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(回答先: アメリカQE(量的緩和)が円高をもたらした 欧米の緩和政策、非難 日銀委員が緩和姿勢、「円高修正・株高続けばデフレ脱却 投稿者 MR 日時 2012 年 3 月 29 日 07:40:13)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120322/230161/?ST=print
原発リスク同様、想定外に大きい「中銀リスク」中央銀行だけを見る経済的視野の限界
2012年3月29日 木曜日
倉都 康行
筆者が国際資本市場の現場で日夜悪戦苦闘していた20年ほど前、中銀への注目といえば政策金利をどう動かすのか、という一点に絞られていた。いわば、金利の調整弁である。正直に言えば、市場で働く身にとって中銀とはそれだけの存在でしかなかった。
だが現在では、市場の話題のほとんどを中銀が占めている。ゼロ金利や量的緩和が異形の政策であるように、こうした市場模様もまた筆者にとっては異様に映る。時代は変わった、というだけで済む話なのか、どうも釈然としないものがある。高格付けと高リターンの怪しげなサブプライム商品全盛の頃にも、時代は変わったのだ、と言われたものである。
1990年代の日銀に追随するように、リーマンショック以降、英国中銀や米国FRBも量的緩和に向かい、最後まで抵抗を見せていた欧州中銀すらも、昨年末には3年間の流動性供与で銀行の国債購入を促す事実上の「裏口量的緩和」を行った。この調子で行けば、こうした「非伝統的」と言われる政策が、徐々に恒常化していずれ伝統的政策になってしまうかもしれない。
もっとも、17世紀に英国中銀が設立された目的が、国債引き受けと銀行券の発行を通じて同政府の軍事費を捻出することであったことを思えば、現代の各国中銀は、単に先祖がえりしているだけ、と見ることも出来る。財政ファイナンスがどんな結果を招くか、という論点を別にすれば、昨今の中銀の判断は設立原点に戻ったものだ、と言えなくもない。
バレンタインデーに起きた「事件」
日本でも、バレンタインデーに日銀が事実上のインフレターゲットと追加緩和という意表を突く戦術で、為替市場と株式市場のセンチメントが一変するという「事件」が起きた。市場は勿論、輸出産業や一部の政界・学界などは拍手喝采しているが、ここまで中銀に依存し敏感に反応する市場経済の姿にかなりの違和感を覚えている中高年は、おそらく私だけではないだろう。
為替や株式などの市場は、日銀が「漸く世界の金融緩和競争に本格的に参戦する決意を示した」と受け止めた。超円高が一服し株安が修正される動きは当面継続しそうな気配だが、政界には「まだ努力が足りない」「アグレッシブなFRBとの距離はまだ遠い」とさらなる緩和圧力を掛けようとする勢力がある。
日銀は、そうした攻撃に抵抗しながらも、実質的には膨大なマネー供給を続けざるを得ないだろう。他国の中銀も大同小異である。問題は、その時間稼ぎの間に実体経済が回復するかどうかであるが、残念ながらそのシナリオ確率はすべての国においてかなり低い、というのが筆者の読みである。「中銀リスク」は、原発リスクと同様に、人々が想定しているよりも大きいのではないか、と密かに懸念している。
中銀が供給するベースマネーと、民間経済で動くマネーサプライが分断されていることは、周知の通りである。それは、日本に限った話ではない。英エコノミスト誌に拠れば、2008年以降M2の増加率は量的緩和に踏み切った多くの先進国で低下傾向を示しており、英国はGDPだけでなくマネーサプライすら「マイナス成長」に落ち込んでいる。
その中で、米国のM2伸び率だけが辛うじて10%近辺まで回復しているが、これは欧州債務危機を契機としてMMFを解約して銀行預金に向かった投資家の行動に拠るものであり、FRBの政策が奏功したものとは言い難い。昨今の米経済の改善も、所詮は大きなデレバレッジの流れの中での小反発に過ぎない。中銀政策に依存しただけの景気回復は、結局は見かけ倒しなのである。
銀行は何をしているか
昨今の市場はそんな中銀の一挙手一投足のみに注目しているが、本来的に凝視せねばならないのは、民間銀行の動向である。修正の必要があるのは、中銀の政策ではなくベースマネーとマネーサプライを繋ぐ民間金融システムの機能なのである。資本市場の役割が大きい米国であっても、中小企業や家計を含めて考えれば、実体経済を左右するのはやはり商業銀行の貸出方針である。
