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(回答先: 但馬・丹後の原発計画くいとめた40年前の運動に学ぼう/日本共産党但馬地区常任委員 中家貞雄さんに聞く(上)[兵庫民報] 投稿者 gataro 日時 2012 年 8 月 15 日 19:49:46)
http://hyogo-minpo.blogspot.jp/2011/08/40_21.html
「兵庫民報」 2011年8月21日日曜日
日本海岸(但馬・丹後)の原発計画くいとめた40年前の運動に学ぼう
日本共産党但馬地区常任委員中家貞雄さんに聞く(下)
素晴らしい地元住民の立ち上がり
私たちの苦労は無駄ではありませんでした。
浜坂火力発電所計画を知った住民有志の創意は見事でした。発電所誘致を表明した町長、自民党や民社党系良友会(佐々木良作衆院議員の後援会)の地域役員が有力な土地柄ですが、いわば町の知識人たちが熱心に発言を始めました。
僧侶の釈大道さん(故人)、医師会長、半臥堂を名乗る町の古老田辺意之助さん(故人)、県立豊岡高校教員の高田三良さん(故人)たちは「みんなの民主主義の会=みんみん会」を結成し、四日市へ見学に行き、独自のビラを新聞に折り込むなど勇敢な行動をしました。
香住町下浜では、二十世紀梨づくりのリーダー吉川邦夫さんや福田惣一さんなどがよびかけ、京大の先生や県原水協の福島市郎さんを講師に住民学習会を繰り返し、地域住民の圧倒的な反対運動の結束を固めました。浜上ますさんたち女性も運動の軸となりました。
町当局の誘致の動きにひるまず、下浜住民は豊岡に出かけ、豊岡駅から関電支店(今の豊岡郵便局の場所)まで原発反対のデモ行進も行い、香住町では原子力・火力発電所反対の但馬地区総決起集会が開かれ、但馬地労協の労組も参加しました。
香住町佐津無南垣(むながい)地区には日本共産党の森田春三郎町議が住み、火力発電所問題の調査・学習活動をコツコツ広げ、隣りの訓谷地域の社会党系町議とも反対運動で協力しました。
私はこれら町の有志の方々を一人ひとり訪問し、但馬地区委員会の政策を説明しました。この活動を通じて「政策の持つ力」の強さを知り、事実を知った人々の創意ある活動に敬服しました。
いまエネルギー政策の転換が必要だ
久美浜原発反対運動は、丹後地方の住民と日本共産党組織が中心に担いましたが、隣町である城崎町や豊岡市は文字どおり「原発の地元」の位置にあります。
この立場から但馬地区委員会は、「但馬民報」の全戸配布や学習会、丹後地方の運動との共同行動を続けてきました。
この四十年間に原子力発電所を京都府と兵庫県の日本海岸には許さなかったことは、強力な住民運動と日本共産党の努力の結果です。
その後も大電力資本と政府は、「安全な原発」宣伝と補助金政策で国民を信用させ、増設を続けましたが、福島第一原発の炉心溶融事故は国民の世論を一変させました。
日本共産党の志位和夫委員長は、福島第一原発の炉心溶融事故の収束に全力をあげる具体的提案を政府に申し入れました。特に周辺住民と原発関係労働者・従事者の安全対策、被害住民と農漁民等の損害賠償、稼働している原発の総点検と新設の中止を要求しています。
何よりも「原発の安全神話」を一掃することが大事です。
いま、良心的な人々の間で「原発は怖いが原発に代わるエネルギーはどうするのか」という意見が出されています。
日本共産党は水力、風力、潮力、太陽光発電など自然エネルギーの活用を大規模に進めるとともに、大量生産・大量消費・大量廃棄の「浪費型経済社会から低エネルギー社会への転換」を提案しています。
たとえば、昼間も夜間も電気を使う二十四時間営業、オール電化住宅、民間・軍用を問わず大量の石油燃料を使う航空機の乱用、二十四時間燃焼の大量ごみ焼却施設―など国民生活全般の見直しをすることも大事ではないでしょうか。
一九六〇年代は主な発電エネルギーを水力と石炭火力から、重油火力と原子力に転換した時代であり、このために三十万人の炭鉱労働者の首切りが起き、三井三池炭鉱争議に代表される大闘争と犠牲が払われました。
東日本大震災と福島第一発電所事故の教訓を直ちに生かす政治社会への転換がどうしても必要だと思います。(おわり)
「但馬民報」特別号・4月20日付から転載
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