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(回答先: 財政政策は「波の高さ」と「波の拡がり」、 金融政策は「又は」と「及び」に注目 投稿者 MR 日時 2012 年 10 月 10 日 00:33:08)
19兆円の行政のムダを排除せよ
穂坂邦夫・地方自立政策研究所理事長 インタビュー
2012年10月10日(水) 田村 賢司
財政再建には国と地方の統治機構改革が欠かせないと主張している。
穂坂:日本の行政は巨額のムダを生んでいる。そのムダは国の大きな負担になり、財政再建の足かせになっている。
ムダを生む大きなものの1つは、国と都道府県、市町村という3層構造の行政間での役割分担の不明確さや、国・自治体と民との役割分担の意識のなさなどだろう。
国と地方の行政経費(歳出総額)は年間約160兆円にも上っている。その内訳は、国は66兆円、地方は94兆円といったところだが、我々はその中に18兆9000億円のムダがあるとさえ試算している。
例えば国の役割とは何か。外交、防衛や経済政策、金融政策、社会保障の基本政策などだろう。ところが、国が個人の生活に近い内政的業務まで受け持っているものが少なくない。
ハローワークなどもその1つ。「広域的運用が必要だから」と言って国が運営しているが、実際にはそんな風に行われていない。本来、求人の掘り起こしや休職者支援などはきめ細かい作業が必要で、都道府県などの現場により近いところがやればいい。そんなことが効率を損ない、ムダを生み出している。
国が地方財政補填の仕組みに問題
都道府県と市町村の間はどうか。さらに、似た事業をそれぞれで行っているが。それと、中央集権がもたらす弊害も詳しく。
穂坂:確かに都道府県と市町村の間は、似たような事業が少なくない。老人クラブ活動助成など高齢者への支援事業、産学交流、土地開発公社、大学などの公開講座支援…。挙げればきりがないが、突き詰めて言えば、都道府県の役割が不明確なせいでもある。
都道府県は今やもっと広域的な仕事に特化すべきで、それ以外の多くの仕事は市町村に任せていい。警察にしても、都道府県単位では広域化する犯罪に対応しきれなくなっているし、河川の管轄なども国と県で分かれるなど意味がない。これらもより広域的な行政単位ができれば、国がやる必要はない。その意味では道州制に変えた方が良いということになる。
自治体の構造の問題もあるが、結局は現在の国と地方の財政は、歳入では国と地方が55:45になっているが、歳出では41:59と逆になっている。そのギャップを賄うのが国から地方への、地方交付税交付金や国庫支出金などの支出であり、この構図が中央集権の弊害をもたらしている。
地方は、基本的に必要な行政費(基準財政需要)と収入(基準財政収入)の差額を国から交付税で埋めてもらえる。そのせいで、ムダを減らす意識が甘くなるということか。
穂坂:そうだ。仕事の分担が3層で不明確な上に、おカネは国の方が多く集め、それを地方に配るから、地方はどうしても自己責任の意識が薄くなる。国に認めてもらえる事業を実施すれば補助が付くし、起債も出来る。その起債の償還は将来、国が交付税で賄ってくれる。そこに、国が行政の方向を決め、地方はそれに従うという中央集権システムが生まれ、同時にムダが生まれるというわけだ。
中央集権で言えば、教育委員会も国の指示に忠実に従うことばかりで、地域にあった独自の対策を機敏に行うということがない。いじめ問題などの対策が常に後手に回るのも、一因はそういう体質にあるのではないか。
我々は、(1)そもそも公の仕事として必要なのか、(2)民間に任せた方がコストを削減できるのではないか、(3)国の事業を地方に移管した方が効率が良くなりコストも下がるのではないか、(4)補助金を一括交付金化するなど地方の裁量を増やした方が効率が良くなるのではないか――といった視点で、行政のムダを分析した。
先ほど話した18兆9000億円は、そこから見えてきたもの。そのうち、多くは都道府県と市町村の側にあるが、(1)から(3)の項目は、それぞれ3兆5000億円から5兆1000億円に上るという試算になった。
民主党型の事業仕分けでは足りない
国・地方、官と民の役割の明確化を元に行政の効率化を図るとなると、歳入構造の作り直しも必要になる。
穂坂:もう1つのカギはそこだ。今、国は所得税、法人税、酒税、消費税、たばこ税の5税のそれぞれ25〜32%を交付税として地方に渡すなどして、地方財政を補填している。
