★阿修羅♪ > 経世済民77 > 631.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「人の価値もカネ次第?」 格差を肯定する人々の不気味 あなたは部下からみて憧れの存在ですか
http://www.asyura2.com/12/hasan77/msg/631.html
投稿者 MR 日時 2012 年 9 月 18 日 01:11:54: cT5Wxjlo3Xe3.
 

(回答先: 退職貧乏父さんにならない方法 大卒ノンエリート社員時代がやってくる!? 6割は45歳以降も一生ヒラ社員 投稿者 MR 日時 2012 年 9 月 18 日 01:10:37)

「人の価値もカネ次第?」 格差を肯定する人々の不気味

人生に充足感をもたらす価値は人によって異なることを再認識しよう

2012年9月18日(火)  河合 薫

 先日、あるテレビ番組で政治家の方たちとご一緒する機会があった。理由は言うまでもない。今や永田町の最大の関心事である政局。その政局をテーマとした番組だったからだ。


好評発売中です!
 「次の与党は?」「次の首相は?」──。話題もお決まりのものばかり。少しばかりいつもと違うことといえば、「維新の会がどうなるか」という話題が加わったぐらいだった。

 で、番組の終了後にも、やはりその話が続いた。

 「やっぱりね、世界ともっと競争していかなきゃ、ダメなんですよ」

 維新の会のブレーンとして知られている某氏は、「世界」「競争」という言葉を何度も何度も繰り返した。

 そこで私も、「国内でも、もっと競争社会にした方がいいってことですか?」と聞いてみた(愚問と言われればそれまでだが…)。

 「もちろん。競争させなきゃ、日本はどんどんダメになるでしょ」と某氏。

 「競争するってことは、格差が広がるってことですよね?」と再び愚問。

 「おいおい、今さらそんなことを聞いてどうするんだ!」とおしかりを受けそうではあるが、東京にいると大阪で発せられているものの空気がよく分からなかったりもする。とにもかくにも、直接確かめたくなってしまったのだ。

 「この女、何を分かりきったことを聞いてるんだ?」と某氏が思ったかどうかは分からないが、彼は「もちろん。そういうことです」と即答した。何のためらいもなく即答したのである。

格差社会をためらいなく肯定する違和感

 ううむ、何だかなぁ。当然と言っちゃあ当然の答えなのだが、競争社会についても格差社会についても、面と向かって肯定されると、その言葉の重みが急激に増してくる。

 そこで、周りにいたスタッフに念のため確認してみた。「そのことって、当然、大阪の人って……分かっているんですよね? そのつまり……。格差が広がるってことを分かっていても、多くの人が橋下さんを支持しているってことですか」と。

 すると、周りのスタッフたちもまた、全くためらうことなく次のように即答したのだ。

 「分かっていると思う。橋下さんはこっち(大阪)では何度も言ってるから、十分に分かっていますよ」 

 競争社会、ね。

 確かに、どんな世界であっても、生きている限り誰かと競争しなくてはならない場面は当然ある。受験だってそうだ。就職試験だってそうだし、異性をゲットするのにだって多少なりとも、競争は存在する。

 でも、どういうわけか、「競争しなきゃダメ」と言われると、何だかひるむ。「競争しなきゃ、負けるんだよ。そこで負けていく奴は、頑張りが足りないんだよ」と無理やり尻をたたかれているような気がして、気分がド〜ンと滅入ってしまうのだ。

 現代においては、確かに「グローバリゼーション」と呼ばれる、世界的規模の大競争が広がっている。「その競争に勝たねば、国はやせ細っていくのだよ。それでもいいのかね?」と言って、国の勝ち負けにこだわる人たちの懸念も理解できる。

 だが、そもそもグローバリゼーションは経済の話であり、市場で起きていること。ところが、「グローバル人材」などといったフレーズとともに私たちの働き方にまで浸透してきた。さらに職場を越えて、すべての人の生活空間に広がってきている。それが、何だかとても息苦しい。

 市場競争で手に入れるものとは、金銭的な富だ。金銭的に豊かになることが、ホントの豊さではないということを、東日本大震災が起きた「3・11」以降、多くの人が感じたはず。なのに、やっぱりカネをもうけるための競争を強いられるのか?

