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過小評価された財政乗数    危機の本質は生産性急上昇、比較優位の変化、機会の格差スティグリッツ
http://www.asyura2.com/12/hasan78/msg/153.html
投稿者 MR 日時 2012 年 10 月 17 日 20:29:51: cT5Wxjlo3Xe3.
 

「過小評価された財政乗数」
BY ANTONIO FATAS
以下は、Antonio Fatas, “Underestimating Fiscal Policy Multipliers”(Antonio Fatas and Ilian Mihov on the Global Economy, October 8, 2012)の訳。

この度発表されたばかりのIMFの世界経済見通し(IMF World Economic Outlook)では世界経済の回復を鈍化させるリスクの高まりに対して強い警戒が示されているが(報告書はIMFのウェブサイトで閲覧することができる)、その第1章ではこれまでの成長予測において財政乗数の大きさが過小評価されていた可能性をめぐって優れた分析がなされている。以下は第1章からの引用である。

多くの国々が財政再建に乗り出す中、財政乗数の大きさをめぐって激しい議論が繰り広げられることになった。財政乗数の値が小さければ小さいほど、それに応じて財政再建に伴うコストは小さくなる。実際のパフォーマンスに目を移すと、財政再建に着手した国々の経済活動は期待を裏切るものであった。そこで当然次のような質問が問われることになる。財政乗数の大きさは過小評価されていたのではないか? そのために財政削減に伴う短期的なマイナス効果が予想を上回る結果となってしまったのではないか?


その答えは「イエス」(財政乗数は過小評価されていた)である。

ここで財政乗数をめぐるこれまでの論争の経過を私なりに振り返ってみることにしよう。11年ほど前に行われた一連のアカデミックな研究では、財政乗数の値は1〜1.5の範囲のどこかにある、との推計結果が得られた。言い換えると、政府支出の1%の増加はGDPの1〜1.5%程度の増加につながる、ということである。これは私自身が2001年に行った共同研究で達した結論であり(その研究の結果をまとめた論文はこちら(pdf))、またほぼ同じ時期に執筆されたオリヴィエ・ブランシャール(Oliver Blanchard)とロベルト・ペロッティ(Roberto Perotti)による共著論文でも同様の結論が得られている(その論文はこちら(pdf))。この問題に関する研究はその後も活発に続けられ、先の推計結果[1] を確証する数多くの論文とともにそれに疑問を投げ掛ける論文も生み出されることになった。特に、戦争のようなイベントに基づいて財政乗数の推計を試みた論文では乗数は1〜1.5といった値よりも小さな値をとる傾向にあった。話題が話題だけに(財政政策という政治が絡んでくる問題ということもあって)、財政乗数をめぐる論争はとどまることを知らず、乗数はゼロに近いまたはマイナスでさえある(政府支出が増加するとそれと同じ規模だけ民間支出が減少する)と信じる研究者も現れるほどであった。

このように論争は続いたものの、これまでの研究成果を私なりに検討すると、乗数はおおよそ1あるいは1を少し上回る程度、という線でかなりのコンセンサスが得られていたと見ていいのではないかと思う。

2008年に危機が勃発するや、財政乗数をめぐる論争はアカデミックな世界から緊急を要する政策論争の場へとその舞台を移すことになった。財政刺激策のインパクトはどの程度だと予想されるだろうか? オバマ政権は財政刺激策の必要性を正当化するために財政乗数は1.5程度であると提起した報告書(執筆者の一人はクリスティーナ・ローマー(Christina Romer)である)を発表したが、この報告書に対しては「深刻な危機の中にあっても総需要管理策の余地などない」と信じる人々から批判が加えられることになった。財政乗数をめぐる論争は次第にアカデミックな議論の応酬というよりはイデオロギー闘争に近い様相を呈するようになっていったが、その一方で、我々が現在置かれている特殊な状況(金融政策がゼロ下限制約に直面しており、デレバレッジの圧力に伴う民間需要の低迷によって深刻な景気後退がもたらされている状況)のために乗数の値は当初(11年前)の推計よりも大きい可能性を示す一連のアカデミックな研究成果がちらほらと表れるようになった。

しかし、そういった新しい(そして昔の)アカデミックな研究成果は2008〜2009年の財政刺激策を受けて繰り広げられることになったイデオロギー色の濃い論争の中で埋没していくことになった。その論争の結果として導かれた結論が、2008年以降の財政刺激策は効果がなく、今必要な処置は一層の財政緊縮である、というものであった。過去2年間を通じて多くの政府が財政緊縮に向かうことになったが、そのような状況の中で行われたGDP成長率の将来予測の作業においては乗数が大きな値をとる可能性に対して考慮が払われることはなかったのである。

