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(回答先: FRBが量的緩和(QE)に踏み切った理由 第4回 危機の余波 投稿者 MR 日時 2012 年 8 月 27 日 17:25:37)
QEの仕組みと効果及びFRBの透明性向上への取り組み
第4回金融危機の余波 その2
2012年8月28日(火) ベン・バーナンキ
では、大規模資産購入(Large-Scale Asset Purchases)、つまり量的緩和(Quantitative Easing)の政策はどのように機能するのでしょうか。米連邦準備理事会(FRB)は「長期金利」に影響を及ぼすために、米国債(Treasury securities)と政府系金融機関(GSE)が発行・保証する住宅ローン関連の証券*の大量購入に踏み切りました。
* 多くは住宅ローン担保証券(MBS)を指す
念のために言及しておくと、FRBが購入しているのは政府が保証する証券で、米国政府の債務である財務省証券(=米国債)と、米連邦住宅公社(ファニーメイ)もしくは米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)が発行・保証する証券です。ちなみに、ファニーメイとフレディマックを管理下に置いて以降、米国政府は両機関が発行している証券を保証しています。
2回のQEでFRBの資産は2兆ドル拡大した
大規模資産購入は基本的に2回実施されました。第1回が2009年3月(QE1として知られる)に、第2回が2010年11月(QE2)に発表、実施されました。それ以降も、FRBの保有資産の満期を長期化する対策*など、形を変えた追加的な措置を導入していますが、この2回の措置がバランスシートへの影響という点では最大のものとなります。2回の大規模資産購入(LSAP)により、FRBのバランスシートは2兆ドル(約157兆円)以上拡大しました。
* FRBは長期金利を押し下げるために、2011年9月から残存期間6年〜30年の米国債を買い入れて、残存期間3年以下の短期債を同額売るか償還するに任せる金融緩和措置、いわゆる「オペレーション・ツイスト(ツイスト・オペ)」に踏み切った。政策としての規模は4000億ドル(約31億4600万円)。2012年6月末に終了する予定だったが、同6月19〜20日の米連邦公開市場委員会(FOMC)でこれを2012年末まで延長することを決定、発表している。
大規模資産購入(LSAP)プログラムの効果をFRBのバランスシートの資産面から見たのがこのスライド(下)です。下の緑色の部分は伝統的な証券の保有残高を示しています。通常の状況でも、FRBが常に相当な額に上る米国債を保有してきたことが分かります。FRBは、量的緩和(QE)を始める前から既に約8000億ドル(約62兆8400億円)超にも上る米国債を保有していました。
FRBのバランスシート上の資産の推移。緑の部分はFRBが危機発生以前から保有していた米国債で、青部分は金融機関に対する資本注入だが、金融危機の終息に伴い返済されたため減少している。赤の「LSAPs(大規模資産購入)」と記載された部分が量的緩和(QE)による米国債やMBS(住宅ローン担保証券)などの購入で、FRBの資産が2兆ドルを超えるに至った経緯が分かる
つまり、FRBはゼロから米国債の保有を始めたわけではなく、既にこれらの証券をかなりの額、保有していたのです。したがって、緑色の部分は(大規模資産購入がFRBのバランスシートに及ぼした影響を分かりやすくするための)ベースラインということになります。
金融危機の発生直後には貸出資産が急増
それでは危機発生後、FRBのバランスシートの「資産」には、ほかにどんな資産が加わったのでしょうか。図表の濃い青色の部分は、危機の局面で取得した資産もしくは金融機関などに対して実行されたローンです。2008年後半に金融機関及びほかの対策によって、FRBの貸出残高が急増したことが見て取れます。しかし、同時に青い部分を見れば、時間が経つにつれこうした緊急支援策の規模が縮小し、2010年初めまでに大幅に減少したことが明らかです。
グラフの右端の方を見ると、つまり最近のことですが、(青色の部分で)小さな山があることが分かります。これは「通貨スワップ協定」によるものです。我々は欧州中央銀行(ECB)及びほかの主要な中央銀行とスワップ協定を締結、延長し、その一部を活用して欧州のストレスを軽減しようと図っています。この影響がグラフの右端の少し膨らんでいる部分に反映されています。
危機前には8000億ドルの財務省証券を保有していたわけですが、「LSAP」と記載された赤色の部分から分かるように、FRBは2009年初め以降、約2兆ドルの証券を新たにバランスシートに追加しました。上の部分の「そのほかの資産(Other assets)」(クリーム色部分)には保証準備*、実物資産など様々な資産が含まれています。
* 中央銀行が銀行券発行の保証として保有する資産のうち、正貨準備以外のもの。国債や商業手形など有価証券の形で保有している支払い準備
証券購入がなぜ長期金利の低下につながるのか