 とはいえ、私の頭はかなり混乱している。恐らく「おカネじゃない」と思いながらも、その半面、「おカネは大切だ」とも思っているからだろう。

 そこで、今回は「競争社会と人の生きる力」について考えてみようと思う。

人は単におカネの額を増やしたいとは考えていない?

 まずは「人間にとって、おカネはどういう価値を持つのか」ということから考えてみたい。

 おカネの価値に対して議論する時に、よく取り上げられる心理実験がある。それは次のようなものだ。

(1)あなたの年収は5万ドル、あなた以外の人たちの年収は2万5000ドル
(2)あなたの年収は10万ドル、あなた以外の人たちの年収は25万ドル

 あなたはこの2つの環境があるとしたならば、どちらの方に住みたいと思いますか? このような質問を投げかけた時に、人はどちらの環境を選択するかを調べるという実験である。

 もし、人間の金儲けへの欲望が、「自分の収入を増やしたい」という欲望だけであるならば、当然、年収5万ドルの(1)よりも、その2倍の年収を稼げる(2)の方を選ぶはずだ。

 ところが、1990年代後半に、経済学者であるサラ・ソルニック(米バーモント大学経済学部アソシエイトプロフェッサー)と、デービッド・ヘメンウェイ(米ハーバード大学公衆衛生大学院教授)の2人が、ハーバード大学の大学院生と教員を対象に調査を行った結果、対象者の56%が(1)の方を選択した。つまり、半数以上の人が「周囲の人よりも稼いでいる」という相対的所得の高い環境を選んだのである(出所:“Is more always better?:A Suvey on Positional Concerns”,Jounal of Economic Behavior and Organization)。

 また、この調査では学歴についての質問も行った。

(1)あなたは高卒で、ほかの人は中卒
(2)あなたは大卒で、ほかの人は大学院卒

 結果は、前述の質問と同様、相対的に学歴の高い(1)を選ぶ人が半数を超えた。このほかにも、おカネと学歴の絶対的価値と相対的価値を問う質問をしたのだが、そのすべてで相対的価値の高い方を選ぶ傾向が高かった。

 ただし、例外が1つだけあった。休暇の長さに関する質問では、ほとんどの回答者が長く休める方を選択したのである。

 さて、この結果をどう読み解けばいいのだろうか。

 この調査の結果が明らかになった時にも、専門家によって様々な解釈がなされた。

 ある学者は、「相対的価値の高い方を選んだとはいえ、たかが56%じゃないか。裏を返せば、44%の人は絶対的価値で判断している」と、この調査の意義を疑い、ある学者は、「相対的価値に人がこだわるのは、他人への嫉妬や羨望からだ」として、個人が持つ嫉妬心の強さが回答を分けただけだと非難した。

 こういった意見が出たことに対して、調査を行ったソルニックは、次のように語っている。

 「半数以上の回答者が相対的価値の高い方を選んだ背景には、おカネや学歴がもたらす社会的地位の高さが影響していると考えられる。地位の高い人たちだけが持ちうる権力や有意性を人は望み、そのためには競争社会の先頭に立つことが必要だと考えている」

 「よりよい仕事に就ける可能性、よりよい結婚ができる見込み、さらにはそれらすべての優位性が自分の子供に受け継がれるためには、相対的に高い位置に立たなくてはならない。競争社会では、人の価値観は周りよりもたくさん稼ぐことが大切であり、そういう人だけが価値ある人間として振る舞える権利を得られることを、経験的に知っているからだ」

社会的地位自体はストレスの雨に対する傘になる

 要するに、「おカネを他人より、たくさん稼げる能力がなきゃダメなんだ。いくら稼ぐかじゃなくて、どれだけ人よりも多く稼ぐかが大切なんだ。そうしないと社会的地位を手に入れられないんだよ」という考え方が、競争社会で生きる人たちの中に浸透し、それが56%の数字が持つ意味であるとして、競争社会に警鐘を鳴らしたのである。