以上の話はこの度の世界経済見通しでIMFが示唆しているポイントであり、同時に(IMFによる)自己批判という意味合いも含まれている。この度の世界経済見通しでIMFは自らが最近行った世界経済の成長予測を再検討したうえで、財政再建のインパクトを計測するにあたって暗黙のうちに採用されている乗数の値が0.5程度であることを明らかにしている。これまでにGDP成長率の将来予測が過大評価であった[2] 事実を受けて、乗数は0.5を上回るのではないかとIMFは疑いを強くしている。世界経済見通しの分析では乗数は0.9〜1.7の範囲内にある可能性が示唆されているが、この数字はかつての(11年前の)推計結果とほぼ完全に一致しており、つい最近のアカデミックな研究結果によっても支持されているところである。また、現在のような状況を前提とした場合に大半の経済モデルから予測される数字とそれほどかけ離れてもいない。

訳注;財政乗数の値は1〜1.5の範囲にある、との推計結果 [?]
訳注;成長率予測の下方修正を余儀なくされた [?]
http://econdays.net/?p=7183

NHK BIZ PLUS:ジョセフ・スティグリッツ・コロンビア大学教授へのインタビュー
以下の文は、NHK Biz plusの番組サイト、飯田香織経済キャスターブログから「7/31/2012 Joseph Stiglitz, Professor at Columbia University」の翻訳になります。誤字・誤訳の指摘はコメント欄にお願いします。

【世界経済】
■まずは世界経済の現状をどう評価しますか?

弱っている。すごく弱っている。そして、すごく大きなリスクに直面している。ヨーロッパはすでに景気が後退している。ヨーロッパはユーロ危機に対して効果的に対処していない。その結果として、今後、危機がさらに悪化するリスクが考えられる。

アメリカは経済成長しているものの、すごくゆっくりとしたものです。そして、我々は「財政の崖(fiscal cliff)」と呼ばれるものに直面している。もし政治的妥協に達することができなければ、税金は上げられ、支出はカットされることになり、アメリカも景気後退に陥るリスクがある。

中国はスローダウンしている。インドもすでにスローダウンしている。そして、世界経済の成長率も明らかにスローダウンしている。ただ、中国とインドの成長率は7%で、我々ならそんなに早く成長できたらとうらやむような数値ですが。だから、世界経済は明らかに危険な状態と呼べる状況にあります。

■リーマンブラザーズが経営破たんして金融危機が起きた2008年と比べて深刻度合いはどうでしょうか?

えーと…いくつか重要な違いがあります。ユーロ危機は潜在的にすごく深刻な危機です。我々は今後の成り行きが分かってるという点では有利な状況にある。2007年には、誰も本当に先の見通しを立てられなかった――いや訂正します。2007年には、政治的リーダーの多くが先の見通しを立てられなかった。私を含むたくさんの経済学者が、非常にリスキーな時代に突入していること、バブル崩壊の可能性、不動産バブル崩壊の可能性が非常に深刻であると言ってました。だが、現在の中央銀行のトップであるバーナンキのような人々はそのことが分からなかった。一方、現在では下振れリスクについて広く議論されている。

他方では、2008年に始まる危機が今でも続いているために、さらなる危機に対処する我々の能力は大いに減少している。国家はますます多くの財政赤字を積み重ね、その財政赤字を心配するようになり、家計の状態はますます弱くなっている。不動産価格は下落して、人々は2年、3年、4年と耐え忍んだままです。

人々の状況がますます悪化しているという事実は、この危機がさらに深刻な結果になる可能性があることを意味している。

■危機の連続性ということですが、どういう意味でしょうか?

それが一連の出来事の結果として起こってるということです。歴史では、常に一つの出来事が次の出来事を導きます。ハイテク・バブルがあったから、そのバブルが崩壊した。そして、そのことがFRBによる不動産バブルをもたらした。不動産バブルの崩壊は必然的なものだったということです。それが一因となって世界的な経済危機が起こりました。そして、今、それがユーロ危機をもたらし、経済の縮小をもたらし、西ヨーロッパとアメリカを弱体化させている。

■いまの“危機の本質”は何でしょうか?

その中心には多くのことがある。根本的な問題は変わりつつある世界展望に対して経済を本格的に調整する必要があることと言ってもいい。変わりつつある世界展望には2つの側面がある。一つは、製造業の生産性が急速に上昇していること。製造業の生産性が上昇すると、雇用は減少し、人々は製造業から移る必要がある。これは世界的な現象です。

2番目に、比較優位の変化がある。先進工業国に現在存在する製造業の一部は今後減少していくことになるでしょう。全般的な製造業の雇用が減少していく中で、日本やアメリカやヨーロッパではその仕事の一部が減少していくことになる。だから、我々が直面せざるをえないのは二重の調整です。

それら2つの要因の結果が、他の要素と結合することにより、世界中で不平等が拡大している。不平等は必然的に経済を弱体化する。我々が多くの国々で、アメリカは最悪だが日本や他の国でも目にしているのが不平等の増大です。それ自体が我々の社会、我々の経済に緊張をもたらしている。そして、我々の経済を弱体化させている。

だから、これこそが根底にある問題といっていい。そして、不幸なことに、これらの根底にある問題に対処するために実行されていることはほとんどない。我々はその問題の兆候に注目している。その問題の兆候について心配している。その問題に欠陥だらけの戦略で対応していることの結果にどう対処できるか心配している。

アメリカで雇用が減少してきたときに、我々が採った対策の一つが住宅バブルを生み出した。それは数年間、問題の解決になった。だが、住宅バブルが崩壊するのは避けられなかったし、今、我々は根底にある問題と共に、債務と過剰不動産という住宅バブルの遺産に対処しないといけなくなっている。

■いまから振り返りますと、どこで道を誤ったのでしょうか?