では、なぜこれらの証券を購入したのでしょうか。ちなみに、これは経済学者の故ミルトン・フリードマンなどが指摘していたアプローチで、基本的コンセプトはこうです。
政府系機関の証券を買ってバランスシートに計上すれば、これらの証券の市場における供給量は減ります。投資家がこれらの証券を保有したければ、つまり供給が減ったこれらの証券の保有を望むなら、より低い利回りを受け入れる必要があります。というのも、市場で供給量が減れば、投資家はこれらの証券により高い価格をつけることを厭わなくなり、その結果、利回りが低下することになるからです。
このように財務省証券(=米国債)を買い入れ、バランスシートに計上し、そうした証券の供給量を減らすことで、FRBは長期の財務省証券やGSE証券の金利を効果的に引き下げることができました。
しかも、投資家は自分たちの資産ポートフォリオのバランスを考慮しながら何に投資するかを決めるので、財務省証券やGSE証券を入手できなければ、社債などほかの種類の証券を購入しようという動きにつながっていきます。そうすると、これらの証券の価格が上昇し、利回りは低下していく。こうしてFRBの一連の行動の正味の効果として、証券全般にわたって利回りが低下していくというわけです。そして、金利の低下は当然、経済に刺激を与えるという効果を発揮しました。
したがって、これらの措置は実際には名を変えた「金融政策」と言えます。短期金利に焦点を定める代わりに長期金利に焦点を当てましたが、金利を下げて経済を活性化させるという基本的なロジックは同じです。
FRBは証券買い入れのための原資はどうしているのか
さて、みなさんはこんな疑問を持つかもしれません。「FRBは2兆ドルもの証券を購入している。その購入資金をどのように調達しているのだろうか」――。
答えはこうです。FRBは、当該証券をFRBに売却した銀行の銀行口座に対して振り込むという形で支払いをしました。これらの銀行口座とは、銀行がFRBに持っている口座で、そこにある残高はその銀行がFRBに預け入れている「準備預金」に相当します。FRBは銀行の銀行です。銀行はFRBに預け入れを行うことができ、これらの預け入れ金は「準備預金(reserve accounts)」と呼ばれます。要するに、FRBが証券を購入した際には、これらの銀行がFRBに持っている「準備預金残高」を引き上げるという形で支払ったということです。
このスライド(下)を見ると、この点がよく分かります。これはFRBのバランスシートの「負債」です。言うまでもなく、「資産」と「資本と負債」の合計額は等しい必要があります。見ての通り、負債も3兆ドル(約235兆円)近くに膨らんでいます。
FRBのバランスシートの負債の部。水色部分が流通している連邦準備銀行券、紫部分は、市中銀行がFRBに預け入れている勘定、彼らが銀行システム内で保有している資産、FRBからの借入金で、これらがFRBが証券を購入する原資となっている。
初めに、下の水色の部分を見てください。水色の部分は、流通貨幣、すなわち連邦準備銀行(FRB)券です。皆さんは、FRBは紙幣を増刷して証券を購入しているという話を時々耳にすると思います。この点については概念的に説明しましたが、FRBは証券を購入するために紙幣の増刷など行っていません。
これはバランスシートを見れば明らかです。水色の部分は基本的に横ばいで、つまり、流通貨幣の量はこうした活動の影響を受けていないということです。
影響を受けているのは紫色の部分で、「準備預金残高」を表しています。これらは市中銀行がFRBに預け入れている勘定と、彼らが銀行システム内で保有している資産、そして市中銀行がFRBから借り入れている借入金で、これらが基本的に証券購入の原資となっています。
したがって、銀行システムはこうした準備預金を大量に抱えていますが、これらはFRBにおける電子的な勘定であり、基本的にはそのまま銀行システム内にとどまって、流通しません。これらはいかなる広義のマネーサプライの構成要因でもありません。これらはマネタリーベースと呼ばれるものの一部ではありますが、現金でないことは確かです。
あと、緑の「その他(Other)」部分に財務省勘定やFRBの様々な活動に係る負債があります(FRBは財務省の財政機関としての役割を担っています)が、FRBの負債を主に構成している要素は、「流通貨幣」と銀行がFRBに預け入れている「準備預金」です。
「雇用の最大化」もFRBの重要な責務
さて、「大規模資産購入(LSAP)」、つまり「量的緩和(QE)」の狙いが何だったか覚えていますか。そうです、我々はこの政策を実施することで金利を引き下げられたらよいと期待していました。この点は概ね成功しました。
実際、皆さんも恐らく知っている通り、30年物住宅ローン金利は4%を割り込んで史上最低を更新しました。ほかの金利も低下しました。企業の借入金利、つまり、企業が発行する社債に対して支払わなければならない金利も低下しました。これは基準となる米国債の利回りが低下したのに加えて、社債と米国債の利回りスプレッド(差)が低下した結果です。
スプレッドが低下したことは、金融市場が景気の先行きに対して信頼感を強めたことを反映しています。私の見るところ、またFRBによる分析でも、長期金利の低下は成長と回復を促進したと思われます。