 社会的地位――。これは、「社会的評価=社会の中でその集団が持ち得る名声」と言い換えることができる。

 社会的評価の高い集団の一員になることは、「他人に評価されたい」という、人間の基本的な欲求(承認の欲求)を満たす手段となる。特に周りの評価を気にする自己意識の強い人ほど、社会的評価の高い集団を通して自分の欲求を満たそうとする傾向が強い。

 その欲求を満たされた人たちは、人生の様々なことへの充足感が満たされていく。例えば、社会的評価の高い企業で働いている人は、そうでない人に比べて職務満足感が高く、働くことに誇りを持っている傾向が強いことが、多くの調査結果から明らかにされているのだ。

 社会的地位は個人の人生上の満足感を高める重要な役目を果たすものであるとともに、イスラエルの健康社会学者、アーロン・アントノフスキーが提唱したストレス対処力の「SOC(sense of coherence)」とも関連が深く、ストレスの傘になる大切な“資源”でもある。

 私が以前、ホワイトカラー1000人を対象に行った調査でも、社会的評価が高いとされている企業に勤めている人のSOCは、全体の平均値よりも高い群に分布していた。

 つまり、社会的評価は個人の属性なので、それ自体は何ら非難されるものでもなければ、その属性に入りたいと望むことも、その一員になれたことに自信を持つことも何ら問題ない。ストレスの雨に対する傘になるわけだし、何もインチキして手に入れたわけでもないのだから、存分に使えるだけ使えばいい。

 問題は、「集団の名声=自分の価値」「集団の名声=人の価値」となってしまうこと。自分の属する集団の評価が高いだけでしかないのに、あたかもそれが自分の価値だと勘違いした途端に、ややこしいことになる。

 競争に勝った人は、価値ある人。
 競争に負けた人は、価値なき人。
 競争に参加しなかった人も、価値なき人。

 こうした具合に、競争社会ではただ単におカネを稼ぐ能力の違いだけで、人間の価値まで選別されるようになってくる。競争に勝てなかったというだけで、人間的にもダメなように扱われてしまうのだ。

 おまけに人間には、自己の利益を最大限守りたいという欲求もあるため、ひとたび負け組の集団に属することになった人が、二度と自分たちの集団に這い上がってこられないような行動を無意識に取ることがある。

 「今あるものを失うかもしれない」と恐怖を感じた時には、自分が生き残るために人を蹴落とすこともいとわない。それはまさしく、人間の心の奥に潜む、闇の感情が理性を超えて噴出した瞬間である。

 ところが、勝ち組の枠内にいる人たちは、自分たちが自分たちの名声を守るために、下を蹴落としていることに気がつかない。それがまた、競争を激化させる。

 競争を煽れば煽るほど、“競争に勝った人”は自分たちに有利になるように物事を進め、一度でも“競争に負けた人”は「どんなに頑張ったところで勝ち目はないんでしょ? だったら頑張ったって無駄じゃん」と、稼ぐ努力も学ぶ努力も次第に失い、格差がますます広がっていってしまうのである。

 おカネというものがこの世に生まれるまでは、人の生活は公平な分配が基本だった。狩りで捕らえた鹿は、みんなできちんと均一に分配する。人よりも多く取ったり、隠し持ったりした人は、誹謗中傷の的となった。

 ところが、おカネが生まれ、自分の好きなものをゲットする自由を得たことで、公平な分配社会は終焉を迎える。だが、その時の人間には、自分だけが手に入れることへのうしろめたさがあったそうだ。「自分だけがいい思いをしてしまって、申し訳ない」と。

完全に失われつつある「うしろめたさ」

 そして今。そのうしろめたさを、果たしてどれほどの人たちが抱いているだろうか。持つべきものと持たざるべきものの差が、あたかも人間の格差のように扱われてしまう世の中に、どれだけの人たちが心底から疑問を感じているだろうか。

 日本では13年連続して3万人の自殺者が出ている。昨年の自殺者数は3万513人。17分に1人が自殺している計算となる。この13年間の自殺者数の合計は45万人超で、1つの中核市の全人口を丸ごと自殺で失ってしまったことにもなる。