今、我々が理解している多くのことは、後知恵によってどこで間違ったかを考えれば、もっと前に分かってしかるべきだったし、私を含めてこのことについて語っていた人はいました。言えるのは、それが根本的な問題ということです。我々は世界経済がどう変化しているのか、経済をその変化に対応させるために必要なことを分かっていなかった。

もう一つの我々の犯した根本的な過ちが、市場はそれ自身で問題を処理していけるというイデオロギーです。そのために、我々は規制、銀行の規制を撤廃して、経済を不安定にする全面的な自由化に走った。そして、興味深いことに不効率は増大し、不平等は拡大した。

規制を撤廃することによって、自由な領域に力がもたらされたが、それは我々を
正しい方向というよりむしろ、間違った方向に向かわせました。そして、今になってその結果が明らかになった。

興味深いのは、銀行部門最強の代弁者であり、投資銀行と商業銀行を分離する法律を破棄させたシティバンクのトップ、サンディ・ウェイルという人がいる。グラス・スティーガル法を破棄したんですが、時にそれはシティバンク救済法と呼ばれている。それが実際にシティバンクに作らせた法律――非常に特殊な金利規制――だったからです。その彼ですら、それがおそらく間違いだったと言っている。だから、それこそが根底にある経済学を考慮することなく特定の利害関係に屈してしまった実例です。

■転換点は、いつだったとお考えですか?

ターニング・ポイントは1980年代だと考えています。レーガン大統領の時代、それ以前から中央銀行総裁はポール・ヴォルカーだった。ポール・ヴォルカーは規制の必要性、金融規制の必要性を認識していた。彼は二桁のインフレを非常に低いレベルにまで下げるのにいい仕事をした。普通なら、仕事をした中央銀行家は報奨されるものです。インフレを低くするのは中央銀行の主要な仕事ですから。彼はレーガンに解任された。どうして? レーガンは規制緩和のアジェンダ、自由市場のアジェンダ、彼が支持するイデオロギーを後押ししてくれる人物を望んだからです。

そして、グリーンスパンが時の人になった。グリーンスパンはこのイデオロギーを後押しした。その後、公平に言って、クリントン政権下の民主党もそれに加わった。彼らは金融機関の規制緩和を推し進め、その結果は災厄だった。

私はそのときクリントン政権の内部にいて、経済諮問委員会議長だった。私はそのリスクが分かっていたので、その流れと戦いました。私は、彼らが提唱した予防策を疑っていた。私が議長だったころには、それは起こらなかった。だが、私が政権を去ると、動き出したその力は拡大を続け、とうとう1998年、1999年、2000年と規制緩和が実施されていった。我々は現在その結果に苦しめられている。

【アメリカ経済】
■アメリカの経済格差について聞きます。著書の中で「アメリカは機会均等な国でなくなった」と書いています。アメリカはなぜこの状況に至ったのでしょうか?

それは非常に興味深い質問です。私がこの本で取り上げてるポイントは、アメリカの自己認識と他国から見たアメリカの認識が非常に異なっていることです。アメリカ人は自国を機会の国と考えている。だが、今日では、アメリカの子供たちの将来見通しは、他の先進工業国よりも、両親の所得や学歴にずっと依存していることをデータが示している。

■衝撃的なデータですね。

ショッキングです。それは50年前のホライオ・アルジャーが書いたような、若者が語り、耳にしてきたボロ着から富を手にした人々、それを成し遂げた移民のお話とは明らかに変化している。確かに、今でもそうした事例は多くある。下層から上層に昇った人々はいるし、そうした移民もいる。

だが、これらのお話が非常に注目を集めるのは、それが非常に珍しいからなんです。経済学者もしくは社会科学者の観点から重要なのは、その確率がどれくらいなのか、その見込みはどれほどなのかということです。そして、その見込みはすごくいいものではない、と言うか古きヨーロッパと比べても良くない。

どうして我々はこうなってしまったのか? 本質的な要因は、ほぼ確実に、我々の教育システムだと考えている。わが国の教育システム、わが国の公的教育システムはかつて一流だった。今でもいくらかの面で非常に良いものもあるが、今起こっているのはエリートが子供たちを私立学校に入れるか、すごく良い教育を提供してくれる郊外に移り住むようになっているということ。

現在アメリカで起こっていることの一つに、金持ちと貧しい人の分断の拡大がある。アメリカは先進工業国の中で最も分断された社会になっている。アメリカが分断されていると言うのは、所得の不平等が拡大していることだけではなく、人々が一緒に暮らさなくなっていることです。人々は疎遠になってきている。

コミュニティを観察したとき、昔であればそのコミュニティの中に金持ちの人々も貧しい人々も一緒に暮らしていた。今ではそれは当てはまらない。もしあなたが貧しい人々であれば、別の学校がある別のコミュニティに住むことになる。通常、それらの学校は金持ちの人が通う学校よりも良いものではない。