一方、これから説明しますが、住宅市場への影響は期待したほどではありませんでした。住宅ローン金利は確かに非常に低い水準に下げることができました。住宅ローン金利がこれだけ下がれば、住宅市場はさぞ活性化されることだろうと思うでしょうが、周知の通り、住宅市場はいまだに回復していません。
FRBは常に2つの責務を負っています。1つは「雇用の最大化」です。雇用を最大化するということは、景気を拡大させ、経済をフル回転させることだと我々は理解しています。そして低金利はそうした経済成長を刺激し、雇用を回復させる手段というわけです。
FRBのもう1つの責務は、「物価安定とインフレを低い水準で安定させること」です。インフレの低位安定は大いに成功しています。これは特にポール・ボルカー元FRB議長、そしてアラン・グリーンスパン前FRB議長による功績が非常に大きく、おかげで私も助かっています。2人が「FRBは物価を安定させることには努力する」とのメッセージを市場に根付かせてくれたおかげで、FRBは過去30年強にわたりインフレについては信認を築いてきました。
「FRBはインフレを低位安定させるだろう」との信頼感を市場が持つようになった結果、インフレ期待は抑えられてきました。原油価格の変動に伴い物価が一時的に上下動したことを除けば、インフレ率は極めて低い水準で安定して推移してきています。
日本のようなデフレの回避にも注力
確かにインフレ率は低いレベルを安定的に実現してきましたが、我々は同時にインフレ率がマイナスにならないようにも注意を払ってきました。特に「量的緩和第2弾(QE2)」を導入した2010年11月前後は、インフレ率が通常の水準を大きく下回っていたため、物価が下落しつつあるとの懸念が浮上し、我々も注視していました。当時、インフレ率がマイナスになる、つまり「デフレ」になるとの不安が高まっていたのです。
日本では何年にもわたってデフレが続き、日本経済の大きな課題になっていることを知っている人もいると思います。我々は当然、デフレは阻止したいと考えてきました。(1930年代の)大恐慌の話をした時もデフレについて触れました。金融緩和は経済が過度に弱くなることを防ぐことによって、デフレに陥るリスクも阻止したのです。
「大規模資産購入(LSAP)」について最後に一言、加えます。多くの人が「金融政策」と「財政政策」とをきちんと区別できていないようです。もちろん皆さんは、この2つが全く違う政策手段だということを理解していると思います。「財政政策」は連邦政府が使う「支出」と(歳入を確保する)「税金」に関する政策で、「金融政策」はFRBが金利を管理するための手段です。両者はまったく異なる手段です。
FRBがLASP、つまりQEの一環として資産を購入する際、政府の支出という形を取るわけではありません。ですから政府の支出にはなりません。実際に、支出をするわけではないのです。我々がやっていたのは、「将来いずれかの時点で市場に売り戻す資産」の購入です。つまり、購入した資産を市場で売却した時に、その購入額がFRBに入るということです。(だから、FRBとしては一切損はしない。それどころか)FRBは保有している証券の金利を受け取っているため、実際にはLSAPからかなり大きな利益を得ています。
実際、過去3年間で約2000億ドル(約15兆7300万円)の利益を財務省に譲渡しました。この利益はそのまま赤字削減に向けられます。したがって、LSAPは財政赤字を拡大させるどころか、実際には赤字幅を縮小させているのです。
私が記者会見を開くことにしたのはなぜか
このように短期金利(FFレート)の引き下げ余地がなくなってFRBが使った手段がLSAPですが、これと並行して活用した手段がもう1つあります。金融政策について「市場とコミュニケーションを取る」ことです。
「FRBが何をしようとしているのか」――。これを明確に市場に伝達できれば、投資家はFRBの目的や計画をより深く理解できるため、金融政策の効果はそれだけ高まります。FRBは金融政策についての透明度を高め、FRBが政策によって何を達成しようとしているのか人々に理解してもらえるよう様々な取り組みをしてきました。
一例を挙げます。これは私が記者会見を行っている写真です。年4回開催される2日間の米連邦公開市場委員会(FOMC)の会合後に記者会見を開くことにして、政策決定に関する質問を受けています*。つまりこれは、FRBの政策について説明しようとする新たな試みなのです。
* バーナンキ議長は2011年4月26〜27日に開かれたFOMCから、FOMCの直後に定例記者会見を開くことを決定、以来、FOMC後は毎回、会見を開いている。
バーナンキ議長は、FRBの金融政策の狙いをよりよく理解して貰うために2011年4月からFOMCの会合後に記者会見を開くという新たな試みを始めた
「インフレ目標」もFRBとしては初めて公式に設定
FRBの政策を明確に伝達するために最近始めたもう1つの取り組みは、金融政策に対する基本的なアプローチについて説明する声明を公表することで、特にFRBとしては初めて、「物価を安定させるための数値的な定義」というのを発表しました。*。