 「だから、国が豊かになって景気が良くなれば自殺者だって減るよ」

 おカネの万能性を信じている人は、きっとそんなふうに言うに違いない。そう、悪いのはおカネ。景気が悪くなったことが原因なのだから、景気を良くするしかない。そのためには、世界と競争しなきゃダメなんだと。

 確かに、不況と自殺者数との関係性は、認められている。

 3万人を超えた1997年には山一証券が倒産し、バブル崩壊の影響が多くの人たちの生活に直接的に及び始めた時でもあった。うつ病の人たちが増え、「ウツ」という言葉が広く使われるようになったのも、同じ頃だ。

 だが、その3万人という数字が13年間も続いているのは、競争社会が激化し、「お金を稼ぐ能力の低い人」たちが、負け組というボックスに閉じ込められ、いい仕事に就ける可能性も、いい結婚ができる見込みも奪われ、人間的な価値まで低いと見なされているからじゃないんだろうか。

 人間にとって、「自分には価値がない」と感じることほどしんどいことはない。自分の存在意義を失った途端、生きる力は急速に衰えていく。「頑張って、競争に勝てばいいんだよ!」と周りからどんなに言われようとも、競争に参加する気持ちも、前に踏み出す気力も湧いてこない。

 「どうせオレなんて」。そう思った途端、負け組のボックスから這い上がる気など失せていく。 

 そして、誰もが、そうならないようにと、脱落しないようにと必死で走る。負け組になりたくない。ただそれだけ。

 負けることもしんどいけれども、ただ「負けないために」と走らされる競争ほど、しんどいものはない。

 多分、私が「競争しなきゃダメ」と言われて息苦しさを感じたのは、私には走る意味を見いだせなかったからなのだろう。

 人というのは、自分に意味のあること、自分にとって価値のあるもののためには、いかなる過酷な状況でも乗り越えようとするし、いかなる競争に参加することもいとわないものだ。

 たとえ、そこで負けることがあったとしても、自分にとって価値のあるもののために精一杯頑張った、という充足感がもたらされる。

 市場経済では、おカネが絶対的な価値を持つものであったとしても、人間にとっては、人それぞれに価値のあるものが存在し、その価値あるものに向かっていくことが生きる力を引き出す。

 市場経済の価値と、人間の価値が同じでないことを、私たちは何度でも立ち止まって自分たちに言い聞かせなきゃダメなのだ。そして、何に価値を置くかは人によって異なるということを。そうしないことには、走らされることだけに疲弊する人たちが、もっともっと量産されることになってしまうのではあるまいか。

「市場経済の価値=人間の価値」ではない

 市場経済の影響を受けていない文化では、うつ病になる人も、自殺をする人もほとんどいないそうだ。

 例えば、ニューギニアのカルリ族では、希望を失うこともなければ、絶望を感じることもなければ、うつ病になる人も、自殺をする人も一切確認されていない。

 この文化では、例えばブタのように、もし自分にとって価値あるものを失った場合、その喪失感を部族全体で埋めるための儀式が行われる。

 「あなたは大切なものを失ったのですね。そのことを私たちは分かっていますよ。私たちでは物足りないかもしれないけれど、何とかそのあなたの開いた心の穴を埋める手伝いをさせてください」と、その人の価値観を受け入れるそうだ。

 グローバル化が急速に進み、否応なしに世界と競争しなくちゃならない状況に置かれているとしても、市場の価値と人の価値は同じでない、ということを、何度も何度も自分に言い聞かせねばならない。

 なぜなら、私たちのココロの底には、自分を守るためには人を蹴落とすこともいとわない悪魔が潜んでいて、その悪魔は競争が激化し、格差が広がれば広がるほど猛威を振るうからだ。


河合 薫(かわい・かおる)

博士(Ph.D.、保健学)・東京大学非常勤講師・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『<他人力>を使えない上司はいらない!』(PHP新書604)


河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学

上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120911/236688/?ST=print


あなたは部下からみて憧れの存在ですか

すべての結果は行動の集積である

2012年9月18日(火)  石田 淳

 あなたは部下からみて憧れの存在ですか。後輩たちは「○○さん(あなたの名前)のようにはなりたくない」と思っていませんか。

 コラム名を『輝く課長の行動科学マネジメント』とした通り、本欄でいう「あなた」は課長やグループリーダーといった方々を指します。こうした方々が日本企業の現場を動かしているからです。行動科学マネジメントとは「すべての結果は行動の集積」と考え、小さくても良い行動を習慣にして結果を出すやり方です。