道州制の導入で「都道府県」的存在の役割を作り替えるとともに、3層の行政の役割分担を明確にし、歳入構造もそれに合わせることが必要だ。そのためには、まず国と地方の税配分の大枠を見直し、事業量(公共サービス)に合わせた歳入割合にすることが大事だ。さらに、地方間(道州間)での税の偏在を是正するために、毎年それを調整する第三者機関のようなものを設ける必要もあるだろう。税収の豊かな地域からそうでない地域への税収移転は行わざるを得ないからだ。
それは相当に難しいだろう。現在でも地域偏在性の大きな法人事業税の一部を国が再配分しているが、税収を移転させられる東京都などの不満は大きい。
穂坂:しかし、財源の調整は必要不可欠だ。同時に分権(役割分担の明確化)改革でコスト削減を図り、国全体の負担を減らせるようにしないといけない。ドイツも地方間で財源を調整する仕組みを持っていると聞いている。
民主党は事業仕分けをしたが、事業ごとに必要かどうかだけの判断では足りない。繰り返して言うが、仕組みから作り直さなければ効果は知れている。相当難しいのはその通りだが、もう、統治機構にまで踏み込んだ大胆な行財政改革に取り組まなければ、日本はもたない。
田村 賢司(たむら・けんじ)
日経ビジネス編集委員。
ニッポン改造計画〜この人に迫る
日経ビジネス本誌10月1日号でお送りする特集「ニッポン改造計画100」で政策提言をいただいた識者へのロングインタビューシリーズ。誌面では語りきれなかった政策提言の深層を聞く。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121005/237704/?ST=print
「いい物を作れば生き残る」のウソ
ある優良繊維メーカーの破綻
2012年10月10日(水) 南 充浩
先日、東京都八王子市の織物メーカー、みやしんが廃業を決めたというニュースが流れ、多くの業界関係者を落胆させた。9月18日付の繊研新聞によると、10月末をめどに土地は売却、織機も有償で譲るなど処分を進めているとのことだ。改めて日本の繊維製造業が置かれている状況の難しさが浮き彫りになった。
「繊維製造業の目標」だった企業の廃業
みやしん、と聞いても一般の人はあまりなじみがないのではないだろうか。前述の繊研新聞の記事から抜粋して紹介したい。現在の社員数は9人、売上高は「90年代後半の1億5000万円のピーク時から減少を続け、昨年は赤字に陥っていた」とある。
通常、この規模の生地メーカーの廃業はあまり大きなニュースにはならない。にもかかわらず、業界内でこの話題が注目を集めているのは、みやしんがこれまで高品質な物作りを行い、錚々たるデザイナーブランドへ生地を供給していたからだろう。
繊研新聞の記事では「80年代のDCブーム全盛を支えた企業の一つであり、新しい物作りとその発信力から、中小企業の多いテキスタイル産地で一つの目標とされてきた」とある。さらに、テキスタイル・ネットワーク展(TN展)を呼びかけて軌道に乗せたともある。
今回の報道に際して、同じ八王子の染色工場、奥田染工場の奥田博伸社長がブログで心のこもった文章を書いている。詳しくは全文を読んでいただきたいのだが、その中で「みやしんの廃業について僕が思うことが何かと言えばメイドインジャパンだ、いい物作りをしろと言うが、いいものをつくれば儲かるというのは、少なからず嘘だということについてだ」とある。これは今回の廃業、ひいては日本の繊維製造業の衰退とも直結する事実である。筆者のような部外者ではなく、日々物作りに取り組まれている奥田社長の言葉だけにリアリティに溢れている。
以下に少し引用する。
みやしんは八王子でもずば抜けていい仕事をしてきたし、時代の空気に取り残されない姿勢で物作りを行っていた。
みやしんが生み出してきた布を見たことがあればその事実に触れているはずだ。
その柔軟なアイデアから生まれたアーカイブは明らかに圧倒的だ。そう言うクオリティの仕事が出来る工場は日本全国を探したってほんの一握りに限られている。
(中略)
いい仕事をしようとしたところはみんな潰れた。いま生き残っているのは、たいがい当時、安く多くの仕事をしていたところだ。実際あの地域にそれが多く残っているのはそういうことだと。
ある時代、周りのプリント屋さんで儲けていたところはどこか。一番儲かったのはとにかく質より、安く早くを追求した工場だ。他より少し安く、後はスピード重視で1日何百反と仕上げる。それが一番儲かった。