それがおそらく最も本質的な理由です。そして、明らかになったのは――つまり、このことを要約した統計によると、アメリカにはハーバードやコロンビアなど選りすぐりの大学がいくつか存在する。それらの大学はneeds-blindと呼ばれている。学生の所得がどうであれ区別をしないことになっている。それで、アメリカはすごく豊かな国なんだから、それらの大学に行くのにお金は関係ないとアメリカ人は信じ込んでいる。

あなたが授業料を払えないなら、我々がそれを払いましょう。あなたの部屋代や食事代まで払いますよと。驚くことに、これらの学校がその意味で門戸が開かれているのに、下位50%の家庭から来る生徒はたった8%に過ぎないんです。

なぜか? 下位50%の人々は、エリート学校に入学する許可をもらえるだけの教育水準に見合った初等、高校教育を受けられないからです。

■あなたはOccupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)の運動を積極的に支持しましたね。この運動が起きた意義は何でしょうか?

ウォール街占拠運動には、我々の社会の何かが間違っている、我々の経済の何かが間違っていると言う大きなメッセージがあった。経済学の基本法則によると、需要と供給は一致する。となると、労働の需要と供給も一致することになる。だとすると、失業者は存在しないことになる。日本は失業率を比較的低く抑えるのにすごくいい仕事をしている。

■とは言っても、日本の失業率も高いです。

歴史的な水準からすると高い。でも、アメリカの真の失業率、真の失業率というのは労働力から外れてしまった人、就業不能になった人、フルタイムで働きたいのにパートタイムで働いている人を考慮した失業率という意味ですが、それは15%から20%の間にあります。

■アメリカの失業率は公式には8%ちょっとですね。

8%を超えるくらいです。若年失業率を見れば、その2倍になる。スペインでは、事態はもっと悪い。若年失業率は50%。それが意味するのは、市場は想定どおりには機能していないということです。

希望は、政府がその問題の解決に乗り出すことです。だが、アメリカ政府は大銀行にはたっぷりとお金を与えたのに、普通のアメリカ人を救いだそうとはしなかった。政治が機能しなかったから、市場は機能しなかった、市場が機能しなかったから、政治が機能しなかった、どちらも公平ではない。銀行こそが世界経済を破綻の危機に追い込んだのに、彼らに数百万ドルのお金を持ち逃げさせたと言う点でも公平ではなかった。

銀行はこれらのお金を全部政府から手にしたのに、政府は普通のアメリカ人を救わなかった。だからこそ、ウォール街占拠運動の人々は言った、「我々は99%だ。我々こそアメリカ人の多数派だ。アメリカは民主主義の国だと思っていたけど、この国で何かがおかしくなってるんじゃないか? 我々の市場は公平な競争の場じゃない、フェアじゃない。今の政治は我々が民主主義として考えるものじゃない。」

■失業率が高いのは世界、特に先進国の共通の問題です。これはグローバル化の結果ですか?

いや、それには数多くの要因が関わっていると思います。私の本で強調しているポイントの一つが、市場は真空に存在しているわけではないと言うことです。市場は形作られていく。市場は我々が通す法律、我々の制定する規制によって形作られていく。そして、市場は政府がすることの影響を受ける。

私は、その本質は経済と政治の結びつきにあると考えている。アメリカほどの不平等のレベルになると、またアメリカほどでないとしても他の先進国のように不平等が拡大してしまうと、政治的にも不平等になってしまうのは避けられない。

そして、政治的に不平等になってしまうと、そのことがさらに経済的不平等を強固にしてしまう。だから、上層を富ませる法律を通しても、必ずしも経済が良くなるとは限らない。その点で言えば、例えば危機の時に何が起こったのか。ある意味、銀行家は規制緩和を買収した。彼らは莫大な額を献金やロビイングに費やしていた。「revolving door(官民人材交流)」というものもある。

彼らが献金をするとき、それは寄付ではなく投資です。実際、金融的な投資よりも、政治的な投資の方がずっと割が良かった。彼らは予想したとおりの見返りを得ることができた。そして、規制緩和から利益を得て、その後に危機が起こった時にも、政府の救済策から利益を得た。

それが金持ちは救うが、普通の市民は救わない政治の一例です。特に、政治は雇用を創出し、雇用破壊を食い止めるのに十分な仕事をしなかった。明白になっているべきだった例を一つあげましょう:私は、以前から、この危機の根底にある問題は、グローバリゼーションに適応するため人々を死につつある製造業から移す必要性があることだと言ってきた。その本質は何か? 教育です。だから、もしあなたがこの問題を診察していたとすれば、我々の教育システムを強化することが是が非でも必要だと言っていたはずです。高等学校、初等学校、そして大学。実際、アメリカは何をしたのか? 教師の解雇、それは失業率をもっと増やし、調整をもっと難しくした。

根底にある問題をもう一つ挙げるなら、それは需要を引き下げてしまう不平等です。なぜなら、上層の人々は下層の人々よりも支出する割合が少ない。だから、不平等が拡大すると、経済は不安定になり、弱くなってしまう。それで、我々は何をした? 上層の人にもっとお金をあげた。2010年に景気後退から経済が回復する中で、所得が増加した分の93%がトップ1%の人々の手に渡った。1%ですよ。

■いまのお話を踏まえて、アメリカにいま、何が必要だと考えますか?