 冒頭の唐突な質問は、あなたの部下世代に起きている異変と関係があります。大学卒業者の就職難が言われて久しい中、厳しい戦いを勝ち抜いて企業に入社した若者たちのことです。

 日々、新しいことを吸収し、期待に胸を膨らませながら働いているはずの彼、彼女らに、「出世なんかしたくない」と、企業人としてネガティブなことを言い始める人が現れています。斜に構えているわけでもなんでもなく本気で。しかも、人もうらやむような超有名大企業に入社して間もない若者たちが、です。

 いったい、これはどうしたことでしょう?

 話を聞いてみると、原因の一つに「先輩たちの姿」があることが分かりました。特に直近の上司である課長が全然格好良くなく、「将来、ああいう風になりたい」とは到底思えないそうです。課長は、こうした事態を看過するわけにはいきません。

 彼、彼女らからすると、多くの課長たちは、毎日遅くまで残業しているのに特別な成果を上げているわけでもなく、会社からもさほど評価されていないように見えています。いつも疲れていて、部下にイライラ当たり散らしてばかり。本当だったら、働き盛りでピカピカに輝いていて、自分たちをグイグイ導いてくれるはずなのに……。

「苦手なことを頑張れ」というのは理不尽?

 「甘えるな!」と思われた方も多いでしょう。実際、課長のあなたが新人だったとき、当時の上司であった課長クラスの人たちは、あなたを育てるために厳しく指導したはずです。

 営業職なら、ろくに基本も分からないうちから飛び込み営業させたり、名刺を1日100枚配らせてみたり…。事務職なら、いきなり書類作成を命じ、「こうしろ」という具体的指示をせず、しかも何回もダメを出し、書き直させる・・・。

 まず壁にぶち当たらせ、それを自ら乗り越えることで成長させるという方法は、あなたの世代までは通用しました。

 このやり方は企業に限ったことではありません。あなたの両親も、あなたの成長をうながすため、ときに厳しいことも言ったでしょう。学校の部活動でも、顧問や先輩から同様の指導を受けたのではないですか。

 小さい頃からこうした経験があるから、上司から「お前がかわいいからこそ、厳しいことを言っている」とか「がむしゃらにやって苦手なことを克服し、達成感を味わってみろ」などと無体なことを言われても「これは愛のムチだ」と分かったはずです。だから頑張れたし、その通りにしていたら本当に成長できた。上司に感謝の気持ちすら持てたことでしょう。

 ところが「壁にぶち当たさせる」という方法で今の若い世代を指導しても理解してもらえません。「個性を育む」「得意なことを伸ばせ」などと言って育てられた彼、彼女らにとっては「苦手なことを頑張れ」と言われること自体、理不尽なのです。ましてや根性論など語られようものなら会社を簡単に辞めてしまいかねません。

板挟みの悪循環を断ち切ろう

 部下指導の現場で苦労しているあなたは、そんなことは分かっています。だから部下一人ひとりと向き合って、じっくりと育てていきたいと思っているはずです。

 そうすると今度は、あなたの上司である部長や役員から「何をグズグズしている。早く育てて即戦力にしろ」とか「甘いことばっかり言っていたら、まともな社員に育たないぞ。厳しくやれ」などと乱暴なことを言われてしまう。

 部下を育成しつつ、当然ながら自分の課の業績を上げなければなりません。日本企業の課長に今、求められているのは優秀なプレイングマネジャーであることです。以前の日本企業とは違った厳しい状況の中で、やり遂げなければなりません。

 プレーヤーとマネジャーは本来全く違う仕事ですから、両立させようとすると様々な矛盾を抱え込むことになります。市場は右肩上がりではないですし、コンプライアンスとかセキュリティとか、かつては無かったルールが次々に課せられます。

 上からのリクエストは今の課長の置かれた状況などおかまいなく降ってきます。そのリクエストを課長は黙って飲み込むしかありません。こうした課長の様子を下の人間はよく見ています。

