http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/499.html
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地震衝撃波が日本の学界では無視されている。岩盤の上に建てられている原発は特に危険だ。
揺れの激しさと地盤の硬軟との関係は複雑だ。よく、地盤が軟らかいために揺れが大きいとされるが、これは地震のS波や表面波の影響を述べたものだ。地震によって発生する地震波には基本的にP波(縦波、振動が進行方向に起こるもの、音波と同じ)とS波(横波、振動が進行方向に対して直角に起こるもの)がある。P波は最初に発生する地震波で速度は速いが軟らかい地盤で減衰しやすい。S波は速度が遅いが減衰しにくく、比較的遠くまで揺れが伝わる。普通地震の揺れとして感じられるのはS波であり、S波が地表面を伝わる表面波というものも地震の揺れとして感じられることがある。日本は軟らかい地盤が多いので、よほど大きな地震で震源域の真上にいないとP波の揺れは感じないはずだ。緊急地震速報は、伝播速度の速いP波を計測して、本震であるS波の到来を予測するものだ。新幹線が地震で止まるのも最初に来る初期微動のP波を検知しているし、原発の制御棒が作動するのも同じ原理だ。
縦揺れも横揺れも、ほぼS波や表面波によって起こっている。S波が地表面にほぼ平行に来れば縦揺れになるし、垂直方向に近ければ横揺れになる。地盤の柔らかいところでは、こういった揺れがコップの中の水と同じで、揺れやすいし、その揺れが一定時間続くことになり、その結果、地震の揺れが激しいと感じられることになる。
ところが、地盤の固いところでは、地盤全体が固く接着されているため、横揺れするためには固い部分全体が動く必要があり、結果的に揺れが小さくなるし、そもそも揺れが持続しない。だから地盤が固いところは地震被害が少ないとされることが多い。しかし、ここには大きな誤解がある。つまり、P波は地盤が固い場合のほうが伝播しやすいのだ。地盤が固いところで、直下型の震源深さが比較的浅い地震が起こった場合、その震源域ではP波、つまり、地震縦波の影響を強く受けることになる。縦波は一般的に衝撃波とも言われ、ものを一瞬のうちに破壊してしまう。1995年の兵庫県南部地震(マグニチュード7.3、震源深さ16キロ、最大震度7)や2008年の宮城岩手内陸地震(マグニチュード7.2、震源深さ8キロ、最大震度6強)では、鉄筋鉄骨コンクリート製のビルや鉄橋の橋桁部分などで、地震衝撃波の影響がかなりの程度観察されている。その多くは、ビルの柱が粉々に粉砕されたり、鉄橋の橋桁部分に水平に割れが生じ、コンクリートが破壊され、鉄骨がくの字に折れ曲がるという被害だ。鋼鉄製の柱が途中で水平に破断する被害も出ている。最も特徴的に地震縦波の存在を示す被害は、場所打ちの杭(単に杭を地面に打ち込んだだけで、上部に何も乗っていないのもの、工事の途中という意味だ)で、杭の上部に水平にひび割れが見える被害が多く出たことだ。これは、横方向の揺れでは起こりえない。水平な揺れが作用すれば、杭に斜めのひび割れが入るという。
そして、ここが最も大きな問題だが、地震衝撃波の被害について、日本の学界や行政がそれを無視してしまっている。理由は、地震計に地震衝撃波を示す波の記録が残らないことだ。現行の地震計は一定程度以上の周波数の地震波は記録できないという。
しかし、地震衝撃波の存在を証明するのは簡単だ。地震縦波の存在を述べる論文とその存在を無視している論文を示し、無視している論文がいかに非論理的なものかを述べればいい。
地震衝撃波の存在を指摘する論文で公開されているものはほぼ大阪市立大学工学部の専門家によるものだ。1997年1月の工学部紀要震災特別号に掲載されている。そのうち主なもののタイトルを挙げると次のようになる。
1.「直下型地震による建造物の衝撃的破壊の特徴について」