我々のやるべきこと、これからすることになるのは多分2つの別々のことでしょう。まずやるべきなのは、問題が何かを診断して、それの対応策をとること。そこで、キーになる問題は不平等です。私はこの本の中で全アジェンダを提示しています――特効薬はない。一つのことで解決はできないが、できることは数多くある。

教育を強化することから始めて、規制を改革する。例えば、アメリカの破産法では、AIGを破綻させ、この危機に対して非常に重要な役割を果たしたリスクの高いデリバティブを最優先にしている。だが、学生ローンは破産したとしても債務は消滅しない。当然、そのために現在学生たちが良い教育を受けるのは難しくなっている。そして、我々は結果的に銀行を援助してきた。破産法や競争法を変える必要がある。アメリカの不平等は主としてレント・シーキングです。この種の活動はパイを大きくしようとするより、主にパイの分け前を多くしようとする。

実際、それが原因で、パイが小さくなるがよくある。だから、我々はそれを取り除く必要がある――我々の市場をもっと効率的で、公平なものにするよう再構築する必要がある。

我々はまたそれをする過程で、金融システムを再規制して、雇用を創出するという本来やるべき仕事を行うように金融システムを方向付けする必要がある。ギャンブルじゃなく、ギリシア政府をやりこめようとするんじゃなく、スペイン政府をやりこめようとすることでもなく、新たな事業を起こすこと。現実に雇用を創出する努力をしないといけない。

■政府の果たす役割は何でしょうか?

ある意味、政府は全ての社会ですごく重要な役割を果たしている。それがあることで、一つのコミュニティとして行動することができる。我々がなぜ一つのコミュニティとして行動する必要があるかにはすごく発展した理論があると言っていい。個人で行動するよりも、集団で行動したほうが良い結果をもたらすことがいくつかある。

我々の将来の成長がかかっている基礎研究を個々人でやることはできない。貧しい人であれば、教育を受けることもできなくなる。子供の将来の展望を両親の選択に依存させないためにも教育を与えてくれる政府がないといけない。

あらゆる種類の公衆衛生も必要です。それらのことは集団的に行う必要がある。だが、酷いことが起こるのを避けるためにもまた政府が必要になる。企業が環境を汚染すれば、コストがかかる。医療費のコスト、余命のコストなどの。政府はそれを止めさせないといけない。アメリカの銀行は世界を有害な住宅ローンで汚染して、それが世界経済を堕落させた。それを止めさせないといけない。

銀行はそのコストを他の人に押し付けるインセンティブを持っている。だから、そこでも政府の役割が出てくる。30年、40年前には、我々は政府がやるべきこと、やるべきじゃないことを本当に理解していた。不幸にも、政府は時々やるべきことをやらないことがあった。インフラや教育に十分な投資をしなかったし、銀行の無作法な行動を止めるべきだったのに、それをしなかった。環境を守るためにもっといい仕事をすべきだった。

■ただし、いまのお話の大前提は「政府は信頼できる」ということですよね。そこまで政府は信頼できるものでしょうか?

これは、政府が完璧であるという想定に基づいたものではない。全ての人間の組織はミスをするものです。そして、システムを設計する時には、人間の誤まりやすさを理解しなければならない。だからこそ、我々はチェック・アンド・バランスの制度を持っている。政府が機能しないときのシステム。市場が機能しないときのシステム。

我々は市民社会を必要としている。我々はチェック・アンド・バランスの社会システムの中で形成されている。だから、民主主義は非常に重要なんです。我々の民主主義は完璧ではない。それは分かっているけど、それがもっと完璧なものになるように努力している。われらが民主主義の明らかな失敗の一つに、お金の影響力が強すぎるということがある。政府を買収することもできてしまう。

だが、市場もまた完璧でないということも分かっている。市場は他の人にコストを押し付けようとする。だから、向こうには完璧な制度があるというわけにはいかない。我々は常に市場を、政府を改善するように努力していくし、その両方を監視するためにもより力強い市民社会を創り出していくことだろう。

■日本ではかつてthe best and brightestは、大蔵省/財務省など政府に進みました。いまは、ゴールドマンサックスやブラックストーンに行く時代です。

ええ。それはアメリカや他の世界に関し、私が最も懸念していることの一つです。私が大学を卒業するころには、銀行に行く人も何人かいたが、クラスメイトの多くが研究機関や、教育機関、医療の世界に進んだ。彼らのほとんどは他の人を助けたい、知識をもっと高めたいという感情によってそうしたんです。

今日では、残念なことに、不釣合いなほど多くの人が金儲けの道に進む。私が教師として悲しいのは、それが社会にとってどうかということだけじゃなく、最終的に生徒たち自身にとってどうかということなんです。なぜなら、最終的には、彼らは失望してしまうことになるからです。「我々の人生とは何だったのか? 金は稼いだものの、それで幸せは買えなかった。自分なりのやり方で社会に貢献できなかった。」そして、これは世界的な現象なんです。

【日本経済】
■日本経済について聞きます。日本経済の現状をどう評価しますか?