 「なんだ……。僕たちを育ててくれるのかと思ったら、上の言うことを聞くだけなのか」

 「私たちのやっていることを、きちんと上に伝えてくれないのですね」

 「全く防波堤になってくれない」

 こうつぶやいて部下たちはいとも簡単に辞めていきます。課長は「なんで辞めさせた!お前の指導が悪かったのだ」と上から怒られます。またまた部下はその様子を見つめています。悪循環です。

輝くためには自己改造が必要

 課長が置かれている状況、若手の姿勢をいささか類型的に書きましたが、大なり小なり、同様の苦労を課長の皆さんはされていると思います。

 ぜひともこの悪循環を断ち切り、部下から憧れられる存在になっていただきたい。そのための具体策を本連載でお伝えしようと思っています。

 日経ビジネスオンライン読者の方には言うまでもないことですが、日本経済は冷え込み、一方グローバル化が進んで厳しい戦いが求められています。こうした環境でプレイングマネジャーとして、部下たちが憧れる存在になり、部下たちを正しく成長させながら課の業績もアップしていく。イキイキと輝いて活躍する課長になるのは大変なことです。

 大変なことかもしれないけれど、やらなければなりません。部下のため、会社のため、日本のためでもありますが、なによりもあなた自身のためなのです。

 これまであなたは一人のプレーヤーとして成績を残せば評価されました。課長になったらマネジメントができなければ生き残れません。今は大変でも、優秀なプレイングマネジャーになれたら、どこへ行っても通用します。

 実は、かなりの企業が輝く課長を作ろうとするプログラムを始めたり、検討しています。課長を強くするためですが「若手が憧れる上司を作って若手のやる気を維持する」という狙いも込められています。

 これはこれで結構なことです。ただ、輝く課長は育成するものでは本来なく、本人が輝こうとしてなるべきものでしょう。そのためには自己改造が必要です。具体策として本連載で「行動科学マネジメント」をお伝えしていきます。ぜひ行動科学マネジメントを身に付け、輝く課長に変身して下さい。

 「恰好良いとか、憧れられるとか、輝くとか、無理です。ただでさえひーひー言っているのに、そんな凄い自分になれっこありません」。こんな声があちこちから聞こえてきそうです。

 大丈夫です。大げさなことは一つもやりません。あなたを輝く課長に変えるのは、日々のちょっとした習慣の積み重ねです。大層なことを言ったり、派手に振る舞ったりする必要はありません。

 行動科学マネジメントは小さな行動変容とその習慣化に軸を置いています。本連載で小さな行動の変え方、行動の続け方を具体例を基にお伝えしていきます。このコツを身に付けるだけで自分を大きく変え、結果を出すことができます。

すべての結果は行動の集積である

 行動科学マネジメントでは、人が結果を出せない理由は二つしかないと考えます。「やり方が分からない」か「やり方は分かっても続け方が分からない」のどちらかです。

 私は案外、後者が多いと見ています。あなたが抱えている問題は仕事や職種によって様々でしょうが、問題を解決する手法や解決した人の事例を、あなたは情報としてすでに得ている。だが実践できない、続けられない、ということではないですか。行動科学マネジメントはここで効果を発揮します。

 本欄で紹介していく行動科学マネジメントの理論と手法はもともと米ADIが開発したもので、私が日本に導入しました。日本企業の現場で実践していくことをお手伝いし、その過程で日本企業や日本人に適するように私が変更を加えています。

 ごく簡単に行動科学マネジメントを紹介しておきましょう。行動科学マネジメントでは、すべての結果は行動の集積だと考えます。

 良い結果は良い行動の集積であり、悪い結果は悪い結果の集積です。だから、悪い行動を減らして良い行動を繰り返していけば、良い結果が出せるようになります。先ほど述べた、小さな行動変容と習慣化です。

 あなた自身が業績を伸ばしたり、部下に良い結果を出させたりしたいときに必要なのは、小さいけれども確かな行動変容と習慣化を自他にうながすことです。「そんな小さなことでいいのか?」と思うようなことから変えていけばいいのです。むやみに頑張ることでも檄を飛ばすことでもありません。