2.「兵庫県南部地震における土木構造物の衝撃的破壊の事例」
3.「兵庫県南部地震における土木構造物の衝撃的破壊について − 地盤と構造物の相互作用の応力波伝播解析による検討」
4.衝撃的上下動による構造物被災
地震衝撃波の存在を無視するものには、次のものがある。
5.「兵庫県南部地震による市立西宮高校校舎の破壊機構」
これは、関西大学の専門家により書かれたものだ。
両者を比較するために、1.「直下型地震による建造物の衝撃的破壊の特徴について」 と5.「兵庫県南部地震による市立西宮高校校舎の破壊機構」に共通して取り上げられている西宮市立西宮高校校舎の破壊について、その分析の違いを見ることにする。これは、この高校の特別教室棟が固い地盤と軟らかい地盤にまたがって建てられていて、固い地盤の上の校舎部分の1階の柱が壊れてしまったという事例だ。柔らかい地盤の上の校舎部分はほとんど被害がない。
説明に入る前に、用語の確認をしておく。
座屈:「細長い物体は、引張ったときにはその材料の強度いっぱいまで耐えることができますが、圧縮したときには、材料本来の強度よりもはるかに小さな力で折れてしまうのです。この現象を、座屈と呼んでいます」ということで、鉄筋鉄骨コンクリート作りの建物で、柱や鋼鉄製の管などが、圧縮破壊されること。普通は、建物が垂直に立ったままで、破壊された柱の部分が壊れて下に落ちるようになる。まるでだるま落としをやったように見える。パンケーキ崩壊といわれるようなビルの柱がすべてつぶれて床が積み重なるように壊れるのもこの座屈の現象の一つ。
不同沈下:地面が不均一に沈み込むこと。その結果、地面上に建てられていたビルなどが傾いてしまったりする。
スパン:建築物の柱から柱の間の空間。鉄筋コンクリート製の学校の校舎なら、柱と柱の間にあるひとつの教室に当たる空間が普通1スパンとなる。
G.L.−9m:GLはグランドレベル(地表面)の略、マイナスがついて、地面からマイナス9メートルという意味。
シルト:砂と粘土の中間の大きさを持つ土砂
ボアホールカメラ:穴の中に入れて周囲360度を同時に映せるようにしたカメラのこと。
フーチング:土台の部分の中で、土に埋まる部分を言う。杭との接続部になる。鉄筋コンクリート作りの建物は、普通、フーチングの上に柱が立つ。
応力:物体に外部から働いた力に応じて物体内部で働く力のこと。
次に、西宮市立西宮高校での被害がどのような状態だったかを主に5.「兵庫県南部地震による市立西宮高校校舎の破壊機構」からの引用で述べておく。
特別教室棟校舎A棟(鉄筋コンクリート造、約82m×12m、5階建て)の東側2スパンの1階柱及び3スパン目の各階の梁が大きく破壊された。東側2スパンは固い地盤の上に建てられていて、それよりも西側はもともと池であった部分を埋め立てた柔らかい地盤の上に作られていた。座屈は、固い地盤の上の校舎部分で起こっている。校舎の各柱の下にフーチングが設置されていて、基本的にそれぞれのフーチングを4本の杭が支持している。杭は直径350mmで地下9mまで打ち込まれている。敷地中央部のボーリング(資料中にはK−2ボーリングと記されている)調査の結果、大阪群層という固い地層は「敷地の中部から西部の東西方向ではほぼ水平とみられるが、東部では急激に浅くなって東端部では露出している。また、南北方向には緩い斜面を形成している」という。つまり、東側2スパン分(2教室分)は固い地盤の上に建てられていて、杭もそのほぼ全体が固い地盤の中に存在している。それよりも西側の校舎部分は軟らかい地盤の上に建てられていて、その部分の杭は、4mほどの軟らかい地盤の層を挟んで5m分ほどが固い地盤に打ち込まれている。
特別教室棟を含んだ校舎全体は敷地の北部に建設されていて、その南側に校庭が広がっている。兵庫県南部地震により、校庭(グラウンド)は敷地西側の水路と南側の池に向かって、それぞれ約1m横変位し拡大したという。その結果、特別教室棟A棟は東側3スパン目が約10cm延び、それ以西のスパンでは合計5cmの延びと約10cmの相対沈下を生じた。更に、東側2スパン目を軸にして、建物の西端は南方に最大約30cm変位していることが確認されたという。