現状、欧州の銀行が積極的に融資を拡大するとはとても考えられない。債務危機と景気後退という未曽有の逆風下、新たな企業融資も国債投資も不良資産になりかねず、さらに自己資本比率を大幅に引き上げねばならないからだ。欧州中銀からの流動性は、3年間とはいえ、いずれ返済せねばならない資金である。多くの銀行はその資金で中期国債を購入し、利鞘を稼いで将来の引当金を貯めるくらいしか方策は無い。
欧州の銀行はむしろ資産売却によってスリム化を図ろうとしている。中でもドル建て資産縮小は必須である。これは、1990年代に邦銀がドル資金調達に困ってドル建て資産を投げ売りしたのと似ている。商業銀行にとって、自国通貨以外の資金で勝負するクロスボーダー取引には限界があるのだ。これは、今後の世界経済を考える上で極めて重要なポイントである。
19世紀末以降の植民地時代の歴史をバックグラウンドとする欧州の銀行は、このクロスボーダー取引で稼いできた。スペインの銀行が中南米に、英国の銀行がアジアに強いのは、当然なのだ。だが国際金融がドル社会へと変化していくにつれて、その取引の大半もドル建て取引となり、米銀が決定的な強みを握ることになる。そこに邦銀も参戦するのだが、戦闘手段の通貨がドルであるという弱点を克服することは出来なかった。不良債権問題を契機に日本勢は市場の信用力を失い、ドル調達も覚束なくなって、競争から脱落していったのである。
一方で、欧州と米国の絆は深く金融関係も密接である。欧州の銀行のドル調達力は邦銀の比ではなかった。共通通貨の導入で、ユーロ圏という為替リスク無きクロスボーダー取引の場も拡大した。欧州の金融収益機会は全世界に広がったのである。ちなみにBISの統計に拠れば、昨年9月末の銀行クロスボーダー取引26.9兆ドルのうち、欧州の銀行シェアは45%で米銀シェアの19%を遥かに凌いでいる。
こうした欧州のビジネス・モデルは、ギリシア債務危機で崩壊しつつある。為替リスクのないクロスボーダー取引は、決してリスク・フリーではなかったのである。ギリシア問題は「ソブリン・デフォルト」という点で大きな注目を集めたが、欧州の伝統的銀行ビジネスを破壊するという意味でも捉えておく必要がある。欧州が、得意とする資産運用ビジネス以外の金融力を取り戻すには、かなり長い年月を必要とするだろう。
リーマンショック以前の米国経済はもう戻らない
その一方で、米銀は金融危機以降公的資金などの支援を受けながらも、相応のスピードで立ち直ったように見える。3月に発表されたストレステストにおいても対象となった大手19行のうち、15行が厳しいハードルをクリアした、と評価されている。過小資本や巨額赤字で苦しんだ2008〜2009年は既に遠い過去の話のようだ。
だが米銀が健全に見えるのは、欧州との相対性に拠るものだろう。米銀の収益力の急速な低下や将来像の不透明さは、ここ1年間の決算や当局による規制強化方針を見れば明らかである。また住宅市況や雇用市場に明るさが見え始めたのは事実だが、それは最悪期を脱したという意味であり、リーマンショック以前の米国経済そして米銀の姿を求めるのはかなり無理がある。今回のストレステストにおいても、不動産担保融資のリスクが過小評価されていることは、既に多くの専門家が指摘している。
苦境に直面する米銀は、日本やカナダなど各国政府・中銀の力も借りながら「ボルカー・ルール」の骨抜きを企図し、何とかトレーディングなどの収益構造を維持しようとしている。伝統的な融資業務だけでは、肥大化した組織やインフレ気味の報酬体系を維持できないからである。だが、金融のROEが20%を超えるような目眩く時代は、当面戻って来ないだろう。
米国の経済が潜在成長率を達成する力を取り戻すことが出来るなら、金融機関の努力も報われるかもしれないが、必要な負債縮小つまりデレバレッジへの抵抗が予想以上に強い消費経済の米国では、金融危機の後遺症を克服するのにまだかなりの時間を要するのではないだろうか。筆者は、今年も含めて米国は1-2%程度の低成長率がまだ数年間続くと予想している。
1980年代以降の米銀は、不動産やITなどの様々なバブルを作り出すことで収益力を上げてきた。米国の経済は、その力強い「金融浮力」を利用してきたのであるが、欧州の金融がビジネスモデルを失ったように、この米国の金融モデルも自滅してしまった。米銀が復活するための処方箋は給与体系を大幅に引き下げることであろうが、それは金融のダイナミズムを奪う自殺行為にも等しい。
さらに、金融危機以降の再編を通じて米銀がより巨大化してしまった点にも注目すべきだろう。米国の「Too Big to Fail」は、いまや「Too Big to Save」と言われるまでに集中リスクを抱え込んでしまった。米銀経営も、袋小路に嵌り込んでしまった感が強い。
その点で言えば、邦銀は確かにいち早く不良債権問題の処理を終えており、全体的には健全性を取り戻している。給与水準も欧米ほどは高くないし、集中リスクもそれほど大きくない。欧米の銀行の穴を邦銀が埋める、という期待感もある。
