動なのだ
自分を評価してもらおうとしなくて良いと云う事だ
そしてまた他人を批判せず評価出来るものを見たら素直に讃えよ
そしてあなたもまたしたい事だけに意識を強く向け続けることだけが
あなたにとっての輝かしくも意義の在る時の過ごし方なのだ
「出来ない」と思う事は「したい事」ではなく
「しなければならない」と思う事も「したい事」にはならない
あなたは今のあなたのいる状況のすべてをつくり出している
そしてその自分の在り方が本当に自分のしたい事であるのかを
徹底的に意識的に見つめる事が出来る
意識が変われば肉体的にも精神的にも意図した状況に自分を誘導していく事が出来る
これはスポーツに限らず1日のはじまりや食事前・寝る前と
あらゆる行動を起こす前に薦められる
より高いポテンシャル-潜在能力-を引き出す為には欠かせない「自己との対話」である
大人は子供の頃を思い出すかして
純粋に子供達の自発的な行動形態の初期の姿勢のままにしてあげられれば
それだけで大人はその役割としてのものをきちんと全う出来る
それを危険だからとか他人に迷惑をかけるといった名目で阻害するだけではいけない
彼らが興味の尽き果てる事のないようにするにはほったらかすことであり
誰かが整備してあげなければなら無い事など一切無い
勿論してあげたいことをするなと言っている訳ではない
彼らの無限の可能性を引き出してあげる事になるのは
彼らを無条件に信頼し野放しにしておく事の出来る周囲の"信頼在る"大人達の眼だけである
そうなれば彼らは全体への貢献となりうるような
新たな可能性を幾つも見つけだしもするだろう
未来を見つめる人々の眼が変われば
過去に'探しだせる筈も無かった'
先のQuestersが残した遺品もまた'新たに'輝き出す事となるだろう
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