地震衝撃波の存在を認めている「直下型地震による建造物の衝撃的破壊の特徴について」では、西宮高校の事例について、その13ページ目(実際の文書に振られているページ番号は79ページとなっている。紀要の通しページ番号が79ページの意味だろう)で述べられている。
強い上下方向の衝撃波によって固い地盤の上にあった校舎東側の1階部分の柱が破壊されて座屈し、その結果、軟らかい地盤に立地していた校舎部分との境目である3スパン目が一階から最上階まで斜めに破壊されたというもの。校舎の西側がほとんど無傷であるのは、軟らかい地盤中にあった支持杭の見かけの軸剛性が低下し、これらの支持杭が鉛直方向の衝撃的な力に対してある種のクッションのような効果を果たしたからとしている。
地震衝撃波の存在を認めない論文の説明は、簡単に言うと、校舎の軟らかい地盤部分が10cm程度固い地盤部分に比べて相対的に不同沈下し、その結果、境目である3スパン目が破壊され、特に一階の基礎梁が破壊された。次に、軟らかい地盤部分が側方流動によって西側へ動いた結果、それによって沈下をほとんどしなかった東側2スパン分の校舎が西側へ横方向の力を受け、一階の柱を破壊したというもの。
神戸大学付属図書館の「地学教師が撮り続けた阪神大震災 : 市立西宮高校とその周辺」というサイトがある。そこから、何枚かの写真を引用して、どのように校舎が破壊されたか、座屈はどう起こったかを見てみよう。それぞれの写真の下に、どう解釈できるかを述べてある。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/kawase/Jap/Photo/PhotoV3100.html
コンクリート部分の解体が始まった旧A棟 : 座屈部分のすぐ西側北面
向かって左側の1階の2教室分、つまり、2スパン分が座屈している。この座屈では、左から3本分の柱が教室の高さ分(少なくとも3m)がほぼ完全に崩れて落ちていることが分かる。横から引っ張った時に、このように鉄筋コンクリート柱が完全に粉々になるとは思えない。
3教室目(3スパン目)の2階床面から屋上までは左側2スパン分が落下したことにより破断しているように見える。向かって右側が右方向へ側方流動した結果、向かって東側の2スパン分の一階柱がこのように完全に破壊されるためには、3スパン目が健全で、横方向の力を、向かって左側の2スパン分の校舎へ伝えることが必要だし、移動距離も柱の高さ程度は必要だ。
3スパン目の向かって右側柱を含んでそこより右側はほとんど傷みが観察できない。3スパン目に横方向の力が加わったとはとても思えない。向かって左側の2スパン分の一階柱を粉々にするほどの力が3スパン目の梁を伝わって向かって右側の校舎部分から伝わったのなら、その時に、3スパン目の梁は全て落下しているはずだ。更に、向かって右側の校舎柱にもかなりの力が加わり破壊されていなければいけない。
なお、4スパン目の1・2階は、地震後、取り壊し工事のための通路を設けるために撤去された様子。つまり、もともとは教室があった。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/kawase/Jap/Photo/PhotoV3076.html
旧校舎 : 上から見た座屈した旧A棟北東部分 : ガラスが取り外された校舎
座屈した校舎部分の一階柱は完全につぶれている。
3スパン目の各階の床は斜めになっている。ここを伝わって、向かって右側への力が働いたとは思えない。