日本の良い面は、20年にわたり成長率はすごく遅々としたものである一方、アメリカほどは不平等が酷くないことですね。だが、不平等は拡大している。失業も水準としては悪くないが、増加している。

だから、日本の社会、経済にはアメリカほど深刻な有害効果はなかった。ある意味、あなたの使った「失われた10年」という言葉は正しい。それは、日本がスペインのような問題に直面しているということを意味しない。私がスペインに行って、友人と話したとき、彼らの内何人かは失業中でした。それは破壊的なものです。日本人が失われた10年という時、それは、現在の日本の状況と、おそらくは60年代、70年代ほど速くはないものの、合理的な成長率が続いた場合の状況との差異を意味している。

私は、それが適応の難しさを物語ってると思う。日本の失われた20年の内、最初の10年において、問題は金融部門にあった。日本の問題の一解釈として、自由化がある。日本でバブルがありました。日本はアメリカの後に続いたわけだが、アメリカよりも経済は良かった。

だからこそ、日本のバブルはアメリカよりも大きくなった。そして、全てのバブルはいずれ終わりを迎える。日本はアメリカ人、ロナルド・レーガンみたいな人の話を聞いてしまった報いを受けたんです。それは手酷い報いというだけでなく、日本の金融機関に破壊的な影響を与えた。日本は1997年には財政赤字を減らすよう言っていた人たちの意見を聞き入れ、性急にも税金を上げてしまい、日本経済は再び下降してしまった。

■アメリカのルービン財務長官やサマーズ財務長官がそう主張したんじゃないですか!

Exactly(その通りです)。彼らは、アメリカ人が本国でやってきたこと――1993年にも、1994年にも景気回復策のため刺激策が議論された――と真逆のことを言っていた。日本は正しいことを言ってきた人と正反対の人の話を聞いてしまった。日本の金融部門が健康体に戻るまでには長い時間がかかった。だが、失われた20年の内、後半の10年の話になると、構造改革(restructuring)の必要性に直面していることがより重要になってくる。日本で最も強い部門は製造業です。日本の製造業は多くの面でアメリカよりもはるかに生産的です。

だが、日本の製造部門とサービス、教育その他の部門とでは隔たりがある。だから、日本が製造業で発揮しているずば抜けた効率性は経済のその他の部門にはしみ渡っていない。そして、製造業の生産性上昇により製造業を縮小する必要が出てくるときに、それは本当に問題になる。

グローバリゼーションにより、日本経済をサービス部門の経済にするためのダウンサイズ(小規模化)と構造改革が必要になった。私の考えでは、ここで述べた処方箋はアメリカにも無関係ではない。日本の製造業は最も効率的な部門であるかもしれないが、それでは十分な雇用を維持できないもっともな理由があるんです。

それゆえに、日本はそれ以外の部門で雇用を生み出さなければならない。それは、日本が経済の構造改革を手助けするために強力な政府の行動を必要としているということです。

■日本も様々な構造改革で、いまの時代に合うように努力をしてきました。

日本は努力してきましたが、特定の部門に既得権益を抱えてしまっていることが問題を難しくしている。市場それ自体は、資源をある部門から他の部門に移すことに長けている傾向があるわけではない。そのことがまさに大恐慌の要因になったんです。人々を農業部門から製造部門に移す必要があったのに、それができたのは、第二次世界大戦が起きて、政府がその構造改革を行ってからのことです。戦争をする必要があったので、他に選択肢がなかった。

しかし、戦後、我々は道路や教育、大学教育に莫大な投資をしたおかげで、わが国は一体化し、経済はもっと生産的になった。そして、興味深いことに、第二次世界大戦の後の期間こそ経済成長が最も速かった時代であり、構造改革が進んだ時代でもあるんです――そして経済も一体化していった。

だから、私が心底訴えたいのは、その教訓を学ぶべきだということです。たくさんの政府投資は必要なものだった。興味深いのは、その期間は超高水準の債務を抱えていたときに始まっているということです。

【見通し】
■水晶玉を覗きこんでください。世界経済の見通しは?

たくさんの不確実性、たくさんの不確実性が見えます。その内のいくつかは経済的なもので、残りの多くは政治的なものです。例えば、EUはユーロ存続のために何をするのかとか、ユーロ圏の中に残るのは5、6ヶ国ではなく、少なくとも16、17、18ヶ国くらいになるだろうか。

アメリカは経済の構造改革ができるのか、不平等という根本的な問題に対処できるのか? 難しいものではない。経済学的な処方箋は既にあるが、政治がどうなるか私は確信が持てない。私が考えるに、我々は、世界の展望が急速に変化している時代に生きている。展望は地政学的な意味でも、生産部門の変化、つまり製造業の衰退という意味でも変化している。