だが商業銀行によるクロスボーダー取引の限界は既に見た通りである。邦銀経営の優先度は海外進出ではなく国内での足場固めであろう。その観点からすれば、まだ銀行は再編が十分に終わっていないように見える。
貸出が伸びない中、預金だけが集まってしまうので国債を買うしかないと経営陣は諦め顔だが、それは資本を生み出せない銀行が多過ぎて、資本主義を起動させうる資産運用会社が少な過ぎるだけの話なのである。銀行という国債受け皿があまりに盤石なので、国は財政改革に手を付けることなく安心して国債を発行し続けられる、という皮肉な結果も招いている。
総じて、先進国では実体経済に見合った金融システムの再構築が遅れている。中銀が過激なまでの緩和政策を採る中で、肝心の民間金融システムの構造改革はほとんど進んでいない、という印象が強い。だがこの現状放置は、おそらく次に大きなショックが市場を襲うまで、続くことになるだろう。
不可能な銀行改革
銀行システムに問題があることが解っていながら、なぜメスが入りにくいのだろうか。理由は幾つかあろうが、無視できないのが政府にとって銀行は中銀とともに国債の重要な受け皿だから、という点が挙げられる。銀行改革は、原発廃止と同じように、政府にとって不都合なのである。
昨年3月にBISから発表された一つの論文は、日本ではあまり注目されなかったが、欧米ではかなり話題になった。それはピーターソン国際経済研究所のカーメン・ラインハート教授と若手エコノミストのべレン・スブランシア氏との共同論文である。
そこには、第二次世界大戦後の英米などが戦費で積み上がった財政赤字を約30年かけて縮小させた事実が紹介されていた。第一次世界大戦後に積み上がった各国の債務は主にデフォルトによって解消されたが、第二次世界大戦後は市中金利より低い金利での国債発行と適度なインフレによって削減された、というものだ。
一般的には、戦後の経済回復による増収で負債残高が縮小した、と理解されているが、同教授らは、実質マイナス金利を通じて政府が債務負担を民間に転換して財政を改善させた点も重要、と分析している。
例えば米国は、1945年以降1970-80年代にかけて年率平均GDP比3.2%の負債削減に成功している。彼らはこの実質的な民間負担を「フィナンシャル・リプレッション(金融抑圧)」という言葉で表現している。具体的には、銀行などに低利の国債を引き受けさせ続ける、という仕組みである。
先進国がゼロ成長からの脱出する道は見えない
時価会計を停止しつつ、低利かつ超長期の国債(英国は永久債の復活を検討している)を銀行や公的年金そして中銀に保有させて国債暴落を阻止するというアイデアは、いずれ先進国共通の必然的選択肢になるだろう。これでは中銀がどんなにベースマネーを増やしてもマネーサプライは反応せず、実体経済は低迷する期間が長引くことになろう。
すぐにインフレは起きないかもしれないが、国内投資を諦めたマネーが新興国へ流出することで、民間企業の資金調達を苦しめるクラウディング・アウトは発生しうる。筆者には、先進国がゼロ成長近辺から脱出する道が見えない。
本来の金融問題は中銀にではなく民間銀行システムにあるが、市場やメディアはそこを見ないで中銀ばかり注目している。そしてそれは、永田町や霞が関にとって極めて好都合なのであろう。
(このコラムは随時掲載します)
このコラムについて
倉都康行の世界金融時評
日本、そして世界の金融を読み解くコラム。筆者はいわゆる金融商品の先駆けであるデリバティブズの日本導入と、世界での市場作りにいどんだ最初の世代の日本人。2008年7月に出版した『投資銀行バブルの終焉 サブプライム問題のメカニズム』で、サブプライムローン問題を予言した。理屈だけでない、現場を見た筆者ならではの金融時評。
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著者プロフィール
倉都 康行(くらつ・やすゆき)
1955年生まれ。東京大学経済学部卒業後、東京銀行入行。東京、香港、ロンドンで国際資本市場業務に携わった後、97年よりチュースマンハッタンのマネージングディレクターを務める。現在、RPテック代表取締役。日本金融学会会員。最新刊は『投資銀行バブルの終焉 サブプライム問題のメカニズム』(日経BP社)。主な著書に『金融史がわかれば世界がわかる』『金融VS.国家』(ちくま新書)、『金融市場は謎だらけ』(日経BP社)、『予見された経済危機 ルービニ教授が「読む」世界史の転換』(日経BP社)など
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