なお、向かって左側から2スパン目と3スパン目の間の柱は座屈した部分が右側へずれているのが分かる。3スパン目の2階部分の壁を見ても右へずれているのが分かるが、屋上のほうはそれほどずれているように見えない。つまり、1階や2階部分の方が、屋上や5階部分よりも右へずれているのだ。これは、一階柱が座屈した時に、横から見るとX字の形でコンクリートが崩れ、柱の先が円錐形に残るためだ。2本の鉛筆を互いに先端を合わせるように向き合わせて力を加えれば、先端部分でどうしても行き違う。これと同じで、柱の壊れ残った部分が互いに食い違ったために横にずれたのだ。
なお、この写真の校舎の一番下に見えるのが一階の床にあたる部分であり、このすぐ下にフーチングがある。
地震衝撃波の存在を認めない論文では、不同沈下によって向かって左から3スパン目の一階から最上階までが破壊され、特に基礎梁が破壊されたとしている。次に、向かって右側の校舎部分が右方向へ側方流動した結果、3スパン目には横方向の引張力が働き、その力が原因で向かって左側の校舎部分の1階柱が崩壊したとしている。基礎梁が破壊されたとしているのは、そうでないと、側方流動の時、座屈した校舎部分の基礎にも側方流動による横向きの力が加わり、単に建物全体が横に動くだけになってしまうからだ。3スパン目の基礎梁が破壊されていると仮定すれば、向かって左側2スパン分は二階から上の部分にだけ向かって右側への力が加わり、それによって一階柱が破壊されたと説明できるから。しかし、普通、横向きの力が加わったとき、横に動いた距離だけ柱が傾く。そして、論文で主張されているのは約10cm横に動いたというのだ。それだけの移動距離で一階柱がここまで完全に壊れるのは不自然だ。
地震衝撃波を認める論文では、比較的硬い地盤の上に建てられていた、向かって左側2スパン分の校舎には、地盤から垂直方向へ衝撃波が伝わり、それが瞬間的に一階柱を粉々にしたとしている。一階柱だけが壊れるのは、一階はそれよりも上階の重さ全部がかかっているし、地面と建物の不連続面にあたるからということだ。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/kawase/Jap/Photo/PhotoV3006.html
旧校舎 : 旧A棟1階南側座屈部の基礎の掘り出し : 座屈部のアップ
2スパン目と3スパン目の間にある柱の下にあるフーチングの掘り出し調査の写真。フーチングの下に杭があるのが見える。
3スパン目の基礎梁に縦の亀裂が入っているのが分かる。地震衝撃波の存在を認めない論文では、3スパン目の左右では不同沈下が起こり、3スパン目の基礎梁が激しく破壊されたとしている。しかし、この写真からは、不同沈下そのものが起きたようには見えない。縦の亀裂の左右で、基礎梁の縦方向の位置はほとんど同じだ。
この縦の亀裂が入ったのは、地震衝撃波が3スパン目の右側のA棟の東側2スパンへ伝わり、一階柱を破壊したときの上下動が原因であろう。衝撃波による一時的な上下動が原因なので、衝撃波が消えた後は、もともとの地盤の高さに落ち着いたということだ。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/kawase/Jap/Photo/PhotoV3003.html
旧校舎 : 旧A棟1階南側座屈部のアップ : 柱の地下部分を掘り出す
地震衝撃波の存在を認めない論文では、座屈しなかった校舎部分(上の写真の向かって左側、4スパン目以西)が不同沈下した結果、座屈した校舎部分(東側2スパン分)との間にある3スパン目(2階から5階までが斜めに傾いている部分)の基礎部分(一階の地面に埋まっている部分)が大きな被害を受け、横方向の鉄筋が切断したと説明している。この部分の説明を多少長いがそのまま引用する。
「比較的緩い埋立土が揺込み沈下したが、この埋立土の厚さは校舎の東側2スパン以東では急激に薄くなっているため、それ以西の地盤が相対的に大きく沈下し、東側より3スパン目の基礎梁に応力が集中して破壊した。」
