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(回答先: -synaptic cleft-谷超えの飛行(ひぎょう) 投稿者 金十字架 日時 2012 年 10 月 15 日 02:52:38)
いくら心を砕いてもすべては捉えきれぬまま
何かを捉えようとしてはそこに囚われていく
手の届かない所に誰かがあなたの欲しがる物を置いた訳でもないのに
何故「そこ」に手を伸ばし続けようとだけ考えてしまっているのだろうか
あなたがあなたである場所は「ここ」だけなのに
すべてどのようにあなた方の眼に浮かび上がっているかは
あなた方には良く御存じのことであると思う
しかし科学の眼でさえもすべては捉えきれないし
そのあなた方の眼をしてこれからもそうあるだろうことは確実だ
つまりはすべては途方もなく捉えきれないものの広がりの上に
あなた方の「眼」によって"捉えられたもの"だけが浮かび上がっている
とは言えるだろう
こうした考え方は有効である
そこに生まれるひとつの見解として
そうした中に浮かび上がるものすべては
「限定する事によって捉えることができたもの」である
あなた方にとって現実的なものとは
こうした幻想の上に成り立っている
よってそこに生まれる現実感も
そうした観点から見れば幻想そのものである
その幻想をあなたは利用するのか
そこに振り回されるのか
という問いかけである
私たちは手に取れる幻想を楽しんでいると考える事は出来るのである
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