*FRBでは、これまでFOMCやそのメンバーが公的に望ましいインフレ率(大抵の場合は1.7〜2%)に言及することはあっても、明確な「インフレ目標(ターゲット)」は設定してこなかった。だが、バーナンキ議長は今年1月24〜25日のFOMC後の記者会見で、FRBの「長期的な物価上昇率の目標(ゴール)」を2%と設定したと発表した(http://www.federalreserve.gov/monetarypolicy/files/fomcprojtabl20120125.pdf の2ページ)。達成義務が生じる「ターゲット」ではなく、「ゴール」だが、FRBの金融政策の方向性についての透明性を高めるのが狙い。欧州中央銀行(ECB)は「物価安定」を優先的な政策目標として掲げているのに対し、バーナンキ議長はこの日、「物価安定を最優先に置くわけではない。物価安定と雇用の最大化の実現の重要度は同じと考えている」と発言、あくまでも「ゴール」との位置づけを明確にしている
世界の中央銀行の多くが、既に物価を安定させるための数値目標を定めています。FRBは声明の中で、「物価を安定させるという目標遂行のため、物価安定の定義を2%のインフレ率とする」ということを明らかにしました。これによって、FRBは成長及び雇用にかかわる責務を果たす努力をしつつも、中期的には2%のインフレ率達成に向けて取り組むということを市場は理解するでしょう。
景気回復しても経済がすぐに好転するわけではない
FRBは、経済の現状をどう見ているか、そしてそれに基づいてFF金利をどう誘導しようとしているかについても投資家と国民にその方向性を伝えることも始めました*。つまり、経済の現状に対する判断に基づいて、今後、金利をどの方向に持っていこうとしているかを市場に伝えるわけです。
* FRBは透明性を向上させる一環として、今年1月のFOMCで金融政策の「ゴール」としてのインフレ率を定め発表したのと同時に、政策金利であるFF金利についても各委員が2012年、2013年、2014及び長期的にどのような見通しを持っているかを公表した(http://www.federalreserve.gov/monetarypolicy/files/fomcprojtabl20120125.pdf の3ページ)。
市場がFRBの計画をより理解できれば、それだけ金融市場の不確実性を減らすことにつながります。FRBの計画がある意味、市場が想定している以上に積極的なものであれば、金融政策を取り巻く緊張は和らぐということです。このようにして我々は、金融政策を通じて経済の回復を図っているのです。
バーナンキ議長による第4回の講義の録画は下記にてご覧頂けます。
第4回(3月29日)金融危機の余波(The Aftermath of the Crisis)
なお、動画画面左下にある「Transcript(PDF)」をクリックすると、講義の英文起こしを見ることができます。
ベン・バーナンキ(Benjamin Shalom Bernanke)
薬剤師の父と学校教員の母の長男として、1953年12月13日に米ジョージア州オーガスタで誕生、サウスカロライナ州ディロンで育つ。高校時代、大学進学適性試験SATで1600満点注1590点というその年の州で一番の成績を収め、1972年ハーバード大学に進学、経済学を学ぶ。1979年、年米マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学博士号を取得し、同年以降、米スタンフォード経営大学院で教える一方、ニューヨーク大学で客員教授も務める。1985年プリンストン大学経済学部教授に就任、この時、日銀の政策がいかに間違っていたかを研究。デフレ史の研究でも知られ、友人でノーベル経済学賞受賞のポール・クルーグマン氏とともにインフレターゲットの研究者としても名声を高める。2002年にブッシュ政権下でFRBの理事に就任、2005年6月に同ブッシュ政権下で、米大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長に就任したのに伴いFRB理事は退任、2006年1月までCEA委員長を務め、同2月1日にFRB議長に就任。2010年1月再任される。
さあ、バーナンキ議長の講義を聞こう!
この連載は、米連邦準備理事会(FRB)のベン・バーナンキ議長が今年3月下旬に、米ジョージワシントン大学ビジネススクール(同大学は学部としてビジネススクールを持つ)の大学生を対象に「米連邦準備理事会(FRB)と金融危機」と題して、4回にわたって行った講義の全文である。中央銀行が誕生した歴史的背景から、その使命、1930年代に恐慌が起きた際のFRBの対応、その後金融政策が発展した経緯、なぜ米住宅バブルが発生し、なぜその崩壊によって2008年秋の金融危機が発生したのか、何が問題だったのか、そして危機に対してバーナンキ議長を筆頭にFRBがいかに対応したのか――その全容を大学生を対象に分かりやすく説明している点がポイントで、金融危機の深層を明らかにしてくれる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120827/236017
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