しかし、一階窓枠の下の部分を見れば分かるように、3スパン目の一階部分は、両横のスパン部分と比べて特に沈下量の違いがあったようには見えない。このことは、写真手前にある擁壁を見ても、普通に被害が見えないことからもうなずけることだ。もし、不同沈下していれば、この擁壁にもひび割れができていなければいけない。
更に、3スパン目の2階床部分の壊れ方を見ると、ここへ引張力が働いたようには見えない。圧縮力が働いた結果、このように曲がってしまったように見える。つまり、座屈した柱の下向きの先端と上向きの先端が互いに食い違うことにより、2階部分の柱が、向かって左側へずれたと解釈する。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/kawase/Jap/Photo/PhotoV3012.html
旧A棟1階南側座屈部の柱 : 飴のように曲がってむき出しの鉄筋
1階部分のほぼ教室の天井までの高さの分の鉄筋がむき出しになってぐにゃりと曲がっている。水平方向の力を受けただけで、このように鉄筋の中のコンクリートが粉々に破壊されるだろうか。
地震衝撃波の存在を否定する論文では、「東側2スパン目を軸にして、建物の西端は南方に最大30cm変位」していることが確認されたとし、そういった横方向への力が働いて一階の柱が破壊されたとしている。建物の西端とは、座屈している部分から最も離れた校舎の端のことだ。そして、南側に30cm変位というのは、座屈している校舎部分に対して横向きの力を加えることにはならない。校舎は南を正面にして建てられていて、横方向の力は西への変位でなければいけない。この論文では、3スパン目は東西方向に約10cm延びていたとしている。10cm程度の横方向の延びで柱の縦鉄筋がこのように曲がることはありえない。
地震衝撃波の存在を認める論文では、縦方向の衝撃を受けた結果、瞬間的に一階部分の柱に応力が集中し、それが圧縮力となって鉄筋の中のコンクリートを粉々に破壊し、その次に、建物が重力で落下したので、縦の鉄筋が曲がったと考えることになる。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/kawase/Jap/Photo/PhotoV2027.html
旧A棟1階東側東面と南面 : グランドへの坂道から見たつぶれた柱
座屈している1スパン目の外壁を写したもの。多少見えにくいが、色の濃い外壁の中央に水平に入っている線が2階の床面の位置を示していることが写真左の教室の床面の位置から分かる。
色の濃い外壁にほぼ水平に入る亀裂は、単なるひび割れではない。2階の床面と1階の床面がかみ合っている亀裂なのだ。つまり、外壁自体も一階部分の高さ3mほどの鉄筋コンクリート壁がほぼ完全に破壊されて、飛び散ってしまったことが分かる。これだけ見ても、こういった破壊が、水平方向への揺れを受けて起こったとはとても思えない。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/kawase/Jap/Photo/PhotoV2026.html
旧A棟1階東側東面の柱 : グランドへの坂道から見たつぶれた柱
座屈した1スパン目の外壁を東側から写したもの。横に入っている線は2階の床面の高さを示している。
地震衝撃波の存在を無視する論文の説明では、東側2スパン分は、それ以西の校舎部分によって西へひっぱられて、その横方向の力を受けることによって、一階の柱が壊れたとしている。
