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(回答先: 刹那から永遠へ 投稿者 金十字架 日時 2012 年 10 月 19 日 01:26:01)
神は神以上の存在であり
仏も又仏以上の存在である
仏は時として神であり
神はまた仏以上の存在である
あなた方が幾ら言葉に括りつけて
物事に限定した意味付けを与えた所で
それら存在するものは常にそれ以上でありつづけている
根本の「事実」を理解する事である
よってあなたもまた自身という存在を
「こうである」と断定して限定してみせたところで
その事実から遠ざかる事は出来ないのである
親が子を産む
しかし子はまた時に親でもある
師は弟子をもつ
しかし弟子もまた時に師以上の存在であるのである
時にという限定的な言葉を使ったが
事実は子も又親であり弟子もまた師である
あなたは常にあなた以上の存在でありつづけていながら
鼻先の感情に埋没して路頭に迷う事すらできる
それは次にあなたが何をか掴む為にそうすることを選んでいるのだ
それぞれは独自の都合に合わせ付けた自己解釈で
それら限定された存在としての立場を利用しているのである
心根が誠に純真であるものは
何にも苦しめられはしない
苦しみの感情体験に望んでいる様に見えるものでさえも
自分はまたそれを楽しんでさえ居るのではないかと
ふとした折に気付くときが在るだろう
苦しみから何かを得ると聞かされ
そうしたものを求める者は
けして苦しみを手放さないだろう
何が本当に真実かわからないとするものは
その事を利用しているに過ぎず
何を得るにもすべて何かを利用しなければ手に入らない
一つのものを二つに分けてみても
それは実際には二つに分断出来はしない
どちらももともと一つのものを構成する要素なのだから
それらは互いに相手の要素を奪い合う
故にどんなに突き放して見えても惹かれ合う
互いに邪魔者だとした対立観念をぶつけ合い
その状況をいくら強化して信念としてみせても
ひとつのものはやっぱりひとつである
それは一個の自分の中に於いても起きている現象である
ひとつのものを引き離して分離させようとする力とはなんだろうか
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