1900年には、人口の60%から70%の人が農業部門で働いていた。今日、先進国では、それは2、3%になっているのに、増加した人口が消費する量以上の食糧を生産している。それは膨大な構造改革があったからです。生産性の上昇は、少ない人手で必要とする食料を全て生産できるようになったことを意味しているのでいいことではあるんです。製造業も同じ経緯をたどっている。調整の問題がなければ、それはいいことなんです。

それをやるのは困難がある。私の意見では、問題は部門間の変化、脱製造業に適応できるかということです。我々は地政学上の歴史的な転換に対処できるのか:200年間、世界人口のわずかな割合しか占めていないヨーロッパとアメリカが世界を支配してきた。

それにはアジアやその他の地域における植民地主義、不公正な通商条約、政府の脆弱性などいろいろな理由があった。だが、それは変化してきている。20年後、中国は世界一の経済大国になる。アメリカは、アメリカ主導の世界制度が変わる必要があるということを受け入れられるだろうか? アメリカの覇権国としてのポジションは変わっていかざるをえない。

世界経済と世界の政治に関して、大きな変化が次の20年間で起こるだろう。もし我々がその変化に適応できなければ、不平等の拡大、失業の増大、様々な地域での緊張の拡大を目にすることになる。それに適応できたとすれば、生産性の向上により、未曾有の繁栄の時代を迎える可能性もある。

■短期の見通しについて聞きます。2008年の金融危機に対しては各国政府が大規模は財政出動で景気を支えました。これだけ各国の債務残高が積み上がると、そうしたアンカー/頼みの綱の役割を政府が果たすのは難しいと思いますが、いかがでしょうか?

その通りです。現在のユーロ危機や現在のアメリカの危機である「財政の崖」は、2008年の続きと見ることができる。そして、2008年の危機は信用バブルの続き、信用バブルはハイテク・バブルの続きと見ることができる。だから、歴史は一つであって、筋書きは相互に依存している。我々は債務をこれほど増やしてしまったがために、政策の余地がなくなってきている。

アメリカに関して言えば、利子率ゼロでお金を借りられるという意味では、何の問題もない。

■それは基軸通貨・ドルを持っているからでは?

ドルがあるから1、2%なんでしょう。そして、インフラや科学技術や教育に莫大な投資する必要があるのだから、我々は経済を刺激することができる。我々は、私が国民バランスシートと呼ぶものを改善することができる。我々はお金を借りるだけではなく、それを使って投資をするんです。経済を観察したときに、より強くなってると言えるようなことに。我々はもっと公平な社会にするための投資をすることができるし、金持ちと貧しい人に分断された社会をもっと一体化させるための投資をすることができる。

我々はもっと強い社会、もっと強い経済を創り出すためにこの機会を利用することができる。それはアメリカの政治が向かっている方向ではない。ヨーロッパもまた同じことができる。

■そうでしょうか?

それは、彼らがもっと強いヨーロッパを創り出すことを決断できればの話です。共通の銀行システム、共通の預金保険制度、資金繰りを支えるため現在以上の財政的統合を備えた強いヨーロッパに――ヨーロッパのGDP比債務比率は実際にはアメリカより低いんですが。だから、もしヨーロッパがユーロ共同債を発行したとすれば、信頼性はかなり高まるでしょう。だが、ここでもまた政治はその方向には向かっていない。

■世界経済を上向かせるためにいま、何が必要か提言をお願いします。例えば、これだけ企業が短期の利益を追い求めるのは四半期決算だからであり、6か月決算に戻すとか、何か大胆な提言を是非!

それは脆弱性の一つの要因ではあるんですが、一つに過ぎないとも言えるわけで、我々の設計するシステムは極度に近視眼的過ぎるんです。そして、短期的な行動を基にして、長期的な成長を達成することはできない。今の金融システムがそのことを例証している。短期的なキャピタル・ゲイン、資金の流入、流出、それこそ金融市場、資本市場の自由化の根底にあるまったく誤った考えです。

それが1997年の東アジア危機をもたらした。それが多くの点でアメリカの金融危機をもたらしたと私は考えている。皆が短期的な見方をして、短期的にお金を考えた。だから、投資家の視野を広げるためにできることを何でもやることが重要だと思います。

投資家の視野を広げるためにできることは他にもある。我々がやるべきことの一つは、投資家が長期的に考えるようにするため、短期的な利益に掛かる税率を、長期的な利益に掛かる税率よりもずっと高くすることです。「よしよし、長期的に考える意志があるなら優遇措置があるよ」という具合に。

コロンビア大学の教職員たちの間で議論されている提案があって、我々はそれを「loyalty shares」と呼んでいる。株式を長期的に保有すればするほど発言権が強くなるというものです。長く株式を持っていれば、議決権の価値が高まるなら励みになるでしょう。売ったり買ったりばかりしている人は、放っておけばいい。彼らは長期的な経済のパフォーマンスにはまったく興味がないんですから。彼らは資本を提供することはできるが、我々が欲しているのは、真の決定を行う長期的に物を考える人々です。

そして、長期的な考え方を促すような企業統治法は数多くある。

■経済危機・金融危機を未然に防ぐために、プロのエコノミストは十分に役割を果たしましたか?