バブルが崩壊してから、衣料品は以前ほど売れなくなった。そしてユニクロの大ブレイクもあって、衣料品の平均販売価格は大きく下がった。衣料品の販売価格が下がれば、必然的に使用されている生地や付属品(ボタンやファスナーなど)なども低価格品に置き換えられるし、縫製工賃も下げられてしまう。繊研新聞の記事によると、廃業のきっかけとなったのは「“1メートルあたり2000円もする生地は使えませんから”という、長い付き合いのアパレルメーカーの若い担当者からの連絡だった」とある。これで心の糸が切れたのだろうか。
徹底したブランディングか、量産品も手がけるか
通常のジャケットやパンツで、1着当たりの要尺が2〜2.5メートルだと言われている。2.5メートルが必要なアイテムだと仮定すると1着当たりの生地料金は5000円ということになる。そこに芯地代や付属品代が乗っかり、パターン(型紙)代、縫製代、仕上げ代が乗っかると、製造費だけで最低でも8000円前後になるだろう。これを店頭で販売すると価格は少なくとも3万円台後半にはなってしまう。ジャケットやコート、防寒具などの重衣料ならこの価格でも売れるだろうが、中軽衣料でこの価格だとなかなか売れにくい。先ほどのアパレルメーカーの主張もわからないではない。
国内産地の生地を見せてもらうことが年に何度かあるが、1メートルあたり2000円という生地をけっこう見かける。もちろんもっと安い生地もあるが、それでも500円以上はするだろう。2000円以上する生地もいくつもある。アジア産の生地が1メートルあたり100円や200円で転がっているのと比べると「高い」という評価を受ける。
悔しいことだが「いい物」だけを追求していると国内製造業は存続できないようだ。いくつかの方策があると思うので自分なりに考えてみる。
(1)「いい物」を作るのと同じくらいの労力を販促に投入すること(高く売れるようにPRを絡めてブランディングを行う)。
(2)「いい物」は作りつつも大量生産可能な廉価品を手がけること。
(3)「いい物」は見せ球にして、ダウングレードした中価格品を販売すること。
優れた方ならもっと数多くのことを考えられるかと思う。しかし、生き残っている国内の繊維製造業は、たいがいこの3つのうちのどれかを行っているように見える。
(1)を実践しているのは山形県の佐藤繊維だろう。(2)カーシートやシートベルト、液晶研磨布などの工業資材も同時に製造している生地工場である。最高級の生地は開発しつつ、ナショナルブランドにも量産品を卸しているデニム生地工場は(3)に当てはまるだろうか。
日本にも高額ラグジュアリー市場は確実に存在する。しかし、その市場を占めているのは、かつての勢いがなくなったとはいえ、ほとんどが欧米ブランドである。日本のラグジュアリーブランドは一部を除いてあまりない。
自国内に高額なラグジュアリーブランドがあまり存在せず、もしくは存在していても売り上げ規模が極めて小さいため、「いい物は儲からない」という構図が出来上がってしまう。儲けようと考えるなら安い量産品を相手にする必要がある。
数年前から「やっぱりメイドインジャパン商品」という声が増え始めている。しかし、時すでに遅しで、こと衣料品・繊維製品に関して言うと、あと何年持ちこたえられるかという状況にある。今回のみやしんの廃業は、その事実を改めて認識させてくれた。
(この記事は、有料会員向けサービス「日経ビジネスDigital」で先行公開していた記事を再掲載したものです)
南 充浩(みなみ・みつひろ)
フリーライター、広報アドバイザー。1970年生まれ。洋服店での販売職・店長を経て繊維業界紙に記者として入社。その後、Tシャツメーカーの広報、編集プロダクションでの雑誌編集・広告営業を経て、展示会主催業者、専門学校広報を経て独立。業界紙やウェブ、一般ファッション雑誌などに繊維・アパレル業界に関する記事を書きつつ、生地製造産地の広報を請け負っている。
「糸へん」小耳早耳
普段、私たちが何気なく身に着けている衣服の数々。これらを作る世界では何が起きているのか。業界に精通した筆者がファストファッションから国内産地の実情まで、アパレルや繊維といったいわゆる「糸へん」産業にまつわる最新動向を鮮やかに切り取る。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121008/237788/?ST=print
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