 いつでも大事なのは行動であって、人のやる気とか性格といったものを持ち込む必要はありません。すなわち、誰がやっても同じ結果が出せるということです。再現性があります。ここが、行動科学マネジメントを用いる最大の利点です。

 言い換えると、これまでは再現性のない曖昧なマネジメントがまかり通っていました。なぜなら、従来のマネジメントは行動ではなく、態度に着目したものが多かったからです。「もっと前向きに取り組まないとダメだ」「あいつは真面目にやるからいい」といったように、やる気や性格といった曖昧なもので人を判断していたところがあります。

 繰り返しますが、良い結果を導き出すのは、前向きだとか真面目だということではなく、「良い行動」なのです。いくら前向きで真面目であっても、業績につながる望ましい行動が取れなければ、良い結果は出せません。

良い結果を出す「ピンポイント行動」

 行動科学マネジメントでは、良い結果に結びつく一連の動きを徹底的に分解し、そこから良い結果に直結する「ピンポイント行動」をあぶり出します。そして、その行動を繰り返す。こうして再現性高く、誰でも良い結果を得ることができるのです。

 簡単な例を上げましょう。あなたの仕事が営業で「新規契約を取る」という良い結果を得たいとき、あなたは何をするでしょうか?

 見込み客を見つけ、連絡を取り、事前に準備し、会って商品説明をして、という一連の営業活動をするはずです。しかし、これだけではあまりにも曖昧で、部下たちはあなたと同じ行動が取れないし、あなた自身も自分ではしっかりやっているつもりが肝心のピンポイント行動が抜けることがあって、成績にムラが出てくるのです。

 そこで、行動科学マネジメントでは、だれでも同じ行動が取れるように、もっと細かく分解します。

 「事前準備」は次のように、いくつもの行動に分解できます。

・顧客情報の把握
・自社の会社概要の資料準備
・商品説明資料の準備
・提案書や見積書の準備
・当日の営業トークの組み立て
・余談の準備
・商談の場所の予約と確認
・名刺や身だしなみのチェック

 実はこれでもまだ不十分で「顧客情報の把握」はさらに小さな行動に分解できます。

・先方のWebサイトで経営方針などをチェックする
・担当者の氏名や役職を確認する
・先方に人脈のある人間が社内にいないか確認する
・ライバル社との取引情報などを集める

 ここまで分解してはじめて、部下のだれもが「ああ、それをやればいいのか」と分かるし、あなた自身もピンポイント行動の取りこぼしなく営業活動ができます。再現性が非常に高くなるのです。

セルフマネジメントにも応用可能

 行動科学マネジメントを乱暴に要約すると「続け方」になります。続ける対象である「やり方」は何でもよいのです。

 原価低減、販路拡大、品質改善といった課の目標達成、全社横断のプロジェクト運営、直属部下の育成と評価、日々のスケジューリング、さらには禁酒禁煙やメタボ対策など生活習慣マネジメントにも適用できます。

 欧米社会のマネジャーたちは、過度の肥満であったり喫煙習慣があると、セルフマネジメントができていないとみなされ、評価を下げられることがあります。グローバル化が進む今、日本企業においてもセルフマネジメントは強く問われるところで、ここにも行動科学マネジメントを生かせます。

 連載第1回目ですので自己紹介を兼ね、私自身のセルフマネジメント例を紹介します。

 私は走ることが趣味で、フルマラソンや100キロマラソンにも参加し完走しています。今年4月には世界一過酷と言われるサハラマラソンに挑戦、230キロを走り抜きました。

 「凄いですね。私もやってみたいけれどいまさら無理です。石田さんは特別なのでしょう」としばしば言われます。しかし、私が走り始めたのは数年前からなのです。もともとスポーツをやっていたわけではありませんし、運動神経も体力も人並みでした。

 230キロを走れるようになる最初の一歩は週に2回、30分だけ歩くことでした。これが私の小さな行動変容のスタートです。

 仕事に追われて不健康な生活に陥っていた数年前、「このままではまずい」と感じた私は、ジョギングでも始めようかと専門家のアドバイスを受けました。すると「いきなり走らず、まずは週に2回、30分歩きなさい」と言われました。