明らかに、プロの経済学者は十分にやっているどころか、この危機の主要な要因とは言いたくないんですが、この危機の犯人だと言える。誰を責めるべきかと言われれば、まず銀行が第一に来るべきだろうと思います。二番目には、銀行の酷い行動を止めなかった規制監督者について話すべきでしょう。銀行は常に酷い行動をとってきた。だから、正しい規制の枠組みがなければ、銀行は酷い行動をとるということを人々は知っておくべきだった。

だが、責任の一端は、規制監督者に「銀行は適切な行動をとるから心配するな」と言った経済学者にも向けられなければならない。そんな歴史的証拠はない。統計データもない。理論もない。それなのに、基本的に自由主義原理に乗っかり、そのイデオロギーに取り込まれた経済学者がたくさんいた。彼らの多くが金融部門から金銭の提供を受けている。

そして、彼らは銀行を規制する必要がないというこのイデオロギーを広める手助けをした。だから、私は少なくともプロの経済学者の大部分に起こったことの責めを負わせるべきだと思う。

■日本の失業率を低下させ、雇用情勢を改善させるのに何が必要だと考えますか?キーワードを書いてください。

えっと、キーワードは経済を刺激させなければならないと言うことです。問題はその方法です。

■まさにそうです。質問は、その手法は何か?です。

格差を是正するための特効薬は存在しない。経済を刺激する特効薬は存在しない。しなければならないことはたくさんある。一つ挙げるなら、為替が下落するよう試みる。日本の輸出の競争力を高くすることです。

経済を刺激するもう一つの手段がサービス部門を強化することです。格差を是正することもまた必要なことです。上層から下層へ所得を分配すれば、人々の商品への需要は増えるでしょう。なぜかというと、上層の人々はたくさん貯蓄をするが、下層の人々は全部使う以外に選択肢がないからです。

だから、もっと格差を是正することによって景気を刺激できる。これらのことは経済を刺激するのに役立つでしょう。

■輸出競争力を高めるために円高の阻止とか、サービス産業の競争力向上の政策とか、この10年、20年、日本はずっとやってきました!

やってないと思います。日本が長い間やってきたことはためらいがちでありすぎた。日本は「財政赤字をどうにかしろ」と言うルービンやサマーズのような人の話を聞き入れてしまった。日本は十分早い時期に銀行システムを機能させることに焦点を当てなかった。皮肉なことに、それは簡単なことではないんです。

この危機が始まった時、全てのアメリカ人が「我々は日本の二の舞にはならない」と言っていた。

■それが今やどうでしょう?

それで、我々はどうなった、日本の二の舞になっている。だから、それは簡単ではないと言うんです。経済的な要因とともに政治的な要因がある。今まさに言いたいんですが、人々は刺激策のレトリックについては語るが、しばしばそれを実行しないことがある。アメリカでは「walk the talk(有言実行)」なんて言いますが、彼らはやるべきことをやらない。

アメリカの事例を挙げましょう。みんな家計債務を整理すれば、経済を刺激するのに役立つと分かっている。家の価値よりも住宅ローンの負担の方が大きい家計がある。その債務を棒引きしてやれば、彼らはお金を使い始める可能性がある。そのやり方は分かっている。我々はそれをやることができるのに、銀行は損失を認めないといけなくなるので、それをやりたくない。

そして、銀行は、先ほども話したように短期的な行動をとるので、今日損失を認めた場合より損失が大きくなったとしても、銀行の社長やCEO は10年後に損失を認めることになる。ここで何が起こるか? 彼らが損失を認めないことで、銀行は弱くなる、家計は弱くなる。そして、経済も弱くなる。だから、答えは、その債務を整理するためにできることは数多くあると言うことです。それをすることに対する政治的妨害を乗り越えないといけない。だから、話は戻りますが、日本では景気を刺激することについて議論はされているのに、景気を刺激するために必要なことを全てやっているわけではないんです。

■ありがとうございました。

追記:Michio Katagiriさんとスグルさんの指摘により訂正しました。
http://econdays.net/?p=7140

http://www.asyura2.com/12/hasan77/msg/656.html
最適金融政策のニューケインジアンモデルにまつわる問題  ウッドフォード祭り

 

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コメント
 
01. 2012年10月18日 09:54:24 : cqRnZH2CUM

>財政乗数は過小評価されていた

財政乗数とは、投資家・経営者や消費者の長期的な予想に影響される

だから景況感に大きく依存し、デフレ予想が広く共有されている場合は低下するだろう

また、財政拡張と緊縮で、同じ乗数を使えるという仮定も正しくない

不況時は、拡張に対しては、その効果を減殺する方向に働く(乗数は小さい)が
緊縮に対しては、その効果を拡大し、拡張に比べて乗数は大きくなる可能性は遥かに高い

だからムダな歳出をカットし、必要な財政支出を殖やし、トータルで緊縮を行わないというのは重要になる

その意味では、不況時に増税して個人が最適と思う支出をカットさせ、一方で、必要性の低いムダな財政支出を増やすという政策は最悪に近いと言える


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