しかし、校舎の東側2スパン分全体、つまり、校舎の1階から5階に至る2教室分の校舎全体に西へ横方向に引く力が働いたのなら、2スパン目の西側の下の角を支点にした、校舎の南側から見て反時計回りの力が働かなくてはいけない。つまり、上の写真の部分は、横方向へ移動するよりも斜め上方に持ち上げられていなければいけないのだ。このことは容易に推測がつく。直方体の箱を底面を固定して、左方向へ力を加えれば、底面の、左側の角を中心にして反時計回りに回転する力が働くからだ。もう少し厳しく考えて、底面が固定されているために、反時計回りの力が働かなかったとしても、単に校舎の西側部分が西へ10cm程度側方流動しただけなら、一階部分の柱が軽く西側へ傾くだけで済んだはずではないだろうか。なぜ、10cm程度の横方向の動きだけで、長さ3mほどの一階部分の柱が完全に粉々になるのか。横方向への力が働いたのなら、柱の上下端に破壊が起こり、柱の中間部が粉々になることはまずない。
現実の写真が示していることは、東側2スパン分の柱や外壁の1階部分がほぼ完全に粉々に破壊されたということだ。引っ張り力というよりも圧縮力がこの部分のコンクリートに働いた結果、こうなったと見える。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/kawase/Jap/Photo/PhotoV1011.html
旧校舎 : 旧A棟3階職員室 : 座屈部分
机上にある書類は地震後整理されたものかもしれない。しかし、机がもともとの列になったままだ。もし、机の列が揺れで動いたのなら、わざわざ坂になった部分に机を一直線に並べようとはしないだろう。つまり、通常の地震の縦揺れも横揺れもあまりなく、衝撃波によって瞬間的に東側2スパン分の1階部分が座屈した結果、この3階部分を含んで3スパン目が1階から5階まで斜めに破壊されたのだ。なお、 写真中央にある机を見ると、机の脚が床に固定されていた様子はない。職員室の机は毎年人事異動のために配置を変えるので普通床に固定しない。
衝撃波の存在を無視している「兵庫県南部地震による市立西宮高校校舎の破壊機構」の主張に対する反論を再度ここでしてみよう。
この論文では、校舎の破壊原因を「埋立て地盤の沈下と校舎西側にある水路に向けての側方流動の総合的な影響」とし、地震衝撃波の影響を認めていない。ごく簡単に言えば、まず、地震によって不同沈下が起こり、それで、3スパン目の基礎が破壊され、次に側方流動によって校舎の西側が西へ動いたが、校舎東側2スパン分は硬い地盤に固定されていたために動けず、それに引っ張られて東側の1階部分が座屈したという説明がされている。
しかし、ごく普通に考えて、不同沈下と側方流動が別々に起こるはずはないし、ましてや、最初に不同沈下が起こって、次に側方流動が起こるということはありえない。ゴム風船に息を吹き込めば、内部の圧力が高くなって風船は膨らむが、このとき、確かに、圧力が高くなったことが原因で風船が膨らむが、圧力の上昇と風船の膨張は同時的に進行する。この論文にも、「実際にはほとんど同時に進行したものと考えるべきであろう」と書いてある部分がある。
更に、校舎西側が側方流動した結果、東側の2スパン分が座屈したとしているが、最大30cmほどの南側への変位しかなかったのに、東側の2スパン分の1階柱が粉々に壊されるとは思えない。少なくとも、1階部分が座屈した東側2スパン分の校舎上部は、ほとんど水平移動しないまま、下に落ちている。側方流動が原因で西へ引っ張られたのなら、西側へもっと移動していなければおかしい。
また、3スパン目の1階から最上階までの破壊が不同沈下によって生じ、次に側方流動によって西側10スパン分が西側へ動いたのなら、3スパン目の各階がそのまま各階の高さに残っているのはおかしい。不同沈下で既にコンクリートや鉄筋がかなりの程度壊れているところへ、横方向の力が働けば、3スパン目で校舎が切り離されるはずだからだ。不同沈下でかなりの被害を受けた3スパン目は、既にコンクリートは亀裂が入り、引張力を伝えることができなかったはずだ。だから、鉄骨だけが東側2スパン分の校舎との間をつないでいたはずで、それらの鉄骨が、東側2スパン分の1階柱を全て粉々に粉砕するほどの力を伝えることができたとは思えない。
座屈部分の校舎3階の写真を見ても横方向のゆれがあったようには見えない。
「直下型地震による建造物の衝撃的破壊の特徴について」から特に重要と思われる点を抜き出しておく。