 まさに、「そんなことでいいの」と思うような小さな行動で、これは達成できました。それを続けているうちに、30分で歩ける距離が長くなり、もっと歩きたいと思うようになり、走れるようになりました。いきなりマラソンができるようになったのではなく、小さな行動変容と習慣化が可能にしてくれたのです。

 再現性の高い行動科学マネジメントの手法を用いれば、あなたはあらゆる場面で非常に効率的なセルフマネジメントができるようになります。それは、あなたの性格とは関係ありません。気弱であろうと生真面目であろうと優柔不断であろうと、だれでも同じようにできます。

 大事な部下指導においても、どんな部下にも良い業績を上げてもらうことができます。あなたから見て頼りなく映る部下も、反抗的な部下も、一見打たれ弱く見える“ゆとり世代”の部下も、価値観の異なる外国人の部下も、同じ結果を出してもらえます。

◇   ◇   ◇

 次回から、“すべての結果は行動の集積である”行動科学マネジメントの実践方法を事例を交えて説明していきます。また、10月10日、『行動科学でイノベーション 〜「できなかった自分」を「できる人」に変える科学的方法』と題して行動科学マネジメントを解説する講演をいたします。関心を持たれた方はぜひご参加下さい。


石田 淳(いしだ・じゅん)

ウィルPMインターナショナル 代表取締役社長兼最高経営責任者
行動科学マネジメント研究所所長
組織行動セーフティマネジメント協会代表理事
「課長塾」メイン講師(行動科学による部下指導法を担当)
行動科学(分析)マネジメントの第一人者。アメリカのビジネス界で大きな成果を上げる行動分析、行動心理を基にしたマネジメント手法を日本人に適したものに独自の手法でアレンジ、「行動科学マネジメント」として展開。精神論とは一切関係なく、行動に焦点をあてる科学的で実用的な手法は、短期間で組織の8割の「できない人」を「できる人」に変えると企業経営者などから支持を集める。ビジネスパーソン個人が自ら成長する際に今後、最も必要となる「セルフマネジメント」にも活用できるという手法として、各方面からさらなる注目を浴びる。組織活性化に悩む企業のコンサルティングをはじめ、セミナーや社内研修なども行い、ビジネス・教育の現場で活躍している。趣味はトライアスロンとマラソン。2012年4月、世界一過酷なマラソンといわれるサハラ砂漠250キロメートルマラソンに挑戦、完走を果たす。『教える技術』(かんき出版)、『会社を辞めるのは『あと1年』待ちなさい!』(マガジンハウス)、『組織行動セーフティマネジメント』(ダイヤモンド社)、『組織が大きく変わる最高の報酬』(日本能率協会マネジメントセンター)など著書多数。

輝く課長の行動科学マネジメント

日本の現場を支えているのはミドルマネジャー、すなわち課長です。課長が輝いてこそ、現場が元気になり、企業は発展します。課長の目の前に課題は山積しています。目標達成、新事業の立案、部下の育成から子供の教育、生活習慣の改善まで。様々な課題に対し、対策は提示されていますが、その実行と継続は容易ではありません。自分の行動を自分で改善し続けられる「行動科学マネジメント」で、輝く課長を目指しましょう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120907/236510/?ST=print  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2012年9月18日 03:55:28 : FijhpXM9AU
一番滑稽なのは明らかに負け組に属している人間が「やっぱり格差はいいことだ」とかほざいて、そういう主張をしている政党に投票するという奇妙な現象である。だからバカだというのである。

02. 2012年9月18日 21:02:24 : cqRnZH2CUM

>半数以上の人が「周囲の人よりも稼いでいる」という相対的所得の高い環境を選んだ

アメリカ人らしいな

個人的には、実質所得が高ければ、別に、他人より低くても構わないが


>ニューギニアのカルリ族では、希望を失うこともなければ、絶望を感じることもなければ、うつ病になる人も、自殺をする人も一切確認されていない。

こういうのは、あまり信用しない方がいいだろうな
単に、気づいていないだけということもある


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 経世済民77掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 経世済民77掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