一つに、兵庫県南部地震が直下型地震の特徴として(被災した都市部が)震央に近く、地動加速度の上下成分に過去の海溝型地震では見られなかった大きな振幅を与えていること、二つめに、建築物か土木建造物かの建造物の種類を問わず新旧の耐震設計法には地盤上下動による鉛直方向の衝撃的な荷重作用が考慮されていない。
耐震設計法は建築物関係と土木構造物関係とに二大別されている。以下、当該規定を簡単に述べる。前者では、当該の行政法規の建築基準法施行令88条の条文に、地震力は地震層せん断力とする記述がある。また日本建築学会では、地震荷重の算定の項には、水平地震荷重を算定する、と定められている。一方、土木構造物関係では、対象となる構造物の種類毎に耐震設計法が定められている。例えば、道路橋の設計に関しては、支承部などの設計を除いては水平震度を用いる、とする記述がある。これらには、建造物総体の耐震設計に用いる地震荷重は水平方向に作用させるとする原則が確立されており、決して鉛直方向に作用させる地震荷重も採用すべきとする積極的な記述はなされていない。
ヘルツによると、衝撃は不連続面を通過する時に起こるとされる。伝播をうけた側の媒質内の高速波動では、媒質の密度、圧力、温度、伝播速度などに有限の大きさの不連続性が生じる場合がある。力の衝撃性は、この不連続な状態に現れる。これによれば、地震動そのものに衝撃的な波動が存在する必要はなく、建造物と接する境界面で生じる。
大阪市大工学部紀要・震災特別号(1997年1月)にある「衝撃的上下動による構造物被災」には次のことが指摘されている。
阪神・淡路大震災では衝撃的上下動による破壊が多く観察された。鉄筋コンクリート柱の圧潰と深い滑り面を持つせん断破壊や水平引張破断、鉄筋コンクリート中層建築物の中階の圧潰、鋼管柱の脆性破断や環状座屈、木造家屋の建坪内破壊、小河川の河床の隆起と盛り土側方の地盤隆起などである。この衝撃動は人体に強く感じられていたが、地震計には記録されていなかったため、被災原因を巡って混乱が起きている。
豊中市にある一階が駐車場になっている消防署の柱は一軸圧縮試験にかけたかのようなX型の亀裂を生じていたが、その付近は震源からかなりの距離にあり、木造家屋に屋根瓦がずれるのが見られる程度で、それ以上の外観上の被災はない。
昭和40年から50年ごろに造られたコンクリート構造物の被害が多い。武庫川下流部にかかる多くの橋梁のうち、大きく被災したのは山陽新幹線と名神高速道路で、それ以前に造られた古い時代のコンクリート構造物が無傷なので、昭和40年から50年ごろのコンクリートの品質が批判されている。
場数を踏んだある土木技術者は(阪神大震災の)初めの上下動は発破をかけたときに岩盤を伝わってくる衝撃と同じ感じだったといい、地盤工学にくわしい専門家は、ベタ基礎のものは壊れていないのに支持杭基礎の建物が多く壊れている事実を、固い支持層から衝撃が直接伝わってくるからだ、と説明している。
現存の地震計が、短周期の衝撃的な地震動を対象にしていない(サンプリング間隔、フィルターの周期が長い)こと、短周期の衝撃的動きの記録は地震計の設置位置の堅さによって全く異なること。地震の波形記録は多く発表されているが、地震計の特性に全く触れていないのは不可解だ。
以下、地震や原子力の専門家ではない自分が気が付いた点を記しておきたい。
横波が地殻内の反射によって縦波になることもある。反対に、縦波が横波に変わることもあるという。であれば、地中に打ち込まれた杭に地震横波がある程度以上の強さで伝わると、それが縦波に変化して衝撃波としてその建物に作用することがあり得るということだと思う。柱構造だけではなく、壁構造の建物も地震衝撃波の影響は受けるという。
ニュージーランドでの2011年の地震で日本人が多く被害にあったビルはパンケーキ崩壊をしていて地震縦波、または、地震衝撃波の影響があったように思えるがそういった話は国際的にされていない様子だ。同様に、アメリカのカリフォルニア州やイタリヤやトルコなど地震が多く起きる地域で鉄筋鉄骨コンクリート建造物への衝撃波被害があったはずだが、ほとんど話題になっていないように見える。
福島第一原発事故では、事故の写真集が出版されていない。以前の原発事故でも、詳細な写真集とか資料集は、少なくとも一般には販売されていない。原発は鉄筋鉄骨コンクリート造りの建物の典型であり、地震衝撃波の影響を強く受けるはずだ。原発は岩盤上に直接建設されているため、地震衝撃波の影響を強く受ける。組織的に地震被害が隠されている可能性がある。
次なる震災がいつ起こるのか、それは分からないが、非常に悲観的な見通しをせざるを得ない。なぜなら、核廃棄物の処分が出来ずに、原発敷地内に10年どころか、20年、30年とそのまま保管することになるだろうからだ。プールで保管するのは、崩壊熱が激しい場合は冷却に水を使うしかなく、避けることができない。ある程度冷却期間が過ぎ、崩壊熱があまり大きくなくなった段階でプールから出し、乾式キャスクでの保管に移行するしかない。乾式キャスクなら、冷却水が必要ないからだ。原子炉で数年間燃やした核燃料は、燃料のウランの核分裂によってさまざまな種類の放射性物質を大量に含むようになる。それらの放射性物質の多くは半減期が短く、数年間程度はかなりの崩壊熱を発生するので、まず数年間程度プールで冷却することになる。数年後には、半減期の短い放射性物質の多くは放射性を失ってしまうので、崩壊熱もそれだけ減少する。その段階で乾式キャスクに移すことになる。乾式キャスクでは空冷になるので、冷却能力があまり大きくない。
原発を使い続けることは、それだけ、また新しく使用済み核燃料を出し続けることになり、原子炉建屋の上部にあるほとんど放射能の封じ込め機能のないプールで数年間その使用済み核燃料を保管することを意味する。電源が切れたら、または、原子炉建屋がある程度以上破壊されプール自体にひびでも入れば、大規模な放射能漏れに至ることになる。この意味でも、原子炉稼働は危険であり、再稼働は避けたほうがいい。
乾式キャスクも容器の劣化があり、設計時の安全に使えるとされる期間は40年とか50年程度とされている。しかも、燃料棒自体や燃料集合体自体が50年や100年後どの程度劣化するかはよく分かっていない。これは当然で、まだ、原子力発電を始めてから60年程度しか経っていないからだ。更に、乾式キャスクを貯蔵するための倉庫自体も50年とか100年ごとに建て替えが必要になるはずだ。使用済み核燃料の安全保管が短くとも数万年、アメリカでは100万年必要とされていることを考えると、プールにしても乾式キャスクにしても地上保管にはほぼ無限大の費用が掛かることになる。
しかし、だからと言って、地層処分は、地震が起こった場合の安全性が全く保障されていず、地震が起こらなくても容器が地中で破損することによる地下水の放射能汚染がいつかの時点では確実に起こってしまう。
これらのことは、ウランやプルトニウムの半減期が数万年とか数億年と分かった時点で予測できたことであり、北アメリカ大陸やヨーロッパなどの大陸部へは核廃棄物を処分できないことは明白だ。つまり、これらのことは、核兵器を製造・保持しようとする際の最大の問題点として理解されたはずだ。そして、だからこそ、原子力の平和利用を口実にして、日本や台湾などの地震国に原発を広めたのではないだろうか。つまり、それらの国で原発事故が起こり、国土が放射能汚染してしまい、国民が海外移住して国土を核廃棄物処分場にするしかない状況を作ろうとしていたのではないか。
*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<1129>>TC:37840,BC:5322,PC:?、 Mc:?
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